ミュウツーの逆襲


 


  
個人的な体験を話すと、本作こそが俺の人生最後の映画となるはずだった。 クソ高いミュウツ―DVDを買う理由。それはポケモン――カスミに引っ張られて ネクスト・ステージに進む、という所信から。決行日前日に来ましたよ。21日。このDVDが。 なによりもエンディングを観たかったのね。あの有名なヤツ。あれでラストを飾る・・・まったく美しい。 だめだったけど。あれですね、気持ちよく終わらせてはくれないというワケですな。オシャレだと思うんだけど。 中学生の頃にテレビ大阪で放送されてたのを録画してたんだけどな・・・消しちゃったし、覚えてなかった。 ロゴが格好良かったのと、ポケモンバトルできるかな、とか、それだけ。   本作こそ、全盛期ポケモン映画の中で最も異色であり、最も深いテーマがあり、最もつまらない映画なのである。 そう、ミュウツーの島に入ってからの映画の内容は凡庸である。そこ以外は出色だったんだけど・・・ そういう意味ではルギア爆誕なんつのはね、エンターテイメントの見本ですよね。ようやってた。タケシいないけど。 本作だけが「ポケモンとは何か」を語っている。そして人間の「なぜ生きる?」をもそれとなく語っている。ポケモンって幅広いんだなーというね。 しかしこの懐の深さも、例によって世紀末のムードだったポケモンだからこそ成せる業であり、以降、そういう深さはなかった。   序盤は明るい。まるで天国のような様相。しかし中盤は暗い。それは背景もドラマも。それは終盤まで続く。 再び明るくなるのはエンディングの「風と一緒に」から。 序盤と書いたが、その前にプロローグがある。完全版であるから、アイとミュウツーの誕生が描かれる。 このアイの描写なんつのがね・・・あの、世紀末というか、セカイ系というか、ともかく出色。ポケモン映画としてはね。   あの、中学生の頃、アイが好きでえ、ネットで拾った画像をPSPの壁紙にしたり、絵とか描いて、友達に見せたりしてました、キャッ。   DVDで見ると、やっぱ画質もいいんだけど、なんかね・・・寂しいですね。ちょうどだから、俺の死の前日ですよ、感覚は。     本作ってムードから異様なんだよね。これだけ他のポケモン映画とは一線を画してますよね。特報からやばかったんだけど・・・ なんにせよ涅槃だよね、あの世とか、そういう飛び越えた、感覚。冒頭からそれが濃い。エヴァより濃い。もってかれましたね。   で、序盤。やっぱセル画はいいなと。色の鮮やかさね。すんごい綺麗で。サトシもカスミもタケシも可愛くて、キャラがたってますよ。   サトシのフレッシュさがいいね。あの、やっぱサトシはこのころが一番格好いいし、イケてるな。     ぽっちゃりなピカチュウもかわいいです。   中盤のポケモンセンターの雰囲気もいいし、大スペクタクルな航海もよかったよね。あそこの緻密な作画がすごいよね。     で、カスミが大活躍。すっごい気合入ってる色々。           本作で一番役に立ってないのはタケシなんですよね。ジョーイさん関連ぐらい。あ、ジョーイさん誘拐というのも異様だよな。   ポケモンセンターの小林幸子もうまかったね。格好いいし。ジュンサ―さんも来たりして。あのトレーナー3人も地味ながら出色の存在感だよな。 以降のポケモン映画でもああいう風なトレーナー、例えばデオキシスとか、出てましたけど、やっぱり濃い口の個性なんだよね。 ナチュラルな、そこらにいる強そうなトレーナー、それも等身大で素朴・・・やっぱ本作だけですね。それもなんか異様。 異様ですよね。あの、本作だけヒーローはいないんですよ。本作以降のサトシ君ってもうヒーローって感じでしょ。 でも以降のサトシ一行と違って、本作では、たまたまやってきましたって感じで、必然性がない。 だからあまりドラマがない。だから本作はつまらない・・・。その妙な地味さと等身大さが他のポケモン映画にはない新鮮さを与える。   サトシもカスミもタケシも普通のトレーナーなんです、本作では。それがエンディングでもわかるという・・・。 そこだよな。彼らは特別なんじゃなくて、あの特別な世界での一般人という・・・いいっすね。 これが分かるというところで、本作は出色なんだよね。 だからポケモン、人間の生きる意味どうこうっつーのは 世紀末の産物・エヴァンゲリオンと同様、「いたいから、ここにいるんだろう」みたいに 理屈どうこうじゃなくて、感情の部分、ある意味では適当だし、ある意味では悟り?みたいな。 そういう所で締められているワケ。だから説得力は各人がそれぞれに感じるべき。 ただ、上に書いた「サトシたち ただの人」な本作観は、みな理解する所だと思う。 もうね、ミュウツーどうこうはいいんですよ。まあ頑張れと。飛んでけ飛んでけというね。彼はハイスペックなんでね。 アイちゃんというドラマもあるし。しかしコレクターユイとかさ、コナンとかさ、アイってのは多いね。90年代後半。 オレのポケモンの思い出を語る。俺の最古から二番目の記憶っつーのが、ポケモンのぬいぐるみの中で埋もれてたって奴なんだよ。 で、最初のポケモン本編っつーのが、なんか、オーキドの川柳だったかしらね、ともかくソーナンスが割れていくって奴。 最初に行った映画がセレビィ。3歳の頃。母が泣いていたのを覚えている。もうあの映画館もないよ。懐かしいね。 で、そこからずっと、ルカリオまで映画は続けて見に行って、最後はポケモン欲しさにダークライ。 最初のゲームは小学校2年生で買ったファイアーレッドですよ。もう極めつけ。ハマりまくり。そのままエメラルド。最高だったね。 で、小3ですよ。DP。衝撃だったね。絶対おもしろいという。で、買った。もうやばいぐらいにハマったね。 その時からインターネットに没頭。ワザップとか裏技とかバグとか。で、ユーチューブを発見したってワケ。 2006年のユーチューブ。まったく驚いたね。あれは夜の11時。ドラえもんの映画があったんだ。中国語だったけど。スネ夫の顔がサムネだった。 それまでは動画サイトと言ったらおもしろフラッシュか、グーグルビデオかどっちかだったんだから。 そんなもん。小5からはイナズマイレブン・・・同年代とおんなじ趣味。俺のサイト見てもわかる通り、俺ってのは結局ミーハーなんだ。 映画でもアニメでも、当時すっごく話題になった作品ばっかりなんだ。だから時代の色が異なっても、楽しいんだね。 俺にとってのポケモンはDPまでだな。あれでギリギリって感じ。アニメではギリギリAGまでって感じ。 最高傑作はやっぱり初代〜金銀なんだろうね。だからポケモンというのは90年代まで・・・。   エンディング。風と一緒に。ここはポケモンを象徴するシーンなんです。完全なる現実逃避の世界。   そして、彼らはヒーローでもなんでもない、そこらにいるトレーナーにすぎない。それがここで分かんだよね。   あの曲ってのはすべてのトレーナーに向けた曲なんですよ。だから、本作のサトシ・カスミ・タケシというのは 我々なんですよ。トレーナーということでね。本当、本作ってのはポケモンのすべてを優しく語ってますね。           以降の彼らサトシ一行が歩く場面ってのは、完全にヒーローたちって感じなんだけど。 なんにせよ本作は最高ですよ。それは歪な内容どうこうではなく、その世紀末のオーラだったり 優しさだったり、なにより我々トレーナーたちに語りかける・・・俺は、サトシでもありカスミでもあり、タケシでもある、 無限の可能性に生きるトレーナーの一人ってことがね。何にせよ特報入りBD出しましょうね、早くね。   あと、カスミの発した「いるから、いるんじゃない」は、現実逃避をレットイットビー(ありのままでいい)へ解釈した名台詞なんでしょう。 何とも言えない余韻を残す、ポケモンシリーズにおいて「ポケモンというメディアへの接し方」を唯一語った、かなり重要なメッセージだと思います。 賛否置いておいて。 残るのは「僕らは楽しかった 思い出せよ 楽しかった」という想い出だけ。


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