中尾彬が告白手記!
僕はなぜ妻子を捨て愛人真帆志ぶきに走ったか!
「女から妻に変わった瞬間から」微妙な夫婦生活の男性心理を
妻・茅島成美との崩壊の結婚生活と、激しく燃える新しい恋ーー。中尾彬が苦悩の胸中をいま!
私のなかで、妻・茅島成美とのことは、まだ終わっていない。それどころか、昔のままに今も元気に息づいている。 しかし、彼女のなかで私はどうやら瀕死の重傷を負っているらしい。 女性週刊誌に出ている彼女の私に対する言葉から察すると、私が彼女のなかで甦る可能性はゼロのようだ。 女に狂ってしまった私が、それでもいつかは改心するかもしれないという、あえかな期待を持って1年ものあいだ耐えたが、もうそのことにも疲れ果てた。だから別れますと彼女はいうのだが、私は一度として女に狂ったことはない。 このように、どうして妻は夫を誤解するのだろうか。これは私の家庭だけではあるまい。 もっとも、世界中のどの家庭をさがしても、夫を解している妻なんているはずもないのだが。 理解しているとおのずから信じている妻もいるだろうが、ほんとうのところ、それは錯覚にすぎない。犬は、描を理解することを最初からあきらめている。 私の妻も、たぶん、私を理解していると錯覚しているものの一人だったと思う。 だからこそ、自分の思いどおりにいかないとなると、今度は猛烈な勢いで私を攻撃する。誤解という仕方で――。 これは夫である私にとってはなはだ迷惑なことである。 私ははじめから私であり、突然人格が変したわけではない。」 けっして開き直っていうのではないが、私は、家庭よりまず自身を愛したい。だから私は誰のためにも犠牲にならない。私を殺して、なぜ幸福な家庭といえるのだろう。それは見せかけだけの平和というものだ。 野望を捨てた夫は、牙のないライオンと同じではないか..... 妻や子は、それでいいというのだが。 たしかに私は身勝手な男だと思う。 常識的にいえば、私は家人としては失格者だと思う。 しかし私は、はじめから私の家が重かったわけではない。いつもそこからの離脱を考えていたわけでもない。 むしろ私は、私の家庭を愛してさえいた。 妻が私を理解しているとは少しも思わなかったし、私もまた妻を理解しようとはしていなかった。 私たちはただ、気の合った夫婦であると思っていただけである。それで十分だった。8年間、そうやって私たちは暮らしてきた。 それをいま、彼女は忍耐の8年間という。私が家庭と信じていたものを、彼女は一言で否定する。 彼女は、私が信じていたものを、はじめから信じてはいなかったのだろうか。 錯覚は私のなかにも存在していたのだろうか。
私は女好きだが色好みな男ではない!
6月16日、彼女のいう、私たちの最後の話し合いが終わったあと、私はひとりで街を歩いた。 そのときも、私は深刻ではなかった。 「もう別れたい」 と、妻はいい 「それでは仕方がないな」 と、私は答えた。そう答えるよりほか、私には言葉がなかったからだ。 私にとって、夫婦喧嘩のあとの散歩のつもりだった。 なぜなら、別れる原因が、私と真帆志ぶきさんとのことにあったからである。 妻が想像し、信じ込んでしまっているほど、私と真帆さんの関係は深刻でもないし、また、発展しているわけでもない。 第一、私は真帆さんにかぎらず、どの女性に対しても深刻になったことがない。そのことは妻も知っていることだった。私はなぜ妻が、真帆さんとのことにかぎって、これほどまでに神経をとがらすのか、正直のところわからない。真帆さんに対しての私の感情を、恋といえることはたしかである。しかし、そのために私は自分を見失ってはいない。うつつをぬかしてはいない。強いていえば、節度を保った恋とでもいおうか。私たちは互いにせっぱつまった感情ではない。 このような状態は過去にも幾度かあった。 私はけっして、こうした私の心情を正当化しようとは思わない。 勝手な男だと思われることは覚悟している。 こんな男を亭主にもった妻が気の毒がられることも承知している。 しかし、私は昔からこんな男だった。妻子のために、私は私の性格を変えることはやはりできない。 いい夫であり、よい父でもあるよりもまず、私は私自身の生き方に満足をおぼえたい。その結果が、いい夫であり、よい父に結びつくことが出来たなら、これほどの幸福はないのだが…。 私は、妻に愛想をつかされたようだ。彼女は私をきらいだという。だから別れるという。新しく、もう一度やり直すといっている。
かと思うと、8年間を棒にふってしまったと言って、嘆いてみせる。 私は女好きな男ではあるけれど、色好みな男ではない。 要するに、肌好きではないということだ。
新しい女性の肌に溺れているわけではないのに、妻の怒
りは、どうもその一点に集中されているような気がする。 最後には、私の肌にさわるのも気持ち悪い、とまでいわれてしまう始末である。 いったいどちらが好きなのかと聞かれても、私はどう答えていいかわからない。両方とも好きだとしかいいようがないのだ。私にとってどっちが楽か、と問われたほうがいい。そうしたら、私はこう答えられる。 "そんなことを問いかけないほうが、私にとって楽な女なのだ"と。 どうやら私は、わがままな男というよりも、卑怯な男としての印象を、世間に与えてしまったようだ。
彼女が女から妻に変容していった時から
中尾彬との一問一答
赤坂のレストラン"の暗がりで、言葉をひとつひとつをしぼりだすように、中尾彬は話した。 ――中尾さんにとって“家庭”とはなんだったんでしょう? 「それは・・・・・・本当のところよくわからないですね」 ――ちょっと角度を変えて問しますと、役者にとって家"とはなんだろうか、ということになるんですが・・・・・・。 「それもねえ、役者にもいろいろありますからね。いい者であって、よき家庭人という人もいるでしょう。ただ、私の場合はね、そうはいかない。まあ、いかなかったわけです」 ――中尾さんがつくった家だったんですがねえ。 「たしかに・・・・・・、たしかに「私「も」ね」 ――それは、中尾さんの意思とは関わりなくつくられた部分もあるということですね。 「そうです。一般的に“家”というのはいこいの場ということなんでしょうが、私の場合はそうではなかった。むしろ外にいるときのほうが気が休まった。家にいるときのほうが疲れましたね」 ――それは結婚した当初からでしたか? 「いや、そうじゃないですね。つまり、“家庭”というもののなかで女から妻に彼女が変容していった時からですね。時期でいうと、子どもができたころからだと思います。当り前のことなんです。仕方のないことなんです、これは......」 ―― 女は"女"から"妻に変容する。それがわかっていて、なぜ結婚したのですか? 「わかっていたはず、ということと、文字どおり身にしみてわかったということは別ですからね。それに、私自身8年前いろいろな意味で結婚という情況を望んだことも事実ですから」――当時「結婚してほしい」というようなことを奥さんにいったんですね?「そうはいいませんよ(笑)」 ――では、なんと? 「『オレがいなきゃあ君はダメだよ”と、いったのかな」 ――真帆さんにも、おっしゃったんですか? 「いや。彼女には、そういうことは通じないでしょう」 ――それは、どういう意味でしょうか? 「つまり、男が女を、女が男を理解しあう必要は、必ずしもないのだということを、彼女(真)は心得ているからですよ。女としては、珍しいタイプのひとなんです」。
――中尾さんは、女性経験というものが役者のコヤシになると考えますか? 「そうは考えません。そんなことはないですよ。ただ、演技に艶がでるといことはありますがね。といっても、私は体験者じゃありませんよ」 ――いつしか彼の水割りの氷がすっかり溶けていた。 「あいつ(茅島)は、離婚したら、またすぐに結婚するだろうな」 ――そうでしょうか? 「そうですよ。オレにはわかるんだ。あいつのことはいちばんよく知っている。そういうタイプの典型なんです」 ――・・・? 「いい女なんですよ」 ――いま、もし彼女(茅島)が、浮気をしているとしたら中尾さんは・・・・・ 「しませんね、全然しないなあ。(笑)・・・これから仕事をどんどんやるでしょうね、彼女は。いい女優だと私も思いますよ」
魅力のない女性を恋したりはしない
どうやら私には、大女優と呼ばれる女性だけを口説いてうれしがっている男という、つまらぬ風評があるようだ。たしかに、これまでの私の恋を、結果という側面からだけ見れば、そのつまらぬ風評も、見当違いとはいえない。 なぜなら、これまで大女優と恋をしたことが多いことが"事実"だからだ。 話は至極簡単である。 大女優�≠ニ、その女性が呼ばれる以上、その女性には上質の、あるいは数多くの魅力がそなわっているはずだ。 私がその点に魅かれていくのは不思議なことではない魅力のない女性を恋したりはしないし、能力のない女性を恋したりはしないという自明から、大女優に恋するという一面がでてくるわけだ。 こんな出来事を、ふと思い出した。何年も前の話である。 彼女も大女優”と呼ばれひとりだった。ある日、彼女は、私にこういったのだ。「わたし、きょう45円のラーメンを食べたのよ」 得意げだった。私が褒めるとでも思ったのかもしれない。感動すると思ったのかもしれない。 私はがっかりした。というより腹が立った。 「オマエさんは、何万円もするステーキを食べてればいいんだよ」 心のなかで何度も彼女に向かっていってみた。彼女はひどい思いをしているのだ。彼女が45円のラーメンを食べることは、腹のたしになること以上の価値などないのだ。 そのひと言で、すっかり私の彼女に対する熱は冷めてしまった。その恋は、それで終わってしまった。 げんなりするといえば、知っているにもかかわらず、家族のことを、あれこれ聞かれることにも閉口する。 次元が違う。 そして今度は、妻が私をげんなりさせた。 妻は「離婚」という、妻にとっては最終的な言葉をもって、私に二者択一を迫った。 その言葉によって、私が妻をとるか真帆さんをとるか、妻は私をためしたのだ。 私はそれに答える言葉など用意していなかった。第一、妻と真帆さんとを同一線上において比べたことがなかったのだ。 「おまえが決めればいい」 私はそういうよりほか、しようがなかった。
離婚届に署名し、全くの他人に
この一文を妻が読むことでおそらく私は、彼女のなかで完全に、こと切れてしまうだろう。 その結果、やはり私たちは離婚ということになる。 8年ものあいだ一緒に暮らしてきた私たちが、離婚届に署名することで、まったくの他人になるということは、なんだか不思議な気がするのだが、考えてみれば、夫婦なんてはじめから他人だった。 だから、私はもう二度と結婚はしないだろう。 私はしょせん、枠にはまることはできない男なのだ。 しかし、心のどこかでまたその枠を求めている部分があることも事実なのだがーー。 6月25日は、息子の誕生日だった。 その日、私はおもちゃ屋の前まで足を運ぼうとした。そして、思いとどまった。 思いとどまりながらも、プレゼントを受け取ったときの息子の笑顔が浮かんだ。 甘い気持ちが心のどこかを、くすぐった。 だが、すぐに、私は息子の笑顔を消し去った。 オレは役者として生きるために、家庭も息子も捨てたはずではなかったのかーー。 息子のために、彼の手をひき、好きなものを選ばせるのはたやすいことだ。 いかなる瞬間も、常に役者であろうとする私にとって、その行為は堕落である。 役者として存在しなくなった中尾彬は、もう、ただの男でさえないことを、私自身、よく知っているからだ。
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