TAKEITEASY!のんびりと、楽に撮った。気楽に観て、楽しんでほしい。 河合さんはTVでも福沢諭吉と坂本竜馬を撮ってますよね。とても、幕末という時代に興味をおもちのようですね。河合 やっぱり幕末って、あれだけの封建制続いてきたのね、次の時代を夢見たという期間でしょ。そこに生きた人たちみんな凄テンション上がったと思うのね。たとえば民主主義とかね、そういうことが解ってきたり、いろんな国があるということが解ってきた。その時に夢中になって生きた若者たちってのはさあ、何か面白そうじゃない、やっぱりね。竜馬は、アメリカを通して、国とか社会が面白いというふうに、考えついちゃったと思うのね。最後どこまで考えたか史実にはないけど、あの明治ではなくて、もしかしたら今の制度じゃない国の在り方、たとえば大統領制とかという国づくりを、彼が最後に力を持った時には考えたと思うのね。同じ革命者の中でもさ、将軍から天皇に政権を戻すべきだという人もいたけど、竜馬はもしかして天皇を通り越して、違うことを考えたのかもね、もしかするとそれは危険思想だということで暗殺されたのかもしれないんだ。
暗殺の理由というのははっきり解らないんですか?河合 解らない。誰にやられたかはね、新選組という人もいるし、見廻組というのもいる仲間内だというのもいれば、薩摩とか・・・・・・いろんな説があるよね。まずそれはおいといて、次の時代を夢見るという瞬間の若者たちがいたわけね。福沢諭吉というのは、何となく我々の中で、どこか教育者というイメージがあるでしょ。何となく今の教育者と同じように、口だけ達者で頭が良くて、というふうに思ってるけども、実際にはすごい行動家だからね。アメリカに行くし、ヨーロッパにも2年ほど行ってるし、あれだけペラペラの蘭語を、自分で喋れるようになる。すぐ塾長になるし、もう蘭語の時代ではないと、急に今度は英語でしょう。英語の辞書を出したのだって日本でいちばん早いでしょう。そういうのを見るとすごい行動力があった人ですね。国づくりを政治家としてやろうとか、革命家としてやろうとか、やり方は皆ちがっていたけどね・・・・・・。福沢諭吉は政治面ではなくて、精神面で近代日本を本当につくろうとしてたのね。各々の立場で自分の夢の託し方が、みな違うわけよ。医者とかね。それはおもしろいものですよ。幕末ってね。だから今度出てくる竜馬だけでなく、高杉晋作だって、やっぱり上海へ行って、アヘン戦争でボロボロになっていくところを見てるわけね。そこで西洋を見るのね。で、日本が植民地になっちゃうのではないかという危機感で帰ってくるわけ。そこから突然変わり出すのね。彼は。このまんま行ったら。幕府がフランスと結託して、日本が植民地にされるとか、イギリスの植民地になっちゃうというんで、フランスやイギリス相手に戦うわけだから。そういう意味では、どこかで植民地になってはいけないという意識があったんだろうね。だからあれだけ若くして集中力出せたんじゃないの。80年代半ばの日本に、幕末のエネルギーをぶつけようとしたわけですか。実は映画ではいま言ってた植民地になっちゃうとか、そういう部分にあまり焦点を当ててないんだ。意識してね。そういう危機感で戦うという政治的な意味合いとか、竜馬たちを武力革命者としてとらえるとかの意味合いは全然捨ててるのよね。やっぱりどこの植民地になるんでもばからしいでしょ。とことかが攻めてくるから戦うといったってき攻めてきたら攻めてきたっていいんじゃないのもいらないんじゃないとか思うわけ。そういう戦わない思想というのかな。まあぼくなんかもそうだけど、民主主義という言葉で育った世代というのは、戦いというのはもっと自分の中のハートにあるんだと思うんだよね。戦いというのはかつて、まあ体批判した時代もあったけどね。いま体制批判なんてしたらね。暗いとかダサイとか言われるわけでしょう。政治の話をして世界がどうとかロシヤがどうとかいうと、みんな何を言ってるの?っていう感じだよね。結局敵というのはね、どこにいるのかとい今の日本だとね、自分の中なんです。魂の中にあると思うんだ。
本当の敵を探せっていうこと?河合 サラリーマンだったらサラリーマンで部長とかに会った時には、どっかで部長は敵じゃないな、本当は重役だなあとか思うわけ。重役とケンカすると、本当は社長だなとかさ、重役もサラリーマンだとか思うわけじゃない。で、たとえば社長とケンカしたとする。「あっ、これも雇われ社長だな、社長は敵じゃないんだなあ」と気がつくとする。で、今は、社長と戦う前に、それに気づいちゃってる。つまり、先をみんな読んじゃうんだよね。それはサラリーマンに限らず学生でもそうだと思うんだ。とにかく、先を読んじゃう。本当は、先は見えてないのよね。学生でいうとね、中学校に行って、麻布なら次は東大へ行けるとか、そういうふうに先が見えるわけ。その結果、いつか挫折するとか、苦しみって来るわけじゃない。見通したとおりに行かない限りは落ちこぼれだと思って必死になるわけでしょう。だけど思ったことというのは、本当は自分が勝手に読んでることだけだものね。
それもひとつの幻想でしかないっていうことですね。河合 そう、それで、挫折というか自分の中でね、やられたなとか、元気なくなったなという時には、敵がはっきり見えないわけだよね。それでみんなノイローゼになったりアル中になったり、学校に行くのがいやになったりするわけでしょう。だから敵というのはさ、自分の中にいるんであって、外にいるわけじゃない。落ちこぼれたら落ちこぼれたなりにさ、落ちこぼれた時の先を読み過ぎるんだよね。落ちこぼれたそのへんの工場で働くしかないな。工場で働くということは、お金があまり貰えないな。自分としてはこういう商売やりたくないのにあと先のことを、みんな読んじゃうわけでしょう。でも本当はそうじゃないのよね。だからそういう中で未来を読み過ぎるというか。備報過多の状況がいちばん個人を挟んでるんだね。
そのあたりっていうのは、映画の中に盛りこんでるんですか。河合 まあね。今回なんかも、幕府を潰そうという時に幕府という実体が見えないという設定にしてあるのね。実体が見えない代わりに富士山丸という巨大な船が幕府のシンボルとして幻影のように出てくるんだけども。その幻影に怯えるわけね、みんな怯えるわけ。自分の中の幻影に。そしてその怯えた中でね、やっぱりどこに気がつくかというと、自分は怯えてるだけなんだと。そう気がついたところで終わるという話にしてあるんだ。全てそうなのね。今度の映画作りやってても思うんだけど、初めていろんなスタッフと付き合ったでしょ。映画のキャリアある人もいるし、テレビから来た人もいるし、みんな映画ってこうやって作るもんだとか、こういうもんだとか、若いのにね、固いのね、保守的なの、すごくね。やっぱり自分の中に、キャリア積むのはいいんだけども、自由とは何かとか、考えてほしいのね。今までの映画作りとか、今の映画をね、じゃあ全面的に全部認めているのかというと、みんな認めてないわけじゃない。助監督やってみんな監督になりたいとか、オレがキャメラマンになった時はこうやるとかみんな思うわけじゃない。俳優でもね、若いのが自分がスターになったら、こういうふうに映画を作ってやろうとか、みんな思ってるわけでしょう。そのくせ、主張する時って、みんな過去のものなんだね、言ってることが。たまたま自分が5年とか10年とか経験したことを言うわけでしょう。こう撮ったら次はこう撮るべきだとか。つながりとはこうだとか。すごい守的なわけね。全然自分の中が自由じゃないのね。極端に言うとね。だから、好きに、自由にやろうよ、ということを主題にしている映画だから、逆にいうとスタッフでも俳優でもね、自分との葛藤すごくあったんじゃない?
役者さんはみんな、”自分が変わったって言ってますね。河合 そうね、みんなをやっぱり、だいぶ変えちゃったね。たとえば最初のころというのは、全然スケジュール通り撮らないわけ。毎日撮りこぼすわけよね。そうするとき、いちばん本当に困るのは誰かと言ったらさ、まあプロデューサーというのあるよね。制作者困るよね。ある意味では監督だって心配して困る。ところが、アシスタントほど困ってるのね。スケジュール通りにいかないって。本当はアシスタントって関係ないじゃない、遅れようが何しようが。でもいちばんイライラしてたのはね、みんな若い人なのよね。自分には責任ないわけでしょう。のんびりしてればいいじゃない、撮りこぼそうが何しようが。だけと、みんな気になるわけ。
責任?何それ?っていう態度はいいですね。河合 ね。(笑)ところが若い人がそうだから最初から、のんびりいかないんだよね。1日撮影しないと、1日で何百万もかかるわけね。みんなそれ知ってるから無駄になっちゃうつて思う。でも映画なんでしょせん。無駄なんだから娯楽なんだからね。本当は好きでやってるんだしね、こんな仕事って。サラリーマンと違うんだから、のんびり撮影してればいいんじゃないかって気持ちね。これが全然のんびりじゃないんですよね。ということは、この主題が出ないわけ。最初から管理されているという被害者意識なんて捨てて、もっとのんびりとね、精神的にのんびりやって、いいもの作ろうなあって、豊かな気持ちで入りたいじゃない。どうもそういう時代じゃないんだな。だからこのテーマやろうとしているのね。だからテーマと現場が密着してるんじゃない。でも基本的にそこでいらいらしたら負けだからね、みんな。
もともと無駄な映画の仕事って、河合さんにとって何ですか?河合 やっぱりね、映画は、人に夢を与える仕事だよね。自分たちが何となく夢を見てたりね。普通の管理社会の人が、キューキュー言ってるときに、映画を見て、やっぱりちゃんと自分の思った通り生きようとか、あんまりあくせく出世なんか考えるのやめようとか思ったりね、人を裏切るのやめようとか考えたり、映画を見終わった人からそういうふうに思われたらいいじゃない。学生でもね、いい大学なんかに行かなくたっていいんだ、オレはオレで好きなことやろうって、映画見てね、思ったらステキじゃない。だから作ってる人がそういうふうに思ってないとね。映画作るときに、実際好きなやり方でやってないとできないのよね。
撮り方がずいぶん変わってるそうですけど。河合 この映画は、真正面から撮ってるのね。横、斜めの見方はしてないの。セリフが観る人に向かっているようにしてるわけ。この映画は、たんなる幕府との闘いでも、奇兵隊、海援隊のいがみあいでもないから。河合さんが影響を受けた映画は?
河合 ないですねえ。
では、一番多く観た映画は?河合 「ウエストサイド物語』ね。2回観たのね。何回観ても、ひとつのシーンのグラフィカルなディテールが覚えられない。っていうことは、凄い映画だということだね。『アラビアのロレンス』は40回。フェリーニも好きね、僕もずいぶんグラフィカルに撮ってるから。編集はいかがでした?編集やってるとね、この監督ヘタだな。あ、こんなんじゃつながんないよ、とか自分を否定してるもうひとりの自分がいたりするのね(笑)。現場では、まとまらないように、まとまらないようにってやってきたのに、編集ってまとめることが仕事でしょ。だからもうひとりの自分ができちゃう。でも、編集やってて、まとめちゃったらダメだよねえ(笑)。
出来あがり、どうですか?河合 速い。タッタッタッタッ、次々行くのね。考えてる暇なんてないの。普通の映画なら、「かわいそうねー」って思わせといて次へ行ったりするけど、「カワイソウカナッ?」って思うと、もう次へ行っちゃうのね。スピーディなテンポのこの映画が当たると、日本の映画ってきっと変わるだろうね。だって、日本映画ってこれに比べると4倍遅いもんね。
日本の映画って説明的ですからね。河合 そうなの。僕、画面で説明しないの若い人って想像力でおぎなってくれるじゃない。こいつも大変だったろうな、とか過去はきっと貧しかったんだろうな、とか説明しなくてもおぎなってくれるから。だから若い人って好きよね(笑)。説明したらただお話を観ましたってなっちゃうだけだもんね。
どんな人たちに観てもらいたいと思いますか?河合 若い人ね。この映画、青春グラフィテだしね。若い人の方がビビッドに生きてるじゃない。そういう人たちが、この映画のビビッドさにどのくらいまで反応示すかって、楽しみなんだよね。この映画、観る人と会話するように作ってあるからね。きっと、中年の人が観てもわかんないだろうね。受け悪いだろうな。中年の人って、ただのお話として観るじゃない。中年って年齢で区切るんじゃないのよ。気持ちが中年っていうことね。
初めて、映画監督をやった感想は?河合 うん、つくづくヘタになったなあって思ったの(笑)。20代ってもっとうまかったんだよ。30歳すぎたらどんどんヘタになっちゃってね。でも、そのぶんストレートに伝わるんじゃないですか?
河合 それ、あるんだよねえ。監督が伝えようとして計算しすぎたら、観る人にだって読めちゃうよね。でも、こんなにヘタになるのは大変だったんだから(笑)。もともとはうまいんだから(笑)。あのね、何でも受け入れられるようになったのね。いいものでも自分の作風に合わなかったら拒否するっていうのっあるでしょ。みんなが違っていても、精神さえよければ、みんなを受け入れちゃう。だから、ヘタになったんだろうねぇ。
今、公開前の心配ごとは?河合 そうねえ、日本映画みたいじゃないから、それだけが心配だね(笑)。(1985年11月13日東京・青山で)