中邑宗雄


 前略、日本の首領シリーズ三部作の完成、誠におめでとうございます、敬意を表したいのは、とにもかくにも完結編まで名前を汚すことなくやり遂げられた職人芸をたたえたいからです。 貴方の代表作893愚連隊とあなたが監督生命を賭けながら中途半端に終わった鉄砲玉の美学を思い浮かべますと、今回の仕事はいかにもお仕着せ、失礼ながら生活のために心を鬼にしてつくられたとお察しいたします。
 貴方にとって、権力者の争いは、それが政界でも、暗黒街であっても、ほとんど、どうでもいいことであり、むしろ、関心度の高いのは、底辺で必死に生きる力なきものに違いないからです。 いいえ、必死になって生きようとしながらかっこ悪く死んでいく哀れなチンピラに他ならないからです。
 完結篇でもあなたが最も大きな愛情を注ぎ、念入りに演出し、見せ場を作ってやったのは、名もない俳優、下之坊正道でした。 下之坊と言っても、この手紙を書くために調べなおすまでは、名前と顔は一致しませんでした。彼は銀座の「バー雪」と「ニュー雪」のバーテン安藤として作品の片隅にたたずんでいましたね。 ヤクザに、映画スターを見るようにあこがれ、サインをしてもらいたがったり、感情を高ぶらせて何かを待ち、何かが起こるとすぐ包丁に手が伸び、 いつの日か、いい顔役になるチャンスをうかがっている、けちな野郎でした。 ラストシーンで一之宮医師が銃弾の餌食になります。その時が、あの野郎の出番でした。震えながら包丁を握って、血だらけの医師の死体に向かっていきます。 男を上げるつもりが、次の瞬間には、彼自身の命を棒に振ることになりましたね。
 チンピラにもなれない男に、あなたは哀惜ししていました。僕が完結編で一番、感心し、気に入ったのはこの男の姿ですし、この男への哀惜にあなたの性根を観ました。
 そうです。あなたは権力者の三つ巴の争いを描くふりをしながら、みんな勝手にしやがれとばかりに、財政界の黒幕大山を難なく薬殺し、西の首領佐倉をあっけなく、心臓まひであの世へ送り出したのも、実はチンピラにもなれない哀れな野郎のカッコ悪い花道に表像するためだったのでしょう。半ば成功しています。

西脇英夫


 とうとうロッキード事件までがヤクザがらみの暴力闘争ドラマに仕立てられてしまったのか。ああ、あの事件と観客に思わせるようなこのシリーズのドラマ作りはなかなかうまいところを突いたというアイデア賞ものの感じがある。しかし、それだけにキワモノ的作品となりがちな落とし穴はある。
 その辺をぶつ切りの群衆ドラマとして、縦の線、横の線で巧みにぼかしながら、サスペンスムードを盛り上げていった脚本、演出の才能は褒められるべきだろう。 たかがヤクザ映画に、こうした視点を持ち込み、情に流されることなく知的に構成していく作風はこれまでの日本映画にあまり見られなかったものである。 と、言ったところで日本の首領完結編にそれほど肩入れしているわけではない。複合的なドラマを細切れ的につないでいけばドキュメンタリーなドラマが 出来上がると思っているような安易で計算の利かない構成、人物一人一人の類型的な描き方 話の大きさに似合わぬロケセットなどのいじましいほどのちゃちさ、といった欠点もないわけではない。
 それでもこの作品が魅力的なのは、個人の所業に拘らず、集団劇として一糸乱れぬテーマで押し通し、だれ一人いい子になろうとしなかった点であり、かつての娯楽映画に合ったように、オールスター夢の共演と言ったスタイルで各スターを突っ張らせなかったことである。
 いずれにしろ長い歴史を背負った東映ヤクザ映画の一つの結論を示す作品になったことは間違いない。良くも悪くも ヤクザ社会は日本文化の一つの縮図であり、義理や人情と言ったロマンから、組織悪、権力悪への高みへ登って行くことは当然なのだ。情や人間性だけで下層社会の一典型を表現するのは簡単なことだが、それは一方では甚だしい誤解と危険を生み出すことにもなる。
 半身不随で車いすに乗った菅原文太、インテリ真摯ぶって泥臭いことをやる渡辺文雄、こそこそと銀行のロビーで手形をパクる南道郎、大物ぶってかっこをつけ、おだてられて踊らされる菅原文太の手先の寺田農など、だれ一人をとってもせこい人物ばかり。 これが一団となって組織を持った時、信じられないほどの巨大な力を持ち、そうしたヤクザ社会いや、政界も財界も含めて、その組織の不気味さが怖い。
 そして、そこにヒーロー不在の集団劇の面白さがあるわけで、ヤクザだけでない、ほかの党派や学生運動の組織論についても、そろそろここで展開してほしいものだができないものでしょうかね。 とにかく、そろそろヤクザも飽きましたわ。なんせ15年目ともなると。


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