・・・当時新人三羽ガラスと言われた柳、町田両氏とともに、私は他業種ではベテラン長老でも、文壇では新人で、すでに天皇ごっこ騒動や囚人狂時代のベストセラーで注目され、 民族派としてテレビやほかのメディアで登場、発言しても、 3賞の一つを取らない等文壇では一人前とみてくれない あるいは君はまだ作品がないとい言われるだけ。 しかしそのあと、この小説を発表して3つの賞のうち、一つはとるともいわれつつ、運悪く取れませんでしたが、皆、態度が完全に変わり、一人前として認めてくれたのです。


 ところが、それから3年半、小説を発表していませんでした。
 で、かなりの人が私を誤解していて 見沢はただでさえ右翼なうえに、本はヒットして文庫に何冊も入ったり、雑誌連載も月67本とかなり書きこなしている。こりゃあ、相当ため込んでいるな。
 否、逆で、ひどい貧乏です。
 まず、出て一年は、内科、整形外科、歯科、心療内科、カイロプラクティック、そのほかに毎日通うことになりました。
 リハビリとして、毎日誰かと4、5時間は電話をして、月の平均電話代は十何万。かつ、中でも徹底禁止のはずだった趣味は、 よくあるギャンブルや女や酒ではなく、そういう突飛なことに、入った金はほとんど使いきって――それに一番出費が大きいのは 右や左やアムネスティさえ含めた政治や人権団体そのほかに、支援やカンパし続けたこと。もう数百団体を超えていると思います――。
 そこへ、この不健康。この小説の単行本が刊行され、すぐその自作小説に手を付けていたころ、立教大で公演中、大失神で倒れて二日間死にかけてからは、 外出中、街中で何度も失神や昏倒。それを合図にして、容赦なく全身に、長期刑の無理や後遺症が一挙に押し寄せて、 もう、小説一冊分を書き下ろして出す、それまでの平均執筆能力を支えていた基礎体力すら失いました。


 元ヤン元少刑のワルが、人の命まで奪って、それを地罰自責のようにひたすら自分を虐める――しかしあしたのジョー のボクシングバカならぬ文学バカとして、あの白く燃え尽きるラストシーンのように、文学で完全燃焼するまでは――死ねません。
 17歳の時、成田空港決戦で死ぬつもりで、遺言の代わりに初めて書いた小説を、ある新人賞に投稿、落ちましたが、この時とったのが村上春樹で 静観して、左翼のアジト専従をしつつ、同人誌や登校という文学下積み無名時代を17年。 その間、思想の世界では新右翼のトップイデオローグや戦後4人目のテロル、投獄などを極めました。
 中央文壇へ登場し、3年で三島賞候補まで突っ走ったら病で倒れ、三年半。
 やっとまた、ジョーが、カウントナインで立ち上がりかけた―― と、いうところでしょうか。


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