カンボジア大量虐殺をめぐって

「無知なる大衆」とは何か

朝日ジャーナル・ライブ誌上再録・シンポジウム

映画キリング・フィールド』の真実


本多勝一
井川一久
長谷川和彦
ピース・ボート主催者辻元清美
<司会>本誌編集長筑紫哲也



筑紫 井川さんはベトナム戦争の間、プノンペン支局長、サイゴン支局長としてインドシナ半島で過ごしている。本多さんはカンボジアの虐殺の問題を取材し、いろんなものを書いてきています。辻元さんは最近カンボジアに行ってきた。長谷川さんは、映画というものをどうとらえるかというのは今日の一つの大きな柱ですので、参加をいただいた次第です。さて、本多さんは、「無知な人人だけが感激する『キリング・フィールド』」という一文で、これは無知な人だけしか感激できない愚作であり、政治的な詐欺映画である。詐欺の映画であるということを書いてます。

本多 それは『潮』八月号に、やや扇動的に書いたんですが、要点は三つくらいあります。第一に、普通の平均的日本人がカンボジアについてどう認識しているかの問題と関係がある。例えば虐殺は誰がやったのか。そういうことが、この映画は実にぼんやりしている。誰が虐殺をやってるのか分からない。その証拠に、いろんな映画批評を見ると、全くとんでもない批評をしてるんです。これは戦乱の中で起こった虐殺だとか。冗談じゃない。虐殺は戦乱が終わってから始まったわけです。平和が来て、民族主権ができてから殺戮が始まった。一九七五年から七九年までの四年間にポル・ポト政権下で起こったものだ。その地獄の平和なんです。それが一九七九年に終わったのは、戦乱によってです。極めて単純なことです。しかし「普通の人」はそのことがまるで分かっていない。欧米人はもっとひどいだろう。そうするとどういうことになるかというと、ああいうふうに非常にぼんやりした状況で虐殺を描いた後で、最後に「カンボジアの苦悩はまだ終わらない。タイ国境の難民たちはキリング・フィールドからの子供たちでいまなおあふれている」という字幕が二度も流される。まだ地獄の平和が続いていて、中で虐殺が行われていると、知らない人は、そういうふうにとるわけです。だから、地理的、政治的な無知な人々がこの映画を見たら、誰がやってるのか分からない。いわんや、いま、あのころのポルポトの軍隊がタイ国境から反撃しようとしていることは思いもよらないわけです。げんに朝日新聞のアジア総局(シンガポール)にいた松井やより特派員が言うには、この映画はシンガポールでも上映されたが、あの虐殺はベトナム人がやってるんだと、見た人はそう言ってるそうです。これはそういうふうに映画がつくられているんだから、当たり前だと思うんです。この映画は、こういう効果を狙ってわざとぼかして、わけが分からなくした政治的な陰謀映画ではないかという、極論すればそういう疑問が起こるわけです。何しろCIAというのはわれわれの想像を絶するような陰謀をやりますから、そういうこともあり得ないことじゃない。現にシアヌーク時代のカンボジアはCIAによってさんざんひどい目に遭わされています。第二に、これは友情物語だということを、デビッド・バットナム(製作者)も発言している。じゃ、友情とは何かといいますと、少なくとも対等な人間関係でなければならない。しかし、あのシャンバーグという特派員とプランという通訳兼助手は対等な関係と言えるか。これは主従関係です。ブランはいかに忠実に主人に尽くしたか、主人はいかにそれに応えたかという主従物語だと考えれば、別にそれを否定することはない。しかし、そこに問題がないわけじゃない。シャンバーグは本当の地獄の演出者が誰かとか、そんなことはあまり関心なく、一人だけ助けた。これはブラン以外へのカンボジア人に対するとんでもない差別じゃないか、差別映画じゃないか、というのが私の極論なんです。虐殺者とその犠牲者という本質を放置しておいて、「自分たちの側」のかつ恩のあるプランという一人だけを助けるというの免罪符的エセヒューマニズム。それが、この映画の本質ではないかと思うわけです。第三番目、カンボジアのポル・ポトの虐殺がなかったという正反対の主張をしたジャーナリストや学者が、特に日本にたくさんおります。それに比べればまだましかなということは言えるかもしれません。

長谷川 本多さんのおっしゃる無知な大衆の一人として見ました。「クメール・ルージュって何だっけ」とつぶやきながら試写室に入ったわけです。いわゆる西欧先進国のヒューマニズムと言われる手合いのものが目いっぱい良心的風につくと、こういう映画ができる。この映画を見てつい涙を流してしまう人のことを、僕はあんま笑うことはできません。僕も最近はたわいもない映画を見てもわりと涙が簡単に出るほうになっておりまして、さんよ早く老人のぼけが浸透してるんではないかという気もしております。われわれ自身が既に、事実、真実というものを見ないで済ませる回路を持っちゃってるように思うんです。もう一つ怖いなと思ったのは、気がついてみると、僕たちはプランのほうに立って見ないのです。同じ東洋人なのに、どちらかというとアメリカ人ジャーナリストの側に無意識に立っている。これはいい悪いではなくて、歴史的な実感なんでしょうけれども、ただ、そのことを気づくべきだとは思います。



助手の救出に走る欧米人記者



長谷川 ベトナム戦争を素材にした映画は、『ディア・ハンター』、『地獄の黙示録』とかありましたが、マイケル・チミノ、フランシス・コッポラとい自身の視点を強固に持った作家が撮ったときには、「何とおまえらは自分たちの視点でしか物を描かないやつらだな」と思いながらも、こびはなかった。やつらはやつらでもういいんです。自分たちのことしか考えないで、ベトナム戦争を映画の素材にしているわけです。この『キリング・フィールド』のややヤバイところは、ヒューマニズムみたいなものが何かをよくしたり救うかもしれないという、かなりいい加減な幻想でもって塗り固めてしまったことです。これは陰謀じゃないから怖いと思うんです。CIAが後ろで糸を引いてこういう映画ができたんなら、明快で結構なんですが、きっとこれをつくった連中はいい映画をつくったと思ってるわけです。いい映画である部分が皆無だとは僕は思わない。僕としては、これをいい映画というふうに言わずにしゃべる価値のある映画と思うほうが面白いのではないか。

井川 あの映画は本当のことを伝えているかどうか。その点で言いますと、あの映画は非常によくできてるというのが私のとりあえず結論なんです。私はあそこに二年ばかり住んでおりまして、ちょうど戦争中でした。それから戦争が終わりまして、あの映画に描かれているようなポル・ポト時代が来て、そして、ああいう地獄のよう状態が終わる。そのあとに最初に入った人間の一人であるわけです。その体験を通じて知ったカンボジアの事実とこの映画を比べてみますと、現実に起ったことを、非常に不十分ながら伝えていると言うしかないわけです。嘘はないわけです。ただ、一つだけ欠点を挙げるとすれば、あの映画はポル・ポト時代の地獄の平和というものについて、恐らく半分も伝えてない。二、三割というところでしょう。もう一つ、友情というやつですけれども、私自身が友情を持ざるを得ないカンボジア人をいっぱい持ってたんです。助手を持ってたし、運転手もいたし、メイドもいた。これは主関係であったかどうか。主従であったと言ったら怒られそうだし、主従じゃないと言ったら嘘ついてると言われそうだし、誠に言いづらいことなんで......。しかし、あの映画で描かれたシャンバーグとディト・ブランの関係は、少なくとも私が現地で見た日本人特派員と現地人助手との関係よりはるかにましです。あれは恐らく当時のサイゴンを含めてインドシナの外人特派員の平均ではなく、最上に属する友情関係だと思います。もっとひどいケースがいっぱいありまして、日本人特派員を含めて、めちゃくちゃな特派員が多かったわけです。仲間につばをかけるようで誠に申し訳ないし、ことによると自分自身につばをかけてるのかもしれないんですけれども。カンボジアではシャンパーグ、あるいはニューヨーク・タイムズは、APもそうでしたけれども、助手を救うために努力をするわけです。少なくとも個人的には努力する。ところが、日本人特派員で最後まで努力をしたというケースを私は知らないんです。助手を救い得る可能性が出てきたポル・ポト以後に現地に行ってそれを捜そうと努力した人間もいません。あの映画がいかに本当のことを言ってるかということについて、一つ言いますと、プランのモノローグで、ポル・ポト政権、つまり赤色クメールはベトナムと戦争を始めたらしい、それもどうもクメール王国の時代の領土を回復するために戦争を始めたらしい、と言うところが出てきます。普通、ベトナムのカンボジア侵略と言われるもの実は侵略というよりは、ボル・ポト政権とベトナムとの戦争だった、それもどちらかといえばポル・ポト政権のほうが仕掛けた戦争であったということあの中でプランはちゃんと言ってるわけです。あの映画はかなりのところま歴史の真実に迫った、あるいは少なくとも迫ろうという意思はあったものじゃないかと私は思う。



骨の山で知った「現実」の凄さ



辻元 一ヶ月ぐらいプノンペンにいたんですけど、行く二週間ぐらい前にこの映画をNHKホールで見ました。そのときは感動しちゃって、ハラハラドキドキして、「あの人は逃げられるだろうか」とか、ラストシーンで「イマジン」がなってくると、涙ボロボロで、「やった!よかった」と感動しまくって見てたんです。その後、本多さんとお会いし「最後に泣きました」って言ったら、「えー」とか言って「無知なる大衆だ。俺は日本人やめたい」と言ってらっしゃった。そのときは、「本多さん、かわいそうだなあ。毎日そんなことばっかり考えて生きてたら、ほんと毎日疲れて生きてらっしゃるんだなあ」と思いつつカンボジアに行ったんです。カンボジアで見たのは、骨の山ばっかりなんです。骨の山と殺された人の着ていた洋服の山、殺された穴、いまもたくさん残ってて、すごいにおいがまだするんです。それから帰ってきて二日後にまた『キリング・フィールド』を見たんです。今度はもう全然見方が変わっちゃって、「あれ、何に私、感動してたのかな」という感じになって、すごく乾いて見えた。現実のほうがはるかにすごい。去年、南京に行ったんですけど、そのときも骸骨ばっかり見てきたんです。南京のことが非常に重なって出てきました。カンボジア人とタイ人とベトナム人に『キリング・フィールド』の感想を聞いてきたんでカンボジア人は、自分たちはあれだけの莫大なお金をかけて、あれだけカンボジアのことを言うことはいまできないから、カンボジアのことを知ってもらうきっかけになれば、あの映画はいいんじゃないかと言いました。ベトナム人に聞いてみると、「あんな生っちょろいのは何だ」とか、ベトナムについての描き方についていろいろ文句を言ったりもしました。バンコクで会う人会う人に「『キリング・フィールド』見ましたか」と聞いたら、タイ人はすごく興味を持ってて、あの事実が信じられない、隣の国であんなに人を殺したというのは信じられない、と言っていました。

筑紫 最近の映画で言えば、本多さんはこの『キリング・フィールド』で怒ってたら、『ランボー2』を見たら気が狂うんじゃないかと思うんです。ベトナム人が悪役としてバタバタ、ランボーの肉体の前に撃ち殺されていくというストーリーです。日本で非常に当たってる画にも、そういうパターンが、ものすごくあるんです。いま、「ビルマの竪琴』が大当たりしてる。日本に帰るのをやめた木島上等兵が戦友の骨を拾って供養して歩くわけです。ヒューマンに見える映画ですけれども、あそこに、日本が出かけていって侵略した戦争で死んだ現地の人や敵軍というのはどこの視野に入ってるか。みんなが感激するという私たちの幅の中で、欧米人の偏見というのをそう偉そうに言えるものかどうという感じもするわけです。

本多 日本の映画、いまの『ビルマの竪琴』、まったく言われたとおりです。だから、偉そうに言えないからこそ、私は日本よりましだと言ったわけです。日本のそういった文化的退廃はひどい。政治の退廃のよき反映ですね。



虐殺に駆り立てたマオイズム



長谷川 「虐殺」といわれているが、革命の中の粛清というふうに考えたほうがいい。恐らく「南京大虐殺」とやや質が違うと思うんです。革命と粛清というのはどうも付き物のようですが、そういう問題を外に置いて、自分たちとはやや関係のないものとして考えてる限り、自分だけは良心的な人間であろうという美談志向に終わるわけです。私事になりますが、連合赤軍という事件が十数年前に起こり、それを何とかしようと、もう一○年近くうじうじして、やっと八月いっぱいぐらいに第一稿を書き上げられそうなところへ来てるんです。その中で苦しみというのは、僕自身は世代的には彼らと同世代でありますけれど学生運動をきっちりやった人間でもありませんし、ましてや粛清の現場にいたわけでもありませんし、自分がもしもそこにいたらどうなるんだということを、当時はおれなんかいなくてよかったと思いましたね。「おまえはだらしないから総括する」と言って、いの一番に殺される側にいただろうというふうに、力なく笑って酒を飲むというふうな、同世代の人間の気分としては、何かそういうふうにごまかすしかないところがありましたけれども。ところで、なぜ、あんなことが起きたのか。カンボジア人は、ベトナム人みたいな、すぐれてるけれども戦闘的な民族性を持っていなくて、よく言われたのは「クメールの微笑」ということです。

井川 カンボジアで起こったことはカンボジア人、カンボジアの歴史だけから出てくるものではなくて、外の世界全体のかかわりの中で起こった。カンボジアの戦争は、カンボジア人が起こしたというよりは、ベトナム戦争がそこに持ち込まれた。持ち込んだのはアメリカです。それにほかのいろんな国が絡んじゃった。カンボジアで起こったことを理解するためには世界全体の当時の構造というも一つの裾野として理解せざるを得なくなる。これは大変に難しい課題です。一つだけ理解する難しさを説明するという形で答えさせていただきたいのは、「クメールの微笑」なんです。クメールの徴笑というのはまるでカンボジア人の心性、エトスをそっくり写した言葉であるかのように日本では受け取る人が多いわけです。非常におとなしくて平和で、しかもホスピタリティーに非常に富んでいて、愛情豊かで、誠に親切である。とりわけ暴力などを絶対に好まない民族である、という伝説がいつからできたのか、私には非常に不思議です。「クメールの微笑」というのは、アンコール・ワットとかアンコール・トムの彫像にあらわれている笑顔のことであって、現代カンボジア人とは関係ない。現代カンボジア人について個人的な経験を言いますと、夫婦げんかのときに亭主が真っ先に腕力をふるうのはカンボジア人であって、ベトナム人じゃな口論が始まったと思ったら鉄拳が飛ぶ。戦争中のプノンペンとサイゴンを比べての話ですけれども、サイゴンではたというのはほとんどなかったが、ブノンペンでは日常茶飯であったわけです。バーに行くのは、ロケット弾が飛んでくるから危険というよりは、むしろバーの中でのけんかのほうが怖い。カンボジア戦争については、われわれの責任ですけれども、真っ当なニュースが十分流れなかった。あれはカンボジアの解放勢力なるものが戦っていることになっていた。われわれもそういう報道をした。ところが、その実態は、少なくとも一九七〇年の戦争勃発から七三年ぐらいまでは、カンボジアの解放勢力と言われるものは実はベトナムの革命勢力だったんです。その背後で、当時の言葉で「カンプチア民族統一戦線」が育っていく。その過程で世にも不思議なことが起こる。秘密のジャングルの解放区で、その実権を握るのが、全く無名の小さな集団だったわけです。ポル・ポトの赤色クメールというのは、もともとシアヌーク時代からカンボジアで大勢力になったことが一度もない、小さな勢力だった。日本で言うと、連合赤軍に毛の生えた程度の力しかなかった集団なわけです。小さな勢力が権力を握ると、このくらい怖いことはない。小権力革命権力が中央の政権を握りますと、その政権を維持するという目的だけのためにも、かなり特異なことをしなきゃいけない。プノンペンの全市民を追い出したり、貨幣をなくしたり、市場をなくしたり、交換とか交通を全く禁止したり、というふうな異常な政策は、小さな勢力が陰謀的に極力を握ったためです。さらに、不幸なことに、それは特異な理念に導かれていた。マオイズム文革思想です。ボル・ボトの赤色クメールという出発点から中国文革派の影響下にあった。というよりも、そのカンボジアにおける支部のようなものだった。その文革派の異常な思想が極めて単純化された形でカンボジアの少数勢力をとらえた。



豊かな核家族が悲劇の一因に



井川 その集団の異常性は人間を同質化するという思想です。例えば文革時代に盛んに中国で言われたのは平等思想ですけれども、平等思想は同質化の思想にしばしば陥りやすい。連合赤軍もそれになったわけですけれども、それは異端者を一切許さない、生かしておかない理になる。それは同時に無名化という過程も伴います。同質化の思想が行き着くところ、人間無名にしてしまう。それをやった場所がサハコーです。これは刑務所みたいな閉鎖空間で、全国に六千ばかりつくって、そこに全国民を閉じ込めてしまうわけです。そのほかにもいっぱい特徴がありますけれども、日本人の若い人、あるいは左翼、あるいは特定の政治思想集団が陥りがちな特徴を挙げればそんなことになる。それとカンボジアの特殊条件が結びついたところにああいう悲劇が起こった。

本多 井川さんが言ったこととほとんど同じ意見です。特別加えることはありませんが、ただ、中国の影というのをもうちょっと強調したほうがいいんじゃないか。あの少数がなぜあんな権力を持ってたかというと、背後に中国があって、武器援助その他を徹底的にやってます。それがなければ、あそこまでは無理だったという一つの国際情勢です。井川カンボジアの悲劇というのは、すべてがパラドックスなんだ。地上にまれに見る豊かな風土の逆転としての飢餓が起る。豊かさが何を生んだかというと、ものすごく古代的な国ばらばらの農民を生み出した。が全く自由に、独立に、自作農が非常に広い面積の耕作権を持って、分散的に住むという社会なんです。ばらばらの核家族の世現在日本も核家族ですけれども、核家族というのは本当に怖い世界なんです。豊かさの中で、それぞれ自分部落の中の自分の家の中で安住して暮らす状況があると、どうしても外界に対する知的反応が鈍くなる。プノンペンから出ていけと言われたり、おまえの住んでる村からどこかに移動しろと言われたときに、「はあ」と言って出ていく。これがベトナムとかほかの国だったらそうはいかない。恐らく武器を取って死ぬまで抵抗するだろう。従順さというのは、自前の権威体系を持っていない場合に起こる。これがつまりカンボジアの豊かさが一転して地獄になるという逆説の一つの原因なんです。

筑紫 一つ大きな問題があるうかと思うんです。確かにカンボジアの自国民統治というのが非常に悲惨であったということで、それの終止符を打ったのはベトナム軍です。一方、ベトナム戦争で世界世論が支持をしたのは、民族自決という基本的な原則だろうと思うのです。

辻元 プノンペンの町で、ベトナム人は鉄カブトみたいな頼子をかぶっているんです。うちおじいちゃんなんかからよく聞いた話は、日本で戦争が終わったときはアメリカ人は憎かったし、ものすごく差別もされたし、鬼畜米英というか、そんなにすぐアメリカ人を好きになれないし憎かったということです。でも、戦争のときよりも、なんぼアメリカ軍がのさばっていても、いまのほうがいいやという話を聞いたんです。プノンペンでは、ベトナム人カンボジア人よりも、服もちゃんと着ている人も多いし、カンボジア人がベトナム人をどういうふうに見ているのかなというのが気になりながらいろんな人に話を聞いたんですが、好きじゃないという人は多いと思うんです。でも、ポル・ポトに殺されるかどうか分からないときよりもいまのほうがいいな、みたいな印象を受けたんです。そのとき私は、ああ、おじいちゃんが言っていたのはこういうことだったのかなみたいな感じを受けたんです。本多ベトナム軍がいるという点は、やっぱり原則としてよくないことです。大原則にもとる。それと虐殺問題とは別問題だということですね。ただ、原則はよくなくても、ボルボト地獄よりはマシだという「必「要悪」的な国民感情は当然でしょう。



感謝しながらもベトナム嫌い



井川 ベトナムと中国の文革派に助けられて権力を握ったボル・ボト派が最初から試みたのはベトナムとの戦争です。その結果としてボルボト軍は負けるわけです。負けて、降伏しなかったものだから、全土をベトナム軍が占領することになる。これを仮に侵略と呼ぶとすれば、他にアナロジーを求めてどういうことになるのか。後の米軍は当然侵略軍ですし、ベルリンを占領した四カ国軍はもちろん侵略軍ですし、あらゆる争の結果、酔った勢力は侵略軍ということになってしまう。だから、当然カンボジア人は反発しているであろう、というのが外から見る類推になるわけですが、実は侵略じゃない、戦後の米軍と同じような存在だとしたらどうなるか。カンボジアの場合は、特にベトナム軍によって初めて命を長らえる可能性を得たという歴然たる事実があるわけです。つまり、サイコー、人民公社という殺人の舞台が、ベトナム軍に政府が負けることによって初めてつぶされた、解体された。そこで人々は初めて自由になった、という事がある。どこの村に行っても見るのはベトナム軍が生き残ったカンボジア人に武器を配って歩いている風景だったわけです。もしも、カンボジア人がベトナム人を敵視しているとすれば、鉄砲を配って歩くなんていうことはしないはずなんです。ただし、彼らがベトナム人を好きだということにはなりません。彼らは、特にインテリは、十人中八人まではベトナム嫌いです。感謝しながらもベトナム嫌いたる事実があるわけです。一九世紀までベトナムによって侵略されたという記憶もあって嫌います。しかしながら感謝しているという、愛憎共存的なベトナム観がいまのカンボジア人大多数のものではないかと私は思います。そのことをベトナム人のほうもよく知っているというところに問題の複雑さがあるわけです。




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