DVDのオーディオコメンタリーから基本的に牛山部だけを抜粋。     牛山の映画に賭ける青春と熱き思いとを堪能できるが、カットシーンどうこうについては100%間違っていると思うので それについては軽くレビューを書いた。あと植松の服装は間違ってない。 
  えー、卒業プルーフで監督をやりました牛島真一です。87年の3月かな、撮影したのが。 私は26歳。鶴見慎吾は22。鶴見君はね、やっぱり高校、中学ぐらいからずっと撮影現場にいて、休学してたんだよね 彼の卒業はね、彼は大学7、8年いってたはずだから、ちょうど大学4年生ぐらいのときに作られた。 でもほんとに、なんてのかな・・・若いスタッフというか、あまりにも若すぎるスタッフだよね。 1983年に日本大学の映画学科を卒業して、79年から83年までいたんですけど、いわゆる、今はインディペント映画というんだけど 当時自主映画っつってね、僕の三年ぐらい上に石井 聰亙さんがいて、日大にね、長崎俊一さんもいて それから一年下に手塚誠くんがいて・・・だからあの頃立教大に小中君とか黒沢清くんとか 映画を作って早稲田で、山川直人とかね、みんながほんとに8ミリや16ミリで映画を作って映画館やあるいはホールで 積極的にね、またピアって雑誌もちょうど脂が乗りきったときでね、もうほんとに、錯覚したんだな。 自分が映画監督になるって。で、小中みたいに大学卒業して、ぼくもそんなんだけど、どっか撮影所入ろうとか 今とちょっと違うのはテレビ映画とかテレビ局に入るとか、今はね学生さんたちにとってはひとつの映像集団表現の手段としては 可能性として一つあると思うんだけど、あのころまだ若干映画神話は残ってて、やっぱテレビ局やテレビドラマの製作会社に入ることは あんまり、将来の自分の映画を作ることへの芽を摘む、みたいな感じもあったよね。 僕もだから83年卒業して、まったく小中和哉と同じように、何も卒業試験もね なんにも受けずに、自分は映画監督だと思ってね、飛びこんで、それでちょうど3年目か4年目ぐらいのときだよね 小中君とビクターのエイリアンハンターPですか、一緒に作って。で、これは、ちょうど製作された前の年の秋に この映画の企画者でプロデューサーである鶴見慎吾くんの大学時代の友人だった当時また我々と一緒に ちょっと下の世代ですけど8ミリ映画を作っていた丹羽多聞君という鶴見慎吾くんの同級生が鶴見慎吾くんに映画を作りたいと持ちかけて そして16ミリで撮影をしたいんでということで経験者である、丹羽多聞君の共通の知人である僕と小中君が参加するという。 僕も、そこでそれからの盟友になる鶴見慎吾くんと、簡単なね、手伝ってくださいというところで出会って 今、今年、今録音してるのが2001年なんですけど、一本ね鶴見とまた映画を作れて、凄い長い付き合いになったんですけどね。 そのきっかけとなった映画なんですが。当時は僕も16ミリの小中君やこのプロジェクトをやろうとしていたスタッフよりは 少し早めの体験ができたんで。8ミリと16ミリは違うだろうという意識がねみんなにあったんでしょうね。 特に16ミリの場合は少し8ミリよりも、もちろん映写状況もとってもいいし表現手段も多くなるし、当時テレビ映画も16ミリで 作られてたってことで、やっぱ16ミリに対する35ミリへのね、中間のステップという、やっぱ映画なんだという、疑似映画体験という。 今これちょうど映画のね、主役の児島未知瑠さんが、冒頭のシーンですけど、画面見てらっしゃる方は、これ映画で 16ミリの話を何でしてるのかと疑問に思うのかもしれないね。実は16ミリでこの映画は撮影されて、そしてあの 1987年の3月に撮影して、11月の記録によると11月の末に、35ミリにブローアップ、ようするにダイレクトブローアップと言って 16ミリのネガを35ミリのネガにブローアップしたんじゃなくて、16ミリのネガから35ミリのポジプリントでダイレクトに上げた方が、 画像がきれいだってことで、それで公開された映画で、今はね、いろんな16ミリの映画を作って撮影されて それを劇場用の35ミリのプリントにするっていう映画がここ数年、ずいぶん前から増えてきて、逆に今はハイビジョン撮影時代になってきて。 そういった意味でいうとこの映画は16ミリで撮影して劇場にかけるっていう意味でいうと、石井さんが狂い咲きサンダーロードとか 作ってましたけど、そういう意味では、先駆けというか先駆的なとこだったんだよね。実験的にね。 いわゆる普通劇場映画なんかこうDVD買ってみていただいた方なんか、ぼくなんかDVDマニアなんで、かなりの枚数持ってるんですけど それぞれ映画にはオリジナルサイズがあってね、特に映画はテレビとの差別化でビスタサイズとかシネマスコープサイズとか非常に横長のタイプがあって 上下にクロミがね、レターボックスサイズがあって、サイズが分かるんだけど、劇場で35ミリでかけたとき、16ミリから拡大するので 画像が劣化する恐れがあると。当時はまだスーパー16というワイド画面に適応するカメラがまだなかったんで それでこれはスタンダードサイズを選んでる。というかやっぱり、昔はね、日本映画の劇場モンって、スタンダードサイズの映画って多かったんだけど 僕らがこれ公開した1987年にスタンダードで映画を作ってるなんてのは、 あの、伊丹さんなんかねお葬式とかマルサの女でスタンダードサイズを好んで選んでましたけど やっぱほとんど劇場がワイド対応になってて、特に日本の映画館なんてずっとプログラムピクチャーの時代が続いて ビスタどころかずっとシネマスコープの画面サイズがあったからスタンダードで意外に上映しようと思ってしてみたら逆に正確にスタンダードで映せない映画館が 多かったというのも、ぼく、この映画作ったときにはね、すごく記憶に残ってるんですけどね。 (なんで卒業というテーマか) 企画者が卒業するから、なんかあの、だと思うんですよね。今これクレジットみたら脚本の名前が5人もあったね 大体人数が多い脚本の作品てのは大体上手く・・・脚本の段階でいってない、映画が多いんだろうけど。 結局まあ、話が行ったり来たりしましたけど、企画者がした、その丹羽多聞さんの映画デビューということで 準備を進めてたんだけれども、丹羽くんの、いろいろ人生の、大学4年生の、ホントに彼らの卒業のスケジュールが重なって それで鶴見慎吾君が非常に段々だんだんこのプロジェクトに、彼も非常に、なんというかなあ、当時22歳と思えないぐらいに 俳優さんではありながら非常にものを想像したり、表現するってことにものすごく興味があった男で、今もそうですけど。 それで頑張って、思ってたより彼がお金を集めてきたんだよね。段々大作になった。最初は卒業制作だった だから東京の方しかご存じないかもしれないけど、当時文芸坐、今の文芸坐と違って、当時の文芸坐にいくつか映画館があってね それでかけられるようなというのも一つの大きな目標だったんですが、それより大きなバジェットでお金を鶴見君が集めてきたので ちょっと政策上の理由から僕と小中君が、とにかく撮影現場をやると、いう理由で、あんまり小中君と具体的に この部分を小中君が撮って、この部分をぼくが撮ってという、打ち合わせもないまま撮影をスタートさせたような思い出があるんですけどね。 大体ここ今集まっている、カンニングをしてる方のチームのが出てますけど、だから、鶴見慎吾君の今までの 仕事で一緒にやってきた仲間と、私の同級生で船越英一郎がいましてね、彼が劇団マガジン、今も頑張ってますけど そのマガジンのメンバーと、それから麻木久仁子さんだけは、最後まで決まらなくて、麻木久仁子さんだけはあれかな pのプロデューサーの方からの紹介。この人(植松)は、とても大学生に見えませんけれども、この人は船越英一郎くんの 劇団のマガジンの当時の主役、主演メンバーの一人ですね。彼で26ぐらいだと思いますね。でも、今26の若者はもっと若者だよね。 すごい26歳かなあ。 で、まあ比企理恵さん。鈴木ヒロミツさん。。で今出た伊藤康臣くんは鶴見君と一緒に松竹映画でね「ときめき海岸物語」で共演した仲間ですね、 劇団ひまわりか何かにいた方かな。そういう構成のね、キャスティングで。 さきほどこのブロックの前に出てた、卒業の恋のさや当てをする、いろいろそのメンバーの方も含めて全部で10人という大所帯で、 この前も、鶴見君と会って思い出話をしたんですけども、一人ひとり交渉するにあたってキミは主役だと。 一人一人に主役だと言ってしまって、それでどうしようってことで、みんなが目立つ企画を、シナリオ書こうという。 非常にある種、まあ、なんていうかな、映画への熱き思いはありながら、製作のところでは非常に、学生アマチュア映画の 両輪と混在してる、無計画な、ちょっと今の僕や小中君ではやれそうもない形での映画製作のスタートでしたね。 やっぱりこの、ぼくはね、この映画非常に、若いスタッフで、特に自主映画を作ってきた、ぼくや小中が中心になってやったので ある種その、プロフェッショナルな仕事とアマチュアの、ぼくらの作品が作っていったわけだから、アマチュアやプロはないと 思って作ってましたけど、やっぱり僕にとっての映画の現場というのは、この後のね、僕の創作活動に やっぱり、あの、アマチュア的なものを終わらせる映画、ある意味終わりの始まりになった映画になりましたね。正直言いますと。 非常にアマチュア、の作り方の良さもあるんですけど、やっぱりそのままではいろんな今後の製作や創作をしていくうえで、いろんな問題があると。 映画を作ることはどういう物なのか、しっかり考える映画になったんですが。 ただやっぱプロで固めたと言っても技術メンバーはあれなんですよね、当時一本立ちでやっていた ベテランのスタッフというよりも、彼らも新人だったんですよね。技術者ではね。 いろんな意味で変化していくときで、そのプロとアマの混在で作ってるっていうのは、今もね、そういう作り方している映画があると 言う風に記事で読みますけど、ただ非常に映像が個性的な映画だとかね非常に作家性の強い映画の場合は、非常にそれで良い映画が作れると思いますけど こういう物語で語っていく映画の場合は、やはり、非常に難しい、やっぱ物語を語るのはこんな難しいのかと思いましたけどね。 カットのサイズ一つとってみても。 彼はあの、確かに松竹撮影所でカメラの近森さんですけどね、仕事してましたけど、その前では彼も日本大学の 僕の2年先輩になるんですけど、色々いい作家の作品についてね、カメラマンだったんですけどね。当時は寅さんのタカ派さんについてたのか 資料みると、そんな風に書いてあるから、もう付いてたのかもしれないね。 こっちのグループの右側にいる帽子をかぶった麻生肇さん。あのマルサの女で、第一作でね、背の高い、マルサ顔の 印象的な背の高いね、査察官の役で出た、これもまた鶴見慎吾君と「ときめき海岸物語」で共演した男でね。 文学座の研究生で、だったと思いますよ。 左側の永田さんという、彼は船越英一郎くんの劇団マガジンの当時メンバーの一人で。 彼には学生時代からよく出てもらって、小中君のエイリアンハンターPではエイリアン(着ぐるみ)をやって・・・ 彼はね、あの、すごく明るくて、いい俳優になると思ったんだけど、結局10年ぐらい前に 俳優さんをおやめになって、今ね、熊本県でね、畳屋さんの若社長を。みんなそれぞれ人生を歩んでるようでね。 もう一つ映画のこの、目の前に資料があるんだけど、タイトルのロゴを見るとね 卒業パーティは大騒ぎ、これが流行りのブラックパックムービーというのを、そのブラっとパックムービーというのを 小中さんちょっと、視聴者の方と、いや視聴者じゃない、DVDを今見てらっしゃる方に少し小中流の解説をしていただけませんか。(・・・略) 確か撮影前に、プリティ・イン・ピンクを試写で、映画をスタッフでね、あの頃ビデオがプリティインピンク出てなかったんで 参考試写で見たいっていうので、でもどこの映画館でもやってなくて。 でも埼玉県の所沢市で一館だけやってたんで、ぞろぞろとみんなでプリティ・イン・ピンク見に行ったという思い出があります。 きっとそういう青春映画を目指してたんでしょうね。 でもどうです。小中和哉の歴史からするとぼくはどちらかというとちょっとね、DVD見てらっしゃる方 ここんところテレビドキュメンタリーばっか作ってたんであまりご存じないかもしれないんですが、 ぼくは比較的に青春映画を大学から作り始めて、で、鶴見君の「翔んだカップル」なんてね目からうろこが出るぐらいに 相米さん の映画なんだけども、ほんとにあの、それまで青春映画と言ったら中村雅俊や村野武範が砂浜でこれが青春だなんて言ってたのが 粒来だとか。ところがやっぱり、相米さんの飛んだカップルの登場でガラッと青春映画代わってね、それにやっぱり影響受けて、 それにタイプ違うけど大林さんが転校生作ったりして。で、そんなものに非常に感化受けたんでね、大学時代から割と好んで 同世代の人たちを主人公にしたコメディを比較的作ってたんですけど。そういった意味でいうと、小中君からすると 自分の映画史の中でいうと、イレギュラーな作品に参加せざるを得なかったというか。 ここら辺の音楽なんかもちょっとね、ちょっとね、ここからメロディーが出てきますけれども、やや某映画の サウンドトラックにちょっと似てるんでね、まあ著作権には引っ掛かりませんが、非常にここらへん意識してますよね、 多分ここから流れるメロディは「セントエルモスファイアー」にちょっと似てると思うんで みなさん耳を澄ませて聴いてもらいたいと思うんですが。この後かな。まだ出てこないな。 非常に音楽の使い方もセントエルモスファイア―のね。これテーマとしては使ってない・・・いや使ってるつかってる 児島未知瑠さん演じる里見千秋が、自分がずっと、今日卒業に当たってひそかに思いを秘めているその、男を思う、切ないシーンに流れる として、何度も出てきますけれども、やっぱり、当時の音楽監督、松本孝浩。今有名な松本孝浩ではない同姓同名の松本孝浩なんだけど 彼にね、たぶんプリティインピンクやブレックファーストクラブやセントエルモスファイア―のきっとサントラのレコードだったのか、 渡して、こういうの作ってくれて、彼は見事そういうものを作ったという感じがするんだよね。 だからあの児島未知瑠ちゃんのやってるこの里見千秋という女性はね、特にブラットパックの代表的な女優さんでいうとモリー・リングウォルド 彼女全然美人じゃなくて、きれいではないんだけど、でもすごくねえ、アメリカ人の17、8歳の女の子の表現が上手くできる すごくいい女優さんでね。コメディもできてね。彼女はステキな片思いという、ブレックファーストクラブ、まあ優等生の女の役だったのかな。 すれた気のない。で、プリティインピンクで、きっとピークを迎えたんだろうけど。 で、そういう女優さんを探そうっていうことでね、児島未知瑠さんもキャスティングでいうと鶴見慎吾くんや僕や小中君の メンバーではなくて、いろいろ探したあげくに、初めてお会いした。 彼女は当時、関根勤さん、関根さんが所属している浅井企画の看板娘でNHKのトーク番組のアシスタントや 当時の資料みるとね、キャンパスポップスシンガーと書いてあるから。当時彼女は大学一年生で 歌手としてね、詩は自分で書いてたのかな。笑っちゃうのは、今思い出したんだけど、児島未知瑠さんと出会ってね とっても良かったんだけど、その前にそのモリー・リングウォルド をみたいな女の子を探そうということでね、知り合いの各芸能プロダクションの 人にモリー・リングウォルドの写真を見せてね、ほんとにモリリンモンローと同じような顔をした女の子が何人も来てて。違う意味で やっぱねモリー・リングウォルドだから可愛く見えるんで、モリー・リングウォルドと同じ顔の日本の女性は非常に、個性的なお顔立ちの女性だよね。 児島未知瑠さん、児島未知瑠さんとしての里見千秋を演じてもらえて、彼女はすごく、一生懸命爽やかにやっていて 現場で大変好感が持てましたね。演技経験まったくなくってね宝田昭さんの長女でね、で、日本で初めてのミスコンテスト なんだったけな、世界ユニバース優勝した小島明子さんと宝田昭さんの娘さんという、超サラブレットですよ。 その後ね、慎吾くんとは違う金八先生の第何シリーズ分からないけど、そこでね先生やったりね。 それにね、ジプシーか、大ヒット曲。今ジプシーという言葉が使えるのかわからないけど。 これ困ったときの寺田頼みといって、寺田農さんは本当に若い監督の映画には非常に強力的な大ベテランの俳優さんで 僕も今回もね、鶴見君と新作作ったオンエアーでも寺田さんと無理にお願いしてね。小中君も寺田さんにも四月怪談とかで。 寺田さんは僕らにとってみたらやっぱ岡本喜八の肉弾という映画があって、なんか、我々のような安い映画にも、喜んで出てもらえるんじゃないかという 俳優さんでね。いろんな若い監督、相米さん、もちろんこれは若い監督というよりも撮影所で頑張っていた大監督ですけれど 相米さんとか石井隆さんとかね、異色の監督にも大変好まれて。 あの比企理恵ちゃんも大変、この映画ではね、卒業プルーフでは大変彼女は光って、割とちょっとやや俳優さん たとえば若い経験積んだ俳優さんを組み合わせるというのも僕は卒業プルーフのとき非常に 実際にやってみると、たとえば舞台上で船越英一郎が主宰している劇団何かで見るととってもイキイキしてるんだけど 中々スクリーンというか映像の中では非常に難しいなと。非常にバランスとるのが難しいなと思ったんだけど。 比企理恵ちゃんは大変この映画では魅力的に子の女の子を演じてくれて、唯一、なんとかなあ、こんなこと今言っていいのかわからないけど 我々が標榜したブラっとパックムービーのアメリカの俳優さんのテイストに一番近いところで頑張ってくれた、よね。 撮影の順番でいうと卒業してる人たちが先にクランクインして、その後カンニングをしてる人たちの撮影になったような気がするんですが カンニングしてる人たちの話の方が、もちろん彼ら自身に問題点が多いわけですから、見てる人に興味をねやっぱりそっちの方に ついいっちゃうんでしょうけど、我々もなんか、最初に卒業した人たちの恋の話を取ってて、ちょっとこっちの 話をもっと頑張らないと、映画全体がどうなるんだろうと不安を持ちながらやってたんで、こっちのカンニングしてる人たちの方を一生懸命 本来はもっと全体見渡しながら今は撮影してますけど、当時はなんか野球の新人選手ではね、打席に立つのがその日その日をどうやっていくのか どう仕上げていくのかで精いっぱいで、なんかこうカンニングした人たちの分は、かなり頑張らないかんという意識を持ちながら現場にいたという気持ちでいましたからね。 別に卒業してる方を、たとえば小中君をやって、カンニングをしてる方をぼくがやってという分け方ではなかったんですよね。 僕の印象だと、芝居みたいなものをね、小中君とぼくが相談しながら作って、絵の方のねコンテに関しては、 キャメラマンとは小中君が打合せして、それで編集の段階は僕が。やっぱり誰かの意思統一で編集した方がいいだろうということで。 編集してということで、あえて言えばですけどね。一緒にやってよかったんだけど、運よくすぐ四月怪談の企画が通って 小中君も準備にどんどん入っていくという。1987年3月にコレ撮って、5月ぐらいに完成して、すぐ同時期に、次の四月怪談の準備に入って 夏ぐらいに。うらやましい。今そういう忙しさが欲しい。映画二本も三本も続けてなんて。 (カメラの指示は)黒澤明の本に書いてあったんだろうね。黒澤さんの持論が、書いてあったからそういったんでしょうね。 僕が今年作ったオンエアーなんてどんどんカメラが動いてますからね。 あの小中君は、割と卒業してる人たちとカンニングしてる人たち、どっちが割とこう作ってて 今思えばですけど、どっちが興味ありました? 不思議なんだけど、すっかり忘れてたんだけど、今回作ったオンエアーなんだけど ずっと密室のリハーサルルームだけなんですよ。、 カンニング組の人たちではうまく表現できてなかったので ちゃんとやれてたし、やっぱ14年という年月は、我々を技術的には成長させてくれたようですね。 実はね、このシーン、児島未知瑠さんの昼休みの休憩のシーンなんですど この後に、私いまここボーンとカットしましてね。今回ね実はDVDにパイオニアさんのご厚意で、卒業プルーフを こういう形で21世紀に映像を残すことができたんですけれど ただ1つちょっとお願いしたのはね、もう一度編集やらせてほしいと。 、少しね、やはりあの、なんとかなあ、プロフェッショナルとして、やっぱり役者さんたちやスタッフの人たちが 頑張って作ったシーンをね、出来るだけ活かしていこうということで作品を作ったんだけども それはやっぱり果たして映画にとって幸福がどうかっていうのはね、撮影現場の頑張りと観ているお客さんとの ことは全く関係のない話で、撮影中がいい加減でもね、やっぱりあの、なんだろうと、やっぱり出来上がったものから こう作品を構成していかなければいけない、これは映画学校では一番初めに習うことなんだけど ちょっとねえ、そういう意識があったんじゃないかなーと。このシーンは残ったのよ。この自分が作って もう10年前だからなにがカットされたかわからない、いろいろカンニングしている人たちが教室で待機しててね あのー、黒板でね、比企理恵をクロスワードを書いている。浮かばなくて描いている、後ろでストレッチ体操みたいなのをね 片桐役の植松君とかゲップばっかりする伊藤君とか麻木久美子さんとかがやったりね、それからなんか変な ジョニー役の水口君がなんか、インドのヨガのような煙を炊いてね、なんてシーンがあるんだけど 今見てみるとね、なんかやりたい意図はわかるんだけど、ちょっとうまくいかなかったかなと思ったんで ここ今落としました。で、このシーンにもってっちゃいました。 で、実はこのシーンの後もね、その、児島未知瑠さんを、好きだっていうことでね、実はこの映画のファーストカット というか撮影初日に撮ったね、永田豪史演じる神野が段ボール箱でなんかこう、児島未知瑠ちゃんを想ってるシーンがあったんですが これも落としました。テンポあってるとこですね。いや僕はね・・・カットしたいからカットしたのにね、どうもその パイオニアの小原という、ややイジワルな男はね、カットしたシーンだからこそ見せた方がおもしろいんだと。 なんか絵も綺麗にしてましたよ。だから映画を見終わったら、ちょっと探していただいて、こんなところがあったんだなあと。 だから全部でね一時間45分あった映画を、色々細かく微調整しましてね、一時間37分切ったから、8分くらいにしましたね。 でも、そういった意味でいうと、強くこう、それぞれの卒業式、卒業パーティーに対する複雑な思いが 最後の卒業パーティ―で結実するように、編集、ある意味現状の素材の中では、一番うまくいくように編集したつもりなんですけどね。 1つそういう理由があってね、それは小中も今、鉄腕アトムの新作をね、に取り込んでいると思うんだけど 僕も手塚治虫さん大好きで、もうあの、テレビドキュメンタリーなんか小中と一緒に作ったり、ここ7、8年で何年も 手塚さんモノ作ってるんだけど、手塚治虫もほら、どんどん全集とかあるけれども、定番、定本がなくて、どんどんどんどんその時代にあった中で 編集構成変えていくタイプの作家でしょ。だからこのね、話もらった時に、そういう手塚治虫さんだってね、その時代に合わせて古いギャグのセリフなんか変えちゃうんだよね どんどんどんどん絵の構成とかね。絵なんか書き直しちゃったりてね。鉄腕アトムなんかいまみんなが読める奴なんて最初に手塚治虫さん自身が出てきて各話の頭に 言い訳とも説明ともつかないシーンがあるよね。だからそういう意味で、今回のDVD版の卒業プルーフ、を作ったんで、それはね、DVDを見ていただく方にご理解いただきたいなと。 思ってますけどね。 (どーしよーもねーな。鉄腕アトムはSFだろ。だからギャグじゃなくて中身で勝負するから時代に合わせてセリフ変えるのはわかるわな。 でも本作の価値ってのは80年代日本のバブルの軽薄なムード、空気でしょ。そういうノリを消した後、なにが残るんだ本作に。牛山監督は本作をなんだと思っていたんだろうな。 はっきりいって話はまったくおもしろくないんだよね。だから空気感で救わなきゃならないのに。空気を消したら凡しか残らないのよ。 そもそも普遍的な話でもないし。あの時代特有の映画なんだよね。ほんと「カットをした理解」に苦しむね。 だいたい黒澤だの手塚だの、口から出る言葉すべてがアマチュアじゃねーかよ。) 僕の今回の編集版でも自分のいちばん思い入れのあるシーンじゃなくて一番ひどいシーン、ベスト3。 ここあれなんだよね拓殖大学じゃなくて、よくpでよく使われてて具体的に大学名出して問題ないのかな、東京の世田谷にあるアメリカンスクールの学校の中を ミックスさせてね、ちょっとこういうわりと、だから大学時代もできるだけこう、日本の大学ぽくなく、向こうの学校みたいにと。 こういう、このシーン何か、このあたりのシークエンスなんかとっても好きなんですけど、小中氏応援してる、当時ね、映画評論家の大久保賢一さんが 小中が試写か何かによんでくれて、そのあと小中が感想聴いて、小中忘れてるかもしれないけど、これ、大学生じゃなくて、高校生だったらいいのになって。 言われたのはすごく印象的で。その試写で出会った女性と小中和哉その後結婚するんだけどね、卒業プルーフもね、なんらかの、小中君の人生に少しは役に立っていると。 やっぱり後半の方の撮影になってくるんだけどローアングルのカットが出てきたりね、この後クレーンカットが出てきたり、俯瞰のカットが出てきたり この後手持ちで走り回ったり、我々も短い撮影時間の中で、全体の構造が、小中の頭の中にあるのと、ぼくの頭の中にあるのと、鶴見慎吾の頭の中にあるもののと 3つぐらい、あって、その辺のすり合わせをしながら日々日々やってたんだけどやっぱ映画ある程度順撮りで来てるから、後半少し工夫感があるんだな。 もう一つこの映画にとって絶対欠かせないのはね、鶴見慎吾だと思うんですよ。やっぱりね、あの長い付き合いだから、ま、彼のこと、ここで、なんか ほめまくるのもね、ちょっと気恥しい気もするんですが、ほめて足りないぐらいに、やっぱり、22歳でね、当時、今の22歳の若手の俳優さんがね、やっぱり プロデュースという立場で、やっぱり映画を作るんだと情熱に燃えてね、やる、その口に出すのはあれだけど、実践するっていうのは、中々の男だよね。 本当に、特に僕、すごく鶴見君の思ってるのはね、やっぱり今・・・このスーツ(植松)失敗したね・・・さっき小中君と話して、それ牛山さんの好みだって 僕に言ったんだけど。僕の記憶じゃ小中が選んだ。この衣装がね、のちにいろんな、この映画のやや欠点。 これまだ、一度見た方がこの音声を見てるのかな、まあ、あれだとすると、ちょっと 予想外の、落ちが用意されてるんで、里見千秋のね、恋をした相手は誰だったかという事でね。やや、ちょっと物議を醸しだした。 ホントは、この役をね、鶴見慎吾くんなんかがね、やっぱりやってもよかった・・・この役をやってもよかったってのはね。 やっぱり鶴見慎吾がやっぱり、出ないというのがね、なんで出ないんだと。聞いたらやっぱり、自分がね、やりたい役があるから映画を作るんだと 思われたくないと。これは純粋に、やっぱりこの映画をプロデュースしたいんだと。スタッフとして、一番首脳陣のヘッドとしてやりたいんだといいうのがね すごい鶴見慎吾らしくて印象に残ってるんだけど、今思うと鶴見慎吾に出てもらったら、また映画が違ってたかな、思いますけどね。 それはね・・・で、そのあとね、竹中さんなんかは主役をやりながら監督したり、ビートたけしさんもそうですよね。まだ、役者さんがこう、積極的に 映画を作っていくというような作品がそう多くなかったから、やっぱりどういう風に鶴見慎吾くんがプロデュースするのかということと 自分の役者としての部分を、なんていうかな、解決していけばいいのかってのが、すごくこう、前例がなかったんで、色々な悩んで考えてましたね。 で、出した結論が、やっぱりこれは映画のスタッフとして自分をきちっと参加したいんだという事で。出演しなかったという思いがあるんだよね。 ・・・高校とか大学とか出てる人が見たら、どういう状況で作ったのかっていうのがね。 スタッフも結局、年上にはすごく見えたけど、今僕も41になりまして、小中もいくつ?38?それよりもはるかに若いスタッフでね。 非常にあの、今回、オンエアーってのを鶴見と作って、彼が非常に役者さんたちをうまく束ねて、今回彼も主役なんですけど。 こんときもある種、彼がいたことが、1つのなんていうかな、解決になったというかね。やっぱり鶴見慎吾が頑張ってるから、あいつが、鶴見慎吾君が ちょっと悲しむようなことはやっちゃいけないんだというようなことに、仲間の宮田康夫君とか比企理恵ちゃんも思ってただろうし。僕なんかも 今、彼が一生懸命お金集めてきたんでね、お金の無駄遣いしたくないなということがね。彼がいてうまく、なんとかいろんな中止しなけりゃいけないトラブルも 鶴見慎吾の名前でなんとか解決したことがありましたけどね。・・・出てほしかったね、今思えばね。 でも彼が出てたら、あれかな現場の監督がやる26歳と22歳の頼りない監督に、なんか注文があったのかな。 結構脚本の段階のときとか鶴見慎吾いろいろやっぱり彼は物をはっきり言うタイプだから。いろいろ意見言ってたよね。 僕はこの辺のシークエンス好きですよ。今回久々に10年ぶりに観てみて。これね、こうきだね。 この辺はね、こうきだと思う。 こうやってね立ち位置に構図とっていくといいんだよね。でも児島未知瑠ちゃんもこういう格好とても似合うんだよなあ。 宮田恭男君もすごく現場を明るくしてくれて、彼もキンどんで、あれは大映の、スクールウォーズ、で頑張って、 中々のナイスガイで、どっちかっていうと満ちゃんも初めてだし、神野役の永田豪史くんも、舞台中心の俳優さんということで この辺のメンバー上手くコントロールしてくれたね。明るくして。 すごくこう、なんていうのかな、いろいろ混成のチームだったんだけど、変に映像やね、現場体験が豊富だからと言って それをこう、ひけらかすわけもなく、すごくこう、この、メンバーをね、ある種、こう上手くリードしていったような気がしますね。 特に僕や小中君が、まあ撮影、次の撮影のことや、その日の撮影のことで忙殺されてたんで、役者さんに対する細かいことも、鶴見慎吾くんも毎日現場にいるわけではないから そういう印象は強いですね。その点、カンニングしているほうは別に、そういうこともなくね、ああいう異常設定の中だから、まあ、マッドの役もそういなくても 寺田農とか鈴木ヒロミツとかこの後出てくる関根勤とか、ちょっといい有名どころのベテランの人たちと絡むのがあっちの方たちなんで ああいう先輩くるだけで現場ピッと引き締まるからね。こっちの方は彼らだけの世界だから。 やっぱりステキな片思いなのかな。へへへ。でもやっぱり児島未知瑠ちゃんと宮田恭男くんは大学4年生に見えるね、後ろの男はギリかな。26、7ぐらいいってるんじゃないかな。 こう立てで撮ってるね。ここは。後ろで細かい芝居してるね。この後出てくる、その、麻生肇演じる男、竜介(ジョーカー)、彼はなんか、確か、忙しかったんだよね。 それでね、中々4人と組み合わせるのが苦労して、台本上でね、出来るだけ絡みながら、分散させる、彼単独のシーンが多いんだよね。 彼のスケジュールのことでね。だからこの後卒業パーティ―なんだけど、じゃあ俺こっちなんで、って外れるんだよね。 麻生君はね、モデルもやったりしてね、この後出てくるでしょ、こうやってスリーカットでこうきて、目線をこう上げるんだけど 彼は、三人ナメじゃないんだよな。切り返して。見た前になるんじゃないか。宮田恭男くんの。この男の単独カットが結構多くてね、なんでだろうと思いだしたんだけどね。 彼のスケジュールの問題がね、 このね、シーンがね、エコーがすごいんだよね。なんかね、風呂場みたいなね。ようするにね、小中が覚えてないから、小中が星空の向こうの国でね 16ミリ作って、ぼくも小さな映画作ってりって、やっぱポストプロダクションの問題がすごく、大体お金ってのは、はけまくっていてですね。 大体録音するときにお金が消えてね。録音スタジオはね、なんとか安くてね、協力してくれるところにお願いすることが多いでしょ。 この映画の録音スタジオは、もう今ないのかな。ピンク映画とかね、当時ピンク映画つっても、中々の作家群がいっぱいいたんだけど どっか色々やる、録音スタジオを使わせてもらった思い出があるんだけど、これはすごいなと。昭和30・・・これ、作ったの昭和62年なんだけど 昭和30年代の機械がすごく残ってて。 今も、ほんとに音の、音の編集はやりやすくなったし、ほんとに技術革新がグワーッとチェンジ、録音スタジオやいろんな設備がチェンジするときの端境期。 だからね、エコーもね。こういうエコーしかなかったんだよね。 でも段々エコーがね。なくなっていくんだよね。だから途中でねこれはまずいとおもったんじゃないかな。 昔、機械はほんとに古いからね、こうやって作るのかって。 これもだから、すごく細かいロールに別れて、いろいろ工夫してやってましたけどね。僕らぐらいの世代が最後かもしれないね。年齢的に。 いわゆる古い世代の映画の作り方、編集も含めてね。今映像取り込んで、デジタルで編集するのが当たり前になってますけど、まだ手回し式のね フィルムの編集機で、スプラ寝具テープを張りながらやる。この辺の根、この男が、彼を注意しますけども、この辺割とこう、当時、見ていただいた映画の批評家の人たちにはね まあ、温かい言葉をかけていただいた方から、結構手厳しい批評まで、いろいろもらったんだけど、割とね、当時ある程度の年配の、映画評論家の皆さんにはね 割とこういうマジメにきちっと卒業がどうだとかっていうのをこういうところでするのが、割とほめてもらえた、っていう批評の印象があったんだけど。 この後の比企理恵のセリフはね、これ鶴見慎吾が書いたんですよ。当日に差し込みっつって、セリフを変えようって話があったでしょ。 ここはね、鶴見君が、思いを込めて書いたのかは分からないけどさ、当日ふっと持ってきて、こういう感じで喋った方がいいんじゃないですか。 ここ、比企理恵さんのせりふなんだけど。でも、メイクが濃いねえ。撮影が終わった後、ぼくのとこ来て、こんな色に塗られちゃったんだけど大丈夫って聞いてきてね。 イヤ大丈夫じゃないかと、毎日見ていると、毎日濃くなってるようになってる気がするんですけど。比企理恵さんが言いに来て。小中もキャメラマンも誰も気づかない。 フィルム見たら最後、いっちゃったら大変なことになってましたね。 でも、松本君の音楽も、ここでギター使ったりして、まあ頑張ってるよね。それなりに。いくつかね、松本くんの今回ね、音楽作ってくれた 今回DVD化するにあたって、もう一度素材を確認してみたんだけど、結構ステレオ音源で残っているものも多くてね。今はドルビーデジタルとか ドルビーシステムでね。映画のMAがそう難しくなくてできるんですけど、結構残念な気がするね。この映画結構音がね、この後音楽がね、主題歌がどんどんどんどん出てくるんでね この後笑う、ジョニー役が水口馨さんというこの映画、これから主題歌が3曲出てくるんだけど、全部作詞を顔に似合わずに、良い詩を作ってくれて。 ちょうどこの撮影の頃に、どんな音楽をしなくてはならないのかと現場を経験しながら悩んでいて、で、音楽を先に撮ったのかな。 で、パーティーシーンに入っていくわけですけれども。 ジョニー役の水口さんは、今でもね、マガジンで音楽やってるし、松本孝弘ってのも、今でもマガジンの音楽監督だから、この二人まだマガジンに残ってるしね。 結果発表だな。この教室のシーンって何日ぐらい撮ったのかな。この学校の教室の中を見つけるのも、ちょっと苦労したね。どのくらいのサイズの教室にした方がいいのかと。 ただまあ、6人の、ぽつっとした感じを出すために、広い教室にしたんですけどね。逃げる場がないしね、上につるせないしね。光量も足りなかったし。 今回、映像作るにあたってね、イマジカさんに協力してもらったんだけど、担当の広瀬さんが光量が足りませんねみたいなことを言ってましたね。 プロだから見抜いて、むしろ、光量が多くなるね、この後パーティーシーンがあるんだけど、そこで色がぱっと花開くように。 この辺は少しね、落ち着いた色のトーンをね、再現してみましたなんて言ってくれて。僕も非常に満足してこれでオッケーしたんですけど。 ちょっとね彼らが現場でやってたようなことも、ちょっと取り入れすぎてるような気がしたね。 なんか大体セリフのカット尻に、セリフ尻に役者さんはアドリブいれたりしてたんだけど。現場で流行するようなことをね、ふっと。 例えばうぁーいとかね、こういう風に手をかざしたりとか、そういうようなものから。 ここもね、ロングカットとアップだけ、彼(永田)だけ遅れてきたんでね、段々周りが暗くなっちゃうんだよ。 やっぱこう児島未知瑠なめの宮田恭男の二人がいいから、映画みたいに見えるね。 だいぶ落っこんでるね、光量が。ここワンショットワンショットの切り返しなんだよな。 ここからパーティーシーンになるんだけど、笑っちゃうのは、ここのスモークがさ、普通スモークマシン炊くんだけど 急にスモーク欲しいっていうんで、ガンガン焚火みたいになって、住宅街だったんでね。下に全部水まいて。 まあ、ナイトシーンで夜に水まくと、すごく絵が締まるしね。ここのカットなんかもプリティインピンクのモリー・リングウォルドの最後の。 プロムっていうんだな、向こうの卒業パーティ―。 でも、あの、未知瑠ちゃんのこういうドレス、身長168pぐらいあってね、すごくこう、日本・・・何かなモデルさんみたいな。 彼らみんな似合ってるね、こういうのがね。 出ましたね。関根さんはね、さっきも言いましたけど、児島未知瑠さんと同じ事務所に所属していてね、児島さんをこの映画にお願いするという風になったときに 当時浅井企画の川西プロデューサーという、昔あったスター誕生でね、浅井企画っつって看板挙げてた人なんだけど よし児島未知瑠をね、映画に主役で使ってくれるなら、関根勤か小坂一也かどっちかノーギャラで協力してやるからといってくれてね。 ノーギャラでこういうことおやりに。関根さんとは、ドキュメンタリーもやったり、それからあの、4年後にね、卒業プルーフのね、二人のマジカルナイトという 東映ヤングvシネマ第一弾という阿部寛、松下由樹。その時も関根さんには、謎の刑事の役か何かで、銭形警部ばりの、作品を作りました。 ここでアドリブで関根さんが口ずさんでるのがドレストゥキルというデパルマの殺しのドレスのテーマを口ずさんでしまって。 これはね、本当にメロディ口ずさんじゃったから、著作権持ってるライオン社にファックス送ってね、結構いいお金払ったんだよね。 許可とったですよ。これ何で撮ったの。(ホース)。ここは、そうだよね。関根さんいくつだったんだろ。30代半ばぐらいだったのかな。 あの今寺田さんの右側にいるのも鶴見君が三年B組で共演した茅島成美さんという今もね、シリーズで出てらっしゃるね。 とっても温かく、我々を、見守って頂いて。やっぱり22歳の鶴見君から声がかかったんで、とても喜んでらっしゃいましたね。 ここから突然クレーンが入ってくるんだよね。その前にやっぴーでね、東宝のクレーン借りて。 そのあとちょっと卒業組のリテイクをした記録が残ってるんだけど。これはちゃんとした本当のスモークマシンですよ。 やっぱり、もちろんお金でねエキストラがいるんだけど、大クレーンでかけてるわけだから、俯瞰からずっと移動させて撮ってる。 もうちょっとあのエキストラがいるなら、今の僕たちだったら、もっとたくさん映れるように撮れるんだろうけど ちょっとレンズの使い方がまだね、エキストラをうまく配置できてない感じがね。 児島未知瑠さんの、とにかく、恋をする相手は一体だれなのかと。みんな思って。この男がこういうんですよ。ちょっと一杯ひっかけてくるって。 やっぱりね、いろんな意味でね、セリフの一つね。カットの一つね。やっぱり、終わりとはじまりだなあ。やっぱりこれが。 なんか、DVDでご購入していただいた皆様にとってみればね、お金払ってみていただいてるワケだから、こう言うのはあれなんだけど やっぱり1つのキャラクターの言葉とかね、何でもない衣装とか、1つ1つホントに細心に全体を考えて作っていかなければやっぱダメだということだね。 作った二人が笑うってのもね。 ここは二体キャメラ入ってんじゃないかな。こうやって皆さん踊ってるシーン何かね、 ホントに音楽が流れて踊ってると思ってらっしゃる方多いと思うんだけど、セリフを録音しなきゃいけないんで、 よーいまでは音楽かかってて、それで音楽スーっと止めて、こうやって踊ってるふりしてもらわなきゃいけないんで 実はここバックで音楽は流れてるんで、リズム感のある人はすごくいいんだけど、そうじゃないほんとに、今ワイシャツの後ろの人みたいに 八時だよ全員集合のオープニングの踊りみたいになるんだよね。リズム感掴んでもらって台詞拾わなきゃいけないんでね。今もハリウッドとかそうなのかな。 これはね、小中も覚えてるかな、これリテイクな気がするんだよね。ここはね。やっぱり彼女をもう少し活かしていこうと。 髪の毛前髪切ったんだよね。今この顔がね、リテイクのカットだと思うんですよ。だから、前髪がこうちょっと前の方に垂れてたでしょ。 今上がってるんだよね。でもこれはリテイクしてよかったと思うな。 比企理恵ちゃんが鶴見慎吾くんより一つ下だから、ほんとに彼女の実年齢の役なんだよね。こっちの正面カットはリテイクで、この次のカットぐらいから また元に戻るから、ちょっとなんか楽屋話みたいなんで申し訳ないんだけど、ちょっと顔が違うのが分かるかもしれませんね。 結構ね、このエキストラの中には今をときめくパパイヤ鈴木とかね、いろいろいるんだよね。武富士のコマーシャルあるじゃない。あの振り付けの男とかね。 パパイヤ鈴木はだから、これもあれじゃないかな、劇団マガジン系かな。 顔が、これはリテイクしてないほうで。オリジナルの方ですけど。ちょっとさっきの方がおでこが広い。 飲んだくれてるねあの男は、一人で。でもこうやって久しぶりに、ほとんど、見る機会も、大体、小中君はどうですか自分の作品をふっと振り返って 観ることってあるんですか。(作った直後。)僕もそうなんだけど、別に見直しても恥ずかしくないね。 落ち着いて観れるものと、自分の人生と自分の生き方や自分の未熟さと重なって非常に恥ずかしいのとあるのと、卒業プルーフは自分の未熟さはあるんだけど あの時の自分が鮮烈に頭の中に蘇ってくるんだよね。落ち着いてみれないね! こうやって見ると、一生懸命頑張って、作ってるんだろうけどね。 この辺で、ずっと児島未知瑠ちゃんが思っていた男性が、見ている人分かっていただけるでしょうか。見つけたんだよね。 この後ですね。彼だけどうしても忙しいから、全体の絵の中にいないんだよ。この歌は比企理恵さんが自分で歌ってるんですよ。彼女は第二回ホリプロタレントスカウト キャラバンの優勝者で、歌上手いんだよね。ピーターパン。 何で小中、あんな衣装(植松)にしたの。小中君のせいにしたいな。 でもね、これエンドレスって曲なんだけど、いい曲ですよね。この前、本当久しぶりに聞いてみたんだけど。 音源が見つかってね、とてもいい曲で。僕たちも大学の文化祭ですか、今もあるのかな、割とパーティーなんかあってね。 ワイワイしてたら突然チークが始まって。チークは踊る相手がいないとすごすごと上に上がっていかなければいけないんだけど。 日大芸術学部ではありましたよ。文化祭の最後の日ですね。ダンパっていって。ダンパの券とか売ってましたね。 みんなチケット売り歩いて、主催者の連中、小銭を、パー券とか。ここで児島未知瑠は気づくんですね。 どうですか演出を見て。僕はこの前編集したから。(分かりにくいじゃないですか) 上に、そのまま、360度の、あおりのパンだから照明はいいと、映ってもいいと。ぐるっと一回転したんだよね。 キャリーとか、ミッドナイトクロスか。デパルマがね。あれはほんと円形通りに花火が打ちあがるから。手持ちでしょ。 でもやっぱりほっぺたにキスして、じゃなんか、キスさせりゃよかったな。やっぱりこの辺はね、作り手の照れが入ってんだよね。 やっぱり役者さんたち照れてるから。じゃあいいよみたいな。まあどっちでもいいシーンだからかしれないけれども。 この後、聞かれて、千秋はこう言うんですよね。 これであの、ほんとにこなかったと思わないでほしいですね。シナリオ上では一応、そういう話なんで、ただで 初公開のときに、来なかったんだねえ、って言われた意見もあったんでね、  いよいよクライマックスですね。これはインザウィンドっていう、これもジョニー役の水口さんの作詞で このあとね、この、今比企理恵さんの後ろにいるパパイヤ鈴木ですね。 ずっとサングラスかけてたジョニーがこの後、初めて顔を見せるという、意図して、作ったんだけど。 そこら辺のインパクトがちょっと足りなかったかな。初めて、いままで教室の中でサングラスかけて。 観てる人にね、誤解を与えないように言いたいんだけど、若干口パクがあってないんですが、ほんとにこれは ジョニー役の水口さんが歌ってるんですよ。これもね、この前思い出したんだけど、プレスコのね 彼の謳う主題歌、撮影のときはね、もちろん録音して、その現場でこの歌を流しながら撮影したんだけど、 水口さんの方からね、ジョニー役の水口さんがあの時の歌い方がね、ちょっとインパクト足りなかったので もう一度録音させてくれ、と。で、ミックスダウン、もう一度歌を吹き替え直して、もう一度ミックスダウンしたやつを 今使ってるんだよね。だからずれるのは当然で、同じように歌えないよね。でも、いい歌を作ってくれたよね。 比企理恵の相手役やった植松くんもすごく歌ったり踊ったり、動くととても魅力的な俳優さんでね。 そういう意味でちょっと、彼の奔流が発揮できるようなキャラクターじゃなかったかもしれないね。 実はこれは大きな巨大なねクレーンにカメラが乗っていて、 タイヤかなんかに足でもひかれたら大けがしちゃうからね。 でもこれだけのエキストラ3日間ぐらい用意したんだよね。3日間ぐらいかけて作って。 今プロモーションビデオとかあるし、編集のシステムもすごくいいんで、これホント、手作りのフィルムで カットきってるから。 あの赤い服の男はなんですか。司会者?パーティーの司会者だよね。 湯本ひろゆきさんは、赤い服の司会者の男は、やっぱり当時1980年代の前半に活躍した8ミリ16ミリの名バイプレイヤーですね。 自主映画界では有名だった人ですね、(手塚誠のモーメントという映画の8ミリのプロデューサー) でも今小中君の使った自主映画界っていう言葉自体が21世紀には死んでるような気もするしね。 今はね、いろいろ、テレビ番組をプロデュースしたりね、やってらっしゃいますけどね。司会役の湯本君は。 こうやってね久々に一時間33分今こうしたところで、もうすぐエンディングですけども、小中和也に聴きたいんだけど マジメに、どうですか、久しぶりに卒業プルーフのときを振り返ってみて。 (恥ずかしい、自分の原点を直面、スタート地点、自主映画業界とプロとしての転換を本作で強引に迫られた) 僕も始まりの、終わり。終わりの始まり。っていうとね、終わりの始まりかな。やっぱり一つの自分のこの 自分の自己流でやって来たものが、ここで幕を閉じて。ここから役者さんやスタッフの皆さんがね、みんなの力を活かしながら 監督として、やっぱりがんと、見てるスタッフの人たちや役者さんの人たちの違和感のないように そこにいなくてはいけない存在だと気が付いたんですけどね。 小中君がこの卒業プルーフの後、4月怪談といういい作品を作って、その後いいスタートを切っていったように僕は思うんだけど どうですか、自分が監督だと、監督として現場に違和感なくいれるようになるのは卒業プルーフの1987年から何年後ですか。 (違和感は結構付きまとう。最近。プロとして、中堅どころの齢。自分より年下のスタッフができてきた。) 小中君はその後ウルトラマンシリーズをはじめ数多くの作品を作って、でも今日久々に小中とこうやって 14、5年前のあの前後のことをね、思い出させていただけて、大変楽しかったですよ。 (牛山さんはプロとしての自覚が出てきたのは) 僕はこの4年後に、東映ヤングvシネマの二人のマジカルナイトというのを撮るんですけど その辺りですかね、心技一体というかね。やっぱりこう、頭でっかちだけでもダメだし ある程度のスキルもフィットネスも全部必要になってくるでしょ。そのあとテレビドキュメンタリーを作ったりして やっと落ち着いて作品を作れるようになったのは、その4年後で。人間の能力はその前後あると思いますけどね 僕にとって卒業プルーフはいい意味でプロフェッショナルなスタートを切って、あと切れる、こうしなきゃいけないという 自覚ができた映画でしたね。だからまあ、鶴見君、参加してくれた役者さんたちに改めて感謝したいと思います。 今日は本当に、長い間ありがとうございました。改めまして最後に、監督の牛山真一でした、どうも失礼いたします。
  何にせよ牛山・小中・鶴見の青春の結晶である劇場公開版は最高だ。また牛山・鶴見で組んで新しい映画を作って そしてまた本作の新たなメディア化、つまりBDを出してほしいね。当然劇場公開版も収録して。
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