「おもちゃ」以来、2年振りの新作である。しかも今回は出版前から物議をかもした小説「バトル・ロワイアル」の映画化なのだ。ひとクラスが選ばれ、殺し合いのために生徒たちに武器が与えられる。クラスメートと殺し合い、たったひとりが生き残れるサバイバルゲーム。センセーショナルな題材を、あの深作が選んだと回りでは話題だった。途切れることなく映画を作り続けた深作欣二監督が、今世紀最後に映画がこの「バトルロワイアル」だ



「社会がこうだからを突っ込むと、面白くなくなる」

悪の否応ないねじれを描く



「15歳の頃、やっぱりあったんですよね。強烈に殺意みたいなものが。相手、教師だったですけどね」
  問わずがたりにポロリと出てきた言葉ではない。ある理路整然とした暴力についての話のなかで深作自身から出るべくして出た言葉だ。
  70年代はバイオレンス映画が主流で、ドン・シーゲルサム・ペキンパーという面白い監督がいた。80年代90年代になると日本でもそういう系の映画が少なくなってしまった。アメリカはアクション映画がさかんなのに、質が変わったような気がする。以前はドン・シーゲルなんかが刺すような映画をつくっていたが、今は娯楽中心の勧善懲悪になっている。それが僕にはちょっと物足りない。アメリカ映画の伝統でもあったわけですけれど、正義のヒーローが悪を倒すというのは。しかし、それだけでは面白くない。何らかの意味での社会的弱者が追い詰められた時に、自分のなかにたぎりだすものそれがバイオレンス映画の核だと、僕は考えていたし、そういう映画の作り方ばかり僕はしてきました。勧善懲悪の逆、真逆とはいかないけれど、何か悪の側に立っての否のないねじ曲がり方、それを描きたいと思っていた」
  これは東映のオーソドックスなやくざ映画とは異なる志向だ。実際、東映のなかにいてもヒロイズムとスターシステムが合体して勧善懲悪をやられると「どうも面白くない」と思う深作だった。1972年、殺気立つ「現代ヤクザ・人斬り与太」がつくられる。今は少年たちが殺気立つ。
  もっとも少年の事件は、昔からなかったわけではない。ただ、かつては「掟」のようなものがあって、抑えられていた。バイオレンスに向けて突っ走る中学生は少なかった。ところが10年くらい前から事件が噴出。そして小説「バトル・ロワイアル」の登場。深作欣二は自分の中学時代を思い出す。
  「自分の記憶を探られるわけですよ。あの頃自分はどうだったろう、と」その1年の時の担任で、科目は生物だった。
  「よくあることだけど、戦争中でもあるし、文句をなかなか言えないこっちの弱みにのっかっていって、クラスでスケープゴートをひとりつくって、自分の権威にしてそいつをいじめる。笑い者にする。級友たちにもそれをあおる。そうすると、面白がりますから、ついてきますよ。(殺意は)1年の頃はそれほどではなかったけれど、3年になって戦争もおかしくなると、(空襲の)死体ごろごろの始末をして、もうすぐこれは日本は崩壊する。無にみんな死ぬと思うと、死ぬ前にたったひとつやりたいことがあるかというと、(戦争で殺される前に)ひとり殺したい、と」
  そのターゲットが生物の教師だった。ところが、終戦になってしまう。
  「ハイッ、やめーっ(笑)」
  そこで深作の殺意がしぼんだと考えるのは整合性がよすぎはすまいか。ロベルト・ロッセリーニの「ドイツ零年」のエドムンド少年は敗戦後の廃墟のベルリンで父を殺し、建物から身を投げて自死したではないか。
  「実際、僕が3年の頃はもういじめの対象ではなかったけれど、今度は逆に相手は卑怯になってくるわけですよ。てなづけよう、と。そうすると、正体見たりで、ますます軽蔑がつのる。踏み潰していいんだ、と。僕が15歳で、相手は40歳前後だったかな」
  この生物の教師は「仁義なき戦い」の山守親分に似ている。
  「後半、それに類した行動をとるようになりましたね。ある恐れを感じたから、世の中ががらっと変わった。軍隊が崩壊し、教育も崩壊するからあぶないと思ったんでしょう」
  気抜けした深作だが、何かアクセントがあれば、教師殺しを実行していたかもしれないという。その前に相手は酔って汽車に轢かれて死んでしまう。

  

    もしビートたけしならどうするだろう

  

  「自分にとって中3て何だったんだろう、と思い出したのは、「バトル・ロワイアル」の本の帯を見た時。中学3年生42人皆殺し。その時チカチカとひらめいたのが、あの時、オレも中3だったな、と。そうすると中3が人殺しなんてとんでもない・・・・・・(というんじゃなくて)、中3も殺すぜ、けっこう、と。現実に殺してるし。それを他人事だと思えばそれだけのことだろうけど、自分自身にそういう意識がフツフツと芽生えるのを意識しだすと、きわめて近しい題材に思えたんです」
  ただ、中3の深作は殺意のターゲットが絞られていた。映画の中学生たちは自分以外のクラスメートを殺さない限り生き残れない。
  「時代が違いますから。中3の時の原体験があったとしても50年以上たっている。そうすると視点も中3のものではありえない。当然別の見方をする。それで否応なく、中3の子供たちと教師という軸で見ると、教師の方がいつのまにやら面白くなってくる。自分の年令に近いから。オモロイ教師にしよう。時代のなかでねじ曲がっているような人間に。原作のままでは教師はつまらない。原作のは役人だから。もっと濃密に教師であり、生徒に対して愛憎こもごもの人間にしよう、と。シナリオライター(深作健太)と議論したりした中にできていった。彼は中3に寄り添っていく。じゃあオレはドラマのなかに放りこまれたらどうするんだろう、と。愛憎まではわかるが、それはあまりにも観念すぎて面白くない。もしビートたけしならどうするだろう?というようなところからビートたけしのイメージが急速にふくれあがっていって、口説いて出演のOKもらった時はすごく嬉しかった」
  ビートたけし扮する教師キタノは元担任。彼が担任代にクラスがひとりを除いて集団エスケープしたことがある。その時偶然残った女生徒が中川典子(演亜希)だった。たけしが決まると、出てきたのが<美女と野獣〉の構図だった。これこそ秘すれば花なのだが、明かしてしまうと、映画の突然の転調はたったひとこと「中川、やっぱりお前だよな」でもたらされる。
  「この「中川、やっぱりお前だよな」が決まるまでは、誰かが教師をぶっ殺さなきゃならない。しかし、ただ殺すのも面白くないな、と。そしたら無理心中をしかけていくという考えが浮かんだ。そうすると芝居がうねって変わっていきますからね。出発点では中3に惹かれたということがありますけれど、もう70歳ですから自分の孫みたいな子供とっ捕まえて、やれ、走れー、死ねーってばかりやっているうちにオレは何だろう?ということに否応なくなるし(笑)」
  無理心中の構図は撮影も後半になり、教師キタノと生き残り生徒たちの対決シーンの時に取り入れられる。
  「中川典子(役の前田)はしっかりしてるけれども、なんかホワンとしてるんですよ。あの子独特のホワンなんです。そのホワンが実に無理なく生きるんだなあ。この子なら人を殺さない。ホワンと殺さない。それが天然にかなっているというかな。漱石の〈則天去私〉じゃないけど。漱石の小説に出てくる自然にかなったいい女の子ですね。自然にホワンと受け入れながらちゃんとしている」
  菩薩的な女性の理想像が深作にとってのホワンなのかもしれない。激しいバイオレンスがあるからこそ、もう片方には誰も殺さない少女の存在が必要だった。思えば「風の谷のナウシカ」のスーパー・ヒロインは、宮崎駿自身が指摘するように人を殺しているのである。ヒロインに十字架を背負わせた時から宮崎が「もののけ姫」に向かう準備はできていたのかもしれない。それにしても何故宮崎はドストエフスキー的な倫理のテーマでなく、良識的な文明論で子供たちを啓蒙しようとしたのだろう。深作はそうした誤解からきれいに免れている。
  「この素材は社会がこうだからということを突っ込まなきゃならない素材なんだけれど、突っ込むひま、ないんですよ。それに面白くないんだね。こういう社会だからこうなったと理屈を並べても。一切そういうものはなしって。それでドラマの底にウソが感じられるとしたら、オレがプロじゃない証拠だ、と」
  居直ったわけではなく、謙遜しているのである。他者を殺すというバイオレンスと対照的に「仁義の墓場」の主人公が「大笑い30年のばか騒ぎ」と言って刑務所の屋上から身を投げて死んでいく〈自死)のバイオレンス。これも深作の映画を貫くラディカルさだ。
  「死ぬのはいっこうかまわないけれど苦しむのはいやだという性がどうしてもありましてね。戦争末期逃げ回りながらそれがどんどん肥大していったわけだけれども、その一点でだけ(自死)に踏み切れない部分があるんだけれど、誘惑は人並みに感じましたね。今でも感じますけど。だんだん誘惑は深くなっていくんじゃないですかね。アメリカの銃社会のように銃が自由に持てる社会がちょっと羨ましく思う」
  それは青春期のロマンティシズムとは根が違うと深作は言う。
  「死ということへのロマンティシズムは感じたことはありませんもの。あくまでも殺されるということを前提においての自死です。日本のために殺される。それが宿命だ、と言われてきましたから」アナーキストの大杉栄が「華の乱」に登場する。生の喜びに満ちた人物だ。すこぶる明るい。大杉も深作も権威や教条主義が大嫌いだ。
  「彼は生きていることが好きだった。だから明るいんです。「美は乱調にあり」は、グサッとやられた言葉でしたね」

  

  深作欣二(ふかさく・きんじ)1930年、茨城県生まれ。53年東映入社。61年「風来坊探偵・赤い谷の惨劇」で監督デビュー。73年からの「仁義なき戦い』シリーズで東映実録路線の中心監督として活躍する。82年「蒲田行進曲」で各映画賞を独占。他に「華の乱」(88)、近作は「いつかギラギラする日」(92)、「忠臣蔵外伝四谷怪談」(94)、「おもちゃ」(99)。今回の「バトル・ロワイアル」は監督60作目となる。




戻る
inserted by FC2 system