にっぽん昔話
        ゴジと押犬


映画監督・長谷川和彦、アニメ監督・押井守。 日本エンタメ界における旧時代(戦後派)と新時代(オタク世代)の、その過渡期に現れたいわば革命者なのだ。




長谷川和彦。今村監督の現場に就くため東大5年目にして中退し、 そのまま今村プロのスタッフとなるが食えず、日活へ出向し様々な監督の助監督をはじめ 自作脚本を連作。そこで力をつけ、評判も上がり、監督デビューの打診もあったが契約社員ということでご破算となり、 日活追放後、76年ATGで監督デビュー。


すでに30歳、長谷川は言った。 「今、企業の育てた助監督が監督やってるのは同世代では俺ぐらいだ」

押井守、大学在学6年、映画会社やテレビ局の就職を狙うがすべて落ち ラジオディレクターを一年、CM会社を一年やり、26歳にしてタツノコプロでアニメ演出家デビュー。 のちスタジオピエロで鳥海監督の薫陶を受け、ギャグの上手い演出家として定評を得 81年、うる星やつらの監督を引き受ける。30歳。


富野由悠季は言った。 「僕らの次の世代(昭和15年生まれ)が押井守(昭和25年生まれ)だけではいけないんです」

そう、助監督システムが崩壊し、新人監督をデビューさせる気力のない映画界の中で 一人企業を抜け孤軍奮闘していたからこそ同世代では最初の映画監督となったのが長谷川和彦であり、 アトム以降、昭和15年前後生まれの監督がアニメシーンをローテーションしていた中、 出崎統以降では約10年空いたアニメ作家の地位を手にしたのが押井守だった。

五社が崩壊し、エログロが満載し、大作ブームが起き、角川映画が席巻する中で 若き旗手・長谷川和彦もまた新時代の象徴とされた。 押井もまた、アニメブーム下でアニメ雑誌が氾濫する中 うる星やつらのヒットと共に特集され、若者のカリスマ的存在となった。


そして二人とも遅れてきた学生運動世代という共通点がある。

長谷川は東大在学中ノンポリで運動に参加することはなかったが 面白いことが起きているという実感は確実にあった。 東大中退し、最初の映画撮影から帰って来た時に見た新宿騒乱は 一番面白いことに置いて行かれ焦ったという浦島太郎的な気分があったという。


長谷川は言う。 「映画を作らなかったら、その時代のもっともアナーキーな場所に行ってたかもしれない」 そして 「自分が参加できなかった過激な時代を、映画を作ることで体験したい」と。

押井は高校全共闘として70年安保に参加。 政治意識に目覚めたのは劣等生のレッテルを払拭し優等生の地位を獲得するため。 しかしやる内に非日常性にはまり込み、活動のための活動を繰り返していく。 教師に嫌われ、集会で動議を出し非日常を演出、仲間のヘルメットと竹竿を借アパートに隠し、新宿騒乱にも参加。 私服警官にマークされ、家族が押井を軟禁するまで東京中を飛び回りバリケードづくりをし、石を投げていた。


押井は言う。 「政治のためでなく、すべてを破壊したかった。東京は火の海になって廃墟になることを妄信した」 そして 「生きてきた時代をちゃんと描かないといけない、戦後史の総括を」

日活での長谷川は、監督より偉そうな助監督を務めては、そのパワフルな押し出しと繊細さが監督はもちろんキャストの絶大な信頼を得 、演技プラン・演出プランまでも占有。自由でアナーキーだった日活の青春を体現する。 その中で、センチメンタルジャーニーというピンク映画を監督する機会に恵まれたが 撮影終盤、プロデューサーが資金を持ち逃げし、ラッシュで終えた。 脚本でも腕を振るい、いくつかの佳作を手掛けた後、74年「青春の蹉跌」で一躍業界から注目される。




日活退社後の76年に初監督作「青春の殺人者」完成。原作者は少し年下の同世代・中上健次で脚本は兄貴分の田村猛。 田村脚本によるパワフルな殺しシークエンスを前半に、後半の繊細な逃避行は長谷川の脚本であり、 30歳監督のデビュー作はキネ旬ベスト1位をはじめ数多の作品賞主演賞の名誉となったが、 長谷川にとっては田村脚本にある世代の違いに当惑し、それと闘い、結果的にアンバランスな仕上がりに悔いを残す。 何より低予算からはじまる悪条件ゆえキャストスタッフへの待遇もないないづくしであり、次は全面勝利を狙うとした。




押井はスタジオぴえろ移籍後、鳥海監督の下でニルスの「不思議な旅」のレギュラー演出を務め、 後に完全オリジナルの劇場版の演出も手掛けたがお蔵入り。 81年TV「うる星やつら」の監督を務め、初めは原作ファンからの賛否両論やPTAからの抗議に戸惑うものの 徐々に人気を博し、視聴率20%を誇るお化け番組に仕立てる。 常時とらしま水着な半裸美少女とアナーキーな連中の横恋慕・暴力・電撃・エロとを 独自のギャグ感性に哲学・芸術、加えて若き監督としての独断で演出家&脚本家&アニメーターに若手個性派を起用し 高校生に「水曜夜7時半から8時までが自分の生きる理由です」とファンレターを送られるほどの 若者たちの祭りの場としての象徴に変換発現させていく。




83年初監督作「オンリーユー」完成。31歳。原作者・脚本家はTVと同じく少し年下の同世代・高橋留美子と金春智子。 実は代役監督であり、時間もないままに脚本もいじりまくり、TVと同時進行で完成させるが 当初思い描いていた過去作をパロディし笑い飛ばすという試みも半端に終わり、 映画志向の強かった押井からすればこれはテレビ仕立てのファンムービーに過ぎないと自己嫌悪する。 映画はヒットし原作者からも「押井さんは天才」と賞賛されるが、同時上映されていた相米慎二の実写「ションベンライダー」の アナーキーな仕上がりに、アニメの方が制約が多く、実写作品よりお約束に拘らなければならない現実に絶望。 その頃には一子をもうけた妻とも離婚しており、やけくそで、次の作品はやりたい放題やると決意した。




両者のデビュー作の仕上がりは、時代と合った個性も出て、製作陣の企みもいくらか機能しているが 、どこかオーソドックスな形として残らざるを得ない。 「青春の殺人者」も「オンリーユー」もともにエネルギッシュだが、あくまで 初監督からの「一応の映画は作れます」という名刺代わりのものであって 周囲からの注目度からすれば長谷川、押井はまだまだこんなもんじゃないだろうという落胆もあった。 界隈をはみ出す個性を持ちながら、オーソドックスな完成度にしかならない悲しさ。 長谷川のダメ兄貴である藤田敏八は、良い映画だとしたうえで 「長谷川の魅力は発想のすごさにあるからな」と言い 以前からうる星を観ていた宮崎駿も、オンリーユーをダメな映画だとしたうえで 「次はクソーっという気持で、スタッフも死屍累々でいいから・・・」と励ました。


そして爆誕する二つの映画

全面勝利を狙う長谷川は、まず「青春の殺人者」アメリカ上映の際に出会った脚本家レナード・シュレーダーに脚本を依頼した。 彼は内部被爆児だった長谷川和彦の個性に興味を持ち、ただの男が原子爆弾を作り社会と対決するといったテーマを打ち出して、長谷川もそれを受け入れる。 そう、東大中退野郎・長谷川の生き急ぎは内部被爆による原爆症で死ぬのではないかという焦りからくるものだったのだ。 日本でしかできない題材であり、それを監督できるのは当時一人で戦争をやっていた長谷川しかないという気鋭のプロデューサー山本又一朗 が協力し、題材と予算は確保した。残る勝利を当時トップスターだった沢田研二主演で確信し 皇居突入から道路札束ばら撒き、黒澤清も逮捕された違法カーチェイス、アクロバット、スーパースタントまで爆走する。

一人の中学教師が原爆を作り、日本政府を脅迫するという超アナーキーかつ日本でしか許されないテーマを、 内部被爆児・長谷川の東大合格の知性、ラグビー部キャプテンの体力、生き急ぎのバイタリティ、生来の粘りという日本人離れしたエネルギーでもって貫徹。 アメリカ人脚本家レナード・シュレイダーの、日本人では発想できないテーマを日本ライズし そこに鎮座する沢田研二と音楽の井上堯之を全力で操縦する長谷川。違法行為上等の絵的効果と、世代としての漫画チックな軽さも含め 重すぎず、軽すぎず、のスーパーエンターテイメントが1979年完成したのだ。太陽を盗んだ男。まさに長谷川和彦監督にしかできない作品の誕生。




必要最低限の制約以外には一切を自由に作ることを望む押井は、その第二作製作にあたって 前作「オンリーユー」の失敗を企業コントロールにあると踏み、まずプロデューサーと勝負することからスタートした。 第二作のプロトタイプをテレビのオリジナルエピソードで行い、その「夢と現実と虚構と押井(マーキング)」なる難解な内容は、 プロデューサー以下には烈火のごとく激怒されたが、手応えを感じ、第二作脚本家に内定していた当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった 脚本家首藤剛志の脚本もギリギリになってケチをつけ、結局首藤は降板となり、そこで焦る製作陣に 「用意していた脚本があるから」と極限状態の中で納得させ、本来ならば通るはずのない脚本が通過、これで勝負は決まった。

当時連載5年目だったうる星やつら。あたるとラムの恋仲も、その結末も、作者と読者が終わらないことを望めば いつまで経っても経過は提示されず、終わることはない。 そんな、ある種ビジネスのために終わらない日常を終わらそうと、その延々と続く日常をラム=高橋留美子の夢であるとメタ的に解釈し、 その夢の中で青春のきらめきを目いっぱい振りまきながら明日への大ジャンプに挑戦するあたるたちうる星キャラクターを、押井の持っていた哲学思考と芸術性 学生運動経験からくる廃墟志向、破壊志向、非日常と永遠への渇望が、高橋留美子のアナーキーな精神と完全融合し、 恋愛面では賛否ありつつ、うる星の持つなんでもありなバイタリティを、映像作品の持つ説得力という意味では唯一昇華し得た作品となった。 日本アニメで初めてのメタ的な構造と、運動家ばりばりなセリフ回しの大人びた感触が個性的ならば、 日本アニメが代表する学園生活への憧れ、永遠性、象徴性、日常性、それら要素そのものを一つにパッケージし、 それに対する回答もまた内包しているという、日本文化そのものを描いたともいえる野心的な手腕もまた、押井の可能性の勝利である。 アニメーションの遊び、声優の演技、音楽の星勝、背景、脚本・・・成熟したアニメーション現場の勝利がここにあった。 自由でアナーキーで、ちょっと大人びた美少女ギャグアニメ。1984年、うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーの完成だ。




革命者の作品らしく、従来の映画からスケールや展開の枠を広げた野心的名作。 この二作に影響を受けたという著名なクリエイターは多い。 太陽の漫画タッチないい意味での軽さは重さを失った80年代以降邦画の精神的支柱となり、 BDの大人びた感覚の美少女ギャグとメタ批評な構造は自分もこれをやりたいと多くのフォロワーを生んだ。 日本が元気なころのいい時代の空気を取り込んでいることも素敵だ。 太陽もBDも当時の街並みと風俗を映し出したものである。



個人的にもこの二作を一番観てるね、実写とアニメそれぞれで。 重すぎず軽すぎずのバランスが丁度いい。一日中流せる心地いい作品と言える。きわめて見やすく満足感高い作品だ。 また、ともに日本を代表する映画でもある。 原爆の太陽と、日本アニメの原液とも言える要素の総決算のドリーマー。 日本文化を知りたければこれ、っていう。


しかし、ここにきて二人に躓きが

太陽は極めて高い評価を得、数多の受賞を誇ったが興行的にはヒットしなかった。 これだけの内容が赤字で終わり、長谷川ら独立陣営は絶望する。 次作は連合赤軍をやると言いつつ予算が集まらず、打開策として村上龍と共作を考えたりするが 1982年、同世代の監督を糾合し、企業でなく監督が企画の主体となるディレクターズカンパニーを設立。 取締役として若手監督たちの一般デビュー作や代表作を送り出すが、飲酒運転事故の咎で懲役6か月。 出所後も連合赤軍の脚本が固まらず、また会社の業績も下がり倒産。結局3作目を撮れずじまいで現在に至っている。


太陽を盗んだ男の頃 15年近く経って腑抜けた頃

ビューティフルドリーマーはヒットした。映画誌などでも高い評価を得、 激務に耐えかねた押井は作家的ペースを作るために「うる星やつら」の監督を退き、スタジオぴえろを辞めた。 フリーとなってすぐ宮崎駿から推薦を受け、ルパン三世の劇場用企画に取り掛かり、 当時カリスマ的人気だった押井に触発された若き個性派スタッフたちが参加を表明したところまではよかったが、 プロデューサー陣営にテーマであるルパン=虚構が作品にそぐわないであると難色を示され、 また脚本が固まらなかったことで企画は中止に。その代わりに徳間書店のナウシカに続くアニメ展開として ビデオ作品「天使のたまご」の監督をし、ルパン三世で使いたかったモチーフを入れ込み、秀作の完成とする。 しかしビデオの売り上げは不振を極め、批評も厳しく「意味不明なものを作る監督だ」と押井は3年間表街道から干される。

アニメ企画はことごとくはねつけられ、3年の間にやった仕事は千葉繁主演の実写映画「紅い眼鏡」の監督と バンダイの「トワイライトQ」というビデオアニメ作品の二つ。前者は声優を主演役者としてATGぽく低予算に仕立てた怪作で賛否両論。 後者ではシリーズ化の予定で、押井は二作目を担当するも、これまた売り上げ不振でシリーズは打ち切りに。




  しかし押井は表舞台に返り咲く。

1988年、「一応監督はできるだろう」と機動警察パトレイバーの企画者としてヘッド・ギアの一員となり ビデオシリーズの監督を務め成功。翌年の劇場版で5年ぶり映画監督のブランクを感じさせないパワフルな切れ味を見せ、復活。 居場所を気鋭の製作会社プロダクションIGに置き、その後は実写映画ケルベロス、トーキングヘッドを連作し、 全6巻のアニメビデオシリーズ「ご先祖様万々歳」ではうる星を彷彿とさせるギャグと哲学を全面に打ち出し話題を呼ぶ。 93年劇場用パトレイバー第二作を監督。 世界一格好いい論文をと、BDと同じように恋愛面は賛否ありつつ、大胆な演出と展開とでこれまた高い評価を得る。 それら90年ライズに成熟したアニメ現場の流れとして、アメリカ公開を前提とした95年「攻殻機動隊」を監督。

 

海外でのビデオ売り上げが高記録を打ち出し、99年マトリックスのビジュアルと演出に圧倒的な影響を与えるなど世界の押井と呼ばれるように。 その後は実写シリーズの締めくくりとしてアニメ人狼を脚本のみ担当し、押井塾を開いて企画が「BLOOD」として結実し世界で評価されるなど、後進の育成も成功。 21世紀に入り以前ほどのキレは見られないが、未だ監督として健在。


革命者ゆえ挑戦をし、壁にぶち当たった。

連合赤軍を山岳ベースからあさま山荘事件までの大スケールで映画化するなぞ、当時の長谷川和彦にしかできない企画だった。 しかし脚本の問題もさることながら、予算がまったく集まらなかったことも敗因だった。 太陽がもし当たっていれば希望もあったろうが、結果再び独力でスタッフを集めなければならず 脚本も田村猛がほぼノーギャラで師弟関係ゆえに担当し、しかし長谷川のより大胆かつ斬新な展開をという要望と折り合わず喧嘩別れに。 最悪ディレカンを潰す前提であさま山荘を購入しようとしたが、その前にディレカンがショートし不可能に。 太陽を超える大スケールの作品になることは予想がついたが、もはや日本映画界に彼の冒険に乗ろうとする人間はは残っていなかった。




ルパンは「盗みにロマンの感じられた時代の子」だと宮崎駿と意見一致し、だからこそ今のルパン=虚構であり そして冷戦は虚構の最たるもので、そのコア、冷戦社会唯一のリアルである核を、虚構のルパンに盗ませ対消滅させる という大胆な企画は、BDでクレバーにもうる星の持つ終わらない構造を批評しエモーショナルに昇華した押井にしかできなかった。 宮崎駿のやったリリカルなルパン像でもなく、理論とアナーキーでもってルパンをやる。 しかしこれまたテーマと脚本にケチが付いたのが敗因。それは前作のカリオストロのリリカルなイメージから来ており、 それを覆すほどの力量がプロデューサー側からすると半信半疑だったのか、 また、その場での説得の仕方を知らなかったから起きたのかもしれないと押井は自省する。 だからこそ企画を通す勝負の仕方を3年の間に学び、またルパンの企画から多くの要素をその後の作品に振舞き ルパンの失敗は結果的に押井の糧となった。 しかしうる星の活躍、BDの完成度から、アナーキーでもバランスをとれる力量は分かるはずなんだが、目が悪かったのか。


この二人に共通するのは、幻の第三作の存在。 連合赤軍 ルパン三世

日本最後の気鋭の大スケール監督は長谷川和彦が最後だった。 同じ東大の大作監督の佐藤純也にはない博打精神もまた魅力的だ。 この映画がもしできれば、それこそ地獄の黙示録的にド派手で 戦争映画としても生々しい温度があったろうし、永田と森の描き方に 風と共に去りぬに負けない男と女の本質が出てたろうし、何にせよ 重すぎず軽すぎずのスーパーエンターテイメントが出来たろうと考えると惜しい。
 

80年代以降の大作といえば敦煌、天と地と。メガヒットした邦画と言えば踊る大走査線。 どれも半端で、角川映画的に煌びやかを魅せるビジュアル作品で、踊るに関して言えば軽い世代の典型的な軽い作品。 さらにはオタク世代のシン・ゴジラも山崎貫の諸作品もそう。 長谷川和彦は映画オタクじゃない最後の映画監督だった、からこそ 以降の世代にはない、硬派だが茶目っ気のある、大衆受けするいい映画が・・・もうやめよう、こんな話は。




押井のルパン三世もまた、名作をものにした直後の大胆さと若さに、冷戦という緊張感漂う時代の個性、 そしてオタク世代にはない、学生運動を経験した男の硬派な挑戦と、この機を逃しては絶対に出来ない作品だった。 何よりルパン三世というブランドが、縮小再生産的に薄く引き伸ばされていくのか、それとも常に挑戦を続ける作品になるかの 岐路だったワケで、そういう意味でもこの企画が通らなかったのは惜しい。 以降オタク世代が闊歩していく業界内で、押井のオタク世代でなかった個性を発揮する機会を失われたのは残念。

もちろん、パトレイバー以降の成功も押井の個性によるところ大だが・・・ そうそう押井はパトレイバー以前以降でその路線が大きく異なっている。

業界のベテランとなったからか、より大きなテーマに挑戦したいと思ったのか、都市論への傾倒が始まり それまでの虚構と現実のテーマが、東京の風景の変貌と絡んで表出し、日本に対するセンチな作品が増えていくのだ。 一言で言うと枠に入っていったということ。パトレイバー以降はそれが活かされたんだろうが、しかし従来にあった無軌道なアナーキーは薄れた。 なにより作品の質も変貌し、時代の要請ゆえかリアルアニメーションの世界に入ることはもちろん、 感性的にか、カットの流れがだいぶ下手くそになっていく。つまりシーン毎が上手くつながらなくなっていくのだ。 それはBDを観てからパトレイバー〜攻殻機動隊を見ればわかる。 そしてとどめにコメディ要素が劇場作品ではほぼ失われ、押井の持つバランスの良さがなくなってしまったこと。

そういう意味ではビューティフルドリーマーから迷宮物件Qまでの流れは神がかったところがあり 特にBDからのルパン中止、天使のたまご、までは宮崎駿も富野由悠季も押しのけて業界のトップを走っていた。 もしルパンが出来れば、BDにあったバランスの良さもカット流れの良さもコメディも、いい意味での軽さも込みで まず素敵な作品になってたろうし、仮に失敗してもカルト映画として長く残っていったかもしれないのだ。




そんな押井のパトレイバー以降は、長谷川のディレカン時代に相当する。 押井は世界の押井と呼ばれる活躍をしたが、ディレカンの諸作品群も大きく見れば長谷川和彦の作品と言えないこともない。 自分が主体となって設立した会社の、取締役として製作しているワケだから・・・監督作ではないだろうけど。 後進育成としても、彼が太陽で助監督に誘った黒沢清もディレカンで監督デビューを果たし ディレカン倒産後には世界の黒澤と呼ばれるように。そしてその黒澤からまた世界的な逸材が育っていったりと、成功。

質的変化で言えば逮捕以前以降で国家権力への恨みが・・・ということも結局監督作がないから、立場の変遷でしかわからない。


伝説となっていたろう幻の二作は惜しいね。

他共通点として、カリスマ的人気を博していることもさることながら 自他ともに認める愛称があること。 長谷川は長髪とガタイの良さと気迫ぶりでラグビーをするサマがゴジラのようなのでゴジ、になったらしい。大学時代。 内部被爆したからゴジ、ではないと思う。




押井は犬好きで、作品内でもそれをアピール。で周囲からは押井も犬っぽいと言われる。 顔から短足から、なので犬っぽくデフォルメした押井の絵が作家に描かれることも。
  愛称は押犬とか駄犬とか。本人は生き様も含めて野良犬だとも。

あと面白いのは二人とも映画界アニメ界それぞれの界隈を象徴するルックスがあることね。




長谷川はそれこそ映画界特有の体育会系なガタイの良さと押し出しの強さ、 全身から発散する気迫と、映画人はこうでなきゃ、って感じ。身長175�p前後。 押井はアニメ界特有の貧弱なガタイに理屈っぽさ、 そしてアニメ屋特有の発想的スケールのでかさ故か妙に大胆不敵で、これまたアニメ屋の鏡。 身長150�p後半。




で、気鋭のカリスマらしく女性にモテた。押井は若いころに。 長谷川は深作欣二と同様、体育会系な陽のルックスぶりで日活のジュリーとか言われたらしい。 沢田研二とは太陽以前に77年TVドキュメンタリーで共演していたが 言ってしまえば沢田研二より格好いい。美形はもちろん、色気が半端じゃない。これがフェロモンかってぐらい見えてる。


端的に、超かっこいいのだ。
全体アナーキーなしぐさに、兄貴分的な香り、自己制御できるインテリ特有の据わった瞳とか・・・。 女性関係はかなり濃厚で、監督デビューまでは基本ヒモ、ながら女優らと浮名を流しまくっていた。 まあモテるよな。長身2枚目東大ゲージュツカアウトロー兄貴分それなりに人格者とか、ハイスペックだよなー。




押井もうる星やつらのディレクターだったころは激務もあって痩せており 白い肌、長髪とあって、当時のオッサンばかりだったアニメディレクターの中では アイドル的ルックスを誇り、女性記者がこぞってインタビューをしたがったとかなんとか。
  童顔。アニメ界の唐十郎。

年食うごとに乞食みたいになってしまったが。 しかし小柄ながらにカリスマは高く、生まれ持った星を感じさせる。




二人とも癖が強そうなイメージだが、同世代のクリエーターと比較すると常識人に近い方だ。 A型の気ぃつかいの長谷川和彦は撮影現場でも(2回しかないが)、特別罵るとかイジメとかいう いわゆるパワハラ的言動は聞かない。粘りに粘るので体力的にはしんどいだろうが、そのぐらいで 喧嘩も威嚇目的でなく、普段の豪胆な言動も繊細さが見え隠れする。温厚な黒沢清にも人格者よりだと称される。 少なくとも監督である自分を正当化することはなく「監督はヤクザの親分だ。少々他人を傷つけてもやりたいことをやる」と。 自身をヤクザの親分という加害者側に置いているのは最低限の正義感を持っているという証明だ。

押井も世界の押井になる前後辺りから、芸術家的なイメージを押し出している感があるが、 硬い場をのぞけばほとんど普通の映画好きのオッサンであり、偏屈とか気難しいとかいうイメージは誤り。 元々の人柄なのか、苦労したからか、自分ひとりでは何もできないことを分かっているからなのか ともかくアニメ界では一二位を争うぐらいに癖がない・・・というか常識人よりの態度が特徴。 ある意味で俗物すぎる。話が長いのが玉にキズ。



最後に挙げるなら、特に若い頃なんだけど、二人とも大言壮語というかデカいこと言うんだよね。それが気持ちよかった。 それもそのはず、太陽にBDという革命者として相応しい実績を残したし、何より旧時代と新時代への過渡期に位置しているからこそ、 限界というものを知らない。言い換えれば「どこまでいけるのか」という距離感が分からないからこそ。 しかし、あくまで地に足ついてる上での浮遊感なので、絶妙と言える。

長谷川で言うなら相米が光る女で赤字出して連合赤軍にいったん挫折した87年頃まで。 もっと言えばディレカン設立までかな。 押井はパトレイバーと出会う前まで。パトレイバー以降、政治だの都市論だの、その枠内での言動しかなく無軌道なアナーキズムが薄れ・・・なくなってしまった。

彼らの言動の楽しさは過渡期にいる人間特有のもので、だからこそ彼ら以降、そういった楽しい言動はついぞなくなった。 だって新時代=オタク世代、だから。その枠内でしかない。庵野の言葉もどこまでいけるか、でなく、まあいけるだろ、とか予定調和なものばかりだし。細田も新海もねちっこいオタクだ。

で彼らの言動は圧がないのよ。浮遊感に酔っているところはあるが、トゲとか無神経なところはほぼない。 それと何より、彼らに影響力がないってのもいい。黒澤宮崎みたいな権威がないから。 だから彼らの言動を批判する人が良く分からん。あのな、松山千春なんだよ、この二人の言動は。 松山千春の言動にマジになって批判するやついないだろ、同じでね。だから批判する人は長谷川や押井を逆に評価しちゃってるんじゃないか。 俺に関して言えば押井知ったのは中学2年か3年の時で、その頃押井はガルムウォーズ作って終わってたし、長谷川和彦はもう30年以上過去の人だった。 だから期待も何もないんだよ。ただいい時代にいた連中なんだなと、そのいい時代の空気を残した連中だと。 政治とアナーキーと軽さとが絶妙に位置していた二人。キワキワで儚い存在感。以降、そのバランスを持ったクリエイターは存在するわけがなかった。

戻る
inserted by FC2 system