私は出所して一年の間、母が、私の荷物、本類などを置くために借りていた武蔵村山のアパートに一人で住んでいた。 従弟が近くにいるので買い物や医者に車で運んでもらう以外は、 出版が決まっていた新日本文学賞の天皇ごっこを百枚から一冊分の400枚に書き増やす作業や政治的な雑文などを書いていた。 一人で部屋にいると、深刻な拘禁後遺症に襲われるので、悩んだ。連日のリアルすぎる悪夢、昼間に一人で部屋の中にいられないフラッシュバック症状。 かつて暴走族だったくせに方向感覚やバランス感覚を全く失い、自転車にも乗れない。甘いものを食べ過ぎて血糖値が上がったり どうしても掃除や食事作り、選択ができないで悩んだり、貨幣や人間会話さえ怖かった。逆に、寒さには異常に強くなり、冬も暖房がいらなかった。

まだ千葉刑を出て半年というリハビル中の私に、いきなりザ・マサダの代表吉田健上氏からすぐに会いたいという、不思議な電話がかかってきた。 当時の私は、毎日のように内科、外科、歯科、神経科、整形外科に通って体を治している状態で、取材やトーク、雑誌などの話があれば内容も確かめずにとりあえず承諾し、後で 周りの者に聴いたり、体の具合と相談したりして、受けるかどうかを決めていた。 吉田氏は書き溜めた原稿を読んだだけで、長年メディアの世界で生きてきた勘で、断定します。確実に3万部を超すベストセラーになります。 という。そして脱稿後の打ち合わせではこれは5万部いく、いや、メディアの反応次第では8万部を超えますよ。保証しますと、自信をもって断言した。 96年の春に発売。反響は大きかった。夕刊フジ一面、週刊現代、トゥナイト�U、週刊新潮、週刊プレイボーイ、時事通信、フラッシュ、SPA、週刊読書人 女性自身、女性セブン、GON、宝島、文幻春秋、日刊スポーツ、鳩よ、朝日新聞・・・などが批評や特集を組み、その上、ちょうどイラン人の東拘集団脱獄 があって、コメンテーターとしてテレビや雑誌、新聞に出るという神風的相乗効果もあった。 吉田氏の予言は的中した。拡大書店のベスト5,10に入り、十万人近い人が、目線入りの天使を手にしたのだ。


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