芸能界

今芸能界が性上納とかでもめてるけど、もう俺は芸能界自体を亡くした方がいいと思うね。 タレントから俳優からハリウッドからありとあらゆる。 結局、芸能界と我々大衆との距離感・価値観がおかしかったんだよな。

普通じゃない連中が普通じゃないことやって金を稼ぐ、それが芸能界でしょ。 昔じゃ河原乞食だとかチンピラとかヤクザまがいとか、一芸に秀でているだとか。 で普通じゃない連中が普通じゃないことやることで、日常の閉塞感を突破する、というのがお題目でもあったわけだけど、 昔はテレビや映画、アニメに影響されるなっていう大人がたくさんいた。いいことだ。つまり距離を持てということ。 芸能界によるエンタメなんて、どうせ胡散臭い、現実と直接リンクはしない、開き直りでしかない、欲求を加速させる・・・ある意味では麻薬みたいなもんだから。

そういう意味じゃ、昔の「子供が芸能界に入りたいと言えば反対する大人」の時代はよかったんだよな。 芸能界=胡散臭い・いかがわしい、が成立していたし、国民の価値観として共有されていたから。 そう、芸能界=胡散臭い、という価値観があったからこそ、距離が生まれたんだよ、ちょうどいい距離が。 あくまで芸能界からのメッセージを鵜呑みにせず、所詮は暇つぶし、現実とイコールにしない、というクールな距離感が。


しかし今、政治や権威などもあらゆる価値観が崩壊し、信頼できるものがない中、唯一信頼できるのは芸術=エンタメ=芸能界だけ、という 構図が決定的になり、何故なら芸術=人間の本質、という捉え方なので、これすら否定してはこの世に信頼できるものは何も残らない。 つまり人間は滅びるしかない。だから芸能界に拘るしかない。 (まあ滅びてもいいんだろうが、滅びるのは駄目という価値観所以か)

それプラス、もはや親子三代、子・親・祖父母ともに戦後のエンタメにしっかり浸かってきた世代、今更エンタメ=芸能界を否定できない。 もはや日常となってしまっている、そして日常的に”関わってきた”芸能界は価値観の恩師となり、否定なぞできない。 芸能界を否定することは戦後の自分たちの価値観を否定することになるから・・・。

そういうことで、もはや芸能界に入りたい子供を否定する親はおらず(自分らしく、とかいう芸能界発信の無責任なメッセージありき) 芸能界の言葉を妄信する連中を窘める大人もおらず(だって芸能人=周囲に流されない本質、ということになってるから) 芸能界が無茶苦茶をやっても、一般大衆の閉塞感を突破してくれる一時のカンフル剤として納得していた。


で、芸能界=一般の社会の価値観とは違うという前提もあったんだよな。 だってヤクザな社会だから。 何故ヤクザな社会かといえば、そもそもなくなっても誰も困らない世界・・・興業の世界だから。 つまり金のため、野望のため、あげく地位とか名誉なんかも絡んでる魑魅魍魎の世界。 そういう世界だからこそ野心を持つ連中がこぞって入ろうとするわけで・・・。

そう、普通じゃない連中。人並み以上にプライドが高く、名誉を欲し、地位を求め、大金を稼ぎたい連中が 揉みあうワケだ。そら普通の会社、堅気の価値観ではやっていけない。 そういう連中をまとめるためにはまとめるための価値観が必要だ・・・そういうところで芸能界=ヤクザな世界は納得できる。


加えて芸の世界、だから。つまり芸術の世界、だから、一般では考えられない価値観があるってのも、我々からすると理解できる。 ヤクザが指詰めても刺青彫っても、内部抗争で銃撃戦しても、そういう世界だから、で納得できるのと同じだ。

だから歌舞伎で男色があったり、ジャニーズ問題があっても、いや”ある”と、かつてから知られていても黙認されてたのはそこなんだ。 俺も思ったもん。そら、美少年とかを囲って、それを芸能界という「ただの人間を神のように仕立てる」世界なら、あってもおかしくないというか ない方がおかしい、と。多分国民の大体も同じ考えだったろう。だからそれを否定せずに、芸能界=芸の世界=一般にはない価値観=ということで 肯定的でもあったわけだ。それは今でも変わらない。

だからこその距離というかね。一般とは違う法・考え方・価値観を分かっているからこそ距離を置いて見ることができるという。


なのでそもそも、今の性上納の話もヤクザの内部抗争というか、自滅したという印象しかない。加害者だろうが被害者だろうが。 やっぱりさ、芸能人になろうとしている時点で「不特定多数からちやほやされたい」「神になりたい」という常軌を逸した連中なんだよ。そんなやつがどうなろうと・・・ってのはあるよな。

大体女子アナってタレントでしかないもんな。ジャーナリストとかではない。 女子アナは接待要員だとか言われるようになったけど、しっくりきちゃうんだよ。 意味のない、ただちやほやされたいだけの職種なワケで、だったらば有名になるためなら何でもする軽い連中=芸能界のキャバ嬢という流れもおかしくはない。

だから今回の件は一方的にひどい怪我を負わせたとか、そういうレベルでの「法に照らしたら」な問題なワケで、 軽い連中、タレント連中をキャバ嬢として扱った=モラル的問題ってのは、やっぱ芸能界の我々一般の社会との関係性が狂ってきた証拠なんだよな。


芸能界=一般社会の一時的なカンフル剤に過ぎない、所詮はヤクザな世界、という時代ならそのままだったろうが、 あらゆる価値観が信用されなくなった今、唯一信頼できる価値観の拠り所として 芸能界=一般社会の規範、価値観の恩師、国民の教科書・・・になってしまった現在だからこそこんなことで騒ぐ羽目に。

そしてこういう流れから出てくる問題があるとすれば、一般社会の閉塞感を打ち破る「隙間」として芸能界があったわけだけど、 芸能界=一般社会の規範という現代の構図からすれば、芸能界が隙間を消していく=一般社会の閉塞感が高まる、という ことも考えられる。実際今、芸能界のトラブルを現実にも適用して認定される「ハラスメント」が増えている状況がある。

これで社会は幸福に、幸せになるんだろうかという一考も・・・。


最後に芸能界の価値観ってのは所詮エリートのもんでね、「人生がもったいない」とか「なんでもやりたい」とか そういう逆に人生の上下を決めるような枠でもって説教するのもむかつくけど、昨今の政治的言動での無責任ぶりは殊に腹立つよ。 芸能界=国民の規範という前提を意識したうえで偉そうなこと言って、国民を扇動して、間違いでも混乱起きても責任はとらない。 特にハリウッドなんか顕著で、日本でもノータリン連中がノータリンだからこそ気軽にそういう言動して社会を断絶させる・・・・

芸能界=なくてはならない、だからこそ芸能界の連中は調子に乗り、今の収集付かない状況ということだ。 問題を起こしても芸能界はなくならないから。


芸能界を消せばこんな問題すぐ終わるのに、守るために泥沼になっている。 何故なら芸能界=一般社会の規範だからこそ終わらせられないし、芸能界の問題=一般社会の問題という構図だから 芸能界は一般社会を変えるための鏡として残そうという次第だ。 しかしもう守るほどの大義もすでにないよ。芸能界はもう、調子に乗りすぎて害悪にしかなってない。SNSの普及も併せて勘違いしてイキったバカしかいない。 所詮戦後のエネルギー剤として優秀だったんで・・・20世紀の産物だ。


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