夢の世界の住人が夢から覚めた
        トイ・ストーリー
             

トイストーリー



ジョン・ラセターが才能を盾に、彼のアメリカ的なゴーイングマイウェイを他の従業員にも押しつけたことは、無神経ということで やはり一つの罪なんだな。もち、時代が違えば不問だったかもだけど。価値観の変容で意識が変わったからこその追放だった。 罪は普遍か、時代ごとに異なるか、どちらかしかないと思っているけど だから一応「そういうもんか」で済まされていた時代の、つまりトイストーリー1から3はイノセントで、素敵だと。

物心つく前から見てたかな。家には1と2とアニメバズライトイヤーの吹替ビデオがあってそれを。 面白い作品、素敵な作品。本編前のCMとか短編アニメとか、終了後の原語のメイキングとか歌とか なんか幼心に残ってたな、不思議な感触ということで。 そして3。俺が中学1年とか2年とか・・・そのころはなんのこだわりもなくって、あのトイストーリーがまたやるっていうんで 家族で見に行ったよ。でも3D版観に行って後悔した、3D眼鏡だよ。いらなかったろあれ。全然飛び出さないし。 目疲れるから外してみたら3Dメガネ専用映像だからぶれてるし。3Dメガネ暗いし。映像も暗い。 でもそれを吹き飛ばすぐらいに感動したんだよ。泣いたね二回。それは焼却炉とラストのあれ。




俺は反射的な涙は卑怯だと思ってる。つまり感動的な音楽とシーンで泣かせるやつ。だからラストのあれは ちょっと卑怯だなとか思ってて。やられましたけど。しかし何よりも、あの焼却炉な。今思うあれこそ俺が 幼少のころから見てきたトイストーリーの記憶の積み重ねの、作品のドラマの、愛着あったキャラクターたちの 終着点だったんだと。なんか俺にとってトイストーリーはあれで止まってんだな。 あのシーンを本当に端的に表現すると、涅槃なんだ、永遠です。3Dで涅槃を表現できるなんて思わなかった。 あのシーン、火垂るの墓に並んでるな。なにかが起こったんだ。何かが介在している。 東洋の涅槃が火垂るの墓なら、西洋の涅槃はトイストーリー3だ。火垂るが手描きの2Dで、トイが3Dで。 しかしアメリカ人が心中とか涅槃を表現できるなんてって今思うけど、でも、すごいよな。 俺は、あのシーンでみんな死んでもよかったと思っている。友情 愛。

一方的に人間の都合で生まれて、人間を愛するように作られて、人間と遊んで遊ばれて、いつか捨てられて それでももう一度会いたくて、ボロボロになって、最後は焼却炉。こんな悲しくも愛しいおもちゃたち・・・たまらんね。 最期の段になって、人間どうこうでない、いや、ウッディの脳裏にはアンディがいたろう、それでも仲間たち 何十年もともに過ごした仲間たちと一緒に死のうと決意する。 越えた、と思ったね。分岐点じゃない、終着点。

あの世があるかもわからない、でもおもちゃという使命を背負わされた悲しみの仲間たちと共に死ぬ。これこそがトイストーリー のトイたちが初めて意識した、生と死であり、本当の瞬間であり、自分たちの存在であり、モラトリアムの終着であり、 アンディがひとつ死んだ時なんだな。 そう、トイストーリー=アンディの宝物だったから。そのアンディはもういない。 だから必然的に彼らが、その姿を消してもおかしくない。 俺にとっての1と2のトイストーリーはモラトリアムそのものだった。3の焼却炉はそのまま現実に帰れというメッセージだったんだ。

結局可愛い女の子のおもちゃとなった、また新たな青春を送ることになるトイたち。 もちろん新たなモラトリアムの先伸ばしかもしれないし、また焼却炉行きかもしれないが それでも大人アンディの手によって、ある儀式というか責任でもって、アンディもまたトイたちの存在を意識しトイたちも文句がねえよ。 お互いがお互いを思いあって、その決断に至ったと。トイたちだけでない、アンディもまた彼らと会いたかった。そして再開し決断した。 お互いの決断であって、一方的ではなかった。トイたちとアンディの絆。それを最後に示して、3は終わった。 残るのはトイたち・・・ウッディとアンディの深い絆。ウッディはいう「じゃあな、相棒」 決して上とか下とかそういうんじゃない。「ぼくはともだち」。それが彼らの関係だった。




トイストーリーって、その設定そのものが人間に都合のいい作品なんだよね。 まずおもちゃ自体が人間の子供のために作られるってのは現実でも分かる話。 そしておもちゃたちってのが、極めて人間に似ているが、でもやはり根底はおもちゃという精神がある、そこがユニークかつ 人間にとって都合のいいところだ。思考も言動も人間らしいが、でも最後の一線はおもちゃとして動く。 ここが彼らの魅力的なところなんだ。また彼らをおもちゃとして規定する部分でもある。 そして人間のために生きるっていう精神、その都合の良さ。 そういう都合のいい部分を存分にいかして1から3は作られてきた。 そして、ここが大切なところ。その1から3、それぞれテーマがあって、考えさせられる部分あると思う。 でも何よりも、テーマが違えどずっと根底してきたのが、

見た人間に「おもちゃ大事にしなきゃ」とか「あのおもちゃ今どこにあるのかな」とか そういうおもちゃへのちょっとのいたわりを考えさせる、ささやかな問題提起だった。

俺はトイストーリーってこれで動いてきたんだと思う。説教とかでなくって おもちゃを人間にとって都合のいい動かし方してきたのも、こういうささやかな、でもとっても大切な 精神について考えてもらうためだと。だっておもちゃたち、かわいいしだろ、生きているだろと。 みんな必死で遊んでるんだろ。一生懸命、健気だよ。 だから見た大人の大半が、子供のころ自分が遊んだおもちゃたちを想起するんだよ。 見たのが子供だったら、おもちゃが動くんじゃないかとか、INGでちょっとはいたわったりするんだよ。俺もそうだった。 昔ポケモンのフィギュアとかゴジラとかレゴとかぶつけて遊んでたけど、どこかのタイミングでもみ合い程度で抑えるようになった。 トイの影響がないとは言えないが、でも子供って純粋だから。無垢だから。 感じやすいからさ、トイストーリーのいい効果ってのはあったと思う。

それだけなんだよ。クソほど金かけて作って宣伝して、世界に伝えたかったのはこれだけだよ。 だからよかったんじゃないかな、ピクサー、ディズニーの黄金期かな。ささやかだから。説教も、上からの傲慢もない。




トイストーリー4を批判するならば、まずいわゆるおもちゃたちの根底の精神がかき消され、完全な人間になったこと。 ヒューマンストーリーだよこれは。なんかこう、お約束ってのは物語の安心材料だと思うんだけど それがなくなるってのは、じゃあ俺たちは何を安心してみればいいのか・・・とか。それまでにあったキワキワな人格ってのが、お手軽な人間ルックにされちゃった。

流行りの思想とぶつけるのもヤだね。トイストーリーってずっとミニマムで身近な話だったんだけど。 そもそもおもちゃの自立ってなんだよ。もう理解不能だろ。この自立って言葉も使い古されて嫌いだね。 生きてりゃみんな自立してんだよ。精神が。自立してるしてないのマウントが今日の問題なワケだよ。で、本作もそれに乗ってる。 しかもディズニーのそれ(思想)だからな。ディズニーの思想映画ってものすごく浅いというか、ミーハー向けなのよね。 単純な、新しい価値観が正義で、過去の価値観はクソだと悪だと。だから典型的なアメリカ人ラセターを追い出した癖して またもアメリカ的な映画を作ったというワケだ。 そういう思想作品ってものすごく責任重大だと思うんだ製作側に。でもそういう責任を感じないのよ。 ラセターらの作品の良さはあえてそういうものを作らないことだな。だから責任もない。 あげくディズニーってのは世界的に影響力あるから、俺が散々言ってきた大衆同志の殴り合いに発展すんだよね。 それも責任の一端だろう。でも責任を感じない。そもそも思想映画にミーハー向けってありえないよ、ミーハーそのものもだけど。 単純に理解できる思想なんてあるワケないのに、だからバカを洗脳するために単純化して善と悪に分けると・・・

で、一番嫌なのが、トイストーリーがそういう作品になったということだ。 そういう作品ってのは、つまりトイストーリー1から3を見ての感想ってのは、みんな共通するところだよな。 面白かったとかおもちゃ大事にしたいとか、それだけですよ。でも4は違う。稚拙な政治が絡んでるからか この映画を理解できる人間は進んでいる、アップデートされている、大人だ。 理解できないのは遅れている、差別主義者、子供だ、と、そういう議論がされている。そういう作品になったと。

嫌ですね。で、ヒューマンストーリーらしく人間社会とおもちゃをリンクさせてるから、なぜか子供とおもちゃたちが そのまま子育てだとか言ったり、人間に尽くすおもちゃ=奴隷そのもの、みたいな・・・。 なので2に出てくる店のおもちゃたちが奴隷のように思えたり、アンディが子供でウッディが父でとか、 やっぱ違うよな。アンディとウッディたちは宝物で友達で相棒なのよ。 で、おもちゃと人間の関係性は、おもちゃ世界独特の感性で描かれていて、とても人間の感性と当てはめるもんじゃない。 おもちゃの神秘の世界を人間ライズで小さくしたため、逆に人間のいやらしさが際立つ作品になってしまっている。 この作品の言う、だからディズニーの思想ってのは「悪い(と決めた)価値観は最初から最後まで悪く、余地はない」なので、 従来の人間やおもちゃの生き方をバカにし、おもちゃながらにあった朗らかさがなくなってしまっている。 自由=何してもいいとは違うよな。社会周らないよ。なんでこう極端にしか考えられないのか。こんなのおもちゃじゃないわな。 ディズニーが客をバカにしてるのが分かるんだ。

で、フォーキーという手製おもちゃがいるんだけど、そいつはおもちゃなのかなんなのかという話になる。 でもそれは今回初めて出てきた問題提起なワケで、それは本当に必要な設定、提起、トイストーリーに必要なことなのとかおもっちゃう。 勝手に問題見つけ出して騒いでるようにしか見えんのだよ。トイストーリーと関連性はないのでは。 ボーはまあ、元気そうでいいんじゃないですか。でもディズニーらしいステレオ的な女性像になってしまって残念。 強さってのは色々あるんだけどな。だから1から2のボーは風と共に去りぬでいう所のメラニー。優しさ=ひ弱じゃない強さね。 今回のボーはそのまんまスカーレット。気が強く、それを全身で振りまく。でも、スカーレットのいいところは その生き方に賛否両論があって、だからこそ人間として地に足ついて魅力的なんだが、今回のボーはディズニーらしい学校の先生みたいになってたね。 つまり教え諭し、その生き方に一切の迷いも誤りもないという・・・。




最後に言えば、それこそ最近の思想戦にありがちな、今を肯定するために、昔の人間を徹底的にバカ扱いするってのが許せないな。 ウッディは今回自由意志を手に入れたらしいが、じゃあ1から3のウッディの決断は自由意志じゃなかったのか? 4の目線から言えば1から3のウッディはただの奴隷で、アンディに洗脳されて、その決断はすべておもちゃとしての縛りゆえ、ということになる。 なんでこうなるんだろうな。女問題でも黒人問題でも、昔の女や黒人は被害者で、可哀そうで、自由意志はなかったと言って 過剰に擁護するのが流行っているが、それは失礼だよ、その人たちと歴史にね。何も考えずに生きてる人間ならわかるけど、そんなヤツいないし。 今だって過渡期なんだから、10年後あなた方はかわいそうだったとか言われたら、なんか嫌だろ、そういうこと。既成事実作ってんじゃねーぞ。 ディズニーだけじゃないかもだけど、その思想戦に責任を感じないこと、思想が稚拙なこと 思想(新しい価値観)を通すために過去(昔の価値観)の作品の見方を無茶苦茶にすること 作品を統一する大切な要素をなくしてしまったこと、トイストーリーを思想とマウントの道具にしたこと・・・

批判と言えばこれだけだね。で、続編があればそれはおもちゃと人間との最終戦争しかないと思う。 だってここまで来たらウッディたちは自分たちを作り続ける産業工業に目をつけるに決まってるじゃない。 創造主と闘う。冗談で言ってるんじゃないぜ。でも野良おもちゃという人間でもおもちゃでもない存在になったのなら ここまで貫いてくれないと。勇気があるならね。でもやるでしょう。わざわざ4作ったんだから。 夢心地世界をぶっつぶしてでも、蛇足と言われようとも4を作ったんだからな。ディズニーってとこがよくわかったよね。




トイストーリーのよさはおもちゃの可愛さね。みんな必死に生きている。豚が好きだな。 で、俺はもうウッディが可愛くて可愛くて仕方がない。ボンボンなんだな。自意識過剰で自尊心が高くて、 調子が良くて、ボンボンゆえ打たれ弱い。アンディに対する愛情はもうとてつもない。 ともだちで相棒なんだよ。アメリカの西部劇的な、ちょっと乾いたドライで、ハードボイルドな相棒じゃない。 もっと親密で、近親相姦な、究極の愛なんだ。火垂るの墓の清太と節子を思い出すよ。 だから、3の焼却炉のウッディは、アンディ・・・そうだな、ウッディも、アンディが死んだことを半ば理解してたんだろうな。 遊んでもらえるからおもちゃはおもちゃであって、遊んでくれたアンディはもういないんだと。 もうあの頃のアンディはいないんだと。そういう決別とまではいわないけど、初の別れというか 焼却炉のシーンで、ウッディは半ば、自分が死んでその役目を終えることと、アンディが大人になったことが初めてイコールになって 結果死ななかったけれども、あの頃のアンディはいないってことを分かったんだな だからラスト、提案を受け入れられたんだろう。ウッディの気持のケリが分かる。

今見ると、トイストーリーのモラトリアムと涅槃、心中・・・伝わってくるね。 印象的と言えば2だよ。ジェシカ。ジェシカの回想シーンは本当に切ないなー。歌もいいし絵もよかったな。 アメリカは3Dで情感を表現できる、すごいことよ。日本じゃまだ及ばんね。2にも及ばん。 何よりジェシカとその持ち主の仲、それはウッディとアンディを思わせる、近親相姦・・・言葉汚いすかね でも、極限の愛情だよ、片思いか?それもまた美しさだ。その濡れた愛情ってのが、もうたまらんね。 2のラスト、ウッディとバズのセリフが以降を暗示して、また二人の仲を象徴して、どこか死臭があって、ことさら印象的だ。

トイたちの可愛らしさってのは、やはりその儚さにあると思う。 モラトリアムそのもの。現実を考えるときに、もう彼らは必要ない。 あくまで子供時代の、つまり大半の人間にとっての夢心地時代だけに存在する妖精なんだ。 分かるだろ分かるだろう。俺たちが子供のころ遊んでいた、古ぼけて、色が薄くなって それでも家なんかに飾ってあるおもちゃ思い出してみろって。胸が締め付けられるっていうか、なんか切ないよね。 だから4を作る気持ちもちょっとは分かるのよ。全否定してるワケじゃないからな。 あのおもちゃたちも自分勝手に生きて楽しんでますと。わかるよ。でも、やっぱそれはトイストーリーではないのね。 しかし本当おもちゃは大変だと思う。ウッディはアンディのお気に入りの地位を手に入れたから仲良くしてもらって それがうれしいんだけど、でもアンディが大人になれば、もうそれも一切過去の話しだもんな。 捨てられたことを受け入れられなかったウッディが愛しくて仕方がねえよ。

丁度トイストーリー3までの俺は本当の子供だったってこともあるよね。 1とか2見ると、俺の子供のころを想起されるんだ。そういうのをぶっ潰したのが4だよ。 素敵な思い出を一方的にクズだと断罪する、それがディズニーですよ。やっぱ4クソだな。




こんなこと言ったらあれだけど、思想でもそうだけど考えなくてもいいことをムリヤリ考えさせられている流れと似てるんだよね。 おもちゃの自立とか、考えなくてもいいんじゃないか。絶対にたどり着くべき考え方とか トイストーリーの流れならあってしかるべきとか意見あるけど、そうは思わないな。 別に作らなくてもよかったんじゃない?1がおもちゃたちの躍動、2がおもちゃが行くところ、3が人間によるおもちゃの卒業。 で、4はおもちゃがおもちゃから卒業、らしい。自発的な。意味わかんねえだろ。 1から3のおもちゃ=人間本意で作られ、だからこそ精神もわりかし人間本意で、だからこそトイたちが冒険の最後にはアンディの元に帰ってくるという 我々現実からしても、つまりなくしたおもちゃが急に出てきたという、それをファンタジックに描いたということで理解できる。 そういう最低限の約束事ってのがトイストーリーという作品を貫いていたワケ。その中でできるキワキワを描いてきたのに、 急にトイ世界はもちろん、我々現実世界にもまるでタッチしないおもちゃの放浪の旅ってのはね。

本作の悪い点を一転集約させるならば、その最低限の約束事ってのを価値観の変容で変えてしまったということだ。 じゃあ俺たちやガキどもは何を安心してシリーズ作品を見るんだよ。思想や価値観を推進するためには何やってもいいのか。 どんな作品にも最低限の約束事がある。シリーズものってのはそれで生きているんだから。見てる人もそれを頼りに見続けるんだから。 単純な話、それまでファンタジーでファンシーでキュートな作品があったとしよう。それが急にすごいエログロ作品になった。 製作者側はこういう。これが現実だ。現実を描いて何が悪い。理解できない奴は子供だ、遅れてる、今の時代とあっていない…と。 これからもそうやって、今まで見た人間の感情を愚かだと製作都合で切り捨て、ただの金目としか捉えず、どんどん作品を変えて壊していくんだろうな。 すげえ残酷だよな。だから4支持してる人もいつか切り捨てられるんじゃないかな。もうディズニーは権威になってんだよ。道徳の教科書、先生。 道徳の先生、マナー講師ほど信用できないものはないよな。クソ、ラセター時代はよかったよ、作品は。俺たちにとって無神経じゃないから。




トイストーリー4の最大の欠点は、ウッディがみんなと一緒に死ねなくなったことだよ。 だから3が好きなのかもな。もちろんボーはいないけども、でも焼却炉であのメンバーたちと 一緒にあの世(あったら)に行けるってのは、どうしても俺は大事なことだと思うのよ。 だから4以降ウッディが死ぬときは、もう手をつなぐ対象は別になるんだな。 俺はトイストーリーの良さはおもちゃたちの友情にもあると思う。当然か。

ちなみに海外のレビューサイトとか見ると 良い順で1、3、2、4なのね。4が最下位じゃないのはトマトだけで。 さすがに本国では賛否多めだったんだろうな。だって1から3はアメリカの新スタンダードだったわけで。 やっぱ1から3を切って捨てるほど大事な内容なのかと思っちゃうんだよね。 出てくるテーマもムリヤリひねり出したようなもので、ヒューマンストーリーじみてるしね。




トイストーリーの終着点が焼却炉ってのは、結局おもちゃにとっての最後は博物館行きかゴミ処理場でしかないからだ。 それは常に現実的な着地点を用意していたトイストーリーの最低限のお約束から至る当然の帰結だ。 まさか捨てられたおもちゃたちが自分の国を作って統治していくなんて、それは完全なファンタジーで、あり得ない。

ただフランチャイズとしてのシリーズは、長く愛されるため、1からその設定にまで至らない。 2以降、遊ばれなくなったおもちゃたちの今後がついに語られだすが 2では最後のセリフのようにまだ遠い将来のことだとあまり考えさせなかった。 そして3でそれについに直面し、焼却炉か他の子供に譲るかの選択の中、後者が選ばれることに。 しかし3もまた結末の先伸ばしだと言われる。つまり、他の子供がまた飽きて捨てたら焼却炉だから。 今回は助かったが次は分からんぞと。 だからトイたちの将来は焼却炉が終着点ってのはそういうことなの。俺の言いたいこと分かると思う。

だから3でトイストーリーは終わってるの。

先延ばしだろうが何だろうが、トイたちの結末を見せ切ったから。現実的な。 ここまでで手札、カードは全部きった。もうこれ以上はない。

もうこれ以上見せなくてもいいじゃん、と。

3はある意味禁じ手なんだよ。3ですでに。おもちゃたちの末路を、最後までは至らないけど見せているから。 受け継ぎはもちろん、焼却炉も。二つの運命と、いずれ至る終着を。残酷だろう。だから禁じ手。 せっかく1も2も夢心地で、3もギリギリ夢と救いを残してくれているのに。 そしてそれはトイストーリーの世界観の最低限のお約束からくる限界点だった。




だからこそ4はまったくズレている。トイストーリーの最低限のお約束から生まれた限界値が3だった。 トイたちの最後は、我々人間世界からして、そんな宇宙に行けるわけもなく、4次元で過ごすことも 国を作って統治することも、子供を作ることも、あり得ない。当たり前だろ?それはトイストーリーのセオリーではない。 トイの最後は飾られるか死ぬかどちらかだ。でもそれを見せてもしょうがないじゃん。なぜ見せないのかって言ったら この作品を見ている人間のため。セオリーを破って夢を壊したくないため。素晴らしいことだ。だから3のギリギリのオチがついた。

で、4。なんとおもちゃたちが自分勝手に放浪の旅に出ていき、おもちゃのチームを作って、人間社会と共生する・・・ なんじゃそりゃ。だから1から3のトイストーリーと世界観から違う。これは価値観どうこうの問題じゃない。 それが出来るって、もうファンタジーの世界じゃん。それまで最低限のお約束やセオリーを守っていた1から3は何なんだよ。 トイストーリー4は二次創作ならいいと思う。でも公式でこれは・・・。 あくまで現実的な着地点で戦っていたのが1から3であって、それを放り投げたのが4だ。 批判も当然。1995年から2019年まで24年間守り通してきたお約束とセオリーをぶん投げて、 挙句その24年間を古い価値観だとのたまう。バカがそれに乗ってマウントをとる。地獄。 なら工場で作られたおもちゃたちがそのまま出荷前にクーデターを起こすなんてこともあり得るワケだよ。 それで話が作れるのかよ。それが出来るんなら、じゃあそれまでの話しはなんなのー?

4は真面目に語られるような作品じゃない。世界観を破綻させただけだよ。それだけ。 スターウォーズEP8のワープ特攻と同じだ。あれができるんなら昔からやってるわなって。 だから4を絶賛する人間ってEP8のワープ特攻も同じように絶賛するワケだ。世界観とか関係なしに そういう奴は何も考えずに作品見てるのかとか思うよ。 いいか、ワープ特攻を言うなら、誰でもできるけど誰も気づかなかったってことか? それは新しい手とか、うまい手なんかじゃない。誰もが考え付くがあえてやらなかったことなんだよ。 ワープ特攻できるなら、宇宙戦とか必要ないもの。 おもちゃたちが自由に放浪できるなら、持ち主とおもちゃの関係なんて1から3まで描かなくてもいいもの。

なぜワープ特攻をしなかったか。宇宙戦を描きたかったから。 なぜおもちゃたちが自由気ままに放浪できないのか。持ち主との絆を描きたかったから。 上に描いたように、この作品を通じて考えさせたいことが、俺たちのおもちゃへの再考のみだったから。

4見ておもちゃ大事にしようと思う奴がいるか?だって今までのって、おもちゃを大事にしなくても おもちゃは持ち主が好きだと、だから申し訳なく、いたたまれなくなり、おもちゃを大事にしようと思うワケ。現実で。 でも今回のって、おもちゃ大事にしなくてもおもちゃは勝手に出て行って生きていますってさ。 もうどうでもいいよな。だからさ、意味がないのよ。意味がない。4は。何の役にも立たない。 誰に何を伝えたい作品なんだよ。おもちゃはおもちゃであって人間じゃない。だからテーマも トイストーリーの中のおもちゃのみ限定という、しかもそれは1から3の世界観を破壊している。

意味がないどころか・・・俺の怒りはディズニーにあるんだと思う。 1から3までなぜ続いてきたか。俺たちみたいなのが、その最低限のセオリーを大切に 金払ってみてきたからじゃないのか。そのお返しがこれか?傲慢にもほどがあるわな。 スターウォーズもそうだな。スターウォーズも、想像上で楽しめばいいところをわざわざ映像化して 俺たちの空想の余地を奪っていった。ここまで粋じゃないところだったのかディズニー。




ウッディが3の焼却炉で半分は死を覚悟したが、半分死にたくない理由ってのがアンディなんだろう。 やっぱり一言アンディから、本当にさようならと、挨拶とか、儀式とか、ちゃんと顔あわせてさ。 まだウッディは信じてたんだろう。アンディが俺を捨てるはずないと。 で、おもちゃの哲学として、持ち主から勝手に離れちゃいけないんだよ。 アンディが俺を必要としてるなら、帰らなきゃいけない。俺はウッディのあの顔は、おもちゃとしての、生まれの性分・精神から来てると思っている。 アンディからまだ一言も聞いてないのに、死ぬなんてできない、と。 その反面ある意味アンディのことも定めも理解しているウッディもいたワケだけど。

で、アンディからの言葉はラストで贈られ、ウッディも納得したワケだけども、 もしそれをやった後に焼却炉だったら、ウッディはしっかりと死を受け入れてたのかもしれないな。




メディアの問題だけど、俺が1と2をビデオで楽しんでたってのもあるけど やっぱbd画質になると、それは当時上映の際でも想定しなかった見え方になるんだと思う。 なんかチープに見えるのよね。クリアすぎて。3とかはbdのが正しいんだろうけど。 だから1と2はvhsかdvdだな。ただvhsはダビングできないのよ、それが残念。

トイストーリーは3までだよ。儚さ、漂う死臭、愛、献身、相棒。 モラトリアムそのものの、永遠の夢の世界だ。2が最もモラトリアムだ。 問題先送り上等、それこそが子供とおもちゃの最高の時間だから。


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