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今をもとにすれば昔はなんでも否定できる時代ってのは昔からそうだけど 今はデジタルな社会、時代でしょ、そりゃアナログな時代を見ればおかしくも感じるわな。 端的に言えば個人の目か社会の目かで分かれるんだ 自分の中で何か社会的に『意識』してしまったら、前の感覚は戻らなくなり、本当に社会意識が100%正しいんじゃないかと考えがちだ。 分かる、わかるよその気持ち、しかしそれは、まず俺たち人間が社会的動物だからという意識からでしかないワケだ。 だからもう一つの側面、つまりプライベートな領域の問題に至っては、自由だ。その点をしっかり分けて考えよう。 自分が好きな作品が社会的風潮、正義常識によって非難される→意識してみると確かに非難に値する→しかし他者に侵されない領域ではモーマンタイ そもそも自分がそれを好きだという理由が『社会的』なものか『個人的』なものか、それを考えてみるのも大切だ。 ただ本来エンタメって意味では昔の方が正しいよ、正義とかマウントとか啓蒙とかじゃなくて 現実じゃあり得ないことやってますよ、楽しいよな、どーですかとか。アニメにしろ漫画にしろ映画にしろ どんどん細部が詰められるようになっていって、遥かにリアルっぽくなってるんだよ。 荒唐無稽なエンタメとリアルっぽいエンタメを同列に考えるのもおかしいけどね。 で、いつの時代も社会の中で規範や正義を確立し、そこから外れる奴を叩く、ずーっと繰り返されてきたよな。 ただ正義なんつーものはないんだよ、普遍的な。つまり俺たちの正義だの常識だのってのは 上の人間だったりが『こうやれ』っていうことで染みついて洗っての繰り返しなワケ。 世の中両極端で出来てるから、良いと言えば良いし悪いと言えば悪い、だからなんにでも染まれるんだ。 つまり同性愛がキモい扱いながらも社会のスタンダードだったのが、上から『やめなさい』ときたら 社会のイレギュラーになったと同じでね、他にも宗教、食べ物、生き方――食う寝る出すで良かったのが いつの間にか『やりがい』『生きがい』を見つけなければいけない・・・で、また、生きてるだけで丸儲け、みたいな――とか、歩き方、考え方、異性への接触等々 歴史ってのは変化変化の連続なワケ、だからさ、普遍的な正義も常識もクソもないんだよ、ただ人間それぞれにのみ存在するだけで。 人間は今の世に適応しようとしているけど、そもそも人間ってのは適応しようとすればどこにだって適応するんだよ。 正しい正しくないじゃないんだ。なんでもいいんだ、満足しようと思えば満足できる、当人次第。 だから昔の価値観だのどうこうだの遅れてるだの、先進国が手前勝手に未開部族をバカにするようなもんで、ナンセンス、これで終わり。 そういう意味では、例えば昔の作品ってのは彼らの世界の中でよろしく完結しているワケで 部外者の俺たちがどうこういうもんじゃないよな、今の社会もいずれ非難されるかもだし。 しかし傷つく人間がいる、だから言動を控える、その意識は正しいのか。 俺は、本気で、社会的な意識で旧来の価値観を叩くヤツってのはほとんどいないと思うね。ほとんど愉快犯だと。 なぜなら今を楽しめなくなるから。どういうことかというと、昔の価値観を叩くというのは、 つまり今の時代の価値観もいずれ叩かれることも理解できるということであって じゃあ今の価値観を疑わざるを得なくなり、じゃあ笑えないし、楽しめないし、それじゃ首括った方が早い、ということになるから。 だからね、今も昔もそうかもだけど、自分を絶対的な存在だと、つまり正義とかの立場において何かするヤツって 社会の為にやってんじゃなくて自分のためにやってんだよね。だって自分は殴られないと思っているから。 そういう意味で旧来の価値観も自分の立ち位置も慎重に考えるべきね。 大体あれはダメこれはダメ、それを全部正義の名で売ってるんだから質が悪い。 そりゃ若者は元気なくなるわな、相手が正義っつーイジれない対象だから、手も足も出ない。 タブーを増やすより減らす方が豊かな社会になるのだ。調子こいてバカやる奴が問題なんだけど・・・ やっちゃいけないことが増える、でそれを意識する、そうなるとどんどん苦しくなってくるんだ、分かるな。 おいバカ、 お前がバカだ という会話の方が愉快で、楽しい。俺お前の仲と言おうか。 俺は思う、俺たち庶民大衆から自虐や罵詈雑言を奪ったら、そこに残るのは『ただ悲惨で可哀想で哀れな存在』なのだ。 容姿イジリができなくなった不細工はただの可哀想な不細工として生き死んでいく。 自分でいじることも『ほかの子も同じように観られたらどうするの?』という正義でにより出来ない。 俺は被害者として生きたい奴は嫌いなんだ。卑屈というんだ。度を越えた問題は個別に反抗すればいいのだ。全体で絶対禁止する必要はないんだ。 泥沼の中で生きている俺たちが、その出自を恥じて終わるのは悲しいじゃないか。泥沼だからこそエネルギッシュにバリゾーゴン、相互に馬鹿にしあい、殴り合い、それでいいではないか。 タブーを増やすというのは、つまり地雷が増えるということで、そして俺たちは手足が出せなくなるということで、俺たちは税金を払うだけのロボットと化してしまう、それが問題だ。 もちろん程度の問題だよ、それこそデジタルだね。0か1しかないのかと。そういうタブー視されて満足ならそいつらに気兼ねはしない。 もちろんそうでなくても特別な配慮はないだろうけど。俺は神になりたいやつは嫌ですね。 痴漢に触られた。一か月落ち込んだ。 原始時代、江戸時代、明治時代、どうだっただろうか。個人差はあるが2週間で済んだ人がいたかもしれない。一週間かも、一日、気にしない・・・。 何を言いたいかというと、今の俺たちは人権と個人について『誰かが言った極端な思想を忠実に守ろうするあまり』 イレギュラーにぶち当たった際ももはや立ち直れない状態を作ってしまったんじゃないか?。つまり被害者ビジネスからの教育問題だ。 原始時代。レイプという概念があっただろうか。あったとしても受けた人間は落ち込んだだろうか。 原始時代の人間は動物だったから、もしかしたら落ち込まなかったかもしれない。 今、レイプされたら死ぬ人間はもちろん、一生の傷を抱える人がほとんどだ。 レイプはイレギュラー中のイレギュラーなのであれだけど、痴漢あたりだったらば、俺たちの精神の持ちようでどうにでもなるかもしれない。 俺たちは個人を現実に即さない形で優しくしすぎるあまり、喧嘩もダメ、悪口もだめ、・・・まあそりゃダメだろうが、やはり現実の社会と剥離していると思う。 繊細な若者が社会に出てすぐに精神を病む、と同じだ。俺たちは優しくされすぎ、それにより神のよーな無邪気な精神を手に入れるが それは自分から手に入れたものでなく、極めて限定的であっけのないもの(自分に都合のいい世界)なので、 イレギュラー(外界接触)には太刀打ちできない。現状に即さない優しさ、ほとんど現実逃避的な優しさだな。それを学校やメディアや親は子供に提供する。 彼らは「誰かが言った極端な思想を忠実に守らせようと」善悪とか良い悪いとか関係なしに、教え込む、徹底的に。 そしてそれを受け取った――優しい世界の優しい精神――子供たちが社会でイレギュラーにぶつかれば、後はわかるわな。 論理的なスパルタは必要かもしれないね。もしかするとムチャクチャなスパルタも。 昭和はムチャクチャな時代だった。子供はボコボコにされた。しかし、そのおかげで今ほど精神は弱くなかったんじゃないか。 その代りとんでもない人間も多いわけだが。だが現実は常にムチャクチャだ。そこに忠実で揺れ動かないものなんてのはないから、 理論も必要だし無茶も必要だと・・・。 痴漢の話だったが、例えば性的な話に関しても、今世界ではかなりタブーなカンジだな。 オープンにしろとは言わないが、もっとラフだったらば、そしてそれを許す倫理があれば もし痴漢にあっても、現状では一か月落ち込むところが一週間で済むかもしれない。 結局、嫌なことで落ち込むことは大切だが、長すぎても人生の損なので・・・ともかく人権とイレギュラーの反比例の問題は大切だ。 悩んで傷つくのも結局は当人が一番困ること。それでとめどなく落ち込む・・・被害者意識ばかりじゃ傲慢になるし。 難しい話だけどね、ただ世の中って両極端が必要だろう。悪いことに抵抗するには厳しく鍛えなきゃいけないと同じことだし 少なくとも『いじっちゃダメ、やっちゃダメ』はタブー化の第一歩だから、タブーは人間じゃないからね、あるでしょ日本でもタブーが そういう意味じゃ俺たち男はいつまでもイジられなきゃいけないね。バカにされてボコボコにされて下品にされなきゃ。 俺たちがタブーになったら終わりだよ、人間がいなくなる、男も辛いでしょ声を上げないとなんていう狂った甘言もあるけどさ。 難しいね。難しいから、何も考えないか、徹底的に考えこむかってのが大切だし、あるいは自分にとって都合の悪いことも考えなきゃね。 それと、もう一つ言わせてもらえば、人間ってのは粗さがしがつきないのよ。 今ある問題が解決してもまたあらたな問題を見つけようとして、で、潰していくんだな一つ一つ。 それが続いたら何が残るかって、そこも考えなきゃ。危険だよ、粗さがしは。 つまるところいつまで続けるのか、そういう喧騒を、それだけだね。 結論言うと、正義は普遍じゃないし、人間はどこでもいつでも適応できるということ。 なんでもいい、どこでもいいんだと。満足しようと思えば何でも満足できる。当人の気持ちの問題。社会でなく、個が大切。 だから精神の問題に関して、個より社会、多数派に迎合することで安心して正義の鉄槌を下す、つー奴とは話も出来ないね。 悲しいことはさ、上でもなんでも、こーゆーことをねちっこく書かないと自分もまた精神の安定を図れないってこと。 それだけ無神経に世の中のありようは変わっていくし、また変えようとするやつが多いわけだな。