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出席者 高木彬光 村川透
高木 影の方法を見せてもらいましたが、村 川さんの撮影は非常にスピーディですね。びっくりしました。
村川 僕は混沌としたところから始めるのが好きなんです。おさまりかえってやると、映像そのものの躍動感がどうしても損なわれてしまうものですから。例えば、ライティングひとつにしても、余計な時間があると必要ないところまでライトを当ててしまうんですね。むしろ、悪意をもってわざとライトを当てない場所を作っておく、そのほうが本当のような気がするんです。俳優の演技に関していえば、リハーサルを重ね、八分くらいの力が出てきたなと思ったとき、本番に入るのが僕の演出の方法で、あとは編集と音楽の挿入でこんなふうになるなという目算が立ちますから。ですから、荒々しい荒削りなところがあってもどんど ん撮っていくんです。
高木 なるほど。
村川 撮影技術的なことばかり話して申し訳ないんですが、僕はいつもスタッフにも俳優諸氏にも、「多少のこ とがあってもかまわずにやってみろ」 と命令するんです。大方の演出家は完整を第一に望みますが、あれは嘘だと僕は思うんです。むしろ、それは落し穴であって、それ以前の段階の作り上げていくプロセスのほうにもっと素晴らしいものがあるんですね。俳優というのはその辺で常にためらいがありますから、それに号令するのが監督の仕事だと僕は思っているんです。監督というのは実際に自分で演じられるわけでもないし、撮影できるわけでもない、要するに全体の流れを掌握してタイミングを掴み、これが一番ベストだと教えてやるというか、ずばっといってやることだという気がしますから、たえず「荒々しく、荒々しくやってみろ」というんです。もちろん、荒々しさを出させるためにはその前に細心の準備と計算が必要ですから、そのために僕は現場には人より少なくとも三十分早く、どんなことがあっても入るようにしています。
高木 私もワン・カットだけ出演させてもらったんですが、常陽精工を舞台にした手形パクリ事件のエキストラを集めた群集シーンを撮っているとき、ウイスキーをついだコップが割れたでしょう。あれは偶然だったろうけれど、いい効果が出たと思うんです。俳優さんがハッとしたものね。ああいうことは辞算してやれるものじゃないですよね。
村川 アクシデントですね。今回、「白昼の死角」を映画化するに当たって、二時間半という枠があったんですが、できれば三時間半くらいにしてインターミッションを入れて、その間に関係者の談話や音楽を流してやると、もっと細かく雄大なドラマとして表現できたろうにと残念に思っているんですけれど。
高木 しかし、今の映画界の現状ではとてもそこまではやり切れないでしょうね。
村川 上映する劇場の問題も含めて、映画には物理的な宿命がいろいろありますので。ですから、高木さんのあの大分な原作のすべてを映像化するのはとても不可能で端折っている部分もあるかもしれませんが、まあ過不足なくいったのではないかと思っているんです。
高木 シナリオを拝見して、そういう感じはしましたよ。細かいところはシナリオに書かれていなくても撮影の段階で当然入ってくるだろうから、この構成なら間違いないと思いました。
村川 シナリオが映像になって、音、肉体と感情を持った俳優さんが介在すると、またひとつの別な世界、おもしろい効果が出てくるんです。
高木映画の場合、シナリオがまず いとどうにもならんでしょうからね。 私の数少ない体験からいっても、シナリオを読んでこれでは駄目だと思ったら映画もたいがいつまらないですよ。 セリフは現場で直せるとしても、基本的な構成そのものがこれではどうにもならない、というのがありますからね。
村川 俳優の個性、微力ながら私どもの技術パート、それぞれ知恵を出し合っていますから......。細かいディテールに関しては現場でいろいろ直すにしても、基本的な構成は原作からはみ出すことはありません。
高木 シナリオは、相談なさって作ったんですか。
村川 はい。神波史男さんに書いてもらいましたが、基本的なことは相談しながらやっています。三橋まで書き改めましたが、一稿はここに掲載したシナリオの倍くらいあったんです。 偉大な原作でおもしろいエピソードがたくさんありますし、二時間半につめるのはもったいないと思ったんですが、そうもいっていられないので......。 その辺が難しかったですね。
高木"高木クラブ事件"からやって もおもしろいんですがね。
村川 そうなんです。原作では隅田光一の"太陽クラブ事件"となっていますが、もうそれだけで一部、鶴岡七 郎でもう一部ができるくらいの壮大なドラマなんですが、削りに削りまして。ですから隅田光一の話だけで充分一本の映画を作れるおもしろさがあるんですが、隅田と対比させるためにも鶴岡七郎という男を持ってこないと、だめですね。
高木 そのとおりだと思いますね。
村川 さっき、先生に出演していただいたときの話が出ましたが、一回目のリハーサル・テストから決っていてびっくりしました。
高木 老いたヤクザの役だから、小指がなかったりしてね。(笑) 本当は仁義のひとつでも切ろうかと思ったんです。「東京の親分さん・・・・・・」とかいって。(笑)それにしてもあのシーンは多彩なゲストを集めましたね。
村川 やはり冗談というか、息抜きがないと駄目ですから、そういうお遊びのシーンをたくさん入れてみたんです。高木先生の他にも鬼頭史郎さんとか、角川春樹さんとか・・・・・・。どのシーンとはいいませんが、僕も出ているんですよ。(笑)
高木 そうですか、ヒッチコックですね。でも私なんか出ない方がよかったんじゃないですか。
村川 そんなことはありませんよ。 僕は「白昼の死角」を大学卒業の年に読んだんですが、内容的には非常に暗い話にもかかわらず、 読後の爽快感をよく覚えています。
高木 あれは、「週刊スリラー」に約一年間、一回も休まずに連載したものですが、途中で隅田光一が自殺しちゃうでしょ。「これで終りか?」という問い合わせがずいぶんあったんです。これからが本格的におもしろくなっていくんだといったんですが、終ったような錯覚を起こすんですね。
村川 冒頭に鶴岡七郎が出ているからよく読めば分かると思うんですが、それだけの隅田光一のキャラクターは強烈なんでしょうね。そういう意味隅田光一の部分だけでもひとつの物 語になりますね。たださっきもいいましたが、隅田光一という"カミソリ"のような人間がいて、鶴岡七郎がいるという二重の構造があるからそれぞれの個性が強烈な印象をあたえるんですね。どちらか一人だけだと、何か希薄なんです。 鶴岡がいるからこそ隅田が生き、隅田がいるから鶴岡も生きるのではないでしょうか。
高木 要するに、隅田光一という男は"カミソ"リなんですね。それに対して鶴岡は"ナタ"です。 ですから村川さんのその考えは正しいと思います。
村川 僕は悪事を働いても平然としている鶴岡という男につきない興味を覚えるんです。
高木 結局ね、主人公たちは若いで すからね。東大を中途退学した年齢ですから。悪いことをやっていても、どこかに明るさがあるという感じを持たせないといけない。
村川 荒々しく、躍動していなければいけないんですよね。おさまり返っては絶対にいけない。
高木 そうなんです。役によっては カチっと押さえなければならないところはありますからね。例えば、丹波哲郎や佐藤慶が出てきて、本当に年とっ 中、戦前派や明治生まれの一本背骨に筋が入っている連中と対決するわけですから、絶えず伝統を破壊するような荒々しさがないと、駄目ですね。 世代のコントラストがくっきり出るよ
村川 それはかなり意識していましたから、出し切れたと思っています。
高木 キャスティングを見て、そうだと思いました。
村川 例えば、佐藤慶さんのやられた上松利勝なんですが、本当ならもっと年の方でやるのが普通なんです。 でも、たえず金繰りを心配して、からはい上がって経済界を生き抜いてきた人には、どこか荒々しい強さがないといけないと思って、佐藤さんに老 けてもらったんです。実際にお年の俳優さんがやられると、どこか弱くなってしまうんですが、そうじゃなくて強いからこそ割腹自殺する気骨が残って いるわけですね。 金融の世界で生きている人には、多少年をとってもまだ男の色気がありますから、だまされたと知ったとき、それこそ一瞬にして白髪になる。 その情熱が残っている人でないと駄目だという気がしますね。
高木 そうなんです。ただの年寄りでは駄目なんです。
村川 本当の年寄りだと、だまされると可愛そうなだけで強さが出てこないんですね。一瞬にして白髪になってしまうほど張りつめたものを、会社を毎月生かしていく経理担当の重役さんはもっている。生に対する執着といってもいいと思いますが・・・・・・。
高木 私は、あの対決こそが監督さんの腕の見せ場だと思って期待しているんですよ。
村川 鶴岡と上松との対決が、僕は一番好きなんですよ。そこを先生に見ていただきたいと思いますね。
高木 会社に税務所員を装って乗り込んでいく。大勢でドカドカ行くんだから、一応の監督さんならやれると思うんですが、あの鶴岡と上松の源流島の決闘は、演出の真価を問われるところですよ。
村川 ある新聞社のインタビューを 受けたとき、「白昼の死角」で一番好きなところはどこですかと聞かれたので、間髪を入れず、「上松のくだりです。なぜなら、にせ札を眼の前に置いて腹芸で相手を倒すなんてことは、まさに真剣勝負だから」、と答えたんです。
高木 そのとうりですね。
村川 知恵と同時に勇気がなければならない、それが基本なんですね。どんなに知恵があっても勇気がなければ駄目で、逆に勇気だけあっても知恵がなければ猪突猛進にすぎない・・・・・。 細心の計画のもとに実行すれば勇気が生きてくるということですね。
神を恐れざる 男・鶴岡七郎高木 そのあとで鬼頭史郎さんが出てくるんだな。
村川 そうです。またまた手前みそになるかもしれませんが、当然俳優としての演技は稚拙にも関わらず全然それを感じさせないものがあるんです。例の事件の余韻が残っているからなんでしょうがね。
高木 裁判官としてのキャリアがあるんだから、それは多少言葉がたどたどしくても、それなりの感じは当然でるでしょうね。
村川 法律家で、そういう相談はしょっちゅうあるだろうし、アクセントが耳なれなくても違和感はないんです。あの人は関西出身だから全然関係ないんですけど、問題になさる方もおられまして、世の中っておもしろいもんだなと思いました。ことほどさように、それはうまくいったような気がしました。
高木 あそこが真ん中のクライマックスみたいなものですから、そこがうまくいけば、あとはスッといくんじゃないですか。
村川 みんな、あそこが一番おもしろいといいましたね。追力ありますしね。撮影が終わったとき鬼頭さんが、この映画を"経済活劇"だといったんですが、まさにそうだと思いますね。
高木 ある意味で、"ルパン"ですよね、戦後の日本に颯爽と登場した。
村川 挫折するようにみえて挫折しない。さりげなくほくそ笑んで、悪意と毒と情念を航跡として残し去っていく。俺の青春は別のところに必ずあるという思いを抱いて鶴岡は旅立っていくわけですが、僕は、あの人は必ずもうひとつの違った青春を見けだして生き切る、という思いを託して"エンド"のタイトルを出したんです。
高木 私がシナリオを読んで感心したのは、私の原作にある "暴力否定" の思想を、うまく表現しているところですね。
村川 セリフには出しませんでしたが、「俺は次の青春を、暴力とは関係ないところで生きていくんだ」という思いがありますから。ラスト・シーンの埠頭で、相棒だった太田がピストル差し出して、「使い方知っているだろ」というんですが、鶴岡は受け取ろうとしない。車をお前にやるという意味で、車のキーをピストルの上に落として船に乗り込むというシーンにしたんです。
高木 文章では表現できない映画的な感覚ですね。この小説を書いていたとき、終りに苦労したんですよ。 結局手紙形式で解決するしか手がなかったんですがね。どういうふうに終らせようか、最後の瞬間まで分からなかった。しょうがないから、手紙で「神を恐れざる男・鶴岡七郎」、と書いてね。
村川 でも、まだまだあの男は終わりませんね。あの男のロマンは、青春は続きますよ。