時間と空間がデタラメなのだから――これは夢なのだと気づくまで、観客はさくら先生や面堂たちと同じように、実に怖いスリリングな体験をさせられる。 確かに、友引高校の時計は故障していたが、時間と空間のリフレーンに始まる超常現象の数々は、現在という確実な場所尾も一気に不確実なものにしてしまう。 温泉マーク先生が同じ一日を繰り返しているような気がすると、数百年の時間的経過を意味する誇りと青カビに埋もれたアパートの一室で言う時、浦島太郎の世界気現実を 拒する。いったい、何が起こったのだろう――という形で、友引高校の連中に異常体験を強いる押井守 脚本演出の企みが頂点に達するのは、宇宙を飛ぶ巨大な亀のシーンである。
 巨大な亀の背中に、友引高校の連中が載っている。否、友引長そのものが、亀の背中にあるというシュールな映像に、度肝を抜かれる。 例え、後でこれがラムの無双する世界だとわかるにしても、映画を見終わってからも消えることはない。そのシーンの後で友引高校の連中が夢と気づき それなら冷めるまでままよとなっておれば、見る方もなーんだと思うのだろうが、後半は、その夢の仕掛人である無邪気が登場し、 夢と現実がどう違うんだと言い出すし、現実に変えることを策し始める。サバイバルという緊張感も同時にある。 連中の真剣さに、もう一度見る方も、夢と現実のはざまに身を置く格好になって、さくら先生や面堂と共に脱出にと模索させられる。
 この押井守の映画的たくらみは、SF映画のセオリーに合致したものでもあり、その混沌状況の停止は、優れたSF映画として 見る側に感光を与えるのに十分な材料である。現実から60年前の時間と空間にタイムスリップするある日どこかで、また過去現在未来 が同時に存在するときをかける少女のように、である。さらに、あたるとラムの関係で言えば、二人の中に潜在する至純なもの (恋と言えばいいのだろうか)の形の究極を、無邪気という夢の仕掛人の立場から見つめようとする押井守の眼目は、 大林宜彦の廃市に通ずるものがある。
 前半の怖いほどスリリングな夢の世界は、ラムの意志を鏡のようにして操った無邪気の 成せる技であったのだが、その矛盾の中にちりばめられた、現実が映す鏡の部分に押井守のテーマがストレートに介在しているように思う。 ただ、これを超常現象と合体させて語る作者のたくらみに気が付かずに見てしまうと、単なる寓話の産物でしかないような印象に終わってしまう かもしれないし、あるいは、矛盾に満ちたSFドラマのつじつま合わせに四苦八苦せねばならないだろう。いや、それも映画を見る楽しさの一つであり ここで映画の味方を論じるつもりはないのであるが、私自身、一回観ただけでは辻褄が合わぬとばかりにもう一度ビデオ 劇場公開と同時発売を観てしまったし、四苦八苦した張本人なのだから大きなことは言えない。


シュールな線でつながった冒頭とラスト

 白い帽子をかぶった少女 顔は最後まで分からないが何度か出てくる。 これがトリックとしては一番面白いし、押井守のたくらみの象徴であろう。 あたるとラムの関係は、男なら羨ましくなるようなところがある。原作漫画の人気の秘密もこの辺にあるような気がする・ あたるという奴、ラムにあれだけ愛されているのは何故だろう。実際、しのぶがラムに聞く。あんな男のどこがいいの ドジだし、スケベだし、顔もよくないし・・・・・と。ラムの思いの秘密と、あたるのラムに対する気持ちが、知恵の輪が外れるように鮮明になるのは、 最後に無邪気の世界であがくあたるの行動によってである。
 帽子の少女があたるに現実に変える方法を教えてやるのだが、その吐息、あたるは好きな人を好きでいるために、その人から自由でいたいんだと吐露する。 なんともキザなセリフだが、あたるの男としてのダンディズムがバシッと決まり、同時にラムに対する愛の素直な告白になっているところが、実にいいのだ。 このセリフを言わせるために、押井守はこの奇想天外なSFストーリーを作ったのではないかと思うくらいである。 むろん、それを聞いた少女は責任取ってよと言って正体を見せるあたるの気持ちを正直に介したからであろう。
 キャラクターとして面白いのは新登場の無邪気・藤岡卓也の関西弁が絶妙である。数百年、人の夢を紡いで生きてきた、少々疲れ気味の子の妖怪は憎めない。 彼はまた人の夢の中でしか生きられないし、夢をみさせることが唯一の生きがいなのだが、人間は時として、彼の紡いだ夢の中で邪悪に走ってしまうことがあると、 無邪気は嘆く。その悪弊を断ち切るために引退まで考えた彼に、最後にもう一度夢を紡いでみようと決心させたのがラムである。あるいは、無邪気にとってそれは最後の恋 老いらくの恋だったのかもしれない。
 無邪気が提唱する夢と現実はどう違うんだという思いもだからよくわかる。彼にとって 夢は現実そのものなのだから。残念ながら彼は人間ではない。時間と空間が人間にとってかけがえのない一過性のものであるということに、 おそらく彼は思い及ばなかったのではないか。いや、そのことを一番知っているのが無邪気なのかもしれない。だから、彼はあたるらに軸を超えた世界夢を見せることで 現実の相対的位置を知らしめようとしたと言えるかもしれない。無邪気こそ、偉大なる哲学者の魂の権化なのだ――とは少々オーバーかな。
 現実の友引高校に戻る。例によってラムとあたるの大ゲンカが始まった。進歩も成長もない。付き合いきれんと言いながら、あの無邪気が、なんとバクの子ブタと仲良く、 この映画のタイトルの看板を作っていた。そうだ、この無邪気とバクの招待こそ、押井守その人なのである。 ラストにうる星やつら2ビューティフルドリーマーというタイトルを出した狙いは、これはそのエンディングもまた夢の続きなのだという暗示なのかもしれぬ。 冒頭とラストはともにシュールな線で繋がっているような気がする。
 ルパン三世カリオストロの城とともにアニメ史に残る大傑作だ。 アニメ映画もまだまだ可能性を秘めた楽しみな分野である。

高橋聡



うる星やつら2何度みてもスゴイ。どうTVシリーズでよく使われた手にもかかわらず、こうして大画面で見ると改めて押井守の才能に拍手喝采です。 それに比べて実写の志の低さと言ったら…。ともかく、続くマクロス、レンズマン等若手アニメ作家の活躍にも期待したいものですね。(キネマ旬報編集部)




 浦島伝説をSFに取り入れた押井守のアニメーションうる星も面白かった。 連日学校に泊まり込んで文化祭の準備をするあたるとラムたちは、明日になれば文化祭の幕が開くと言いながら、なかなかやってこない明日を目指した毎日 同じ事を繰り返している。亀の背に乗ったのが浦島だけでなく、村全体だったら?という着想は秀逸だ。そしてあたるたちを 亀の背にのせたのは無邪気というややくたびれた妖怪であり、彼を動かしたのが、いつもみんなと一緒に今のような時を永遠に送っていたいというラムちゃんであった という結末も以外である。少女は、時を止める力も持っているのだ。

田中千世子




 浅野潜 大阪スポーツ新聞代表・編集局長 9位


 上野昂志 7位

「現実に対する批評がドラマの核をなすという点で優れて現在的であるが、 同じ問題は、指を濡らす女にも兄貴の嫁さんにもうる星やつら2にも見出すことができる。」


 川本三郎 7位

「うる星やつら2の人間がほとんど消えてしまった夜の町 ほんとうに町はいつからこんなに人間がいなくなってきたのだろう。」


 佐藤重臣 2位

「今年の日本映画は史上最低の出来だ。 その中にあって、日ごろ、評価の出てこないアニメを一位、二位に並べた。」


 高橋聡 新大阪新聞学芸部 3位

「映画は一時の夢、幻の世界と思いたい――現実逃避かもしれないが この十本の作品はその虚構世界の中にどっぷり浸れたことで大満足。」

滝沢一 大阪芸術大学教授 5位(6位ナウシカ)

田中千世子7位


 松田政男5位

「風の谷のナウシカよりもうる星やつら2のほうを私は買い・・・」



本誌編集部1位ナウシカ 9位うる星やつら

読者選出1位ナウシカ 8522点 7位うる星 6118点  30位マクロス 654点




 脚本賞

高橋聡

「夢のマジックを怖いほど知らしめてくれたうる星やつら2の押井守脚本に一票を」


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