なんかすべてがうまくいった世紀末のアニメーション
        新世紀エヴァンゲリオン
              1995年  庵野秀明 作  

新世紀エヴァンゲリオン


(昔書いたやつなんで・・・)

アニメ、映像作品の到達点と言ってもいい。 何かを生み出せる最後の世代と、彼らにより引用された過去の優れた芸術が一つになった作品である。   個人的な考えだが、何かのジャンルの第一線が引用で塗れたものだったら、そのジャンルはもう終わりなのだ、ということ。 時代劇映画では「柳生一族の陰謀」。時代劇再興を賭けて作り上げられた作品で、本作以降2,3年経たずに映画時代劇は終焉した。 時代劇の全盛期は実はサイレント時代、1920年代だったりする。そこから50年良くもったと言える。 現代劇では踊る大捜査線。あれも引用丸出し。90年代後半。邦画史上に残る興行成績を得た。 あれ以降、邦画もドラマもほぼどん底をいっている。 そしてアニメ。膨大な引用と輝くオリジナルなエヴァンゲリオン。 少なくともロボットアニメというレベルで言っても本作がピークだった。 ロボットアニメにありがちな思春期の葛藤をはじめ 優れたデザイン、作画、精神世界、世界観の徹底、残酷、エロ、それらのピーク。         世界観の徹底。       人類補完計画等々、アダムとイブ、それら小難しい要素は、実のところしっかり理解する必要はないのであって ただ超頭の良いやつらがすごいことをやっている、と、その壮絶な世界観を客観的に冷静に眺めて 都市の先進感と、現実感と、アングラと・・・ともかく「SFムード」を楽しめばいいのである。 それこそアニメでしか表現できないムードである。近未来らしい、現実と変わらずな街並みがいい。学校シーン、・・・。   本作は雰囲気の頂点であり、世界観の頂点であり、思春期アニメの頂点である。これホント。   オトナはクソで、子供はその犠牲者というのが本作。普通に接すれば普通の子供たちなのに、普通に接することが出来ないから狂っていく。 そして狂った子供たちがオトナになって・・・という無常。そういう普遍的な無常を語ったのが本作。   ともかく対話の恐怖。繊細な奴ほどコミュニケーションに構える。その心の壁がATフィールド。エヴァのコックピットに充満するのが羊水ことLCL。 旧劇では心の壁を溶かし、全員LCL化して、1つの存在となる。しかし、それを拒んだ碇シンジ少年により人類補完計画は失敗。 最後、黄昏の世界にてシンジは眠っているアスカの首を絞める。アスカ、泣き出したシンジを見て「気持ち悪い・・・」で、終わり。   これは難解でも何でもない。この作品のメッセージの表面だけでもわかっていれば理解できるオチ。 本作のメッセージとはそのまんまコミュニケーションの問題。これに意識を傾けるだけでキミはエヴァ・エキスパートなのだ。   第三者との接触が怖いからすべてに絶望したシンジ。しかし、またみんなに会いたいから、と1つになることを拒否。 そして愛しているが故にアスカの首を絞め、直後、(愛されていた故に)頬を撫でられて泣き出す。 その一連の顛末に付き合うアスカ。当然ドン引き。 シンジからしたら相当な冒険をして、何とも言えない感動があったんだけど、そんなこと第三者が知るわけがない。 単純に相手の行動を客観視した反応、その結論が「気持ち悪い」。 これはシンジが、これまで通り個々の精神を持った人間たちと過ごしていく、と決めた、その最初の壁なのであった。 第三者との断絶した関係。しかし目に見えない繋がりを求め、シンジ君はこれからも生きていくのでしょう。   本作について批判的な人の言葉通り、設定とか難解用語とか、そういう小難しい部分には答えがないのだから、考える必要はないのである。 ただ人間ドラマだけ。繊細で生生しい人間ドラマを壮大なSF映像(ムード)により補完する、世紀末の新世紀ドラマだった。


「社会現象も納得!」
  キャラクターデザインにしろロボットにしろ雰囲気にしろ曲にしろ、大小問わずサブカルに興味ある人なら がっつりいかれてしまう程の吸引力。あの高エキスが広く浅くまんべんなく、という具合。もう半端じゃない。 エンターテイナーとしてもクリエイターとしても製作スタッフは天才の塊だった。これで燃え尽きたワケだけど。 主題歌も物まね番組や歌唱番組でおなじみだし、グッズは全国のあらゆる展開で売られ尽くしているし エヴァのすごいのは特に興味のない人でも知っている、そして気になる、だから観る、というビジネスが完ぺきに成り立っていることだろうか。 パチンコでも吸引力高し!だし。学校でもね、ヤンキーみたいな人たちがエヴァンゲリオン知ってましたし。   国民的アニメにまでいってしまっている感がある。なので劇場版も普通にテレビ放送されたりとか。で、それに抵抗がない。 監督もがちがちのオタクなのに、彼を信仰する世代がメディア中核にいっているために特集して持ち上げまくる。 もはやアングラでもなんでもないというね。ただのサブカル。それが新世紀エヴァンゲリオン。 エヴァンゲリオン=サブカルの帝王 なのだった。 そういう感じなので敬遠する層多し。おそらくエヴァをもっとも心地よい雰囲気で見ることができたのは 旧劇後からパチンコ販売されるまで、だったのかな。あと、新劇が終わってから何十年後・・・とか。今なおINGですからね。


「監督庵野」
  賛否両論の男である。まず批判するならば、過去の作品の引用作で構成されていることをしながら それらを使って自らの度を越えた主張を入れるという・・・それが旧劇のインターネットシーンなんでしょう。 過去のオトナな作品を使って自らのオナニーを入れる・・・ちょっとリスペクト精神にかけているんじゃないかなあとか思ったり。 でも本人がすでに「自分は子供である」「自分には何もない」と自覚しているので・・・。 あの、結局エヴァっぽい話かもしれないけど、この監督への批判は我々の自意識の現れなんでしょうね。 この人は世界中のオタクがうらやむ全てを手に入れていますからね。まず何もないところ「パロディ・同人精神」から始まって キワキワのオリジナルと過去の作品の引用でもって自らを語り、そしてそれが過去最高の映像作品になる・・・オタクがうらやむ全てでしょうね。 そして何より大事なのが、オタクの自意識というのが庵野世代から現代まで同じ域にいるということ。 庵野の創作への絶望感(先達がすべてを完成させてしまった)から、自分には何もない、まで。 彼らの絶望は30年経った今でも同様です。もうクリエイターとしては庵野世代が最後ということなんでしょうか? だから庵野と彼らの自意識は同じなんです。でも庵野には訳の分からない位の運と才能があった・・・チクショーということ。 そういうところで彼の過去作への接し方や、何か発言の棘にイライラするんじゃないでしょうかね。 俺だったらもっと「控えめ」に愛を語るぞ、みたいな。お前みたいに土足で作品を汚さないぞ、みたいな。

結局、なんでお前やねん、というところ。

過去作への接し方は確かにクソだなと思いますね。あの、ブルークリスマスの幼稚な文章とか、 ナウシカDVDのコメンタリーで乳揺れがどうとか言ったり、日本沈没の特典映像に出てきたりとか・・・ まあ、結局オタクとしては軽薄なんじゃないでしょうか。 庵野って学校に稀にいた、頭が良くてマニアックで長身で魅力的で、っていう、 まあ男にも女にも地味に強烈な人気のある最高のリア充なんですよね。挙句男前。才能もあって、これは人生楽しいでしょう。 そういうモンだから「世界は俺のもの」と錯覚するのは無理もない。 続いての発言の棘。たとえばインターネットの匿名掲示板への批判。分かりますね。あれだけイライラするのもわかりますね。 2chも5chも言うならすべての匿名コメントが許される場は、何もかもが軽薄で幼稚で、最低ですからね。ツイッターも。   人間というのは基本的に軽薄なんです。私もそうです。でも出来るだけ軽薄になりたくないな・・・そういう姿勢を持っているかどうかが大事なんですね。 ああいうところに入り浸っている人は、自分の軽薄を正当化しているのです。その上での、様々な対象への罵詈雑言を庵野は「偽善だ」と切り捨てているんですね。 少なくとも何かを成せる場ではないのです。議論にはならずに、真偽不明の情報を吠えたてるだけで、マウント合戦。 まあ匿名掲示板は既成権力への攻撃、が主なんでしょう。 ただ、便所の落書きに過ぎないところに入り浸って情けなくないのか、というのが庵野の持論なんでしょう。 だからまあインターネットシーンは、賛否両論だけども今なお通じるシーンとして、いいと思います。先見の明がね。 今はインターネットに別の問題が出てますけどね、企業によるコントロールとか。 庵野の世代は、虚構がなければ生きている意味がない、と大部分が悟った最初の世代なんじゃないでしょうかね。 だから本作に対するかつての「アニメから目を覚ませ」というのは自分に向けた言葉だったんじゃないかしらね。 結局こういう行き当たりばったりの作品が熱狂的に考察されて人気になる、その軽薄なムードの中でしか生きていけない自らへの同族嫌悪だったのでしょう。 ただ、自作のファンへの「適度」な熱狂は、意固地にならずに感謝しているようですね。   エヴァの庵野を教祖とした白熱暴走ぶりは、まさしく「オウムの再現」だった。 こっちのオウムはかなりの数の国民を教徒にすることに成功した。宗教観や思想をあらゆる層に考察させた。 そして悪意。盛り上がるファンたちはよいしょから始まり、どんどん過激になって、とうとう批判が出て 庵野の心は「俺が悪いんじゃない、俺を理解しないファンが悪い」となって 旧劇では「お前ら反省しろ」とインターネット批判シーンや、アニメから目を覚ませ、とかそういう攻撃に走った。 選挙落ちからサリンに向かったオウムを思わせる狂気の沙汰。 運のいいのが、旧劇のおかげで教徒たちは冷静になって、教祖・庵野もダウンしたこと。旧劇は庵野の良心と言える。 教祖の自己再定義によって祭りが終わり、客観性による鑑賞が主になった。 狂気に走る奴もみやむーAV騒動で自殺した大学生を最後に現れることはなかった。     庵野ってのは選ばれた男なんでしょうね。 さっきも書いたように「庵野世代以降」というのが10年先20年先どころか、アニメという存在がなくなるまで一生続くでしょう。 だから、だれかが過去作の引用を用いて、ある一ジャンルの最後を飾らなければならなかった。それでしか語れないから。 それをやったのが庵野だった。それだけでしょうね。最後を託されたんでしょうね。ナチュラルに。 もうロボットアニメというよりアニメという映像技術の最後まで悟った気がするんですけど。 世紀末にはポケモンも出ましたね。あれもやはり世紀末の産物なんですよね。完全なる現実逃避の世界。


「キャラクター」 碇シンジくん。 周りがマトモならマトモ中のマトモ(普通のロボットアニメの主人公)になれる逸材だったが、 周りがヤバすぎたためにほとんどごり押しで狂わされた可愛そうな少年。 自己肯定感を育ててくれない環境のためにヒロインも抱きしめられず、結局は男の子(カヲルくん)とイイ感じになった。   父がカスで母もキチガイの挙句、相思相愛ぽい綾波レイが実は母親の半クローンという点もエグイ。 並以上の不幸を一心に背負い、それでも気丈に前を向くエヴァンゲリオンの良心。 綾波レイ   碇シンジの母・ユイのエキス。ゲンドウから可愛がられている。 設定どうこうは無視して、なんにせよ初期のルックスが一番かわいい。   つまり以降の固定された人形風、でなくて、表情がコロコロ変わる人間クサい綾波レイのが可愛い。   涼宮ハルヒの憂鬱の長門はどう考えてもレイからインスパイアされたキャラなんだろうが その長門こそ、固定化された人形としてのレイからのインスパイアなのである。 23話までが二人目のレイ。以降は3人目のレイ。3人目のイメージが長門なのだ。   当時のファンはレイのどっちが好きだったのだろう。新劇では完全なステレオタイプと化してしまっていたけど。 言ってしまえば「笑えばいいと思うよ」、の顔はテレビ放送時の顔のがスキ。   (旧劇) ↓   (TV版) 感覚ぅ。 惣流・アスカ・ラングレー   ドイツから来た大卒14歳の天才ハーフ系美少女。 ぼんやりした二人と違って気丈で明るいコメディリリーフでもあり、口癖の「アンタばかあ」が 宮村優子の声とで強烈な印象を残し、エヴァきってのスーパーヒロインとして人気を誇った。     実は両親の早死により幼少からメンタルがイカれており、初登場時から精神崩壊一歩手前だったという 中々の事実が終盤に発覚。早熟な天才ぶりもすべて、死んだ母に褒められたいことと周りから認められたいことから成された事だった。     見下していたシンジにパイロットとして先を行かれ、その為ロクな活躍もできず、     エヴァも動かせなくなり、ライバルのレイにまで同情された挙句   思慕の念を抱いていた加地の死と、   優柔不断なシンジへの気持ちとで混乱し、最後は使徒に心をかき乱されて精神崩壊。   廃人となる。     挙句、 旧劇では意識が戻らない間にシンジのオナネタにされるなど プライドも糞もなく、散々な目に合う。   しかし、自身の乗っているエヴァ二号機に母が取り込まれていたことを知り、キワキワながらも復活。     量産型エヴァと死闘を演じ、圧倒する。         しかし、ロンギヌスの槍で顔面を貫かれ、駄々をこねるように 活動停止となり量産機にリンチされる。     (シンクロ率マックスの為、全身に痛みが通じる)   (殺してやる×10)   (腕真っ二つ) ついには二号機はバラバラに散逸。   という監督のリョナ思考が分かる流れ。 しかしシンジの願いで補完されず、新世紀を紡いでくのである。     明らかシンジのことを憎からず思っているのだが、ツンデレでもヤンデレでもなんでも 状況が「デレ」に行くことを許さず、結果なんともいえない奇妙な関係で本編は終わった。           シンジもアスカも人の心が怖いために、一方的な関係にしかならなかった。 鼻をつまんでキス。最低なオナニー。互いに抱きしめあうことはない。 しかし旧劇のラストにおいて、首絞めからの頬撫で、という対話がついに実現。春は近い。   物わかりのいい大人しかいない「明るいエヴァ」ことゲームのエヴァではそういう部分をフューチャーされ、 基本的にシンジとラブコメしている。漫画でもしている。二次創作でもLAS(ラブアスカシンジ)として圧倒的人気を誇る。 レイのことをエコヒイキ、人形と呼んで嫌っているが   death編ではこう笑顔を見せていた。何とも言えない関係。漫画や二次創作ではしっかり仲良くなったりする。   クレバーな部分、ルックス、癖の強い性格、独占欲、声、壮絶すぎる(幸の薄すぎる)ドラマ等々 圧倒的人気を誇るエヴァンゲリオン・ナンバーワン・キャラクターなのである。   レイ、アスカ、と守ってあげたいヒロインの双頭である。 キミはどっちをとる。もち、シンジくん込みならハーレムもオーケーだ。   ミサトさん。   29歳。立派な大人になれるよう頑張っている人。頭は良いが悪い意味で女らしい。ナディアっぽい等身大具合。 リツコ。   ミサトの同期。母がゲンドウの愛人。そして自らも愛人になるという変な女。MAGI担当のメカマン。   大学生の頃   母。 シンジの母・ユイやアスカの母・キョウコたちとは違い この人は機械(MAGI)に思考のみ取り込まれている。 こいつがすべてのきっかけ。男は女によりダメになり、女は男によりダメになる。 加地さん。   ミサトの元カレ。深い仲。二重スパイ。アスカに好かれている。 珍しくいい大人だが大事な時に役に立たないのでダメだった。終盤に何者かに殺される。 ミサトと共にドラマチック。メインキャラの中で唯一旧劇に登場せず(活躍せず)。 ゲンドウ。   すべての発端。カスながら女にもてる。妻だったユイと会うための人類補完計画立案。 息子・シンジに辛く当たるも苦しい心中が・・・あったけど許されず旧劇ではイメージで惨死する。 ウンコマン。 冬月。   ゲンドウの元上司。ユイに惚れているのでゲンドウに付き合う。渋くていい人だが結果論ではダメなオトナ。 青葉シゲル。   冬月の部下、オペレーター。ロン毛のギタリスト。 誰にも心を許さなかったからか、旧劇では恐ろしい死により補完された。 という、地味に本作のテーマの極北にいたキャラクターなのである。 日向マコト。   ミサトの部下。オペレーター、マジメで気さくなメガネマン。 一番ラフなカンジでマジメ。良いやつ。 マヤ。   リツコの部下。オペレーター。レズ。ショートカットの潔癖症。 マコトと同様ラフなイメージだが、色々と難しそう。 トウジ    関西弁の同級生。病弱の妹がいる。4人目のエヴァ搭乗員となったが、最終的に足を切断する。意外と運動神経はない。   ヒカリ   委員長。トウジのことがスキ。アスカとは親友。ゲームではシンジと恋仲になったりする。   シンスケ   マニアックな同級生。癖が強そうだが普通に良いやつ。エヴァパイロットのシンジに嫉妬したこともある。 トウジ、ヒカリ、シンスケは平和なエヴァを象徴するキャラクターで、徐々に存在感がなくなる。 当然旧劇での出番は皆無。 渚カヲル   スんげー美少年。実は最後の使徒。アンチATフィールドの使い手で、傷心のシンジ君に優しくして心を開く。 そして目的のためにシンジに自らを殺害させる。最後の物理世界だった24話だけの登場ながら なんにせよインパクト大で女性人気は圧倒的。


「TV版」
  明るく個性的な面々が徐々に破滅していくというロボットアニメは富野監督の真骨頂だったが より雰囲気を加速させ、精神的に救いのないムードを醸したのが本作だった。 本作のギャグタッチは最高におもしろいし、熱いシーンは熱い。しかしそれらは結局のところ 終盤の暗さをより明確化するための罠。つまりは「お祭りアニメ」なのである。   TV版で自己肯定感を取り戻したシンジ君。おめでとう、はいはいおめでとうというオチ。 そして素晴らしい、いくつもの可能性がある、という学園シーン。あれによって旧劇やら二次創作までもがエヴァの可能性の一つとなった。 ライブ感覚の作品だと庵野監督は語っている。テレビ版も旧劇もエネルギッシュなキャラクターたちを鑑みて寂しさが募る。 一級のアニメーション感覚と言える。全話出色の出来ってのは、やっぱ単純にすごいよね。   あ、ジブリより青空の表現が上手いと思いました。透き通ったブルー。       旧劇。アニメ版地獄の黙示録。AKIRAより難解。AKIRAを90年ライズ。 AIRが物理的な航海。まごころに君を、が精神的な航海。 AIRの見せ場は復活したアスカがエヴァ量産機と戦う場面     まごころを君に の見せ場は人類補完計画シーン。 劇場版「イデオン」ままに、まずは総集編をやって、その後テレビでは描けなかった本来のラストを描く。 登場人物が次々と死んでいく。しかし大半は補完によるLCL化という去り方。なのでまた戻ってくる。   最初はミサト。リツコ。以降は補完。そう、あんまり死なない。 人類補完計画。         「甘き死よ来たれ」が流れてのサードインパクト、人類補完シーンの演出力はただごとではない。庵野の手腕が冴える。 死、という概念。つまり個々の人間から一個の存在と化す、自分にさようなら、という所での死。   マコト、シゲル、冬月、マヤ、ゲンドウ、の順で補完されていく。       それぞれにドラマチック。冬月がいい。       ゲンドウのは「すまなかったな、シンジ」の一言が救済を呼ぶが、時すでに遅し。 シゲルの補完が「個々の人間から一個の存在へ」・・・なる恐ろしさを表現する。 ネルフ中核らしいスペックの持ち主だからこその未練が分かる。一人怯えながらLCL化した。 極北と書いたけど、結局シゲルは人間関係が器用なんでしょうね。繊細ではない。 ただ、人間関係をスムーズにする為に、人との心の関係をシャットアウトしているのでしょう。 それがすごい。実は一番ドライな人。 旧劇の見どころと言えば物理世界だけに生きるオペレーター3人組と冬月の活躍でしょうね。 彼らがいなかったら辛気臭いだけになってたでしょう。掛け合いやら言葉の応酬が気持ちいいです。その最期も。    


そこからの精神世界――ネット批判、現実に還れなるメッセージ。

  さて、このシーン。実は結構お気に入り。 なぜなら、実は俺にも庵野のような経験があるからである。 昔、俺のサイトの画像(山本圭)がアフェリエイトサイトで使われていたのを発見して 自サイトがどういう状況なのか「2lanewhitetop」って検索していたら、これが出てきたのだ!!

吹替ファン集まれ〜!【PART151】 385 :名無シネマさん:2019/03/07(木) 12:29:26.57 ID:bHiW13Qg.net: 昨日の内田さん良かったなぁ、内田さん叩いてたこの老害ジジイ今何してんだろう http://2lanewhitetop.web.fc2.com/opinion8.html

この記事は新録吹き替えへの批判だったと思う。 西部戦線異状なしの新録吹き替えに内田というやつがメインで出ていた。 で、すごい気取った演技ぶりなので、その感触を書いたのである。 それを、どこかで読んだのでしょうこの人は。そしてこういう文章を書かれた。 この記事を書いたのは19歳の頃である。・・・どう考えてもこいつのが年上だろ!! もうね、ホント汚いしね、最悪ですよ。匿名掲示板は。 世代間対立はあるし、決めつけるし、誘導するし、ピリピリしてるしね。信者いるし。 吹き替えファン集まれ〜って、すごい明るいタイトルのスレなんだけど 覗いてみると、単純に楽しめないのね。荒らしはいるし、対立はあるしという具合に。 やっぱ匿名掲示板はダメっすね。庵野が正しいよ庵野が。 (追記:懐かしいというか・・・・今思うと俺も自意識過剰だったと思うね。 自分のサイト調べたりとか、しないもんなもうな。それはさておきこいつはクソやけどな。)



そしてキモい綾波を出すことによりオタクを絶望させる。     なんとなく壮大な映像にのって本編が終わる。     アニメ版「地獄の黙示録」らしく終盤30分、絵面は壮大ながら求めてたのと違う・・・のだ。 それは庵野がエヴァを終わらそうとしていたからこそである。相反する気持ち。 それまでの最高を、ああいうエグイ映像で塗りたくって賛否両論にした。   (思ってたのと違うね)(うん) 映画としての完全なる完成度は「甘き死よ来たれ」でゲンドウが補完されたまでがピーク。そこからは賛否両論。 しかしシンジがレイ、カヲルと向かい合って 「またみんな僕を見捨てるかもしれない・・・でも僕はもう一度みんなに会いたいと思った」     の一連のシークエンスは卓越したムード。田んぼ、青空、人混み・・・そして優しい人だけのショット。 前後の実写と併せて90年代後半が浮かび上がってくる。   で、気持ち悪い。 ある意味エヴァらしいんだけどTV版の開放感と比べると、理屈っぽいですな。なんにせよ二つのエンドマークがあるというので・・・ うん、旧劇はちゃんと意味通じてますよね。爽やかなエンドマークじゃないけど。そこは悪趣味なのか新世紀なのか世紀末なのか意見の分かれるところ。 まあ、あんな暗い空じゃなくて、青空でもよかったと思うけど、それだったらばTV版だしね。 意味不明ではないのですよ。ただ一つの答え。自己完結だけど。     他人が怖い。俺は必要とされていない。→俺はここにいてもいいんだ! 理屈もくそもなく感情の問題。躁鬱的ともいえる。楽観的ともいえる。でも生きていくにはそれしかない。 それが答えだ!  



小学生の頃、おもしろフラッシュで「超人類」だの「ドラえもんエターナル」「ジャイアンリサイタル」とか見ていて エヴァがネタにされやすいアニメだと知った。気持ちよかった。顔とか、セリフとか。当時製作者たちにとってのトレンドだったのでしょうか。 何にせよTV版はもちろん、旧劇のインパクトはすごかったんでしょう。今でも旧劇のリツコの顔見たら笑えますね。 そういうワケで中学の頃に1999年初版の旧劇DVD買ったんですよ。でもハマったワケじゃなくて、記念ですよね。 学校でもエヴァはメジャーだったから、新劇にもそっぽ向いて、硬派気取ってました。今では普通に好きですわ。



  なんにせよ世紀末に現れた、創作作品のピークを語る「何か」である。 20世紀に生まれたものは20世紀で終わったのだ。だから21世紀には何もないのかな。その事実を楽観主義者たちに叩き付けた 国民的でもあり、サブカルでもあり、アングラでもあり、カルトでもあり、名作でもあり、駄作でもある「新世紀エヴァンゲリオン」は、俺たちの自意識そのものだった。


戻る
inserted by FC2 system