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これまで書いた政治思想主張あれこれが間違っているとは言わないが、舌足らずなことも多し。 もし色々書くことあったら、ここに継ぎ足して書いていくのでヨロシク!俺が願うのは様々な喧騒の終焉! (ここで分かることは、内容の真偽でなく俺がどれだけ無神経な社会に揉まれているか、そして 一般庶民までもがここまで複雑な問題と立ち向かわなければならなくなったという辛い現実でしかない!) 辛い時代になってきた。昔のような明確な敵がいない。 明確でなくてもどこかにいるはずだ、それでもいない。 正義しかいないから。俺たち若者が手も足も出ない、それは正義、倫理観といってもいい、それにがんじがらめにされているから。 しかし、正義=倫理観、道徳、こそ、管理社会、ディストピアのお題目ではなかったか。 そう、俺たちは着々と完全なる管理社会へと歩を進めている。 俺たち自身が、または管理しようとしている輩がお題目を求めて。 じゃ管理しようとしている側が明確な敵なのかといえば、ノーだ。俺たちもまた管理側に回っているかもしれないから、無自覚に。 今、敵はいない。否、敵を探すことすらタブーな時勢なのかもしれない。敵を探す、なぜ? 仲良しこよしの世の中で、ついにそういう疑問が出てきているのか。 「敵を探したい人は単に好戦的だから」それもまた否定できない。 どこかに敵がいるはずだ、しかしいない。探すのも億劫だ。考えれば俺たちが敵なのかもしれない。 敵とは正義のことかもしれない。このジレンマを逃れるには自覚的に社会の輪から外れるしかない。 マネのまねの真似のマネのまね 作家のイメージ監督のイメージ音楽家のイメージ・・・そこから外れようとするやつがいない。 なぜか、おそらくそのイメージに憧れて、悪く言えば格好つけたいんだな。 作家なんて半世紀前には死滅してたんじゃないかほとんど。美しい日本語という意味でね。 彼らの振る舞いは作家って感じだ。文豪も文豪って感じだ。日本人って感じだし、知識人って感じだ。 そうだ、文化人だな。文化人、どんどん貧相なサブカルチャーまがいというか、自意識過剰というか 昔の作家ってのはね、なんか丸ごと日本背負っている感じなんだよな。器が広いというか。 ものすごいスケールがでかいんじゃないか。いろんな体験経験しているというのと関係あると思う。 だから振る舞いがいいんだろうな。でもそれが文化人とかの現イメージとなったから その後の、今ね、テレビ出たり本出したりしているヤツいるでしょう、 文化人、どんどん貧相なサブカルチャーまがいというか、自意識過剰な人たち。 彼らって同じように、または、もっと偉そうにしているんだよ。 品もスケールもない、日本人と自信を持って言える輩かどうかもわからない 知識も貧相な連中が、イメージままに、難しい言葉使って話そうとしたり、和服着てみたり、 超越したような雰囲気出したり、笑えるぜ、本当。作家になりたいんだろうな、文豪、知識人、文化人。 俺よく言っているように昭和35年以降に生まれた人間って同じだと思うんだよ。生まれた時からテレビがあって漫画が・・・とかね。 同じような顔の幼い連中が、器もスケールも小さい人間が、昔のすごい人たちに憧れて格好つけるんだよ。 すげー恥ずかしいんだよな、バカだろあいつら。芸人が作家になったじゃん。あいつも「作家」ってイメージにのっとったように変貌したしな。 作家って気取らなきゃ生きていけないのか。旧仮名遣いとかしなきゃいけないのか、キザとかじゃなくって、地に足ついてないんだよな。 音楽とか映画とかもそうだけど、なんでもっと違う方向行くやつがいないんだろうな。すげえ貧困だよ。 裸踊りしてます〜とかさ、そういうのいないのかよ。いないんだろうな。でも本当幼い顔した奴がわざわざ難しい言葉使おうと しているのは、違和感がすごいな。難しい話方したり・・・君たちにはもっとラフで簡素な話方があるだろうと思うね。 もうね、オタクしかいないんだよ、今のエンタメ業界には。この悲しさね。落ちるとこまで落ちたって感じだ。 フェミニストって権威主義っていうか、エリート主義というか、あくまで偉くなりたい輩の集まりなんだな。 あくまで一部の人間のためにある主義で、大多数の人間を幸せにする概念ではないんだ。 俺がやってほしいことはな、例えば今の労働環境、男性社会が作った忙しさだとする。週5、6で、8時間労働とかな。 で、あくまで女性を絶対に社会進出させろと。しかしこの条件ではできないと。 だから女性でもできる労働条件に変えろと。そうすれば男女関係なしに、9割がたの人間は救われるわけ。資本家だけが損をするんだけど。 つまり、こういう風に女性の弱い点を相手にぶつける、そして男性社会をひっくり返し、9割型の人間を生きやすくする・・・ なぜそうしないんだ?なぜかといえば、書いた通りプライドの高い女がさらに偉くなりたい方便だから。 偉くなりたいどうこうとかいう小さいことより、俺の言ったようなデカいことをすれば遥かに皆幸せになるのに。 そういう意味でフェミニストはプライドが高いだけのバカだ。白人至上主義と変わらない。 昔ならわかるが、今だに被害者面下げてフェミニストやってるやつは流行りに弱いかプライド高いか、いやらしい根性の奴だけだ。 やっぱりね、死ぬより生きることの方が大変だよな。 自殺未遂までいったときの感覚ってのは誰しも同じだろうと思うんだけど あのね、もちろんどこかの段階までは他人のこと、つまり家族だったりの事も考えるけど 最終段階まで行くと自分の事だけを考えるんだよ。死んだらどうなるのかとか。 つまり自分との対話、それだけ。肉体でも精神でもね。だから楽なんだよ。自分しかいないから。 でも生きるってのは自分とはもちろんだけど、他人との対話でもあるワケなんだ。 これは面倒くさいし辛いししんどいぜ。 そう、だから死ぬ勇気があれば生きられるとか アホみたいなこという奴いるけど、違うんだよ。死ぬ勇気は自分だけの世界でのみ適用可能なんだ。 生きる勇気はまた別もので、死ぬ勇気より面倒なものなのよ。 ま、生きることに勇気とか言ってるやつは病んでるんだろうけど。 なんだかんだいって惰性だよな。これですよ。 で、ほとんどの奴は他人と対話して生きるしかない訳だ。しんどいけど。でも俺が良く言う上位一%の 能力を持った奴とか金を持った奴は、そんなことして生きなくてもいいんだ。分かるでしょう。 だから彼らのほとんどが傍若無人とか血が通っていないとか思うのはそこなんだよ。ナルシストですよだから。 他人と対話しなくても基本生きていけるからね。それも自分の世界を作ることにより成立するワケ。 だからナルシスト。自分だけ。そしてそういうナルシストが世界を支配しているというのが現状だ。 一%のナルシストが99%の輩に、1パーセントの常識を刷り込もうとしているのが世の常。人の気持ち考えられないから起こる問題。 カスしか残っていないのカスを考える エンタメの要素ってあるでしょう 涙 汗 笑い とか もうね、今のエンタメってそれぞれの要素をグロテスクにまで妙にリアルっぽく描いて そしてそれで終わりなんだよ。分かる?それぞれの要素をドラマに絡ませてとかじゃなくて それぞれの要素だけが独り歩きして終わり。浮いているんだよ本筋と。少なくとも俺の目には浮いているようにしか思えない。 それは脚本でも演出でも役者でも能力がないからそうなるんだ。少なくとも総合芸術である映像文化においては もうかつてのようなちょうどいい融合ってのは不可能だな。客もダメになっているから。 いつからか分からんけど、この10年20年かな。泣く演技は思いっきりひきつるように泣く。 絶叫もひきつるように、笑いも、あとは残酷描写も。それが客に受ける。俺にはバカにしているようにしか思えないというかね あれなんだよ。客がいないんだ。自分の世界しかない。本来俺は、エンタメに出る人間ってのは、自分の世界も大事にしつつ 人様へのサービスとして芸を提供しているんだと思っているんだ。でもここ20年で違っているんだよ。 歌うたっているヤツ、演技しているヤツ、報道番組出てるやつ、上記俳優だけでなくってさ、 彼らは自分の世界しかないんだよ。俺たちのこと、人の事を考えないんだ。だからナルシズムしかないんだ。 つまり自意識過剰、気持ち悪いんだ。泣きの演技なんてそうなんだよ。本当90年代ぐらいまでの泣きの演技って 実写でもアニメでも心地いいんだよ。心地いい。それはドラマと融合しているし、役者も力があった、そして自分の世界と人の目の両方を意識できる奴らだったから。 だがいつの間にか、絶叫がナルシズムになり、うるさいし気持ち悪いしって、聞くに堪えないようになった。 少なくとも俺たちに聴かせようと思っての表現じゃないんだよ。それを良しとする役者がいて、スタッフがいて、客がいる。 そこでカスしか残っていないんだとね。中間がないんだよ。特に日本が最も大切にしていた中間な。極端じゃない生煮えの感情とかな。 極端から極端でしか表現できないし、客に残らない。これが今のエンタメ、創作文化の姿ですよ。 たまにテレビとかでアイドルみたいなよー分らん奴のドラマシーンとか流れて、独りよがりな怒ったり絶叫したり泣いたりのシーンが 流されて演技派俳優として活躍している彼は・・・とかあるじゃない。そういう現状なのね今。なんにもない。カスが喚いてカスが感動するという時代なんだ。 極端さえ上手ければ絵がつながる、演技力がある、そういうこと考えている奴ばかりなんだ。確かにエンタメだよな。 でも先はないし、というか今がその先なんだな。昔から言われていた。なんでこんなことになったんだろうな。 本来ささやかなシーンが一番うまいのが日本だったはずなのにな。それを全部捨てて各要素を独りよがりにしか描けない。 カスしか残っていない。ここ20年の文芸作品ってほとんどそれだもんな。泣き演技とかそういうのをリアルっぽくグロテスクにひきつらせて そこだけ浮いて、でも"なんかすごい"から観客は「これはすごい作品だ、演技だ」となって・・・もうやめよう、こんな話は。 情けないぜ本当。こんな世代、俺がいう昭和35年前後辺りからのエンターティナーはほとんどこれだから。 劇場版銀河鉄道999の最後の鉄郎の絶叫聴けば全部わかる。あれは自分の世界と俺たちの事を考えているから出来た芸術的にもエンタメ的にも聞き心地いい絶叫なんだ。 今やってみ、若手でも中年でも声優(笑)に。まともな日本語話せない連中に。彼らは極端に特化したアイドルですから、出来るワケないんだよ。 媚びたような声で一部は喜んで、他も脳死ですごいってなる、そんなナルシストの絶叫でしかないんだな。宮崎駿がある時期からの声優を嫌っている理由はそこなんだ。 精々聞き心地のいい役者なんて80年代までで、90年代以降は要素特化のアイドルが殆どを占めていますから。カスばかりが。 エンタメも人間社会もすべて苦しくなってきたのは、学習というか、気づきなんだな。 人間何かに気づいたら、もう前の「単純」にはもどれなくなる。それを繰り返した結果 俺たちは手も足も出せなくなった。自滅したんだな。知性の敗北なのか。 でもな、俺は思うんだ。俺たちがここ20年30年で気づいたことのほとんどがくだらないことだったんじゃないかと。 余計な重荷だったんじゃないか。俺はそう思うけどね。エースをねらえっていう映画みたんだよ。 すごいそれ思ったんだわ。もうエースをねらえとかそういう作品は出来ないだろう。 今やったらあの「単純さ」と熱血と真っすぐすぎる、線な、あれ全部ギャグとしか捉えられないだろう。 ここに俺たちが得たものと失ったものがある、それが分かるワケ。 俺が女に対して言ってきたことのすべてってのは、女を俺なりに愛したいということだよ。 そしてそれでいいんだろうと。でも今、ダメだという。こういう愛し方しかダメだという。 内田裕也が40年前に言った。「リスペクトしすぎると抱けない」。 分かるよ、女はすごいよ。立派だ。タフだ。すごい頑張り屋で、究極にシビアな世界で生きている。 しかし、究極にシビアな世界を作ったのは男で、だから男は加害者で、そして女は被害者であると。 それは違うだろうと。俺は何度も言ってきた。こういう被害者利権どうこう問題じゃあ 常にね、ひとまとめにするんだよ。つまりね、女はずっと被害者なワケ。今までの。 今の女どうこうを叫んでいる団体だったり有名人だったりが、女は被害者ではないと 言う時まで延々永遠女は被害者なワケ。ひとまとめに。一人一人の生き方、意識、関係なしに。 その時々の時代の常識と呼ばれるものそれが一つの答え、真実だと思っているんだ俺は、人類の営みの。 でも彼らはそれぞれの時代に良い悪いを選定する。そして今以前はずーっと悪い時代。 だから女は被害者なんだ。人間の営み、一人一人の生きざま、魂をなんだと思っているのか。 黒人もそうだろう。今までの黒人は全部被害者なワケ。 で、彼らが被害者にならないよーになるには、その、「こういう愛し方しかダメです」と言っている 輩が満足して、そう言わなきゃだめなんだ。でも来ないだろうそんな日は。もう利権だし。 被害者ビジネスな。ゴールがないんだよ、イチャモンつけてたらいつまでも正義のヒーローのままでいられるから。 だから彼らが叫んでる間ずーっと彼らは被害者なんだ。ひどい話よ。女も被害者な。 あのさ、今労働してるじゃん俺たち。基本辛いじゃん。イヤイヤでしょう。で、よく未来予想図とかでさ 日本だけでなくてアメリカとか世界でもそうだろうけど、いずれ人間は労働から解放されますとかあるじゃん。 じゃあつまり労働=辛い、ダメなことって意識は世界的にあるんだろうということと、そして何よりもねと いずれ労働から解放された世代はな、俺たち今の俺たちを、可愛そうな世代、被害者だったとそう決めちゃうんだよ ひとくくりに。許せるか?俺たちのの意識生き様血潮、関係なしに被害者。これがどんだけ残酷な問題が分かってくれるか。 俺は卑屈になりたくないんだよ。ナルシストもいやだけど。地に足つけてそれなりに爽やかにネチョネチョやっていきたいわけだ。 もし俺たち男がさ、「誰かによって」男も被害者とか公言されるようになったら俺はもうつんぼになりたいね。 そこまで落ちたくないというかね。男の辛いことを吐き出さないって俺は最高の美徳だと思うんだよ。 分かってもらおうと思わないという自意識過剰独りよがり、俺は好きだね。世の中辛いわけだ。 その辛さを延々吐き出す、それも社会的に、政治的に、勘弁しろよ、と。 でもな、女自身がどれだけ自分たちが被害者だと捉えているか、それが問題なワケだ。 大体どの次元で、どの意識、感覚、現実で被害者なのか、加害者はどこなのか。 何をしたら被害者加害者なのか。男女差別とかあるけど、何したら差別なのか。 俺は男女違う生き物だとおもっているからね。人間というくくりだけど。弱点も違うし欲も違ったりするだろうと。 男女差別とか男女平等とかタコなこと抜かしている奴は信用できないね。風潮的な綺麗ごと言ってりゃ気持ちいいという輩か 資本家のプロパガンダ、つまり男女共に奴隷にしようと、そこだろうね。違う生き物をなぜ平等にするのか。 そこの真意を分かってくれよ。社会における俺たちの生物人間性ってのは性別にあると思うよ。 産業革命により男女の垣根はなくなった、それはいいことなのか?それは俺たちを生物としてでなくロボットとして見なくなった、国家が、 そういうことなのではないか。また、地位を得れば負担は増えるし、地位を失えば卑屈になるし、色々問題があるわけだ。 俺が一番腹立つのはな、老人たちだよ。目につくところではアニメ監督とかな。基本美少女書いてマス書いてた連中が としとってこぞって女性を大事にしろ、それは分かる、でもそれは昨今のジェンダー論てきな見方で、 かつ彼らはエリートであって、つまりエリートの身近にいる女への意識なワケだ。 彼らもまた女=被害者、そういう姿勢なわけだ。そして常に男を下げる。エリートの女の生きづらさという どーでもいいよーなことでマウントをとる、彼らのしょうもなさ。それをマスメディアとかで発言する。 メディアってのは作り手もアナウンサー出演者ともに上位一割の奴らが作っているワケだろう。 しかしなぜか、それを下位9割の大衆に向けて放映する。そして大衆は彼らの情報を自分たちごととして捉えてしまう。 何故。成績オール5とってたやつらがオール3とかオール2とかの連中のことを理解できるのか?無理だろう。 長年の「大衆の味方」的メディアの洗脳が上手くいったか?彼ら監督たち、ま、他にも色々発言しているヤツいるけど、 彼らの意見がそのまんま今すぐなんとかしなければいけない意識として放映、刷り込まれてしまうわけだ。 しかし違うだろうと。俺は思う。男の女に対する意識は年を経て変わっていくだろうと。意識的だろうと 無意識だろうと、若いうちは性欲優先だ。まず間違いない。しかし年をとり性欲がなくなっていくと 女性に対する見方が変わる。おそらくこの点でのアニメ監督たち、宮崎駿とか富野とかの発言なのだろうが 彼らはABCDEと年齢を経験してきて、今の発言、今の意識が芽生えたワケ。そう、それで良いと思う。 俺も年をとって変わるんだろうなと思う。(大事なのは年を取って意識が変わる前に、挽回不可能な汚点を残さないこと。) なのにメディアってのはそういうことを言わずに、つまり段々があって意識が変わるとかじゃなくて ひとっとびにマウントなのか攻撃なのか知らんが結論らしきものだけを俺たちに提起するということ。 アイツらどんどん俺たちを生きにくくしているな。なぜだ。(モテない輩がチヤホヤされたら極端に女贔屓か)。そういうことだ。 戦争とかもおんなじだよな。戦争を生き抜いた人たちはABCDEと経験したからFを言えたのに 戦後教育では過程をうっすらとだけ教えてFだけ絶叫する。だから矛盾な輩が生まれたんだ。 反戦思想を持ちながら暴力はいい、パワハラはいい、虐めはいい、とかな。つまり過程を見せずに 過程だけ見せても理解できないから、ただやっちゃいけないことだと刷り込まれるだけ刷り込まれて、それが印籠になり、 違うことを言う相手を殴るだけ、という国家や思想のロボットと化す・・・同じこと。 結論ひとっとびに女を大事にしろ、リスペクトしろ、現状以上に。もうこれ以上女大事にするって、地雷かなんかかよってなもんで 女は増長するし、その中で女の被害者意識も増長、結論だけ言うマウントフェミニストが大事にされ そして本質無視の無意味な男女間の火花、そういうことなのだろうか。それを狙っているのか。 アイツら汚い部分を嫌ってきれいごと言うの好きだよな。意識がおかしいのよ。彼らからしたら女を大事にほめるってのは すごいことなんだろう。だからそれが他へのマウントになると思っているのだろうか。発言の棘はそういうのも見えるのよ。 何にせよ女はマウントの武器にもなるんだ。武器になった女は意思関係なしにどこに飛んでいくのか分からないけど。 で、よくさ、男目線で女を見ていた反省しているとかそういうこと言うやつもいるのよ。 何でダメなんだよと。男目線で女見て当然だろうと。女も女目線から男見るだろうと。 他にもいちいちね、男の方がね、「男はどうしようもない、女は本当に立派、素晴らしい」とかね。 言いたいことは分かるんだよ。でもな、なんかそれが基本スタンスになったら気味悪いのよ。分かる? 役者だったら三国連太郎、荒木一郎、松田優作とか女にひどいことした輩がこぞって言った時期があるんだけど 極端なんだよな。なんで自分の属性を卑下してまで相手を持ち上げるのか。負い目なのか。 これ言うと女から好かれるのかね。予防線?俺からすると何をビビっているんだということだよ。 怖いよな。女は怖いぜ、地雷どころじゃねえよ、ビビらせる何かがあるんだろうね。 俺はね、男は女を利用し、女も男を利用する、それが男女だろうと思うんだよ。それでいいだろうと。 お互い利用しあっているのさ。それを理解していなかった男や女がワーワー叫んでいるんだろう。 お互いの打算的な部分、それがこの世のダーティーな部分とマッチする。お互いのポイントも違う。 何がいけないのか。お互い利用するだけ利用しようぜ、それでいいじゃん、そのほうが生きやすいぞ なのにそれをぶち壊すのが男女平等論者や男女差別とかジェンダーとか資本家とか男女ロボット化とか そういう輩なんだ。 昨今の、男女のことすべてをジェンダーという言葉で絡めるってのは、俺はね、もう 男女間の仲を裂いて断絶させる、反出生主義者たちの陰謀じゃねえか、とか 資本家たちが男女ともにいい奴隷にしようとする方策じゃないかとか思うんだ。本当 長く書いてきたな、クソみたいな文章を。俺も何度か死を覚悟したことがある。その時常に頭にあったのは 母のことだ。分かる、女を大事にしようや、分かるよ、でもな、やっぱりそれは究極の優しさなんだ。 究極のやさしさは今わの際の感覚だと思う。子供のころ、熱が出て母を思い出して泣いたことがある。 でもそれはあまりにセンチすぎる。それじゃあ生身で付き合えない。俗世で生きている人間はそっけない優しさぐらいでいいんだ。 年寄りは女を大事にするし余命宣告とか、そういう奴も女を大事にするだろう。でも、今を、 厳しい現実の中、素面で生きている俺の中に女の三文字は、決してリスペクトする対象でなく やはり利用しがいのある戦友、といったところなんだな。これは絶対に譲れない。 俺にとって女は被害者ではないから。俺が好きな女優、キャラクター、生身の知り合い、彼女ら全員が被害者だったなんて堪らないからな。 俺が女を湿っぽいまでに大事にするときは年とったときか今わの際かどっちかだよ、それでいいじゃん。 昨今のLGBT問題な。俺がおかしいと思うのは、LGBTを被害者に捉え過ぎるということだよ。 これもまた利権が絡んでるんだろうけど、例えば映画で同性愛者の数が少ないから差別とか。 それはおかしいだろう、数の問題と捉えるのはおかしい。端的にノーマルと比べたら数が少ないわけで 絶対に出さなきゃいけないというのならばともかく、そうでないのに数で捉えるというのは変だろう。 黒人でもそうだけど、何でもいいのなら変に意識する方がおかしいわけだ。嫌なら自分たちで作れと。 それでビジネスでうまくいきゃいいわけだ。映画も創作もビジネスですから。 で、LGBTが出たらビジネスが上手くいかないとか、それは国民の差別感情だとか、それも違うだろうと。 人間にとって性の問題ほど大切なことはない。だったらば、妙なのが来たら見るのが嫌だ、そういう 繊細さも理解できるだろう。同性愛が怖いという繊細さな。そしてもっと言えば、LGBTを被害者と捉え過ぎているということだけど 彼らもまた異性愛者をおかしい存在だと捉えているかもしれない。見たくないかもしれない。分かるかな。 俺はね、同性愛者に思うのは、ゲテものだってこと。例えば昆虫食やってるやつって感じ。 うわーって感じ。でも逆に言えば、それぐらいのもんなんだよ。意識して見たくはないし、無意識でもあまり見たくないって感じだ。 でもそれぐらいのもんだよ。殴ったりバリゾーゴン言ったりしないワケで。大人な対応で済ませるわけだ。こっちからは遠慮というね。 嫌なのはクソマジメな文脈だったり自然な文脈だったりだな。クソマジメに昆虫食、自然に昆虫食、俺は嫌だね。 見てもいけるのは少女漫画的な奴かな。あくまで禁じられた恋とか、ファッション的でもいいけどね。 ともかく性の問題ってセンシティブ、繊細なもんだろう。なのにLGBTを異常に推す人々ってのは そこを理解できてないんだよな、理解してやっているともいえるけど。そういうことやられたら 俺は拒否感がひどいね。俺は異性愛を大事にしているからね。 中学かなんかで男子のテストの点数が女子より異常に低いって話あったけど 俺は性欲だと思うんだよ。つまりさ、男のいちばん性欲強い時期が十代じゃない。 で、一番強い時期に今、スマホメディアに様々にネタがあるワケじゃないすか。 こんなもん女子と同じレベルに勉強できる男どんだけいるんだとね。 男のオナニーって義務みたいなもんだしね。女のオナニーとは違うのよ。 確かに男の性欲と対になる重荷として、女には生理がある。それは一か月のうち一日二日時間をとられる重荷だ。 でも男のオナニーはもっとデカいんだよ。一日2、3回はあるかもしれない、ヘタすりゃ5回、もっと言えば毎日それが続くんだと。 で、オナニーは1分2分どころの騒ぎじゃねえんだよ。ネタを探し、一番いい状況で出そう、やるんだと。下手すりゃ一日潰れますよ。 それが高校とかでも続くんだ。分かるか、俺の言いたいこと。つまり学校とか社会、その仕組みが 俺たち生物としてのリンクとはずれている、俺たち生物としてのどうこうより精密機械としての存在だけを大事にしているということ。 そうだろう、一番性欲強い時期に座学をさせる。どうなんだ。そして女、会社が生理問題にどこまで柔軟対応できるか。 俺はね、ここにきて本件をジェンダー問題と指摘する奴らが本当の馬鹿だと理解したね。なぜこういう問題を男女差別とかいう クソ自意識過剰な小さい事件にすり替えるのか。もっと、社会会社学校国家が、俺たち生物としての本当を大事にせず 奴隷養成場と奴隷会社だけを後生大事にするのかという、社会構造に対する爆弾としての問題提起をなぜ行きつかないのか。 だからバカなんだ。あいつらは。ジェンダー問題って確実に資本家が大衆の敵になりたくないから問題を「すり替えて」話題になってるんじゃないか。 結局金だろう。余裕だろう。それがあれば男女間の問題は片付くんじゃないか。今マスメディアやエンタメ業界で 散々俺たち大衆の考え意識を変えようとバカ面さらして絶叫している芸能人たちetcがいるだろう。 あいつらが自分の首飛ぶ覚悟で資本家に楯突けばすべては解決よ。でも出来ない。反権力でもなんでもない。所詮あいつらはタレント・ロボットですよ。 タレントロボット!タレントロボット!操られ人形!人の作った歌を歌ってプロデューサにお世辞 テレビラジオじゃいつも ニコニコ! パラリンピックとか、バリバラでもそうだけど、どうもメディアの人間みたいにニコニコニコニコ出来ないんだよ。 ああいうのを自発的に見るのって、自分がああなったらどうなるんだろうという自問自答からなんだよな。 だから、どうも神妙に見てしまう。で、それが正しいと思うんだよ。ヘラヘラニコニコって、出来るかね? 素晴らしいよ、嬉しいし、でも、欠損した部分とか、やっぱ怖いんだよ。俺がそうなったらって、自問自答だよな。 そういう部分は消えないだろう、だから神妙に見るだろうこれからも。だからニコニコできる奴はうそつきか無神経だな。 枠にとらわれたくないってのがあるね、それは表面的なことではなくてね。 行先自由の看板を無視していきたいとか座右の銘みたいに書きまくってるけど 自由とか人権とか、嫌いだな。いつの間にか出てきた、誰か考えたか分からない単語がいつの間にか 俺たちの人生において最も大切な概念となってしまっている。ものすごく窮屈な言葉だと思うし 独りよがりで、押しつけがましくて、うっとうしい言葉だと思うね。で、コーユーことを言うと 「お前は人権によって生かされてる」とか正義に酔ったゴミクズ野郎に怒られるかもしれないけど、俺から言わせると こういうものが無条件に付与されているんじゃないなら、そんな世の中クソくらえだからね。 だからこの世はクソだと・・・、誰かと戦って、規範を守って、マジメじゃなければ人権を抱けないんじゃ そんなもん元々いらねえよと、思うね。自由もそう。戦ってでしか手に入れられないものだったら最初から ないようなもんじゃねえかと思うし。偽善的でうさん臭くて、本当邪魔だよ。いらねえよ、クサくてしょうがねえ。 資本主義の世の中で人権も自由もクソもあるかって。 それに、前に書いたけども俺たちが生きるとか子供を産むとか、自分の勝手、自分の世界の法にのっとってやっているわけでしょ。 それがいつの間にか人権頼みになってんだよ。分かる?俺たちの生の事柄すべてが人権という枠にひとくくりにされてしまっている。 やばいよ、これは。人間じゃないワケ、ロボットだよな。「人権があるから何でもいいんだ」ってなってしまってんだよ。 でもそうじゃないだろう、生きるすべての責任は俺たち一人ひとり、生まれ持った心だったり肉体だったり精神だったり 以外に背負わせることはできないし、そんなこと望んでもいないだろう。人権という概念の恐ろしいのはそれですよ。 いつの間にか自分の人生を「得体のしれない単語」に詰め込んでしまうということ。ここのズレがある奴とも話出来ねえな。 面白い話 世のなかに影響ある人って知的層と最下層の人間の二極でしょう。 知的層って、ま、エスタブリッシュメント、権威、エンタメ業界とかがそうですね。基本頭いいひとばかりで。 最下層ってのは、ま、よく市民団体が代わりに大声出してくれる困窮的存在ですね。 そーゆー極端な人間の思想や考えばかりが蔓延して、その中間、8割方の人間の意見が無視されているワケ。 昔からそうね。で、俺たち8割がたの人間って特に何も考えずに生きてるんじゃないすか。拘りとかね。 それを強いこだわりとか持つ人間があーだこーだといって俺たちに説教して・・・ 何度も繰り返してきた話だけど、悲しいね、面白いし。 で、俺たちにもこだわりがあるかもしれないけど、それはいわば上の人間が言ったことを日常として繰り返してきただけなのに いつの間にかそいつらの言うことが変わって説教してきたっていうことでの反抗っちゅーものがあるんじゃないかな。 自由とか資本とか 自由で資本主義で、一番得するのは才能ある人たちだろうと。 じゃあ才能のないやつが一番しんどいワケ。で、この競争社会、自由ってのがまた苦しいところ。 参加しろ参加しろという流れで参加し、負けてボロボロになっても、お前が決めたこと、とそーくる。 で、プライドばっかり高くなるんじゃないですかね。話変わるかもだけど、アメリカの主義とか考え方とか思想とか プライドの高い人間を育てる、そーゆー国作りなんだね。俺は危険だと思うけどね。批判は許さない、何でも裁判。 もちろん不当への闘いは大切だが、この世に不当じゃないことってあんのかって話。つまり、考えようによっては 何もかもが不当なワケ。プライドが高くなると、何でもケンカ腰、被害妄想、攻撃、ってこうくる。俺はよくないと思うね。 で、そのアメリカ式をすばらしいとかいって輸入しようとするヤツが多いからね、ダメですね。 本当、プライドばっかり高くなって、で、顔つきが変わって、当然屈折して負ける人間が多いですから、で、 周りが悪いとか、差別とか、そーゆーところに戦いを挑むとかね、虚しいっすよ。プライドなんて最低限でいいのよ、楽に生きることへのこだわり。 苦しい世界に行ってプライドを保ってって、そんな難しい話ないわな。でもそれを本気で捉えている奴が多すぎるな。 頭のイイ奴 学歴は直接関係ないかもしれないけど、でもフツーの大学出てるからって 難関高卒に勝てるかっていったら、頭の回転とか教養とかね、勝てないんじゃないすか。 俺はバカだから分かるんだ、頭のイイ奴が。芸能界とか頭のイイ奴ばかりだし、傾向わかるよ。 まず人生で一回でも進学校いってるやつってのは賢いね、やっぱり。 それは中学だけでもいいんだよ。小学校でもいいかもね。小学校の勉強を8割理解できる大人は 9割五分いるかもしれないけど。中学入ったらもっと違う。80%理解できるやつってのは6、7割ぐらいじゃない? 高校入ったら5割以下とかになるんじゃないですか、それほどまで勉強できる奴と出来ない奴の差って大きい。 あくまで80%理解できるかって話で、もしかすると割合もっと低いかもしれない。 だから、小学校はそれなりにできても中学入って一気に躓くやつは多いと思うよ。 例えば役者とかでね、昔の、高卒とかいますけど、難関高卒だからな。 既に国内上位20%ぐらいの能力はあるわけだ。10%と言ってもイイ。分かるじゃない。 どういうことかって言うと、大体そういう高校行くやつって大学も行くから。で、 そのまま大学と行ったら大体が難関大行けるんじゃないすか。だから上位20%と。ただ役者になりたい人たちは そのまま俳優座とか行ったり、または日大芸術学部行ったりとかね。だから日大芸術学部ってさ 所詮日大だろみたいなイメージあるけど、スゲー難関だったんだよね。昔映画関連の勉強するには 大学とかだったらそういうとこしかなかったから。深作欣二とかも県内屈指の難関校からの日大ってことで 東映じゃ割に冷遇されてたんだよ。そういうイメージから高卒=全部バカみたいなワケ分からんイメージがついたんじゃないか? 文系の勉強なんて覚えているヤツほとんどいないと思うけどね、大学は。ただマニアックな分野を広げて、 へーこういうのがあるんだ、っていう発見と築きだけだと思うね。だから大学行ったからといって根本の教養は変わらないと思うんだけども。 話が逸れたけど、よく松本人志とかが高卒がどうこういうけど、彼はなんにも分かってないと思うんだよ。もっと言えば 府内最底辺の高校だから、もう中学レベルなんだな。大学に行ったからってすごいってワケじゃないのを理解できないんじゃないか。 ショーンKというコメディアンが学歴詐称した時も、高卒なのにすごいタマとか言ってたけど、高卒とか関係ないのね、ショーンKは一応難関高卒だから。 だから松本人志は自身の最低学力だった高校を基準に考えすぎていて、それ以上の高校の方が多くて、それなりの高校ならば 高卒でもインテリジェンスで商売できるってのを理解できないんじゃないか?もっと言えば商業高校&工業高校=アホというイメージすらあるんじゃないか。 商業高校も工業高校も、アホ校もあるだろうけど、すごい難関校もあるワケで、やっぱそういうとこ行く奴はインテリですよ。 インテリ=大卒ってのもおかしいワケだ、総括すると。俺から言わせれば中学で進学校とか、高校でもいいけど、その時点で彼らはインテリですよ。 その時点で越えられない壁があるワケだから。少なくともしょぼい大学のトップは東大の最底辺に勝てるかって話、無理でしょう。 もっと言えばしょぼい大学のトップは難関高校の最底辺に勝てるかって話、これも無理だと思う。もっと言えば中学でもダメかも。 長くなったし卑屈なんで簡単に後の紹介。親が頭良かったら大体頭いいし、頭いい奴って目が据わっているし、で、格差社会が凄い進んできているんで 頭いい奴は運動も出来る、つまりバイタリティがすごいということ。反面俺みたいな馬鹿な奴は勉強はもちろん運動、バイタリティもない。 そこで分かること、俺こそが「人間」だということ。 映画の限界を考える。 前に万引き家族とジョーカーの二作品について色々書いてたんだけど、もっと煮詰めた結果 やっぱ映画の限界が分かるというもの。映画に関わらず創作とかエンターテイメントってのは 時代が進むごとにマニアックになるのね、細部が詰められるというか。そういう意味で、昔の作品と比べて いい意味でも悪い意味でも現実に肉薄、現実に限りなく近づいてきている。 しかしながら、だからこその限界。万引き家族、いわゆる社会派芸術映画。 いつまで続けるのかということ。つまり昔から社会派芸術映画というのが創作されてきて で、賞なんかとって、で、終わり。綺麗な映像、綺麗な脚本、演出、メッセージ。分かる で、それはいつまで続けるのか、と。限りなくリアルで、現実に近い、その芸術。 社会派芸術映画のインパクトって今も昔も変わらないんじゃないすか? 昔のがインパクト強かったとは個人的に思うけど、でも俺たちがそれを見て何かを感じるって それこそ学校の感想文に書くとか、映画レビューサイトで「知らなければならないと思った」とか それで終わりなんじゃないの?いつまでも。だって映画だし。所詮映画なんだと。 だからこそいつまでそーゆー社会派の芸術を続ける気なんだろうな。10年経っても20年経っても リアルっぽい映像の社会派が賞をとってすごいすごいみたいな、で、何になるんだろうとか。 限りなくリアルに近い美しい映像と脚本と演出で社会を語る、その事の限界ですよ。 昔の方が雑だったかもしれない。でも作る「意味」ってのは変わってないんじゃない? リアルになればなるほど、げーじゅつ(笑)ってな感じなのよ、現実と戦うとかじゃなくて。 パラサイトもそうかもしれないね。おもしろいけど、でも、だからなんだよ、みたいな。 もう映画に魔法とかかないと思うんですよ。文化としては20世紀に終わってるんだろうと。 これからは映画で説教、意識高い、映画で現実を変えろ、みたいな、政治思想の道具になるんだろうな。 地獄の黙示録が60年代に公開されてたら、とか言われてたけど、たぶん何も変わってなかったと思うよ。その程度ですよ。結局映画は。 それが21世紀に入って分かってきた。だからはったりとか、そーゆーのがなくなったんだな、魔法が。 是枝系統すごい嫌いですから。だからなんだよみたいなね。誰も知らないとか、賞が欲しいんだ、ってそれだけ。コロンバインのエレファントと一緒。 事実を芸術で捻じ曲げ、で、子供が主役だから変に感動する権威者が「これが芸術だ」とゆー感じで絶賛、あほかよ。たかが映画よ自慰よ。 ジョーカーは映画の限界そのものなんだよ。あれはジョーカーと言うコミックキャラだから成り立った映画だった。 あれを普通の人間にやらせたら、彼が周囲を扇動するシーンが入り込めないだろう「ありえないでしょさすがに」というのだ。 漫画のキャラだからできたこと。もしそれを等身大のキャラで出来たら映画の先が見えるかもしれないけど、ありえないわな。 だからこそこれが映画作劇の限界だと。あれ以上に突破はできない。もうね、基本的に映画なんて70年代まででいいんですよ。 80年代はだいぶ魔力薄れて刹那的なアイドル青春映画と技術によるSFX、楽しいけどね。 90年代からはちょっとダメ。光るのもあるし雰囲気もあるんだろうけど、もう終わりが近いからね。端的にベンハーとタイタニックですよ、違いは。 ここ10年の映像文化ってもう本当に無理だな。気取りすぎなんだよ。気取らないと生きていけないレベルで気取ってんだよ。 CMもね、なんでもそう。写真でもそう。自然とか、地に足つけるとかできないワケ。なんにもないヤツの気取り程イライラするもんはないのよ そいつが日本の代表ズラしてバカ面さらし、で、勝負とかでなく、当たり障りなく、終わる。世界中そうだけどね。インドだけじゃないすか?マトモなのは。 エンタメ業界すべてね、芸術もそうだね。所詮は虚構ですよ、でも昔は、痛みがあったと思うね。アナログ時代、それで戦争とかね。 もうないでしょう、虚構に次ぐ虚構、に次ぐ虚構。なんにもないワケ。なんにもないやつが何かあると錯覚させて、それははったりでもなくて 事務所とかそーゆーところで、嘘を100回言ったら真実になるという感じで推しまくって・・・もうやめよう、こんな話は。 映像文化が100年という寿命なら、ちょうどいい時期もあったワケ。そのラストが90年代辺りなんじゃないすか? 少なくともマトモに話せる、顔も、音楽もギリギリ・・・地に足着いていたのでは・・・俺が生まれたときには終わってたからね。 なんだったっけ、70年代の若者が八月の濡れた砂なら、俺たちを映画にしたら何にもない映画が出来るとか昔書いたけど、 本当にそうだよな。無気力ってのもあるかもだけど、気取った輩の何にもないやりとりで終わるんだろう。気取った音楽、言葉、演技、背景、映像。 その癖人間に何かがあった昭和とかそーゆー時代を否定してんだから、エンタメ業界、芸術業界etcを背負っている(笑)人たちはね。 自立とは 自立って言葉が最近ことに流行っているけども、俺はプロパガンダ的なにおいもするけどね。もちろん素晴らしい言葉なんだろうけども。 何をしたら自立なのか。そして何より自立してないと悪いのか、そこから自立していない=幼稚、これはどこからきているのか。 まず自立ってのは経済的とか精神的とか色々あるんだけど、もっぱら経済の自立がメインで言われていると思うね。 しかし実際自立ってのは人脈なんだ、つまりどれだけ相互で助け合って生きて行けるかっていう、それが自立なんだよ、基本的に。 でもそういうんではなくて経済の問題ばかりが表ざたになって、なんか自立=資本とか自由とか、いわばエリート(金持ち、才のある人間)は得して、 そうでない奴は、自立という言葉に惑わされて苦しい道に自分から進んで、で、自立していないって自分で判断したヤツをバカにする――みたいなね、 極めて、あれですよ「努力」って言葉と同じ不快を感じるね。 女性の自立とか言うけど、あれもプロパガンダですよ。昔書いた企業とか奴隷とかの話ね。 家庭に隷属するのと会社に隷属するの、何が違うのって俺は思うけどね。家庭に隷属するのは自立でなくて、会社に隷属するのは自立って、わかんないな。 どちらにせよ首輪をつけられているワケだ。捨てられないために俺たちは家庭に尽くしたり、また会社に尽くしたりする、何が違うんだろうな。 だから資本のプロパガンダですよ。実際聞き心地いい言葉だからね、自由とかと一緒で、ハリウッド映画にありがちなノー天気で無神経なワードだよな。 インテリシリーズ インテリってのは芸能人だからね、見世物ですよ。異常者だから、一割二割の数だからね。 俺が思うのは、まずね、インテリはインテリらしく生きろってことね、精神の問題で。 結構インテリから逃れようとするインテリってのがいるんだよ、おそらく本質的に 「俺はエリートじゃない、逆に抑圧される大衆側なんだ」みたいなことを思ってるんじゃないすか? 大卒後に焦ってそれに気づくというか、俺は「人間なんだ」みたいな。 で、映画関連にそーユーヤツが多いんだよ。長谷川和彦とかな。東大出身にしてはそーとー人間味あふれる楽しいヤツだけど 「俺はインテリじゃない、勉強とかしてない、俺は劣等生」みたいに東大出身を語りたくない奴なんだよ。 今村正平もボンボンインテリの癖に庶民を描きたがって、庶民になるために農業とかするんだよ。 そういうところから外れて、一般でもね、国立大とか出たりとか、難関私立でもね、もっと言えば難関校出全般でもそうだけど 内輪なのか何なのか分からないけど「俺はインテリじゃない、勉強とかしてない、俺は劣等生」みたいに言ってるヤツ多いんだよな。 自虐にしたら無神経だしね。腹立つな。いいか、インテリはインテリらしくエリートしてろって俺はいいたい。お前たちは生きやすいんだから、変に屈折しなければ。 で、そういう奴に限って本当のバカを見たら冷めた目で見たりひいちゃたりするんだよな。心のエリートが隠せてないよ。 ただエリートを全面に押し過ぎても問題なんだよ。クソプライド高いやつがいれば、浮世離れというか、ロボットみたいなヤツになるから。 だから映画で言うなら山田洋二とか高畑勲とかね。同じような顔してるけど。やっぱ人間味ないワケ。 人間味って、つまりずっこけだよな。ないんだよ隙が。で、極めて冷徹。小津監督の葬式で助監督がうるさかった みたいな話あるじゃないすか山田洋二、あれはダメだよな。高畑勲も散々周囲を苦しめた結果「俺が悪いんじゃない」だからね。 なんていうか、インテリって本当面倒くさいな。エンタメに振り切った奴は面白いんだろうけど少ないしね。 つまり笑われる事に抵抗のないやつ。 なまじ頭がいいからすげー複雑なこと考えて現実を変えようとしたり、自己憐憫いったり、自己陶酔、屈折、それが フツーの人以上に煮詰めるもんだから、良いことにしろ悪いことにしろ、やることが極端なんだな。 インテリはエンタメに振り切るか、バランスのいいところでエリート風をふかしてください。 一割二割を意識せず屈折するなよ インテリ層の文章って、子供のころからすごいんだよね。もうすでに俺なんか話にならねえって感じ。 構成とか、美しい日本語、流れね。で、そういう奴ほど人の上に立つヤツで、で、特集されるので、エンタメとかで だから目に触れる機会が多い、そして絶望するという・・・もったいたいね。あくまで一部のやつですよ。 日本語ね。考えたら日本語もなんでも、勉強でもそうだけど、頭いい奴が基本を作ってんだから 頭いい奴がそれに近いものを作れるってのは当たり前なわけだ。ただ頭いい奴ってのは一割二割に過ぎないんだ。 ともかくね、ちょっと破綻してるぐらいがちょうどいいんすよ、結論言えば大体の意味が伝わればそれでいいのだ。 本当インテリ層の文章ってほとんど芸術だからね、圧倒されるのは無理ないけど、挫けるな、と。あっちがむしろ異常者だから。 今の世の中の仕組みってのは頭のイイ人が考えついたことなんだよ。 だから、上に書いたように頭のイイ人がその仕組みに近づける――、そうなんだ、近いってだけでね。 背の高い人が作ったものに背の高い人がマッチするっておなじことで、何を言いたいかって言うと 努力ってのはないと思うね、頭のイイ奴が難関大に入ったって、それはそのまんまやっていれば入れたッてことだと思うね。 だから文章も、あれが一番「書きやすい」んだろうね、頭のイイ人にとっては。 俺にとってはバカな文章の方が「書きやすい」ってだけでね。で、努力って集中力ってコトだと思うね。 当然集中力も才能っていうか、そうだね。だから集中力の高い人=頭のイイ人だと思うんだけど じゃあ当然世の中の仕組みもまた集中力の高い人に有利に作られているわけで、うん、動かしがたいものを無理に動かす必要はないんだよ。 しかし教育にしろ社会にしろ、それを無理に動かせって説教指導してくるんだから、そらめんどくせーし怠いし辛いよな。 実例 ・・・ 内田裕也 中学二年生 中学生発明コンクール優勝 実験説明 ・・・機械化するにはクランク式。カム式、ポンプ等が考えられる。布地の移動を一層的確にするためには噴射ポンプとの連動も考えられる。 漏斗の制作にあたっても私は途端を選んだが、適切な材料とは言い得ない。ゴムが良いのではないかと思っている。形も円錐を選んだが、これも工作の都合からである。 ゴム製の半長円状とし、強く突いた場合中くぼみする位にしておけば洗濯物が重なって厚味を増した場合、 漏斗の突く力によって布をいためることなくゴムの弾性も利用できて好都合だ。 ・・・ 高野悦子 中学二年生 作文 私は高瀬舟を読んで考えたことは、高瀬舟縁起に作者が書いてあるように、「財産というものの観念について」です。 そして、あとひとつは、「今、死にかかっている人が死なれないでいるのを死なせたが、人殺しなのか」ということです。 まず始めに、「財産というものの観念について」です。 この男、喜助は、一般に思われている罪をおかして牢にはいったことと、島に二百文を持って流されることを喜んでいる。 なぜかというと、喜助は今まで住んでいた京都の町の生活─働いてもすぐなくなるお金、そして借金、財産というものは何もないこんな生活と、 時間がくれば働かなくても食事ができる牢の生活─島流しになる時にもらった二百文(私は二百文というお金の値を知らないが、 話のようすからでは少額のよう)、喜助は「このような大金は、持ったことがない」と言っている。 こんな喜助の生活を二通りで比較すればだれでも喜助と同じ気持ちになると思います。 しかし、そのころの大きな店のある人がその牢にはいり、二百文のお金をもらって島流しになったとしたらどうでしょう。 きっとイヤでイヤでイヤだと思います。しかし、喜助の京都での生活を考えると、まだまだ良い方だと思うでしょう。 つまり自分の位置を考え、上の方ばかりみないで下の方もみることが大切だと思います。 つまり、よくばらないで今の自分で満足するということです。 次に「死にかかっていて死なれない人がいてその人を死なせては人殺しなのか」ということです。 ズバリいうと私は人殺しではないと思います。カミソリの刃をさしたまま、血みどろになっている人がいる。その人は苦しくてしようがない。 「その刃を取ってくれ。殺してくれ」、わめき叫ぶ。私がその場面にいたとしたら「かわいそうだ」と思う。 そしてそのかわいそうだと思う心が、早く苦しみから救ってやろう、死なせてやろう、というふうに思うだろう。 しかし私はおそろしくて、カミソリの刃でできない。しかし喜助はその苦しみから救ったのです。私からみれば「偉いなあ」と思います。 高瀬舟縁起に、「道徳は苦しませておけと命じているが医学社会には、これを非とする」と書いてあるが、 私は、喜助の場合は、「医学社会にはこれを非とする」を指示する。しかし、後のいろいろな場合はわからない。 私はこれらのことをよみ、読書というものはおもしろい。そしてためになる。これからもたくさんの読書をしていきたいと思いました。 ・・・ マッスル北村 中学二年生 作文 自転車はとても素晴らしい乗り物です。自分の力でこいで、自分の行きたい所へ、どこへでも行けます。 家から学校へ、あるいはお買い物などに利用するには、最も便利な乗り物です。 友達といっしょに野山をサイクリングすることもよいでしょうし、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんの所まで自転車で行くこともよいことです。 ぎゅうぎゅうづめの電車やバスなどに乗るよりは、自転車の方がずっとさわやかで気持ちのよいものです。 交通混雑にまきこまれる心配もありませんし、その上、健康的です。自転車は決して危険な乗り物ではありません。ドライバーのうでと気持ち次第でどうにでもなります。 ここでは僕が自転車を通していろいろと経験したことを、おもしろおかしく紹介しています。どうぞ最後まで楽しんで読んで下さい。 そして、今後皆さんが自転車に乗るときにためになることがありましたら、役立てて下さい。そうして下されば僕はなおうれしいです。 この話は、今年の夏休みのホットなホットな僕の経験談である。 この夏休みに、僕は母といっしょに急用で親せきのおじさんやおばさんのいる大阪へ行った。 なにしろ、今年は祖母が亡くなったり、祖父の状態が悪化したりするなど、あまり良いことはなかった。 そのような理由の一つで大阪へ向かったのだが、僕にできるような仕事は一つとない。大阪の家の中に寝転んでいることもあまり好ましくなかった。 そこで僕は「よし、ここは一つサイクリングでもしてやろう。」と考え、おじさんから少しカッコの悪い『荷物運び専用の実用車』を借りて旅へと出発した。 『旅』と言うと聞こえが良いが、何しろ自転車なので往復合わせて70�q〜80�qの所へしか行けない。 とにかく、家の人が心配するので4時間ほどしか出かけられないのだ。バスや電車を使えば1時間半から2時間で帰れるところを僕はわざわざ自転車で出かけたのである。 運動のためと、サイクリングの好きな僕の心を抑えることができなかったためである。 一日目は大阪市をずっと東へ行った石切山という所まで行った。僕はあまり都会のむしむしした気分の所にいることは好きでないので うっすらと見える山並みの方へ向かって地図も見ないで走り続けた。そして途中、山の坂道で自転車を押したりして、苦労してようやく着いた所が、 ただの山の斜面の途中の“行き止まり”の立て札の前で、そこからひき帰して、しばらく行くと石切神社の門前にでた。別に来ようと思って来たのではなく、ちょうど2時間の時間がここでたってしまったのである。 ここからの見晴らしは素晴らしいのだが、おじさんやおばさんや母のいる大阪港のあたりはてんで見えなかった。 しかたなく自分の勘で走り始めた。何しろ地図からはみ出した所にいたのでしかたがなかったのだ。 ・・・ 現状のメディアSNS社会全般で見受けられる悪意 受け売り 「あまり運がいいとは言えませんね。主体的に考えろ、世界を見ろ、と強要するような空気があった。 高野さんのような、悩むのに不向きな人にまで悩むことを強要し、自分を攻め続けさせたという意味では、時代の悪意があった。」 学生運動の中、刻苦したあげく20歳で自殺した高野悦子について語った同い年の作家の関川夏央の言葉である。 今またそれが繰り返され、しかもそれは一部のインテリ層だけでない一般大衆、庶民にまで広がって行ってしまっている。 自から確固としたものを、インテリ層のねちっこい指摘にも負けず、風潮正論にも負けず 苦しみながらでも打ち立てない限り、非力なアイデンティティしか持てないという「やっかいな」時代が来てしまったのだ。 政治とかさ、「国民のためにあるべき」とかの建前を妄信しているというか、勝手に思い込んでいる、騙されている人いるんだけど そんなワケないよな。政治なんて一部の人間のためのものだから、昔から。議会政治前から、村とか寄合でも 政治っつーのは権力者のためのものなのよ。で、権力者に徳があるから民を生かすわけで そんなことは分かるじゃない、当たり前のように。我々の世代ってのはそんなこととっくに分かってますから。 そういう意味じゃ、俺たちの社会ってのは「こうあってほしい」の集合体なんだろうな。 俺が映画とかアニメとかに抱く感情もきっとそうなんだろう。問題はそれで現実に影響を与えようとするってことなんだ。 現政治でもオウム真理教でも思想でもなんでもね。内々で色々考えてる内じゃなんでもいいんだけど。 俺たちって常に時代を疑わなきゃいけないんだろうな、若者とかは。 人間ってどこでもいつでも適応できるワケだ、で、俺たち大衆庶民にとっては苦しい生活ってのが生きる場所だな そこですり合わせというか妥協したりして、そこに適応するんだよ。 しかし急に「もっといい場所がある」とか「妥協するな」とか言われてもさ、困るっていうか、人間の営みをなんだと思ってんだっていうかさ。 同じことを深作欣二だったりあの世代が経験しているワケだ。軍国主義だったのが急に翌日には戦後民主主義とか。 彼らはそういう軽薄な綺麗ごとに疑問をもって「人間の根源」を考えた末に「仁義なき戦い」を作ったワケでしょう。で、今でも受けてる。 綺麗ごと理想論の先に人間の根源があるワケだ。20世紀→21世紀って進歩じゃないんだよな、もしかすると。もち人間の根源ばかりじゃ社会は成り立たないから 綺麗ごとや理想論も必要だけど。しかしそれもすり合わせだよ。21世紀は人間の根源が潰滅する時代になるんだろう。 タリバンが強制どうこう言われてるけど、これも両極端に語れるんだな。 まず現状、どれだけの女性が本当に困っているのか。これが分からない。 インテリがどうとかじゃなくてフツーの人々。偏った見方でなくてね。 で、俺は全人類がどこかの企業に属している状態ってヤバイと思うのね。 ま、100年以内にそうなるんだろうけど、やっぱ色々プロパガンダ的なにおいも感じますよ、それだけでなくても。 で、強制どうこうの話だけど、日本とかもそうなんだよ。就活の話な。誰だって働きたくないでしょ。 でも、働かなきゃいけない。一緒じゃないすか、タリバンの女問題と。 俺たちは自由に思考できる。就活嫌だなとか。就職嫌だな、とか。でも、現実働かなきゃいけない。生きていけないから。 これは強制ではないのか?で、そこから外れて働かなかったら自分が困ると。デメリットね。 ニートとか、結局損してしまうんだ、そういうシステムから外れたら。自己責任ね。 女問題と変わらないんだよ、この思考自由 ながらの「強制」は。 大体憲法に「労働の義務」なんてイカれたこと明記してるんだから、日本は。 憲法九条議論より、こっちどうにかしろって思うけどね。 なんでタリバンの女問題をこういう問題抱えた日本とか、そーゆー国々が語れるんだろうな。 自分たちは正義だと思ってるワケ、なんの抵抗もなく。で、ハリウッド映画ばりに100%の被害者がいるワケだ向こうには。分からないのに。 で、いつものよーな、人類が常に繰り返してきたマウントね、こっちが100正しくて向こうが100間違っているからボコボコにするみたいな。 放っておくってのが出来ないワケ、ヒーローになりたい、色々利権とかがあったりする、そーゆー手前勝手な理屈でね。 で、皆が資本の奴隷となって、一部の資本家だけが肥え太り、終わり。いつもの。 世のなかってのは、今の五輪もそうだが、エリートたちがその異常に高いプライドを優先させ 俺たち庶民が何とも思っていないこと――ゆとりとか理屈じゃないこと――を強引に「差別」「偏見」等の強い言葉で 全否定し、そして俺たちはどんどん余裕をなくしていく――エリートは0か1かでしか物事を判断しない、政府機関、国際機関、俺たち庶民を支配しやすいから。 傑作なことに、多様性と謳われる前の時代の方が個性があったという皮肉(映画見ればわかる)。結局エリートのプライドの問題、つまり「俺を批判するな、否定するな」と。 俺たちがいくら個性的に生きろと言われてもどう生きたらいいのか分からない。1割のエリートだけが得をするんだ。 ある程度枠があった方が活きるのが楽であって、もしそこから外れても極端でもなければ、個性的と謳われた。 そもそも、ある程度の枠があるから「個性的」が存在するという当然の理屈なのだが・・・ 電化製品と一緒で、俺たちは何でも買っていい。しかし何を買えばいいか分からない。たくさんの情報から素人が取捨選択するのは至難の業だ。 だからネットや広告等で「みんなが買っているからコレが安心」と周りを見て買う。結局個性とか情報ってのは拡大しているんじゃなくて、 より大きな枠の中に括られるにすぎない。多くの要素を判断できないからこそ、周囲と指し合わせて同じことをするのだ、それが庶民の生きる術だった。 問題はそれでも「自分で選んだ」という意識が残ること。俺たちを個性的という言葉で騙し、上手く飼いならすにはとっておきだ。 エリートだけが真の個性を手に入れ、俺たちは個性を手にしていると錯覚した馬鹿なのだ。これから先もネット社会は「ネットで真実」ならぬ ネットで個性、ネットで多様性、とかのバカげた風潮が拡大していくのだ。俺は個性的だ=みんな同じことをしている個性(笑)だな。 これからの真の個性はどのメディア(テレビネット新聞インフルエンサーとかいう病原菌なる代表を語るバカとか)にもない自分の真実を見つけることだと思う。 国家や政府、世界もそうで、それら道徳を真に受ける必要はない。人間は社会性と個人性の二つがあって、もし社会性に自信がなくとも、個人性を犯される必要はない。 君のやったこと考えることしたこと、が差別的、偏見的、等言われても結局は世の中に普遍的な真実、正義などなく「俺はこう思う」のエゴのぶつかり合いのため、黙って自分自身を傷つけながら磨くことだ。 例を挙げる。子供を変な目で見るな。確かにそうだ。気持ちが悪い。しかしそこに道徳性はない。なぜか、まず、この世に生まれた時点で社会と言う名のサバイバルで生きることと同様 つまり野生生物と同じで、やはり殺し殺されの世界なのだ。だから子供だのオトナだので括る必要はない。子供も大人も人間にあることに変わりない。 そしてもう一つ、子供を守ろうという流れに道徳は一切ない。なぜか、なぜ国家や機関は子供を守ろうとするのか。それは奴隷を減らさないための方策なのだ。 彼らは大人になる。労働者になる、税金を払う、国力になる――それだけ。それだけだよ。もし本当に子供を大切に思っているなら 「こんな世界に子供を産むな」となるはずなんだな。何を言いたいかって言うと宮崎駿と藤子F不二雄等は正しいってこと。これから規制される可能性は十分あるが・・・。 美女より美少女、美男より美少女、これが真実だ!なんちゃって・・・でも俺たちがあの世にいくとして、そこにいる自分のイメージっておっさんとかお祖父さんとかじゃなくて やっぱり自分の若い頃の姿だったりするんじゃねえの?異常なプライドはそういう渇望も「差別偏見だ!」の魔法の言葉でぶち殺す、俺かそいつらか、どっちが人間らしいか考えてみてくれ。 同性愛ってのを創作に出すってのは極端でしか難しいよな。端的に数が少ないから。お互いの。 つまり異性愛だったら、主人公が男なら周りの女は基本攻略できるみたいなさ。だから余裕があるっつーか、ラフなんだ。 同性愛じゃそれが出来ないのよ。同性愛=にするには同性愛者しかありえない。 異性愛者との組み合わせは成就しないから。葛藤とかそれがメインになるしどうしてもシリアスになるんだよ。 そう、数が少ないからこそどうしてもシリアスにならざるを得ない。もしくは振り切ってギャグになるか。 中間がないんだ。数でいえばどうだろう、同性愛は病気ではないんだけど、身体障碍持っている人と 同数はいるんじゃないか、日本で。100万人はいるだろうと。もっと言えば1000万人いるかもな。 でも、だからと言って創作で必ず身体障碍もったキャラ出さなきゃいけないってワケでもないしな。 やっぱ同性愛キャラは難しいね。クランプはすごいよ、ナチュラルだしバカにしないし。でも、どうしても ミステリアスな雰囲気が出るんだよな。フツーってのが難しい。ただ同性愛シーンにおいては 少女漫画ってのはすごい学ぶところがあるね。 しかし同性愛者って、やっぱ違う人間だな。生き方が違うっていうのは絶対にある。 それは動物の本能からくる見方なんだ。やっぱ俺たちは下半身で生きているのだよ、意識の半分以上がそこにあるんだな。 生殖とか、異性、それが俺たちの史上の命題だからね。 そこから外れるヤツってのを奇異な目で見る、ってのはしょうがないわ。排除するなってだけでね。 ここなんだよ、排除するなとか罵詈雑言するなっていうだけの話をスゲーこんがらさせたのはどこのどいつらだよってことね。 散々昭和とか前時代をクサすメディアや大衆が多い中、おもしろいことに この令和の時代というのは、その前時代の遺産を食いつぶす時代なのだ。 今以上の進展はないから、そのスゴイ奴らのすごい遺産を、クソショーもない輩が食いつぶす、それがこれからの時代。 否定しながらね。昭和クソとか言いながら、やっぱエンタメじゃあ昭和に憧れてんだよ、何でもできたし。 映画とか、失笑ものだよな。なんにもないやつらが型にはまったように深刻な顔したり、昭和的なファッションしてみたり 恥ずかしいよな、でも恥ずかしいことを当たり前のようにやっている、それがヤバイ。その結果が五輪の開会式とか閉会式なんじゃないの? テレビドラマにせよ、なんだろうな、俺もバカだから人のこと言えないけど、バカとかじゃなくて幼稚なものばかりだよな。 サブカルっていうか、なんかもうね、まず東洋の匂いはないワケ。日本的でもない。欧米的なドタバタやカット割りを、 無意識なドヤ顔の馬鹿役者やタレント、芸能人がやっているというね、もうなんにもないのよね。今の時代は。 このデジタル時代、何かを生み出すなんてことはなくなるだろうね。規制していくだけでね。 子供を過度に保護する。子供さま、とでも言おうか。いずれとなりのトトロにしろ、あのベトナム戦争の写真で有名な女のコもまた モザイクがかかっていくに違いない、いったい何のために?もはや理屈でなく利権だったりするんだろうけど。 前に書いたように奴隷を減らさないための方策である。そしてもう一つは感情だ。俺たちは子供が、それは動物でもいいけど 子供がかわいそうな目にあっているのを見ていられない。女もそう。オッサンならどうでもいいかもだけど じゃあなぜ特別子供がかわいそうなのかといえば、それは俺たちの遺伝子、子孫を残すための遺伝子がそうさせているのである。 子供は可哀想=守らないといけない、そういう本能なのだ。 しかしながら、今の世の中、人間の本能=性と、社会構築、つまり資本主義社会、とのバランスが釣り合っていない。 子供を過度に守る、モザイクをかける、なぜ。子供は大人になり奴隷となる、資本の中で死んでいく。また生まれる子供はモザイクがかかる。 なぜか。性をどんどんタブー化し、道徳とか規範とか言う名目上で子どもをどんどんタブー化し そしてその先に何が残るんだろう。ただ資本により肥え太った一部の人間がいるだけ。人間は、生々しい存在はなくなり つまりゆとりとか余裕とかいうものはなくなり、人権とかいう俺たちが生来持っていたものに上書きするかの如く推しつけられた鬱陶しいライセンスが、 俺たちをさらに引き裂いていくに違いないのである。子供たちは何者かによってその姿を隠され、全員が箱入り娘と化すのだ。 俺たちには生きている状態と死んだ状態の二つしかない。だから何かをやったから人より上ということもないし 何かをやったから人より下ということもない。みな、同じレールの上を歩くだけ、だからこそ死んだらみんな同じところに行く。 辛い考え方だろう。憎いやつ、殺したい奴、いるだろう、なぜあいつらと俺たちが同じところへ?わかる疑問だ。 しかし、やはりそれは俗的な考えなのだ。俺たちが死ぬ際には俗を捨て、みなこの世の悲劇だったと悟りたい。 そういう意味で、この世に本当の宗教があるかと言えばないのだ。結局天国地獄など、俗世に生きる俗々人間が生みだした俗な概念に過ぎなかった。 俺たちに絶対正義はない。なぜ生まれ、なぜ生き、なぜ改善を図るのか・・・それは俺たちの自己主張、自分勝手、独善的な思想なのだ。 そうだろう、なぜ生まれて生きているのか、自分たちがそれを選択したからだ。国に頼まれたのか?もしそうでも、産んで育て、育てられ生きていく、それは自分の選択なのだ。 だから、生きている上でのあらゆる主張は「自分勝手」なものなのだ。なので、自分にとって100%正しいことでも、周りからしたら違うかもしれない。 つまり半々の割合での善、そして悪が主張には存在するということ。それを理解しない人、つまり自分の主張は天が、神が、人類が認めた100%の絶対的主張だという人が 世に喧騒を起こすのだ。当たり前、当然、常識、そういう存在しない事柄を猛進し、突き進む。だから、違う意見の人間は敵なのだ。そこで喧騒が起こる。 例えば生殖の問題。俺たちは子供を産むことは当然の事、100%正しい事柄だと思いがちだが、それは違う。確かにそういう機能が肉体には備わっている。 しかし、それをどう使うかは俺たちが決めて判断することであって、そういう機能があるから100%だと妄信するのは違うだろう。 男は女より筋肉がつきやすい。だからといって必ず誰かを殴ったり、力試しをする必要はないだろう。 女は産後、母乳が出る。しかし誰かに飲ませなければならない必要はない。それは理解するべきだ。 知性は危険 知性ってのはマウントってこと。世の中の喧騒紛争、つまり戦争とか政治戦争、それらは全部行き過ぎた知性人によって引き起こされたものなのだ。 大学でも見るだろうし、テレビでも見るだろう、文壇にも見るだろう、ともかく知性とは相手を如何に馬鹿にし、論破し、マウントをとるか そういう「武器」なのだ。言論とか、論戦、議論、すべてが喧嘩なのだ。大島渚が朝ナマで言ってた。「議論は戦争だ!」 そして人間、いや資本主義か、ともかく現在の社会では 知性人こそ持て囃される。そこに人格は重視されない。つまりどれだけ頭がキレるか、どれだけ世界をエリート好みに「変えられるか」がキーなのだ。 世界を変える、それは誰かが望んだことではなく、彼らが勝手に変え進み、それを進歩だと語り・・・おいていかれる大衆をバカにし、説教する。 知性は武器であり、愛ではない。ただ俺が言いたいのは知性を無視するってことじゃない。何事もほどほどがいいってこと。知性に限らず、何事もほどほどに。 そして、どんなに優れたジャンルに属する人々にもくだらない人間は大勢いる。どれだけ崇高な志があっても。大切なのは人格よ人格。 資本主義の弊害 知性の話にも結び付くけど、人より優れた能力があればそれだけで生きていけるのが現在の社会。 しかし、だからといって、その優れた能力がそのまま人格に反映されるワケではない。どういうことか つまり優れた能力から周りに持て囃される(あなたは最高!素晴らしい!変わらないあなたでいて☆ etc) という生き方をすると、生きるナマの苦しみを味わいそこから人格を形成していく大多数の人間と違って 人格矯正のチャンスがなくなってしまうというのだ。いわば協調性と言う奴。 知性派ならば、つまり勉強だけ出来ていれば褒められるのが世の中である、人格に問題があっても勉強ができれば周りから称賛されるのだ。スポーツもそうだ。 そして大学教授にでもなる、論文等知性が光ればこれまた周りから持て囃される、さて、どれだけ人格者がいるだろう、その界隈に。 芸術家なら、折らずに調子に乗らせた方がいいという出資者やファンたちの判断により傍若無人のまま成長するとか・・・。 今の世の中の恐ろしい点は、つまり絶対的な人気、権力、能力を持っている人間に限って 人間として問題があるんじゃないか、という疑問が沸々湧いてきてしまうということなのだ。 こういう人間は政府、国家、権力、または大衆をコントロールするメディアに持て囃されるが、だからこそ 彼らの狂った面に翻弄され、いつのまにかドツボにはまり込んでしまうというのだ、世界がそのまま。 資本主義、イカれた奴だから金儲けが上手いのか、金儲けがうまいからイカれているのか、なんにせよ大多数の人間にとって迷惑な話だ。 スティーブ・ジョブスとか、狂った奴がいつの間にかアメリカを、いや世界を代表してしまっている。 クソみたいな人格でも国力になれば、つまり大多数の人間には関係なくとも称賛するのだ、 そしていずれ狂った人格がそのまま浮き上がってくる発明、または進歩が訪れ、世界はそれを無条件で称賛し、どんどん世界は狂っていくのだ 狂った流れはこれからも続く。 権力は最低 今の世の中権力で何かを黙らせることは容易だ。しかし、それは良いことなのだろうか?つまり、人間というナマの存在に 何か絶対的な何かを置くこと、それが豊かな社会の、文明の、先進的なスタンダードなのだろうか?答えはノーだ。 議論の中に、例えば 専門家、大学教授が入ってくると、そこで話は終わってしまう。絶対的な奴がはいるから。 一つの権力、神の存在。 法律の問題もそう、弁護士が来たら?闘いにしてもそう、プロレスラーが来たら?軍人が来たら?言葉もそう、記者が来たら?小説家が来たら? 三国連太郎という役者は大島渚という映画監督についてこういった。「権力の衣を着ている人とは仕事をするのは難しい」。 何かの組織、ジャンル、権力に属する、だから彼らはその分野では神で、異論は許されない、反論した瞬間失笑を買う・・・ それが今の社会、いや、これまで続いてきた社会の本質だ。そういう中で天皇制廃止とかいう輩も出てくるのだ。 そして今では職業どうこうではない、人類そのものに権力を持ち合わせた存在が出てきた。いわゆるタブー派と言うやつだ。 日本でいう所の天皇、部落と言うやつだ。彼らに触れたら、後は差しさわりのないような事しか言えない。 間違ったことを言えば社会的に抹殺される(物理的にも?)。 現在では黒人、LGBT、女がそうだ。根本に触れただけで差別主義者というレッテルを張られる。彼らの被害者ムーブには 同調しなければ殺される。彼らは神になりたがっているらしい。常に称賛、心からの理解、あやふやは許されず常に100を求める・・・ そういう意味で男は解放されているのではないか。前時代の絶対的権力者ではなく、バカにされようが何されようがヘラヘラしている種族。 それでいいと思う、そのままでいい、バカにされて、コケにされて、鼻で笑われる存在でいいのだ、だからこそ俺たちはナマの存在でいられる。タブーにならずに済む。 黙らせるな、られるな 人格と芸術は比例させろ よく芸術と人格は切り離してみろというやつがいるが、俺は反対だ。人格者が素晴らしい作品を作る、そういう世の中であってほしいのだ。 じゃあ人格者とはなんだというかもしれない。つまり人格者とは人間性で慕われるヤツのことだ。能力ではなく、心で。 ヤクザでも人格者はいるだろうし、ハイジャック犯にも人格者はいたろう。どんな素晴らしい思想をもっていてもくだらないやつはいる。 そう言ったのが元新右翼の鈴木邦男だったり新ロマン派の野村秋介だったりする。彼らは問題の多い右翼界隈の中でも屈指の人格者として知られる。 どれだけ頭がキレようが、どれだけ美しい詩を、歌を、絵をつくろうが、どれだけ身体が出来上がっていようが、それだけの奴はくだらないというのだ。 基本は人格、どれだけ相手の気持ちを汲めるか、相手に怒ったことを悶々と出来る人間かどうか、トータルでいえば思いやりだ。 人格を無視した結果がこのざま 能力があればどれだけ人格が悪くても持て囃される、その限界がついに来たのではないか。 ま、逆を言えば、つまり芸能界を見ても分かるけど、どれだけ能力がなくても人格が素晴らしければ売れっ子になる・・・現状ね。 さて素晴らしい思想、教育、政治、能力を持った人の性格が悪かったら、俺たちの大半はそこから離れていくだろう。 そういう結果が、例えば若者の学力低下、政治離れとか、先言う芸能界がしょぼくなったりとか、がんばらない若者の増加・・・なんじゃない? インテリ、知性人=人格者じゃないことを知った若者はそれを回避しようと勉強をほどほどにしかしなくなる。 昔から創作とかでもがり勉は変わり者キャラだったけども・・・少なくとも、極端な知性は爆弾にしかならないということを知っている。頭痛くなると。 政治離れもそう、政治家=人格者というイメージだが、クズとアホばっかり、人類の中でも特上の自己陶酔と自己憐憫を併せ持つエリート集団 それを知った若者は政治から離れていく。政治家だけに限らず、活動家のイメージも同様だ。 頑張らない若者、つまり社会で必死こいて働いて生きてきた人間の顔、性格、根性が、今の若者からしたらいいものと思い得ないというのだ。 結局資本社会、人格より金を生み出す人間が重視される、偉い偉いと言われる人間は本当に俺たちが目指す境地にいるのか?答えはノーだ。 最近の自動車事故の容疑者みたいなやつだ、スゲー天才だけど人格カス。日本を支え作った奴だろうが、でも擁護できねーよな。同じこと。 結論言えば、現在の社会の堕落は人格の伴わない能力者と彼らを持て囃す権力の責任だとみんな気づきだしたんじゃないか? しかし怖いのは、世界、国家、そのほか権威権力のある場が認めれば、そんな彼らでも守られ、その狂った人格と能力が讃えられるということだ。 そういうことで、いよいよ人類そのものの限界を考えざるを得ない状況をお伝えしました。 女は冷たい エリートや活動家の女の顔はみな共通してどこか目が冷たい。もちろん男も冷たいのだが、女にはそれプラス絶対正義の輝きが見える。 つまり被害者の立場を自意識過剰に自覚することにより、自分は正義の闘いをしている――自己陶酔ともいえる。 さて冷たさ、女が自分より弱そうな男に優しくできるか、それも含まれるが、一番言いたいのは 女の後ろには常に権力があるってことだ。女が冷たいというのは、「法が自分を守っている」その自覚からくる権力の冷たさなのだ。 男が女を支配しようと思ったら簡単、暴力がある。しかし出来ない、なぜか、それは女の後ろには権力があり、女を守るから。 (ある意味、男が弱くなったのはどんどん法が男を締め付けるから。そんな現状で頑張る男はいない。) 一部の女の冷たさは権力と同化した冷たさだった。つまり人間がどこかいない。 もちろん、暴力から女を守るためには法しかない、という道徳的で切実な事情もあろう。 しかし、だからといってナマの部分を100%抹殺するのも非人間的と思う。 女にも言い分はあろう。しかし俺は思う。 最後に人間に残るのは肉体だけだと。それは男も女も理解するべきだ。法という冷たい鎧ではなくて。 おそらく冷たい女の大多数は自分を生々しい生き物だと自覚していないだろう。 名誉や権力や地位を求めることが至上だと思い、肉体の下品を一切脱ぎ捨て、神になろうとしている。権力からくる驕りだ。 彼女たちと、生々しさの中を生きている大衆の女とのギャップ。 だからこそ彼女たちは余り支持されないし、それでいいのだ。 肉体を捨てる、それは現実逃避、リアリティのない世界と同義だから。 リアリティのある女の目を見ろ、熱いぞ。真にリアリティある女はキモい顔してBL本を読み描いたりするヤツが最高峰だ。 肉欲、芸術、タブー、自虐・・・熱い女はどんどん増殖している!大衆は肉欲を求め、神を騙るエリートがそれを禁止する、馬鹿め。 らしさの強制などない らしさから解放されようとか言う活動家連中に言いたい、まず、らしさの強制などなかった。そして、そいつの人生の責任をとれるのかと。 つまりらしさ、とはそいつが世の中を生きていきやすくなるような、いわば世渡りの問題だった。つまり強制ではない。 そのほうが生きやすいというやつ。 俺は聞きたい、ひ弱な男が誰に必要とされる?ムダ毛だらけの女が誰に必要とされる? 勿論必要とする人間はいるだろう、しかし少数だ。俺たち人間の意識の半分以上がいわば恋、つまり異性等に向けられるものなのだ。 だからこそ男は自然と女の群れに入れば逞しくなるように背筋を伸ばすし、女は出来るだけ荒波を立てないようにする。 そのほうが生きやすいという方法論が続いて、「らしさ」になったのだ。強制とかじゃない。大体重い物を持つ人間が大体男なのは そのほうが手っ取り早いからだ。いちいち多数決で運ぶヤツなんているか?生物的にも人間的にも社会的にも最も合理的だ。 勿論マッチョの女がいたらそいつになるだろう。しかしそれも「らしさ」になるんでしょう、マッチョが運ぶ理由はない、と。 女に頼られたら何となく嬉しい、頼りがいのある男は何となく嬉しい、もちろんこれが絶対とは言わないが 基本この線で男女は生きているのではないだろうか、少なくとも大多数の男女は。難しいことはないワケ、で、それでいいと思うんだ。 ただ色んなことに言えるんだけど、メリットしか言わない奴は信用できないね。デメリットも併せていうべきだ、こういう政治思想を強制する奴は。 エリートの数が大衆の総意なのか? 近年黒人の地位、LGBTの地位、女性の地位など様々に議論されているが 政治家とか社長とか、幹部とか、そういう地位の人間がより出世し、偉くなったら地位が向上する、それが彼らの総意なのか? つまり政局や経済に大きくかかわらない人々には地位がないのか? つまり、彼らがいかに人生の充実していようと、それは地位向上にはなんにもつながらないのか? 地位=エリートの問題なのか?いかに彼らが人生楽しんでいようと、エリートの数が少なかったら彼らは悲しい人間なのか? 確実におかしいだろう。あの121位か何かの男女格差とかね。すげー無神経だよあれは。 蔑視は性からきている 女性蔑視どうこうはつまり男女の性なのだ。つまり性の根源はセックスだ。 セックスにおいて、そのスタンダードは男が攻めて、女が受ける、これがすべてだ。 セックスの際、男は余り声を出さない、快楽はあるが声をだすまでもないから。攻めの快楽。 女はどうか、声を出す、快楽が男より激しいから、受けの快楽。 女性蔑視とはこの男女の根源、生物の根源、そこからきているのだ。 無意識に女を劣った存在としてみる、それは生物としては正しいのかもしれない。 知性とかそういうんじゃなくて、端的に生物の本能、セックスからそう見るのだ。 そうだろう、どれだけ威張っていても根源においては受け身で、快楽マックスにアンアンいうのだから。 メディアとか周囲の目がある際に蔑視的発言をするのは耄碌、頭が悪いのだろうけど 心の中でそれをスタンダードにするのはおかしくない。 それもこれも、このデジタル、0か1しかない人間不在の社会と、生々しい生物としての人間との矛盾から出てくる問題なのだ。 大体蔑視ってなんだよ、神様として扱えって?フツーに扱えっていうんだろうが、フツーってなんだよ、対人でフツーをやっているやつってどんなのかね? いつまで続ける気なのか ハッキリ言って、これまで書いてきたことって直接俺に関係ないというか あったとしても枝葉、ささいなことなんだよね。でもこれは根源。つまり、いつまで続けるのか?。 俺たちはもう分かっているのだ。政治の限界も主義の限界も、だからこそ人間の限界も。 歴史の教科書、近代史だけ呼んでも分かるだろう、俺たちはおんなじことを形を変えてグルグル回っているだけなんだよ。 マウント、正義、潔癖、による修正、粛清、そして現代を肯定するために過去を否定――差別、犯罪的である、と存在すら許さない―― 暴力も禁じられ、人格無視な知性を用いた言論にも力はない、金持ちが肥え太り、エリートが権力を肥大させ、俺たち大衆は常にバカにされ、見下される存在―― これまでの歴史、そこで生きてきた人々が俺たちに教えてくれているんだよ、様々な限界を。ずっと繰り返してきたという現実を。 だから俺たちは政治から離れ、社会から、企業、資本、現実から離れた――もう無意味な喧騒を続ける気はない。 物事を変えようとすると必ず喧騒が起こる、それの繰り返し、上から号令をかけ、俺たちは説教され、俺たち同士で潰しあうと。 最後に何が残る?少なくとも俺はもううんざりした。 だから今、政治に何かを求めるやつはバカだと思うし、現実、社会、経済、すべてがそう。ついに俺たちはそこに到達したのだ、何もないこと。 半径5メートルを生きよ このネット社会より、世界レベルで思想政治喧騒考えたり、また国民レベルで発信し変化させようとする人が持て囃されたり なぜ持て囃されるかと言えばそれが風潮だとか、また、大スケールで活動する人は包容力のある立派な人間だという考えから。 これは違うのだ。俺から言わせると、大スケールで物事を推し進める人間は半径五メートルの日常に不満があるから、そうする。 つまり現実逃避なのだ。世界を目線する、国家、国民を考える、立派な思想、政治、と思いきや、そういう奴が立派かどうか、実はそうじゃなかったりする。 いわば日常を生きられないから空想、ファンタジー、地に足着かない冒険を始める、そしてアイデンティティを手に入れる・・・というヤツ。 半径五メートルを生きよとは、まず、俺が様々な現状に対し悩み考え絶望した時に解した衝撃の事実、つまり、世界を受信し考えれば頭がパンクするので そもそも俺たちは半径五メートル、いわば日常に接する人々とのコミュニケーションが万全なら問題がないということだ。 半径五メートルだけでいい、それだけでいい、世界のどうこうを深く真剣に、自分事として、道徳までを踏み込ませる必要はない。頭おかしくなるから。 で、半径五メートルに真剣になれば、少なくとも世界レベル、国家、国民、日常以上のスケールに進もうとは思わないワケ。 何故なら半径五メートルから既にしんどいから。半径五メートルでもひいひい言うのに、より以上のスケールなんて無理に決まっている。 だから大スケールで活動してる輩ってそもそもがおかしいのよ。なので世界的立派な思想持っていてもクズみたいなやつはいるワケ。例えば大学教授とかね。NPOも嫌いなんだよ。 崇高な思想、デカいスケール、ながら半径五メートルはどうか、そういうことなのだ。テレビネット新聞その他メディアに踊らされずに日常レベルのみを万全にせよ! 永遠の被害者だったのか? ここ数年で、黒人とか女とか、彼らってのは今までずーっと差別蔑視されてきた被害者だったということを知った。 驚いた。じゃあ、俺が好きな、いわば20世紀に活躍した黒人、女性は皆被害者だったのか。 今生きている黒人、女性も皆被害者なのか。そしてそれを自覚しているのか。そしてこれからもそうなのか 俺が何を言いたいかと言えば、それを認めている奴らがどれだけいるかってことだ。 今被害者ビジネスが蔓延しているよーに思える、事実そうだろう、色々な利権、英雄願望、被害者意識 様々なものが絡んでいるので、俺からすると彼らがその『被害者』という立ち位置から抜け出すのは無理だと思える。 大体基準がデジタルな数値だからな、50:50で初めて被害者じゃないみたいな、その上彼らは上ばかり見るからいつまでたっても満足しないだろうし さて、黒人にしろ女にしろ、「自分は被害者じゃない」と思ってるやつはいると思うんだよ。 それは卑屈なプライドとかじゃなくて、そのまんま、「そうだろ?」っていう意識を持っているヤツ。 今被害者を謳っている奴は延々被害者ムーブをするだろう。それが金になり、自意識になり、アイデンティティ、他者を罰せるから。 しかしそれが嫌だという奴が可哀想だ。少なくとも現状、黒人、女、もっと言えばLGBTはタブーな存在だから。そうさせてるから、一部の声とプライドと被害者意識の高い輩が。 触れたら褒めろと、天皇や部落と一緒で、触れてけなしたら社会的物理的に抹殺されるのだ。おい、女ってのは、黒人ってのはそんな弱かったのか? あの歌手、俳優、女優、クリエイター、政治、他様々・・・あいつらは被害者だったのか。原節子、梶芽衣子、フェイ・ダナウェイ、シガニー・ウィーバー、全員被害者。 彼らの生き方、思想、生き様、やったこと、すべて関係なしに「被害者」。 そんなワケないよな、あいつらは加害者でも被害者でもなかった。そのまんま、地に足着いて、生きてきたんだと。江戸時代の人間は被害者か?原始時代の人間は被害者か? 人間の営み、社会、無礼っちゅーか、失礼だよな。被害者なんて悲しい存在で括って、だから昔の人間=可哀想か?どう思うよ、なにをして加害、被害なのか。 時代が経つごとに何かが変わり、じゃあ前時代はすべて狂っていた、常に正しいのはネクスト、ネクスト・・・いったいどこに平静、自由、解放がある?今すら楽しめない。 残念ながらメディア他様々では被害者意識を訴えるやつらしか見えてこないので、それに反対する人間が見えないのが残念だ しかし、きっといるハズ、そしてそいつらこそ多数派だ!そう願うのみ、開き直らず、ひねくれず、群れることなく前を向いて歩くのだ! 正義を騙る奴がすべてを破壊した 正論とは何か?まず、そこはいい、(一応風潮としての正論・・・武力はダメ、平等、勉強しろetc・・・普遍的なワードの数々) ただ、正論なら何を言っても、また、どういう言い方をしてもいいのか?人格批判、嘲笑、冷徹、泣かせ、暴力、いいのか? いわゆる自分は正義で、つまり100%で、守護神だから、破る奴はゴミで、クズで、だから、正論の剣でボコボコにしてもいい――― ハッキリ言う、いわゆるヤンキー、不良、つまり教師にたてつく輩、また権力にたてつく、活動家、思想家、政治家にかみつく、 知性人にかみつく、世にかみつく、匿名掲示板でかみつく、またいわゆるネット右翼、そのほかそれに準じる存在etc・・・総括して世界(エリート)の敵扱いされている存在 彼らは皆、いわゆる正論の「慇懃無礼」を受け、だからこそ、その正論を誤った思想だと思い、だからこそ反抗するのだ。 立派な思想を持っていても優れた人格だと限らないのと同じことで、どれだけそいつが正しい認識を持っていようが、また知性を持とうが それらすべてが世の正論と呼ばれるものだろうが、それを使う人間がクソなら、人々は離れていくのだ。 正論を自分を高める武器だと勘違いする人間のせいで、その正論が、誰かにとっては正論でなくなり、その論をいう奴はクズだという認識になり だからこそ彼らは「敵」になった正論にかみつく、可愛そうで、哀れだ。いいか、正義を騙るな。語るな、じゃない、騙るな、お前も俺も誰もが正義じゃない。だからそもそも絶対的な「正論」などない。 ネット上とかでさ、「お前の親は可哀想だな(笑)お前多分低年収だろ(笑)ロクな教育受けてないんだな(笑)」とかさ、正義を騙る奴は自分が100だと思う、だから何を言ってもイイ、つまり傲慢だ。 断言する、世の中の喧騒のほとんどが正義を騙り慇懃無礼をやった輩の責任にある! 俺も皮肉と嫌悪と見下しによる正論でボコボコにされたことがある、そいつは見たこともないようなクズだったが、 権威と、立派な思想、優れた知性により一定の地位を得ていた――俺はそれで経済学、または社会学と聞くと嫌な気持ちになり目を背けるのだ。そーゆーことです。 教育ママの再来か かつて教育ママはバカにされ、問題視され、叩かれていた。 しかし、教育ママは自然発生したものではない、夫が家にいない中、子供を高めようとした中での結果なのである。 そう、物事のすべてには発生の理由、原因がある。しかし、教育ママを叩くメディア等はそれを受けても特に何も言わず。 今、例えば「女はああしろ、こうしろ」そういう言葉が完全否定されている。ドラマ等でそういう言葉を発する人間は愚かな対象として描かれている。 しかし、なぜ彼らがそれを言うのか、その原因理由を言わずに「みじめ」な存在として描写し、終わる。おい、これって教育ママの再来じゃねえか なぜ彼らは女はああしろこうしろと言うのか、例えば生きやすさ、男にとって都合がいい、偉くなるな・・・なるほど昨今の情勢と真逆をいっている。 しかしそれが正しいという時代もあった。つまりだ、国家、権力、または世間一般がそれを作った・・・しかし世界がすごいスピードで変革していく・・・ 同じことだ。教育ママという存在がメディアで出る前から、教育ママは存在した。その時は正しい存在だった、そうだ、だからこそ だからこそ、だ、間違った思想、意見、考え、などはない。ただ上が号令をかけるだけ。 そうとも、いつの時代も大衆はマウントをとられる側、説教される側、一方的な変化を受け入れざるを得ない側なのだ。教育ママの悲劇だ! そこでだ、なぜメディアは理由、原因を考えず、ただ大衆を説教するのみなのか。端的言えば軽薄だから。 「教育ママは虐待だ!」「女は自由だ」と言っていれば気持ちいい・・・つまり甘言言っていれば気持ちよくなる、そういう軽薄さだ。 そういう軽薄さ、つまり昨今のメディアが語る女問題を見るに、女って意思がない、バカだったんだなって思うね。誰かにやるなって言われたらやらないんだから。 それが多数派なのか分からないけど。メディアの軽薄さは、教育ママを、女の意思を、そのほか全ての出来事物事を卑屈な枠に括り、そして放り投げるだけ、これでいいのかーっ。 これが芸能界 そもそも映画でもなんでも、モデルでも、フツーじゃお目にかかれないよーなヤツを見る、それが芸能界だったんじゃないの。 顔がギュっと締まった、いわゆる2枚目とか美人とか、そういう奴の割合って全体で観たら一割ぐらいしかいない訳だ。 そう、ふつうにいない、そしてそういう奴らって周りから見ても、それは意識的に、または無意識にもでも、「あいつはすごい」となる。 背が高い、低い、体が細い、太い、すげー不細工・・・だけでなく、中身の能力もそう、他様々。 そこらにいない奴を見たい。それが芸能界。なのに昨今のルッキズムどういうってのはなんなんだ。美人どうこう、イケメンどうこうじゃない フツーにいない奴を見る、そのために金を払う、例えば映画とか雑誌とか・・・。そら、そこらにいるような奴もいるよ、いわゆる日常系。 俺は美の基準ってのは、理屈じゃないと思う。それが美なんだ。左右対称じゃない奴の方が多い。しかしたまに左右対称の、完璧の、彫刻の、神の如く奴が出てくる。 そいつを見て思う感情、それは理屈じゃない、美は理屈じゃないんだ、いいか、そこらのコインパーキング常連みたいな廃れたヤツ、日常ではお目にかかるだろーが いちいち金払って何でそんなもん見なきゃいけないのか、芸能界そのものの変革が始まるのか。それじゃ名前も変えなきゃ。能無し会。 平等思想がすべてを混乱させた 誰かが急に決めた平等という柔軟性のない0か1かのデジタルな一言の為に俺たちは戸惑っている。 「平等」とは人間を、ただ労働条件にあうようなロボットにし、資本社会の資材を増やすためだけのプロパガンダだと違うか? 平等とはなんだ?逆に言うと今までは平等ではなかったのか?平等とは何か? 平等とは対になるものが必要だろうが、例えば男女、対になるものがあるか? そもそも男女とは人間というくくりというだけで人間としては違う生き物だと思ってますよ。 男女が平等になり、そもそもその男女平等がどうなれば平等なのか。俺は今までで十分平等だったと思うね。 コンマレベルで平等を図っているのが現在だろう、しかし対にもならない存在がビシッと平等になるわけがない。 あり得ないものへ突き進むから喧騒が起こるのだ。ただ、平等=男女共にバリバリ労働機械となる=資本が潤う、だと理解はできるね。大衆のためのもんじゃない。 いつもマウント 世のなかがグルグル同じところを回っているというのは つまり支配マウントなんだな。自分が正しいから、世界をそこに塗り替えようと。 感じたのはオウムの問題だな。この世ってのは何が起きてもおかしくないと思うワケ、 それだけ最低であって最高なところなんで。だからオウムをやった連中を100%理解はできないけど 気持ちは理解できるんだな。俺の家族が被害にあったら怒りは感じるし怨むし呪うだろうけど 気持ちは理解できるんだ、それは世の中ってのを冷静に見ているからなんだ、何でもあり得ると、それと 自分もまた正義じゃないからなんだな。生きる、どう生きるってのはそれぞれが「勝手に」やってることなんだから 俺たちの意思一つ一つが「独善的」であって「独断」勝手なワケだな。つまり「こうあらなければならない」もなければ 「これはしてはいけない」もないワケだ。だから100%の正義がなければ100%の悪もないんだ。数の問題であって・・・ オウムの問題どうこうで感じるのは、それを非難する人間の独善なんだよ、マウントだよな。 自分は絶対正義だという前提がある、それを振るう、気持ちいい。それが現実の生々しさをかき消して、そいつ特有の絶対的善という虚構100%で 問題の本質を潰して、議論できなくしてしまうんだ。これが問題。オウム=アホの集団とは言えないんだよ俺からしたら。 この糞みたいな世の中、なにが起こってもおかしくないワケ、だがそれを認めたくないという独善がジャーナリズムの基本でしょう今。 上祐はうそつきだったが、彼を糾弾するジャーナリストたちの独善、彼らこそまさしくオウムになりうる存在だと理解できるだろうか? 絶対的善=オウム、宗教だった、これしかないと。そして世間にぶつける。オウムも、彼らも、本質は一緒だ。 絶対正義を振るう、気持ちいい、相手はバカだ、マウント、この世はクソなんだという本質を覆い隠すファンタジー。 そういう自分の無自覚なジャーナリズムが蔓延した結果、オウム以前に既にジャーナリズムは終わっていた。 キモい正義感、自己憐憫、自己陶酔、必要ない。ジャーナリストに感情は必要ない、ロボットでいい。 悪だと断定したものと対峙出来るのは善でなく、ロボット、ただ事実の羅列でしかありえないと違うか。 問題は立ち位置、エンタメ、TVメディア等食っていくため、周囲からの目。お前たちの気持ちはわかる、とは一言でもいえないという状況。 だからこそ100%の善と100%の悪という戦いでしか世の中は論が展開できない訳だ。少なくともメディアでこそそういう展開が起こるわけで で、TV等人々の関心を惹くスーパーメディアでこそそういうのが起こるんだな、問題ですな、それが閉塞感、断絶、マウントを生むんだな。 様々な問題があるんだ。 テロが否定され言論が・・・ 言論がすべてだという世の中、これは為政者の保身と、エリートの社会構築のため、といういう事実を忘れている。 言論、何でもいいわけじゃない。理路整然、知性、オーラ、様々に必要だ。結局エリートだけが得をする問題なのだ。 テロ、昔はたくさんあった。為政者とエリートたちを震え上がらせてきた。エリートもテロをやった。 しかし多いのは無知な大衆だった。難しいことは分からない、しかし俺たちの上にいる奴らが「クソ」と言うのはわかる。 そこでテロが支持された。今、どうだ。面白いことに、大衆の為と謳っているエリートに限って暴力反対、とこうくる。 言論だけだ、と。それはつんぼ桟敷に置かれた大衆を、さらに政治参加させないよう頑張っているようにしか思えないのである。 タブーを増やすな あれはダメこれはダメ、それを全部正義の名で売ってるんだから質が悪い。 そりゃ若者は元気なくなるし、何もしないわな。何事も「正義」で叩き潰されるから。相手が正義っつーイジれない対象だから、手も足も出ない。 タブーを増やすより減らす方が豊かな社会になるのだ。調子こいてバカやる奴が問題なんだけど・・・ おいバカ、 お前がバカだ という会話の方が愉快で、楽しい。俺お前の仲と言おうか。 俺は思う、俺たち庶民大衆から自虐や罵詈雑言を奪ったら、そこに残るのは「ただ悲惨で可哀想で哀れな存在」なのだと。 容姿イジリができなくなった不細工はただの可哀想な不細工として生き死んでいく。 自分でいじることも「ほかの子も同じように観られたらどうするの?」という正義により出来ない。 俺は被害者として生きたい奴は嫌いなんだ。卑屈というんだ。度を越えた問題は個別に反抗すればいいのだ。 泥沼の中で生きている俺たちが、その出自を恥じて終わるのは悲しいじゃないか。泥沼だからこそエネルギッシュにバリゾーゴン、相互に馬鹿にしあい、殴り合い、それでいいではないか。 タブーを増やすというのは、つまり地雷が増えるということで、そして俺たちは手足が出せなくなるということで、俺たちは税金を払うだけのロボットと化してしまう、それが問題だ。 俺はNHKを糾弾する。 世界で一番嫌いな名前はNHKかもしれないな。 クズですよ。マジもんのクズ。俺さ、昔はさ、民放と違ってNHKは昔の作品たくさん残してるだろうと思っていたワケ。 だって国民の税金で成り立ってるんだから。普通残すじゃん。民放より遥かに昔の作品とか残してるだろうとかさ。l 黎明期から全部残ってるだろうとか。吹替だったら60年代前半のヤツとか残ってるだろうとか。 全然残ってないワケ。77年から残すようにしてるらしいから、それ以前のはほぼ残ってない。 それ以降のも残ってないのが多い。民放の方が残っているというありさま。民放の方が作品を大事にしていたというありさま。 これは一体どういうことだ?結局天下りなんだろう。権力者一家で固めて高給取り。クソ高い税金のほとんどが彼らのクソ高い給料分。 作品作りはアリバイにすぎなかった。だから彼らに作品への愛着なぞ微塵もなかった。ここで彼らは言い訳をする。 フィルムが高かったから。だったら給料減らすなりなんなりしろよ。なぜ高給前提だよ。肖像権があるから。 じゃあ紅白の昔の映像は誰が残したんだよ。一人一人スタッフが録画なりそういうことやってればたくさんの作品が残ったんじゃないか? 愛情がないワケ。だから残ってないし、それを恥じてもいない。言い訳の嵐、連続。79年かそこらのマルコポーロの冒険というアニメも残ってないらしい。79年だぜ。 で、視聴者からの募集で映像を発掘し、クソ高い値段で売りつける。あのさあ、なんでそんなにDVDとか高いんですかね?民放と変わらない、民放より高いんじゃない? アーカイブでいつでも見れるようにしとけよ。それもイヤなのか?うんこだな。 やなせたかしが60年代に作った手のひらを太陽にとかも残ってないらしい。未だにNHKに協力するエンタメ人を俺は信用しない。 当時関わっていた人も絶望しているだろう。だって残ってないから、自分の仕事が。 今のNHKもクソだろ。もうサブカル局ですよ。エヴァとか流してたな、クソが。一部に媚びた美少女アニメ、チコちゃんとかいう口の悪い下品な番組・・・ 製作陣は地獄に落ちろ、だ。 被害性を売って運動するヤツを信用するな しょっちゅう言っているけど、主張のすべてはエゴですから。自分勝手。 それを自覚しなくてはいけない。そいつが生まれようが育とうがどんな生き方をしようが 国に頼まれて生きてるんじゃないだろう。自分で決めて今まで生きてきて、これからも生きようとしている。 誰に頼まれたんでもない。それだったらば、自分の暮らしやすいように世界を変える、こういう主張というやつは そいつの自分勝手な主張、理屈に他ならない。分かるかな。少なくとも善とかじゃないワケ。 そして主張の相手は、その相手の主張なのだ。つまり喧騒、マウントが必ず発生する。それでも 主張を通そうとする――大島渚はかつて国には罪があり俺たちには罪はないといった、それは違う。 それは確実に一方的な自己憐憫に過ぎなかった。俺たちは一切悪くない、周りが全部悪い、そういうエゴを 100%の善と皆が持て囃してしまったらどうする?その結果が現在の黒人どうこうなのかもしれない。 現状あまりにも被害者マウントが蔓延しすぎている。国単位で。大体被害者とはなんだろう。背が低いからいじめられた。 確かに被害者かもしれない、しかしそうならないやつもいる。人生の角度、見方の問題だ。 少なくとも極端な思想な極端な見方でしかありえない。そういう意味で、被害性を売って運動している奴は ずっと被害性のまま生きてきたのだろう。そうなると傲慢となるほかない。挙句自分を100%の善としている。 彼らの顔を見てみろ。自分は正義のヒーローという面。それだけでなく自己憐憫、被害性。 目がいやらしく、睨みつけ、口は曲がり、すまし顔・・・こういう奴が連日メディアに出たり、社会を変革しようとしている。 いつの世もそうだったのかも。こいつらいつまで続けるんだろうな、独善で回りを巻き込む喧騒を。 俺は被害性をもって傲慢に生きるより、加害性を受け入れて卑屈に生きる方がマシだと思うね。自分を綺麗な存在だと思ってるから被害性が生まれる。 人間と言う醜い存在だと自覚していれば、様々な加害性が浮かび上がってくるだろう。そうなると現実への一方的な介入なぞしようともならないだろう。 被害者マウント。 いつまでも被害者でいられて、つまり傲慢でいられるということ。便利。 戦争でも人間でもなんでも。しかし問いたい、いつまで続けるのかと。100年?200年、バカだなー人間って奴は。 アニメは史上最強だ。 アニメは宗教とも言われる。芸術でもある。宗教は芸術的である。しかしアニメは・・・ アニメのすごいのは禁欲的でないこと。なんでもいいんだ。 現実に見切りをつけ理想だけに走れる――永遠の少女、ニキビ毛穴等なし、都合がいい(笑)――アニメが世界の頂点となり殺人が起こるのはそう遠くない。 いつの時代も社会の中で規範や正義を確立し、そこから外れる奴を叩く、ずーっと繰り返されてきたよな。 ただ正義なんつーものはないんだよ、普遍的な。つまり俺たちの正義だの常識だのってのは 上の人間だったりが「こうやれ」っていうことで染みついて洗っての繰り返しなワケ。 世の中両極端で出来てるから、良いと言えば良いし悪いと言えば悪い、だからなんにでも染まれるんだ。 つまり同性愛がキモい扱いながらも社会のスタンダードだったのが、上から「やめなさい」ときたら 社会のイレギュラーになったと同じでね、他にも宗教、食べ物、生き方――食う寝る出すで良かったのが いつの間にか「やりがい」「生きがい」を見つけなければいけない・・・で、また、生きてるだけで丸儲け、みたいな――とか、歩き方、考え方、異性への接触等々 歴史ってのは変化変化の連続なワケ、だからさ、普遍的な正義も常識もクソもないんだよ、ただアナタそれぞれにのみ存在するだけで。 勿論自分の中で何か社会的に「意識」してしまったら、前の感覚は戻らなくなり、本当に社会意識が100%正しいんじゃないかと考えがちだ。 分かる、わかるよその気持ち、しかしそれは、まず俺たち人間が社会的動物だからという意識からでしかないワケだ。 だからもう一つの側面、つまりプライベートな領域の問題に至っては、自由だ。その点をしっかり分けて考えよう。 自分が好きな作品が社会的風潮、正義常識によって非難される→意識してみると確かに非難に値する→しかし他者に侵されない領域ではモーマンタイ そもそも自分がそれを好きだという理由が「社会的」なものか「個人的」なものか、それを考えてみるのも大切だ。 本気で、社会的な意識で旧来の価値観を叩くヤツってのはほとんどいないと思うね。ほとんど愉快犯だと。 なぜなら今を楽しめなくなるから。どういうことかというと、昔の価値観を叩くというのは、つまり今の時代の価値観もいずれ叩かれることも理解できるということであって じゃあ今の価値観を疑わざるを得なくなり、じゃあ笑えないし、楽しめないし、それじゃ首括った方が早い、ということになるから。 だからね、今も昔もそうかもだけど、自分を絶対的な存在だと、つまり正義とかの立場において何かするヤツって 社会の為にやってんじゃなくて自分のためにやってんだよね。だって自分は殴られないと思っているから。 そういう意味で旧来の価値観も自分の立ち位置も慎重に考えるべきね。 大きく結ばず 小さく縛れ よく女問題黒人問題LGBTまた男問題もそうだけど、そういう問題を複雑に考えた結果 「男は糞だ」「女は糞だ」etc・・・になってしまう奴がいる。それは危険なわけだ。 韓国問題があったとして「韓国は糞だ」になってしまうと同じなんだ。 やはり問題を大きく広げて、そこで煮詰めてしまうと廻り中敵だらけになってしまう。 だから小さい部分のみを敵にしなきゃ、敵にするんなら。韓国なら、 韓国とか韓国人とかじゃなくて「韓国政府」が悪い、とかね 男女どうこうならば、「資本主義」とか「政府」でもいいし、「下半身だけ」とかね(笑) 俺も昔は、一つの問題を全体に置き換えて勝手に敵を作っていたが、やはりいけないね。 メディアはそういう意見が多い、それで食っているから、メディアに出るやつは極端な奴が多い。 いわゆる思想で飯を食おうとすると極端なことでしか出来ない、というんだな。 だから極端に飲み込まれる奴は1つ可哀想ではあるんだ。 ある種、男の理想像って内田裕也じゃない? 理想像ってのは「こうなりたい」ってことじゃなくて、こういうもんだろ、っていう感じ。 内田裕也がいてもいなくても、もしかして日本ロック界の大局は変わらなかったかもしれないけど いたら絶対にその界隈が楽しくなるという、そういう存在。 よく女だけで生きていくことはできないとか言われるけど、それは違うと思う。生きていけるっちゃ生きていけると思う。 しかしつまらないと思う。女ってすごい天才もいない代わりにすごいバカもいないから、平均では男より賢いワケじゃないですか。 ま、上りもせず下がりもせずという・・・だから男の存在意義ってのは「刺激」なんじゃないすか? すごい天才もいればすごいバカもいる・・・それだけでなくて、少なくとも女にはない過激な「欲」を持ち合わせているからこそ 女に迷惑をかけることも、楽しませることもある・・・そうだね、やっぱ男ってのは刺激物、そのものでしょう。 だから女ってのはいろんな意味で母体だな。それだけでも楽しめるけど、付属品があった方がより楽しめるというね。 おもちゃで言ったら戦隊ものの剣が女ですよ。その剣にスラッシュしたら読み上げが変わるとかいうカード類が男。そういう感じ。 資本主義の弊害・・・ 今女性の社会進出が推し進められてるけど、これが完全に成立すると まず専業主婦はありえなくなる。人間生活保護とか楽する人間は許せないから これまでは働くか専業主婦どっちでも良かったけど、これからは専業主婦は「自立していない、女の足を引っ張るな、ニートじゃん」 という風に糾弾されるようになるだろう。選択肢が減るということ。 そして何よりもやばいのは、人間が全員どこかの企業に隷属するようになるということ。 今は男ほとんど、女半分そこらが企業に隷属しているが、女が完全に社会進出すれば 俺たち人間は企業に奉仕するだけのロボットとなり、社会からゆとりが消え去るだろう。 俺はやはり、女性の社会進出を推し進める裏には企業が奴隷をより欲しがっているというプロパガンダも含まれていると思うんだ。 専業主婦という名のゆとりよ。成人全員が企業に勤めていないというゆとりよ。 やっぱりね、企業で勤めることイコール自立とか、輝いているとか、プロパガンダですよ。 最近自立って言葉があやふやになっているな。基本人脈って意味なんだけど、経済的自立だけ取り上げられてる気がする。これもプロパガンダだ。 庶民の為の政策じゃないのよ、企業ですね。 エリートの言葉を真に受けるな 右翼も左翼もフェミニストも極端な思想に影響される人ってのは 自分の尊厳回復のためにそうなったんだと自覚しなきゃいけない。大層なところへ属することで自分はすごいんだと思っちゃうという奴。 少なくともそういう思想が自分を幸せにすることはないよ。だって極端だし。内容如何に関わらず極端な思想ってのは マウントをとれるかどうかという問題だから。だから敵対と囲い込みとマウント合戦に終始して顔つき&性格が悪くなる。 いずれ、いや、もともとあったかどうかよくわからない国への憂いが、いずれ手段と目的が変わり、敵を倒せれば何でもいいという風になり 自分の属する集団が間違ったことをしていても、それでいいんだという風になるんだと。 エリートの言葉を真に受けるなとは、しょっちゅう言っていることだけど メディアがトーゼンのように発している言葉がそのまま一般庶民にとってもそうか、それをいったん考えろということ。 テレビに出てる人間、ネットでも同様だけど、エリートばかりですよ。なぜ彼らが我々大衆面をしてことを話すのか。 総理大臣がカップ麺の値段答えられませんでしたね。同じこと。上の人間が下の人間のことなんかわかりようがない。逆もそう。 学校でもさ、オール3の人間がオール5の人間を理解できるワケないじゃない。逆もそう。オール5の人間が学生の代表面してたら嫌だろ。同じことよ。 三島由紀夫の考えは格好いい。しかしいざことが起これば三島は安全圏へ逃げたかもしれない。庶民だけが犠牲になる。 日本のいちばん長い日に出てきた青年将校たちは格好いい。でも彼らは一部のエリートで、戦死していった9割超の軍人とはニュアンスが異なる。 同じことで、あらゆる思想のトップか、それに属する立場の人間の言葉って、あくまで彼ら一部のエリートが得することを目的としたものなんだよね。 だから彼らはデメリットは一切言わないでしょ。格好いい言葉や甘言、間違っているとは断言できない上手い言葉を使って扇動する。 女の社会進出どうこうも、専業主婦の存在すら許さないところまでいくかもしれない、自殺率が跳ね上がるかもしれない、とかね。 彼女らは専業主婦という存在を消せば女性の地位が上がると思っている卑屈なプライドの持ち主だ。そんなクソみたいなプライドより このクソみたいな世の中でどうやり過ごすか、俺たち大衆はそこにこだわっているということをエリートは理解していない。 働くことが自立、輝き、地位向上、やりがい!こんなもんはプロパガンダだ。大衆が犠牲となるばかりだ。 左の人間もそうだ。彼らは昔から正義のマウントをし続け、今もそう。学習しない、否、するつもりもない。 左のトップは言論で相手をやり込めるのが正義なのだ。これからも正義と言う名の独善でおれたち庶民にマウントをとり続け 世のなかからタブーを増やし、自由をなくし、結果、庶民をただ税金を納めるだけの奴隷にするつもりなのだ。 ネトウヨを自己陶酔と、いきすぎた反韓集団というところで捉えてみる。 俺は中学の時いわゆるネトウヨっていう奴だったんだけど ネトウヨってのは被害者なんだよな。よくネトウヨは低学歴低収入とかバカにされてるけど それは事実だと思う。自分の尊厳回復のためにネトウヨになるのだと。 じゃあ結局格差社会によって生まれた存在なんだと。 彼らだって人を蔑んだり、理屈に合わないことを言うために生まれてきたんじゃないんだよな。 クソみたいな社会に揉まれて、苦しんだ上に、何かがあって、そしてネトウヨになったんだと。 ネトウヨってのはいわば極端な右翼思想をネット上のみで吠え続けるって奴。 なぜ彼らがネトウヨになるのか。それは、先言ったような尊厳回復。そのきっかけは基本メディアによる。 なのでメディアの責任大なのである。人間、思想関係なしにメディアにハマり、洗脳される。 同じことで、確かに一時期、テレビに映る韓国の姿は度を越したものがあった。 その直前に韓流ブームがあった。冬のソナタ、チャングム、オールイン・・・美しい。しかしそのあと。いわば上げて落とすという奴。 上品な文化と思いきや、人形に火をつけ、犬を殺し、絶叫・・・端的に品がない。怖いし、不気味だし、気持ち悪い。 ああいう映像を見て「なんだこいつら」とならない奴はおかしいと思う。メディアは過激な映像を通してでしか存在意義がない。 だから過激な映像を流す。極端な意見のみを流す。そのあとは知らない。視聴者に何を植え付けたか。 だって現状を映しただけだし・・・そういう軽薄なメディアに影響されてしまう。 そして、他さまざま、陰謀論的になってしまうが、メディアにより反韓に傾きつつある人間を、ネット上ならばネットサポーターと呼ばれる集団が扇動、 その上で内外(ネットテレビ)問わず極端な意見で飯を食う、それなりに地位のあるビジネスタレントたちが肯定し、 最終的に反韓人間は塊、集団となり、ネット上の一大勢力となる。と言う感じ。 いわば彼らは食い物にされてしまったというのだ。メディアに影響されやすい人ってのは賢いか賢くないかでいえば 賢くないんだけど、それを自覚せず、ビジネス家たちに「あなたは真実を見ている」とゆー感じで変に自信をつけてしまう・・・尊厳回復。 そして彼らは食い物にされていることに気づかず、より深みにはまり・・・だからこその被害者。 そして、これはネトウヨだけに限らず、ま、思想で言ったらその逆のネット左翼の人とか、他SNSとかで極端な思想を現実に影響する形で振り撒く人々ってのは いわば手段と目的が変わってしまっているというかね。そもそも彼らが本気で国を憂いているとは思わないんだけど 仮に最初国を大事に思っての活動でも、徐々に敵・・・ネトウヨでいえばネット左翼を倒すことに目的が変わり、いわばマウントですけど だから自分たちが信仰している集団が仮に間違ったことをしていても、ネット左翼にダメージを与えることが出来ればそれでいいんだ、正しいんだと・・・ それが現状で、それはもう行くところまで行ってしまった感じがある。俺は高校の時まで2chやまとめサイトとかかなり見ていたんだけど やめたのはそういうのもあるのよ。ネット上って極端な意見ばかり流れるんだけど、だからこそ思想も、ネット右翼かネット左翼しかいないというね。 で、彼らは下品なマウント合戦をし続ける。何年も。おそらく何十年も。きっとこれからも。キツイなーって思ったね。 賢い賢くないとかじゃなくて、やはり俺が大切だと思うことは「世の中は両極端で成り立っている」ということ。 韓国はあの時確かに異常だったと思う。今もそう。しかし、だからといって全否定してしまう・・・つまり極端な方向に行ってしまう、これが危険なのだ。 世のなか良いこともあれば悪いこともあるというのが道理なのだ。誰かにとって良いことは誰かにとって悪いこと。 それで世の中成り立っている。これを掴まなければならない。これを掴んでおくと、いわばメディア等の極端な意見に影響されずに済むし 極端なことも言わなくなるし、少なくとも自分が100%正義だと思って何かを行う・・・つまり自己陶酔による行動もなくなるだろう。実社会、公共の場でね。 だから実際、あの時の韓国に怒りを感じるのは正しい、半分は。しかし、もう半分は韓国の怒りを理解することが大切だった。腹立つけど。 そう両極端を突き詰めると、よほどの目的意識がないと何もしないでおこうとなるんだと思います。どうしようもないから。 実際日本も両極端が過ぎる国なんですよ。だから扇動しようとすればいくらでもしやすいというか。 どこの国もそうかもだけど良いやつと悪いやつの差が激しいというかね。 その上で良いことと悪いことの差も激しいし。 戦争どうこうで言うなら、 責任を他人に押し付けて逃げるやつもいれば、責任感じたら腹切る奴もいるとか。 捕虜収容所で捕虜を大事に扱ったところがあったとして、で、日本の騎士道精神がすごいとかね。 反面まともに扱わなかった収容所の方が多いと思うんですけど。 ミッドウェイじゃダサダサだけど、真珠湾攻撃なんて映画トラトラトラでも相当格好良く描かれてますから。日本軍。 アメリカを一時的にでもボコボコにしたってのも胸がすく人もいるだろうしね。 だからそこだけ、いいところをヒューチャーすればいくらでも「大日本帝国最高」と出来るわけで。 話が逸れるかも映画っていうエンタメは基本そういうところで商売してるんだよね。 戦争ものなら日本人の悲劇を描くけど、その裏で苦しむアジアの人々を描かず、国内だけの憐憫で完結しているとか。 ヤクザ映画でもね、任侠ものだったらば格好悪いヤクザ描かないでしょ。格好いいヤクザだけ描く。 そして基本女を描かない。男の美学を描くには邪魔だし。そういう取捨選択をエンタメがやる、大衆が見る、洗脳される・・・。 ネトウヨの可哀想なのは実社会に影響してしまうぐらいに洗脳されて、愚行を繰り返してしまうということ。 ネトウヨだけに限らないかもだけど、少なくとも映画だけで満足してりゃね。そういう意味じゃ、またも話逸れるかもだけど 俺たち全体の教育水準が中途半端に上がったせいじゃないか?昔みたいな単純な映画にはまれるヤツって今いないんじゃない? ちょっと複雑で踏み込んだところへ大衆が行けるようになり、それを楽しもうとするということ。しかし中途半端な教育なのでコケる奴も多い。 なにより複雑で踏み込んだところでコケる・・・つまり現実のいちばんやっかいなところでコケてしまうのが怖いところ。 だから彼らは今、裁判で訴えられたりしてるでしょ。色んな意味でどうしようもない。 教育が徹底的に教え込まなければならないのは「物事には両極端が存在する」ということ。 だから一方的な善も悪も、また加害者も被害者もないということ。これが大切なのだ。 過度な侮辱は遺恨の種だし、過度な持ち上げはまたタブーにつながる。 過度な加害者意識は卑屈だし、過度な被害者意識は傲慢さにつながる。その中間が欲しいのよ。 その中間を持てば、少なくともこういう事態を避けられるワケ。 少なくとも、ネトウヨに限らず、今ネット上でSNSや匿名掲示板、動画サイトを使っている人々は そこに気をつけなきゃ。もはやネトウヨ、ネット左翼だけじゃないよ、極端な思想で人々を洗脳する集団は。 個人サイトでもなけりゃ、他全部公共の場になってるんだから。そういうところで極端な意見を見かけたら「=ビジネス」と考えた方がいいよね。 俺が一番言いたいのは、ネトウヨになるな、じゃなくて、そうならない方法、教育を考えることだ。 メディアも同様。例えば殺人事件が起こった。殺人者は悪いで終始するコメンテーターたち。殺人が悪いなんてことは分かってる。 分かっていることをいちいち何度も言う必要はない。それはマウントで煽りにすぎない。俺たちはこんなクズじゃないと。 大切なことは「なぜ起こったか」なのだ。 殺人者もまた何らかの被害者だと思うよ、社会の。なんかね、ネトウヨを過度に糾弾して終わる奴ってのは、例えば一般人なら分かるけど 議員だったり、有名人だったり、いわば発信力のあるやつがそれをやるってのは、結局マウント合戦にすぎないというかね。 野党とかって自己責任論嫌っているのにネトウヨは救わないんだよな。彼らは低学歴低収入の被害者ですよ、挙句与党に上手く利用されているんだ。 可愛そうなんだ、なぜ彼らをボコボコに叩くんじゃなく、救おうとならないのか。ネトウヨってマジに自分の親がなる可能性もあるんだよな。 糖尿病と同様、自己責任で済ませられないんだよな。どっちも社会病ですよ。だからね、結論言えばね、政治に関わったらロクなこと起きないし また関わってるやつにはロクなやついないし、本気で国を憂いているやつはとっくに腹切ってるか世捨て人になるかどっちかしかない なので今なお政治活動している人たちってのは「マウント」をとりたいだけなんだ。喧嘩をしたい。自分は100%の正義で相手は100%の悪だ。 そういうモンですよ。昔から、今もなお、上位が下位を洗脳し、マウントをとる、それが政治だ。 ネトウヨをそのまま人間の特性と捉えて学べばいいんじゃないか?同じ特性を持つ集団は他にもたくさんいるけど、とりあえずね。 尊厳回復のために地に足着かない理想を語る。これがいきすぎて現実に影響を与えようとする。 つまり尊厳回復を超えて、自分が本当に世のため人のために活動しているという風になる。 そして、徐々に思想関係なくただ相手を倒せばいいという風に変わっていく、つまりマウント合戦。 自分の意見=正義と捉える間違い。つまり相手の意見は悪となってしまうから。 つまり人間持つ攻撃性とか、プライドとか、都合のいい世界とか、粛清、集団性、匿名性、ネット社会、自己憐憫、自己陶酔 この世にルールがないこと、否定できない言論=正論ではないとか、正論で人間は動かないとか・・・いろんな要素をはらんでいますよ。 俺は男から逞しさ、女から愛嬌を抜いたらクソになってしまうと思うんだけど 現社会ってそれを推進してるんだよな。男らしさ女らしさって強制されたもんじゃないと思うんだよ。 ただ処世術というか、あった方が人生生きやすくなるってだけでさ。で、そればっかりで生きてるワケじゃないじゃない。 あくまで表面は、だけでもいいと思うんだよね。眉間にしわよせた女は誰を幸福にする?軟弱な男は誰を幸福にする? あくまでこうした方が生きやすいといっただけで、なぜそれがさも強制されていたという風になってしまうのか。 もしそれを推進する人間にそそのかされた人間が誰にも相手にされなくなったら、彼らは責任をとってくれるのだろうか? 答えはノーだ。無責任に理想を口にして人々から褒め称えられることが彼らにとっての生きがい、活動のすべてだから。 大島渚はもう古い 彼の語る社会動向の話も現在、もう古い。俺たちは現社会、現世界への限界を知ってしまった。 彼は喧騒のジレンマを理解しなかった。上に書いた通り出生は義務じゃない。自らのエゴだった。 彼は絞首刑の予告編でこう言っていた。「国家には罪があり、俺たちには罪はない」。 そうじゃなかった。俺たちに罪があった。なぜなら俺たちはロボットじゃないから。 俺たちがロボットじゃないから俺たちは選択できた。それを否定するようじゃロボットに過ぎないのだ。 そして、出生があり、エゴがあり、喧騒が起き・・・繰り返した。大島渚は人間の限界を理解できるところまでは到達できなかった、朝ナマというルーティンが彼をロボットに変えたのか? 残念。 愛を否定 愛とは性欲のことだった。俺たちが子供のころ、性を持て余していない頃、愛を語ったか?好き、それだけで良かった。 よく愛が燃え上がったというが、それは性が燃え上がったの言い換えに過ぎない。俺たちは愛することの無意味さを知ってしまった。 刹那的だからこそ燃える、素晴らしい。しかし、無意味だった。後に続く感動ではなかった。その場その場の青春に過ぎなかった。 だからよく創作とかで「愛」を叫ぶとき、そこに「性」はあるんか、と聞きたい。基本無味乾燥な愛が多い気がするから。永遠の愛ってのはそれ自体が矛盾したものだった。 子供は奴隷候補生 SNSという反ロリコンプロパガンダ映画が流行っているらしい。 まず散々言ってきたように、世界が子供を守ろうという姿勢を崩さないのは 奴隷を減らさないためだ。道徳的に守っているのではなく、奴隷が子供を残すことを守るためだ。 つまりは経済だ。国家にとって労働人口こそが国家運営のカギだから。 子供は成長し、大人になる。そして国家の奴隷になるのだ。国家は、世界は道徳的な闘いをした試しがない。 だから禁酒法を作ったし、タバコの吸い口はモザイクをつけるし(韓国でね) アダルト作品にはモザイクがついている(日本でね)。 もし本当に国家や世界が道徳的に子供を守ろうとするなら、子供を産まないような政策をとることじゃないか? 子供はいずれ大人になり奴隷になるのだから。しかしそれが目的なので何も言わない。 話がそれたが、俺は道徳的法律的意見には同意しない。「ロリータに興奮する男」という生物的意見にのみ俺は同意する。 日本が世界に誇る三大巨頭「宮崎駿」「大林宣彦」「藤子F不二夫」みなロリコンだ。どうだ参ったか。 ちなみにチャップリンもそうだし、世界のあらゆる英雄がロリコンだ。どうだ参ったか。 既に・・・ 既にLGBTや女、黒人ってのは、もうタブーの域にいるんじゃないか? 批判は許されず、ヨイショするか、話題に出すことが億劫になるか・・・ 日本にある、天皇や部落、そういう存在になってしまっていると俺は思うね。 だから俺は上記の存在ってのは20世紀分だけで楽しんでんだよな。 俺が昨今のメディアに拒否反応する理由が分かった。押しつけがましいから。 いわば反抗期か?学校や親のいうことに反抗する・・・しかしそれは違う。 社会は親でも学校でも官吏でもない。なのに俺たちに「これこそ100%正しい思想」だと言って 俺たちを洗脳する。いいか、俺たちは自由だ。自由とは自分ですべてを選択することだ、そしてそれによって楽しみ、苦しむことだ。 それこそが人間だ。俺たちは悦楽と刻苦の両極端を授受する。その両極端を俺は愛する。 しかしメディアは悦楽のみを俺たちに押し付ける。それはファンタジーだ。だから嫌だ。 苦しみを伝えない詐欺師を胡散臭いの一言でクサすこと。行先自由の看板すら無視したい。 義務でなくエゴ 出生は義務でも人間の誇りでもない。そういう機能を持たされてはいるが、それをどう使うかは俺たちがそれぞれに責任をもって行われるべきだ。 例えば男、筋肉は女より突きやすい。だからといって、必ず拳を振りあげる必要はない。女は乳房を持っているが、だからといって必ず母乳を与える必要はない。 子供を産み育てるのもそうだ。国家や子供が催促したのではなく、自分が、いわば夫が妻が欲しがったから彼らが勝手に生み育てているだけの話だ。 それを否定する人間がいたら、「じゃああなたは国のために子供を産んだのですか」と聞きたい。そっちの方が恐ろしい。 だからこそ、例えば「自分の子孫のため」とか言って政治的に戦っている人間は、自分の主張が義務ではなくエゴだということを理解するべきだ。 自分たちの思想こそ正しいものだという考えではなく、自分勝手なエゴにすぎないのだと。だからこそエゴ対エゴのぶつかり合い。正義とか悪とかじゃない。 いますから。映画とか漫画とか、虚構世界にある100%正しい思想とかいうものに酔っている人たちが。そういう奴らにはかける言葉はないね。 俺たちはもう「分かって」いる 政治の限界を俺たちは知ったし、様々な主義の限界も分かった。そしてなにより人間の限界も知った。 俺たちは言う。「いつまで続けるのか?」。歴史の勉強、中学でも高校でも教科書を読めば、少なくとも近代史100年をサラッと見ただけで分かる話なのだ。 俺たちは同じことをグルグルと回っているだけだった。いつまで続けるのか?喧騒には喧騒がつきものだ。人間の粗探しはなくならない。 今の粗がなくなっても次に粗が出てくる。そのたびに喧騒が起こる。上位の下位へのマウント。利権、狭まる自由・・・。 政治的に戦う人間に問いたい。「お前たちは争いが好きなんでしょう?」喧騒を持ち掛けまた喧騒。いい加減にしてほしいね。 政治家はプライドの高いナルシストがやる職業にすぎず、世界にあった様々な主義・・・民主主義、資本主義、社会主義、共産主義・・・ そのどれもが上位層にとっては豊かで、下位層にとっては不十分な世界。人間は最終的に自滅するのだ。俺には分かる。徐々に男女の溝が深まり、 性は虚構にぶつけ、俺たちは滅びる。 21世紀は人間がいなくなる 性的なシーンで問いたい。俺たちは徐々に動物としての性を失っている。徐々に「性」は醜く汚らしいものという見解ができてしまっている。 それもこれも社会をあまりに潔癖にしすぎた結果なのだ。ロボットと化した俺たちにとって制御不能の性は非社会性的な概念に過ぎないと・・・。 徐々に俺たちから性がなくなっている・・・しかし表面的な問題だ。実は俺たちの深層心理、いわば心にも性が絡んでいることを知る人間は少ない。 俺たちは下半身で生きているのだ。それを理解していない、表面的に潔癖な人間が多い。俺たちが異性に対して、またさまざなに対しての実感、感慨、理解 というものは下半身によって異なる。潔癖で、性を嫌悪するヤツに問いたいのは「お前は神にでもなったつもりか?」ということ。 人間は自分の美しさはもちろん、汚らしさを理解するべきだ。人間から性の汚らしさを失うことは出来ない。性を嫌う人間は端的に親の教育が悪かっただけの話だ。 そしてすべてを自覚した人間は、周囲のあらゆる欲望を否定できないだろう、少なくとも下半身の欲求を・・・。それができなきゃ 人間としても動物として神としても中途半端だ。自分のすべてを理解することだ。性を嫌悪する奴は異常なのだ。いわば箱入り娘が俗世を知って社会を糾弾するようなものだ。 自分を箱入り娘にした親を怨むべきだ。そしてそういう声に俺たちが耳を貸す必要はない。ないはずだったが・・・。 勝手にしやがれ メディアでも様々に女性は被害者というニュースが多く流れているが女はこれにどう思っているのか。 俺だったら嫌だ、つまり私たちは可哀想可哀想というニュースばかり見ていたら気が滅入るし絶望するだろう。 しかし女は違うのか。やはり女は共感の生き物だと思う。周りが泣き出したら泣くし、周りが怒り出したら自分も怒る。 こういう被害者意識ばかりのニュースを流すメディアに俺は問いたい。被害者意識ばかりを与えたら、女は自分が1から100まで被害者だと思い込み そして絶望したまま死んでいく・・・それでいいのか?と。被害者意識ばかり植え付けることの暗さ、悲しさ、メディアはその欠点を自覚しているのだろうか? 答えはノーだ。今の社会は被害者にどれだけ優しいかで評価される時代なので、女は可哀想可哀想と言っていれば自然のそのメディアは被害者に優しい進歩的なメディアということになる。 俺からしたら今の女は被害者意識に塗れた化け物だ。それでしかない。だってメディアが女は可哀想女は可哀想というばかりだから。女は被害者ですと。 俺が女ならクラークなるね。絶望するね。この間の男女格差も。ああいう優しさと見せかけて極めて無神経な「ランキング」(つまり上位があれば下位があるということ!) で120位なんてのを見たら自殺するね。中身は資本のプロパガンダみたいなものだったけど。働くこと=自立、進歩、輝く、そういう一面的な思想を妄信し、被害性が蔓延・・・女はバカ。 女は結構バカ。つまりかつて、女が男社会から疎外されていた時代、傍からそれを見ている彼女たちは男社会の無意味さを理解したのだと思っていたが そうじゃなかったらしい。自分たちからそれに乗ってきた。それだけならまだいいが、被害者意識を持ち出した。男が上に立つことの限界も見えるが その逆に女も上に立ってはいけないと思う。人間の限界というところだろうか。プライドの高い女は卑屈な、いわば陰湿なプライドを持っているイメージがある。 同じ顔、目をしているから。フェミニストもそう。あれは100%の被害者意識と自己陶酔がないとそういう顔にならない。男女ともに欠点があった。それが人類の限界。 男はそのままバカで、女は意外にバカ。もちろん男女ともにみんながそうじゃない。徳の高いタイプはいるワケだけど・・・。 捉え方の違いなのだ。被害者意識ばかり持つのは偏った視線にすぎない。メディアがそれを扇動するのが腹の立つところだが。 男は働きアリで、女は女王アリという意識がないのだ。女性解放とかいう多分終わりのない欲望の塊を発信している人間には。 働きたい人間はごく一部にすぎず、ほとんどは働きたくない。それが女性解放家には許せない。そんなことだから男にバカにされるのよという卑屈なプライドだ。 男が企業の奴隷となり、女が家庭の奴隷となるのがこれまでだった。しかし企業に隷属するのと家庭に隷属するの、どう違うのか。 少なくとも企業に隷属する人間はどれもこれもマジモンの奴隷扱いだ。しかし家庭に関してはそれほどのもんじゃない。だって家庭では女の権利の方が強いから。法的にも。 なのに女性解放家は自ら進んで、より厳しい企業奴隷へと歩を進めていく。バカだろ。で、それを求めている女がどれだけいるのかと。 おもしろいですよ。奴隷労働か、かつての「あなた」的な歌にあるイメージの方どっちが大半の女性が望むところかといったら後者になるのは間違いないのに 一部のプライドの高い女性が「結婚だけが幸せじゃない」とこうくる。 そら人それぞれだろうけど、企業奴隷より100万倍マシだぞ。企業に勤める=眉間にしわが出来る。家庭に務める=手にしわが増える。 女に限らず男もそうなのだ。企業に勤めるより家庭に務めた方がいい顔してるんじゃないか?男でも分かってきたことを一部の女は理解できない。 しかし、女は理解しないんじゃない。女性解放なるものを目指す女は「命令する立場の人間」なのだから。エリートなのだ。プライドが高いだけだった。 だから奴隷を増やしたい。それだけ。メディアで女性解放を訴えている奴は資本企業のプロパガンダだった。どこにいる?今の時代、働く人間が一番偉いとかいう奴が。 どこにいる?働かなくても生活できる奴がわざわざ企業労働に乗り出すとか。いるワケないだろ。 女は一回ちゃんと見つめた方がいいね。メディアに出ている人間の甘言をそのまま自分事として受け取っていいのかと。 よく地位の高い人間が格好いいとかいうCM、ドラマあるけど、大半の人間は地位なぞいらないという事実を理解できていない。 一生ヒラのままでいいという人間こそ正しいのだ。いいか、プラパガンダに騙されるな。CMとか見て憧れるやつには何を言っても無駄だろうが・・・。 9割の人間と1割の人間の違い。 9割の人間は低収入でもまったりできる会社があればそこに行きたい。面倒くさいことはしたくない。搾取されるだけだから。 (しかし現実は激務で低収入なのだけど) 1割のエリートは違う。激務の高収入という奴だ。自分の力を試したいという余裕に溢れたエリート。彼らは俺たちを搾取するだけだ。 気づけよ国民!メディアに出ている人間は一割のプライドの高い人間だけなのだ。なのに彼らの言葉を自分事のように思い込む人間の多いことよ。騙されるな! かつての歴史。男の持つアホみたいな美学で道を拓き、女は適当に男を褒め称えて道の上を優雅に闊歩する。 俺が女ならそのほうがよかった。自分たちは男に利用されているという意識を持ちながら、自分たちもまた男を利用しているという意識がない、 被害者意識のダメなところだ。男なんて適当に媚びて利用するだけ利用すればいいのだ。男は妙な美学を持っているので、上手く使えばここまで単純なものはない。 なのに一部の女はなぜか「男には負けてない」という方向で勝負しようとし、男に辛くなる。男に優しい=男に媚びるというヤツ、つまり屈折だ。 適当に社会を進歩させてそれを楽しめばいい。女に限らず大多数の男にとってもそれが幸せな人間の道なのだ。 このままいくと、専業主婦はすべて否定され、国民全員がどこかの企業に隷属しているという最悪の結末しか待っていないぜ。 なんだろうな、世のなかの意識を変えようと頑張っている人たち現状たくさんいるんだが 彼らは「粗探しは尽きない」ってこと分かってんのかな? 人間相手の粗探しってつきないんですよ。考えようによってはいくらでも文句は出てくる。 今の世相ってそれを良しとしている。だからさ、もういいじゃんって。今のままで。10年経っても20年経っても100年経ってもその時その時で文句出てくるんだから。 だからこの世から粗の一切をなくそうと思っている人の願いって、それこそ人類が滅亡するその時まで叶わないでしょうね。 で、現状変える運動、行動って絶対に喧騒を生むんですよ。そして運動家による庶民へのマウント。これが延々続く。もう喧騒にはうんざりだぜ。 俺はもう21世紀には何の期待もしてませんから。そもそもが俺たち庶民が楽になることも、抑圧から解放されることも、娯楽が増えることもないし 常に上位一割のエリートが得するようにできているって事実は変わらないし、庶民同士で潰しあうしって。 挙句今を肯定するために昔を全否定だ。それもこれも誰が決めたか分からない規則、生類憐みの法、性規制、0か1しかない平等法に従うバカが多いからでしょ。 その上彼らは粗探しはいつまで経っても尽きないってことを分かってないんだ。そしてそれが自分に向かってくるってことも知らない。 言動をいちいち躊躇わないと生きていけなくなる。だってやっちゃいけないことが増えるって「地雷が多い」ってことでしょ。息苦しくなるだけ。これが豊かな社会の姿か? そして将来自分が子供のころの写真を見て「狂った時代だった」ってなことを思う、それが延々続くってこと知らないんだよ。 今を肯定するために昔を「狂っていた」「遅れていた」「最低の時代」・・・これが世界の風潮。価値観に新しいも古いもないってことを知らないから。 俺は21世紀の人間にも期待してませんから。20世紀までだよ、人間が生きていた時代は。21世紀じゃ俺だけだよ、唯一。 返してくれってさ。ここ最近の女または黒人どうこう、さらにはLGBT問題あるじゃん。で、俺たちに押し付けてくるんだよ。 こうしなさい、ああしなさい。で、こういう考え方はダメです、こう愛しなさいって。 そういう押し付けに嫌気がさしてさ、で、映画とかドラマでもテレビでもなんでも彼らが出てくるたびに「政治なのか」って。 つまりそれ以前のナチュラルな見方が出来なくなったってこと。これは最悪だよな。この間書いた男女格差120位とかもさ 見る人間に嫌な気持ちしか残さないというか、喧騒しか残さないというか。 俺は嫌だね。だから返してくれって、昔の感覚。もう戻らないかもだけど。俺が映画やアニメ、漫画、なんでも好きなのはさ 「こういう風に観てはいけません」ってのがないからなんだよ。押し付けない。だから好きなんだと。 人間が好きだったのもそうだった。でももう違うよな。「こういう風に観てはいけません」とか、押し付けてくる。 押し付ければ反発する。それを黙らせるためにさらに押し付ける。俺たちはくたびれる。いい加減にしろ。 俺が女問題黒人問題LGBT問題嫌いなのは、彼らの利権やプライドの問題というのもあるが、なによりも押し付けられるのが大嫌いだから。 産業革命から男女がなくなった。 機械労働が出てから男も女も関係なくなった。労働の場では。 それは良いことなのか何なのか。それが続き今。一般的社会の場でも男女の違いが否定され始めた。 俺たちの人生ってのはつまり労働が中心ってこと? このままいくと俺たちはただのロボットにされてしまう。人間じゃない。 労働の場において、俺たち人間のアイデンティティを守ってくれていたのは何を隠そう性別だった。 男も女も関係ない。それが美辞麗句のように囃し立てられている現状。でもそれはおかしいんじゃないか? それは生物、人間としての言葉じゃない。資本が求めるロボットとして正しいということだ。 世のなかは上位一割のプライドの高いエリートが支配しているが、彼ら以外に男や女という性別を放棄したい奴がどれだけいる? 現状から剥離した理想を語る一部の人間だけだ。 頭のいい奴らは単純なことを否定したがるのか。俺たちの人生における意識の半分以上は異性に対して向けられている。 俺たち生物の本能。だから男は男らしくしたがるし、女は女らしくしたがる、彼らが出会った時。 基本、男は自分より背の低い女を選びたいし、女は自分より背の高い男を求める・・・。 極めて単純。俺たちは単純な生き物だった。しかし頭のよすぎるキチガイどもがそれをもっと複雑な方向に変えてしまった。 そして以前のような単純な思想は「遅れている」「間違っている」とされる。じゃあ正しい思想ってなんだよと。 上位のエリートはごちゃごちゃいうだろう。しかし彼らは究極の思想には辿り着かない。自分が可愛いから。せめて反出生の思想でも持っていたらわかる。 人類が最後に辿り着くところだ。人間同士の粗さがしの果ては「この世には100%の正しさはない」ということが分かるだけ。一部の理想家が勝手に希望を押し付けて、勝手に絶望するというね。 価値観をカスタマイズしろ。価値観に新しいも古いもない。そして100%正しい価値観も間違った価値観もない。 自由に価値観を決めろ、お前だけの価値観。そしてそれを強要せず、自分だけに押しとどめろ。 メディア、政府、資本家、エリート、様々な権力が俺たちに独善的な価値観を押し付けてくる。ああなっちゃおしまいだ。 お前が人間なら、お前が決めろ。お前はロボットじゃない。もちろん神でもない、俺は神だけど。 なんかテレビで男女格差120とかやってたけど、俺すごいなあと思う。 何をもって格差って、つまり50:50が正解っていうデジタルな基準でしょう。で、それはまだいいんですよ。 この格差どうこうって、結局管理職とか要職とか、俺がよく言ってる「偉くなりたい人達」の話でしょ?いわば1割の人たちの話でしょ? つまり庶民には関係のない話なんだ。庶民が自分から進んで偉くなりたいって、どんだけいるんだろうな。 基本的に俺たちは働きたくないし、老後の2000万どうしようとか言ってるのがほとんどじゃないの? この男女格差の表を誰が出したかしらないけど、少なくともメディアが叫んでる理由ってのはわかるよな。 メディアって一割の人たちの集まりだからな。偉くなりたい、部下がたくさん欲しい、名誉が欲しい、そういう強欲な連中の集まりだもの。 男女格差どうこうっていう話だけど男女関係ないわけ、俺たちからすると。「偉くなりたい」という上位の人間の話なんだから。 そういうプライドの高い人たちの話なんだから。 なのにメディアが男女格差を連呼する。どうなってんだよ。お前らエリートどもの話だろ?庶民をなぜ巻き込むの? 大体そんなに今の女ってのは生きづらいのか?120位に値する格差なのか?一人一人にアンケートしたのか? これ俺が女だったらすごい辛いけどな。私は何やってもダメなんだとか思うよ、120なんて数値みたら。で、それは現状に正しい感想じゃないのよ。 マジにエリート層だけの問題なのに、なぜ9割の人間まで巻き込むの?庶民に「お前ら男女格差120位、男はクソ、女は可哀想」こんなの誰が得するの? 男も女もお互いに不信感を抱いて、それで終わり。最低だと思う。全部上位層の問題じゃねえのかよ。 で、この表でもそうだし「社会進出」「社会で輝け」とか最近連呼されてるけどさ、これ全部資本の言い分だってこと分かってんのかな? 専業主婦がスタンダードだとは考えないけど、資本(奴隷的)労働から逃れて生きていくってすごい賢い選択だと思うんだよ俺は。 でもそういう人たちは奴隷で、自立してなくて、輝いてないって、よくそんなことが言えるな。メディアも、政府も、活動家も。 お前らは俺たち庶民の敵なんだ。資本の手先だよ。ほんとクソだな。お前らのプライド高いだけだアホ。 で、最もクソだと思うのは最近の、世界から文句言われたらなんでも変えちゃうっていう現状だよ。 文句言う側も文句言う側だよ。自分が正義だと思ってなきゃあの国はおかしいとか言えないからな。 大体この男女格差ってのを作った輩ってのは俺たち庶民に対して無神経だ、神にでもなったつもりか。 俺ここ数年で日本はもちろん、外国がスゲー嫌いになったよ。ほんとクソだな。特にアメリカ。ナチュラルに白人こそ絶対みたいな。無意識にね。傲慢の塊。 何度も言うけどあの表の存在は誰を幸せにするの?庶民同士に不信感が生まれ、男は唾を吐きかけられ、女は希望をなくすだけだろう。 大体ランキング制にしたら絶対に下位が出るだろう、で、その国をバカにし、蔑視し、後進国だとマウントをとる。 グローバル化=マウントをとりたい思想。俺の国が一番だっていう思想。アメリカ=最高って思想。アメリカ=国全体でハリウッド映画をやってる自己陶酔の国。 多分俺たちは10年後、思想も政治も立ち振る舞いも『アメリカ』になってんだろうな。やっていいことは増えずに、やっちゃいけない事ばかり増えて 最終的には身動き取れなくなって、ただの資本の奴隷と化し、終わりだ。それが現状だ。 いつの時代も上が下をムチャクチャにするんだよ、上の理想(きれいごと)で俺たちはいつも悪者ですよ。 やっちゃいけないことが増える=文明国。 こういう狂った倫理が現状蔓延している。いずれ身動き取れなくなり、すべては終わる。 だから昨今の様々な問題はプライドの高いやつが誘導しているんだよ。 つまり地雷が多い方がいいってことでしょ?いちいち会話に気を使って、地雷を踏まないように気を付けて・・・ それが本当に豊かな社会なのか?プライドの高いやつのいうことなんて聞いちゃだめだ。もう遅いけどね。 プライドの高い人間の甘言に騙される奴が多すぎる。だから俺は21世紀より20世紀の方が好きだっていうんだよな。 価値観を自分で選ぶ時代 今世界的に推されている価値観ってのは"きわめて"極端な、 皆が同じ位置・目線で、同じ見どころを探し、同じ評価を下さなくてはならないみたいな つまり世界の支配層が一方的に『自己陶酔』にまみれて考えた『生類憐みの令』どころじゃない、人間ロボット法なんだよね。 庶民にとってはクソなこと。 で、本当極端なんですよ。だから何事か決まれば、それを肯定するために過去を否定しなければならない。 こういう運動ってアメリカ発信ですからね。アメリカは野蛮ですから。全ての運動が分断ありきで進みますから。 で反対する奴は悪なのでボコボコにされますから。だって国中でハリウッド映画やっている国ですから。 自分は正義だという立ち位置で常に生きている人たちだから、自分と違う意見は全部悪になりますから。 そーゆー輩なので芝居がかったこととか平気で言えちゃう。彼らって我慢を絶対悪と考えて意見をぶつけまくれって国なんだよね。 だからアメリカがある限り、間違いなく争いってのはなくならないのよ。武力だけじゃなくて、思想、社会運動、様々ね。 彼らは奴隷になったことのない民族なんです。常に奴隷を作る民族。だから我慢=奴隷的という風な考え方をするんじゃないか。 我慢ってのは、もち抑圧的な面もあるけど、波風を立てないという処世術でもあるんだ。だから日本人のハラキリ文化ってのは好きだったね。 アメリカは負けることが大嫌いなので、だから何があっても子孫を残すってことをすごく大切にしている。子孫を残せない=負けって考えね。 子孫を残すってことは喧騒の種を蒔くことってのを知ってんのか知らないのか分かんないけど、アメリカが生き続ける限り喧騒なくならないってのはそれ大きいね。 日本は何かあったら自殺っつーか昔だったら腹切ったりしてましたから。子孫どうこうじゃない、もう分かってもらえないなら死の死のっていうさ。いいよな。 ともかく極端な思想、つまり負けを絶対認めないという思想が日本にも入ってきて、プライド高い人たちがそれに感化されちゃってんのよね。 で、さらにアメリカ=絶対正しいみたいなさ、そういうヤツで日本めちゃ叩かれてるじゃん。なさけねーよな。 で、俺しょっちゅう言ってるけど、100%正しい思想なんて世の中にないのよ。だって世の中のガイドラインなんてないし。 何が正しいか、また何が間違っているかなんてないんだから。世の中に。だから100%の思想なんて主観しかありえない。 なので基本的に半々なんだよ。正しいことと間違っている事この二つで世の中成り立っているんだ。分かってくれると思うけどさ。 差別とか区別とかもそうなんだよ。例えば同性愛者見て気持ち悪いと思ったとする。それは半分は人権的な意味合いで間違っているとする じゃあ半分は、結局生物としての反応では正しいってことだ。俺たちが生理的に無理という言葉を使ったりする。その生理的に無理の「生理」とは 結局俺たちの生物的反応、反射、そう、意識的なものじゃないんだよ。ムズカシイことはわからんし言いたくない。 つまりね、正しい正しくないは主観なので、あらゆる価値観を上から押し付けるなってことだ。 学校の先生、神にでもなったつもりか?で、俺たち庶民は出来損ないの生徒、クズ、バカってことか? な?アメリカでしょう。アメリカは「俺たちが導いてあげる」だからさ。ナチュラルな上から。アメリカの中にしかない正解に俺たちを巻き込もうとしている。 さてここで結論。価値観を自分で選ぶ時代と書いた。昔からそうだが、新しい価値観がくると、昔の価値観をバカにしがちだ。 しかしその価値観も上から押し付けられたものだ。分かるかな。新しい価値観も古い価値観もないんだ。時の権力者が勝手に決めたことだ。 既に今、権力者(政府、メディア、企業)のいうことを聞く時代じゃない。 そういう時代にきている。逆に言えば、価値観すら庶民が好きにカスタマイズできる時代だ。俺たちは自意識の真実を求めるために生きている。 差別ってなんだよ。 ここ数年、差別差別ってきくけど、差別ってなんだよ。蔑視も。 もう分からないね。差別ってなによ。すげー攻撃的な言葉だけどさ、なんだろうな 自分が差別と思ったら差別って、まーそれはそれでよしとしてもさ それが一般社会規範になったら、やばいよな。人間なんにもしゃべれなくなるっていうか 決められたこと(当たり障りのない)しかしゃべれないロボットみたいになっちゃうね。 口がなくなり、耳も、そして目線すら危険だ。とゆーわけで三猿だ。 ホンマ、世界を動かしている人たちってプライド高すぎるよな。神経質、潔癖。庶民の感覚とは剥離してるぜ本当。 で、上位層は余裕があるから適当に生きれるだろうけど、庶民はただでさえストレスたまる中で道徳的締め付けが激しくなれば、 もう何のために社会の歯車になってあげてるかわかんなくなっちゃうね。こんな息苦しい世の中だから少子化が進むんじゃ。 メディア凋落の代表者 文化面 もうほとんど見てないけども、なぜテレビとか新聞でもネットニュースでも メディアが凋落したかというと、それは本物がいなくなって、かつ本物を推さなくなったからだろう。 昔、本物が自然に存在していた時代は楽だった。それをそのまま伝えればいいだけだった。 じゃあ現状はどうか。システム的にも本物が出にくくなった時代。まがい物を本物だと言い張り、内輪ノリで褒め称える。 こういうのを見て、冷める。 それを代表するのが松本人志と木村拓哉だろう。彼らは若い頃は本物だった。 松本人志は30代前半まで、木村拓哉は20代まで。 彼らの欠点も若い頃には許されるもので、だから本物でいられた、という意味。 欠点とは、つまりハッタリだった。総括すると知性だった。 若い頃はルックスでカバーできた「万能感」も、加齢によりルックスが崩れなくなった。 松本人志も木村拓哉も若い頃はルックスが凄かったので、何事も分かってなくても「彼らなら分かっているはずだ」みたいに人々は騙される。 メディアもそういう風に煽る。それがハッタリの本質なのだ。 知性は顔に出る。特に目。頭いいヤツって基本目が据わっている。 だから目が笑っている人は知性派じゃない。あと口が締まっているのも大事。 若い頃は二人とも目がヘラヘラしていた。現状はくたびれて笑っていないという感じ。木村拓哉は怯えたよーな目 なぜ木村拓哉の目がビビっているように見えるかと言うと怖いから、本質を暴かれるのが。多分。 で、彼らは知性・・・教養でもいいけど、それらを身に着けることなく齢を重ねてしまったので、齢相応の渋さがない。 年長者に求められる渋さ。微分積分とかいうんじゃなくて、一般常識を使いこなした結果というのだ。 (知性だけに関していえば、それこそ松本の相棒・浜田、木村の相棒?・中居の二人なんてのは、そもそもハッタリがなかった。 「自分はアホです」と認めたうえで自虐なりアホらしさを全面に出して歳重ねてきたので、こっちの方が地に足着いたいい齢のとりかたしてんだよね。) 松本人志の本質は芸だが、残念ながら人を小ばかにして成りあがった人であって そのまま中学生のノリのままに現在に至っている。人の勝手と言われそうだが、50半ばのトップ芸人(とされている)がうんちおしっこで笑っているというのはどうなのか。 木村拓哉の本質はアイドルだが、残念ながら彼のピークはアイドルらしく20代までであって そのまま顔が微妙になり、スタイルの悪さ、頭の悪さ、しかし20代のイキったノリのままに現在に至っている。 こういうのを、いまだメディアは「本物」だと持て囃している。 で、彼らが一介の芸能人ならばいいんだけど、それぞれの分野のレジェンドとして「本物」だと言い張っているのである。 こういうノリからも、メディアの軽薄さ、彼ら存在の空虚さ、現芸能界の虚構ぶりが分かるというもの。 芸人ならさんまとかたけしの立ち位置は理解できる。二人ともハッタリがなかったから。地に足着いた活動を行っている。 木村拓哉への心無いヨイショぶりがすさまじい。本人の目の死にっぷりは、本人もどこか分かっているからではないか。(どうせ台本で言わされてんだろ)と。 木村拓哉世代だったら明らか他の人達の方が齢相応に格好いいですからね。反町とか竹野内とか。 ま、自分を高められなかったのは二人の自業自得であろうが、ファンに殺された代表格ともいえる。 「そのままでいい、そのままでいい」というファンに殺されたともいえる。 松本人志のファンは松本と同じ境遇の人が多いんじゃないか? 松本人志が自分たちと同じような学歴(高卒)ながら芸能界のトップに立ち、インテリを顎で使っていることで心酔しているのである。 だから松本を否定することは自分を否定することになるので、出来ない、みたいな。 実際芸能界とかインテリばかりですから。そこに本当の意味でのアホが入った、そりゃ自分たちのアイドルに違いないワケ。 しかしそれも若い頃までであって(ヘタすりゃ4時ですよーまでかも)30半ばぐらいからはもうハッタリの連続。 木村拓哉のファンは、まあ女性が多いと思うんだけど、ジャニーズファンって、そのアイドルが40超えても「〜ちゃん」とか言って 大人としての渋さを求めないので、木村拓哉をヨイショするファンってのもそういう人なのだろう。40半ばの渋さはないけど、ファンは楽しければいいのだ。 その癖メディアは木村拓哉を渋い、ダンディ、男の中の男とか言う。ほんと中身がねーな。現メディアとそれに追随する芸能人は空虚を超えて「無」に過ぎない。 で、二人ってのは今、家族の存在によりさらにヨイショされている。家族を守る男という感じで。 卑怯だと思うけどね。勝手に家族作った揚げ句に批判するのは大人げないとかね。家族を盾にしているわけだ、これが今の主流ですよ。 だから、そこから見えるのが何かと言えば、現在の日本そのものだということ。つまり保守的であるということ。 何か前進するのではなく、守りに入っていくということ。そしてそういう人たちの方が持て囃されるということ。 今はそいつが何をしたかでなくて、そいつはどういう人間かですべてが決まる時代である。 極端に言えばファンの都合のいいことだけを言う芸能人が持て囃される。単純に良い悪いでは語れない問題だろうけど 二人はいつまでもメディアにヨイショされ続けるだろうことに疑いの余地はない。全盛期から30年経ち、40年経ってすっからかんになってもヨイショされるだろう。 ファンがそれを望み、本人たちもそれを望み、メディアもそれを望むから。 松本人志も木村拓哉も思った以上にバカでなんにもないと思うんだよ。ただ全盛期、あまりにもビジュアルが良かったので ハッタリづいてしまったって感じ。言い過ぎかもしれないけど、ああいうのを持て囃した結果が五輪開会式の全貌なんじゃないの? 所詮松本も木村もデカい権力に利用されているだけなんだな、ピエロだよピエロ、ああまですっからかんを表に出せるのは関心する、 で、情けないね。もう本物ってのは出てこないんだろう。 よく創作で「男目線の女描写」が叩かれているが、昨今の状況からして、それは時代遅れのものとなってしまっている。 そもそもなぜ「男目線の女」が叩かれるかと言えば、「女が実感する女らしさがないために、それはリアリティがない」ということなのだ。 しかしながら、男らしさ、女らしさなどない、という昨今の風潮は、そうした批判を封殺している。 つまり、「男目線の女」もまた、1つの尊重される「女」だからである。 女らしさという共通項、共通概念、共通意識があって、はじめて「男目線の女」は批判されてきたわけであるが、 すでに男や女に「らしさ」という共通の概念を求めることは出来ない現状にある。 こうしたら男、こうしたら女、という共通項がなくなっているからである。 スカートを履く男はただの男であり、いわゆるオッサン趣味にはしる女もまた、ただの女なのである。 そう、あくまで「男目線の女」が嫌いという人は、あくまで「わたしにとって心地が悪い」というだけである。 なぜなら、女はこう描かれなければならない、という約束事はなく、また、一般の女性はこうだ、とも言えないのだから。(「普通の女性」なる概念もまた存在しない。) であるから、「男目線の女」「女目線の男」に対し批判があっても、そこに「男はこうだから、女はこうだから」というワードは含まれるべきでないのである。 男はこう、女はこう、という決められたものがないからだ。男は男であって、女は女なのだ。どんな性質でも、どんな趣味でも、ね。 昨今の風潮が正しいとは言いませんよ。 ここ数年の社会の変革、その意識、俺はついていけないね。 何よりも政府が、社会が、人民が「清く正しく美しく」を当然のように騙っている現状を適当に甘受するヤツなんているんだろうか。 LGBTだのジェンダーだの、ポリコレだの、それを語る創作が、いつの間にか「社会のすべて」が作らせて「社会のすべて」が求めている という風になっていないか。あくまで彼らは一部なのに。一部が作り、一部が甘受するという実態なのに。 なのに社会全員がそれを求めている――というような空気が強引に作られているから嫌なのだ。 LGBT、ジェンダー、ポリコレ、好きにしたらいい。 しかし、全体に対し、強制的に何かを求めることは、社会の営みというものを簡単に考えすぎなような気がする。俺には出来ないね。 少し軽薄といったらいいのかもしれない。従来の仕組みを変えるな、ではなく、変えるならじっくりと、内面意識をも変える感覚でやれといいたいね。 同性愛を見ようが黒人を見ようが石を投げたり罵詈雑言を放ったり、リンチしたりすることはない。 何よりも問題なのはこの問題を大きく広げたのがアメリカということなのだ。アメリカを正義の国などという人はいないだろう。 敵を見つけなければ生きていけない国なのである。そして諸国を巻き込み、自分たちを完全な正義の立場に置く。 自分が正義で、相手は悪。こう極端な思考で国盗りをやってきたのがアメリカだ。だから今の変革も、やはり「極端」なのだ。 いずれカウンターがくるんじゃないか、とか思ったりする。 性の問題。さんざん書いたが、女の裸は差別らしい。女をエロく書いたら差別。なぜ。 なぜ女をエロく書くかと言えば需要の問題、ビジネスだ。男は女の裸を見たい、でも女はそこまで男の裸を見たいわけじゃない。 それだけだ。男は女のパンチラを見て得をする。女は男のパンチラを見ても得はしない。 男女間の性の問題だ。売れるし、望むから女をエロく考える。何より本能だから。しかし女は男を同じように考えない。 それだけの問題だ。つまり、この問題に対し女性差別とか言っている奴は、ただ一部のキチガイと同調し、周囲に進歩していると見せかけたい頭の弱いバカだ。 あくまでの一部が騒いでるだけと思いたいが、ほとんどがそう思っているならば将来的に女はアンタッチャブルな存在になるだろう。 女を触ったらセクハラ、ジョークを言えばセクハラ、二人っきりになってもセクハラだ。 やはり女は守られる生き物なのだ。前に出るには繊細過ぎるな。と、こーなってしまう。 今は完全に枠のない時代なのだ。今までの常識がなくなった時代。「何をしてもいい」そういう時代。 しかし俺のような庶民からすると、枠があった方が生きやすいというか、自由を満喫しやすい気がする。 この先、国という枠がなくなり、人種という枠がなくなり、年齢、性別、容姿、行動、すべての枠がなくなるのであろうか。 それ生きてておもしろいか? 俺たちはすべて、どこかジェラシーであったり、または闘争本能、そして本能的な支配欲によって社会を作ってきた。 これは後天的なものではなく、潜在的に動物として残っていたものなのであり、「枠」という名のジェラシーがあるからこそ、俺たちは枠外を自由に想像し、楽しんだはずだ。 枠内での闘争、支配。じゃあ実際枠がなくなると、これは「無」だ。他人からの視線が意味のないものになり、オシャレをしても、格好良くても、一芸に秀でていても、 何にも興味を持たれない。枠をなくすとはそういうことだ。枠とは平均基準であり、基準がなくなれば、俺たちはただ、漂うだけの物体にすぎない。 この枠、または基準こそ、俺たちが社会を営んで作り上げた最高の文化だったはずだ。 俺は深作欣二 昨今の社会情勢に対する俺の感慨は、それこそ戦中派が戦後民主主義にとまどったのとよく似ていると思う。 枠という名のちょっと残酷で、ちょっと不思議な、ちょっと楽しい存在に振り回され、それを受け入れた矢先 「枠なんて存在しない」などという偽善ワードが社会で蔓延。政府が、そして社会全体が綺麗ごとを言うという、とんでもない時代。 その先の将来は明るいものだろうか。おれは信じない。綺麗ごとの裏には汚らしい現実がついているものだから。 美しい戦後民主主義の裏にあった金と欲望の世界、厚顔無恥になった(お里が知れた)日本人、権力の破邪顕正 深作欣二が「何にも変わってねえじゃねえか」そういう悔しさを「仁義なき戦い」に込めたのと同様、 やはり国が主導で綺麗ごとを言う裏にはとんでもなく醜悪な現実が待っているのだろうなと確信する。 結局、綺麗ごとを言う人々ってのは半分は革命に酔っている奴か、半分はインテリ、金持ち、つまり育ちのイイ奴らなのだ。 ポリコレ。とうとう映画は、一部の知性人が「庶民を説教する」ツールになり下がった 昔は庶民を喜ばせるためにエログロナンセンスと差別上等喧嘩上等なる、人間の本質を軽く突いて刺激させてくれたものなのに 今では一部の目のイっている被害性自己憐憫英雄願望を併せ持った方々(運動家)の思想を俺たちに押し付ける文化に、これがポリコレだ。 俺の好きな映画は、説教じゃなく、そこに善と悪の真実がない作品なのだ。7人の侍に善と悪があったか。 答えではなく、考えを見せてくれるのが俺の好きな映画だった。 全ての人種を満遍なく出す。不自然だ。いわば人気ドラマ、アニメの映画化みたいなもんだ。全キャラクターに見せ場を用意する。おもしろいか。 ポリコレは多様性を生み出さない。「これはポリコレかどうか」。すべての映画にその基準がついてしまうからだ。 もはや昔の映画も現在の価値基準で罵倒している始末。やはりアメリカ発の思想なのだ。極端すぎる。馬鹿め。 これはポリコレ的だ。素晴らしい。これはポリコレではない、クソッタレ。そういう思考が成り立つようになると多様性が善で、他は悪ということになる。 これまでにはなかった「枠」が出来てしまった。どう考えても何も考えずに人種を散りばめていた「かつて」の方が自由だった。 彼らはすべての映画、作品に「差別」を見出すだろう。差別とは何だろうな。もう差別という言葉には「差別だ!」と言う側の鋭利な武器にしか見えない。 差別差別言ってるやつは死ぬまで言い続ける。これ確実。 被害性と英雄願望、これを併せ持った奴が今の社会変革を一心に担っている。彼らは永遠に第一線を走り続ける。全てに「差別」だと騒ぎ立てて。 金持ち、インテリ、育ちのいいやつ、つまり運のいいやつに説教されるのはごめんだね。 古い価値観、価値観をアップデートしろ。彼らの驕り、傲慢さが分かるというもの。 俺たちが生きてきた、それに順応してきた、矛盾と苦楽ある世界を「間違っている」と断言、挙句、応じない者を説教、見下し、差別主義者とのレッテルも貼る。 最近の風潮。何が腹立つのだろうか。冷静に考えてみた。俺の内なる差別精神がそうさせているのだろうか。 答えは1つ。権威に否定されることが大嫌いということだ。それもオレの思考だけじゃない、思考を育んだ時代そのものを否定されるというのだ、 そして時代やそこからくる価値観、それらを否定するのが全人口1%にも満たないインテリ、運動家、総じて権威たちなのだ。 そういう一部により大多数の「今まで」が否定される。俺はうんざりだね。挙句、きれいごととくる。 まず言っておきたいのは、おれは黒人だの同性愛だの、否定することはない。罵詈雑言をはくことなければリンチにもかけない。 在日には一躍選挙権を付与するべきだし、女性だからという差別もいけない。つまり特別こだわることはなかったというのだ。 しかし、現状の一部の権威が起こそうとするアクションは「極端」すぎる。そこからくる反発。 ゴミ1つない清流にしたいのが現在の権威なのだが、理想だけならばいい。しかしそれを、一瞬の内に成立させる、いわば強引な手段、思想、やり口はいただけない。 俺は人間の限界というのは、従来こそが限界だったと思う。口で言ってきかないというのが人間の限界だと思う。 いわば人間の本能というものである。口や雰囲気で言ってきけないのは本能だろうと。 しかしムリヤリ権威で押し付け、そしてそれが常識になる。それはきわめて人工的で、不自然だ。 女がなぜ、運動家の言葉を借りて言えば「男に支配」されてきたか。 それが局地的なものでなく、全体的に同じことが起こっていたことから、それが動物、生物として自然なことだったからと言える。 公権力でなく、どういう風に作ってあるからだ。 なぜ女の体格は男より小柄なのか、なぜ女の性器は男の性器を受け入れるように作られているのか、そしてそれによりなぜ子作りが可能なのか。自然と男は外、女は内という生き方が常識になった。 当然男社会になる。そして女にはあまり適していない社会になる。なぜか。先に書いたことと、動物として、女は前に立つには守るものが多すぎるから。 従来の男女の在り方は自然に沿った生き方だったと思う。 そして、社会が徐々に成熟してくるにつれ、女が前に出られるように社会全体で改善、善処しようとする動き、それまた自然だと思う。 しかしながら、やるにも限界があると思う。散々書いてきたように、男と女では優劣はつけられない違いがある。 男という個性、女という個性、それぞれの不可侵な個性だ。その違いなく、男女五分を強制するというのは 俺は逆に人間つーのは男も女もない、ただの奴隷に過ぎないということになるんじゃないかという風にも思ってしまうね。 男、女。そういうものがあるから、俺たちは奴隷じゃないんじゃないか。肉体、精神の性別があるから、それぞれの動物としての生き方があるから 俺たちは個人個人を尊重されるんじゃないか。男も女も関係なし。それは生物でも人間でもないと思うね。 勿論、現在の社会で女がバリバリ活躍するのも自然だ。もはや肉体の時代ではない、知性の時代だからだ。知性は男も女も同等だ。 ただ、ここが現在の権威の問題なのだ。いわば知性の時代だから、動物的、肉体的な考え方は「古い価値観」「老害」となるわけだ。 現在の権威、たとえばポリコレもそうだが、かつての考えを「無くし」、新しい考え「だけを残す」というやつだ。 古い考え、新しい考えあっての自然な社会なんじゃないか。古い考えはすべて害である、どういう生き方したらそうなるのか。 つまり、そんな180度異なる社会へと急転換で進ませる権威は間違っているのだ。(180度変えなければ成り立たない社会は、もはや人間の営みではないのでは) ムリヤリ権威で五分にすることにより、動物的な生き方、いわば性別という名の尊重されるべき個性が失われ 俺たちは『西暦2525年』へと突き進んでいくのだろう。最後にはアメーバとなり、0になる。 同性愛、黒人等、彼らに対する扱いは「アンタッチャブル」なものだ。 彼らを否定してはならない風潮がメディアで蔓延。そりゃいいだろう。不満はない、じゃあ何が嫌なのか。 「彼らは完璧であり、彼らのいうことやることは高徳であり、皆が拍手喝采しなければならない、しなけりゃ差別主義者」という全肯定の押し付けがいやなのだ。 氷川きよしのもキモいと思うね。いや、彼がやることもままあるが、何より彼を盲心的に持ち上げる風潮と、彼の権威的発言による。 キムタク、グレタ、他様々な運動家と同様の人工的な持ち上げだ。従来の常識から180度違う感覚を、さも当然のように押し付ける。 メディアってのは毎日コロコロ価値観が変わっても疑問に思わないんだろうな。それを当たり前のように受け入れる中身スカスカのヤツも嫌い。 ワンクッションあるのが普通なんじゃないのか。ワンクッションないやつが怖いね。現状を当たり前のように受け入れているヤツってのは、正義の名の下ならば何でもやりそうやね。 しかし現状ではワンクッションある反応は差別主義者になるんですからね、おかしいで。そしてそれを権威側の人たちが、「価値観をアップデートさせてあげる」という風になるのだ。 これが権威的発言。氷川きよしは現在、そういう側に立っているという自認があるので、彼を従来の価値観から文句を言った人に「そういう人も母のように包んであげる」という権威側からの傲慢さを覗かせる。 プリキュアもそうだが、政治的な風潮が絡んでは権威がそれを操作し、価値観の古い人は悪で、新しい人が正義、という独善的な傾向が生まれている。 男のプリキュア、誰でもプリキュア、ちょっと違うんじゃないか。男のプリキュアはキモいと思うね。キモい。俺はもうね、老害でいいっすよ。従来で生きるのが老害なら老害でいいね。 誰でもプリキュア。最近はやりの「誰だって〜になれる」みたいなヤツ。おもしろいのが、こういうことを言うやつ程、社会的地位を持っている奴だったりする。ハッピーなヤツの躁的な幸せ思想をきかされるのはうんざりだ。 どう考えても偽善的だ。何かになるには席を空けてくれなければなれない。誰でもなれるという奴は空けてくれるのか。 ルッキズムとは何なのだろうか。美男美女が人気あるのは、数が少ないからだ。99%の平均と、一%の美男美女。 俺たちが芸能を楽しむのは、結局は見世物的感覚なのだ。いわばびっくり人間大集合というやつだ。 顔が整っているというだけでびっくり人間、いわば少数の奇跡なのだ。だから持て囃される。 そして種の存続にも、社会の発展にしたがって、条件が複雑になってきた。顔の良しあしがメインになったのはここ数百年のものだ。そしてそれは自然に発展したものだ。それだけだ。 しかし現在ではルッキズムを反対し、そこらにいる99%の人々が前に出て、芸能に出るようになっている。これはおかしい。 そこらへんにいるやつをみても楽しくないし、ビジネスにもならないだろう。一%のすごいのがいるからこそ芸能なのだ。 ・・・ルッキズムどうこうの問題ってのは流行ってないだろうね。本当に一部が騒いでいるだけでしょう。だってメリットがないものね。誰にも。 汚い顔、綺麗な顔・・・いわば整った顔、どっちを毎日見たいかと言えば、やはり美男美女でしょうね。これは本能じゃないかね。ほとんど潔癖症になった人類が不細工を持て囃すわけがない。 創作でもそうで、ハリウッドでは不細工をあえて出すことにより、不細工な人もそのキャラクターに自分を重ね合わせることが出来る・・・みたいな風潮らしいけど 余計なお世話というか、変だよな。我々は美男美女に感情移入するが、作品に自分はいないんじゃないの、ふつうは。 子どもだったら分かるけど、でもキャラクターと自分を重ねて絶望する子供なんているのか。何にせよ子供にとって美男美女という整ったアイドルってのは不可欠なんじゃないすか。 プリキュアっていずれ凄い不細工なヤツ出してきて、「お友達も一緒だよ」みたいなこと言い出すんかね。 いや、この調子(少数を持ち上げる)でいけばハゲのプリキュア、デブのプリキュア、身体障碍、知的障害のプリキュアも出てくるんじゃねえか。 この風潮ならばありえなくないというのがおもしろいところ。そして異を唱えると差別主義者となるのが凄いところ。あのさ、普通って枠もなくなるだろうね、近いうちに。変って枠がないんだから、今。 環境保護にせよ、人権尊重だの、反与党だの、それぞれに素晴らしいことだ。しかし嫌なのは、結局それぞれの陣営に「英雄」を作っているということなのだ。 結局彼らは英雄になりたい、アイドルを持ち上げ、自分たちを押し上げたい、それをメディアが報道する。気持ちが悪いね。 悲しいかな持ち上げられてるヤツ全員が胡散臭い。俺は思うんだが、こういう清く正しく美しい行為に特定の個人が名乗りを上げる、名乗り上げたヤツもイヤだし、それをよいしょするヤツも変、おれは確信するね。変だ。 そういう活動ってのは、この世に生きる個人個人が持っているもの、掲げるものであって、だれか特定の個人を祭り上げて推し進めるものではないんじゃないか。 誰か特定の個人を持ち上げる・・・俺は絶対におかしいと思うね。やってることは英雄願望、大衆から理解されないからという自己憐憫、この二つがある時点で大衆には理解されない。 そこを理解されているという風に持ち上げるメディアにも問題がある。何より一部の人々が一か所に集まって過激に行動できるSNSもヤバイ。 まあ、具体名を上げよう。環境保護のグレタ。うんこだね。人権尊重。ジョージ・フロイド。うんこだね。反与党、望月なんちゃら。うんこだね。 他にも腐るほどいる。日本国内では「新聞記者」というプロパガンダ映画で有名な望月。ああいう稚拙なプロパガンダ、いわば自分たちは正義で、相手は悪、そういうものに踊らされる奴らの多いことよ。そういう輩にも問題がある。 ネトウヨ、パヨク・・・ほかにもヴィ―ガンなりフェミ(ネットで有名なのはツイフェミというらしい)。 彼らは同じ立ち位置だ。極端な思想に、被害妄想と英雄願望とが合わさった危険な存在。挙句、実社会にも影響を及ぼす団体なのだ、やばいぜ。 ツイッター、またはSNSで政治思想を語る奴は例外なくクソだ。何でもそうだが、どんな意見であれ、ネット上では数字が特に注目を集める。 そうなのだ。先に書いたように、SNSには極端な思想を語る奴が密集する。一部の過激な言動を、仲間総動員でいいねしたらどうなるか。 たかだが1万という数字。日本国内でいえば、1%にも0.1%にも、0.01%にも満たない数字。しかしツイッター上で一万いいねされると、普通の人なら 「けっこう支持されるんだな」となる。 しかし俺が信じる、多少はまともな政治的「いいね」とは、普通の人もまたいいねをして、そして支持者だったりとのいいねが均衡、又は普通の人のが支持者より多い、 それこそが「まだ」まともな政治的いいね、政治的SNSの姿だと思う。例えばアベノマスク批判だったりとか。そこにはイデオロギーなく、普通に「馬鹿野郎」というのだ。 じゃあまともかどうかの判別、いわば普通か支持者どっちのいいねが多いのかの判別の付け方だが、これはツイートの内容が感情的かどうかによるんじゃないか。 もしくはそれぞれの界隈の言葉が使われているとか・・・まあ判別は感情的かどうかだろうね。ツイートするヤツが普段から政治発信しててもまずいし。 なんにせよSNSやるなら趣味でとどめるべきだね。 政治は終わりだ 今や政治の場においては 自分を正義と信じる自己陶酔にイカれた人々が、相手・・・いわば悪を罵り、仲間内でよろしく青春している――それがスタンダードとなっている。 しかし、俺、また俺たちヤングたちは知っている、正義はどこにもなく、悪もなく、だからこそ一方的な主張に耳を貸す必要はないと。 だからこそ、俺たち心の優しい現代の若者たちは、「自分を正義と信じている」人々の一方的な罵詈雑言と、 彼らが妄信する政党の一方的な欺瞞と媚び――それを一方的に伝える全てのメディアによって、覚めるのだ。政治は終わりだと。 俺たちと政治は何の関係もない。関係あるのは、ある一定の年齢以上の人々なのだろうか、彼らには政治に正義がある。 だからこそ、悪を罵り、罵倒し、バカにする。それを脇から眺める俺たちは引いていく。そして上にあるように、気づく。 俺たち平穏を求めるヤングに、喧騒の場は不要だ。 俺はいわゆる若者と言われる人、老害と言われる人の気持ちがわかるし (時代が進み得たもの、失われたものを可能な限り愛したい) 今を肯定するために過去を全否定するようなことはしたくないし (自分が年とったときに『お前の営み総てが差別的で非人間的で間違いだった』と言われたらどうする?) 時代が進むにつれ社会はよくなっていくなんてことは思わないし (そう思う人の希望は人類が滅ぶその時まで叶えられないだろう) 何か語る際に「正義」の立場として話すことはないし (絶対正義など世の中にはないし、意見が違う相手を悪だと糾弾するのは戦争への常道だ) 自分の意見イコールみんなが思っていること、望んでいることだとは思わないし (だからといって自分以外が敵だとは思ってはいけない) 世の中が常に変わっていくなら、いっそずーっと変わらないでいて欲しい、という人間なのだ。 俺、庶民は安定をもとめる。そこそこの金と余暇と自由だけがあればいい。 地位だの名誉だの、偉くなりたいだの、そういうエリート層の欲望を俺たちに共感させようとしないで欲しい。 ただ神経質、潔癖症、プライドが高いだけの人間の言葉を庶民一般の意見としないで欲しい。 俺がいいたいのはそれだけだ。 21世紀は人間が、0か1しかない機械になるか、それとも従来の生々しさを抱えて繊細に生きていくか、そのどちらかの選択の時代だと思う。 価値観のアップデートって言葉使ってるやつは人間じゃないんだよ。ロボットですよ。0か1しかない、極端さの中でしか生きていけない。 ロボット言語を拡散するロボット野郎は地獄に落ちろ。いいか、地獄に落ちろ。苦しんで死ね。 ここ一年の世界を見て、なぜ何百年前に魔女狩りが行われたのか、なぜ世界は大戦争へ突き進んだのか、なぜ理屈で理解できない物語が起こるのか 俺はその流れを生身で理解したよ。空気感とレッテル張り、我こそは正義と語るクソ共が作った価値観の責任なのだ。 つまり「正義」。この旗。いつの時代も、どんな出来事も、いずこに住む人々も、この言葉で破壊され、喧騒を残し去ってしまった。 俺たち庶民の行動倫理に正義はない。正義を騙りなにかはしない。ただ、何となく。そのほうがいい、とか。 それもこれも俺たちを奴隷のように扱う巨大資本が与えたささやかな自由の使い方に過ぎなかった。いちいち深いことを考えない。 そして正義を騙る奴らが・・・いわば上位層が、つまりは巨大資本にふんぞり返る奴らが正義感から、俺たち、いわば上位層を支える奴隷を「遅れている」と否定する。 俺たち庶民の仲間にレッテルを張って、そいつを攻撃してもいいという空気感を作り、正義に酔ったクソ共がそいつをボコボコにする。 そして庶民は何も言わず、黙って遅れないように彼らの後をついていく。しかしいつの間にか彼らは姿を消す。 俺たちは束の間の平和を過ごす、そしてまた彼らが現れ「遅れている」との否定が始まり、喧騒が生まれる。 正義を騙る奴らこそ正しく、俺たち庶民こそが間違っているという流れが。 いいか、世界は糞だ。いつの時代も、俺たち庶民こそが被害者であり、だからこそ俺たちは自分の価値観を守るべきだ。 俺たちを見下し導こうとする上位層のゴミどもは地獄に落ちろ。 いい映画を教える。12人の怒れる男。いい映画だ。俺の好きな奴はソーダ売りのおっさんだ。 彼こそ俺たち庶民の姿だった。 上位層が作った仕組みに乗りきれない彼。彼は税金を納めるアメリカの国民だ。軽薄さは誰が作った。仕事が忙しい、面倒だ。つまりは庶民の余裕のなさを率直に表す。 上位層は彼をゴミでも見るような目つきで見る。ソーダ売りでしかない下位層のおっさんを。前まではおっさんと同意見だったのに 上位層の迫力が上がるにつれ、彼らに迎合しオッサンを見下す奴も多い。そしてオッサンはクソだという空気感を作り、レッテルを張る。 俺たちもそういう風に彼を見る。凄い映画だと思う。すべてを内包する映画だ。フォンダに酔うのもいいし、ソーダ売りのおっさんでもいい、 正義とは、話すとは、庶民とは、すべての問題点がここにある。 21世紀は、0か1しかない極端な、いわばデジタルな社会になるか それとも20世紀までにあったあやふやで生々しいアナログ社会になるか どちらかを決める時代だと思っていたが、たった20年で勝負は決まってしまった。 上が決めるならまだしも、庶民もデジタル社会を望んでいるという始末。 いいか、俺は宣言する。俺には20世紀しかない。もち21世紀の恩恵を受けてはいるが・・・俺の価値観は20世紀にある。 つまり俺は老害だ。言い方を変えれば人間そのものだ。 俺たち庶民、男でも女でも働きたくないんだ。ニートになるっていうんじゃない、ただ現状では身体が持たない。パートレベルを正職のスタンダードにしろ。 なのに上は言う。女はもっともっと前に出ろ。進んでエリートになりたい奴の気持ちは分からないが、ただ働きたいなら働けばいい。 しかし、もっとも尊重すべき意見は俺たちの「働きたくない」という意見なのだ。 いつの間にか労働=自立、人間の本分みたいになってしまって、労働したい人間だけが持て囃され、労働したくない人間はクズだ みたいな資本家にとって最高に都合のいい流れが意図的にか続いてしまっている。 テレビで偉くなりたい女がバーンと出てくる。でもそんな奴ひとにぎりなんだよ。なのに偉くなりたい女の意見イコール世界の意見みたいな。馬鹿かよ。 男でも女でも庶民は偉くなりたくないの。そこそこのお金と余暇と自由があればいいの。仕事も楽なのがいいの。 クレバーな女はわかるだろうが、流されやすい女は彼らの真意に気づくことなく、地獄の釜の中に自ら入って行ってしまうのだ、哀れなことだ。 「働かなくてもいい」を前提に社会進出の話をしろ。「女も働いてる、男も働け」という流れを作るための女の社会進出、半分あると思います。 偉いさんの地位に男が就こうが女が就こうが、そんなエリート主義の強欲連中の話はどうでもいい。 現在の流れは間違いなく資本家主導であることは間違いがない。 現在の世界をきれいにしようという運動、これは最低をのして最低だ。つまり俺たち庶民にとって。 俺たち庶民は大雑把な世界でこそ輝く。大雑把こそ人間で、庶民で、ホンモノだった。 しかしいつの間にか、そのあやふやなアナログが、0か1しか許されないデジタルな空気に変わっていった。 俺たち庶民は、現状ただでさえ奴隷、納税に苦しむ貧乏たれなのに、これ以上俺たちから 大雑把・・・言い換えれば余裕、軽さ、ラフさを奪ったら、オイ、俺たちは何も言えないただの納税ロボット、会社の歯車、本当の奴隷になってしまうんだぞ。 エンタメ、創作ってのは存在するだけで国家への反権力だった。彼らは俺たちが何もしなければ黙って締め付けを厳しくするだけだ。 そこではどれだけ絞れるかということが至上のため、娯楽など奴隷の邪魔なのだ。だからエンタメも創作も国家からすれば全く必要がない。 しかし俺たちは奴隷ではないから作る。作って俺たち庶民の大雑把さ、欲望を満たす。満たされた俺たちは知る「俺たちは奴隷じゃない」と。 だが現状どうか。エンタメ、創作の自由はますます締め付けられている。 それを推し進める、種のリーダーを騙るクソども、彼らの眼中に俺たち庶民の姿はなく 名誉と綺麗ごと・・・そこから生まれる正義の御旗を飾りたいだけなのだ。アメリカは消えろ。庶民からゆとりを奪ったクソどもは地獄に落ちろ。 挙句彼らを支持する庶民。お前ら自分で自分の首を絞めていることが分からないのか? これから生まれる子供ほど可哀想なものはない。生まれながらに聖人、仏のように生きなさいと教育される。彼らは解脱するために生まれてきたのか? お前たちの性器は何のためにある?ここ数年の「神を騙るクソ共」のおかげで、俺たち本来の「性的な」動物としての生き方が完全否定されてしまっている。 完全にイカれてるぜ。そして奴らは過去をも完全否定する。過去を徹底否定し、現在だけを肯定する・・・何が残る?今の文化は空虚を超えて地獄だ。 現在の世界クリーン作戦を推し進める人々が反出生主義者ならば、こうしたやり方はわかる。こんな息苦しい世の中に子供産みたくないよねって感じで。 しかしもし、彼らが「安心して子供を育てられます」といってこのプランを進めているのなら完全に気狂いだ。 こんな味もそっけもない、性もなければ、物事が正義と悪に完全二分されたデジタル社会に生まれて、なにが楽しいんだよ。 現状起こっている事、そのほぼすべてが俺たち庶民に関係ない上位層が勝手に取り決めているんだろうけど、それらはすべて間違っているよ。人間としても動物としても。 いいか、庶民を代表する俺の感覚だけが人間の真実だ。 世界中の、「喧騒に加担する人々」に一言いいたい。神にでもなったつもりか?と。 俺たちは神じゃない。俺たちはダニでいい。だからこそある程度ラフに生きるべきだ。 それが出来ない神経質、潔癖症、プライドの高い人間は自分を「神」だと思いこんでるだけのウンコだ。 昨今の世界風紀委員による綺麗ごとの押し付け、なぜ俺はこれらに拒否感があるのか。 それは俺がピュアだからだ。俺はそれまで黒人、女、同性愛、様々を俺なりの価値観で愛してきた。 しかし急に、「こういう愛し方しかダメです」という風になった。人々はそれに熱中する・・・ 極端な押し付けとそれに酔う偽善。それにより、挙げられた対象はすべて「紛い物」になる。 紛い物を嫌う俺はそう、俺の従来通りの愛し方こそが営みの延長線上、つまりは俺なりの、または世の生物が延々続けてきた ナチュラルなスタンダードだと確信する。風紀委員は100%を騙っている。これしかないと。これ以外は認められない。 いいか、これはデジタルだ。ナマモノを扱う感覚じゃない。21世紀は完全に1か0かのデジタル社会になると書いたが まさしくその通りのこと、そして管理社会、『上』が決めたことが俺たちのスタンダードになってしまうという現実。 いつの時代もそうだった、しかし現状、身だけでない、心までもデジタルに支配されようとしている。 0か1か。人間の生々しさを完全否定し、国家労働、いわば税を納めるだけの奴隷として、がスタンダードになってしまう際に俺たちはいる。 しかも俺たちは互いに監視しあい、庶民同士で殺しあいが始まっている。 いつの日か女が生理に苦しまなくてもいい日がくるだろう。そうなると女の身体で子どもを産むこともなくなる。 つまり、いずれ試験管ベイビーは誕生する。 今、母性や父性という生物の営みから生まれた言葉が否定されている現在、女の身体で子どもを産むこと自体には何の価値もない、という風になる。 今はそれまでの『生物らしさを尊重』よりも『人を縛るな』という人権第一が主流だ。 つまり試験管ベイビーを否定すると 「生理で苦しむ女性、妊娠で苦しむ女性がいなくなるならいいじゃないか。お前は女性を苦しませたいのか。お前は老害だ。」 となる。絶対になる。そしてその日は近い。徐々に、俺たちは元々備え付けられてきた肉体を捨て、『何か』になってしまうだろう。 ここでくるのがいつのも考えだ。そこまでして子孫を残す、社会を残す、社会で生きる理由は? ないのだ。なぜ国が子供を守ろうというのか分かるか?労働力を守るためだ。つまり子供はいずれ大人になり税を納める立場となる。 それだけ。国力、労働力のため。道徳とかじゃない。 なぜ国がポルノ、麻薬を規制するか分かるか?労働者が堕落するからだ。国が弱くなる。それだけ。道徳じゃない。 いいか、俺たちは仏様になるために生まれたんじゃない、もちろんクソになるために生まれたんでもない。 なんにせよ極端さこそが俺たちを狭める。俺たちを殺していく。デジタル社会は俺にとって息苦しい。俺は20世紀、産まれてもいないアナログ社会、その価値観を愛したいね。 俺たち庶民が「潔癖症、プライドが高い、神経質、被害妄想」こういう輩に合わせる必要はない。 庶民の感覚とは剥離しているからね。庶民なんてのはそこそこの金とそこそこの余暇とそこそこの自由があれば満足するんだよね。 地位が欲しいやつの考えなんて知らないし、やっぱ上位一割の人間が俺たちを苦しめてんだね。 近年あまりに潔癖すぎるな。これからも進んでいくんだろうが、あらゆる改革の前提として「人間は大雑把に生きるべき」っていう ものが不可欠だと思う。俺は神には用はない。しかし、国が企業が、あらゆる潔癖を利用し さらにSNSで急増した潔癖〜被害妄想の人々が、神になろうと、俺たち庶民の自由を奪っていく。 創作エンタメってのは存在そのものが反権力なのだ。国は俺たちが何もしなければ黙って締め付けを厳しくしてくる。 だから俺たちは俺たち庶民の倫理と感覚であらゆる創作、エンタメを出さなければならないのに 庶民同士でそれを締め付け、なくそうとする。国の思うつぼだ。俺たちは奴隷じゃないのに、神になりたい人々は自ら奴隷になろうと行動している。 箱入り娘が一緒に地獄に落ちようというのが現状だ。端的に言うと、ツイッターが俺たちのすべてを終わらせた。 もはやネットは終わりだ。どこを行っても糞しかない。2chやまとめサイトにはゴミクズのような若者〜オッサンしかおらず SNSには独善的な政治メッセージが飛びかい、動画サイトはYOUTUBERが占拠し、話題を操作しようとする企業、締め付けを厳しくする国家、金金金。 個人サイトだけが救いだ。俺たちには個人サイトしかない。 もはやメディアは終わりだ。どこを行っても糞しかない。テレビ番組にはゴミクズのようなタレントが思考停止で事務所の意向を言い 内輪話ばかりが流れ、ドラマやアニメはスカスカで、製作者は幼稚なイデオロギーを発し、それで内輪に称賛され、いつのまにか俺たちの総意となり ニュースは分断と断絶を生み、NHKは俺たちから搾り取り、金金金。 個人サイトだけが救いだ。俺たちには個人サイトしかない。 21世紀は人間がいなくなるんだと。つまりみんなロボットになってしまうんだと、企業、会社、資本のね。 性別をなくそうとかいう運動も資本主導だろう。社会において性別こそが、俺たちが「ロボット」じゃない、人間としてのアイデンティティを守っていたのだと。 そして性別がなくなる――俺たちは人間でなくなる。ほとんどの人間は性別をなくすことを望んでいない。 しかし世の中を動かす一部のエリートがそれを主導し、みんなが望んでいるよう錯覚させ、で、それが行われる。 その時、俺たちは人間ではなくなり、ただのロボット、企業、会社、資本のみに従属するロボットになるのだ。 昨今あったでしょ、男女格差どうこう。あれは資本労働に従属していない人間はクズだ、という資本からのマウントでしかなかった・・・。 こういう女がいい 虚構抜きで最高の女とは、キモい顔してBL本を読み、キモい顔してBL同人を描く女。これにつきると思う。 性を否定せず貪欲に突き進むという生物としての勝利と、その性を現実にぶつけず虚構にぶつけるという人間としての勝利。 そしてなおかつ自分の醜さを自覚することにより、異性の(虚構に対する)欲にも理解を示すというヤツ。こいつが最高だ。横にいたら絶対嫌だけど。 全ての文化はちょうどいいところを通り越し、じゃあ後はマニアックにいくしかない。 だからこそ文化の中で何が一番進化したかと言ったらエロだった。俺はちょうどいい文化を愛する。20世紀。 素晴らしき21世紀。 21世紀のいいところは、優れたエロと、20世紀の作品を見ることが出来ること。それに尽きる。逆に言うと21世紀にはエロしかない。