私も「評論家」
世の中おもしろいもんで、私の知人のY君なんざぁ、NHKの“面白ゼミナールに出演し「料理研究家」と紹介されて得意そうにアゴヒゲを撫でていた。 これまた世の中おもしろいもんで、「何々研究家」「何々評論家」「何々批評家」が日増しに多くなってきた。きっと一日一人は生まれているだろう。 例えば「演劇評論家」。 この連中の中で果たして何人芝居を演った人がいるのだろうか。実際に舞台に立ち、セリフの一言でもいった事があるのだろうか。学芸会や村芝居ではなく、少なくともお客様からお金をとって芸を見せた事があるのだろうか。役者としてではなくとも、スタッフの一員としてでも芝居創りに参加した事があったのか。 例えば「映画評論家」。 メーキャップをしてライトを浴び、カチンコの音を聞いて大勢のスタッフに囲まれ演技し、長いセリフをNGもなく、朝七時に重いカツラを乗っけて、トイレも無い所へロケーションに行ったりした事が一度でもあるのだろうか 役者が一ヵ月かけて稽古で汗を流したものを”御社”と呼ばれる招待と、試写室に出入り御免の”顔パス”で一回だけ観る連中には、稽古場が「恥かき場」である事は知らないだろう。知らなくても良いが、その一回だけで、しかも筆一本で評価する神経は、演者からすればおかしな話だ。評価の一行、批評の一ページで演者を天国に、また地獄にまで連れて行く。それこそ人生までも変えてしまう。 つい最近、ある役者が自殺した。 彼は彼なりの今までの生様に絶望したのだろうが、筆一本も原因の一つだった。 彼は舞台の初日に、ちょっととちった。久しぶりの主役であがってしまったのだ。それを筆がやっつけた。彼は自信を失った。そして...弱者といってしまえばそれまでだ。しかし生身の人間である以上そんな事は当たり前の事だ。毎日の生理、もっといえば朝食は何を食ったかぐらいでも芝居は変わるものだ。そのちょっとした失敗を筆一本がやっつけた。読んだ人はたった一行の評価で、あいつはダメだ。ダメな役者だ。どうせ芝居もおもしろくねえだろ、だから行くのはやぁめた・・・・・彼は本当にダメになり、そして死を選んだ。 暗くしぼんでしまう花もあれば、それとは逆に筆一本で花開く役者もいる。ある日突然、見事に花が開いた役者を私は何人か知っている。しかしその花はまれな花だ。
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