限りなき可能性を求めて・・・
'83年7月より放映が開始された「魔法の天使クリィミーマミ」から数えて4作目、テレビシリーズとしては現時点でスタジオぴえろ制作“魔女っ子シリーズ”の最終作ともなっているのが、本作『魔法のアイドルパステルユーミ』である。
主人公・花園ユーミが“大人に変身しない”という点では前3部作と大きく異なる印象を持つ本作だが、それは作品の本質的指針からみた場合、実に小さな相違点に過ぎないことが判る。前3作が具有する個々の質的概念を振り返っていただきたい。「マミ」『ペルシャ」そして「エミ」......。スタジオぴえろ“魔女っ子シリーズ”に共通しているのは、恋愛感情に象徴される多感な少女の心の揺らめき、そしてその成長を、様々な登場人物背景描写に絡めながら実に繊細に描き込んでいる点にある。一般に、本シリーズが従来の“魔女っ子アニメ”にはないリアルな世界観を構築したと評される最大の故以であろう。
こうして考えた場合、大人への変身云々が真にドラマ上に活かされたのは、事実上「マミ」だけということができる。敢えて言えばその『マミ』とて、先に放映を終了していたプロ制作による『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の設定を引き継いだに過ぎないのだ。実際『モモ』の放映終了後、わずか1ヶ月というインターバルで登場した『マミ』は、開始当初、思慮の浅い一部のファンから『モモ』の模倣作品呼ばわりされたものである。誤解なきよう付け加えれば、双方とも筆頭プロデューサーが読売広告社の大野実氏、番組のメインスポンサーがバンダイなのだ。当然、企画者サイドとしては「モモ」で培われた視聴者層をよりスムースに継承し得る、新たな“魔女っ子アニメ”のプランニングに取り掛かることになる。第46話で終了予定だった『モモ』の番組延長が急遽決定された最大の要因も、そうした『マミ』準備期間のための、言わば“時間稼ぎ”であったろうことは想像に難くない。そうした諸々の事情に鑑みれば、「マミ」が『モモ』のイメージを踏襲しているのも至極当然。つまりは“大人に変身しない”という「パステルユーミの作品世界において、スタジオぴえろ“魔女っ子シリーズ”は初めて「モモ」の呪縛から解き放たれたのである。
無論これによって、主人公をひとりの少女としてあくまで捉え、その心情を丹念に描かんとするスタジオぴえろ独自の“魔女っ子観”が損なわれたことは決してない。それは第16話「すみれ色の初恋」第19話「花びらのステップ」などの秀作群を観れば容易に頷けるはずだ。考えるに、本作が目指した方向性とは、文字通り“正統派魔女っ子アニメ”への挑戦ではなかったのだろうか。本ジャンルの礎ともなった、東映動画の『魔法使いサリー』におけるファンタジー性、『ひみつのアッコちゃん』におけるコメディ&ペーソス・・・・・。近年の新作「モモ」や「セーラームーン」がシリーズ半ばにしてようやく悟ったように、当の子供たちにすれば、結局「魔法」あるいは「変身」そのものが“魔女っ子アニメ”の妙であって、大人への成長変身といラコンセプトには然程の魅力を感じていないということなのである。少なからず、本作はそのことに逸速く気付いていたのかもしれない。
果たして、ユーミに与えられた魔法とは将来的な“夢”を叶える力ではなく、空想の産物を実体化できる力。すなわち現在進行形の“夢”を具象化する、よりファンタジックなものへと進化を遂げた。それを荒唐無稽と断じてしまえば、もちろん身も蓋もない。荒唐無稽の精神もまた、本ジャンルにおいて欠かせぬ因子だからである。『パステルユーミ』は、前3部作で育まれたシリーズカラーを継承しつつも、スタジオぴえろとしてのまったく新しい“魔女っ子アニメ”を目指した、文字通りの野心作と言えるだろう。
惜しむらくは、本作を取りまく制作状況であった。これまでになく慌ただしい現場スタッフの変動、本来ならばメイン作監となるべき洞沢由美子氏のマンガ家転向・・・・・・。『エミ」終了と同時に、スタッフ間の緊張の糸が音を立てて切れたかのごとく、そのチームワークの乱れは放映開始第1話からして容易に窺い知れるほど悲痛な叫びを発していた。第5話のような佳作を生み出しながら、キー局・NTVでの放映が大幅に延期されたことも、結果的には計り知れないマイナス点となったに違いない。加えて、折りからのOVA人気も手伝ってか、絶対的支持層となるべきアニメファンもが離散。その結果、本作は実質2クールにわたる放映期間中、総集編エピソードが3本、リピート放映が1本という極めて消極的なシリーズ構成を余儀なくされてしまう。
だが、昨今の“魔女っ子アニメブーム”を鑑みたとき、『パステルユーミ』が試みた数々のベンチャー精神を、誰が否定できようか。近い将来、スタジオぴえろの“魔女っ子アニメ”がふたたびテレビシリーズとして復活することを、一ファンとして切に願わずにはいられない。
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