対談橋本忍・三船敏郎<聞き手〉白井佳夫
「羅生門」から「七人の侍」のころ
白井 黒澤さんとの出会いを
三船 谷口(千吉)さんの「銀嶺の果て」に出たころだったはずです。やたら背のヒョロヒョロとした人がいるなっていう印象が残っています。その「銀嶺ーー」の編集に、黒澤さんがタッチした時、「あいつ、人相が悪いし、ギャングに使えそうじゃないか」ってわけで、「酔いどれ天使」への出演が決まったと聞いてます。
白井 われわれ映画見てる側も、今までの映画役者の枠を破る、すごい男が日本に出てきたという印象がありましたね、橋本さんは、そのころ何やってらしたんですか。
橋本 ぼくは、サラリーマン。だけど、昭和二十二、三年というのは、もう会社の先行きが良くなくて、何かやめざるをえない状態にありました
白井 そのころ、もうシナリオを
橋本 シナリオはぼくは昭和十五、六年ごろから書いてるわけですよ。
白井 かなり前ですね
橋本 ええ。戦争中、情報局が国民映画の脚本を募集しましてね。それにも応募したんですが、だめで、その時の一等が黒澤さんだったんです。だから名前はもう前々から
白井 黒澤監督の東宝助監督時代。
橋本 ええ、ぼくが書いたのはどこへ行ったかわからない(笑い)。あとで黒澤さんにその時の話聞いたら、当時、賞金千円くれたんですってね。もっとも、われわれも、その千円に惹かれて書いたんだけど(笑い)。国外でより評価された「羅生門」
白井 黒澤監督とはじめて組んだのが「羅生門」ですね。
橋本 三船ちゃんといっしょに仕事した最初の映画でもあるんです。
白井 橋本さんの場合の、黒澤監督との出会いをうかがいましょう。
橋本 そのころ、芥川龍之介の小説で映画になったのは、まだ一本もなかった。そこで何か映画にならないかと思って「藪の中」をシナリオ化してみました。
白井 最初の脚本は、映画化されたものよりも短かかったとか・・・・・・
橋本 ええ。今でいうテレビの一時間ものぐらいでした」というタイトルの、そ脚本を、新東宝にいた監督の佐伯清さんが見てくれて、東宝時代さんが親しかった黒澤さんへ回してくれたんです。
白井 さんから連絡あったんですか。
橋本 ある日突然本木(荘二郎)プロデューサーから、葉書がきたわけ黒澤さんが映画にしたいから、会いたいといってるって、それで会ったのは、1月から半年ほど経ってからだったかな。
白井 そこでは、どういう話を
橋本 「脚本短かいから、どうしたらいいか」って言うんです。その時、とっさにぼく「羅生門」を入れたらどうですか」って言ったんです。ところが、今度は長くなりすぎ、収拾がつかない。そのうちにぼくがヘルニアみたいになっちゃって、半年間寝たきりの生活だから、最後の形は、黒澤さんが作ってるわけですよ。どこをとっても、むだがない、ぜんぶ絵になるすごい本だったね
橋本 ギュッと締まってその時、黒澤さんに「最終的にこうなったけど、橋本君どう思う」って聞かれ「何かこう、山犬が構えて飛びかってきそうな脚本だな」って、答えたのを覚えてますな。
白井 なるほど、あの三船さんには、野性の獣のようなすご味があったですな。それはもう、黒さんの演出力のはずですよ
白井 でも、完成後の国内での評価は、そんなに高くなかったんですね。ベストテンで五位か六位ぐらいだったし...ぜんぜんだめだった。
白井 興行的にも、そんなにヒットしたわけじゃない。それが、翌年のベネチア映画祭グランプリ受賞で、たいへんなことになっちゃうわけですな。
橋本 それもすべて、イタリア映画の配給やってた(ジュリアーナ)ストラミジョリさんのおかげです。見た女史が「これは絶対に出しなさい」と永田雅一大映社長さんを口説いたんだけど、永田さんは乗らず、イタリア語のスーパーをつけるどころかプリントも出なかったとかでしょうがないから、ストラミジョリさんが、自分の金でプリントを手に入れ、イタリア語のスーパーつけて出した、ということらしいです
三船 そういうことです。そんな状態だから受賞が決まっても、日本人の誰も知らなかった。
白井 黒澤監督でさえ、ベネチアに出品されてることを知らなかったとか・・・・・。
三船 「羅生門」は、日本映画が海外に認められた、記念碑みたいなものですもの
白井 橋本さんなんか羅生門のシナリオライターということで、海外へ行くと、ひれ伏されちゃうんじゃないですか。
橋本 そんなことはないけどね(笑い)。でも「羅生門」や「七人の侍」は、海外行くとよく話に出ますね
三船 そうですね
橋本 「七人の侍」は、世界の映画で、教材に一番使われてますから、生身の侍をリアルに描いた「七人の侍」
白井 その「七人の侍」のアイデアというのは、橋本さん、そもそもどういうところから出てきたんですか。
橋本 最初、時代劇。それも侍の一日を、ものすごくリアルにやってみようということになった。侍が朝起きて、お城へ上がる。そこで些細なミスを犯し、帰ってきて自分の家の庭で切腹して死ぬというやつを
白井 ほう、どのへんまで進んだんですか、
橋本 ぼく自身気に入って、仕事にかかったんだけど、何もわからなくてね。お城へ上がった侍は、何を食べたのか。弁当か、給食か。歴史学者にも会ってみたけど、結局何もわからない。きちんとできないならやらないほうがいいと思って、黒澤さんにできない。と言ったんですよ。
白井 黒澤監督は納得しましたか。
橋本 ずっと釣りをして待っていたんだけど、怒っちゃってね。あきらめてもらうまで四カ月ぐらいかかった。それで、強い侍ばかり集めてつなぎ、一本の映画にしたらどうだろう、ということになった。
白井 オムニバス映画ですね。
橋本 直木三十五の「日本剣客列伝」の下敷きになった本が、徳川時代にあるんですね。これはもう材料があるから、すぐ脚本作りに入れたわけ。でも、できあがって読んだら、ぼく自身おもしろくないのよね。いちおう黒澤さんに見せたけど、読んだあと何も言わない。
白井 何も言わなかったんですか。(笑い)
橋本 いや、しばらくして「映画の頭からおしまいまで、全部クライマックスでつなぐなんて、そんなこと無理だな」って言うわけだよな(笑い)。それでまたご破算
白井 また振り出しにもどったわけですか。
橋本 そうでもないんだな。剣客を調べてるうちに、武者修行に出た侍は、どうやって食べてたのか。道場や寺があれば問題はないけど、どこにでもあるわけじゃない。当時、夜が多かったから、農村へ行き、寝ずの番でもやったら、ひょっとするとぐらい食わせてくれたかも知れない・・・・・・
三船 ははあ
橋本 そこがきっかけですね。だから、志村のおっちゃんが頭を剃る話とか、宮口さんの話とかは、話のクライマックスの部分が残ってるわけですよ。
白井 さきの侍の一日は、いちおうシナリオにしてるんですか。
橋本 いや、しなかった。でも、十年ぐらいたって、「切腹」になったけど、
白井 小林正樹監督・・・・・なるほどね。
三船 あれ、最初は六人の侍だって言って菊千代というのは、初めはなかったと聞いてたけれども、
橋本 いや、三船ちゃん。最初から七人
三船 そうでしたか
橋本 数が七人というのは、最初から決まってわけ。ただ、菊千代という役はなかったな。最後の脚本作りの時、黒澤さんが大学ノートを二冊出す、それ見ると七人ひとりひとりをものすごく書き込んでいるんだよね。「そこに菊千代というのが、はじめて登場してきた。絵まで描いてあるんだから、感心したね。
白井 何よりも七人でやろうっていう構想がすごいですな。で、本を書く時、菊千代は三船敏郎、勘兵衛は志村喬というイメージが最初からあって、シナリオ書いたんですか。
橋本 いや、最初はそうは言われなかった。だけど、何とはなしに勘兵衛と菊千代だけは、はくにもわかっていたみたい。でもほかの人は、まるでわからなかった。
三船 ぼく一番最初、「おまえ、これだよ」って、宮口さんの役言われたんだよね、それが途中から菊千代ということに
橋本 今、三船ちゃんがいっていた。宮口さんの剣客だけど、黒澤さんが一度「橋本、お前この「七人の侍」の中で、出るとしたらどの侍がいい」って聞くんです。即座に「おれはこの剣客だ」ってこたえた。非常にカッコいいでしょ、あれ、そしたら監督「お前が悪いからあかんよ」って(笑い)。
白井 宮口さん自身かなんかに書いてますね。宮口さんというのは、性格俳優で、どちらかっていうと、静かな役をやる人でしょう。それが逆の効果をあげて、あのすごい殺気を生んだんじゃないかなあれはしかし、いちばんカッコがいいよね、宮さんの役は・・・・・・
三船 ほんとにカッコいい。だから個人的に会うと、「いや、わたし、一番いい役やらしてもらった」ってテレてますよ。だって宮口さんは、当時馬に乗れなかったって言うし、剣道もまるで知らなかったって(笑い)。やっぱり達見ですねあの宮口さんにやらせたということ自体が、
三船 ものすごい形相でね。たいへんすご味があった。その代わり、こっちは一番楽でしたよ。木村功なんて、うらやましがってね。「酔っぱらって、二日酔いだって何だって、できるからいいじゃないか」なんていってましたよ(笑い)。
白井 ふだんの通りやってりゃいい...とにかく「やりたいことやれ」って言うから、ワーッと大みたいな格好したり(笑い)何かもう、でたらめやってほんとは、でたらめじゃないんだけどね
白井 まさかほんとうに二日酔いで、やったことがあるんですか?黒澤さんをはじめ、当時はみんなよく飲んだからね。ウイスキーのボトルがゴロゴロだもの。活動屋意識で製作された最後の作品"
橋本 そういえば「七人の侍」の中で、こんどの「影武者」役の仲代(達矢)が、黒澤作品に初めて出てるよね。侍になって、ワンカットだけ、スーッと歩くよ(笑い)。
白井 浪人集めようっていう最初の方のシーンでしたね・・・ところで、三台カメラ使うようになったのは、この映画からだっていうのが定説になってるんですけど、山塞の大事のシーンで、一度火をつけちゃうと、二度三度とやり直すわけにはいかないんで、三台のキャメラで一度に撮っちゃったと
三船 黒澤さん、それ以前から複数キャメラ使ってましたよ。たとえば、伊豆の方の村の刈り入れシーンとかね、みんなもう二台、三台使ってました。
白井 村のシーンは、東宝のオーブン・セット使ったり、ロケしたり、いろいろなところを合成してあるわけでしょう。
三船 まあ、それもありましたけどねけど、村自体は(東京世田谷区)の東宝撮影所近く、今、すごい団地ができてますよ。
白井 そのころは、蛇なんかも出てきたし。冬の寒い時に撮った最後の泥んこの中での決闘じゃ、さすがのおれも、ひっくり返っちゃって、病院へ入院。はじめての人間ドック入りで、一週間、昏々と眠り続けちゃった。
白井 最後のどしゃ降りの中での決闘です
三船 ええ。これは余談だけど、当時美空ひばりなんか、年に何本って映画に出てた時でしょう。でも、「七人の侍」に出てるオレらは、年一本だけですよね。ギャランティーも一本分だからね、一年かかっても・・・・・・(笑い)。でもみんな、そんなことしないで、一生懸命になってやってた。今じゃ、もうあんなことできませんねそれだからこそ、ああした作品ができたんじゃないかな。
白井 それまでの日本の時代劇というのは、侍から百姓まで出てくる人すべてがピンとした衣装を着てた。頭も乱れたりしてないでしょ。ところが、「七人の侍」見たら、侍も汚なきゃ百姓も汚ない。あのリアリズムが凄かった。
三船 もう着てるものはボロボロ。お互いくさかったもん(笑い)。あれ、新調した衣装を、あらかじめ汚したわけでしょう。
三船 まあ、最初のうちは、そうだったんだけど、途中からもう実際にボロボロになっちゃって
白井 そういうリアリズムは、脚本作りの段階から話し合ってたんですか。
橋本 いや、話してはいなかった・・・・・。まああれは、スタッフやキャストが、ギャラがなくてもいいくらいの覚悟で作ったから、できたんでしょうね。おそらく、日本の映画にとっては、そういう意味で、最後の作品じゃなかったかな。そうかもしれませんね。
橋本 「七人の侍」は、日本のいわゆる映画人が、活動屋という意識で作った最後の作品だったんですね、活動屋の連帯意識は、あそこで終わった。ぼくは、ずっとそう感じてますよ。われわれスタッフにしても、俳優さんにしても、たとえば、非常に少ないギャラでもいいから何か頑張ってやるということはもうないでしょうね。
三船 今だったら、「一年かかるよ」と聞いただけで、みんな断っちゃう。
橋本 そうそう。
白井 単なる物量結集作とは違うんですものね。みんなが情熱を注いだ。
橋本 その通りです。
白井 そうした結集力、凝集力が、あの映画力を生み出したんですね。海外の映画界を席捲した完全主義
三船 「荒野の七人」なんて西部劇になったし
白井 アメリカ映画に、ウエスタンブームをまき起こしたでしょう。監督の映画というのは、全世界の映画に大きな影響与えてきましたからね。
三船 小津安二郎さんだとか、溝口健二さんがまだご存命のころ、日本の若い監督たちが、「古い師匠に習うものはない。今こそヌーベルバーグである」なんていってたけど、ルイ・マルとか、トリュフォーなんかは、「黒澤さん。溝口さん、小津さんの作品をわたしたちは学生時代、パリの安いシネマテークで、もう貪るように見て、たいへん学ぶものがあった」って、はっきりいってるもの。
白井 「用心棒」も、イタリアで盗作されて「荒野の用心棒」というマカロニ・ウエスタンになりましたね
橋本 三船ちゃん、あの「用心棒」での殺陣、腰がすわっててすごいね。
三船 やってるほうは、心臓が破裂する思いでしたよ黒澤さんの場合、キャメラの前で見得切るような殺陣なんかだめなわけ追いかけていって斬れ、それも二太刀、動脈を斬れって、そうじゃないと人が死ぬわけないじゃないか、この野郎ってね
白井 それをワンショットで撮るわけでしょう。そうです。朝からリハーサル、リハーサル。実際の撮影は、夜を待ってやるんだけど、
白井 黒澤監督から直接聞いたんだけど、三船さん、生爪剥がしたっていや、もう爪どころか、満身創痍よ。これは何のときの、これは何のときの傷って(笑い)。戦国の武将じゃないけどね、傷だらけの男よ。叩けば埃も出るし(笑い)。
白井 古武道なんかも、映画のためにおやりになったんでしょう。
三船 ええ居合いとか、流鏑馬とか黒澤さんという人は、役者に要求するし、妥協しませんから
白井 そういうことは、「いつまでにやってこい」って、ノルマ的に課されるんですか。
三船 いえいえそうではなく、役者してるんだったら、こういうことをやるのは当然であるということですよ。
白井 「隠しの三悪人」の時に三船さん、馬に乗って手綱放して両手で刀持って走りましたよねあれ、最初おれできなかったんだ。馬なんか乗れないし、そのとき黒澤さんが「お前乗れないんだったら、代わりの人に頼むけど、役者だったら役に当たったら、馬も勉強しなくちゃな」というわけ、それから懸命に馬場に通いましたよ。とにかく馬は苦労したね。落っこちて、落っこちて
白井 たとえば、その時、役者さんができないと、怒られるわけですか。
三船 いや、怒りません。吹き替えでやってくれますけどね。
白井 ただ、俳優さんの場合、ちょっと恥ずかしい話ですね恥ずかしいですよ。おかげさまで、いろんなことを覚えさせていただきました。
白井 脚本でも、やはり妥協しないというか、完璧主義というのがあるわけでしょう。
橋本 そうですねえ......妥協ということよりも、われわれ書いてると、やり直しというのがあって、これが実にシンドいんですよ。だけど、そのやり直しを厭わないな。黒澤さんと仕事してると......はっきりわかる黒澤作品の旗色
白井 橋本さんは、ご自分で監督もおやりになったし、プロデューサーもおやりになってるわけだけど、なるほど黒澤映画だなっていうのは、どういうところでしょう
橋本 現場というのは、ぼくはあまり見てないんだけども、とにかく脚本からどこまで飛躍できるかっていう、飛躍の感覚のすごさですね。
白井 その現場で、黒澤監督は、とても厳しく、テスト、テストと苛め抜くと、伝説的にいわれてますが、
橋本 それは違うな。ただ厳しいだけで、苛め抜くだけじゃかんよな
三船 続きません。それに厳しい厳しいというけれども、楽しいことだってある。「七人侍」で木村功と津島恵子がお花畑でたわわれるシーンがありましたね。予算の関係で、生花があまり買えずに、造花も使ったんです。それを黒澤さんはじめ全員で活けましてね。中には、知らんぷりしてるして煙草吸ってる奴もいたけど、そんな奴のことはもう無視してますよ「お前も手伝え」なんて、決して強制しません。
白井 あれだけの凝縮力ってのは、金でひっぱたいたり、権力でひっぱたくだけでやれるもんじゃないんですね「貴様ッ」なんていったって、誰がついてきますか、反抗するだけよ。それに三船ちゃん、みんな一筋縄じゃいかなかったしね
白井 じゃシナリオライターや俳優さんがついてくる。その理由は、いったい何でしょうね
橋本 やっぱり、それに参加して良かったとか、そういうことではなくて、「終わった」という実感を持てることだよな。
三船 そうですね
橋本 できた時の「終わった」という実感そういうことの連続だったような気がするけどな
白井 つき合う人間が、みんなとことん燃えるわけですねただ、三船ちゃん、どうなのかなわりと黒澤さんとのつき合いが長い人たちを平均してみると、遠慮せずに自分の主張をいう連中が多いんじゃないの。
白井 そのくらいの悍馬でないと、黒澤監督も乗りこなすおもしろさがないんだろうね
橋本 そうはいってもやっぱり、かかる前には、しんどいかなという気はするけどね。でも、見てわかるように、黒澤作品って旗があるんだよそれがはっきりしてるから、わりとやりやすいんだな。
白井 なるほど旗ですか・・・・・・
橋本 すごく具体的な想定があるということ。たとえば、「生きる」だったら、あと七十五日しか生きられない人の話という明確な想定が最初にあるんです。そのあとで職業は公務員といった考えが出てくる。ところが、他の監督だと、最初から大上段に構えて現代の官僚制度をやろう、とくる。こうなると、もうやっていいのかわからん、かえって時間を食っちゃう。
白井 ハリウッドの名プロデューサーもいってますね。映画というのは、三十字か四十字でいえないとだめだと・・・・・・たとえば、鮫が人間を追っかける話、といった具合に、
橋本 だから、やりいいことは、間違いないね。
白井 その黒澤監督が、いま「影武者」を撮ってるわけですけど、映画界の状況が大きく変わった今、黒澤監督の良さを生かす映画作りというのは、これからも可能でしょうか。
橋本 昔のように、映画会社が何もかも仕切ってする時代ではなくなってますけど、黒澤さん自身、そのことをよくわかっているようなので、まだまだ作れると思いますよ。それに、こういうものが作りたいというのが、わりとある人だから......
白井 われわれファンには、次あたり三船さんでやってもらいたいという気があるんですが
三船 それは、黒澤さんが考えることであってね。まあわたしがやるかどうかは別として、あれだけの才能がある人ですから、これこそ日本映画であるというものを、これからも作り続けてくれるんじゃないですか。わたし六十歳、黒澤さん七十歳、まだまだですよ(笑い)。
橋本 だから黒澤さんのように、自分で作りたいものがあって、脚本をどんどん書いているうちは、いくらでもやれるでしょうね。
白井 日本の映画会社が、ほんとに世界を相手に儲ける気ならね、何といったって「羅生門」以来の黒澤チームの映画作りは、定評があるし、質の良さ、内容の濃さというのも、周知のことなんだから。
三船 「1941」のスティーブン(・スピルバーグ)がいってますよ。「未知との遭遇」のファースト・シーン、学生時代に見た黒澤さんの「蜘蛛巣城」を真似したんだって彼ら外国人は、そういうことを実に素直にいいますね。
白井 黒澤映画というのは、世界の文化財なんでしょうからね。