元祖「日本のいちばん長い日」
日本敗れず
              1954年   阿部豊 作     

日本敗れず



初めて「戦艦大和」「人間魚雷」「226事件」という題材の映画を製作し ヒットさせた事から、調子に乗った新東宝が「宮城事件」を描いたのがコレ。 しかし知名度は低い。

宮城事件を描いた映画で最も有名なのが。1967年に東宝で公開された 岡本喜八作「日本のいちばん長い日」なのは間違いない。 「日本の〜」が現在に至るまで根強い人気と高い評価を得ている理由。 監督、キャスト、スタッフ、脚本、それぞれが異様な熱気に包まれ それが画面に緊張感として映えている。並みの完成度ではないと、 単にお仕事でやっていたのではないと観ただけで理解出来る。 そういった和製「大脱走」的な、疲れと充実感が残るからである。 創り上げた人間の9割以上が戦争に大きく影響されている。 日本民族の運命を変えた「終戦」物語は身近であり 彼らが「過去」を脳裏に浮かべつつ演じ 作り 書いた。 何も不自然ではない。熱が入らなければおかしい現場だったと言える。 そういう幸運な現場だった。

では。終戦9年後に製作された「日本敗れず」はどうだったのか。 その衝撃的な事件を元に完成度は高かったか? 今なお、言いようのない興奮を我々に与えてくれるのか?

答えは「NO」

いくら「日本の〜」が国民不在という弱点を抱えていたとしても 本作が国民をキチンと描いたからといっても 「日本の〜」を上回ることはなかった。

何故ならその国民パート以外 つまり「日本敗れず」と熱狂する青年将校と彼らのオヤジ・阿南らが語る 本作のメインパートである「宮城事件」の全貌が死んでいるからである。




熱気はあったろう。細川俊夫をはじめとする全ての俳優・スタッフたちは 9割以上が戦争に影響されたという「日本の〜」と違って10割。その全てが関わりあっていたのである。 初めて終戦劇を描くという緊張もあったに違いない。 だが画面にはそういった熱気は全く伝わってこない。 俳優はイイ面をしているが勢いがない。 それは演出と脚本によるものだろうが、非常に静かに「淡々と」物語は進んでいくのである。

彼らは汗もかかないし激情に駆られることもない。 ひっそりと始まり、ひっそりと自決する青年将校達。 「日本の〜」が彼ら青年将校たちにメインを置き、半ば青春映画的側面を見せていたのは何故か。 つまり宮城事件は、彼らの存在によるもの大きいとの理解からである。 もはや彼らの行動が描ければ。佐々木大尉の反乱も特攻隊出撃も 大臣の白熱する議論も国民不在も関係なく この衝撃的な終戦劇と大和精神の悲劇のその全てが 理解できるというのは、何も言い過ぎではないだろう。 つまり事件の全てが青年将校達に体言されているから。

敗戦を容認できぬ狂気。そして、その敗北。 これは「日本の〜」で終始流れたテーマである。 狂気なのだ。国民不在の狂気。 しかし本作の「宮城事件」の主役たる青年将校たちは 様々な葛藤を超えて、クーデターに進むという その若き精神(つまりは狂気)がおよそ語られず、なのである。

台詞回しも淡々としており、過激な発言時に至っても同様。 カメラワークも美術も、平坦であり淡々と映されるだけ。 空襲パートのみに気合が入っていると言っても良い。  
「宮城事件」で起こるやりとり全ての絵面が平凡なのだ。 画面構図が地味なら役者の熱気がカバーするべきだったが、そこにも期待出来ず。 挙句、事件の詳細・・・大まかな事実に至っても、かなりの脚色がかかっている本作の「意義」とは何か。 いちいち大勢で阿南や林師団長のトコへ乗り込み レコード収奪の際にも全く緊迫感がなく 大勢の兵士たちも動かず、ドタバタも、走る音すらない。

そして上原が森師団長殺害以降も大いに暴れまわり、ついには録音関係者を射殺(!)。 最後には畑中や椎崎、上原、井田等が田中大将の言葉によって 静かに自決するのである。夜中に。皇居を眺めることもなく。

阿南の最期を見届けるのも竹下のみ。「日本の〜」と違い夜中に行われた。 さらに阿南自決の情報を田中大将が青年将校に語り その流れで将校が自決するという流れになっている。 であるから、宮城事件は夜中に始まり夜中に終わったと本作では描かれている。 忠実すらあやふやだった。




「日本の〜」が、まさしく教科書的貫禄を誇っているのは 映画的な演出を大いに加えている事もある。 どうだろうか、本作か「日本の〜」かリメイクかだったら どれが一番実際の詳細を調べたくなるだろうか。 つまり自主的に「忠実を知りたいなあ」と思わせるような作品はどれかと言ったら 大多数が「日本の〜」になるハズなのである。 何故か。その面白さ興奮エキサイトが無知を刺激し 快活に「歴史を学ぼう」という神妙な感覚を与えてくれるからである。 本作にはそこが足りなかった。映画なのだ、ドキュメンタリーではない。 娯楽精神は必要だった。

しかし国民パートは前半、ラスト含め結構なリアリティと感動がある。 確かに、青年将校達とは違って国民は絵面でも演技でも躍動していたし。 最後のメッセージは「日本の〜」と異なる感動がある。 もし、国民パートそのままで宮城事件パートが「日本の〜」なみであったら まさに教科書的貫禄を超えて教科書そのものになって さらに「一億日本人総必見!」の題字が付く事マチガイなしだったろう。新東宝ならね。

本作は同年、阿倍豊が大部分をやった「叛乱」と似通る部分が多いが 本作の「凡さ」は明治生まれ、撮影当時60歳の豊の限界だろう。 少なくとも「叛乱」が傑作となったのは、佐分利の志と名脚本家・菊島隆三の若きパワーが大きい。 いくら阿部豊が本作のプロデュースをやり熱に溢れていても 老人・館岡謙之助とのコンビは既に落ち目であった。 いくら阿部豊が盟友・早川雪洲を迎えても、熱気は出せなかった。 激情、狂気、全ての始まり・・・その熱を描くに「豊」は老いすぎたし 叛乱のエピソードをみるに、真摯さにも欠けていた気がする。


終戦を巡る男たち

阿南陸相(早川雪州)  
クーデターへと進む青年将校  
講和を練る大臣たち  
録音版を探せ!宮城占拠に向かう陸軍兵士  
嵐を呼ぶ男!俺は戦後のドラマー  

見方



少なくとも一見の価値はなくとも 邦画史にはこれからも残っていくだろうし、また様々に見所はある作品なのだ。

まず俳優から。

「日本の〜」を観た時、阿南を演じられるのは三船だけ!の確信を持ったが この早川雪州の演じた阿南の重厚な雰囲気に、その確信は改められた。  個人的に日本の俳優トップ3では三船が1位、雪州が2位だと思う。 そういった世間目からの支持があり、日本を背負うばかりの貫禄がある2人だからこそ 陸軍の全て、国民の命、そして日本そのものを憂い考え抜いた男・・・ 阿南の最後の一日を演じられたのだ。他に演じられる格のある俳優がいるだろうか。 雪州は「チート」で世界的に有名になったが、その「チート」に出演していた阿部豊は後に監督になり 新東宝で本作を作ったのは有名。雪州の出演は阿部豊直々の出演依頼があったからであるが 監督の完全とは言いがたい本作の完成度の根底を守ったのが雪州であったことは決してマチガイではないだろう。

三船の、如何にも陸相を務められそうなエネルギッシュさ男らしさとは裏腹に 雪州の阿南は静かであり、無言の内に相手を悟らすかの雰囲気を持っていた。 三船阿南は苦悩の男だが、雪州は既に悟りきった体である。 三船は当時46歳、雪州は69歳。 脚本と演出にもよるだろうが、年齢による人間感覚からしても このような違いはあったのだと思う。 しかし、こう真逆のムードを持ちながらも、どちらとも違和感はない。 静かに死へと向かう雪州阿南だが 本作の最も観るべき点が、この切腹場面であろう。

カメラワークと構図が凡庸だと言ったが、この場面は全く例外で 全く素晴らしいアクトと共に映し出される美しい切腹シーン。 三船とは違い一切顔を見せぬ、また血しぶきも見せぬ阿南の最期を 雪州は見事に演じ切っていた。隣で見守っている沼田も静かな見届けようであり 壮絶な最期を迎えた三船阿南とは似つかない安らかな「切腹」であった。  
阿南の格は雪州により確かに証明されたのである。 そして戦後邦画での早川雪州の存在感を一躍示したという意味でも この阿南役は重要であったに違いない。 ただし、無念さはないのだ。 絵になるし、多面的だし、日本的だが、壮絶な三船の方が、敗戦の精神には合うと思う。

前年「叛乱」で安藤大尉 を演じた細川俊夫はまたも「クーデター映画」において主役級の役柄を演じた。 畑中中佐。

「日本の〜」で黒沢が演じたエネルギッシュタフガイが 畑中中佐のイメージだと言う人は多いだろう。 だが実際の畑中はもの静かなタイプであったらしいというのも 多く意見されるトコロであって、そう考えると、この冷静な俊夫・畑中の方が忠実に近いのかもしれない。 ただ、あの日の興奮は、もしや忠実・畑中を黒沢の如く暴れ捲らせ 冷静さをかなぐり捨てていた可能性すらあるのだ。 だからこそ黒沢・畑中はそういった当事者でしか分からない一つの可能性としても 非難に値する物ではないと考えます・・・多分。

しかし細川俊夫はホントに軍服が似合う。 非常に男らしく気品がある、その整った貴族的フェイスはピシッとした軍服と相性が良いのである。

丹波が演じる椎崎中佐も中丸・椎崎のイメージが強い人が多いはず。 クールな参謀格・・・といった雰囲気が抜群にハマっていた。 本作の丹波・椎崎はこれといった個性はなくイライラしているのみ。 録音関係者を脅し、突き飛ばし、挙句足まで出す場面が最も注目されるが それ以外これといった個性はない。

それを言うならば「叛乱」でエネルギッシュ栗原を演じた小笠原もまた個性がない。 小笠原が演じたのは井田中佐役らしい。 井田と言えば、高橋悦史が演じたあの格好良い軍人を思い出すだろうが 本作では固有のエピソードも全くなく丹波椎崎の様な(少しばかりの)個性を発揮する場面もない。 もし「日本の〜」的キャスティングを許すなら畑中役は間違いなく小笠原だろう。 しかし小笠原ではなく舟橋元がもしかしたら井田中佐役だったのかもしれない。 高橋井田と同様に長身でクールな雰囲気である。 でも仮名から察するにやっぱ舟橋は稲葉中佐だったのだろうか?

舟橋・稲葉は忠実の如く自決もせず、クーデターの中心的決行者ではなかった。 小笠原は井田中佐という事だが、事件に積極的関与し最後には自決を遂げる。 個人的には舟橋が井田であるというのも事実ありだと思う。 じゃあ小笠原は誰を演じたのだろう。古賀少佐とか?




そしてドラマがあった沼田竹下以外で唯一光っていたのが 宇津井健演じる中原・・・上原大尉であった。 「日本の〜」的テンションを唯一持っており、叫び捲り暴れ捲り、挙句忠実から飛び出て 宮城事件の最重要人物とまで化してしまった。 急に森師団長の下へ飛び込んで来ては 「お国の為だっ!」と傍らに居た将校を斬殺するなど不気味。  
ここが「宮城事件」パートで唯一派手で躍動感溢れる場面。 最期の際にも田中司令官の言葉を畑中等と共に聞き 一足先に部屋を飛び出し自決するなど特異な存在感を示す。 頑張って一人、宮城事件の再現を盛り上げていたが 如何せんもう一人でも宇津井の協力者がいれば・・・本当ならば畑中とのドラマが。 もし小笠原・畑中とのコンビで暴れていれば、かなり「宮城事件」は盛り上がっていたはず。 キャスティングをもう少し付け加えれば 宇津井はそのまま、細川は椎崎、小笠原が畑中、丹波か舟橋が井田。 田中大将の言葉を聞き、絶叫しながら刀を振り回す椎崎・細川俊夫・・・格好良かったろうな。 こう考えると「叛乱」は新東宝のベストキャスティングだった。大映のああ江田島みたいな。

「日本の〜」の様な個性はなく没個性将校を演じる4人の中佐たちだが イイ面をしていると言うのは事実だし、もしかすると本当の宮城事件というのは こう静かに大きなアクションもなく行われていたのかもと思ってしまう。 まあ当時を再現する――説得力は「日本の〜」がベストだけど 「日本敗れず」も結局の所、リアルすぎるクソリアルとして買わなければならない。 俳優の貫禄を楽しむ事と まあスター達が宮城事件の再現ドラマに出た という風に考えとけば彼らの青年将校役も浮かばれ 我々も悪い気はしないはずだ。 再現ドラマ、つまり映画ではないけども。 21時からやるスペシャルドラマ「日本敗れず」といったところか?(笑)

次に音楽。 鈴木静一の音楽は佐藤勝の重厚な音楽と通ずるが、どこかハリウッド的なムード。 ラストパート辺りの音楽は、前年東宝の「太平洋の鷲」と同様、まだ邦画音楽っぽさがなく 外国オーケストラ的な雰囲気。そういう終戦を奏でる音楽と 硬く締め付けられる様な厳格「日本の〜」との対比を楽しめる。

まあ戦後9年目の雰囲気と結構な人海戦術と 平和へのメッセージ性を読み取れれば良いんじゃないか。 結構な作品ではあるのだ。真摯ではあった。おもしろくないだけ。


 

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