「黒澤明のもと新人かく育ちき」
<対談>
油井昌由樹
隆大介



隆さんは仲代達矢さんの無名塾におられた。油井さんはスポーツ店を経営していたという立場の違いはあれ、黒澤監督も映画も初めてということですね。「影武者」のオーディションに応募しようと思われたあたりを

油井 映画にかかわってみたいという気持ちは子どものころからありました。単に洋画ファンだったのに、なぜか黒澤さんの作品はちゃんと見ていた。好きだったんですね。そんなことも含めて、映画をやりたいなと思っていました。忘れもしない去年(昭和五十四年)の一月二十日付「朝日新聞」の夕刊でした。テレビ欄のところへきて、ダーンと。もう他のものは一切見えない。あ、これだ。その日のうちに応募要項にある「映画についての所感」を書きましたが、いま思い起こすと、あの新聞広告は、「油井君」と、ぼくに呼びかけていたんじゃないかという気がしてならない。一方的ですが、これが黒澤さんとの出会いだったんですね。

隆さんが無名塾に入ったのはいつごろ。

隆 三年前の四月ですから、俳優の修業は二年ほどやったことになります。それまでオーディションにはよく落っこちた経験があるので、今回の場合も気楽な気持ちでした。ところが、「君に信長をやってもらう」と直接言われたときは、もう顔面蒼白というか、びっくりしたの一語でした。

オーディションの様子を

油井 ぼくは五人ひと組の二番目で、偶然黒澤さんの真っ正面。わー、黒澤さんに会えちゃった、というのが正直な感じでした。そこでぼくのしゃべる番にきて「時代劇についてどう思うか」と言われました。しかし、現代ではない時代のことを演じるのは未経験のことだし、なにも分からない、というようなことをポツポツと話したのですね。と、「それでいいんですよ。現代の人に見てもらう時代劇なんだから、現代劇であって当然じゃないですか」と黒澤さんに言われてああ、なるほど、でその日はすんだのです。その後、何度か通い、四回目あたりから脚本読みに入りました。

ブロ俳優の隆さんの場合は、

隆 おなじだったようですね。

油井 ぼくがまだオーディションをやってるころ、この人はもう衣装あわせなんかやってましてね。信長役と聞いて、わあ、すげえんだなあ、と。

隆さんは、すんなり決まったのですか

隆 いや、いろんな役、読みました。

油井 ぼくなんか、まるで武田の武将のアテ馬で「じゃ、今度、あなたこれ読んで」と、そのつど助監督の人が書類の名前と写真を入れ替えて「いま、内藤昌豊を、この人が読んでいます」という具合ですね。

隆 最初、僕は雑兵のセリフ、その後、いろんな役を読んで、最終的に決まる前の回に助監督から信長のセリフのコピーを渡されました。「もう一回、これを読んでもらうから家で勉強してきてくれ」・・・・・・。そのあとで、先生に「信長は君にやってもらう」と言われたんです。そのときは、ふるえましたね。うれしくてふるえたのではなく、こんなすごい役できるはずがないと思って....。年齢からいっても、自分の倍ですしね。

その油井さんは家康に決まってからは、すんなりと。

油井 ぼくだって家を読まされたときは怖気づきました。あがるではないんですが、大滝秀治さん、室田日出男さんがいらして、室田さんからのきっかけで始まるセリフでした。室田さんが、いきなり「あの黒雲(信玄の愛馬)って、あの調子でやっちゃうわけです。うわあ、すげえなあ、迫力あるあんなふうに言えるかなあって思うだけでした。そのうちに家康候補が三人に固まってきまして、プロの方二人とぼくと、いよいよぼくの番になったときは、もうクソ度胸ですよ。ごくいまふうに、ほんとうに、いまのおれっていう感じで、ポン、ポーンとセリフ読んだんです。そうした黒澤さんが本多(猪四郎監督)さんに向かって「面白いね」って言われて、あこれは来たかな。(笑い)



「ぼくを信ずればいい」



がすべて決まって、いよいよリハーサル。脚本読み、立ちげいこで、黒澤監督から最初に指導を受けたことは、

隆 脚本読みのときから、衣装を着るように言われたことでしょうか。慣れるというのは理屈じゃなく、体で覚えるということなのだから、リハーサルになったら、毎回ヒゲつけて、髪の毛は上にあげて、とにかくサマになるようにしてくれということなのですね。ぼくも同様のことを言われましたが、なかでも、セリフ読むのに普通にやればいいんだよ、自然にやんなさい」ということがポイントでしたね。抑揚つけずに普通にしゃべってくれればいいんだと・・・昨年の六月二十七日だったでしょうか。

姫路で隆さんや油井さんの撮影が始まったのは。それまで毎日、そういうことをやっていたのですか。

隆 二ヶ月以上、毎日そうでしたね。

油井 リハーサルのときの方が、ある意味で密度が濃かったようですね、待ちはなく、行けば、支度でしょ。本番の場合は、待ちがずっとあって、実質、動いていない時間が多い。リハーサルのときは何度も何度も同じことを繰り返すわけですから。最初は自然にやればいいということなのでしょうが、着慣れることから始まったにしても、自然に演技指導になっていったはずです。そのあたりは。ぼくの場合は、細かいセリフのティテールですね。そこはそんな言い方じゃない。こういう気持ちだから、という。たとえば「人生五十年」と信長が舞うシーンは、初め、信玄が死んだ、とうめき声をあげるんですね。「実際に死んだことがわかったときの信長の気持ち、それは自身も傷ついたように感じているんだ。そうしたセリフなんだから、もっと違う言い方があるだろう」と教えられるわけです。何べんも何べんも・・・...。ぼくは信長で七つぐらいのシーンに出ているんですが、半分ぐらいは、そこのシーンについやされました。うめくまでのシーンは、信玄がほんとうに死んだいや、あれはなんだと、信長や家康がスッタモンダするのですね。そして、実際に死んだっていうことが分かった瞬間から信長が能を舞うような気持ちになるまでの道のりの速さは、いまでもとても印象に残っています。

油井 ぼくの場合、リハーサルのときにまいったのは、黒澤さんがダメを出してくれないことだったんです。いまのはよかった。なんて一度も言ってくれない。それで、ぼくは自分自身にすごく不信感持っちゃいましてね。どうすりゃいいんだって。そのうち、顔合わせというのか、お酒を飲む機会があって、たまたま黒澤さんの隣に座ったことから、なんで言ってくれないんですかって直訴したんです。そのとき「言わないから言わないでいいんだから、ぼくを信じなさい」とひとことですよ。それですごく安心しましてね。

油井さんの場合、黒澤監督がイメージしている家康との食い違いはありましたか。

油井 黒澤さんのものすごいところだと思うのは、普通だったら、ぼくを自分のイメージにとにかく近づけようと注文出されるだろうと思うんです。ほかの監督さんを知らないので分かりませんが、黒澤さんは、自分のイメージをぼくに引きずりかぶせてくれたんですね。言いかえれば、大人物だった家康を引きずりおろして、ぼくにかぶせてくれたということなのでしょう。

隆さんにとっての信長は

隆 黒澤さんは、ぼくの中にある個性みたいなものがあるとすれば、それを引き出そうとしてくれた。それはリハーサルの期間のダメ出しなんかでも「君には君にしかない表情というのがあるんだから、それを大切にしろ」とかの言葉でね。

実際に黒澤監督の演技指導を受けていくなかで、自分が変わりませんでしたか。

油井 映画は基本的には嘘をやっているわけでしょう。だから多少変わったのは、現実に血を見ないと「あ、あいつ刺された」と思えなかったり、後ろにふっとばないとリアリティーを感じられなかった部分が、実はそんな顛末なところじゃないところで死んだことを分からせればいい、あるいは血そのもののイメージを感じさせればいいと思うようになった。いってみれば、この一年でぼくはナイーブになったんじゃないかなあ。

隆 変わったと言えば、たとえば他の映画を見ているときでも、自分がその役をやった場合、どんなだろうか、ということを考えるようになったことでしょうか映画の主役はもう一人の監督自身映画には監督作品ということがありますが、「影武者」の場合、完全に監督の創作物と、いうとしたら。

油井 極端な話ですが、黒澤さんには信玄の面があって、信長の面があって、家康の面がある。そうした監督自身が持っている多様な面を独立させて、映画の中で一つずつ見せている。あるいは雑兵に至るまでの黒澤さん自身の部分がある。そうだからこそ具体的に描き出せるんじゃないか。芸術家というものは、ほんとうに、絵を描き、彫刻をつくり、映画をつくるという形で自分を表しているんだと、如実に感じましてね。だから、黒澤さん自身の総合が「影武者」という映画なんだと思います。

リハーサルが進んで、姫路のクランク・インになる。本番に入ってからの黒澤監督というのはいかがでしたか。

隆 クランク・インの日でした。雨が降っていましてね。その日の衣装は濡れると変になっちゃうものだったので、高いお城の上のステージに上がっていくまで、濡れてもそうはいたまない。別の重臣かなにかの衣装をつけたんです。先生は、クランク・インということでかなり緊張されていたんだと思うんですが「信長のイメージがこわれるから、そんな衣装着るぐらいだったらジーパンで行ってくれ」と言われました。つまり、信長は家臣の衣装つけてはいけないわけですね。強烈なんですね。すごく派手な衣装なんですが、それを着てもらわないと信長の感じが出ない。「イメージがこわれちゃうじゃないか」と言われますと、びっくりしますよ。

油井 ぼくが入った最初は、家康のすぐ前で鉄砲足軽が信玄狙撃の模様を繰り返すシーンでした。驚きましたね。映画というのは、あっち撮って、こっち撮ってつないでいくものだから、一瞬でカットが終わるんじゃないかと、と思っていたわけでしょう。ところが、五分何秒という長い時間、カメラを回しっぱなしにされて......。

黒澤監督お得意のワンシーン・ワンカットですね。

油井 まあとにかくやるよりしようがないということで、後ろ手に組んだままつっ立っていたんですが、あらゆることが頭の中をよぎるんですね。過去現在いろいろとおりまぜて。そこで、信玄はどういうふうにしたのかなあ、などと思いつづけました。思いやすい形として、ちょっと前に役をはずされた勝(新太郎)さんの顔を思い浮かべていたんです。ところが、二度目に撮り直したとき、黒澤さんが、それこそ二ワトリがトキを告げるときのような声で「オーケー」と言われたんですね。ぼくはもう、うれしくて、初めての日のOKでしたからね。顔がグワーッとくずれてそして、黒澤さんが立ち上がりざま、大きく手を出して、ギュウとぼくの手をつかむんです。まだ、そのときの感触が残っています。実にすばらしかったですね。



「完成作品を撮り直せれば傑作ができる」



油井さん、ここが黒澤監督、と思ったところは。

油井 リハーサルでのセリフの扱いなんですが、黒澤さんは具体的に誰かに言わせて、「ウーン」と、しばらく考えられる。そして「ここのセリフ、こういうふうにしよう」と、どんどん変えていく。それがまた実に言いやすいもの、的を射るものになっているんです。明日のシーンのこと、ずっと先のこと、もろもろのことが頭の中にぼくだったら完全に混乱しちゃいますよね。なのに、そんな状態のなかで、映画はいつか完成していくということを心底から知っているんだと痛感しました。その場その場に神経を集中しておさえきれる、そのすごさ。端的な例をあげましょうか。重臣の二人が会話を交わしている。ところが、どうもしっくりこない。何度も「いや、そうじゃないな」と言われて、二人のセリフを少しずつ変えていくんですが、突然、「セリフ入れ替えちゃおう」ってことになる。それがはまるんですよね。すごく。ある夜、黒澤先生と酒を飲む機会があったのですが、そのとき、ポツッと言われたんですね。「ある一本の映画をアップしたところまでがリハーサルであって、もう一度、全部撮り直せたら、ぼくは傑作をつくる自信がある」と。ええって感じで聞いたんですが、ぼくなんかからみると先生の映画は好きな作品ばかりなのに、つくったご本人はそう思っていない。ほんとうに貪欲であることが、そこに象徴されているような気がしました。その執念にはびっくりさせられたものです。役者の場合は、半年なり一年なりの間、その役のことだけを考えていればいいわけですが、監督の立場になると、企画があがって、撮影アップして、ダビングし終わるまでの長い期間、一つのことに執着していなきゃならない。それだけでもものすごいことなのに、もう一度、それを撮り直せればと言うのは、やはり、とてつもないことなのじゃないでしょうか

油井さんはどうです。

油井 ぼくも、いままでにいちばん好きな作品は、と聞いてみたことがありまそうしたら「うーん、やっぱり次の作品というより、しょうがないんだな」ということでした。それはたぶん、そうだろうと思っていたことでした。チャプリンの言葉にもありますし。しかし、そのあとで「でも」と言われるんですね。「あまり評判にならなかった「生きものの記録」という作品が、なんだかかわいそうで、擁護してやりたいような気持ちだね。やっぱり、好きな作品と言えるのかなあと。

いちばんきつかったのは、どういうときですか。

隆 やはり、リハーサルの期間でしょうか。先生の言葉に少しでも近づけたらなあ、と思っていました。信長を具体的に演じるとき、うまくいかない場合の方が多かったから、もっと別のやり方があれば、と、ずいぶん悩みました。馬の乗り方ひとつにしても、信長はこんな乗り方はしないだろうな、とか・・・・・・テスト、本番を繰り返すようになってからは。

隆 本番になったら、考えていてもしようがないから(笑い)。やっちゃうしかないんで。ただ、結果的に、そのきついリハーサルが長かったことが、非常にありがたかったですね。

油井 それはまったく、そう。ぼくら長かったもんね。でも、きつかったのは北海道で馬防柵の脇を馬で歩いたときですね。家康、信長が長篠の戦線視察にいくシーンですが、おれ、できるかな、と思って。その直前に二度、馬から落ちていますからね。死ぬ気でやりました。その点、隆君は、馬はけっこうやってたね。

隆 僕は専門の先生について、毎日四、五時間ずつ、基礎から教わっていました。めちゃくちゃに厳しい先生だったのがよかったんだと思うけれど。馬って、駆け足より並足がむずかしいんですよね。本番までは、ずいぶん不安でした。

家康、信長のシーンは、昨年のうちに終わったのですが、いかがですか、黒澤映画に出演してみて。

隆 なにか、終わったって気には、まだなれませんね。実感として、さびしさが、ものすごくあります。あれだけ長く信長について自分なりに考えていたわけでしょう。それが完全に終わってしまって封切りになるということは。

油井さんの場合、信玄の孫の竹丸役で、お子さんの太君(6)が出ているので、今年になっても黒澤組に顔を出していましたね。

油井 とてもじゃないけど、あれはほんとに(笑い)、大変ですね。子どもですから、平気でセリフ忘れたりして...。そこで監督に面と向かって言ったんです。「これにはできませんよ」って。そうしたら、「いや、大丈夫だよ。できるよ」って、自信持って言うんですね。ちゃんと役者さんとして扱っていましたね。

油井さんはいかがです。

油井 隆君と同じで、一シーン終わるごとに、さびしさはつのっていきました。自分の衣装を脱ぐときなど、二度と現場や現物を見ることができなくなる、一シーンごとに自分がかきたてた気迫も、どんどん過去のものになっていく・・・・・・それはさびしいですね。



厳しさの底に漂うやさしさ



あなた方にとって、黒澤監督とは、どういう人だったのでしょう。

油井 とにかく、世界一高い山だと思います。世界中から、その山の頂が見えるほど高い山。ただ、連山というか、連峰を持たない一人ぼっちの山でしょう。その感はぬぐえませんね。近づいて山の荒れ肌を見ると、とても取りつけないなという気はあるんだけれど、ちょっと離れると、その美しさや力強さが見えてくる。信玄じゃないですが、それは黒澤さんが持っている空気のようなもので、ぼくの見えないところに彼がスッと入ってきても、殺気みたいなもので感じちゃう部分がある。

隆さんも、ある意味で監督と共同作業をしたわけですが、かつて映画ファンだったあなたから見た、そのころとくらべて変わりましたか。

隆 そうですねぇ。やっぱり、すごい人だなあっていうのが実感だけど、どういう言葉で言ったらいいのか。「世界のクロサワ」というふうにも言われているけれども、目のあたりに黒澤明という人を見た、ましてや、いっしょに仕事をしたなんて思ってもみなかっただけに・・・

「影武者」を、あなたがたは、どんな映画として感じていますか。

油井 シナリオをいただいたときから持っているイメージは、男の死の美学。ですね。突撃してお屋形様(信玄)のために無謀な死を選んでゆく、その男たちのロマンみたいなものだと実感しています。

隆 信長の立場から言いますと.....。信玄と信長は、おそらく生涯一度も会ったことのない、さきほどのうめき声のシーンからも分かりますが、要するにライバルですよね。その二人がライバルと闘うことでしか人生を生きられなかった。大げさに言えば、信長はそういう何年間を持っただろうと思うし、ライバルが死んだときに、自分が死んだのと同じぐらいに悲しんだ。最後に「山が動いた。それまでよ」というセリフがあるけれど、そう言ったときの信長の気持ちは、おそらく自分がこれから天下をとっていくという意気込みと、あれだけ一世を風靡した大政治家の信玄が死んでしまったという、まったく両極にあるものがなしさが入り混じったものだと思うんです。男同士のライバル感、ある意味では友情というか、そんなものを感じさせる映画だと思います。

生身の黒澤監督と「影武者」はどう結びついていると思いますか。

油井 これまでの作品を含めて感じるのはさんで、やさしいんですよね。どう死のフォルムを描こうと、男ののようなものを描こうと、的にはやさしさを漂わせている。だから逆に、おのれの現実生活は厳しく生きちゃうのかもしれません。それは相反するものであって当然だと思いますが・・・・・

そのやさしさというのは、「影武者」の中では、どんなふうに表れていますか。

油井 影武者を主体にしたことがそうでしょう。影という、現実には存在し得ないもの、・・・・・現実にあったわけなんだけど、それを人間として取りあげること自体が、すでに埋もれたものを引き出そうとしているんじゃないでしょうか。その点だけでも、男だなあ、泣かせるなあ、ロマンだなあっていうふうに、ぼくにはつながっちゃう。

隆さんはいかがです。

隆 「七人の侍」にしても、「生きる」にしても、見終わると、人間っていいなあとか、悲しいもんだなあとか思います。そう感じさせることが、先生の描きたかったものなのでしょう。

黒澤監督は、オーディションを通じて新人を育てていくのが得意で、毎回を出し、実にその作品の中で成長させている。今回、あなた方がそれにあたると思う。そこで、俳優・大分油井昌由として、この作品の中で、自分はこう育った、という自負をおうかがいしましょうか。

油井 黒澤さんという人が、とてつもなく具体的な方法を持った人でしたから、得体の知れない芸術家という、それまでのイメージとはまったく違った実像がの中に出てきた。その間、ぼく自身知らぬ間に変わってしまったような気がするんです。たとえば、うちの子どもが出るところで、衣装さんが衣装を着せるのに、子どもだからと胸の上の方でめる。するとさんが「そうじゃないよ、子どもらしさというのは大人の着方をするから、子どもらしいんだよ」と言われるんですね。そういう観点が全編に流れている。厳しければ厳しいほど、やさしさが出てくるというもっと言えば、こうも言いかえられるんじゃないでしょうか。人に知らせたくない自分の部分は、実は分かってもらえる人には分かってほしいと、いちばん願っている部分なんだから、とことん死ぬまで知らせないでおく。それはとても男っぱいことなんだと、おつき合いを通じ理解できるような気がしましたね。

隆さんは、油井さんと違ってプロですが。

隆 そうですね。役者を一生続けていくってことは、ものすごいことだと、いま思っています。さっきの黒澤さんの「もう一度撮り直したら、傑作をつくる自信がある」という言葉にならって言えば、一つの役の人生を演じるということは、なみたいていのことではなくて、いろんディテールを積み重ねていくことでしかないということが分かりました。その精神を理屈じゃなくて黒澤明という人を目のあたりにして感じたのは、俳優を目指すものとして、何ものにも替えがたい収穫だったと思います。とにかく、ということは、ひとつの才能だと思うんです。くらいつくということは、具体的にどういう形をとるのか黒澤さんのつきつめ方を、肌で感じられた一年間、とにかく貴重でした。




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