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塩田時敏 キネマ旬報 1991年12月下旬号
数々の映画賞に輝いた異色の傑作「コミック雑誌なんかいらない」以来5年ぶり、 常に次なる動向が最も注視されていた内田裕也の新作が、ついに完成した。
すでに次回作「エロティックな関係」が宮沢りえ、ビートたけしというホットな話題性で、 連日スポーツ紙をにぎわせているが、内田裕也の映画的たくらみほど、待たれていたものはない。
しかしその間、最も裕也的なロックンロール・パフォーマンスと言えば、やはり今度の、東京都知事選への過激な出馬だろう。 NHKの政見放送、バンダナにバッシで「POWER TO THE PEOPLE」と歌いだしたとき、世界は音を立てて動き出したのだ。 得票数54654票、内田裕也は勝ったといっていい。
それから半年、「塩田氏、明日長崎の軍艦島に来ないか」と突然、裕也兄ぃよりの連絡が入った。 明日急にと言われてもなんだが、いよいよ内田裕也の新作、その実態が見えてきたのだ。 選挙戦中よりドキュメントのカメラが回され、いったいいかなる映画になるのか想像もつかなかったが、そのドキュメントと、 中年ロッカーのドラマを大胆にも激突させたのが「魚からダイオキシン」である。 「コミック――」で時代の虚実を走り抜けた内田裕也が、ついに自身の虚実皮膜を切り裂くわけである。
当初より映画の宣伝ではないか、と言われていた出馬だが、それは絶対にない、と本人は言明している。 どんなバッド・ウーマン、バッド・ガイでも10パーセントは持ってるだろう正義感という奴に突き動かされ 前例のないロックンロールファイトをやったのだという。 そして、自分がどういう姿で戦っているかを確認したくて、とにかく友人・宇崎竜童にカメラを回してもらった。
宇崎竜童監督とは、すでに2年前からロックの映画を撮ろうと話し合っていたという。 内田裕也でロック物と言えば、若松孝二監督「餌食」、神代辰巳監督「嗚呼女たち猥歌」という前例があるが、 ロックを扱ってこれを超えるものはできないというわけで「餌食」をベース、選挙戦のドキュメントをドッキングさせるという技に出たのだ。
この原稿を書いている時点で映画はまだ完成していないが、幸いオールラッシュを見ることができた。かなり、異色な手ごたえの傑作となりそうな感触がする。
選挙戦に落選し、アメリカに渡ったロックンローラーYUYAが数年後突然帰国ということは近未来のドラマ的色彩を帯びるわけだ。 その時、クルド人ミュージシャンの曲を持ち帰り、クルド人難民救済コンサートを開こうというのだ。 「餌食」ではこれがレゲエだった。これ以外の設定、展開は全く同じ。
だがしかし、感触は全く違う映画である。全然別物と言っていいだろう。つまり、宇崎竜童監督のタッチと、若松演出タッチの感覚差が歴然と出ているのだ。 ロック業界の腐敗をメタファーに、同じような社会に毒づくドラマが、若松版はリアルに、「魚から――」はシュール・ファンタスティックに、熱いソウルで塗りこめられている。
一つは例の軍艦島でのロケが利いている。近未来の廃墟を思わせる景観。これを、印象的な構図の光と陰で、宇崎演出はシュールに切り取る。
例えば無数のオートバイ・ライダーたちが、不意に現れたり、突然数十人のロッカーが歩き出したり、何人ものクルド人がたたずんでいたり。 こうしたシーンが、極めてシュールファンタな味わいをもたらすのだ。 彼らは何も語らないが、絵は彼らのソウルをあぶりだす。これは佐藤慶の老人にしても、本木雅弘の若者にしても同じ。 ドラマとしては不親切なぐらい、彼のキャラクター説明には省略があるが、むしろ沈黙が絵で生かされるのだ。
いわば主人公のYUYAを中心に、彼らのパッションの、思いの、鮮烈なプロモーション映像を見ている境地に引き込まれる。 それは内田裕也の、シュール・ファンタスティックなプロモーション・フィルムと言っていいだろうか。
選挙戦のドキュメントを用いながらシュール、という奇妙だが、出馬自体が相当シュールでファンタスティックな行為ではある。 そこに架空のドラマをつづれ織りして、幻想的でありながら、生々しく激動世界をフラシュする、発がん性に満ちたロックンロール・フィルムが生まれようとしている。