押井守

単純な言い方ですが、広げた風呂敷は閉じるべきだとはいえると思います。 山崎君とは、付き合いも長いので、彼のやりたかったことというのは、よくわかります。同時に、それが上手くいかないときのつらさもわかります。 これは、僕がビューティフルドリーマーをやった時に感じたことなんですけど、物語をいったん解体してそれを再統合し、映画という形式にたどり着くのは、考えている以上に難しいことなんですよね。それを成功させるには、自分の方法―古来からものを作ってきた人間が作り上げてきたドラマツルギーに拮抗するものの考え方を徹底させないとできない、という事だと思いたい。

僕は夢を扱う場合、絶えず一つの論理的可能性というものを考えているんです。夢の中の因果律は、実は論理的なものじゃない。因果の意図を結ばないものだから、夢なんですよね。 だから、夢を物語の中で扱うときは、現実とは別の論理が必要なんです。その結果、夢を描くことで、この現実の論理のありどころが明らかになる。 つまり、夢というのは、単純に言えば現実の比喩なんですよね。そういう構造を物語の中で持たない限り、夢の物語は成功しないだろう。夢そのものの構造に捉えられて、物語が閉じられなくなると思っているわけです。


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