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なぜプリキュアはダメになったのか。 国民的アニメになった瞬間ダメになる作品は多いが、プリキュアもそうだ。精々フレッシュまでだろう。 何故国民的になるとダメになるかというと、社会的な意義ができることにより過去にあった過激さが なりを潜め、ビジネスのためにより多くの層にアピールする必要があるため、最終的には当たり障りのない内容にしかならないということ。 また国民的になるほどの作品ならば、相当時間がたっている。つまりはネタがなくなっている状態ということ。 その活路として、様々な場面に手を出さなければならないワケだが、本作の場合、それは思想に行ってしまった。 今プリキュアに必要とされているのはジェンダーとか思想とか自立どうこうだ。 でもそれを地に足ついた言葉で、排外なしで、自己陶酔せずに言えるヤツが社会にどれだけいる? フレッシュまでのプリキュアの特によかったのは、単純だったからだ。 ただ思想関係なしに、闘い、友情、恋をし、遊んで、別れがあって、それで終わりだ。 それでよかった。そしてそれしかできなかった。 それ以上に踏み込むとなると よっぽどの知性、冷静さ、責任感、構造、勇気を持たなければできないことだ。 言ってしまえば宮崎駿や高畑勲レベルでないと、思想作品なんて作れないと思う。 彼らの作品だって賛否両論あるのに・・・あのレベルでもそうなんだから それ以下の人間の思想作品なんて、そら見れるレベルに達してないわな。
具体的にはどうか。 まず俺がよく言っている、上昇婚下方婚の人間(男女)の限界だとか 人生への意識の変遷(国のためから自分のため)とかそういう、ジェンダーを語る際に必須の二項目を一切スルーして ただ一方的な被害者面、からくる正義面、での自己陶酔した「自分らしさ」「抑圧への抵抗」「輝く私」の連打。 当然、意に返さない連中(一方的な被害者面のスタッフから見た敵)は悪であって、倒すべき敵だという・・・。 そこには自分を顧みたり、戒めたり、一切ない。あるのは独善的な狭い自分、から見た悪の醜悪さ、という形。 子供のための少女漫画、が、大人の腐った連中のための女性漫画に変貌したと書いたらわかりやすいかな。 大奥だのミステリと言う勿れだとか、そういう一方的な被害者面の、悪(だとされるもの)を一刀両断し 大の女がマンずりこいて気持ちよくなるっていう作品・・・そういうヨゴレになってしまっているんだね。 で、そういう作品は・・・女のヒステリーがすごい! 少女のヒステリーでなく、大の女の腐ったヒステリーなんだよ! ジェンダー教育かなんか知らんが、一方的な被害者面で恨みを募らせ、口悪くヒステリーを醸し、独善的に敵を醜悪に描き徹底的に叩き そういう稚拙な善悪二元論的に叩いていいやつを作り出し、社会に分断を生み出した。 社会の分断とはつまり、ニュースサイトなどと共謀し、この作品は正しい作品!批判する人間は遅れてる、差別主義者!という風に嘯き 国民に相互不信感を持たせ、喧噪させることだ。 さらに下手なホン、薄っぺらいキラキラ、輝く私笑と、 初期のシンプルでただ眩しい青春に過ぎなかったプリキュアが、超偽善的で胡散臭い作品になり果ててしまった。
最後に・・・。いくら国民的と言えども広告代理店と組んだビジネスに過ぎない。ならば胡散臭い連中の道具にされるのは当然。 辻 愛妙子とかいう「一体どこから出てきて何をしているのか全く分からない」親のコネ&自己顕示欲旺盛な「よくいる」思想タレントが突如出張ってきて プリキュアの中枢に入り、そこで思想展開。またも一方的な被害者意識で持って、子供向けというより大のクソ女連中向けのビジネスを展開しだした。 最悪なのがプリキュア展か何かへの文章。 簡単に書くと 「女は抑圧されてきた。女のヒーローは戦っちゃいけないの?プリキュアは私にとって光、だった」 という、ね。いつもの(笑)よくあるやつっすね。 まあ薄っぺらい思想家特有の被害者姿勢はどうでもいいとして 言いたいことは二つ。まず、従来の戦う女の子作品を知らないの?と。 キューティーハニーでも、セーラームーンでもいいけど、ちゃんと戦っているし、バトルでなくても魔法の杖とかで戦う作品はあるんで・・・。 なので事実誤認とかでなく、 被害者姿勢を守るためと、プリキュアという存在を自分の思想の道具として持ち上げるため 今までは女の子が戦わなかった。プリキュアが戦う最初!だから私は救われた!プリキュアすごい!っていう・・・早速胡散臭い人間性が出てるね。 そして何より、これは被害者意識にも通底する話だが、なんでいちいち昔は抑圧されて〜という枕を挟むんだろうと。 まあ思想家の立場なんだろうが・・・人類の歴史ってのは常に過渡期なんだ。常に変わっていく。変化していく。 でいちいち変化するたびに褒めたり過去を腐したり・・・馬鹿らしくないのかな? 男だって変わってるワケ。ロボットアニメとかなら、昔はタフな熱血漢、それがどんどん繊細な主人公に変わって・・・とかさ。 で、いちいち言わんやん男は。我々は抑圧されてきた、それを解き放ったガンダムやエヴァはジェンダー的に素晴らしいとか。 男も女も常に変化し続けるんだよ、なのに何故こんな風なあてつけじみたことしか言えないのか。常にあてつけないと通らないよこんなもの。 やっぱり女は悲劇のヒロインになりたい生き物なのかとか、そういう欠点でしかない。 もう終わってんだよ。そもそもプリキュアは自分の自己顕示を満たすだけの道具なんで好きですらないんだろうが。
プリキュアは思想の道具になって終わったのだ。それも下手くそなね。 だからプリキュアはもうディズニーと同じなんだよ。バカを引き込むためだけの思想ということ。 つまり思想に対し、単純な悪と正義を用意し、新しいのが正義、古いのが悪だという方式だ。 いわば敵を作るやり方。喧噪を呼ぶやり方。炎上上等。そう、炎上商法というクソみたいな方法に手を染めたということ。 敵を増やすやり方が本当に正しい思想の伝え方、あり方なのか? 答えはノーだ。昨今の思想による大衆の対立はそういう稚拙な思想作品による影響大である。 正しい思想の持ち方は常に刻苦すること。少なくとも自分に対しても疑問を持ち続けることだ。 そうすれば冷静さを持ち、客観性を持ち、大言壮語することはなくなるはずだ。 じゃあディズニーにしろプリキュアにしろ、思想で悪を殴る――ということをやっている製作陣は 自分に疑問を持たず、絶対正義だと思っている、信じているということだ。 そういう連中が今メディアにたくさんおり、かつ、悲しいことに「受ける流れ」を作り出している。 本来思想ってのは慎重にやらなければならないのにそうなってない。 例え無意味に敵と作ろうと、社会を混乱させようと その場その場を気持ちよくさせるための道具で満足している。それは思想を扱う資格のない人間のやり方なのだ。 ただ、ディズニーに関してはそれを意図的にやってるんじゃないかという気がする。炎上商法。 炎上させて注目させるという。でも、ちゃんと頭使えば炎上せずとも注目させられるんじゃないの? でも炎上することで注目されるのは作品でなく、製作側だったりする。あえて火をつけ敵を作ることで 敵と戦う正しい自分、をアピールしたいんじゃないかと。つまりいやらしい。自分らという少数の声明を保つため 一般大衆を混乱させているんだ、最低だよね。 日本の場合もそういういやらしさがあるんだろうが、しかし何より能力不足がほとんどだろう。 腐っても全世界へのマーケットを狙うディズニー。あてつけだろうが一方的だろうが その手練手管は極めて巧みだ。世界トップクラスの頭が集まっているから当然だろうけど・・・。 一方日本はあくまでも日本という小さなマーケット相手なんで、それもバカ相手というか のせられるバカを広告代理店だの電波だのメディアだので掌握しているので緊張感なく 局や思想家にとって都合のいい三流脚本家がクソの垂れ流しをしてもなあなあで終わる状態。 進歩も成長もない。狭い仲間内で仕事を回しているだけで。しかも批評に権威がないので 出回る感想といえばメディアの「称賛の声多数」とかの記事が既成事実となってしまう。 ただ共通するのは、下手な作品だろうが、推奨されてる思想を展開すれば メディアがこぞって褒めて、正義というお墨付きを塗り、反対する人間は悪だというレッテルを張るということだけ。 そういう状態で甘やかされ、自己陶酔し、ますます悪化していくという悪循環。
中身が伴っていないという。SNSとかでその場を気持ちよくするだけのいい話とか頓智とかあるけど それをそのまま作品に押し込んでしまったって気がする。悲しいことにそういう話とかってのは よく読んだり、読み返したりすると、実にくだらなかったり賞味期限短い内容だったりするんだよね。 中身スカスカだが何かいいこと言っている風に聞こえるということ。
思想を手慰めの道具にするのが今の流行りだが、国民的かつ女の子向けのプリキュアもそれにのまれ 地に足つかないバカ話ばかり。それがさらに昨今の共感ビジネスとつながっている、問題だ。 共感ビジネスとはつまり一面的な問題と解答を映像等で見せつけて、それに共感した奴は 自分はえらい、分かっている、優れている、正義だという優越感を持ち、思想入りする。 一面・・・一理は正しいからこそ脱せない。そして外れた人間は分かってない奴となり、悪となる。 これが共感ビジネスの姿。 そして共感ビジネスにはまった奴は、正義ズラしたいヤツばかりだから その罠に何度もハマる、繰り返す。一理的な考えに固執し、敵が増える・・・。 問題はさ、そら一理だけ見れば極端な回答しか出ないわなってこと。 世のなかって一理が寄り集まった多面的な、つまり複雑なのよ。 一理が問題でも、実はその一理が別の理を助けているかもしれない。その逆もあるんだと。 一理だけで起こって、また完結している問題なんてありえないんだと。全部が連鎖してるんだから。 それが分かってない奴が多いから起こる問題だけど。 なによりそういう一理なプロパガンダの恐ろしいのは、それに共感、賛成、引き込まれた人間が ずるずると気づかないうちに、その一面の先、多面をも否定せざるを得なくなってしまうという恐ろしさ。 なぜかというと、社会性を失ってしまうから。一理だけを見るってのはそういうことだ。
極端な例を言うと、 「あの」美少年アイドルに対する業界の扱いは性的搾取だ、虐待だ →未成年アイドルに対する業界の扱いは性的搾取だ、虐待だ →子役・子供タレント廃止しろ!
これはベニスに死すのビョルン・アンデルセンくんのドキュメンタリー映画を 見た連中の意見なんだけど。 つまり特定の人物の問題が、いつのまにか主語拡大していって、 その人物が属するジャンルにまで普及したりするということ。こういう例はたくさんある。 一理、一面的な作品の問題と、それを感動してしまう人たち。こういうのがある限り共感ビジネスはなくならない。 そしてそこに責任の二文字は存在しない。無責任に思想を振り回すバカとそれに共感するバカで成り立つエンタメ業界。 今のプリキュアとディズニーはそんな感じ。