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ポリコレってのはやり方の問題であってね。急に、足並み合わせたように、映画的文脈とか それこそディズニー等の会社が操作してきた方法論を自分たちでぶっ壊して で従来の見方で慣れてたヤツは驚くし、困惑するんだ。で困惑したら差別主義者だというね。 なぜ急に、フツーのやつでも「え?なんで?」というシークエンス、キャラ、感情を持ち出したのか。 そしてそれに対し反対の反応を示すのは悪いことだという空気が生まれたのか? いわばアメリカンニューシネマが出たとき、日本じゃ賛否両論だった。 90年代後半、アニメシーン(だけじゃないけど)が心の繊細さとか、自分の苦しみを自慢げに描いたりとかを 批判されたりとか・・・それら現象は足並みそろえての発露だったワケだけど(つまり受けそうだから同ジャンルが連発した) 別に賛否あってもあいつはクズだとはならないワケだよ。じゃあなぜに今回だけそういう差別主義者だっていうレッテルが多発するのか。 それは人間の心とか道徳とか無意識の部分とかをコマーシャリズムの文脈で簡単に変えようとディズニーたちの 傲慢なんだよ。従来の作品にある現状の表現、でなく、映画が先行して社会を変えようと それも極めて楽な方法で、だから商業主義だよな。ディズニーの狡猾なところだよ。 自分たちが危うい方法で変えようとしているのを悟られたくないから、過激に反応するんだ。 心、道徳、無意識に訴えかけ、それを変えようとするのには、あまりにも性急すぎるし、無神経だし 誠意もない、ただ商業的に、これが流行り、これは遅れてる、という断絶しか生まない方法論ばかりだもの。 批判なんか楽にできるよ、従来の現象より。でもだからこそ過激なレッテル張りでもって壁作るんだよ。 ニューシネマでも90年代後半のあれらってのは、そういう意味じゃ無神経じゃないのよ。 余裕があるし、説教かましてるワケじゃないし、だから作りても受けても幸せだった。 でも今は違うんだな。ディズニーは本気で政治をやろうとしている。それも超アメリカ的な方法で。 つまり大多数のバカな国民を洗脳するための、善悪二元論でもって、コマーシャリズムでもって。 だから困ったら核打ち込むぐらいの適当&ラフ&人間不在の方法論で。 当然かつてないほどの賛否両論が生まれる。そらそうだわな。ポリコレ、に人間がいるかよ? 結局ディズニーほか少数のエリート、一万人程度の人間の操作にすぎないのよ。 世のなかってのは常にそうでしょ。スマホが流行ったのは大衆が求めたからじゃないよね。 そんな金の問題で、俺たち大衆同志が喧騒断絶してたらいかんのよ。 俺がポリコレが嫌なのはそこだよ。アメリカは変わってませんよ。なんかあったら核打ち込めばいいって、今でも思ってるワケ。 打ち込んだ先がどんな汚染、絶望、混乱きたそうがどうでもいい。 端的にまとめれば 道徳やら心やらってのは商業の範囲内で操作できるんだ、というショックだよな。