深作欣二vs宮崎学
42人の中学生の殺し合いを描いた問題作「バトル・ロワイアル」を見事、映像化した巨匠、深作欣二話題は少年犯罪から、学生運動、アウトローの美学と縦横無尽
これぞトークバトル・ロワイアル!
対するは「突破者」で表舞台に登場以来、日本社会を揺さぶり続ける”キツネ目の男。宮崎学
「生の血煙の匂いがするようなドラマをつくりたい」。宮崎 『バトル・ロワイアル』面白かったですよ。試写を観にきてた知り合いの若いライター連中に、「どうだった?」と聞いたら、「いやあこれで東映は当分食っていけるでしょう」とか言ってましたから(笑)。今回の映画化はたまたま息子さんが原作を読んだのがきっかけだったとか。
深作 ええ。こんなのがあったよって持ってきて、帯を見たら、「中学生殺人皆殺し」という句があって、あ、こりゃいけるわと(笑)。僕は中3という年頃に非常に強い思い入れがあるんです。というのも太平洋戦争の終戦の年中3だった。
宮崎 終戦はどこで迎えられたんです
深作 水戸でした。終戦の年の4月に学徒動員でいきなり兵器工場に連れていかれて、旋盤とかフライス盤とかやらされて、「これは何ですか」「軍の機密だ」なんて。どうも零戦に搭載している機関砲の部品をつくらされてたらしくて、みんな「わー、カッコいいな」って言ってたけど、満足な部品はできっこないんですよね。もしそのまま使われてたらえらいことですよね。
宮崎 そのときの体験が今回の映画の原点になっているんですか。
深作 ええ。終戦の1カ月くらい前に艦砲射撃を受けまして、僕らはそのと運よく家に帰されてたんですが、残業していた30~40人の工員がみんな吹っ飛ばされちゃった。次の朝行ったらもう遺体はバラバラですよね。焼け野原に散らばる友だちの手足を拾い集めるのが僕たちの仕事でした。そのとき感じた国家への不信、大人への憎しみが今でも僕の根底にはあって、最近、盛んに新聞をにぎわせている少年犯罪にもどこか他人事ではないという感情を抱いてきたんですね。だから、とにかく一ぺん中3を取り上げて映画を撮ってみたいなと思ってました。今回はたまたまそれが42人まとまってきた。ただ、もちろん、これだけ世間が少年犯罪に過敏になっている時期に、どこかの文学賞の選考委員会でも物議をかもしたという作品を取り上げるのは、映画の企画としてやばくないかという声もありましたね。もともと東映は、そういうこと心配する会社じゃなかったんですけどね(笑)。
宮崎 ヤクザ映画で人殺して大きくなったんですからね。
深作 結局、映画会社が心配するのはテレビ放映のことなんですよ。最近では映画の製作費の回収は、完成後テレピに売ることを見込んでいるわけです。それがたとえば1億円という値がつくもんですから、売れないと痛いんですね。で、間違いなくこの作品はテレビからはそっぽ向かれると
「これは15歳にこそ観せたい」
宮崎 さらにR15指定までついて......。
深作 そう。あれは映画会社がより集まって自主規制みたいなことをやったわけでわれわれには関係ないんですよ。ただやはり映画会社は心配してますから、僕は「いやこれは15歳にこそ観せたいんだ」と一生懸命逆宣伝に努めてるんですけどね。禁止を突破して観にこい。そのぐらい15歳になったらできるだろう。もともと映画というのはそういうものなんだと。
宮崎 『バトル・ロワイアル』のテーマは大人のなんですか?
深作 これは完全なフィクション、嘘話なんだけれど、嘘を承知のエンタテインメントで、まず大人対子どもの図式があり、大人役にたけし君を連れてきたら面白かろうというぐらいのことから出発したんです。それが撮ってるうちに、ドラマを成立させるため、それなりの因縁をつくらないといけなくなってきて、中には大人の復讐の要素も入ってきますし、ロリコンの要素も入ってくる(笑)。
宮崎 3年ほど前なんですが、渋谷で例のチーマーとかいうのが騒がれはじめた頃で、オヤジ狩りなんて言葉が登場してきたときに、ある武闘派で鳴るヤクザの大幹部と飯を食ったんですけど、どうも面白くねえんだと。オヤジ狩りってガキが生意気じゃねえかという話になったわけですよ。「ミヤさんどうだ」って言うから、「いや、まあ今そういう世の中じゃないの」っていう話したら、それでも面白くねえと。二人で渋谷行こうと(笑)。「オヤジ狩りやられてみようじゃねえか」って話になって渋谷に行ったんですよ。だけど、その話を若い衆が聞いていまして、先に渋谷に行ってチーマーのガキどもをボコボコ、ボコボコやってよけちゃったもんだから、「誰もいねえじゃねえか」って(笑)。
深作 やっぱりホンモノは迫力が違うわ(笑)。一方で、『バトル・ロワイアル」のような完全なフィクションは、嘘っぱちをどう見破られないでラストシーンまでいけるかがいちばん難しいんですよね。原作はそもそも架空の国の物語という設定であって、まあ小説はそういう筋道でもいけるんでしょうけど、映画だとそこから始まるとどうにもリアリティがないんですよ。どうしても、どこか今現在の日本との接点をつくりたい。そういう意味ではたけし君に負うところが大きかったわけです。あの役が原作といちばん変えちゃったとこですから。つまり、彼の演じる戦争管理である教師がただ非情なだけじゃ面白くない。子どもとも内的な関わりを持たせたい。そこででっち上げたの大人の事情で無理心中。それが契機になっての皆殺し作戦というわけです。たけしさんのあの一種のニヒリズムみたいなものは、彼以外には絶対出せなかったと思う。僕はあの感覚は非常に分かるんです。あの人の育った環境みたいなところからくるものだろうと思うんですけどね。
深作 あの人の撮る映画はどっかで死ぬきっかけを探してるというか無理心中の相手探してるというか、そういうところがあるじゃないですか。期せずして、今回はそのイメージを利用させていただく結果になったわけです。これ決して大げさではなく、戦後ずーっと見ても、やっぱりどこか情緒的な俳優さんばかりの中で、ほんとの硬派の役者というのは彼しかいないと思いますね。ああいうふうに感情を閉ざしてて、そりゃもちろん、女房にやさしくしたりというのはあるわけなんだけれども、やっぱりどっかひんやりと投げちゃってるような、手の届かないところは届かないというような醒めた感じがあって.....。
宮崎 僕はだいたい同じ世代なんですが、あの時代独特の挫折感みたいなものがものすごくあるんですよ。60年代70年代、あともう少しでこの世の中が変わるんじゃねえかなあと思ってバッと燃え上がったんだけど、結局変わらなかった。そのとき彼は果たせなかった思いを笑いにもっていったわけです。で、そのときに1回挫折してるんですよ。その挫折感こそが彼のニヒリズムの原点だろうと思うんです。
深作 私はあの人の撮った映画もずっと観てたし、やっぱりうめえなとは思ってました。反射的なバイオレンスと面白い感覚を持ってるな、この人は、と思ってましたから。それは今回もできるだけ活かそうとは思って始まったんですが、いつの間にやらこっちの懐飛び込んじゃったみたいで(笑)。黙ってこっちの言う通りやってくれましたけどほんとはもっとクールに撮ろうと思ったんだけど、どうも知らず知らず、やっぱりギトギトしちゃった(笑)。それでも自分で言うのもなんですが、今度の映画に出ていただいてるたけし君の演技は、すごく好きで非の打ちどころがないですね。
宮崎 また、あの地味なジャージー姿がいい。
深作 ジャージーがよく似合うんですよね、あの芝居に。それで真面目な顔してラジオ体操するでしょ。
宮崎 あのシーンがいい!ただたけしさんの演技には、監督がよく言っておられる匂いもあるし、汗もあるし、温度もあるわけでしょう。ところがそれに対して、今の子どもたちは演技はうまいんですけど、マニュアル通りのうまさみたいな感じがする。今回の映画でも、子どもの持ってるその無機質性みたいなもんが計算外に出てて、僕は結果的にそれもよかったと思うんですけどね。あの子どもたちは、オーデイションかなんかで?
深作 ええ。なるべく素人の子をと思ってたんですけれども、大勢集まって読み合わせとかできないんじゃ選考の基準にもならないし、撮影に入ってまた困りますからね。中にはほんとの素人も混じってきましたけれども、結局、劇団に所属していたり子役上がりの子が多くなっちゃった。いちばん困ったのは、彼ら彼女らは90年代に入ってからこの世界に入ったわけで、「お前アクション映画って観たことあるか」って聞いても、観たこともないし、もちろん出たこともない。何に出てたかというと、みんなトレンディドラマばっかりなんですよ。だか走れ、転べ、と言っても、どうにもならんのですね。しょうがないから、いっさいお芝居中止、外へ出て走り回れ。それをまずは観察して暴れる能力のある者から順番に採っていくからと。
宮崎 今の子どもはみんなお利口になちゃいましたからね。
深作 少し行儀がよすぎるんですよ。極めて無責任な言い方でしかないんですけど、あの映画の中にもそんなシーンがありましたが、たとえ、おのれは首を括ったとしても、やっぱり「頑張頑張れ」と日本中の中3には言いたい。「疾走れ!」と(笑)。
子どもの殺人とヤクザの殺人
宮崎 僕はヤクザが抗争事件で相手のタマをとりに行くときに犯す殺人と、子どもが犯す殺人とどこが違うのかということをものすごく考えるんですが、ヤクザのほうは確信犯なんですね。人を殺すことは法に触れるというのを知ってるわけですよ。2人殺したら死刑になるだろうとか、そういうことも知ってる。つまり、確信的に法に触れてわけですよ。二一方、子どもの犯罪というのは、まずバレないだろうというところから出してますからね。逆に言うと確信的でない犯罪のほうがむごいことができる可能性があるんですよ。ヤクザの抗争事件だったら、一発で止め刺しちゃえとしてこいということは止めしてこいということなんで、たとえばそのときに使うピストルの口径の大きさから、どこを撃つかということまでだいたい頭の中に入れて確信的に法に触れている。それに対して、子どもの犯罪というのは確信的でないがゆえに、非常にむごい状況というのが生まれてきてると思うんですね。
深作 タマをとることがテーマなのか、いじめることがテーマなのかという違いはありますね。子どもの犯罪はもちろん大人にも問題があるんですけど、大人が途方に暮れちゃってどう言っていいか分からんというんじゃなくて、何とかならんか、おいと(笑)。
宮崎 僕ら学生運動やってた頃は、それ自体が若衆宿だったですよね。先輩がこれやったらパクられるんだけど、パクられてもこれぐらいだよとか、職したけりゃ、あんまりデモに出さないほうがいいよとか、いろんなこと教えてくれた。それが今は若衆宿的共同体がなくなっちゃってるんです。
深作 若衆宿という発想のものがなくなった。
宮崎 それと今の子どもは、親との関俺がおかしくなってるように思いますね。
深作 昔は家庭が家庭としてあって、いつまでもそこに縛りつけておいたんじゃ、ろくなものにならんから、若衆宿へ行って修行してこいと。それを親も子どもも全部了解してて、その中で一つの成長の過程というものがありましたよね。今は修行してこいという感覚がまずないし、家庭の中の、しかもおのれの部屋だけに閉じこめといて、まともな人間が育つはずがない。それは親も知ってるし、教師も知ってると思うんですけれども、そこから先はコマーシャリズムですよね。つまり個的的に子どもを閉じこめるようにしておいて、その結果、子どもがどう育とうと知ったことかという。これは自分の身に引きつけていえば、「映画っていうのはみんなで観るから面白いんだ」ということです。自分一人で部屋に閉じこもって、ビデオ見てチャカチャカチャカチャカ、この野郎、あら捜しやってね、早送りのスローモーションだのやりやがって、そんなのはね、映画を観る方法でもないし、礼儀も知らなすぎるというもんだと
宮崎 そうですね。観客として映画館の中にいて、そこで一種の連帯感があって、盛り上がったり泣いたりするというのが映画本来の楽しみ方でしょう。
深作 それで中に生意気なのが出てきてあそこどうやって撮ったんだろうと。何度も何度もおカネ払って観にくるとか。それを今のガキはビデオでストップモーションにしたりして、何だ、こんなことかなんて。これはほんとにもう、電気機器を売ってるほうも悪さきゃ、そういうふうに子どもを閉じこめてる家庭もいけないですよね。ほんとにいけないと思う。
宮崎 僕の家なんてヤクザですから、とくにそうなんですけど、家庭というのはそれ自体、不平等なとこなんですよ。親と子どもが平等の関係とか対等の関係なんて絶対あり得ない。
深作 あったらおかしいですよね。
宮崎 ところが今、親と子どもが平等の関係であるのがいい家庭という風潮になっちゃったから、そこから狂いはじめてるんだろうと思いますね。たとえば、パチンコ屋に子ども連れていって、車の中にぶち込んどいて死んじゃうという話が最近よくあるじゃないですか。で、これに対するテレビジャーナリズムの批判というのは、あのお母さんは自分がやりたいパチンコに熱中して子どもを殺しちゃったと。こんな人は人間じゃないという論調わけですよ。ところがよく考えてみるとこの批判はおかしいんです。動物はそんなことしないんですよ。最低限、自分の子どもは殺しませんから。今パチンコ屋で子ども殺してる親というのは、逆に人間だからこそやってる行為なんです。つまり、僕が言いたいのは、親と子どもの動物的な関係というのが、だんだん、だんだんなくなりはじめてるということなんですよ。
深作 その通りです。ですから、道徳的に云々じゃなくて生き物として物として、ここから先はやばいぞということを、おふくろや親父の手の届かないところで誰かに教わらなければならない。それを教えてくれるのが若衆宿だったわけですね。要するに、近所の悪ガキが教えてくれるわけでしょう。
宮崎 センズリのかき方からね(笑)、全部先輩に教えてもらったんですよ。それを今はビデオが教えてくれてる。
深作 そういうことは大事な大事な人間関係だと思いますがね。
宮崎 監督はお生まれはどこだったんですか?
深作 僕は水戸。
宮崎 水戸学発祥の地ですね。
深作 右翼的土地柄なんですよ。幕府の支藩のくせに意気がることないのにね、あれものとかなんとか。だと思うんだけども(笑)。そりゃ尾紀州水戸、三藩の中じゃ、いちばんだから、よけい突っ張ったのかもしれないけれども。ちょっと切ない僕の若衆の原風景みたいな話をすれば、ちょうど五・一五事件のときに愛郷塾というのを指導してたある右翼の大物がいまして、その人がうちの近くで農場をやって、農村の次男三男を教育してたわけです。
宮崎 水戸天狗党の伝統がありますからね
深作 その右翼は研究者の間ではけっこう評価されてた人なんですが、私より一回り以上も上のいとこが、たまたまその塾に入ってたんですね。私も子ども心におぼえていますが、キャッチフレーズがよかったんです。「東京を真っ暗にしてやれ!」。軍人は政治家を殺しに行く。俺たちにできることは何だ。発電所に爆弾を投げ込め。真っ暗な農村に住んでるわけですから、あのきらきらの根源をぶっつぶしてやれと。五・一五の直前には海軍の士官が訪ねてきて、話してるうちにやっぱり熱してくるんですね。その右翼の大物は「お前ら、自分の部下に死ねと言えるか」そんなことを言いだす。青年士官たちは事件前だし、当然、「いや、そんなことは言えない。部下にそういう思いをさせるぐらいだったら自分で行く」と答えますわな。そうすると、「だめだ、お前らまだ生ぬるい」いとこをはじめ若者が廊下にずらっと並んでるのを指して、「こいつら俺が行けと言ったらすぐにでも殺しに行くぞ」と自慢するんだそうですよ。「俺は行かねえけどな」なんて(笑)言いながら。そのいとこが五・一五事件が終わって以来、どうも暗い顔になっちゃいましてね。まだこっちは小学生だったんですけども、「どうしたの」と聞いても、「うん、うん......」なんて生返事ばかりあんまり話さなくて。それが突然、「あの親分はインチキだ!」と言いだすわけですよ。よくよく事を聞いてみと、いとこは発電所に爆弾を投げ行く部隊には入れなくて、なんか雑用やってたようですけれども、行ったら不発で(笑)、東京真っ暗にならんうちにみんなパクられちゃった。しかも、気がついてみたら肝心の親分がいないんだそうですよ。調べてみると、なんか満州のほうに旅行に行っちゃってて、朝鮮と満州の国境で捕まってた。塾生の間では、「誰か知ってたかそんな話」「誰も聞いてない。逃げたんじゃねえか」みたいなね。そういう話をいとこから聞かされて、なんか「仁義なき戦い」の金守親分の原型みたいな気がして(笑)。
「仁義なき戦い」と70年代の高揚感
宮崎 大学時代は共産党で運動をされてたんですよね。
深作 しかし、僕らのときには砂川開争がありましたけれども、ついに殴られっ放しでヘルメット被る知恵さえなかった。あの頃の共産党なんで無抵抗主義をやらせたんやと(笑)。ゲバ棒持たなくてもいいから、せめてヘルメットぐらい被ったらよかったのに、ただ無抵抗に座り込んでね。「突破者」に出てくる激しい闘争とはえらい違いですよ。卒業後、羽田闘争あたりをピークにしてわっと派手にやりだしますよね。それを見てほんとに痛恨の思いというか......(笑)。
宮崎 ちょうど「仁義なき戦い」が公開された70年頃が新左翼系の最終段階なんですね。
深作 あの角材の嵐というのは写真見ながら、「ちきしょー、これだよな。何でこういうイメージが出てこなかったんだろう」って悔しくて(笑)。
宮崎 でも、あの当時の新左翼の学生たちの「仁義なき戦い」に対する熱狂ぶりは、そりゃすごかったですよ。演説一つするよりも、『仁義なき戦い』を観に連れていってやると言ったほうが学生集まったんじゃないかな(笑)。年代って不思議な時代ですね。たとえばさっきのゲバ棒の話ででいえば、叩かれっ放しじゃ終わらんというのがやっと出てきたのが70年代でしょう。戦争が終わったのが45年で、そこを起点に考えると、50年代60年代というのは、暴力的なことしてはいけないと骨がらみになっていた時代なんですかね。「仁義なき戦い」の頃は、実は全体として見れば運動も下火になってたんですよ。いわゆる連合赤軍のあさま山荘事件が起こったりして、みんなが離れ始めていった頃で、僕らも負けたなという感じがありましたよね。ありとあらゆる面で閉塞状況に陥っていた。それをものの見事にぶち破っちゃったのがあの映画のすごいとこだったんです。
深作 でも、そのある種、高揚感に満ちた70年代を経て、日本人は勇ましさを取り戻せたかというと、結局、トレンディドラマ全盛の世の中になっちゃった。
宮崎 トレンディドラマというのはほんと面白くないですよね。あれをなぜ見るんだろう。あれはたぶん文化ではないんだろうと思いますね。単に時間を売る商売。まあ視聴率なんていうのは完全に見てる人をなめてるような話ですしね。どれも同じような話ばかりで、OLがどうのこうのとか、ほんとに面白くないですね。刺激がない。もっと男と男が磨き合いうようなドラマをつくれないものか。今は男も女も磨き合わないし、親と子どもも磨き合わない。心意気と心意気がどんどん、どんどん火花散らしてぶつかり合うっていうのは、すごくいいんだけど、そういう話をつくる土壌が衰弱してしまっている。人間がずるくちくさくなってるから、そういうドラマが成立しななっちゃってるでしょう。やっぱりそういうドラマをね、僕ら老い先あんまり長くないから、立派な道徳律に当てはめる話じゃなくて、道徳に背いて青いて輝いているという話をやりたいですね。
宮崎 アウトローの日常というのは胸に沁みるいい話が多いですからね。そんなに毎日毎日、ドンパチ、ドンパチ、ピストル撃ってるわけじゃないんで。
深作 いい話、つまり感動する話を底流に這わして、それが一瞬で弾け散るドラマをつくりたいですね。ぼくはいつも逆の意味でバイオレンスを考えているんですよ。つまり、万年東一とか安藤という愚連隊にとって、戦闘の場面はずいぶんあっただろうと思うんです。もちろその修羅場は描かなきゃいけない。僕が一番描こうと思ってるのは、それぞれのアウトローが持っていたバイオレンス的なものの相反する側面なんですよ。多分、普通の人間としての付き合いの中においては、この人たちの方がやさしいかもしれない。その激しさの裏側にあるやさしさを描きたい。
深作 同時にダンディズムを?
宮崎 うん、ダンディズムですわね。そこが僕自身魂が震えるところなんです。たとえば、一和会と山口組の戦争が始まったとき、あるヒットマンの裁判は厳戒の中で行われたんですけど、僕は傍聴したんですよ。こいつは裁判所でカッコよかった。第1回公判では殺人の詳細を検事が言うわけですね。裁判官が「どうですか?」と聞くと、「裁判官、その通りでございます。極刑に処してください」それで一回目終わりでしょう。2回目はもう判決じゃないですか。で、判決は無期だったんですよ。「無期懲役に処す」と栽判官が言うわけですね。「最後になにか言いたいことはありますか?」「いや、裁判官、ありがとうございました。これで私は男になれました」と、あっさり2回で終わり。
深作 いくつぐらいなんですか。
宮崎 36歳だったですね。大学出の一応インテリヤクザで。拳法やってて、喧嘩は強かったらしい。これは死刑廃止運動やってるやつに聞かせてやりたいような話ですよ。人の命は地球より重たいなんてこと言ってる人は、烈火のように怒るだろうけどね。彼は九州のゴルフ場で逮捕されるんです。そのとき2000万円のカネを持ってたというんだけども、事件から1年半ぐらい経っていました。
深作 そんなに逃げてたんですか。
宮崎 ヒットマンだから小遣いも沢山もらってたんだろうと思うんですけど、パクられるときも本人は知ってたらしいんです。どうせパクられるんだったら、ゴルフやってからにしてくれよっていうことだったらしい。なかなか剛のもんですよ、これは。
深作 そのときのスコア知りたいね。いかにも当代のヒットマンらしくていいなあ。
宮崎 当時のヤクザ業界を震撼させた男ですからね。
深作 こんなこと言ったらいけないんでしょうけど、日本海海戦に匹敵するぐらいのすごい事件ですよね。でも、映画化は難しいでしょう。シチュエーションさえ変えちまえばいくらでもできるんだろうけど。作でも極力変えたくない。関西弁でやらないと迫力出ないというのもありますよね。それは当然。限りなく実録に近い形でやりたいですよ。まさか東北地方というわけにいかないでしょう。
宮崎 ズーズー弁でやったらちょっと迫力ないですからね。
深作 やっぱりそういう生の血煙の匂いがするようなドラマをつくりたいんですよ「突破者」映画化への夢
宮崎 しかも、その中にほんとのやさしさみたいなのが見えてくる。僕が京都で学生運動やってた頃には、こんな話もありました。一緒に運動やってた中に被差別部落の男の子がいたんですよ。京都は部落解放運動の激しいとこですから、中学生の頃から運動させられるんですね。で、その子が突然ヤクザになったわけです。俺は学生だから、「お前、ヤクザになったらあかんやないか。部落解放運動ちゃんと真面目にやれよ」とお説教しちゃった。そしたそいつは悲しそうな顔してですね、「いやあ、ボン、そうは言わはるけども、やってるよりヤクザになったほうが解放されますのや」と。これ言われたとき、僕はしまったと思いましたもんね。やっぱり被差別部落の子どもっていうことで、学校に行ったら周りから白眼視されたり、まあ今で言ういじめみたいなもんはなかったとしても、子ども心に感じるところはあったと思うんですね。ところが、ヤクザになったって聞いた瞬間に、みんな頭下げたっていうんです。だから自分はこれがいいんだと。
深作 それで解放された。
宮崎 そういう人ってけっこう多いんじゃないかと思いますね。つまり、日本のいわゆる社会運動ーー僕なんかも大いにやったほうなんだけどーーよりも、個人のレベルにおいてはアウトローという生き方のほうが解してくれるような気がするんですよ。こういう話はトレンディドラマの中にはないだろうと。誰が書けるんだ、やってみろと言いたいわけだけどね。肉感的な感情の交差をどれだけ行なったかということが、その人間の年輪みたいなとこにつながっていくし、人をど突いたら痛いんだ、痛いとはこんなことなんだということが分かってくると思うんですよ。
深作 そこのところを押さえたドラマがなさすぎますよね。ほんとはそういうものを書かないとどうしようもないのに。笠原和夫とか、いい脚本を書いてきた昔の仲間たちが70翁になっちゃうと、そこが寂しいんですね。『突破者」の中にも被差別部落の少年が犬捕りの家に育って刺すような目で見ていたという場面があるけど、あの辺は『仁義なき戦い」のロケハンでずいぶん見て歩いたことがあったんです。「ここから先はあきまへん、撮影できまへんから」「いやいや、できなくてもいいから見たいんだ、俺は」って。それにしても、「突破者」はほんとに面白いんだよなあ。映画化は非常に難しいでしょうけどね。うかつに手をつけるとこっちが大恥をかくし、せっかく素晴らしい作品に失礼なことになっちゃう。
宮崎 実際、いくつか話は来たんですが、いまだに実現してませんからね。
深作 あの作品を支えているのは、全編通して強烈なドキュメンタリーの感覚でしょう。キツネ目の男のエピソードだけではもったいない。ならば、どういうふうに切り取るか。ほんとは早稲田のときの日共を巻き込んでの学園闘争ヤクザだった実家のことも全部ひっくるめてやりたいんですよね。