北川れい子


 「太陽を......」の原爆先生と「十九歳......」 の新聞少年の存在は、片や超娯楽アクション 的展開、一方は文芸作品的青春ものとその手法こそ異なるが、根本は共通する。どちらも若い監督で90年代が楽しみだが、「太陽を ......」が2位になったのは、そのエキサイティングな画面にすっかりノってしまったから。 ムダに金をかけたと思わせていないのもいい。

袴塚紀子


 「太陽を盗んだ男」誰が見ても一応面白い、 という映画が少なくなってきた昨今、 この映画は貴重です。 「赤い教室」共に堕ちることも、共に出てゆくこともできない男の悲劇。

夏文彦


 「太陽を盗んだ男」は力作である。しかし、 プルトニウムを盗み出すくだりを、コミカルにしか描き得なかったのは、このドラマそのものが、 本質的に抱えている劇的な弱さだっ たとしか思えない。残念なことだった。

田中小実昌


 長谷川和彦監督、「太陽を盗んだ男」もおもしろかったが、前半のかるいタッチが、ずっとつづいたらよかったのに、とおもった。

波多野哲郎


 ところで禁欲性といえば、柳町光男の『十九歳の地図』があげられる。けっして出来のいい映画ではないが、それは極めて出来のいい長谷川和彦の『太陽を盗んだ男』と比較するときに明らかになる。奇妙なことに私は 『太陽を盗んだ男』を、ベストにもワーストにも入れてしまったのだ。実際のところ私は 長谷川のみごとなテクニシャン振りに感服しながらこの映画を見ていたのだった。いろんな映画を巧みに引用しつつも独自の世界を築いていく手さばきは、この若い監督のきらめくような才能を垣間見せる。しかしこの見事さとは、とりもなおさず映画の制度性に対する 謙虚さを装ったごう慢にほかならない。映画とはかくも深遠で豊饒で厚みのある宝庫だというのか。否、ここでは不自由さが自由さにすりかえられているのだ。その意味で、この映画よりはるかに出来の悪い「十九歳の地図」は、同じく若い監督の映画でありなが ら、映画の不自由さをひしひしとかみしめているのである。 「太陽を......」は、結局のところ世代論にのっかっているのである。

佐藤肇


 決心した大胆と言えば、『太陽を盗んだ』男も大胆である。普通はなにか重大なことを強迫するために「原爆」をつくるはずなのに、この映画の主人公はただつくりたいからつくって、出来上がると無邪気にカッポレ踊りをおっぱじめる。 この恐るべき怪物をかかえて、何をやるべきかわからず右往左往するダメ男を設定してみせたことは、長谷川和彦がとてもナウな感覚の持ち主であることを証明している。ただし、いちばん描写しにくいところを「劇画風」な遊びめかして逃げてしまうのは卑劣だ。

森世一


 長谷川和彦の「太陽を盗んだ男」は 本当の意味でピカレスクシネマだったのだろ が「青春の殺人者」のヒドさと彼の言動が気になってテンには心情的に入れなかった。

松田修


 「十九歳の地図」「太陽を盗んだ男」 「俺たちに墓はない」と若者映画で上位三作品をし めてしまった。要は面白かった。それに尽きる。時代の病理が、若者にもっとも典型的に影おちている。肌寒く、せつない。

小田克也


 「太陽を盗んだ男」は、何よりも野郎共のメ チャメチャな行動のエネルギーに感動。

尾形敏朗


 「太陽を盗んだ男」は、他の作品を圧倒して、断然一位です。 学校の先生が原爆を作っちゃったというジョークと、作者の意志とが、確実に重なりあう見事さ。死を暗示させつつも、最後までジュリーを殺さなかったことは、志の高さの表明と思います。拍手、拍手。この映画のように、傑作は気楽な気分で見たいものですネ。

小川徹


 すでに周知の「小型原爆は、簡単にできる」を映画ドラマにした「太陽を盗んだ男」も、あのボーリングの球では、何のリアリティもありえない。つくって「何をこれで要求しようか」なんてところも、沢田研二の演技過剰のへっぴり腰で、外国人の人気バンドの招へいを要求するなんて、まったく、人気取りの政治やそっくりである。漫画の読み過ぎでないか。 政治屋なら政治屋で、大衆の求めている先を狙うべきではないか。大衆の同意を得て、ボーリングジャックをやるという「イイコ」になる態度が気に食わない。


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