ロバート・デ・ニーロになってみたかっただけさ
タクシードライバー飯島洋一
東京都生まれ和光大学在学中、友人の8ミリの映画製作に参加したのをきっかけに映画作家を目指す。大森一樹、森田芳光らを生んだ10年ほど前の自主製作ブームの中、16ミリで制作した映画が評論家に絶賛を浴びる。しかし、35ミリ制作で失敗、映画作家の志を曲げる。以降、俳優としてロマンポルノ30数本に出演。82年には「戦場のメリークリスマス」に参加。映画「タクシードライバー」をこよなく愛し、現在、東京の街を放浪するタクシードライバー
僕もやっぱり人並に、学生運動の最中、パクられちゃってね。罪名は、凶器準備集合公務執行妨害。いちばん一般的なやつでした。それでブタ箱にいる時、面会にきた友達が、「今、映画作ってんだ」って話してくれたんです。この時、「おっ、いいことやってんなア、俺も世間にいりゃ一緒にやったのに」ってくやしい思いをした。この頃から映画は観るだけじゃなくて作れるもんだって思うようになったんです。 仲間と、僕が保釈になって何本か8ミリ撮って学生生活が終ったのが78年。そのまま就試験受けてどうこうしようってのに無意識の反発があったから、バイトしながらブラブラしてた。とにかくギラギラしてたし、何か気に入らないっていう感情が強くあった。そしてまた誰ともなく仲間が集まって映画を作り出したのが74年でした。これが、「特攻任侠自衛隊」として完成するんです。 これは評判よくて次に35ミリに手を出す。これが大失敗作「戦争の犬たち」。このあともまたやろうっていう話があったんだけど、16ミリで使う400~500万の数倍フイにしちゃったんで、すっかり信用もなくなっちゃうし、とてもできるような状況じゃない。ピンク映画に出たり、撮影現場で泥のように働いた。82年には『戦場のメリークリスマス」に役者として参加するんで、南太平洋の島に行ったんです。水平線の見えるようなホテルに2ヵ月ばかりいた時、ふと考える時間を持っちゃった。ここまで思いつく暇もないような人生だったけど、ここらで一丁カタギの生活に戻ってもいいんじゃないかって思った。あのころ、映画の『タクシードライバー」って気に入ってて「そうだ、やるならタクシーだ」って。あの話、戦場から帰ってきたタクシードライバーの話なんだけど、「俺も南太平洋の戦場から戻ってタクシードライバーやる、これはまさにあの映画と同じだぞ」って妙に悦に入って帰ってくるなりいきなりタクシー会社に電話したんだ。 もう3年になります。そろそろタクシーも潮時かな。次のことはまだ考えてない。ボーナスと組合の積み立て、それに失業保険でしばらく生活して今、昔のギラギラがなくなりかけてるんです。生来のデラシネがそれじゃいかんなって思う。こうやって話してるうちに考えちゃったよ。決めたよ。次は。
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