近ごろのテレビドラマは二時間もののブームである。それも内容は「殺人事件」ばっかりだ。たまたま良心的(?)な作品であると新聞にあっても、それも非行少女ものかガンの話である。各テレビ局も何がなんでも「殺人事件」のタイトルを使わないと気がすまないらしい。推理物が多くなるのは当然だ。各俳優も、自然に原作を読むようになる。 私の場合、病気ものだと医者か、父親の役だ。決して病人の役は来ない。非行ものだと、やはり父親か母親のヒモ、あるいは少女をかどわかす役、良くて鑑別所の先生ぐらいだ。事件ものは、まず犯人、それから弁護士、それも悪徳の、やはり検事、良くてうだつの上がらない中年刑事だ。裁判長の役や、殺される役はあまりお呼びじゃないようだ。殺す役の方がむしろ多い。素顔の私とまるっきり違うのに、これも芸能界の七不思議の一つに入るだろう。 テレビを観ている人たちも、私が何か仕出かすのを期待しているようだ。たまに良い人物を演じても最後はきっとあいつが犯人だよとテレビの前で話しているのが手にとるように私に伝わる。皆様の期待を裏切るのもなんだから、ついつい悪人役を選んでいるのだ。 演じてみると断然、悪人役の方がおもしろい。医者や弁護士や検事の役は想像もつかないのだ。だからだれが演じても同じものになってしまいがちだ。しかし犯人は違う。人間だれもが悪へのあこがれを持っている。本当に悪をやったら、これこそ”事件”になってしまうからだれもやらないだけなんだ。一億総推理作家になるのはその裏返しの表れである。 犯人役は決して自分は悪人ではないという発想から始まる。あいつとあの女とあの会社と国が悪いのだと思うのだ。そして真綿でしめるようにジリジリと罪を犯す。ここにドラマのおもしろさが存在する。目の配り、体のこなし方、なに事もないような顔、それが一変し殺人犯になるその快感。これは演技者でなければ出来ない。本物の犯人だったら、目や言葉つきや態度で一発で捕まってしまうだろう。私たち役者はそのプロセスを想像しながら演じているのである。私の場合、顔がやさしいから兇悪犯や乱暴者は出来ない。むしろ、心理的な悪人を、いや悪を演じているつもりだ。”現代悪”とでもいったら良いだろう。 地方に行くとテレビで見るより、やさしくてかわいいですね”と良くいわれる。当たり前だ。テレビから抜け出て来たように思われたら、みんな逃げだすだろうに。しかし、一般には、テレビでしか会った事がないから無理もない。その落差に驚くのであろう。一度私に会った人なら、テレビでの悪役の私をみながら、他の人々に"本当に良い人よ”と懸命に訴えている様子が私には良くわかる。 私は他の悪役の人々にいいたい、”台本を捨てて町に出よう"と。
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