第25回の新日本文学賞は、佳作に見沢知廉の「天皇ごっこ」を選んだことにより、かつてない注目を集めることになった。
 その理由は、まず、題材が天皇であった事。登場人物と天皇の扱い方が、中々刺激的だ。 ヒロヒトの死に伴って、恩赦を要求する囚人たち。左翼正当のトップを視察する右翼テロリスト。天皇を殺せと絶叫する三里塚闘争の新左翼。 天皇劇を演じる精神病院の入院患者たち。発表されれば、ひと騒動持ち上がりそうな内容である。
 そしてなにより、この見沢知廉が新右翼の活動家である事。テロとゲリラの罪で獄中にあった事。 左翼の新日本文学界が、獄中の新右翼政治犯の作品を佳作に選ぶなんて、一昔前なら考えられないことである。
 見沢知廉の経歴も変わっている。高校時代はブント戦旗派に所属。78年の三里塚空港開港阻止闘争にも参加。その後、右に大きく舵を切って、新右翼に入った。
 スパイ粛清の殺人事件と、火炎瓶によるゲリラの罪で12年の刑を受けて服役。娑婆に出てからまだ二か月余り。
 渡された名刺には一水会政治局長作家とある。 新右翼の一水会である。見沢知廉は色が白く、やせている。 「まだ、社会復帰できてないですね。最初は電車やデパートの人ごみが怖くて」
 方向感覚がなくなったという。 昔はよく来ていた新宿西口も、今立つと方向がよくわからないと笑う。
 12年の獄中生活のうち、8年半が独房だった。服役態度が反抗的だったからだ。加釈放もなしの満期出所である。 安倍譲二によると、独居は三か月で壁と話をし始めるというぐらい。 「8年半、よく生きていられたなと思います」
 文学が支えになっていたというのは、決してオーバーな表現でも何でもない。
 既決囚が小説を書いたり発表することは禁止されている。見沢は母親にあてた手紙の中で小説を書いていた。 「便箋も月に一回7枚までしか書けないんです。7枚のうち5枚を創作にあて、2枚を通信文にしていました。母がそれを清書して、投稿していました。」
 永山則夫は死刑が確定してから、小説を発表できなくなった。既決囚の見沢が小説を応募できてしかも獄中受賞できたことは、ほとんど奇跡だ。
 それにしても、どうして新右翼の見沢が、新日本文学に応募したのか。そこんところがよくわからない。 「他の文学賞でも選考に残ったことはあるんです。ところが選考委員の間でもめたんですよね。 作者が右翼の殺人犯だっていうんで。新日本文学は違う。そういうところは左翼的リゴリズムで ごりっとしているんですよ。他の文芸誌なんかに比べると、すごく根性がありますよ。」
 もうひとつ。作者が右翼の活動家だというのに、作品は天皇制プロパガンダ小説どころか、反天皇制的色合いなのは何故だ。 「文学で思想の押しつけはしたくありません。文学は客観的なものですから。ドストエフスキーが好きです。彼は右翼だったけど、思想の押しつけはやってない。」 登場人物に左翼や右翼を出して、あとは読者に判断させている
 文学作品は、政治的立場とは一線を画した、あくまで純粋かつ客観的なものだという。 「プロレタリア文学も勉強しましたが、ああいう風に思想を押し付けるというのは嫌いです。 三島さんの小説ももちろん読みましたが、『憂国』のようなのは、あまりいいと思いません」
 しかし、登場人物に、天皇を殺せ!なんて叫ばせて、右翼から抗議や脅迫は来ないだろうかと、私はちょっと心配になる。 「僕は右翼から抗議が来たら、もっと過激な反天皇のをもっと書いてやろうと思っています。(笑) 僕は、テロもやったし、ゲリラもやったし、一番過激なことをやって来たし、殺されてもいいと思っていますから」
 12年ぶりに娑婆に帰って来たばかりの見沢がこういうと凄みがある。
 見沢自身は天皇制をどう考えているのか。 「祭祀としての天皇は、宗教的な意味で認めます。でも、戦前の日本の国家神道のような、政治的天皇というのはちょっとおかしいんではないかと思います。 天皇には京都の方でひっそりと暮らしてもらって、祭祀の方に専念してもらって、政治的なことには一切タッチしない、そういう天皇制を考えています」
 こんなこと言われてしまうと、こちらの右翼の定義があやふやになってしまう。
 しかも、天皇という言葉を使うたびに直立敬礼もしないし、「陛下」とつけたりもしない。
 さて、話題ばかりが先行し、肝心の作品はなかなか読めない状態にあったが、新日本文学4月号で 天皇ごっこは発表になる予定。また、太田出版から単行本が発表されることも決まり、見沢自身が戯曲化したものが、劇団魔笛によって上演される。
 ぜひ出版広告は赤旗にも出してもらいたい、芝居は宮本顕治にも見てもらいたい、と私は思う。 だって、見沢は同じスパイ粛清の殺人で獄中生活12年。「宮本顕治って、すきだなぁ」って言ってるんだから。


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