佐藤浩市さんふんするバンダイは、ドラマとしては妨げられっぱなしのキャラクターですが、結局は彼の重いというものが全編きちんと貫かれてますから、途中で死んでしまうにもかかわらず、見終わった後も、彼が主人公であると観客の胸に刻み込まれますね。

石井:浩市さんとは以前、相米さんのラブホテルの時、あれが友情出演してて、打ち上げなんかで話をしたことがあって、白の上下を着てて、映画でのドーランと違って透けるような色白の美青年で7首を呑んでるって感じの印象が強烈でね。神を見だして血だらけで死んでいく酔いどれ天使のような村木をイメージしたことを覚えています。 で、先ほどミーティングとは別に、彼とは出演のOKをいただくために、二度ほど話し合いを持ち、万代の内実について話し合いました。 おそらく彼は悩んだと思うんですよ。僕の台本では、万代という男は白黒はっきりしない人間増でしか書かれてない。 物理的な意味で現金強奪を図手も、精神的にはどういう意味なんだろう。 それは出演交渉の時に、まず彼から聞かれたことで。僕はそういう人なんだとしか言いようがなかった。

万代は金もうけをして店を立て直し、次のステップにしようとかいう上昇志向は何もなく、あくまで行き詰ってしまい、何かをしなくてはいけない、命がけなことをやらないと生きている気がしないという、そういう形で追い詰められた男ですね。だから他の仲間たちにとってはイチかバチか、でも番台にとっては結構観念的な選択だったのではないでしょうか。

石井:彼もそれは分かるけど、それでいいんですね?と。あまりにもキャラクターを事細かく説明すると、彼はそれをきちんと上手に演じてしまう得る人だと僕は認識してましたから、 僕はその先を見てみたい、私程度の頭の中で作ったイメージのかなたに行ってほしいし、それを自分でも見てみたい欲張りなわけですから。 それで、あくまでもあいまいさを強調したんです。不条理感、というか。

根津さんふんする兵頭が、万代を日本人的と罵倒するシーンがありますね。途中で計画をやめましょうと言ってしまうあいまいなキャラクターを、あのセリフが象徴していると思います。 でも、一方で、そのあいまいさゆえに、彼に共感できるというのもあります。

石井:強奪物の集団犯罪ドラマにはプロフェッショナルを集めてのものが多いわけですが、皆あいまいな形でかかわっていく方が、私のようにお金は欲しいけど何のプロでもない、なんだかよくわかんないけど何となく生き続けている人間笑にとっては、その方がリアルなんじゃないかな、と。 で、あいまいな形であいまいに仕事が進んで、突然、殺人という絶対が起きて、一瞬にして空気が入れ替わる――そんなドラマ仕立てにしたんです。

今回、浩市さんと根津さんの芝居を見ていて、とても面白かったんです。浩市さんの芝居は表情一つとっても 10も20も感情を複雑に点滅、交錯させる。それは現代に生きている定まらない不条理感みたいなものを表しているんですね。

万代が死ぬ前に光也にキスするシーンは涙が出るほど感動的でした。

石井:台本では涙で顔をぐしょぐしょに濡らした三ツ矢が死んだバンダイにキスする。と、息絶えていたと思ったバンダイの目がふっと開いて、二人、目があう。 そうなっていたんですが、三ツ矢自体があいまいな人物設定にしか書かれていなかったものですから、本木君としてはそこまでテンション テンションが高められなかったんだと思います。わからないと。このシーンに関してはイン前からかなり話し合っては忌憚です。大本意は説得力がないかもしれないけど、とりあえずやってみないか、僕の頭の中には絵がちゃんとできてるからって。目の前で血だらけになって死んだ万代に会ったらその気になるから、抵抗はあるだろうけど一度やってみてくれ、と。 最初に出会いでお互い何かした惹かれるものがあっての再開、という設定でしたし、僕の定番で行けばひとめぼれ、だったわけですから。でもやはり納得できなければやらないのは、立場を変えれば僕も同じですから、頑固やなあ、と笑

もっと大切なシーンだという緊張感を壊したくなかったし、維持はってプッツンしたら、クライマックスですからね、説得できなかった僕が降参して、キスはやめて違う形でやろうとしたんですが、浩市さんから万代からキスするのじゃダメって提案があって、3人で話し合って結局その形でやったんです。 役者を説得できないダメ監督ではあるんですが、それでもこの映画の狙いは外れてませんでしたし、台本を書く際、その設定は考えてました。バンダイが明確にわかります・自分の傷を見せないで、例えば自分の城から遠く離れた新宿でバットなんか降ってる。 その彼が唯一見せる弱さ、ですからね。

あのシーンはいわゆる表面的なホモセクシャルではなく、ある種の男と女の関係として成立していると思いました。 もし光也からキスしていたら、そのあとの雰囲気ががらりと変わってしまったでしょうね。

石井:ことさらにホモセクシャルという意図はね。人が人を好きになることの不条理さというか、こういう関係性は劇画のころから、それこそホモじゃないかと誤解されながらも何度も描いてましたから。

確かに、あの名シーンがそういうくくりで捉えられてはたまりません。

石井:ちょっと説明しがたい心情というモノを、映画は撮れると思うんですよ。わかっていたら撮らなくてもいい。たけしさんと木村君のシーンも、あの二人は肉体も含めた日常的な愛の交換、表現なんですね。そう言った日常的な生きる孤独や不安、苛立ちから来る人は田恋しさ、と言ったどうしようもなさを、声高じゃなく、ストレートじゃなく、こういった娯楽作品に何げなく表現記できるようになりたいな、と常々思ってるんです。

石井:たけしさんの場合は、今回政策をお願いしたKANOXの藤本君という若いプロデューサーとの出会いが始まりで、テレビの台本の仕事をいただいてからお付き合いをさせていただいていた、KANOXの三浦プロデューサーとたけしさんとの人間関係で出演を承諾していただけました。 そのあとあの大事故だったわけですが、ダメだろうとあきらめかけていたんですが、情に厚いというか、三浦さんとの人間関係で、なんというか、頭の下がる思いでした。 これ以上何も条件を付けちゃいけないと思いました。出てもらえるだけで本当にありがたいわけですから。逆にたけしさんからの条件はどんな者でも受け入れようと。たけしさんは眼帯を外してもいいとまでおっしゃってくれたんですけど、僕は治りつつある身体を壊してもらいたくなかったので、眼帯はつけてもらった方がいいし、雨の打ち合いで濡れたらいけないから傘をさしてもらった方がいい。 その方が京屋という人間にとって殺しが日常、生きていくための、食べるための生活手段であるという狙いがはっきりしますし、最近の血なまぐさい事件を喚起させた一因のような、ゲーム的な暴力へのリアルな恐れを表現できますし。 たけしさんのあの自然体の芝居は、ブレッソンのらるじゃんのようなリアルさを目の当たりにして、あの恐怖感と言い、願って余りあって慄然としましたね。


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