(未完) 俺の親の世代、つまり庵野世代から、昭和35年以降、1960年以降生まれた人間は一緒だと思う。変わらない。 2021年生まれの人間とも変わらないと思う。それ以前、1950年1940年1930年、大いに先達という感じがする。 でも60年以降に生まれた人間と俺たち、まったく変わらない。一言で言うと幼稚だということ。 血なまぐさい人生もなく、政治に関心もなく、男女の大きな違いもなく、 管理を受け入れ、デジタルが始まり、戦後民主主義、暴力絶対反対、経済成長、快楽優先、 個人主義が広まり、有縁社会は消え・・・生物としての群雄割拠はなくなり、平均的をモットーとする世界社会。 俺たちは既に個人単位でのドラマの確立が不可能なことを知っている。それをするだけの個人単位のパワーがない。結びつく力も薄い。 だからこそ虚構にいくのだ。ロマンを手軽に自意識と共に授受できる虚構へ。そう、昭和35年1960年前後の違いはここにある。もちろん数年のズレもあるだろうが 生まれたときには既にテレビがあり、漫画、アニメ、映画、歌、小説、芸能人、ともかく戦争にいかなければ創作でもなんでもいいんだ 政治も戦争も現実の面倒くささも忘れてどっかんばっかん、またはたおやかにいこうや、 そういう虚構(芸術)こそ世界平和の第一としたワールドエンターテイメント時代の中で育ってきた世代以降・・・俺も庵野も一緒なのだ。 俺たちから創作虚構芸術をなくしたら、どうする。何を目的に生きるのか。そうだろう。生きる理由がない。 テレビをなくしネットをなくし音楽も芸能人もなくし、機械的な経済&生物的活動だけ。嫌だろう。俺の親もそうだろう、誰だってそうだろう。 もちろん、ある意味で俺たちは無意識か意識的にか現実に見切りをつけたから虚構にハマり込んでいるということもいえる。 いつの時代も現実逃避はあったと思う。しかし今ほどに現実からかけ離れた世界を大衆が望む時代は今が初めてだろう。 それは人類の進歩の証明ともいえるし、人間には先がないということも指示しているワケでもある、現実(人間)はどーやってもクソなんだと。 エヴァみたいだけどね。あれのTV版とか映画の何がいいって人間関係の辛さ=現実の辛さが普遍的だし、 いくら子供が年齢と役職で大人になっても、大人になんかなれずに子供に辛いんだと、庵野世代以降の弱点そのまんま開けているから。 解決策も理屈でなく個人単位の躁鬱的な開き直りだったしね。 既に未来は時代が確定した。現実にシコシコするより、虚構にはまり込んだ方が楽で、楽しくて、気持ちがいいんだ、と。 だからこそ個人主義、だからこそ責任感がない、現実感のなさ、俺たちは空虚な結びつきの中、自意識だけを高めていく。 いずれ外敵により破裂するか、ぶくぶく太って傲慢に死ぬのか。 虚構が現実を打ち負かそうとした、アニメの中核として、やはり90年代後半なんじゃないか。 20世紀でアナログ(人間)は死に絶え、21世紀でデジタル(ロボット)が押し寄せてくるとか書いたけど そういう意味で、虚構という生々しさのないドラマにまだ血が残っていた、だからこそすごかった、それが90年代後半。 そしてそれがエヴァとポケモンなのだ。 はしりとして火垂るの墓。現実を超える生々しさ。虚構の癖に現実異常にのめり込み、入れ込めるものがある。感じ入るものがある。 虚構は「何か」によって現実を超えるんだ、それを指示した究極の一本だ。その何かは具体的には言えないので「90年代とアニメ」を読んでみてくれ。 さてエヴァ、ポケモン。21世紀既にアニメだけにとどまらず様々なメディアにより現実は虚構に押しつぶされて、いる。 その中でのこの二作。はしりでありマスターピース。 この二作の初期の吸引力。これはただならない、言葉にできない、理屈じゃない、情感、感情、得も言われぬ、俺は神を信じたいね。 エヴァはもう役目を終えているんだ。教祖が否定したから。虚構の気持ちよさを。TV版と旧劇にのみその役目、精神の解放と現実にはない空気感、虚構の最も足るところを。 新劇以降は現実とどう折り合いをつけるか、そういう現実との折半だな、現実も負けてねえぞっていうメッセージ性により虚構が負けたのだ。 じゃあポケモン。こいつがすごい。様々に書いてきたけども、宗教ができるだろう世界観の力強さ、製作側の否定もない。 手短にいこう、ポケモンには涅槃がある。あの世だ。俺たちが行くところ。涅槃、現実の先にあるとされるものだが、いわゆる宗教というものから誕生。 宗教=都合のいい創作物=虚構と捉えると、ポケモンこそが最高の宗教というのも分かる話。そして宗教の流れからくると涅槃も虚構であり、現実の先にあるものでもあり 仏教=虚構=ポケモン=涅槃。俺たちが宗教、あの世、天国を望むのは、それが現実にあるかどうか分からないが、それが欲しいから、なのだ。 それを完全具現したのがポケモンなんじゃないか。宗教=作り物、確かにそうだ。 しかし仏教が、世界宗教が出来る前に、死んだあとの何か、美しさ、爽やかさ、FOREVERを求める人間は 本当にいなかったか?否、断じて否、いたんだろう。だからあの世、涅槃ってのは、俺たち人間が本能的に知っている、求めている、抱えている概念、生と死の上に立つ存在。 人間は生と死だけではなく、もう一つがあった。そう、ポケモンは俺たち人類が到達したユートピアだ、フォーエバーだ、イノセンス、具現化した愛の形なのだ。 涅槃を具現化した作品、そう、天国といってもあやふやなイメージしかないでしょう。真っ白な世界でスプーンにアイスで人に食べさせるどうのこうの。 つまんないんだよね。だから現実の延長線としての涅槃、こっちの感覚からして、ポケモンの世界ってのはとっつきやすいワケ。 なんか変に超越するんじゃなくて、あくまで基本スタンスはこっちの世界、しかし世の理はあっちの世界ってワケでね。 世界であらゆる創作が出来たけどさ、もし死んだあとどの作品の世界に行きたいですか?って問いがあったら、ポケモンは少なくとも世の何万何十万何百万 という創作物の中で上位10位に入ることはまず間違いないと思う。ポケモンがエヴァよりすごいのはこういう問題もあるんだ。エヴァは怖いし暗いしね。 マリオの世界とかいいね、どうぶつの森もいいな。ウォレスとグルミットも可愛いね。 そういう風に考えるとポケモンのすごさが分かるんじゃないかな。俺たちが欲しいものが全部内包されているんだ、これほど俺たちが待ち望んだものがかつてあったかしら。 行きたくないか?少年少女の姿で広大なフィールドを歩き、空を飛び、海を潜り、世界に果てはなく、ポケモンたちとの触れ合い、人間との触れ合い、友情、愛、闘い、 快晴 海 青 空緑、 火垂るの墓は死臭だった、ポケモンは空と海と緑の匂いなのだ、ポケモンはすごーいですね。 ・・・
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