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松田政男
「今年の日本映画界には数々の力作・話題作が挙げられようが、これまでのところ、映画の面白さという点でまず筆頭に位する」と、朝日新聞の(哲)氏としては珍しく昂奮気味に絶賛したのを打ち止めとして、 長谷川和彦の新作「太陽を盗んだ男」は、読売の(寧)氏から 毎日の(行)氏からも、そして日刊ゲンダイの(政)氏からも、日頃の内ゲバも何のその、一致して本年度のベスト・ワン候補にランキングされると 光栄(!)に浴することになった。 むろん、「夜叉ヶ池」 や 「もう頬づえは つかない」など後続する候補群をさておいて「太陽を盗んだ男」に早くも当確の印が打たれたのは、事態がこのまま推移せんや、「あゝ野麦峠」だとか 「衝動殺人・息子よ」だとか、 戦前来のベテラン評論家たちが競合しつつベストと吠え立てている<社会 派の巨匠の超大作の進出に対して、 映画の戦後世代が反社会性の名においてわが戦後映画の尊厳を擁護しようとする不逞なる決意に支えられたからだとしても、それよりも何よりも、「太陽を盗んだ男」のまさに野放図で荒唐無稽なエネルギーが見るもののすべてに久びさの映画的衝撃を与えずにはおかなかったからなのであろう。
「太陽を盗んだ男」は、いわば静と動 のドラマだ。のどかな修学旅行が一転して戦中派の老兵士によるバスジャックに変換するし、中学教師としてのものう日常を送る主人公(沢田研二)は、その事件を契機に、原爆の密造に本腰を入れることとなる。 また逆に、完成した原爆がはらむスリリングな緊張感は、ナイターの完全中継という平凡な(非凡な?) 第一の要求によってはぐらかされ、尾行するデカはと見やれば、それは何と原爆 資金五〇万円を借りたサラ金の取立て屋だ。なぜか五〇万が五億円の要求にエスカレートして現ナマの受け渡しが行われる時、その舞台装置はまさに平和でのどかなメーデーの行進から日本映画としては、実に骨太なデパート騒動のモップ・シーンへの転化として設定され