「新右翼」民族派の弾道と射程



3・3経団連占拠は“義挙”か“軽挙か1 「新右翼」・民族派の弾道と射程



「三島」後の連鎖の一環として



野村秋介という人は、去年私どもの雑誌の二月号で対談に出ているということもありまして、それに対応した、大げさにいうと総括のようなものをしなければならないんではないかということで、今度の経団連事件などを生んだ新右翼民族派の思想と行動をどういうふうに現在の情勢の中で位置づけたらいいのかということを、三人の方に話し合っていただくということでお集まり願ったわけなんですが、まず話のとばくちとして、戦前からの右翼思想の問題を追っておられる松本さんから、どういうふうに今度の事件を見たらいいのか、話していただきたいんですが。

松本 ぼくの感じでは、野村秋介さんなん家かの経団連襲撃事件というのは、一面で、独立した新右翼の行動ではあるんだけども、同時に七〇年の三島由紀夫の自衛隊突入事件、日本学生会議の橋本不器という人物が沖縄闘争に加わってそこで負傷をする事件、ポルノ俳優といわれた前野光保という人が児玉邸に突入した事件、それから今度の新右翼の団連襲撃事件、そしてその二日後にあった飛田圭による橋本登美三郎刺傷事件というのとは、ぼくは一連の行動だ、と考えたほうがいい

松田 橋本不器の事件は何年ですか?

松本 七〇年の一二月です。三島の直後です。で、ちょっとその橋本不器から前野の児玉邸の自爆行まで時間がありますが、その間に、やはりロッキード事件が介在することによってこういうふうに新右翼の焦慮みたいなものが高まるし、新右翼の行動が連続的に出てくる。で、もう一つ、それらが一連の行動だと考えるのは、三島由紀夫事件からその飛田圭造までの敵というか、その襲撃対象を全部追ってみると、新右翼の戦後体制打破、YP体制打破の具体的な敵が全部そろうという感じですね。要するに戦後体制――ヤルタ・ボツダム体制を支えたのが、自衛隊と、米軍あるいはアメリカと、それから既成右翼と、さらに経団連なんかの要するに財界と、そして橋本登美三郎らに象徴される自民党というこの五本の柱です。もちろん飛田圭造が新右翼であるかどうかという問題は、またべつに後に出てくると思うんですけども、今度の経団連撃事件はそういう一連の行動のうえから考えなくちゃならないんじゃないか、という感じがするわけです。

そのへんはいかがですか、松田さんの見方は

松田 今回の事件を新右翼ないしは右翼総体の流れのなかでどう位置づけていくのかということは追い追い考えていくとして、ぼくは最初に経団連への突入が報じられたときに偶然ある夕刊紙の編集局にいたんですね。やっぱり五時過ぎだったかな、どうも経団連猟銃を持った男たち―確か最初は右翼とは言ってなかったが突入して、会長室かどこかを占拠したらしいというテレックスが入ってきた。これが第一報ですね。すると、それをまず読んでたやつが、新聞記者特有の喜び方で、「やった、やった」と踊り上がる。部屋にいた全員が、「で、土光はどうした?」と聞く、「いないようだ」と答える、「残念!」というわけです(笑)。いかにも軽薄で面白がり屋のスキャンダル・ジャーナリズム丸出しの光景なんですけど、ところが第二報第三報が入ってきて、犯人はどうも新右翼を自称・他称している野村秋介たちらしいということになってきたのに、残念ながら、みんな野村秋介なんてのを知らないんですね、そのときの現場の反応では。

木下 名前も知らないんですか。

松田 ええ、名前も。ぼく自身は、耳から飛び込んでくる情報で、ほらっ、野村介がついにやったか、という率直な感じでいたんですけど、残念なことに、新聞記者諸君はそんな名前なんて知らない。だから、どうも「楯の会」の残党と名乗っているらしいというわけで、たとえば文芸評論家みたいな人たちに電話取材で聞いたりしている。当然、何もわかるわけないですよね、そんな線からは。だから、最初の段階で取材は難航していた。むろん、あとの段階では、深夜三時過ぎの全面降服、人質解放にいたるまで何人かの記者が経団連会館に詰めっきりで取材しているわけなんですけど、とにかく、最初の、何が何だかわからないが、経団連に猟銃を持った男たちが突入した、左翼か右翼かもまだ弁別できない、だれが首謀格かということもわからない、という段階で、「それで土光はどうした」「いない」「残念!」という反応が起きたのは印象的でしたね。それは、たんに、事件好きのジャーナリストたちだからというのではなくて、やっぱり最初のあのリアクションは、何らかの底流財界ないしは大資本を撃つテロリズム待望の底みたいなものの現われなんでしょうね。それで家に帰って、テレビをつけっ放しにしてましたら、その当の犯人たちが電話にどんどん出ちゃう(笑)。まあ、マスコミ好きなんでしょうけど、その電話問答のなかでぼくが一番印象的だったのは、彼らが多用した言い方が「同じ日本人だから」というセリフだったことですね。「同じ日本人だから人質には危害を加えない」「同じ日本人だからこれ以上は奇嬌な行動をするはずがない」というわけで、要するに、他人もテメエも「同じ日本人」なんです。つまり、今回の事件は、あくまでも「同じ日本人」というワクのなかでのテロルということなんですね。新右翼と自称・他称している連中でさえ――いや、連中だからなんでしょうけど、この「同じ日本「人」というワク組み自体はまったく問題にしない。カッコにくくったままで、突然、直接行動に短絡してしまっている......まあ、これが、次の段階で印象的だったことです。

松本 最初「YP体制」という言葉が出て、それを新聞記者が全然わかんないという、そういううわさも伝わってきている。「YP体制」って何だと。あれは要するに新右翼の昔からの用語で、ヤルタ・ポツダム体制という、まあ一般的にはポツダム中尉とかいったりして、ポツダムというのは言葉として出てくるんだけど。

木下 ジャーナリズムというか、新聞社のほうでは、新右翼というのはあまりよく知らないと思いますね。注意していなかったんでしょう。

松本 それは一部の人しか知らないでしょうね。右翼といえば、もうすでに児玉とか笹川というのが完全に固定的イメージとしてある。そこの文脈でまず出てくるから、右翼というのは利権右翼か、あるいは総会屋か、黒幕かという、そういうイメージで固定している状況だったせいもあるし、それが実際いままで既成右翼を形づくってきたわけだから。これに対して、その新右翼自体が台頭してくるのも、やっぱり六九年、七〇年という大学闘争のさなかなんですね。要するに新左翼と拮抗するような形で、むしろそれに半ば誘われるような形と、半ば反発するような形で出てきた。ただ新左翼がずらっと六九年から七二、三年ごろまで大体時代の表面に出ていたから、そのときに新右翼が台頭してきているということは、一般的にはもちろん、ジャーナリズムにもあくまで意識されなかったわけですね。ぼくの考え方によれば、三島由紀夫も新右である。三島由紀夫は日本浪漫派の周辺にいたし、あるいは戦前の蓮田善明とか、そういう戦前の右翼の系譜につながるところにいましたが、だけども三島さんの思想というのは、やっぱり戦後二〇年か経って、その段階でつかみ取られたものだ、という感じですね。だからぼくは、三島さんはいいけども、あるいは三島事件の時代的な意義はあるけども、今度の新右翼の経団連襲撃事件はだめだ、という批判、または切り捨ての仕方というのは、ぼくはちょっと的がはずれているんじゃないか、むしろ三島さんも一人の新右翼である、で、野村秋介も年は四二歳になっているけども、これもまるきしの新右翼である、という感じでぼくは見ていましたね。

松田 彼らの言う「YP体制」ってのを新聞記者たちが知らなかったということなんですけど、これは新聞記者だけじゃなくて、おそらくほとんどの人たちがそうだったと思うんです。そして、そんな人たちに限って、自分の「無知」の代償ででもあるかのように、今回の事件をひたすらマンガチックに一面的に片づけようとするわけでしょう。たとえば野坂昭如です。ぼくは、むろん野坂昭如は好きな作家だし、それなりにちゃんとした人だと思ってるんですけど、その人が『日刊ゲンダイ』の一月六日号だったかな、とにかく自分の担当しているコラムか何かで年頭の特集座談会ふうなことをやり、神吉拓郎や上村一夫といろいろ喋り合っているんです。そのなかで野坂が、突如、今年はおれは右翼になるんだ、なんてことを言い出す。むろんワルノリの冗談半分の発言なんだけれども、つづけて、でも、右翼じゃどうもカッコ悪いから新右翼と名乗ろうか、と言うんですね。すると出席者一同、新右翼ですか、こいつはいいや(笑)、となる。まあ、政治オンチを自称している上村一夫はともかく、野坂昭如にせよ神吉拓郎にせよ、新左翼の対抗概念としての新右翼という言い方を、何か自分たちの新案特許のコトバででもあるかのように錯覚して、ワルノリで笑い合っているような節々が、どうも読み取れる。さっきの松本さんのレクチュアによれば、三島由紀夫の死をひとつの先駆として、以降、五年ないしは六年間の空白と沈潜の時期があったにもせよ、明らかに新右翼なるものは実体としても形成されつつあったのに、新右翼というコトバそのものをも含めて、当代一流のマスコミ文学者ともあろう人が、そんなことにはまったく無知なんですね。それで(笑)とは、それこそ笑わせますよ。ところがその野坂昭如が、今回の事件のあとで書いたり喋ったりしているのを見ると、マンガチックの一言で斬り捨てているわけ。むろん新右翼についてテメエがいかに無知であったのかということなぞは、?っかむりしたままなんです。まあ、三島は立派だったけど野村は駄目だというような言い方も含めて、総じて、新右翼における七〇年代初頭の五年ないしは六年の沈潜期に対する決定的な軽視、いや蔑視があるんじゃないですかね。



野村秋介の虚像と実像



松本 マンガチックに終わったのはぼくは確かだと思うんですけど、しかしそういうふうにマンガチックに終われ、というふうなことを教えたのは戦後民主主義であるし、また戦後体制であるわけですよ。とにかく何がなんでも生きなくちゃならない、生きていくということが最前提であるという、そういう生き方というのを教えたのは戦後体制なわけで、ジャーナリズムがいまになって、そういうのはいけない、自決した三島さんのほうがいいんだ、といういい方はない、と思いますね。

木下 それはずいぶんマンガチックなところあります。たとえば、ぼくはそのときいったんだけど、吉良上野介の居どころを確かめないで吉良邸へ討入した赤穂浪士、そんなものあるかと、吉良上野介の行動を確かめるのにどんなに浪士たちが苦労したか、それをしないでいきなり吉良上野介のいない吉良邸に討入ったら、これは赤穂浪士は末代笑われることなんだ。比喩的にいえばあの事件はそういうことをやっているわけだ。しかしそれはたまたまみんな若いんで、こまかい点ではマンガチックなところはあったが、全体として歴史の流れの中で見ると、あれはマンガチックだ、といっているやつは、歴史の手痛い報復を受けるとぼくは思うんだ。

松本 ああいうときにも電話に出るという、一種の商品的な価値としてジャーナリズムに取り上げられていた時期ですよね、この一、二年というのは。しかし、そういうふうにジャーナリズムに商品としては取り上げられているけども、要するに、自分たちの思想は全然理解してもらえていない、あるいは自分たちのやろうとしていることに対する驚愕というか、それを危険視するような情勢が全然見えない、むしろジャーナリズムが商品化しちゃうことによっそれを危険と見ないようにしてきたわけだから、そのことに対する非常な憤懣というか、やっぱり自分たちは雑誌に登場していたり新聞に登場していたんじゃ全然だめなんで、一つの行動をやらないと新右翼としての価値はないんだ、という一種のあせりみたいな、商品化されちゃっていることに対する反発があった、とぼくは見ているんです。

木下 いまおっしゃった、若い連中がああいうことをやったのは戦後の教育のせいだというご意見、私もそうだと思うんです。しかし野村秋介がいるでしょう。これは古いんですからね。まあ彼なりにいろいろ苦労したと思うんだけど、そいつが若い連中に同調してああいうおかしなことをするなんていうのは、ぼくはどうもやっぱり右翼という連中はいくつになっても治らん、と思ったですけどね。ぼくは野村秋介というのは非常に関心を持っているんです。というのは、野村秋介が河野邸焼き打ちをやったとき、ぼくが例によってこれは反河野派かだれかに金でももらってやったんだろうといったら、当時、佐郷屋留誰が全愛会議の議長をやっておって、ぼくにその問題で対決したいといってきた。そこで九段会館で対決をやったんですが、そのとき、木下半治と対決するというんで、おれもおれもとワーっと申し込みがあって、やっと資格制限して全会議の理事だけにきめた。それが三十何人いたんですが、ぼくは一人で行ったんです。そうしたらみんなびっくりしちゃって、中でも東洋同志会の筑紫次郎なんか「あんた一人でよくきましたね」といった。それで佐郷屋が議長で、野村秋介問題をやったわけです。だから野村秋介は、その事件でぼく自身がとにかくある意味の関係を持ったものですから非常に関心を持っていて、松本さんが知っているようにぼくも彼という存在を非常に意識しているんです。野村秋介が新左翼に興味を示したというのは、つまり監獄に入ってからこれまでやっぱり時間があったでしょう。だけど鈴木邦男とおんなじレベルで何とかいっているが、ぼくはやっばりちょっと子供っぽ過ぎると思うんですがね。

松田 野村秋介の履歴がどうももうひとつはっきりしないんですけど、インテリ出身じゃないわけでしょう。

松本 インテリじゃないですね。

松田 河野邸焼き打ち以前の右翼としての経歴は......。

松本 全然名前が出ていない。

松田 たとえば学歴でいうと......。

新聞記事にあの人だけ学歴は出ていないんですね。だからぼくは、おそらく高卒より下だと思いますが。

松田 で、たたき上げて、一種実行力というか、あるいは非常に悪い言い方でいえば、売り出すために河野邸焼き打ちの直接行動ということがあってということかな。

木下 ぼくはあのときに野村の河野邸焼き打ち事件というのは、まず非常に定石的だけど、自民党内の反河野派のだれかに頼まれて買収されたんだろうといったわけですよ。そうしたら、いや、だれかが、彼はおやじが工場やっていて金は持っているから、そんな少しの金でするような男じゃない、といっていましたが、神奈川では一寸した顔で、神奈川右翼――たとえば天照義団の山下幸弘とか全愛会議の保阪洗秀とかの影響をうけ、彼の組織だと称する憂国同志会は全愛会議に参加し、野村は幹部の一員となっている。現に焼き打ちには憂国同志会会員松野卓夫というの行を共にしている。

松田 いや、なぜそういうことを聞いたのかと言いますと、七〇年から七五~七六年ぐらいまでが、いわゆる新右翼の沈潜と浮上の時代なんですね。ところが、その新右翼なるものがわれわれのこれはここにいるわれわれというふうに限定してもいいんですけど視野に入ってくるのは、とりあえずはやっぱりジャーナリズムを通してですね。もちろんそれ以前に、彼らのいろんな機関誌だとか何かが流れてきて、何かちょっと妙なことを言っているやつらがいるぞ、ということで一部では関心を呼んだことがあるのかもしれないけど、とりあえずは『現代の眼』なり、あるいは『朝日ジャーナル』なり......。

松本 『正論』なりでね。

松田 とりあえずはまずそんなメディアを通して新右翼が浮上してきて、しかも初めから、左右接近、極左と極右が相互に接近しつつあるといったような文脈で、ジャーナリスティックに取り沙汰されていた。そうすると、そのあたりのプロモーターというか、オルガナイザーというか、そんな精神状況の影のリーダーというのは、新右翼の側でもやっばりインテリ出身者なんで、このへんは新左翼と同じことですね。たとえば鈴木邦男にどれだけの指導力があるのかはともかくとして、とにかく鈴木邦男あたりがジャーナリズムにテメエでテメエを売り込んでくる。だからぼくなんかには、どうも野村秋介という人は、そんな鈴木邦男あたりのテイのいい持ち駒として扱われてきて、どうも気の毒だな、という感じがしていたんです。とすると、今回の事件でも、なぜ経団連を襲撃の対象に選んだのかという肝心要のことでさえ、文の建て前はともかく、果たして、野村秋介の本音なのか、本心なのか、ちょっとわからない感じがしてくる。ぼくが新右翼の側に身を置いて発想するとしたら、やっぱり今の保守党の側の一番のガンは中道革新気取りの新自由クラブということになるわけなんで、そうすると野村秋介にしても、河野一郎邸焼き打ちにつづいて、今回は河野洋平襲撃と、親子二代にわたるテロリズムを志向するのがむしろ自然じゃないかと思うんです。敵は独占資本という発想は、どうも野村秋介固有の情念からは出てくるはずはないんだという気がするわけ。そこらあたりが、非インテリの悲哀というか、ああ、野村秋介は今回も持ち駒のひとつとして使われたな、気の毒だな、それこそマンガチックだな、と思わざるをえないんです。

木下 それは関係ないんだ。経団連を選んだということは、むしろ若い連中の選択だと思うんです。それに野村がひきずられた。



とりこまれつつある「新」右翼のあせり



松本 ただぼくは、野村さんなんかが経団連撃というのをやったのは、むしろそうい新右翼というのが、一種のインテリが主導権を握って新右翼を組織化しているという、あるいは商品化になっているか、そういう状況があって、むしろそれに反発するような形で行動に移ったように思える。それは、前野の単独行動に似ている。あれは新右翼的であるといわれるけども、彼はほとんど組織に属していないし、それから飛田主造というのも一種の地方青年であって、現代の政治あるいは現実自体に不満を持っているというだけで、そういう組織的に何にも行動をやっていないし、あるいは運動に名前を出していたわけでもない。沖縄の反米闘争に加わった橋本不器だって同じようなもので、かれは日本学生会議の組織行動とは別に、単独で行動している。こんどの野村さんも大悲会として行動したんじゃなくて、大悲会から飛び出た形で行動をしていますよね。それか大東熟系統から加わった人もそうだし、それからの会から加わった人も、楯の会として行動しているわけじゃなくて、あれはみん一個人で参加しているわけで、その意味ではこれらはほとんどぼくは相似形だとみているんです。そういう形で、旧右翼既成右翼に対して新右翼というのが七〇年からいままでずらっと出てきたわけだけども、それは新右翼自体が、いま旧右翼に取り込まれるような形が出てきている情勢を示しています。

松田 ということは、ジャーナリズムの上で商品化されたいわゆる新右翼なるものもまた、今回の野村秋介たちにとっては、やっぱりもう旧右翼......

松本 旧右翼というか、結局それに資金的にあるいは思想的に取り込まれてきている状態です。天皇を中心にして変革を考えるという形になってきているのも、その一つの証拠というふうに思うんです。だから、そこのところでもう一つ反発するという形で、要するに組織を抜けた四人が、二、三人あるいは四、五人という形で同志的にまとまって行動するという形ですね。新左翼が、たとえば六九年、七〇年に昂揚をむかえたあと挫折し、そのあと今度まるきし新左翼の組織を抜けたような形で、企業爆破事件の東アジア反日武装戦線がでてくる。あれに似ています。全体では一〇人ぐらいになっても、ここに二、三人、あそこに二、三人という形でまとまっているというのとほとんど似ているんじゃないか。つまり今度の経団連事件も新右翼の動向の中では見られるけども、新右翼の組織的行動というふうにはぼくは見られないと思いますね。

松田 そうすると、七〇年の二つの事件以降の空白の間に培われてきたいわゆる新右翼の一つの帰結ではなくて......。

松本 はい、むしろそれ自体がもうすでにぽくの考え方でいうと七三年ごろか七四年ごろ、要するに天皇訪・訪米のあたりから、新右翼自体がまた古い右翼になりつつあったわけです。その象徴が、やっぱり天皇制を全部認めちゃうという形で行動を起こしてくるわけだけど、じつはその前は天皇中心じゃなくて一種の地方主義的な、あるいは要するに完全に新左翼と同じ根から出ているという形で、ただ民族主義的に変革運動みたいなものを考え始めていたのが七〇年から七三年ごろまでだったんですけど、七二年末の天皇のあたりからやはり変わってきている。その過程は、去年『現代の眼』に書きました。新右翼が思想的に旧右翼に似てくるとともに、組織的に中の個人を縛るという形になってきて、そこのところがまた今度の反発になってきたんじゃないか。



大東塾 三島の系譜へ



いままで経団連撃事件の背景とくに野村秋介という人物をどう見るか――という話をしていただいたんですけど、その思想的な形、なんかで見られているいわゆる新右翼民族派というもののメルクマール、旧右翼と特に区別されるところはどういう点なのか、新右翼を新右翼たらしめている思想というものは何だったのか、そのへんを話していただきたいんですが。

松本 それは旧右翼愛国党にしろ、あるいは児玉にしろ!!も、YP体制、要するに占領体制みたいなものの打破ということは前からいっていたわけです。ところが、それを主なスローガンとして掲げることが、旧右翼はできなかったわけです。なぜかといえば、それは旧右翼にすれば岸信介との関係もあるし、賀屋興宣との関係もあるし、要するに自民党とほとんどピッタリ密着した形。で、そこから要するに利権を引き出すことによって財界と結びついて、あるいは財界によってエサを与えられることによって旧右翼というのはずっとやってきたわけ。だから、占領体制に対しては、民族主義的な考え方からすれば、占領体制あるいは戦後体制みたいなものは打倒ということをいわなくちゃならないんだけども、そのことを主題にして行動を起こすということができなかったんですね。それを新右翼がまず出してくる。自民党批判であり、財界批判であり、同時に既成右翼批判でもあるといった形で。

松田 そうすると、やっぱり直接の引き金になったのは、右翼にとってもロッキード疑獄の暴露なんですね。

松本 そうでしょうね。三島事件はその先ですね。要するに三島さんというのは旧右翼の中には全然入れなかった人だし、全然入っていなかった人なんですね。もっとも旧右翼が三島事件を評価しなかったかというと、大東熟系だけが三島事件というのを評価しているわけです。しかしこれは例外的です。前野が児玉邸に突入したときには、旧右翼はみんな、児玉さんはいけない、児玉さんはちゃんと公の面前に出て身の潔白を証明すべきだとかいったわけだけれども、じゃ、前野が単独行で突入したときに前野を擁護した連中がいるかというと、これは旧右翼の連中は全部前野には批判的なわけですね。

松田 いや、それは旧右翼だけじゃないでしょう。これは世間一般というか、『週刊ピーナツ』をはじめ、左翼側も、ほとんどが前野を批判したわけでしょう。

松本 前野を擁護するというのが、新右翼の一番いま話題になっている一水会系だけだったわけです。だから一水会の機関誌である『レコンキスタ』を見ると「前野追悼号」というのをちゃんと出しています。三島を評価する、あるいは前野を思想的に評価するという形は、旧右翼の中では大東塾系だけで、影山正治は昔から六〇年安保批判なわけですから。財界とも関係なくて、自分たちで農場を持ち、会員の会費だけで維持されています。戦前の日本浪漫派が関わりをもっている右翼というのは、これだけですね。

木下 私はいつも戦後右翼の悪口いっているけど、大東塾だけは悪口いわないんだ。これは裏返しの共産党(もっともこれは昔の共産党の意味)といわれていたが、大体影山とい人はおとなしいですから、あんまりテロなんてできないし、やっぱり影山を大将にしている連中はまじめなんです。大体大東塾は暴力反対で、何か百姓みたいにしてきているが、いよいよ革命が起こるかという瞬間に立つという建て前だから、そういう建て前は、結局立たんという見方もあるが、影山正治よりは塑員のほうがやっぱり若いからナイーヴですよ。だから、あの塾員がーー前塾員とはいえーーあの経団連に加わったということは、やっぱり大東塾を救ったと思うんだ、メンツを。戦後ぼくは、立場を抜きにして、大東塾の連中は立派だといつもいってきたが、あの経団連撃に参加したということは、ぼくの見ている大東塾のいいところをチラッと見せたと思うんですよ。

松本 ただあれは大東塾として参加しているわけでもないし......。

木下 ないけど、その精神があの一会員にあらわれていると思うんですよ。それは影山はおそらく反対するでしょうが。

松本 それは系譜とすると、大東塾を一番理解したのは三島由紀夫だし、旧右翼の中で三島由紀夫によって評価されたのは大東塾だけですよね。職後の右翼のなかでは大東塾系が唯一だった。それで敗戦直後の大東塾の集団自決を引き継いでいる形なのは、むしろ三島事件なわけですね。で、三島事件を引き継いでいる形なのが、むしろ前野とか、あるいは今度の経団連襲撃事件という系譜になっていると思うんですね。



天皇への「恋闕の心」の披瀝



松田 少し前に戻しますと、三島橋本不器の事件と前野野村たちの事件との間に五年ないし六年の空白があって、その間にロッキード疑獄で児玉誉士夫の正体暴露という重大なハプニングがはさまるということになるわけでしょう。だから『現代の眼』なキャッチフレーズで言うと、あるいは新右翼が維新をめざすためには右翼自身の維新が必要だということを自覚せざるをえない、つまり革命の党をつくるためには党の革命が必要だという......左翼の言い方のアナロジーですけどだから、今や右翼にとっても、右翼それ自体の維新が必要なんで、そういう意味では、右翼もまた自ら脱藩して処士横談するという時代にやっと入ってきたということなんでしょうね。維新、維新と声高に言いつづけてきたわりには、ちょっとオクれてるというか、ここらあたりが、連中の駄目なところだと思うんですよ。それで、もうひとつ駄目だと思うことをあげておくと、今回の檄文の最後も、やっぱりどういうわけか「天皇陛下万歳」でありまして、まあ、「天皇陛下万歳」を言うも言わぬも、それは別に勝手だからいいんですけど、あれは、自分が右翼である、あるいは新右翼であることの唯一のレーゾンデートルとして「天皇陛下万歳」という一行を書き込んだんですかね。ちょうど左翼が「万国の労働者団結せよ」と叫ぶように...。でも、『赤旗』は三月一日付から、このスローガンをおろしちゃった。あんなのは今や左翼でも何でもないんでどうでもいいけど、右翼あるいは新右翼の側でも、いつの日か「天皇陛下万歳」を言わなくなる時が来るんですかね。

松本 いや、六九年ごろから七三年までは「天皇陛下万歳」という言葉はほとんどいわなかったわけです。むしろ当時の新右翼は、こういう言い方をしていたんです。「天皇は日本の解毒剤と変わらない。しかしながら私はそこに本当の日本民族の声を聞くし、日本人と密着した天皇を感ずる。これ以外の、天皇を不当に美化した主張など不毛であるばかりか、天皇に対する冒?とさえいえる。戦前的な国体論などまさに砂上の楼閣でしかない。日本に一貫した国体などなかったし、強いて国体ということばを使うなら、変革こそ日本の国体であった」と、それは七〇年なんです。

松田 それはだれ?

松本 それは橋本不器が参加していた日本学生会議の『ジャスコ』という機関誌だったわけです。つまり「変革とそ日本の国体であった」というふうな言い方で、天皇を主題にして日本の変革を考える、というふうな発想がないわけですよ。「天皇が体制を支えているのではなく、体制が天皇制を内側に抱え規定している」と、これは拓殖大学集団未来がいっているわけで、要するに天皇制というのは、むし戦後の自民党によって温存されて、自民党の道具にされていただけで、全然それ自体としては価値を認められなかったんだ、というふうな言い方なわけです。ですから新右翼も七〇年ごろはそういう考え方だったわけです。ところが、その『ジャスコ』という機関誌名が、七三年から『無』という題に変わるわけです。天壌無窮の『無窮』という題に変わるわけです。

松田 『ジャスコ』というのは何かの頭文字ですね。

松本 日本学生会議、ジャパン・スチューデント・コンファランスかな、その頭文字だったわけです。そういう無機質的な透明な題だったのが――それは要するに外来語をいうときの片仮名だったわけですねー、それが七二年末からの天皇訪欧とか七四年の天皇訪米あたりにかけての時期に完全に『無窮』になっちゃうわけだし、要するに天皇を中心にして日本の変革というのを考えなくちゃならないという方向に変わるのです。おそらく、七〇年ごろ、いったいおまえら新右翼の発想というのは、新左翼とまるきし変わらないじゃないか、という突き上げが旧右翼からきているわけですよ。で、おまえらももしかした共産右翼じゃないかという、あるいは容共右翼じゃないか、という批判がそのころ出ているわけです。そういう突き上げに対して・・・

松田 突き下げだね(笑)。

松本 突き下げ、蹴落としね、そういうのが出てきたということに対して、じゃ自分たちはどうやったら新左翼と区別できるか、レーゾンデートルはどこにあるかといったら、またやはり天皇主義になっちゃったわけです。天皇を出してこないと右翼の右翼る所以がなくなっちゃったわけです。そこに『無窮』というふうにも変わってくるし、天皇を主題にして運動する、あるいは天皇を中心にして日本の変革を考えるというふうなことに、七三年の末あたりから新右翼が変わってきたわけです。

松田 そうすると、さっきから五年間の空白とひとしなみにいってきたけど、危機意識みたいなものはその間で一回変わっているわけですね。

松本 そうですね。で、そういうふうにはなってきているわけだけども、そのいまの思想的な突き上げというか、思想的な拘束になるわけだけど、それが資金的な拘束になってきたり、いろいろな組織的な締めつけが、ずうっとこの五年間になされてきたわけです。この七年間といったらいいかどうか知らないけども。それに対する反発ということで、大東塾を脱した人や、大会を脱した人、楯の会の名残りの人が、みんな個人的に参加してきて今度の組織ができた。しかし、YP体制打倒年同盟というのは、まるきし組織としては、その四人しかいないわけですから、要するにそういう形で組織を脱するか、あるいは全然組織的な運動と関わりなかった前野とか飛田という形で、新左翼のこれからの動向は進んでいく、というのがぼくの考え方なんです。

松田 「天皇陛下万歳」にもう少しこだわりますけど、たとえば『朝日ジャーナル』の七六年八月一三、二〇日合併号が天皇在位五○年の特集をしていて、右翼の鼎談なんてのもある。そのなかでの山本次郎君――なぜかこの人だけ敬称付きですがの発言が面白い。山本君によると、天皇訪欧のときのアンカレッジ空港での「お言葉」のなかに、「日米間にはいろいろ不幸な出来事があったが、今ここにこういう平和な関係を築くことができた」という条りがあった。山本君はそれを聞きながら、「そのとき走馬灯のように、そのお言葉の裏に累々たる歴史の死骸が浮かんできて、こんな一片のお言葉では片づかないんじゃないかと思ったんです」とはっきり言い切っているわけなんですね。しかも、そのとき山本君はラーメン屋でラーメンすすりながらテレビを見ていたと、いささか皮肉っぽく言って、もうラーメンも食えなくなったんだとわざわざ付け加えている。「不敬罪ですよね(笑)。山本君のこのときの感覚というのは、これは別に左右接近とか何とかオーバーなことではなくて、それこそごく普通の大多数の日本人の平均的な感覚だと思うんです。天皇の「お言葉」だか何だか知らんけど、あんまり無責任に過ぎやしませんか、というわけ・・・...だから山本君は率直に言うんです、「あの陛下のお言葉にはものすごい不満があった」と。ところが、さらに付け加えていわく、「一面ではおいたわしいという気持ちもあったけれど・・・」なんてね。これなんか、どうもあわてて付け加えたという感じなんですね。つまり、非常にフランクな発想できる山本次郎君でさえ、自分が右翼ないしは新右翼の立場に身を置いていることのひとつの証しででもあるかのように、天皇に対する「恋の心」を、突如もちだしてくるんです。このことは、逆に、山本君たちの思想ないしは行動の振幅を決定してしまうんではないか、とぼくなんかには思えてならないんです。そうすると、先ほどの松本さんの指摘された三島自衛隊、橋本米軍、前野―既成右翼、野村財界、飛田―自民党という組合せですね。まさに戦後体制というか、「YP体制」を支えた五本の柱が攻撃目標になってるんだけど、しかし六本目というか、最後の決定的な柱としての天皇が、右からのテロルのターゲットとしては登場していないということは歴然としていますね。でも、彼らも近い将来において、「直訴」みたいなかたちで「恋闘の心」を披瀝せざるをえなくなるんでしょうかね。



「天皇陛下万歳」のタテマエとホンネ



木下 少しほめ過ぎたね。ぼくはそんな眠絡ないと思うんだ。

松本 脈絡はもちろんない。全部突発的ですけどね。ただ、たとえば三島さんの考え方の中には、戦後の象徴天皇制批判というのは完全にありましたね。戦後の民主憲法によって支えられた天皇制がいけない、という発想があると思うんです。いままでの新右翼の行動の中には、全部それが入っていると思うんです。要するに象徴天皇制みたいなのはよくない。もちろん戦前の国体論的な天皇絶対主義みたいなのもよくないけども、しかしそういう戦後体制によって道具として使われている戦後象徴天皇制もよくない、ということはあると思うんです。だからぼくは、五本の柱といってもいいし、それに全部の新右翼が持っているところの象徴天皇制批判というのも入れての六本の柱といってもいいと思う。ところが先ほどいったように、七三年の末か四年ごろから、天皇はどうやっても、どんな形ででも批判しちゃいけないんだ、というふうな締めつけがきていると思うんです。そこに、一種の天皇主義というジレンマが出てきている、というふうにぼくは感じるんですけどね。

松田 だけど、野村秋介が『週刊朝日』か何かの太田竜との対談で言っていることは、自分は「天皇制」ではなくて「天皇」を支持するんだということなんでしょう。あのヒロヒトを、支持し、恋闘し、尊敬してるんだというわけね。これは、一番最初のところに戻しますと、例の電話問答のなかでの「同じ日本人だから」という発想とつながってくるんじゃないか。つまり野村秋介たちにとっては、「同じ日本人」とかヒロヒトとかいう実体が、そのまま思想の根底にすべりしている。まあ、「天皇陛下万歳」を一行付け加えようがどうしようが、そんなことはどうでもいいんだけど、その「天皇陛下」たるや、まさに実体としてのヒロヒトなんだということになると、これはいささか滑稽ではないか。同様に、せっかく財界というターゲットを設定しながら、それがなしくずしに、「同じ日本人」という実体的なワクのなかで昇してしまう。ここらあたりが、少なくとも唯物弁証法をくぐってきたぼくなんかと決定的に違うところなんで、実体と観念との距離のとり方が完全に間違ってるんじゃないか。ぼくなら、思想の根底には断固として虚妄なるもの、フィクショナルなものを置くと言い切りますよ。この点に関する限り、「同じ日本人」と言いつつも、実体と虚構の間をいったんは切断して肉体殺傷としてのテロルにまで突き進んだ戦前の右翼のほうが、思想の徹底性としては上だという気がしますね。

松本 それは戦前の右翼の場合には、天皇というのと民族というのは完全なイコールなわけです。あるいは国家というのもイコールなわけです。ところが戦後においては、天皇というのと民族というのがイコールじゃないということを、これは新右翼も知り始めているわけです。だから、民族的な発想というのはずうっといい続けてきたわけだけども、天皇主義というか、天皇を中心にして、という形での変革というのはなかなかいい出せなかった、というのが新右翼の実態ですね。そこはやっぱり自分たちでもジレンマを覚えているわけだから。

松田 そうすると左翼的な言い方をしますと、天皇主義とはイデオロギーの「外部注人」になっちゃうわけですね。

松本 目的意識論になるわけです。自然発生的にいえば完全に民族主義なわけです。新右翼はそれで大体やってきているわけです。『ジャスコ』にしろ『レコンキスタ』にしろ『ネオ・フォルク』にしろ、要するにそこで共通性が出てきている。だから、YP体制打破という、それは共通のスローガンになりうるわけです。だけども、そこに天皇というものを出さなければ右翼じゃないんだ、というのが既成右翼からの注入になってきているわけでね。

木下 それは戦後右翼の共通点は天皇制だけなんだ。ほかに共通するものないですよ。それはやっぱり彼らに、天皇をいわなきゃ右翼じゃないという、そういう傾向があるんじゃないですか。だからぼくは、北一輝が最後に「天皇陛下万歳」というのを断ったのは立派だと思うんだ。それから広田弘毅も、最後に「天皇陛下万歳」というのを断わったというんだけど、雑誌『知性』が歴代首相の特集をやったとき、ぼくは一高の柔道部で広田弘毅の後輩なので、ぼくに書けと依頼があった。で、調べた。そうすると、彼はどうして死刑になったかというと、普通なら木戸幸一が死刑になるんだが、木戸は内府として天皇則近第一号だから、木戸をやると、天皇にまで及ぶんで、その前のだれかを死刑にしなきゃいかんと、それで広田がその犠牲になったわけだ。

松本 だから、ブルジョアにしろ、あるいはリベラルにしろ、「天皇陛下万歳」ということはいわないですよ。だから北一輝も広田弘毅も発想の経済的基盤はおんなじなわけです、北一輝は完全に発想的にいえばブルジョアですから。それはともかく、今度の経団連に突入した連中は「天皇陛下万歳」と叫ぼうが叫ぶまいが、これは発想的にいえば共産党とおんなじじゃないかと、あるいは左翼とおんなじじゃないか、というふうにほとんど経団連の連中は話しますね。これ全部読んで、「天皇陛下万歳」があったにしろ、これは左翼じゃないか、というふうにみんな思っているわけですよ。財界批判とか、あるいは資本主義批判というのを右翼はするはずがないということ経団連の連中は知っているわけです。

松田 逆に言うと、戦後三〇年というのは、天皇制をそこまで完全に無化しちゃったわけだ。

松本 いや、そうじゃないですけどね。だけど、たとえば経団連の土光にすれば、じゃ戦後三〇年でこれだけ日本を復興させたのは、あるいはこれだけ日本を大国にしたのは天皇か、そうじゃなくて財界である、というのは確信として持っていると思うんです。完全にそうだと思うんです。

木下 それはそうだよ。あのヒロヒトにそんな力があるかというんだ。

松本 だけども、土光さんにじゃあなたたちは天皇を崇拝していないかというと、いや、私たちは天皇陛下を崇拝していますというのは、これはタテマエですよ。もう明治のころから、竹越三叉にしろ、安田善次郎にしろ、西園寺公望にしろ、団琢磨にしろ、みんなそうですね。

木下 そういうことですよ。それで、ちょっとぼくなりの見解をいいますと前にいったようにこの経団連乱入事件は非常にマンガチックな事件であるけど、やっぱり歴史の流れからいうと必然的なものなんだ。あれから学ばないとブルジョアジーは滅びると思うんです。ですからぼくは、ある点においてはいろいろおかしいことあります、日の丸の鉢巻きしたり、電話かけたり、手錠はずせというのはおかしいけど、そういうことは瑣末なことで、とにかく右翼といわれた連中が反発してあすこへ行ったということは、ぼくは非常に歴史の流れを証明していると思う。とにかくぼくは評価するし、あと第二、第三のものが起こると思うね、ああいう事件が起こらなきゃおかしい。あれはあとに起こることのファースト・バッターとして意味があるんだ。そういう意味であれを軽視すると、そいつがやっぱり清算を迫られるだろうと思うんだ。

近代化の価値への拒絶反応

松本 ぼくの言い方をすれば、あれは第四打者になるわけだけどね。

松田 だから、ぼく風の言い方をしますと後続打者にヒロヒトまで、あるいはその他のヒロヒトの亜流にまでテロルの矛先を向ける力量ないしは思想を獲得できるや否やということが新右翼にとっての大問題になってこざるをえない。もっともそうなったときには、右翼は右翼でなくなるというわけなんでしょけど......。ここでひとつ確認しておきたいのは、新右翼というのは、自ら新右翼と名乗っているわけなんですか?

木下 いや、世間がそういっているんだ

松田 彼ら自身は名乗っている?

木下 いや、そんなことない。

松田 たとえば左翼の場合だと、「われわれ新左翼は」というような非常にアホらしいアジテーションをこの耳で聞いたり、この目でちゃんと読んだりしますよね。木下自分でちゃんといっている?

松田 ええ。「われわれ新左翼」なんて恥ずかしげもなく......。テメエで「新」と思いこんでいるのがオカしいんだな。

松本 それは戦後における世間一般の言い方として、左翼というのはで、右翼というのは悪という一種の常識みたいなものがあるでしょう。そうすると、右翼という言葉自体を使うのがまずいけないという、ちょっとはばかるところがある。だからむしろ新右翼は、「われわれ民族派は」といいますね。

木下 だけど民族派というのは前からあったんで、いわゆる新右翼が出てからじゃないんだ。

松本 戦後右翼では大東塾がいっていましたね。それを流布させたのが、その新右翼ということになるわけですね。

松田 そうすると、たてまえとしては「天皇陛下万歳」で、本音というか、彼らの理念の内実を形づくっているのは「民族派」とい自己規定、という構造になるわけ。

松本 そうですね。

木下 いわゆる右翼革命�≠ニいうことだよ。

松田 いずれにしても、「天皇」とか「民「族」とかいう非常に見やすい、いまあるがまの実体概念みたいなものに依拠しているわけね。だから、自分たちが依拠しているその概念そのものの変革というか、維新というか、そういうことはまったく考えてもみない。その概念もまた変わらざるをえないんだというふうにね。このあたりは松本健一批判にもなるわけなんだけど(笑)。

松本 ぼくらは野村さんからは「殺せ殺せ」といわれているからね。

松田 繰り返しますけど、「天皇陛下万歳」とか「民族派」とかいうのが新右翼のレーゾンデートルを証明する基本的な概念であるだとしたら、ぼくは新右翼自身が、まさにそんな実体概念に依拠している限り駄目なんだというところにまで突き進んで、自らが依拠していると思い込んでいる存在の根みたいなものの批判と検証をやり直さない限り、どうしようもないだろうという気がしますね。その意味で、ぼくは松本さんの三島事件以降の総体の流れのなかに今回の事件を位置づけるという問題提起に全面的に賛成なんで、しかもジャーナリズムの上で商品化した新右翼ではなく、一見無名の橋本不器や飛田圭造の突出をも評価し直さなければならないという指摘は、まったくその通りだと思うんです。ぼくは、「天皇」とか「民族」とかが符丁のように飛び交っている商品としての新右翼の言辞はとも思わないが、しかしそれが、橋本や飛田という個体の生き方に、脈々としたリアリティをもって投影されているとしたら、それこそ左翼として徹底的に戦ってやろうと思うんです。だけど、これまた繰り返せば、ぼくは、どうも、橋本や飛田の個体史の基底部に、「天皇」なり「民族」なりが地熱のようにうねっている普遍性があるとは、どうしても思えないんですがね。そんな実体的思考なんて、それこそ虚妄なんですよ。

松本 ただ天皇とか民族とかそういう言葉で象徴されるかどうかは別として、地方の青年の、資本主義の工業によって農業が冒されているという危機意識や、公害による一種の実質的な被害意識とか、あるいはそれに対するとか、そういうものは気流としてというか、精神的な流としてあると思うんです。そこのところが、やっぱり飛田が出てきたり、前野が出てきたり、あるいは山本次郎が出てきたりするという基底になっているんじゃないでしょうか。

松田 ちょっと待って。もし赤軍派か何かの事件のあと飛田の事件があったとしたら、飛田というのは新左翼というふうにジャーナリズムの上で分類されたのかしら。単に経団連事件のあとだったから、飛田は・・・・・・。

木下 そうじゃないだろう。あれは水戸派だろう。前に文芸春秋社に頼まれて"水戸右翼を調査に行って橘孝三郎氏他に会ったことがあるが、水戸にはそういう風潮がある。

松本 それはそういうふうに水戸にはという風潮じゃなくて。

木下 いや、あるんだ。あの青年は別に中央の教育を受けていないし、水戸的な風土の中で育ってきた男でしょう。これはやっぱり橋本はけしからんという、つまり桜田門とおんなじ発想だよ。

松本 むしろあれは、水戸派というよりも、ぼくの規定としては、地方の一農業青年という形で規定したほうがいいんじゃないかと思うんです。

木下 水戸浪士なんといっても結局地方青年なんだ。だって大老を殺してどうなるかというんだ。とにかく結果的には天下を動かしたけど、発想的には水戸浪士というのはローカリティーですよ。

松本 ただぼくの考え方とすると、新左翼と新右翼というのはほとんど同じ社会的な根に発している、という感じですね。だから、公害のことに対して憤懣を持つにしろ、あるいは農業の衰退を憂うるにしろ、あるいは地方がまるきし政治的な意味を持たなくなっちやっているようなそういう状況に対する憤にしろ、新左翼にも新右翼にも共通している動向じゃないかと思うんです。そこからどういう形で出てくるかということは、そこで天皇をいえば右翼になるという形なんじゃないですかね。飛田はたんに経団連事件に衝撃をうけたということですけど。

松田 世界革命といえば左翼になるわけ?

松本 なっちゃうんじゃないですかね、いまの形でいえば。要するに新右翼にしろ新左翼にしろ、戦後体制を戦後民主主義と呼ぶにしろ、あるいはYP体制と呼ぶにしろ、そういう戦後体制というもの、あるいは近代日本が追ってきた近代化の価値というものに対する全面的な欲求不満というか、批判、というよりも一種の拒絶反応という形がある、とぼくはとらえますけどね。



「同じ日本人」を越える思想を



松田 何となく結論めいた言い方になっちゃうんですけど、わが家に帰ってテレビをつけっ放しにしてチャンネルをあちこち回してたら、一一時のNHKのニュースだったかな、突然、竹内好さんの死が報じられた。ぼくはあわてて松本さんのところに電話したりしたんですけど、あの一夜に凝縮された時空を振返ってみると、新右翼四人組の経団連製撃よりも、ぼくにとっては竹内さんの死のほうが「事件」としてはすごく重いんですね。テレビの画面では、野村秋介たちがしきりに「同じ日本人として」を連発している。竹内さんの死が、その合間でさりげなく報じられる。ぼくは、ああ、「日本人」にこだわりつづける発想が、実体としても思想としてもこれで終わったんだな、としみじみと思いましたね。

松本 でも、日本人としてという発想を一きらったのは竹内さんだと思うんです。たしかに日本人という発想あるいは民族主義という発想をしているんですけど、あるいは民族という問題から近代主義というか、戦後民主主義批判をしたのは竹内さんが最初なんですけども、だけども彼は、民族主義という言葉には「血塗られた」という形容詞をつけているわけですよ。要するに民族主義という言葉を使うんだったら、もうそれは血塗られているんだということを考慮に入れておかないといけない、と。で、新右翼のたとえば一つの行動とするとーー民族主義によって共通の思想というのがあるとすれば――その血塗られたという事実を無視している状態だと思います。だから、『レコンキスタ』などは大東亜共栄圏というか、アジアの協力といえば、アジア人はだれも反対できない、などと馬鹿げたことをいうのです。竹内さんにとっては民族も否定的媒介です。

松田 いや、その竹内さんでさえ、たとえば『国民文学論』というような著書が成り立つわけでしょう。そうすると、そういうふうに「国民」とか「民族」とか、総じてネーション概念をテコとする思想は、......。

木下 ぼくは竹内好よく知らんけど、つまりナショナルというものをほんとに彼はつかんだんじゃないか。あの人の中国のほうはよく知らんけど、そういう意味じゃやっぱり一種の先覚者だと思う、ぼくはあんまりつき合いないけど。だから、ナショナルということ彼は非常に身にしみて感じていたんだな。それが竹内好のいいところというか、彼の存在意義があるんだ。松じゃ、もう一回ひねった結論でいえ田ば、竹内好さんの雪の降る夜の劇的な死でさえ、新右翼四人組の経団連襲撃という茶番劇で汚されてしまうということですかね。誤解されっ放しの竹内さんにとって、非常に気のなタイミングだったと思うな。

木下 あれは竹内好の趣味に合わんわな。

松田 「同じ日本人として」という発想が最後までつきまとっちゃいましたね。

木下 それともう一つ手錠の問題があるな。経団連を襲撃した新右翼は手錠を拒否した。ところが旧右翼のあるものは、金沢警察につかまったとき、警察は遠慮して手錠をはめないので、手錠をはめろとはめさして、写真を新聞記者にとらせたということがある。だから手錠が全然反対の意味において右翼に利用されているんだ。

ーー新左翼とか、いわゆる反疲労働者だったらバッチリかけられる。

木下 そうだ。何でもかけるんだ。それをはずせと、それは格好よくないけど。それか日の丸の鉢巻きして出てきたでしょう。

松田 いや、鉢巻はとって出てきたんじゃないですか?

木下 いや、写真に出ている、警察は拒否したけど。日の丸の鉢巻、三島も鉢巻しておったけど、そういうことにこだわっているようでは天下国家のことなんかできないわね。

松田 でも、日本の警察でもバリの警察で手錠をかけられたことのあるぽくとしてもたとえばうちのおふくろにそばで見ていられたとしたら、「手錠をかけないでくれ」と言い出しちゃうかもしれません。

松本 それはそうだろうな。

松田 それを彼らはおふくろの目ならぬマスコミの目を気にして、手錠をかけないでくれと言ったんですね。駄目なんだよなあ。

木下 お袋の眼を心配するようじゃああい事件は起きないんだ。これはやっぱり非常に象徴的なことなんだ、手錠というのはそれから、経団連襲撃の連中は自決しないで三島と違うじゃないか、ということが何かに出ていたけど、あれは銃を持って入ったでしょう。これは相手を殺すかもしらんということになる。ということはてめえも死ぬかもしらんということなんだ。銃を持って入って、ノコノコ生きて出るなんというのはどうかと思うんだ。

松田 いや、それについてはぼくは野村秋介の反論を支持しますね。それはみっともなくてもいいから生き延びるんだという......。

木下 ぼくは日本に何かそういう事件が起こらなきゃいかんと、起こらなきゃしょうがないと思うんだ。それで起こったんで、これは当然起こるべき事件で、意外に感じなかった。ぼくはそういう意味じゃ、あれは不発になったし、へんな結末になったけど、しかし第二、第三は起こるね。起こらなきゃしようがないと思うんだ。

松田 いや、最後に木下先生にあえていいますけど、こんな事件が何回起きたとしても、それこそ「同じ日本人」のなかで起きている限りではどうということないんですね。そんなことよりも、たとえば玉本某でもだれでも、チェンマイのハーレムに行ったら、寄ってかって女どもに殺されちまったとか、そういうふうなテロルがドンドン東アジアで起きていくことを、それこそ「同じ日本人として」心から望みたいですね。




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