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宮崎駿と庵野秀明が日本のオタクの典型例だってのは分かる。
特に駿なんてルックスからスペックまでオタクそのもの。
バンカラな兄と普通の弟に挟まれた次男・駿。
勉強ができるがスポーツはまったくできない。兄弟の中で唯一不細工で、眼鏡。当然モテない。
軍事と漫画好き。高校時点で既に漫画家を志し、東映アニメ白蛇伝のヒロインに惚れ込むという
アニメオタク黎明期の人間だった。
そして大学では児童文学サークルに入る。22歳、東映動画入社。
しかし生まれた時代ゆえ、政治的な思考や先の大戦の残した傷跡など
後のアニメ世代と比べて確実に何かを持っていた世代であり、だから
庵野らのよーなただのアニメオタクで終わらない厚みはある。
後美少女が活躍する背景には病弱で聡明な母の影響が強く、そういう意味でも一筋縄ではいかない。
簡単にまとめれば、駿には学生時代の恋愛経験と強い包容力のある母というのが
完全に不足しており、それがそのまま描く女性像につながっているのは間違いない。
また非力ゆえパワフルな男性に憧れ、軍事への憧れからメカを、ロマンゆえ飛行志向。
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子供のころの駿。
モテるワケがない。拗らせるには十分な素材。
押井に言った「わが身を呪って・・・数十年」まさしく。
アニメーションの世界に行くべき逸材。しかし女性観は駿の好みが色濃く出、好き嫌いはある。
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そう、宮崎駿や首藤剛志等、世間様からすればフェミニストとか言われてる作家の嫌なところは
あくまで彼らの好みの女性というだけなのに、それ以外の女性像を否定するところなんだな。
ひ弱な女、守られる女、男の後をつく女は間違っている、というようなさ。
自分らが「しっかり者の女のコ」が好きで、愛してて、大事ってだけでさ。
邪推すれば、ああムキになるのは、
女のコにモテたいようなヤツがアピールで言っているようにしか思えないというか・・・
女の趣味で競い合ってんだよ。俺の方が崇高だみたいな。
でも俺はその場に巻き込まれたくないんだよね。
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1999年辺り、小此木圭吾と対談中、
「通俗文化は女性像がすごくいい加減というか、女性を看護婦とか保母にするかじゃじゃ馬にするか
しかなかった。今は拡大している。」
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と威張ったように言うが、人間の歴史ってのは過程なんで
今までもこれからもずっと変わっていくんだよな。男もそうでしょ。
ロボットアニメで言ってもマッチョから陰気な少年とかさ。
で、いちいち威張らないでいいんだよ、常に変わっていくんだから。
変わるごとに威張ったりする必要って、自慢したい、アピールしたい以外にはないんだ。
このあざといアピールがまたうぜえな。俺は解放者だっていうことですよいわばね。
それと大切なことを言うけど、彼らのいうしっかり者の女の子って、キャラクター自体そうだけど
平均より上の女の子なんだな。もっと言えばエリートだと。
駿の描く女の子ってのはお姫様か中の上、少なくとも知的レベルでは
テストで平均点とって渋い顔するよーな連中なんだよ。首藤くんの好きな女の子もそんな感じだな。
分かるかな、つまり駿にしろ首藤にしろエリートの出身なんだ。少なくともインテリなんだよ。
で彼らはインテリの、エリートの女の子しか知らないんだよ。つまり能力のある女の子な。
学校とか、進学校でしょ。親とかも賢くって。で彼らの職種にしろ、やっぱ知的な仕事ですよ。
そういう女の子しかしらないから、当時社会が産めよ増やせよより、生きがいやりがい自分らしさに傾きつつあって、
そこでまだくすぶってる能力のある女の子の実情を見、応援しようという意気込みだと思うんだけどさ
問題は、エリートの女性を描いてるだけなのに、女性すべてに、みたいな言い方をすることなんだよ。
分かるかな、男でも女でも、エリートにしろインテリにしろ所詮二割しかいませんよ。
残り八割は普通の人たちね。その二割の人間と八割の人間は全然違うの。
駿も首藤くんも二割の賢いしっかり者の女の子に肩入れするのは勝手だけど
それならそれでエリートの賢い女の子が好きって冠付けて区別して言うべきで、普通の女の子も併せて言うってのは
やっぱ女性人気を欲しいというアピールにしか見えないよな。
やっぱさ、能力のある、バイタリティのある女の子を見ているから、その能力を活かしたい
みたいなものを大事にするってのはいいことだと思う。
でも働きたくないとかダラダラしたいっていう女の子も大事にしないと。専業主婦とかでポテチむさぼってる太った女性も大事にしないと。
そっちが八割すべてとは言わんけどさ。でも能力のない人間が自分からびしっと働きたいってのもあんまりないと思うよ。
出来れば働きたくないみたいな。格差社会とか言うけど、バイタリティの有無もエリートと非エリートでは違うし。
男でも女でもね。
ともかく描いてる女の子像はいいとしても、それを全女子への眼差し、とか言って拍手するのは違うわ。
まあ、多分宮崎くんも首藤くんも8割型の女の子を好きじゃないんだろうが・・・。
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真正のロリコンってちょっと顔が幼いんだよ!
大人になりたくないってことなのか、童心のまま生きているからなのか。
しかしロリコンのきついのは、童心だけ生きてるワケじゃなくて、大人の男として
どうしてもスケベ心、性欲も絡む部分。どうあがいても純粋たりえない。
なので大人なのに悪い意味で子供っぽいという不気味なルックスが残る。
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チャップリン
大林宜彦
藤子F
ウッディ・アレン
ルイス・キャロル
ロマン ポランスキー
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全員どこか不気味に大人になりきれない幼さがある。なんでしょうねコレは。
ずっとピーターパンでいたいというのを現実でも敢行したらこうなると。
全員目がキラキラしてる・・・汚れているようにも見えるが。
彼らは少年時代の屈折を大人になって解消しようとしていた節がある。
当然、大の大人が少女を無垢に楽しみたいってのは、この世では絶対に出来ない行為なワケで。
だから芸術的にそれを貫徹したいってのをやったワケだ彼らは。
しかし先も言ったように大人特有のスケベ根性が出てくる。
藤子Fの漫画なんかわかりやすいけど、小学生が同年代の小学生の裸を見たいと思うかということなんだけど
世代や個人の違いがあるかもだけど、俺はなかったな。もっと大人の裸を見たいワケで。
藤子Fにはないけど、好きな子の縦笛をなめたりとかって、あるんかね?
やっぱり大人になって今、ああしたらよかったみたいな大人の理論なんじゃないすかね。
大林の裸や駿のパンモロも含め、やっぱ大人特有のヤツよ。うん。
藤子Fの小学生を脱がせたり恥ずかしい目にあわせたりと併せて
ジブリの計算100%のレイアウトがそのまま駿の願望を映し出す。
トトロのパンツ、入浴、魔女の宅急便の下着、パンツ、あられなさ、飛んで千と千尋の寝巻の背中、全体ガチっぽさといい
やはり大人の願望が入っているのは事実。
その中でも藤子Fとは男のコも含めて裸にしたりとスラップスティックのバランスをとっているけど
駿くんはもうバランスをとろうともしてないからな。女の子=可愛いで終わってんだよ。
つまり大の大人が少女を無垢に楽しむってのは芸術的でも不可能だと。
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宮崎勤と宮崎駿はよく比較されるが、若い頃の写真見れば、駿の方がやばい。
ロリコン顔ですね。
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細田守が「宮崎駿は男として自信がないから女の子の作品を作る」と言っていたが
あながち間違ってない。チャップリン、ウディ、ポランスキー、駿ともども小男である。
そして皆あまりいい顔とは言えない。藤子Fぐらいかな、いい顔は。
しかし書いたようにロリコン顔ってのは絶対にある。異常性癖者というか。それは顔に出る。
だから細田守も典型的なショタコン顔だ。もう典型的と言っていい。
悪いけど駿以上にキツイ。テレビに出しちゃいけないと思う。
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宮崎駿はいいロリコンだとか言われてるけど、(気持ち)悪いロリコンだろうね。
手を出してないからいいロリコンとか、ちょっとハードルが低すぎないかと思うよ。
宮崎駿が真正ロリコンってのはリアルに興味を持ってるところなんだよな。
アニメキャラだけ好きってのは庵野とか、アニメ世代漫画世代の特徴としては分かるけど
リアルのそれとはちょっと性質が違うもんな。
いつからリアル少女に興味を持ち始めたか。公式で残ってる最初の接触は
魔女の宅急便の作画の為、外に出て街ゆく少女のスカートを凝視していたこと。
そういう間接的接触ののち、いつの間にか社員連中の娘(娘オンリー)を
別荘に招いて、自身は山のおじさんとして彼女たちと一夜(?)を過ごすなど行い
2001年、千と千尋主演声優の柊千尋を幼いガールフレンドだと公に発信。
その際、13歳前後のガールフレンドは他に何人もいると発言。
ポニョ制作時、インタビューで現実の女の子をいかに頭に思い浮かべられるかが勝負なんだと語る。
その後、高畑勲との対談で、知り合いの女の子にプレゼントしたら
男の子にもせがまれ、しかし自分は女の子にしかあげたくないと固辞したというエピソードを披露。
高畑は「宮さん、それはエコ贔屓すべきですね」とニヤニヤ。
他現実どうこうは別に、1985年辺り押井守、高畑勲と議論している最中
12歳の女の子と恋愛して何が悪いと絶叫。高畑「宮さん、それはやばいなあ」とニヤニヤ。
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小此木圭吾と対談中、
「女の子と遊ぶ時、家内に『子供として扱わず、『あれは男の子として女の子を見てる』。
それを悟られていてはいけないと思って平気な顔をしたりしている。
息子と男兄弟だから、女の子と過ごす時間は、読んでる少女漫画とは全然違う。
その子たちに作られている作品は通俗作品にはない。」
小此木圭吾「それはよくわかりませんけど」
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なぜ宮崎駿が悪いロリコンなのかと言えば、実際に接触してるからね。
で、それは、権力でもって接触してるんだよな。スケベ心しかないんだよな。
どうして女の子だけを親の社員から募集し、それが可能になったのか。
これが普通の人間だったら可能かってさ、無理でしょ。
ある種のパワープレイというか。よく生臭坊主が少女限定で相談所みたいなしているけど
それと似ている・・・難しい話は抜きで下心しかない、気持ち悪いということ。
その究極が柊千尋がガールフレンドだとテレビで公表したこと。これ、セクハラというか
ほとんど虐待というかさ。まあ世界的巨匠だからいいってことなんだろうが
普通に考えて還暦の爺さんとガールフレンドって、ちょっと少女性に理想を持ちすぎているというか
どうなんだろうか。自分が少女だとして、60の爺さんがボーイフレンドだと言えるか。
また自分が少年だとして、好きな少女が60の爺さんのガールフレンドだと、理解できるか。
そういう客観視をなくすほどに少女にのめりこんでるサマが分かる。
でもテレビ公表は、やっぱ柊千尋のことは考えてないよな。児童ポルノとは言わないけど
やっぱ子供に拒否権はないから・・・。
普通の人間にはできないが、芸術家という特権と実績の権力により可能となった少女とのお付き合い。
昔から小さい女の子と付き合いたかったんだなと。そのためにアニメ作ってきたんだなと。
うん、魔女宅の時も千と千尋の時も女の子に見てほしい(笑)とか言ってたし。
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で、これまでの文章と振り返ってやっぱキモいのは、12歳の女の子と恋愛して何が悪い
と言った時とまったく変わらないストライクゾーンね。
わざわざ13歳のガールフレンドは他にもいると言ったのがキツイ。
14才になったら捨てるみたいなことでしょ。狙って12、3歳の子がいいワケだよ。
生々しいよなあ。今でも付き合ってるとかなら大したもんだけどな。ウディ・アレンみたいに。
そして何より、小此木圭吾との対談で登場した
「女の子を親としての立場でなく男の子として見ている」という衝撃的発言。
これでハッキリわかったよな。
つまり、トトロのサツキにしろ、魔女宅のキキにしろ、千と千尋の千尋にしろ
駿は親として描いたのではなく、男の子として、少年の心から描いたということ。
守る対象でなく、付き合う対象、愛でる対象として・・・
これは最高にキツい・・・というジブリ見る目変わるよな。
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そうそう。で、駿アニメの男キャラって全部駿なんだよ。内心がとかいうレベルでなく
容姿も
まんまやん。
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太眉に角ばった顔、でかい口・・・と自分を理想化した姿がジブリ絵というヤツ。
コナンも、ナウシカのあいつも、ラピュタのパズーも、トトロも(トトロも駿だ)、魔女宅のトンボも、紅の豚も、もののけ姫のアシタカも
全部駿じゃないかな。そいつと美少女がよろしくやるというだけの・・・
他に、トトロの親父も魔女宅の親父もメガネでね、トンボも。
耳をすませばをやりたかったのは自分そっくりの親父をやりたかったからじゃないかとか。
紅の豚は宮崎本人だし・・・宮崎ばっかり。
いいか、国民的だとか子供がどうとか、それは作り手の建前であって
本質的には美少女といちゃつきたいという欲求だけで作っている、それも自分をアニメに出してまで、だ。
君はもう、疑いの目抜きで宮崎アニメは見れませんね。
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12、3歳の頃の駿。
モテなかった若いころの欲求をぶつけてるだけなんだ。
それを拝めるやつってのは幸せだね。
ほんまのお前はこっちや エロアニメにも堂々登場
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さらに大人としてのスケベ心も加わり、サツキ、キキの下着や
特に千と千尋の千尋、そうガールフレンド柊千尋をモデルとしたキャラクターの背中ぱっくりとか、まあ見方を変えれば風俗だとか、もうしゃぶり尽くしてるよな。
で年とったら捨てるっていう(笑)。ほんまキモいな。
でも確かにそうなんだよな。あの有名な映像、もとい画像。
いつも男には厳しく、女にはシャイな駿も、このガールフレンド宣言では
相当に恥ずかしがりながら言ってる。男の子として言ってる。キツイっすね。
まあ柊千尋の最初の男は宮崎駿だったってことで。
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しかしこれ、髭面だからまだマシだけど、若いころの駿だったらガールフレンドになってたんですかね。
絵面的には・・・
これならばもうアウトですよ。完全性犯罪者にしか見えない。
しかし若いころ
自分で編集して笑ってしまった。昭和のスターじゃねえか(笑)まあスターだけど、でもサマにはなるよな。
これ見たらネットの有名な画像思い出した。
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ただ、宮崎駿のカミングアウト(これ完全ロリコンのカミングアウトだもんな)の理由は気になる。
まず駿はもののけ姫を最後の作品にするつもりだったが、結局柊千尋らガールフレンドと出会って
自身が昔から言っていた少女への作品として、極めて個人的な理由で作品を作ろうとした、その公私を超えた挑戦。
手塚治虫、藤子Fの死。そして近藤喜文の死。
いち芸術家、また労働者として、文化人知識人、タレントとしても頂点の位置にいた。
で、齢60。
なんていうかな、ある種もう好きに生きていいやという境地にいたんだと思う。全部手に入れたんだから、少女趣味ぐらいなんてことないやろみたいな。
この作品の成功で世界の駿となり、世界目線での作品作りが始まり、また気を引き締めての生き方が続いたけど。
でもこの作品こそ駿のある種最高傑作だし、それは現実の13歳のガールフレンドとの公私を超えた情のつながりからで
やっぱもうすべてのしがらみから突破したいという気持ちがすごく感じられる。
あと駿って昔のインタビューでもそうだけど、わりかし自分のことを恥ずかしいことも知ってほしい部分や
人間の汚い部分、嫌な部分もちゃんと公表しないとダメだみたいな感覚はあるんだよね。妙に誠実というか。
ロリコン宣言も、自身を無条件に持ち上げるメディアに俺はこういう部分もあるんだぜと勇気を出して発したものかもしれない。
まあ世界進出後は、自分の生き方が日本の代表となったということで、また気を引き締めはじめ、
この時ほど、ゆるんだことは言わなくなったけど。少なくとも世界的にこの13歳のガールフレンド発言は知られてなくて
もし知られたら駿も疑いの目で見られることは間違いない。海の向こうは日本以上にロリコンに厳しいのだ。
宮崎駿はリベラル、良識者として日本はもちろん、世界でも賞賛されている。
というよりいい風に利用されている。駿もそれをよしとしての気の引き締めようだ。
だからこそ、宮崎駿=ロリコンという、それこそチャップリン=ロリコン、ルイス・キャロル=ロリコン
ウディ・アレン=ロリコン、ロマン・ポランスキー=ロリコン、という全人類共通の構図が
なぜか否定されている。なぜか、宮崎駿=ロリコンなら、アメリカはじめのリベラル陣営は困るからだ。
作品の女性像が向こうの風土にマッチしているからかフェミニスト陣営にも評価されているが
もし駿=ロリコンならば、向こうも対応に困るワケだ。
そこにリベラルの偽善を見る。
利用するためには、そいつの原動力というか、そいつのもしかすると作品を生み出す美点を抹消し、
取り上げたい部分のみ取り上げ、欠点のない人間像を作り上げる。つまりは神である。
神でないと納得できないという、バカ相手の商売なのだ。
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今の、政治家も知性人も文化人も何も信じられず、芸術家だけが本物だ、本質だという
世界的な風潮の中で、だからこそ作品や作者を神のように崇め、それが時代の教科書のようになり
しかしそれはある枠の中に入れられるという芸術を小さくする愚行であって、かつ
作品や作者の否定批判は文明社会を否定する行為だ、という同調圧力、抑圧を生んでいる。
本質が隠され、上澄みだけ掬い取った美名だけを残す。そこに生きた人間はいないわな。
BLMの被害者がいつの間にか神様のように崇めたてられていることと同じだ。
特に映画や音楽等文化的なものを利用し国民や世界を洗脳してきたアメリカだからこそ
芸術を大いにもてはやし、芸術家=神という構図を作ったのもアメリカなのだ。
そういう構図にしないとアメリカの(バカな)国民は従いついて来ないから。
さらに先進国としては異様にバカの多い国なので、万引き以外は大体が日本より重罪で
特に児童ポルノ等は死刑レベルの社会的風潮がある。バカが多い=重罪にしないと後を絶たないという構図。
そしてその基準を世界に発信しているところに歪みがある。
最後に言えば、自由が国の代名詞で、善か悪かの単純なエンタメが流行る国であるから
国民のプライドは他の国異常に限界突破し、また些細な歪みでも騒ぎ立てる神経症の国でもあるのだ。
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そんな中で宮崎駿の作品は、本人の人格と併せ、徹底的な正義であらねばならないと、
特にアメリカではそうなっている。
宮崎駿=ロリコンを言えばウソだとか、何かの間違いだとか、ともかく彼らは否定する。
押井の12歳恋愛話も、酒の席の話しを信用する人はいません、とか。
ちょっと待てと。ロリコンでもなければあんな少女に執着し続けてうん十年なんて、ありえんやろ。
エンジンの大きな一つだとか、それも理解したくないってのは歪みだよな。
思想のためには生の人間を殺すという。
あと髭生やしてからの駿しか知られてないんだよね。
髭生やす前のキモイ顔見ればちょっとは印象変わるかもね。やっぱオタク顔じゃんと。
押井が言っていたけど、ジブリを批判することによって得られるものがないから
メディアは全くそれをしない。だから俺がやるんだとか言ってるけど
まあ黒澤明にしろ幻滅するようなロクでもない話はたくさんあるしな。それも海外では知られてない。
20世紀も、今もそうかわからんけど、芸術=国家そのもの、みたいな部分があるから
そういう意味でジブリ批判はありえないってのはあるかもだけど、じゃあ宮崎駿が道徳的規範だとか、俺は嫌だしね。
話が飛んだけど、現状のリベラルが真に国民に支持されない理由がある動画で分かったんだよ。
駿がアメリカでトークしてる、わりかし再生回数あるやつなんだけど
その中で「女のアニメーターは優秀だ、男はダメだ、男はもっとがんばれと言いたい」
と駿が言うとオーディエンスは大喝采。
そう、結局、男を落とすか女を落とすかの違いだけだが、それが逆ならブーイングだろう。
その底の浅さ、軽薄さ、駿のいやらしさ等、こんな奴らが駿を神聖視してるんだなあと。
リベラルの偽善。
トランプが勝つのもわかるというもの。負けたけどね。
これはメディア世代の問題なんだけどね。
つまり今社会を構成しているほとんどがメディア世代なので
特に子供の頃観た作品を否定できない。まあ否定する必要はないんだけど
メディアが作者までを神格化し、そう教えられて生きてきたので
自分がいいならいいんだ、というところで止まっている。それではね。
ロリコンと認めたうえで楽しむところまで行ってほしいよな。いつまで現実逃避してるんだという。
アメリカでもそれはあると思う。日本以上にあるかもしれない。
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駿も駿でガールフレンド発言はアメリカでアウトだってこと後から知ってビビったかな。
さすがに自分の趣向はオープンにしちゃダメなことなんだという事を千と千尋の成功以来確信したはず。
オープンにしなくなった時点で駿は(誰かの考えた)世界の安定のために生きるつまらない芸術家に成り下がった。
日本の宮崎駿になってしまったから、その気負いや責任感もあるだろうが、世界に思想勝負を賭けるという気合がないのは残念。
ロリコンだからこういう作品を作れるんです、だから性行為をしなければロリコンは許してください
みたいな方向へ訴えかけようとは思わなかったのかな。まあアメリカの世界基準が変わるとも思わないけどね。
うーん、やっぱガールフレンド発言はある種の訴えだったのかもしれん。
オッサンに13歳のガールフレンドがいるから千と千尋ができましたと。
でもアメリカや諸外国は神を作り上げたいので、思想的に邪魔なそれをオミットした。
駿の勇気ある蛮行は無意味に終わった。
駿自体誠実ではあるんだろうが見習いたいとか立派だとかいい人とは思わないし
本人ももろ手を挙げて賞賛してほしいとは思わないだろう。
で、あまりに神格化すると仮にイメージダウンした場合、その感情の落差がでかくなりすぎる。
それも危険。立派な人→ロリコンの変態、みたいな。
そういう意味じゃ日本の芸術への扱いって正しいのかもな。
昔は日本人ほど日本人を評価しないってのあったけど、それは神格化しないって意味でよかったのかも。
アメリカは神か悪魔かの0か1かでしか判断しないしな。
利用するなら利用してますって言わないと。
誰かが決めたこうであってほしい、がいつの間にか既成事実となり
結果、作品の枠が狭められてしまう危険性もある。ある一面的な見方しかできないとかね。
ジブリアニメ=フェミニズムのための作品っていう見方が一部でもあるから
言い換えれば国を舞台にした映画をナショナリズム映画だとか男が主役の映画をマッチョ映画だとか言ったりね。
芸術なのかエンタメなのか、自由なのか不自由なのか。
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ピュアな子供の物語を作りたいっていう大人の男には絶対に
少女への純情な気持を入れるワケだが、悲しいことに、そこへ大人特有の生欲由来のスケベ根性が絶対に入るため
純粋な子供の物語は絶対に描けない。女だけだろうね、純粋な子供の物語を描けるのは。
宮崎と藤子Fは大人の男由来の藪を踏んでる。
・・・だからそういう意味で・・・宮崎駿はジブリアニメは子供に見てほしい、大人はオマケと言っているんじゃないか。
そうだ。どんな作品も、大人のスケベ心が存在する。あえて、ではなく業として、なのだ。
なので子供なんかはスケベ心を分かりようがないから、表面的なスペクタクルとずっしり来る雰囲気に感動する。
俺もそうだ。宮崎アニメファンというほどではないが、
親がVHSに録画したトトロ、魔女の宅急便、もののけ姫、千と千尋(初回放送!)、感動してたね。
でも今、大人になっては、駿の言う通りスケベ心ばかりでしんどい。
ジブリだけでなく、ほかのエンタメもスケベ心や制作の裏側に気がいって・・・
何でも純粋に楽しめるのは子供のころだけなんだよなあ。それを一番よくわかってんだろう、駿は。
まあ、だから小さい女の子に警戒されないと安心しきってんだろうが(笑)
上手いね。子供だから純粋に感動し、駿によって来る。でも大人は来ない。
それでいい。駿が興味あるのは子供であって、大人ではない。