脇役俳優の頂点 魅せろダンディズム
原田清人
1935年 from 大分
これが原田清人
5分と無い出番で視聴者に強烈なインパクトを残す脇役俳優のパイオニア。
山本清、横森久、三角八郎と並んで「あ、コイツまた出てるやんけ」を体現した役者である。
1935年大分に生まれる。
劇団俳優座に入団。10期生。
シブい顔。シブい声。身長175前後。軍服が似合う。
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雑誌特集
・週刊平凡 1968-11
ズームアップ ことし二度結婚した原田清人
・サンデー毎日 1969-03
<釣り>活発になった潮来方面のマプナ / 原田清人
なぜ原清(ハラキヨ)なのか
高校生の頃です。昔観た戦国自衛隊を再び観たいとDVDを買いました。渡瀬恒彦に惚れこみました。
続いて渡瀬恒彦の映画を観たいと「皇帝のいない八月」を買いました。おもしろかった。
皇帝のいない八月。この映画で出会った俳優たち。
山本圭、橋本功、三上真一郎...そして原田清人。4人。この、強力な個性を持った4人。
この中で特に異端なのが清人君なのです。
おおよそ華やかなイメージからは一歩離れた孤高の男なのです。
もしかしたら蛙顔とか言うかもしれない。顔が既に俳優的な山本清と違い、没個性的である。
しかし、そのダンディな声とキレの良い演技(顔)は一度みただけでも
生涯忘れる事の無いインパクトを残しているのだ。単純な自分からして、こうも分かりやすい俳優はありがたかった。
70年代の話題作、問題作に立て続けて巨匠名匠に起用され続けてきたその実力。
単純ながら様々な役をこなす男。文学座の中核、日本映画界の至宝。端的におもしろい男。モノホンである。
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作品別紹介 現代劇も
1965年の時代劇超大作「徳川家康」で映画本格デビュー。
徳川の家臣・植村新六郎役で、人質となった家康の身を案じる。
ともかく出番多く、広忠への報告のちは同じく家臣役の山本麟一と共にスクリーンで大暴れ。
「我等・・・」からの美声をはじめ、麟一の不手際にブチギレまくる。
大型俳優としての期待を持たされた当然の成果、結果を熱と共に提供する。
見事な出来栄えの本作、シリーズ化が進めば主君殺しを行った阿部正豊と岩松八弥への報復や
織田軍での壮絶な戦死までを演じきれ原田清人最初の決定打となったものを。残念。
この作品と10年後の「新幹線大爆破」の不発が
原田清人の脇役人生に大きな影響を与えているコトに異論はないだろう。
もし本作が当たっていたら、また違った進展が・・・。
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ただただ熱演ぶりは一見に値する。
1968年の連続NHKドラマ「あしたこそ」では主役の兄役を演じる。
売り出し中だったのかもしれないが、結局、スターには縁の無いタイプの彼は
その後地道に演技者への道を切り開いていった。
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画像はNHKアーカイブによるもの。
69年の「日本暗殺秘録」では現代劇オールスターキャスト映画初出演。
同い年の田宮二郎も独立後初の映画出演であり、互いの利害(女抱かせろ)がぶつかり合う様は圧巻。
出番は3分程だが、ギラついた表情は見ものである。
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70年には「悪党」から始まり「性の起原」「かげろう」「わが道」と多数出演した
新藤兼人監督の問題作「裸の十九歳」に出演。
出演時間は何と1分ないぐらい。
死体確認に来た原田大二郎、乙羽信子を案内する。
台詞も3つ、バストアップもなしでほとんど顔が見えず
ただただ、リアリティを追求する芝居をする原田。
服装にも関係するが、やはりスリムである。
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73年の「戦争と人間」。暗殺秘録以降久々の一級映画出演であるが
(かつての主君)北大路欣也を罵倒する嫌味なサイドカー少佐を演じる。
付け髭、ドスの効いた声とでかなりワイルド。
これまた3分程の出番であるが、作品効果上なくてはならない大事なシーンであり
わざわざ原田清人を起用した薩夫はやはり名匠である。
このシーンは本作でも特に印象的な場面として知られている。
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74年の「あゝ決戦航空隊」。当然オールスター大作である。
本国屈指の劇団のメインメンバーが演じるのは
OP前を飾る――特攻の初発を見送る男・松本真実少佐。
少佐俳優の名を欲しいままにする、これまた煌びやかをかなぐり捨てた軍人野郎の役である。
出番は1分もなく、また奇跡的に(意図的に?)台詞が佐藤慶のナレーションにかき消され
実質的な台詞は二言だけ(自分で確かめろ!)。
しかしながら、大事な導入部分を飾る役目を課せられたのは原田清人の本髄たるものである。
数ではなく、質で勝負する「質」の男。
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75年の「新幹線大爆破」。
原田清人の俳優人生最大の輝きと言ってもよく、70年代屈指の名作となりえたのも
山本清、浜田晃、久富惟晴、矢野宣そして原田清人の脇役俳優らの
溜まりに溜まったエネルギーが放出された結果なのではないか。
新幹線技師役で前半パートからでずっぱりな原清。最初に口を開くのも重要な事柄。
後半では新幹線に仕掛けられたダイナマイトの場所を割り出すなど、要所要所でインパクト大な役割である。
宇津井健との台詞のないやりとりも格好良く、場面的にはそっけない握手シーンも感動的である。
原清を語る上でこの作品は外す事が出来ないだろう。
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同年の「金環蝕」でも名脇役の名を欲しいままにする。
建設会社をどちらにとるか、という筋で、竹田建設と青山建設という2つの組が出てくる。
作中の大半は事件の中心でもある竹田建設が語られるが
その対、古くから国家建設に携わってきた青山建設の名も随所随所に出てくる。
その青山建設社長が原清なのである。出番は1分程度と極短い時間ではあるが、
その役名と顔は決して物語終盤まで忘れる事は無い。
その存在感足るや、アッパレ、見事と言うほか無い。
原清が挑み続けてきた「数より質」の成果がここにきて昇華された(私見)。
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78年の「皇帝のいない八月」は3度目の薩夫監督作である。
山本圭、学、薩夫と7作で共演した彼だが本作以降、山本家と関わることは無い。寂しい限りである。
皇帝での役割は渡瀬恒彦らクーデター部隊の説得に出向いた岡田英次の補佐役、後藤一左役である。
渡瀬恒彦、山崎努の友情が語られる密度の濃い3分間、作中屈指の名シーン!で登場した。
「起爆装置を捨てなければ、山崎努を撃ち殺すぞ!」と言うカッコイイ役で
自衛隊の装備、ヘルメットがこの上なく似合っている。既に43歳、貫禄十分の役者である。
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同年「翼は心につけて」にも高校の保健担当として出演。
出番は少なくこれまた1分程度の小さな役柄であるも
冒頭一発目の台詞が「骨肉腫!?」という驚きを含んだもので
病魔に冒された少女の悲劇を我々視聴者にインパクト付ける。
言ってしまえば大半が後姿のみの出演であり、たまに横顔、一回だけ前方斜めからのフェイス登場である。
しかし、持ち前の美声を駆使して
宇野や永井等同席する教師間会議でも一際目立つ。
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80年度の話題作「二百三高地」での原清である。当時の大作映画はメインを務めるのが映画俳優
脇には劇団の個性者が集う、と素晴らしい構図が出来上がっていた。
神鞭知常というスーパーインテリマンを演ずる原清。
てっきりバシッと一張羅を着こんでの物静かな役割だと思っていたらさすがは原清。
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ヤバそうな教祖である。
「戦争と人間」の髭ずら軍人をさらに濃くして服装も仏僧っぽい感じでインパクトがある。
もとから濃い男をさらに濃くしたら、まともな出演時間が経った1分しかなくとも印象に残った。
金環蝕ぶりの出番1分清人だったが
民間人パート最初が原清なので以上点も含め本作で一番記憶に残る脇役であった。
高質な脇役ほど生きている息吹を感じさせる存在はない。
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82年の「誘拐報道」では原田樹世土の名義で出演していた。
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新聞記者役で何と山本清とのコンビである。
正直台詞は少ないが、まあ「新幹線大爆破」より少しスケールが小さいだけで
ある意味出ずっぱりである。三波伸介や山本清との目配せがカッコイイ。かつ関西弁。
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こちらは俳優座における原清である。
他のメンバーの写真から見るに、キネマ俳優本に原清が載っていれば
間違いなくこの画像が使われていただろう。
原清が圭や仲代達矢と共演するという、まさに熱気に包まれた公演を
今では見ることが出来ないという悲しさ。悲しさいっぱい。
堂々とした立派な体躯を買われ、養成所卒業公演演目「十二夜」では主演のオーシーノ公爵を熱演。
1977年の「十二夜」で16年ぶりにオーシーノ公爵を演じる。
我々が耳にするあの抜群に心地よいボイスは俳優座の日々の修練において磨かれていたのである。
原清は舞台でこそ主役を担う男だと理解出来るハズだ。
地味で堅実な男は舞台という一回性に自身の存在感を賭けるのである。
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色んな原田清人