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何度も書いてきたけど、俺たちは騙されてきた世代なんだな。スケベ根性とか遊びとかギスギスとか闇の部分とか そういうエンタメ作品に絶対にかかわっている部分を見事に隠されて授受して、国民的の温かみ、みたいなさ それを自分の中に確立してしまったっていうね。駿も藤子Fも簡単に当てはめるとただのロリコンなんだよな。チャップリンも大林信彦もそう。 だからどんな作品も欲のはけ口なんだよね。それを分からなかった。今ではわかって、それなりに納得はしてるけど。 これに気づいてないやつが、なんか国民的作品がちょっとエログロとかに触れたら国民的だからとか子供がどうこうとかいうわけ。 サザエさんもこち亀もコナンも忍たまもちびまる子もポケモンもワンピースも全部欲のはけ口なんだって。 でそれを我々も無意識のうちに楽しんじゃってる。。。つまりみんなの中にある欲とリンクしているから国民的だと・・・なので本質的に 卑俗なんだよね、国民的アニメってのは。この当たり前のロジックを早く気付くべきでさ。だからドラえもんもそうなんだって。 しずかちゃんの見せ方なんてアンタ、いざ漫画を大人になった今読むとさ、もうパンチラとかすごい意識的に描いてるなってのが超わかるわけ。 スネ夫のロジックも大人の遊びだし、ジャイアンの暴力もスラップスティックだし、のび太の無軌道ぶりも大人の考える子供だし、 大人からすると青臭い、または嘘くさい人間愛みたいなものもまた欲の一つであって。 声優もね、大山のぶ代は性格が激烈で、たてかべ和也は年とっても若い女を抱いてたとかなんとか。 アニメという公共の電波を使って国民にお見せする段になっては建前でもって放送しなければならない。 だからドラえもんは愛と勇気と友情とか環境どうこうとか子供らしい遊びとか、いろいろ言ってるけど やっぱ本質は道徳じゃなくて欲だから。それでいいんだけど欲を言うより道徳を言った方が受けがいいから。 でその表面的な建前に俺らは騙されるし、それだけならまだしも作り手も染められちゃう場合もある。自分がどういう立ち位置なのかわかんないとか。 だから大山版ドラえもんを親より親してるとか書いてたわけだ。しかし親を錯覚するぐらいには威厳と重さがあったってのは無視できない。 それは世代の問題でさ、やっぱ昭和一桁そこらで生まれた連中の責任感と、時代に対して何かを持っているという個性がな。 でその重さがドラえもんのいい意味での軽さを邪魔してないってのが芸達者だ。声優も含めてね。 で今のドラえもんはな、やっぱその道徳の部分で作ってるんだよな完全に。制作側の混乱ですよ。 だから変なことになる。今思うとな、大山版の美しい部分、親より親してる部分ってのは、あれだけアナーキーなことやってても 妙に安心してみていられるという度量の部分なんだよ。上に書いたように。時代のよさってのもあるかもしれんけど。 懐のでかさな。
今は歪なんですよやっぱり。初期はまだアナーキーだったけど。 国民的という建前のもとに規制も強く度量も小さく、道徳アニメな風なくせして、一応お約束は小さくともやろうとする。 しょぼいものを見せられてるんだな。ドラえもんのマスコット感も、のび太の卑怯さも、しずかちゃんのサービスも ジャイアンの暴力も、スネ夫のうんちくも、大山版よりもスケールダウンしてるんだよ。そういう意味でもやっぱ大山版のがいいわな。 でお約束が一番歪なんだよ。大山版は相当アナーキーだけど絵柄なのか声なのか演出なのか、乾いてるんだよ。淡々としてる。 それが今、特にしずかちゃんのサービスシーンなんて、典型的な勘違いでさ、すごい湿っぽくオタクっぽく深夜アニメっぽくやってる。 しずかちゃんの局部を見せられないから代用でってことなのかもしれんけど、作り手のしずかちゃんのサービスシーンってこんなんでしょ笑 みたいな勘違いの姿勢が本当に腹立ってね。今のしずかちゃんのサービスシーンなら公に批判されても当然なんだよ。だってきもいから。 昔のしずかちゃんのサービスシーンもきわどいけど乾いてる分きもさは薄い。今のはもう安い娼婦にすぎないわけさ。安いんだよ。 顔見りゃわかるじゃん。今のしずかちゃんの恥ずかしがる顔とか、もうキモキモの露骨すぎのふにゃふにゃの・・・安い表情なんだね。 妙な抑制といい疑似ジブリ作品のニチャニチャネチャネチャ具合と似てるんだよな。 それを比べりゃお前昔のしずかちゃんはがっちりしてて、表情もすっすっと大人にメリハリがあってさ。 ジャイアンの感動シーンもあざといし、そうそう新ドラ映画はかしこまった絵柄も演出もセリフも音楽も声も全部 あざといんだよな。これはやっぱ日本アニメ界の問題なんだよ。もう日本アニメって人間好きなやつというか、人間嫌いなやつしかいないだろ。 だからドラえもんだけでないけど、泣きのシーンとか顔をゆがましてゆがまして感情に訴えかけるみたいな東洋的でも西洋的でもない不気味な真似しかできない。 千と千尋の泣きシーンとは違って、人間の心わかんないから極端な表情でしか伝えられないし理解できない。受け手も悪いんだろうが・ ピクサーとかのそれでなくて、日本のそれはあざとさが本当ひどい。ここ日本なんだよな。ドラえもんは漫画も大山版も 素朴さが本質だったかもしれないよな。泣きのシーンも引きずらないし淡々としてる。それが新どらは・・・もうよそう、こんな話は・ やっぱ開き直ってさ、欲で作ってんだ欲で、っていう勢いでやった方が、もっとさっぱりしていいんじゃないかな。 新ドラの悪さはいわゆる陰キャの欲をコーティングしてやってるから、しずかちゃんとか演出とかきもいんだろうな。 現代の陰キャな。人間も好きじゃない、性欲だけ高いみたいな。藤子Fも宮崎駿は昔の陰キャだから、もっと社会性と大人の貫録があったけど。 もう一つ言うとな、これはプリキュアやしんちゃんなんかでも同じ藪を踏んでるんだが、環境問題とか政治的問題だったりは ものすごく頭使わないとできないんだよ。それを分かってない。 賛否あるディズニーやハリウッドですら昔から世界に向けた映画作りをしているから、頭使ってるし、どうやれば 伝わるかっていう普遍的映画言語も確立できてる。 でも日本の作品って大体ガラパゴスな勝負ばかりだし、まあ大した内容やってないんで そんな奴らに急に世界レベルな思想問題をやらせても何やればいいかわかんないみたいなもんで ただの当てつけとか教科書をなぞるぐらいとか、分断をあおるような稚拙な暴論だとか、そんなことになっちゃう。 ディズニーやハリウッドでもそこが批判されてるのに、ドラえもんとかはまず頭がないことにすら気づいてないんじゃないか。 そのうえでやった感というデメリットでしかないお役所仕事のよーな作品にしかならず、挙句制作者の実績づくりに利用されたり、ボロボロ。 うん、ただの開き直ったスケベアニメ、暴力アニメにした方が面白くなるよ。