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黒田邦雄
今なぜかーー大藪晴彦とはこの映画の宣伝文句だが、私が拘りたいのは今なぜか――松田優作の方である。ありていに言って、私はこのタイプの男優を好まない。 目を細め、眉間にしわを寄せる表情、ぼそぼそと大儀そうな口の利き方、手足をだらしなく投げ出す横柄な態度。 何が不満か知らないが、年中胃けいれんのような不機嫌さは、不良性が売り物のスタアの常套とはいえ、どうも馴染めない。妙に男ぶったポーズも何やらわざとらしい。
そのうえ、私は大方の評判とは違い、彼のどこにも危険な暴力性を感じないのである。それどころかすらっとした長身、適当にシェイプアップされた筋肉、 ロックミュージシャン風のヘアスタイルと言った今風の外見に、私は原宿辺りでよく見かける、決まってGパン姿の細い女を連れた友達夫婦の男を重ねてしまう。 結婚してても友達風という気楽な軽やかさが、実は優作の反抗的なポーズの正体ではあるまいか。
例えば相手の横腹に銃を突き付けていても、深刻さより冗談冗談と今にも言いそうなふざけた気分の方が強いし、さだまさしの関白宣言ではないが、 強いポーズの裏に女の子好みの優しさをうまくちらつかせている。肩ひじ張って生きることの無粋さを先刻承知の彼は、 言うならば市民センスにあふれた不良青年であり、不機嫌なポーズは、彼の気楽さの表現なのである。
そんなポップな松田優作が、ラディカルで重い大藪春彦のヒーローにキャスティングされるとは思わなかったが、原作者本人が優作はイメージ通りだとか言っているのを読んで、少々驚いた。 確かに外見は「無駄肉のない浅黒く整った顔は、甘い唇と恋まつ毛に縁どられた人懐こい瞳が、精悍さを和らげている」朝倉哲也に似てなくもないが、 弱者が強者にかみついてゆくために燃やす激しい執念を持って行動する大藪ヒーローのキャラクターは、ノンシャランでソフィティケートセンスの松田優作のキャラクターと大いに違っているように思う。
そして映画は、大藪晴彦よりそんな優作のキャラクターを前面に押し出して作られているので、当然ながら小説のイメージとはずいぶん違ったものになっている。 巨大資本を相手に独力で戦っていく男の孤独と恍惚なんて大げさなテーマより、もっと気楽にストーリーを楽しんでいる感じである。 昼は年中鼻風邪をひいている冴えないサラリーマン、夜は不死身のタフガイという二面性も、自己鍛錬の描写がほとんどないので ジムで練習しているシーンも何やら遊びでいる感じ、アメリカ映画のスーパーマンみたいにコミックである。
主人公の住んでいる部屋も、小説では八畳の薄汚れた板張りで、粗末なベッドとテレビセットがあるだけという、いかにもハードボイルド風なのだが、 映画では不思議な上下構造を持った前衛画家でも住んでそうなアブストラクトな部屋で、現実感は皆無である。どう見ても拳銃の手入れが似合いそうにない部屋なのだ。
金や女への執着が彼を野望に駆り立てるのかと思うと、そうでもなさそうで、手に入れた社長令嬢をあっさり捨て、利用するだけで近づいたはずの女の死に号泣してしまうような男なのである。 巨大資本側の悪人も劇画チックで、主人公はそれに挑戦しているというより、からかっている風に見えてしまう。本気なのか冗談なのかわからない軽やかさが、この映画の気分なのだろう。
大藪作品には成熟した男のエロティシズムが色濃く流れている。ヒーローは何かというと素裸になるように、絶えず男が強調されている。 俺は涙ぐましいほどのものなのだが、今の時代にあっては男という観念もコミカルなコマーシャルでしかない。 そんな時代に大藪作品を映画化すること自体が悪い時代と言えなくもない。大方の人が、松田優作に暴力性を感じるほどに暴力もまた、コミカルなものになってきてるようだから。