少し不思議なスラップスティック・ターミネーターがやって来た!
ドラえもん
改作
ドラえもん
| 日本が誇るナンバー1漫画シリーズ。サザエさんが根っこならドラえもんは幹。そんぐらい漫画要素を網羅している。 アトムとかデビルマンとかサリーちゃんとか色々あるけど 結局この『ドラえもん』が一番のスタンダードな国民的アニメなのではでは。 |
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│オレガ アトム ヲ ツグモノ ダ
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ドラえもん、のび太、静香、スネ夫、ジャイアン、出来杉、ジャイ子、先生、ママパパ。
人物紹介なぞ日本人なら誰でも常識としてわかることだから
ともかく源静香である。
イカした友人兼包容力ロボ ドラえもん
たまに聖人 基本クソ野郎な 野比のび太
将来は、ポンコツだが心の優しい中背の爽やかボーイに成長。
パンクな個性派 ジャイスネ

ジャイアンがいないときはスネ夫のび太で共同戦線を張る。
ジャイアンがいるとスネ夫はジャイアン側につく。こういう野郎が中学の時にいました。
スネ夫は藤子F漫画の中でも出色のおもしろさがあるキャラクター。
熱狂的ファンが作った『スネオ主義宣言草稿』は必見だ。
https://web.archive.org/web/20190330145708/http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Bay/4104/suneo/suneo.htm
のび太を見守りつつ突っついたりする人徳者 先生とママ
ママは美人。
堅実な脇役 出来杉とジャイ子
出木杉はイモ風な顔。ジャイ子はイモ。
さて、同じ作品でもセル画製作かデジタル製作かで
大いに雰囲気とか、そもそものテーマが変わってしまうもんですな。大変ですな。
そして、やっぱりドラえもんはセル画の雰囲気なのである。
79年から2005年までやっていたワケですけど「アナログとデジタルの両立」「昭和の雰囲気」セル画しかないな。
そしてドラえもんの友達感、素朴さ?
SFロボットなのに庶民っぽさ。声優の力も大きいが、何よりセル画の暖かみ、あと色合い。それを可能にした。
2001年以降はデジタル製作。嫌いじゃないっすよ。
ドラえもん作画の完成形が90年代中ごろからであって(俺はそう思っている)
その流れのまま2005年まで。悲しいことにデジタル作画のドラえもんはあんまりメディア化されてないんですけどね。
90年代後半にありがちなフニャフニャ作画のときもあったけど
キャラクター造形に声優、そして作風の変わらなさで違和感帳消しよ、きっと。癖強いけどな。
やっぱりドラえもんの素晴らしい点ってのは現代の風俗にすぐに染まれる事ですな。
「サザエさん」ではムリだけど、ゲームは出せるし携帯だって出てくる。
だからデジタルでも「あ、ちょっと小奇麗になったな」みたいな。それが自然に、そのまんま感じられるという。
絵なんかも、特にしずかちゃんの美少女化というか
時代と共に移り変わるアニメ界のスタンダードな美少女感ってのは
その、キチンと時代ごとのカラーで表現されてたしね。
活発→肉感的→ツンデレ→全要素てんこ盛り
視聴者の慣れのスムーズさをも可能にしている。これ、ドラえもんの力よね。
主題歌は7番目のセル画での山野さと子版が「ベスト」って感じですよ。
アレこそドラえもんっての。きっと。俺はね。俺はそう思っている。
アレ見ると「セル画しかないな」「あの暖かみはすごいなあ、親より親の役割果たしてるな」なんちゃって。
でもさ、暖かみっていうか、おふくろさんよ、というか、お母さんの作った晩御飯って感じよ。分かるね。
そう色々と考えたらリメイク版は楽しめない。世代だけど。
もはやすっかり市民権を獲得し、その味に馴染んで成長していく世代も増えてきただろうが
やっぱり受け付けないのである。暖かみは皆無だし、何よりクサくなったなぁーと。
あの、スタンドバイミー?ドラ泣き?
大山版のドラえもんには存在し得ない胡散臭さである。
こういう売り方はシラけるしさ、感動の押し売り?勘弁してくれよ。
やっぱり大山版には「親より親している」ムード以上にさ
藤子Fと共に並走してきた歴史ってのが、あるわな。
そう、リメイク版に藤子Fはノータッチなのである。
だから、アニメスタッフの独断であるから、あんまり藤子F味というか、
氏の意向が反映がされてないのかもしれないナ。
藤子F味とは「心の琴線」コレをいかに"ささやかに"感じるか、それを教科書的にでなく、
スラップスティック込みで、感じられるという。SFも併せて。あと素朴さ。
(右から 大山 藤子F 藤子A 小原)
声優も問題っすよ。大山版はドラミ以外全員アニメ声でもなければ洋画声でもなかった。「素朴な味わい」
ドラえもんキャラを演じるために生まれてきたような役者で
そしてみな「紳士淑女」。良識ある大人。安心の塊




しかしねえ、リメイク版のドラえもん声優は、アニメ声なのはともかく声優に安心感がない。
どっしり構えて欲しいんだけどな。まだ貫禄がないんだよ。どこか中堅で終わってる感じがするんだよ。
特にスネ夫の声優・・・なーんか不気味なんだよ。人格破綻なのか、良い噂がねえんだよ。
ねー、非常によろしくないという・・・子供が見るアニメに出てはいけないタイプのオッサンなのではないか
人間顔に中身が出るっていうけど、目とか、顔全体詐欺師っぽいんだよ。これは主観だけど、不気味だよ。
そういう意味でも大山版は勝っているわけだ。安心するね。
こう見るとリメイク版は大山版に勝る部分つーのがないよな。
暖かみとか素朴さとか声優とか。物語も。
今の中学生以下がリメイク版世代だろうが・・・
大山版が少数派になりリメイク版が多数派、スタンダードになる日がいずれ来るんでしょう。
でもなぁリメイク版よ、無視虫やってもいないのに大山版には並べないからな。
今こそ、この時代だからこそやるべきタイトルを何故やらないのか!?
スタンドバイミーとかドラ泣きとかやってる場合じゃねえな。
今のアニメって世間の声を気にしすぎて社会派的なガツンとしたテーマを全然披露しねえな。
みんな怖いのは分かるけど、こういう表現芸術だからこそやって欲しいよな。
ドラマでも映画でもアニメでも、エロとかじゃなくて
もっと人間の根本を捉えなおすような、デカいタイトルを作るんだよ。
そうして、その界隈は再びの全盛期を取り戻せるのだ!
だから大山版は安心。質の問題やで。あとこういうテーマとかしずかちゃんとか、つまり過激さも足りねえな。
藤子Fのナチュラルでイカした少女趣味を分かってねえな。ミスしずか・ふくよかさが足んねえな。
次にDVDの問題。79年から80年までのTVシリーズはボックスで発売。
しかし以降は発売ならず、スペシャル版とかセレクションとかで単品発売。
VHS「21世紀テレビ文庫」とか。
当然、販売していないエピソードが8割(多分)を超えるなど、未だ眠る大山版の傑作を見れる日は遠い。
無視虫とかすごい挑戦的な内容だったし、名作なのになあ。
デジタル化以降の話はほとんどソフト化されていないのだ。
大山版末期のしずかちゃんの艶姿を見れる方法は、今のところ劇場版のフー子とワンニャンを買うしかない。
魔法少女欲しいぜえ!?DVD出てるじゃんと思いきや80年代のヤツじゃん!というね・・・。
そこまでして売りたくないってのは、なんでしょうかね。過激なのはドラえもんじゃないってことなんでしょうか。
藤子Fが生きとったらね、おそらく、「GO」サイン出てたはずですよ。だってさ、エスパー魔美の原作者だもの。
藤子Fの遺産にかまけて商品展開ちんたらしてんじゃねーぞ小学館。アメリカに無償でキャラクターライセンス渡してる場合じゃねえな。
少女趣味を全開にロリータのヌードを描きまくった性癖反米野郎・ファック・ザ・藤子Fが許さないゾ。
販売されてるTVソフトは、OPもEDも全て固定されていて
OPは大杉久美子版、EDは「ぼくたち地球人」である。から、
上記で絶賛の嵐だった山野さと子版のOPもしずかちゃんが踊りまくる東京プリン版。
EDではわんにゃんとかYUME日和もナマズも観れない。(青空っていいな は最近出たDVDで観れる)
いつの日か・・・いつの日か、主題歌集とか言ってDVD出してくれ!
あと、インターネット投票とかやって新たな傑作篇DVDとか出してくれ!お願いしまーす!買いまーす!から。
(そして、やっぱり俺は大山版ドラえもんだと。
就活ですよ、マイナビですよ、ドラえもんがいるんだ。あの、狂気のフェスティバルの音頭を取っているんだ。
・・・あの、なんか死人に口なしって感じで、山田康雄死後の二代目問題には「山田さんは納得しているだろう」みたいな
だから水田版も藤子Fは納得している・・・って感じに今なってるんだろうけどさ、
俺はさ、少なくとも藤子Fが「こんなところにドラえもん使うな」って反対してただろうって、断言できるよ。
水田版の嫌悪感がようやくわかった。胡散臭いんだ。地に足着いたことやらずに環境問題だ愛だのなんだのと
そら正論だけ言っていれば気持ちいいわな。気持ちいいし金も稼げるし。そこで失われたのが藤子Fの若さなんだな。
国民的イコール教科書って認識でしょ今。教科書なドラえもんなんてドラえもんじゃないわな。
俺は藤子もドラえもんも若かった「大山版ドラえもん」が好きだよ。愛してるよ。世代じゃないけど。)
まあ上にこんなこと書いてたんだけど、別に旧ドラに思い入れがあるかって言ったら、あんまないんだよな。
俺新ドラの世代だし。旧ドラは昔録画してあったビデオとナマズの歌ぐらいしかリアルタイムで覚えてなかったし。
新ドラはずーっと観てた。一話から。小5まで観てた。映画も4作目まで観てたし。4作目は友達と二人で観に行った。帰りにお好み焼きを食べた。懐かしいね。
つまり子供のころはテーマとか関係なしに映像美を楽しんでいたわけで。それでよかったんで。
じゃあなんでこういうページを作るのかと言ったら、思い入れ以上に、近年感動ポルノというか
「感動さえすりゃいいだろ」っていうネット全域メディア全域を巻き込んだ流れがすごい嫌いだからなんだな。
ドラ泣き作ってるやつ受けてるヤツどっちもあかんね、3丁目の夕日は吐き気がしたし
それに感動する奴は適当に感動していればいいんで。ただ、正論だの綺麗ごとだのってのが、嫌いなんだな。
綺麗ごと言ってりゃ気持ちいいわなという。で、それだけならよくて、
ただ、そういうことを大々的に発言・表現するヤツってのは上位数パーセントの恵まれた、社会的地位を確立した、
育ちのいい、つまり人生をほぼゴールしている人たちなんだな。
そういうやつらが庶民、一般大衆に向かって「仏のように生きろ」と言うワケですよ。
そんで批判してくる奴には「心が貧しい」とか「優しさを持て」とかな。これが嫌なんだ。腹立つで。
彼らは現実の殺伐に敢えて目を向けずに美しいものだけを描こうとする。そしてそれが人間の真実ですと。気持ちいいだろう。
でも、優しい気持ちでウソをつかれるより、残酷に本当のことを言ってもらった方がいいって奴よ。
原作・旧ドラって後者の方だったと思うんだけどな。クソみたいな世界で、クソを認め、その上で感動、だったら分かるけど
現在のドラえもん・・・だけじゃないあらゆる創作物ってのは、製作者側の「我々は弱者に優しい良い人です」という
英雄願望が透けて見えて、そして表面的に差別をなくして、で、素晴らしい世界で、クソはなく、その上での感動、なる作品。
現実との剥離。彼らはナチュラルに性善説を信じてそうで嫌だ。人間の本能、動物の本能、それが答えだ。
性善説性悪説で測れるもんじゃない。マウントをとる、支配する。それが人間の真実だ。善も悪もない。
のび太。マウントをとる、支配する、殴られる、殴り返す。藤子Fは原作でそれを描こうとした。
綺麗ごとでなく、感動すりゃいいってもんでもなく、しっかりと地に足着いたヒューマニズム。おう。
ま、早い話が、第三者が金稼ぎのために版権キャラ使うなら、しっかり原作をリスペクトしろや、ということ。
金も稼ぐ、自分も有名になる、挙句自分の作家性とか、独自のテーマを入れる。クソかよ。
電通ドラえもん、スターウォーズEP8、トイ・ストーリー4、欲張った結果
うんこになってしまった長寿作品たちの声が俺には聞こえる。「気持ちや」と。