夢の国からやってきた無国籍風「ミッキーマウス」――なんぞ軽く超えるヤツ! 崇めよ!その小さな愛の輝きを・・・
        魔法のプリンセス ミンキーモモ
              1982 年 湯山邦彦 首藤剛志 作  

魔法のプリンセス ミンキーモモ

1980年代以降の魔法少女モノ及びアニメシーンにおいて パロディとオタク向けの勢いという中高生精神を植えつけた サリーちゃんに次ぐ魔法少女モノ第二の原点である。 そして大人の事情で哀れブッ殺された悲劇のプリンセスの名称である。 ・・・・・・・・・ 昔、フェナリナーサは誰でも行くことが出来る夢の国でした。 ところが、フェナリナーサが千年の眠りにつくと、人々は次第に夢や希望をなくしてしまい フェナリナーサもだんだんと地球を離れていったのです。 しかし、それを残念に思った王様は、フェナリナーサをなんとか地球に戻したいと思いました。   王家の血を引くものが、誰かに夢と希望を持たせることが出来たら その4回ごとに1個ずつ宝石がはまり、そして、その宝石が 12個はまればフェナリナーサはもとの場所に戻ることが出来るのです。 こうして、フェナリナーサの王女・ミンキーモモの大冒険が始まりました。 ・・・・・・・・・   ミンキーモモ、愛嬌のプリンセス。 ロリコン人気も納得、小山茉美の気取らないナチュラルおバカボイスを空気に震わせ その短い手足(話による)をタッタタッタとせわしなく躍動させ、なおキャピキャピな 性格、アーパーとも言えるし、思慮深い娘とも言えるし・・・ながらもミンキーモモの真髄は アホみたいな表情を浮かべノーテンキに手足を振り回すアーパー少女、愛嬌戦士――「愛の」という アルティメットステータスにある。ぶっちゃけ愛嬌はグレイテスト、娘にしたい度では全魔法少女の中でもトップを往っている。   愛嬌の魔人やで!!80年代のアポアポキャラで言ったらななこに匹敵するキングオブパー子なのだ。             髪形がイイ。あれで愛嬌が2割り増し。頭に桃を乗っけているという既に素朴さと愛くるしいおバカぶり。 それに体型、ロリの鑑、ロリータはコイツで完成しておる!!   手足の短さヨシ!それに加えてノリとか考えとか大人っぽい優等生っぽいながらの ハイテンションかつ無邪気なキャラクター、チクショー!これまた説明が苦しい そして声でしょ これで5割増し!小山ボイスにより成し得た神のムードなのだ〜!       ア、ただし、子供のモモ限定ですよ、大人モモもイイけどね・・・フツーなんだな。小さく収まったって感じ。   (んなこたーない 大きいです!) そこにつまり子供時代の永遠という、その価値がネ・・・つまりベニスに死すのビョルン君や 跳んだカップルの時の薬師丸ひろ子とか、やっぱり少年・少女期の、子供も大人も手玉に取るよーな その無自覚な小悪魔性がイーのだ!       モモの愛嬌を一気に神のレベルに、つまり全能全域まで持っていったのが26話「妖魔が森の花嫁」の わたなべひろし作画だろう。中でもくちびるの触感、そして幼児(じゃないじゃない)らしい手足の愛くるしさ この話を決定打としてミンキーモモ人気はいよいよ燃え上がったのだ。 わたなべ君はコレで有名になった、あー言えば上祐の上祐みたいな顔だが 当時アニメーターの女性と結婚。なかなかバイタリティ溢れる熱血漢である。 キャラデザ 芦田豊雄 みさきのあ(漫画) 服部あゆみ(原案)   特集・ミンキーモモ 他のキャラクターだが、みんなおもしろくてカワイイ。 両親。魔法の親も現世の親もどっちも愛嬌があります。     美人でしっかり者の嫁と、人は良いがマヌケな夫。 現世の方なんて元ヤンの奥さんと獣医、でも今はラブラブ。   そんなところに放り込まれるモモ。まあ親を見りゃあ あの愛嬌ぶりっこはようく分かりますしね。徳が高いのだ!!   お供の3匹。これがまたカワイイのだ!!ハッキリ言って。 メチャクチャカワイイ。魔法少女モノのマスコットキャラの中で一番カワイイ。 カジラ君はベンチとして、犬のシンドブック、鳥のピピル、猿のモチャー。   中でもモチャーが意味分からんぐらいの愛嬌を誇ります。 適当でぶちゃいくな面構え、そもそもの造形、声が木藤玲子、完成され尽くしてる。性格もイイし。 ピピルもシンドブックも声優の力で一級のコメディ要員、愛され要員になっている。 しかしベストはモチャーだ!間違いない。リメイク版のはキマッてるかの如くな配色で論外だ。   OVAではモチャー役の木藤さんが体調を崩して北海道に帰ってしまったので ペルシャにもヨヨ子ちゃん役で登場した星野桜子がモチャー役を代役、頑張ります。 ゲストキャラ。ボーマン船長が一番好き、面白すぎる。   あの絵本の話は本作で一位二位を争うぐらい面白い。メチャクチャおもしろいぞ! ボーマン「言ってみたかったこの台詞〜」何もかも面白い。   宇宙飛行士のスーツを着るマッチ売りの少女、口の悪いアリス、羊。   最後のお目目キラキラで王子様ルックのボーマン。最高の演出だ、最高に笑える。 視聴者からも人気が出てOVAにも出演。最後の語りで締める。 彼が語るのは、大人でも夢を忘れないという、その童心である。 そして忘れちゃいけないレイちゃん!地底のプリンセス     モモの地位を脅かすほどのロリータ属性、普段は恐竜たちと一緒で両親がおらず 一人寂しいから来てくれたモモの父親に甘える。そこすごい好き。 で、モモと協力して火山を塞き止め、親友同士となる。   声が亡くなった秋山るな。がんこちゃんの声でおなじみだがまったく残念だ。 秋山るなの美少女声ナンバー1がレイちゃんで間違いない。 これまた大人気、というかムック本によるとゲストで一番人気だったらしい。 とゆーことでOVAでもモモと協力、ビスタビジョンで活躍する。 ちなみに秋山さんと木藤さんの2人が出ている作品に「愛のそよ風」がある。 木藤さんが主役で秋山さんがその友達役だ。見なければならない。   レイちゃんの素朴な愛嬌は見習うべき!こういうのを守ってあげたい存在というのだ。 いやマジでカワイイです、この娘もまた神の域にいってる、秋山るなの声も伝説だ。   脚本が語るようにミンキーモモがミンキーモモたる個性を持つに至ったのは 8話「婦人警官ってツライのね」からである。 それまではフツーというか、それまでの魔法少女のムードを80年代ナイズされた、という それだけの勢いだったが、8話から一気にオタク向けな、というか中高生向きの勢いになった。 当時コレ見ていた人はビックリしたハズですよ。こんなの見たことない・・・と。   (ついにこの日が来たんだわ!) モモの下にラブレターが届き、そこに書いてあった場所に行ったら カワイくてドジな婦人警官となんやかんやあって   怪盗ルピンやら変な強盗集団、ヤクザの運動会、チンピラやらで大暴走。 結局ラブレターはチンピラの悪戯としって傷心するモモ・・・という話。     作画もノリも一気に進化し、モモの切ないラストも一級品。 という事で80年代アニメシーンに多大な影響を与えた「ミンキーモモ」の始まりは この8話だったりする。歴史的なエピソードと言える。 ルピンをグルっとまわるアングルと手袋をする作画がすごかった。パロディも満載。 そこからもおもしろいエピソードだらけなんだけど、ある意味凡とも言える。 いや、かなりおもしろいんです。でもあくまでモモのモモたる名作を・・・。 次に飛んで26話「妖魔が森」。話は・・・あの王子が美青年になるのがおもしろかったんだけど 何より作画である。一気に艶かしいわたなべひろし作画が大暴れ。 全63話中の26話目にして、ついにミンキーモモの主役が揃ったワケだ。 そして30話。「ふるさと行きの宇宙船」。 ボーマン登場!SFからパロディ、童謡、一番好きかもしれない。 ボーマンの声は飯塚昭三、飯塚が死んだらボーマンを思い出すだろう。 それだけ強烈なキャラクターである。 で、ゴーショーグン的なノリでロボットが出てくるのが31話「よみがえった伝説」。 34話の「地底の国のプリンセス」でレイちゃん登場。 36話の「大いなる遺産」。2度目のわたなべひろし作画。 70年前に出会った少女との約束を果たすために死してなお屋敷に留まっていた爺の話。ロリコンの鑑。 残念ながら少女は2頭身気味の、ステップジュンみたいな女の子で、中々惜しい。 最後にはおばあさんになった少女が出てくる、美少女もいずれは婆になる、残酷な現実ですぞ!! 42話の「間違いだらけの大作戦」。3度目のわたなべ作画。 ミンキーモモの中でも特に大人向けの話、つまりパロディだらけ。 作画も爆発爆発爆発・・・と遊びまくっており、満足感がスゴイ。 引用下は「博士の異常な愛情」、ゴリゴリにパロディしまくり。 最後は爆弾にまたがり落下・・・そこのモモたちの作画がカワイイのだ! で、46話。「夢のフェナリナーサ」。前半の丹念な日常シーンとラストのパレード。   やっぱりミンキーモモは1〜46までですかね。以降のはちょっと乗り切れないね。だってモモ死んでるし。   『ミンキーモモを殺したヤツ』 ・・・・・ ムック本による46話解説。 一時的に打ち切りが決定したため、それまでの構想を変え、実質的な最終回であるこのエピソードが作られた。 いまさら解説する必要もない傑作である。ここで打ち切り以前の構想を紹介しておく。 最後の1クールで、夢を食い尽くす黒雲が敵として現れ、モモを追い詰める。 最終回、黒雲と戦ったモモは相討ちとなり、再び千年の眠りにつく。 その夢のなかでモモはフェナリナーサが降りてくるのを見る――というものであった。 ・・・・・ 湯山 ・・・あれは僕自身、いまだにどうなのかなって部分はあるわけです。 この最終的なラストに持っていくために本数がないと。もうあれしかないってことだったんだけど。 もうあれしかないってことだったんだけど。ただ、結果的に本数があった場合、モモを、もちろん 殺さないですけど、結果的にああいう生まれかわるという形にもっていくためには、かなりモモを 絶望させていかなきゃならないんです。この世界に。すると、あの軽い世界が、ドンドン陰々滅々の世界になっていくんですよ。 そういうふうにもっていったラストのほうがよかったのか。それとも、本当にあそこで、打ち切りとか そういった事情もふくめて全部、事故なんだと。で、そこから、現実的な事故のなかから、現実に生きる彼女が 生まれてくるっていう形の方が、よかったのかって。その気持ちのほうが、いまは大きいですけど。 首藤 僕はね、30話あたりから思ってたんですけど、どう考えてもね、フェナリナーサが降りてこれないんです(笑)。 フェナリナーサが降りてこられるような世界がね、どういう世界なのか。まあ、シナリオだとイメージで 書けるかもしれないけど、演出だと具体的にね、どういう世界なのかってのを描かなきゃいけないでしょう。 それがどう考えても、いまのあれだと、降りてこれないんですよ。そこをどうすりゃいいのかって ずっと考えてたんだけど、最終的に赤ん坊になったモモの夢のなかで降りてくるというね。 これはこの時点では、僕にできる精一杯の、ここまでくらいなら描けるってとこだったんです。 わりと納得したということなんですね。 湯山 そこらへんの設定は、わりと最初の頃からあって、たとえば王妃様。あれ、眠りの森の美女なんです。 出身は。で、彼女も眠っちゃう。現実世界に行って戦いに傷ついて眠っちゃったモモの夢のなかで降りてくる。 ラストシーンの赤ん坊の夢とモモの夢ってのは同じ設定にしてたんですけどね。だから、その前の時点でモモが死ぬか あるいは現実に挫折して眠っちゃうか、どっちがいいかというのは考えてました。 首藤 ただ、いずれにしてもあのペンダントのなくなった、ただの女の子になっちゃったモモって言うのは その先はもうないんですね。要するに普通の子じゃない、ただの・・・いってみりゃ化け物みたいなもんなんです。 現実のなかで、そうするとねえ、すごくかわいそうだった、僕は、なんとか、やっぱり死ぬしかない。 ただ、その殺し方についてはね、ちょっとまだ葛藤があるんだけど。でも、形として一度、魔法のプリンセスというのを やめてね、ちゃんと人間としてパパとママのところから生まれてくるというのは大正解だったと思います。 湯山 あの辺はただ、すごくヘビーだったんです、僕は。前半でもう本当に精も根も尽き果てたというか。 要するに、やっぱり大変なことなんですよね、ああいう主人公を殺しちゃうっていうのは。 首藤 どうしてもこうね、ある意味でね、生まれ変わるって事を見せるのは一種の自殺幇助になるんじゃないかっていう。 死にたがる子どもが現実にいるわけですよね。いまの状況にあきたらない不満の子が。それを 見せちゃったらもうアウトだってところがあるんです。で、生まれかわってきたあとのモモが すばらしければすばらしいほど、死への憧れを子供が持ちたがるんじゃないかと。そこら辺がすごくむずかしかった。 だから前半のモモの日常、幸福そうな普通の日常ってのをいかにバサッと切るか、これはもう、演出もたいへん だったろうと思うんだけど、すごくよくやってくれた。シナリオはわりとト書きが多くて、何々して、 本屋で立ち読みして、ホウキではたかれたとかして(笑)すごく延々と日常的なことをした末っていうんですけど それを、あの着替えのシーンからごはん食べるまでを、すごく丹念に追いかけて表現してしまった。 首藤 とにかく嘘にならないように、というのと、いまいった、死を美化するような形にしちゃいけないと。 本当にモモがかわいければかわいいほどいいんです。そういうものが一瞬にしてパッとなくなっちゃうというところはね。   つまりこういうことである。物語の整合性がつかんから殺した、と・・・ 怒りしかないね、ハッキリ言って。モモが死んで本作は伝説になって・・・で、一気に 魔法少女モノは単純な子供向けじゃなくて、高年齢層向けになった。 だからといって子供を殺す・・・やはりそれは禁じ手なんてもんじゃない、パンドラの箱なのだ。 戦争モノやヒーローものなら分かる。イデオンのアーシュラとか、セーラームーンとか、命がけで戦うアニメだから。   でもミンキーモモは違う。明るいおてんばプリンセスが悩みを抱える人間を助けて、失敗して人間的に成長するという ただそれだけのアニメだったのに。分かるよ、確かにテーマとしても、演出としても ここで殺すのが最善手であろう・・・だがしかし、最善手だろうがなんだろうが許されるもんじゃないんだよ、コレは。 後に繋がる死ならイイ。何か啓蒙される死ならイイ。アニメってのは夢とか希望とか与えるもんじゃないのか、特に 魔法少女モノなら絶対そうだ。 だがミンキーモモは、死んで「無」になった。 生まれ変わるが、それまでの記憶も何もかも、成長も全て失った。 我々は思う。じゃあこれまでの45話は一体何を見せられていたのか。   それまでの45話で積み重ねられた成長や失敗や恋、すべて無意味と化した。 人が死ぬってはこういうことだ!ってワケか? 少なくともモモは勿論、視聴者のことを一切考えない『独りよがり』であって、そして 「本当にモモがかわいければかわいいほどいいんです。 そういうものが一瞬にしてパッとなくなっちゃうというところはね。」 という背伸びした悪趣味性。こういう理論なりを考えるのはヨシとしよう。 でもそれを受けるのは幼い少女、12歳の女の子であって、それはもう無茶苦茶なのだ。擁護のしようもない。   少なくともコレは美化はもちろん、伝説や名作なんかには思いたくないね。 エポックメイキングだろう、衝撃的だし、心に残るエピソードである。 でも良い話だとは絶対に思いたくないし・・・深いとかいう言葉も使いたくないね。 46話で本来終わっており、しかもそれまでの全てが無意味であったから じゃあ49話以降の「夢の話」コレまた無意味である。 1から2になって、それが0になって、そしてまた1になろうとする作品である。 2の成長期と違って、0の無から1の有、つまり赤ん坊になるというワケだが その成長や内面世界を描いて意味あるのかという。 あの楽しい、つまり我々の知っているモモは63話を最後に 生まれ変わったモモが新しい自我を育んでいくにつれて、消えていくんだろう。 ここが一番残酷なのだ。 ミュージックビデオ。おそらく63話以降の未来世界。     生まれ変わったモモが大人になって、そしてある、どこか寂しい地に降り立って そこで一人ポツンと花の上に座っている子供のモモと出会う。               その子供のモモこそが死んでしまったモモだとしたら・・・?   悪趣味とか言うレベルを超えてるぜオイ。つまりアレか、死んだモモは 今なお一人で寂しくたたずんで・・・ふざけるんじゃねぇよ ずうーっと一人きり。寂しそうに・・・           一体モモが何をしたんですか!?悪いことしましたか!?   結局アレなんだろ 「本当にモモがかわいければかわいいほどいいんです。 そういうものが一瞬にしてパッとなくなっちゃうというところはね。」 という、そういう作家性の『ネタ』のためにこんな扱いをするんでしょ!? 最低だぜ、オイ。こんなことが許されるんでしょうか? あんな元気一杯な女の娘を殺しただけでは飽き足らず、ここまで徹底して大人の事情に活かすとは・・・ その点、リメイク版のモモはいいですよ、死なないから。 でもエイズとか、またもウンザリするような「地に足着いてない」設定を盛り込みやがって・・・ いらねえよ、そんな重苦しい設定はよ!これだからペルシャは好きなんだよ・・・重くないから。 少なくともミンキーモモは重いだけじゃなくて、暗いし、救いようがないし、何より後味が悪いのだ。   助けてやれよ。思いましたよ、かつて本編を見て燃えたあの日に。 小説とか色々出てるなかで、モモが死ななかった話とか作れよ、書けよって。 でも書かないしやらない。やらなかった。なぜなら製作側に助けてあげよう、救ってあげようという気がないから。 救ったら困るというワケなんですよ、しょせんそんなモンですよ、アニメ作家なんていうのは。   ムック本に人間になったモモの成長期みたいなイラスト集が載ってましたが 高校卒業式のイラストで、隣にレイちゃんみたいな娘が立っているんですね。   でもあり得ない。レイちゃんは生まれ変わったモモより10歳ほど年上ですからね。 モモが18のとき、彼女は20代後半なのですよ。 こういうところにも、極めていい加減で悪趣味な姿勢が見えますね。 何でレイちゃんに似せたキャラクターを隣に立たせたんですか?・・・そう問いたいね。   その後に「夢の中の輪舞」というOVAが出ましたね。劇場公開もしたヤツ。 これのチラシに「モモがまだ、みなさんと一緒だったころのこと。」とあるんですよ。 つまりモモが死ぬ前の物語というんですね。 コレもそうだと。死ぬことが分かっているから、ただ喪失感、「無」なんですよ。 この経験が彼女の何に活かされるのか。何もなかったワケですね。 人間の大人になりたいという事がテーマですけど・・・でもTV版が全てであって 本作のテーマはある意味後付であると。 この大冒険が終わった後にモモは死にます。   いやあ虚しいね。虚しい映画です。そして、それを作ったのは何を隠そうあなたたちです! ・・・ 製作 葦プロダクション、読売広告社 放映 テレビ東京系列 プロデューサー 大野実 加藤博 梅原勝 原作・脚本 首藤剛志 監督 湯山邦彦 ・・・ 本当にねえ、映画は泣けますよ。何か、切ないんですよ・・・カラッと出来ない。 そもそも49話以降のテンションはね、アレですよ、躁鬱みたいな。 あのデビルクイーン何て特にそうですよね、カラ元気、躁のテンション。   だから無理くりなノリで乗り切れない、それは確実に 46話でモモを殺した罪の呵責で震えているからですね。 大体打ち切らなくてもあのエンド予定って 製作側の都合だけじゃなくともバットエンドやないか!! 雰囲気もあるし、ちょっとセンチでノスタルジックな終わらせ方ですね。 確かにコレでも名作になったろうけど、でもビターすぎるな。モモは幸せになっちゃいけないんですか!? 大人に都合で不幸になる子供・・・どこまでも輪廻の世界ですよ。 スタッフ製作もろとも芸術の大儀に酔って本来の対象層を忘れているのだ。 つまり スポンサーへの八つ当たりで罪のない女の子を殺すなって事じゃ!   ともかく映画はパンフで首藤とか湯山とかが抜かした 「楽しんじゃった者勝ち!」何てノーテンキなノリじゃ見れませんね。 いやっパンフのこの2人のコメント機会があったら読んでみてくださいよ。 コイツら本当責任感ないな、ウンコを伸したウンコ野郎だな・・・思うからね。 湯山や首藤のポケモンとかはイイのです、ただモモは殺されました。 この罪は海よりも空よりも重い。 『ちょっち暗ーいので』 そーゆー大人のエゴから外れたところにモモの人気があるんじゃないかと考えます、ともかく、 キュートや。     82年スタートですから37年前ですね。37年前。もう50歳ぐらい?夢のプリンセスが生きとったらだば。   だからね、アニメでもOVAでも、「モモに免じて」いや 「モモのお陰で」 名作、最高傑作ということにしよう。 嫌いじゃないですよ、好きなんだ、ただ死んだことが・・・その面影に点数はつけられないけど。 彼女の徳でこの作品は守られていると実感します。モモの徳に、現世から感謝を。       (イッちまうぐらい愛してますね) TV版のアレコレ。まず会話やキャラクターたちに、監督の言うとおり純粋な悪人は一切いない。 だから気持ちいいし、楽しい。素朴なモモ、愛嬌のモモ、小山声もイイし 背景も音楽もセル画も、何より音楽がいい。絵だって作画が悪くてもカワイイし楽しい。   46話以降のせいで社会派とか哲学とか重いとか、思っちゃいますけど それまでのエピソードにそんな難解なムードは一切ないのだ。あくまで子供向け。 そして大人っぽさを難解でなく、パロディ精神に詰め込む、正しいと思うね。 まあなんといってもモモの愛嬌に尽きるわけですが・・・気持ちのイイアニメには違いないぜ。     音楽。主題歌エンディングともにイイですね。愛してます、ハッキリ言ってね。 ソング集もイイです。イントロも曲調も古きよき80年代を感じさせるラブ・イズ・ウィンドー。 スウィング スウィング 地球に も好きです。愛の歌ー。ゲスト三ツ矢の「魔法の子守唄」もノスタルジック。 最終話のラストは確かにジーンとくる。よき雰囲気があります、モモの徳がそうさせているんだ。 本当悲しいし寂しいし・・・ 仲間と会って、悪夢を打ち負かし   ママ、パパに抱きついて   ぐーっ としがみついて   涙を流すモモ・・・これが魔法のプリンセス ミンキーモモの最後の姿です・・・   温かく見守るお供4匹   そんな優しい夢を見ている人間のモモ   陽光に照らされて   ・・・   これでエンドマーク。 死ぬな、モモ!かえって来い!チクショーバカヤロー!!!大人のバカヤロー!!!!!     モモは夢を見ました それは人間になって 本当の大人になる日の夢でした   モモがまだ、みなさんと一緒だったころのこと。 パパとママが2人で旅行に出かけたのはいいけれど、二人の乗った飛行機が行方不明!?   おまけに不時着した島には、謎の超エネルギーが発生していて、それを狙う世界中のスパイが 続々と集合中!!さあ、モモの出発です。     この島には大変な秘密がありました。ひとたび足を踏み入れた大人は、子供になってしまうのです。 モモは不思議な少年ペーターと出会い・・・。   85年「夢の中の輪舞」。寂しいです。そしてモモは既に過去の人気者の立ち位置なので 85年上映のこのOVAにどれだけ人が来たのか・・・・同時上映がクリィミーマミですから ソッチを観賞する目的の人が多かったのかな?   ともかくどこか寂しい、そして過去の人ことモモを考えると その相変わらずのノリとテンションと愛嬌とおバカぶりと素朴さに、どこか断絶を感じてしまって とってもセンチ、悲しい――だから涙が出るというのだ。     死んだ娘を撮っていたホームビデオを見る・・・みたいな趣かな。   出だしの音楽が最終回の音楽です。もう悲しいです。 作品全体のノリにしても、TV版49話以降を躁鬱と書きましたね・・・それなんですよ。 やっぱりTV版全盛期のノリとは違う・・・ムリがある。 そしてどこか今風にはなれない雰囲気。今風ってのは85年の感じに、ですよ。 85年にしてモモは、既に昔の作品なのだ。永遠に82年のムードなんだ、それを強く感じました。   この作品は悲しいですが・・・それでも作ってくれてよかったと思います。 今思うとこの作品はモモの門出ですね、魔法少女OBへの。その為のオールキャスト、作画も最高、話も。   作画監督はわたなべひろし。全編を彼の落ち着いた作画で楽しめます。 スタッフの気合十分で作画はメガゾーンよりイイです。   ただ芦田さんのポップな絵柄もみたかった。 どっちかっていえば芦田さんのモモのがスマッシュヒットですかね、8話とか。 ピーターパンが出てきます。大人になりたくないピーターパンたちと 大人になりたいモモ・・・色々深いテーマが語られたりしますが、見所はモモ最後の活劇にある。             寂しいムードを吹き飛ばそうとモモは冒頭から大暴れ!踊って歌って、「あなたとわたしのタイムトラベル」。 そしてまたしても寂しいムード。志賀真理子の「オルゴールを止めないで」が泣けます。もう死にてえな。   (一番カワイイ) 一番グッときたのが作品後半 ペーターと子供たちが最後の戦いをしかける際に流れる音楽でした。 TV版の一番イイ思い出だけを引っ張り出された気分でした。得の知れぬ感動がありました。 レイちゃんやボーマンの活躍もイイのです。親も子分もみんなイイのです。 ラストは46話の予感を感じさせるムードで終わります。しっとりと・・・     (自分が大人になれるか、そう考えているのか それとも・・・)     ここ5分が『終わり』を感じさせる雰囲気ですね。 この作品は永遠です。寂しいですが、永遠です。それを言えるだけの かけがえのないエモーションがあります。   同時上映の短編集にも登場。マミと戦う生前のモモ。         海モモのTVとOVAにモモが登場しました。作画は悪いし、しかも 話自体がモモ関係ない話なので、なんでコレに出したの?と思っちゃいました。 彼女はあくまで生まれ変わったモモなんですね。楽しそうで嬉しいですが・・・       DVDの付属CDには2人のモモが楽しい掛け合いをみせてくれます。そしてそういうのを見ると やっぱりモモは小山さんにしか出来ないな、なんか納得しちゃいました。   好きなのは、認めているのは「魔法のプリンセス ミンキーモモ」だけです。今でも複雑ですね。   モモの活躍。 「TV版全63話」 「ミュージックビデオ」 「夢の中の輪舞」 「短編集」 これだけです。たったこれだけですがミンキーモモは永遠の「魔法のプリンセス」です。 永遠に大人になれなかった悲劇のプリンセスでもあります。 でもミンキーモモの笑顔はいつまでも人を、そして人の夢を、守って、育んでいくでしょう。   ま、色々あっても いいんじゃないか ねえ     LOVE LOVE ミンキーモモ お願いきいて LOVE LOVE ミンキーモモ お願いきいて 魔法のプリンセス ときめく予感  なにかが待ってる きょうのむこうに 時よまわれ 夢のお話 どんな私に 出逢えるかしら   おとなになったら なんになる おとなになったら なんになる Dreaming 夢が きっとかなうわ LOVE LOVE ミンキーモモ お願いきいて   また夢で逢いましょー センチな感じで書いたけど、結局「火垂るの墓」と似ている感覚なんだな。つまりは涅槃ですわ。 やっぱり永遠の子供ってのは色々メッセージ性があるのかな。大人は醜いとかね。 色々あるんだろう。でも、火垂るの墓は清太と節子の二人がいた。モモは、一人しかいない。 寂しいよな。俺にとってモモは涅槃だよ。火垂るの墓より寂しい、夢のプリンセスだよ。
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