ジェンダー論だの女性がどうだのっていう問題は、 人間の人生意識と男の上昇婚・女の下方婚にすべてその端を発しているワケで この二つを避けては語れない、ってかこれがほぼすべてと言っていい。

まず人生意識ってのは二つしかない。つまり国のために生きるか、自分のために生きるかってこと。 かつては国のため、今では自分のため、という大きな意識の変遷があった。 それは意識の比重としてね。かつても「100%国のため」ってだけでないはず、ただ割合多めだってことで。 そして男女の問題に入るけど、国を守るため-からくる男の下方婚、女性の上昇婚なんだよね。 つまり人間は安定を求め、だからこそ国を作ったし家を建てたし法律を作った。 侵略してくる敵から自分を守らなければならない、という戦いの社会では、まずは人数こそが一番重視するってのは当たり前なワケだ。

で、安定した出生のためには、女に合わせた社会より、男の下方婚に合わせた社会にした方がよかったわけだ。 (よかったってのは、もう世界的にずっと続いてきたところから、一つの限界として理解できると思う。これ以外にはないんだと。) つまり女の上昇婚ってのは、男に求めるものがエスカレートしていく意識なんだよね。 女の地位や経済により、限度がないから。 女が課長なら男は部長以上で、年収300万なら男は400万ないと・・・という具合に。 その中で、常に男は切磋琢磨していかなければならないと。つまりしんどい。 女も男を見る目がシビアになりすぎ、双方くたびれて、出生数は安定しないし、少なくなるだろうね。 ただ男の下方婚ってのは、女への要求に限度があるから楽なんだよね。 基本家にいてほしい、というものしかないから。(性奴隷だとかってのはごく一部の国、宗教国家ぐらいだろうし。) で、女が家にいる時代なら「働いている男ならOK」とハードル低めなんだよな。 学歴とかもね。女は大学に行くなってのもそこにある。 そういう風に、安定した結婚・出生のために、男の下方婚に合わせた社会にした、なったんだよな。 で人間ってのは順応性があるから、もろ肯定も否定もなく「こういうもんか」っていう意識で長年続いてきた。 もちろん実験はした。つまり 女性の役割が増す中で男の許容範囲はどこまであるのかと。 で、ある程度は受け入れられたワケだよ。女が中学高校入っても、男勝りでもズボン履いてもいけると。 ただあまり偉くなりすぎるとちょっと・・・という限界点までを試すという実験がずっと続き、今ある程度答えは出たワケでね。

ここまでをまとめると、ある種、男と女のそれぞれの限界なんだよね。 男が基本下方婚的生き物だから、女が基本上昇婚的生き物だから、こういう社会にならざるを得なかったわけで だから、どっちにも罪がある・・・原罪があるんだよな。限界なんですよだから、人間の。男が女がじゃなくて。 そういう意味で、女のプライドが高いからだ、いや男のプライドが高いからだ、っていう罵りあいでなく 互いの欠点を認めたうえで、人間の限界だからしゃーないわなって言う風に理解、納得しあえればいいよね・・・。

そして、ここで来るのが人間の生き方が変わったってところなんだな。 今、自分らしく=自分のために生きるという意識が蔓延している。 もはや国なんてどうでもいいし、子孫がどうなろうと知ったこっちゃないぐらいにエスカレートしている。 その中では、出生すらどうでもいいという意識も高まり、だったらば 男の下方婚に合わせる社会も必要ないとくるのは当然。 だから今、家父長制解体だとか男社会破壊とか叫ばれてる。 何故ここまで極端な意識の変遷になるのか。 人間ってのは実験の歴史。実験の連続で、その実験のすわりのよさにかまけて、いくところまでいって ぶっ壊されて新しい実験が始まるってのが常なんだ。なぜすわりのよさにかまけていくとこまで行くのかと言えば やはり人間は安定を求めたいし、また怠惰だし、壊すのなら先の実験の限界が見えてきたときに壊した方が無責任でないしということ。 ある種やりきってから次へってのは人間の性なんだよね。 だから国を守ろうという意識から発展した社会が、テクノロジーだとか考え方だとかの発展もあって しんどくなってきたのかもしれないね。面倒くさいとか。 また近代からくる「自分らしさ」に酔った女たちのボルテージも高まってきて、抑えがきかなくなったってのもあるだろうね。 で、今では180度転換して国とか未来とかどうでもいい。って感じで。 有縁社会から無縁社会ぐらいのダイナミクス。 これもまとめると、人間の生き方が変わることにより、従来の社会(制度)も変わったということ。

で現代の問題点は、ジェンダーだとか女がどうだとか言われる際、 上に書いたこと・・・つまり人間の生き方の変遷と、上昇婚下方婚の話がまず出てこないこと。 その発想がないのか逃げてるのかわからないけど、ここを抜きにしては絶対に語れない。 で、ないからこそ話がごっちゃになるというか、非常に一方的な視点でしか問題提起されないんだよな。 まあ女は一方的な被害者だとか、常に被害者だとか。 女がどうだってこと語るなら、国を守ろうとしていた時代、そうでない時代でまったく意識が異なるんで それはちゃんと分けないといけない。少なくとも国を守ろうとしていた時代では、あれ意外に最適解はなかったわけでね。 もちろん、だからといって被害者的側面がなかったとは言わない。 しかしそれだけではないはずだし、時代の中で生きていたという意味では男も被害者なワケで・・・ また、上昇婚下方婚の人間的限界もまた存在しているワケで、どうしても一方的な被害者視点はありえないんだ。

書いてきたように、人間ってのはここ数十年で180度意識が変わっているワケ。 それを無視して今の意識でもって、昔の生き方からくる意識を否定するって意味あるの? プライドの高いやつか、怒りたいやつか、ともかくバカしかいないと思うよ。 昔=国のため=男女は役割を。 今=自分らしく=男女ともにフリーに。 「今は女がフリーなのが当然なのに、なんで昔は女を固定化していたのか? 差別・蔑視・男尊女卑!」ってな具合で・・・

馬鹿らしいよ。時代の変化を、生き方の変化を意識の変化を考えろと。そこからですよ。 で昔の女の生き方なりを否定するってのは、リスペクトがないよな、自分たちの快不快だけで。 いずれ自分たちも否定されるときが来るかもしれんと考えないからできるんだろうが・・・。 ここで考えなきゃいけないのは、加害者被害者も、いい時代も悪い時代も、相対的にしか語れないワケってことだよね。 つまりどこかに立脚した視点で考えないといい悪いは言えないと思うんだけど そういう意味じゃ、過去を否定する連中は今を肯定してるから言えるんだろうけど、 問題は、そこまで今を肯定できるのかってことだよ。 どんな時代もなんとなく、じゃないのかな。全肯定もだからこそ全否定もありえない。 人間、なんとなくで生きてるんですよ。こんなもんか、ってな感じで。 今の自分らしくとかいう時代も、欠点はあるし被害者も出てくるだろう、つまり全肯定はありえんのだ。 だったらば過去を全否定できない。もっと言えば俺は今を肯定すらしてないので過去も否定できない。 せいぜいこんなもんか、ぐらいでね。

一応書いた通りだけど、ほんと、ジェンダーとか語るなら まず上二つのこと、そして今どっちにいるのかってのをはっきりさせないとできないね。 今どっちかってのは国を守る時代か、自分のために生きる時代か、どっちかってことを自分の中ではっきりさせないと。


あとはおまけ

何か社会的なアクションが必要な時は、国なり体制なりがそれを実行するが 必要なのか微妙な時期には、それを実行する理屈があやふやになるということで実行できない。 今の日本・・・世界もそうでしょ?もう出生や結婚が当たり前じゃない時代になりつつあるから 国も体制も何も、女に対しこうだと強く迫れない、実行できない。 昔だったら理屈でも感性でも役割を担えと力強く言えたんだろうが今はね・・・今は今で極端なんだろうが。 つまり実験の終焉には別の実験が始まるんで、いわば真反対の価値観が登場することもある。 今は国のためにでなく自分のために・・・が主題になってるんだが、自分を守るために国も守る・・・にはなってないんだよな。 国もどうでもよくて今一代楽しければいいやっていう。極端だな。

国を守ること第一に考えれば女の自己主張なんてのは女の自己満足以外に結果にならず 国益にはならないんだよね、人間の性として。 数こそパワーって意味じゃ、男の下方婚に合わせた社会にした方が安定して出生できるんで。 でも今は生き方の変化はもちろん、移民だの西洋化だのなんだの「国を守る」ってなんやねんという時代なんでね ともかくジェンダー論語るなら、国を守ろうとしていた時代、そうでない時代でまったく意識が異なるんで それはちゃんと分けないとね。問題は、今どっちにいるのかってのをはっきりさせないと語れないということなんだ。 まだ前者かもしれないし、もしかして中間かもしれない。

そういう意味で、女性の社会進出どうこうってのは、この二つの時代にまたがっていたのは事実。 最初は国を守ろうとしてきた時代で、女性の役割が増す中で男もそれを受け入れられるかと。つまり結婚出産ね。 である程度は受け入れられたワケだよ。女が中学高校入っても、男勝りでもズボン履いてもいけると。 ただあまり偉くなりすぎるとちょっと・・・という限界点までを試すという実験がずっと続いてきた。 で今、おそらく国なんてどうでもよくて、男うけもどうでもよくて、ただ進出をするというモードへ。 大局から見ないとね、ジェンダーでもなんでも、人間の問題ってのは。 で、昔ならいいんだよ、ケンカしまくってても、一方的でも。 大局が分かってない、情報が少ない時期の作品ならね本作のように。




昔は、てか最近まで人間ってのは子供を産む、つまり子孫を残すことに主題を置いていた。 そして今では自分らしく生きる、またはその中でやりたいことをやる、というのがメインテーマになりつつある。 その中でどう子孫を残すか、は急激に放棄されつつある。 人間いつの時代も安定が欲しいもの。自分の老後の世話とか。そのために子孫がいないといけない。国土の侵略にも備えないといけないし。 理屈抜きでも人間の自然な営み的に子孫の繁栄が続いてきたワケだ。 で、近代以前までは、それこそ生きるってのが大変な時代だったし、身を守るすべとしても 結婚、まあ男と女が一緒に暮らすってのは当たり前だった。農家か商人か武家かって中で。 どこの国でもそうか。そういう中で当たり前のように子孫繁栄ね。 つまり子孫繁栄=当たり前だから、各家庭においても子供を作るのに理屈はいらなかったんだな。 一緒に暮らす=子作りなワケ。これに矛盾がなかった時代。

しかし近代になって、生きるってのが簡単になり、男と女が一緒に暮らさずとも生きていける世のなかになった。 また論理的思考ができる大衆が増えてきたのか、多種メディアの攻勢によるものか、人間の価値観が多様になり 子孫を残す、よりもやりたいことをやる、やりがい、生きがいを見つけるのが主題となった。 その中で、男と女が一緒に暮らすのが当たり前じゃなくなり、当然子孫繁栄も同様。 暮らすことも子作りですら、いちいち理屈や論理でもって考える時代になった。 ここでの問題は、 子孫を残さないことによるデメリットを理解した上で 従来の価値観を否定し、やりがい、生きがいをメインテーマに生きているのかってこと。




歴史の中で、男に沿った、または男にあった社会体制が続いてきたのは事実。それに対する批判が近代ことに高まっている。 しかし続いてきたことって理由があって続いてたんだよね。続く中で歪みが出たりするんだけど。 理由というのはつまり、子孫繁栄を起因とする男と女の問題。 よく言われている『男は下方婚、女は上昇婚』だから。 つまり、男の下方婚で言えば、女がそれなりに欲出さないだけで何とか続いていた。 しかし女の上昇婚は、男は限りなく競争の中で頑張り続けなければならないのだ。

そう、昔なぞは生きるのに精いっぱい、かつやりがいだの生きがいだのなくって ただ生きること第一、の世の中だったから、女はもちろん男も「こういうもんだ」と 日々の刺激もないルーティンを過ごしていた。 しかし今、上に書いたように生が楽になり、その上で結婚子作りが必ずしも当然でなくなり 刺激物に溢れた世のなか、メディアや社会が生きがい、やりがい、自分らしくとかを叫ぶようになった現状では 男の下方婚にあわせた社会体制は、何かをやりたがっている女性を抑圧している、となるのは必然。 だが、男にあわせた社会体制をやめることによるデメリットも当然出てくる。 それが女性の上昇婚からくる諸問題。

そう、男の下方婚ってのは、いつの時代も女に対する要求がほぼ一定している。少なくとも日本ではね。 性奴隷になれとかいってエスカレートすることは一応なかった。 基本「家庭にいてほしい」と、それだけ。 しかし今後、女性の社会進出が一般的になり、やりがい生きがいでもって欲を出しまくると 女性の上昇婚、いわば男に対する要求はエスカレートしていくのだ。それも無意識の内に。 そりゃそうだよね、女が家庭にいる時代なら、働いている男ならOKとハードル低めだったろうが 男と同じように働けば、上昇婚的に自分より稼ぐ男または位が上の男だけがOKになるのは当然。 その中で結婚どうこうだけではなく、単に男と女が喧嘩しあう仲になるという問題もある。 どちらもハードルが高くなっている状況では従来以上に喧々囂々となってしまうからね。 かつて女性は大学に行くな、などと言われていたが、その理由はここにある。 大学で学ぶことで、無意識の内に男への要求が増長し、 それはいわば自分の可能性の枠を閉じて行ってしまうことになるから。 意識的にハードルをコントロールできればいいんだろうが、それが難しい。特に今みたいな自分らしくの時代では。 結果肥大化した自分に似合う男は減り、男に幻滅し、最悪の場合、男嫌いになったりしてしまう・・・かも。 いやいや結局、男が頑張ればいいだけじゃん、という声もあるだろう。 しかしそれは女も同様で、もっと男に対するハードルを下げろとも言えてしまう。 でも、できないんだよね。できない。それはお互いにできない。 結論を言えば、男と女それぞれの原罪、または限界の問題なのだ。 男は下方婚のが多い。女は上昇婚のが多い。これは人間の限界なんだ。 片一方の責任ではなく、互いの限界点が招いた状況だった。

そして上昇婚から出てくる究極が子供の問題ね。 今の子作り環境を言えば、やっぱり結婚したうえで子供を作るべきだと。 最初から片親で育てるとか、または孤児院的な施設がスタンダードではないんだよな その中で、女の上昇婚の問題を言えば、やはり自分より上の男と結婚子作りとなれば 従来よりはるかに、そのハードルを越える男が減少するのは当然なんだよ。 労働者という中での、または資産持っている中で、その上ってことなればね。 悲しいことに男に女は養えても、女は男を養えないんだよね。平均的に。 だから従来の男にあわせた体制は、やはり子孫繁栄には適していたと思うよ。 しかし今の男も女も欲が限りなく出せっていう価値観ではダメなんだね。




そこでもう一度言いたいのは、今の状況を、つまり男も女も好きに生きろ、やりがい生きがいを見つけろ とか限度なく叫んでる社会、国家、企業、思想、そしてそれを受けて自由を満喫している連中は、 男女が剣突く中になるとか、子孫繁栄が難しくなることによるデメリットを自覚したうえで言っているのか、自覚せずに言ってるのか。 まあ自覚してないのかな。自覚してても自分には関係ないとかね。 人口減少だったり、年金とか、過疎化とか、分かっているならいいけど、でもわかってないんだろうな。 俺がいいたいのは、やりがいとか生きがいとか自分らしくって価値観は そこから出てくる少子化とかの問題を内包することにより成り立つことだって自覚して それら問題が起こるのは男と女両方の原罪、限界の責任なんだっていうことを 皆で共有しあえば、一方的な争いや喧嘩も何も起こらないと思うってこと。 どうせ以前の価値観には戻れないんだから。今の価値観で生きるなら、この前提は絶対に大切。 そう、ものすごく簡単な話でしかないんだよ。 知性とか論理、理屈、哲学は必要ないもの。ものすごく単純な男と女の問題なのよ。




ここから発展する話はたくさんあるよ。例えばフェミニスト連中が女は抑圧されていたとか言ってるけど 結局散々書いてきたように上昇婚を望むという女の原罪・限界にも責任はあるんで。 でもあいつら女の限界には一言も触れないんだよな、一方的な被害者面したいワケだ。 そう、よく女は被害者だというんだが、俺は人間、悲しいことに誰かが加害者の役割を果たさなきゃいけないと思うんだ。 その中で男が加害者の役割をやってたワケだけど、言い方変えれば、女が男に加害者を『代行させた』って言い方ができるワケでね。 いいんだよ、女が加害者でも。でも、できない。結局それは女の限界であってさ、どちらか一方が悪いとは言えないと思うよ。 従来の生き方・社会構築を考えれば従来のやり方、男の下方婚にあわせた体制ってのは間違ってはいなかったと思うよ。 で今後、女の上昇婚の事も併せて、どういう社会を作りたいのか、人口減少を止めなくてもいい、とか民族コングロマリットでいいとか そういう話を先にやるべきでね、企業も国も国連も何もかも。そこらへんやらずに甘言だけやっていい気持ち、いいかっこに浸っているから 無責任だと批判が起こるんだよな。そこはハッキリさせないと。これまでもこれからも男と女の限界による社会体制は続くのだ。




で、男の下方婚が続くことによる歪みってのも書いておこう。基本、人間の価値観の変容により歪むってことなんだけど。 それは未だに続く女は無能とか、男よりダメ、とかね。 女は男と比べて無能だっていうイメージは 「女は欲出さない方がいい」という社会体制を維持するために続いてきた「決まり事」の中で、やはり家庭以外の第一線に行けなかったことにある。 だから特に昭和頃では、社会現場の第一線には男がずらっといる中、女は末端にいる。やはり社会のために。 で、それを男が分かっていたならいいんだけど、男も男で、子孫繁栄とかの社会構築のためではあるんだが 男の下方婚で女は欲出さないんだということを忘れている、自覚がないために、どんどん言いたい放題になっていった。 社会のために状況がある、と理解せずに、根本的に無能ゆえ状況がある、という風な解釈をしたんだな。 その結果、女も自分の原罪や限界の自覚ないんだろうが、やはり反発し、男女共同なんとかへ。

で、今の価値観の社会。 女も第一線へ行って、肉体労働だとかは落ちるだろうが頭脳労働だとか技術、手作業、etcで男と変わらない働き。 しかし従来の価値観、いわば子作り結婚がメインテーマだと思っている人々は、やはり女はダメだとこうなるワケ。 これは過渡期だからだと思うね。いずれなくなる。 だから老害とか言われてる連中は当然でもあり、可愛そうでもあったりする。 時代の凄まじい流れの中でついていけんと。

しかし歪みではなく男と女の生理的な問題も言いたい。 仕事の上では無能だとは思わんだろうが、いざ生物としての男と女なら、上昇下方志向問題も孕んで やはり男からして女は支配できる方がいいのだ。 それはもうセックスの問題になる。セックス=人間のすべて。 女は男を養えないだろう、というのもあるけどやっぱりセックスってのは支配欲なんだよね。そこでは女より上にいないと成り立たない。 これはもう普遍じゃないかな。女もセックスの場じゃ支配してくれる男を望むだろうし。 仮に女からセックスを上位でやってくれるのなら話は変わるけど、そういうパターンほぼないしね。 偉そうな女を見てイラっときてしまうのはなぜかと考えたとき、どうせセックスは受け身なんだろ?とか 男を養えないんだろ?という異性としてのショボさを感じてしまうからなんだね。 人間の根源はやはりセックス、ですよ。だからインテリジェンスとか理屈とか哲学とか抜きで ものすごく単純なところでの話だと思うよ。だから男がちょっとバカ(なフリ)な女を求めても 支配できそうな女を求めてても、それはしょうがないと思ってほしいね。女も自分より上の男としかセックスしないだろうしね。 これは歪みではなく、根源、限界なんだね。これが男であり、女であるわけだ。




時代ごとに座りの良さは変わっていくわけだけど、だからしなければならない、でなくてこういうもんじゃないっていう意識なんだ基本。 所詮座りの良さなんだから。 女が家にいたり、専業主婦が当たり前だったり家事洗濯全部やったり、それは時代の座りの良さであって だからこそしなければならない、じゃない、こういうもんだっていう意識だったんじゃないすかね。そこで勘違いしちゃってしねければならないって男もいたろうけど。 ただこういうもんじゃないかっていうラフな意識を突破するにもある程度の説得力は必要だろうと。 何が言いたいかと言えば今の男女平等か知らんけどテレビでもニュースでも 男は家事洗濯するべき、しないやつは時代とあってないとか男尊女卑とかなってるけど、 しなければならない、じゃなくてこういうもんじゃないのっていう風に、どうして言えないの?って。 これから先だってどんどん変わっていくんだから色々。そのたびにこうしなければなりませんとか 過去を否定したりとかね、納得しにくいわな。 俺でもわかることが、なんで上の連中や思想家にはわからないのかって。 だから炎上商法なんだよね。煽って注目を集めるという。くだらないね。


男女問題で言いたいのは、やはり根源はセックスでしかないんだということ。性別でなくって。 だから受けなのか攻めなのか、本能的に支配されたいのか支配したいのか。 そういう性別的な根源からは絶対に逃れられない。 男が女の下につくしんどさ、女が男の上に立つしんどさ。そこで浮かんでくる性別から来るいやらしい実感。 女のくせに・・・男のくせに・・・と性別の限界が見えてくるワケだ。 これがすべてであって、難しい理屈は必要ない。

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