戻る
『第108回公演 俳優座 ハムレット』
前回は俳優座総出演、70人で演じたハムレットを今回はあえて山本圭を中心に、若い世代の俳優ばかり17人だけで演じます。 = インタビュアー:どうですか仲代さん。またハムレットを新しくやってみたいというような気がしませんか。
仲代:当時やっていて、また何年かたったらやってみたいな、ということは、それは、一人の僕がやるというのではなくて、 ハムレットというのは毎年たとえば俳優座なら俳優座で違う人がいろいろな形でやったら僕はとても面白いと思うのよ。 たとえば、僕が6年前にやって6年後にやって観たらまたなんか違ったものが出て来るだろうし それから今度の刑の場合はまた全然違ったハムレットになるだろうしそういう意味ではすごい幅があるというのか、 その辺がやはりシェイクスピアの面白さだと思うのですよ
圭:あの時は確か俳優座総出演でしたね。僕もあの時は王様のお付きかなんかでずーっと出ていてね。 また今度三神さんの訳でやるでしょう、だから頭に入っているんですよ。 見ていただいただけですけれども調子のようなものが分かっているんです。 それがズーっと出てくるんですよ。ずいぶん前のことだけど覚えているもんだなあ。
仲代:今度はどのくらいの時間に切ったんですか
圭:まだ正確には測っていないんですけども、三分の一ぐらい総体としてはカットしているようです。
仲代:そう。僕の場合はノーカット。
圭:いろいろ方々でやっているシェイクスピア劇でノーカットというのはほとんどないですね。
仲代:それをね、仙田さんがノーカットというのはほとんどないから…というのでノーカットでやったんだね。 だから、すごく僕が苦しんだのはその当時ハムレットという名前ですか、 そういうものに押されることとそれを4時間ぐらいにまとめなければならないのでスピード感、 それを要求されたというのが僕はやはり一番しんどかったですね。それで苦しんだという事がすごく勉強になったという事はありますけどね。
圭:ほんとに大変だなと思いましたね。
仲代:あのセリフに歌い上げる文章と日常会話というものの使い分けがあるんだが今度の場合はどうなんですか。
圭:割と今使っている言葉、口語体というのですか、うたい上げるようなことにはなるたけしないで昔の難しい言葉を使ってありますね でございますとかならぬとか、そういうものも全部ならないとかそういう今の言葉にどんどん変えていくという事なんです。
仲代:朗読法というやつが日本の新劇の場合伝統的にほとんどないでしょう。 そういうところが困っちゃうですね。
圭:そういう一つの重みというものを失わずに、何かより身近かに引き付けるという事がとても難しいですね
仲代:たとえばピーリオンの峰や・・・というの、ああいうようなことというのは、今度の場合どうなっているかわからんですけども 前の場合はあれを全部言っておったんですよね。そういうのを朗読として意識もできないし、と言って普通の状態では処理できないものもありますしね。 その辺がシェイクスピアをやるときの役者としての技術的な難しさと言いますかね。
圭:どうやってもなんか一つのパターンを決めるとか何々型とかなんかそういうことでやっていってもやりつくされてる部分 そういうことを目指すとちょっと落とし穴に入ってしまうのではないかなあという気がしているんですがね。
仲代:それからもう一つシェイクスピアというのは僕もそれほど研究したわけでもないけど読んでみるととても辻褄が合わない所があるんですよ。 もしかするとシェイクスピアというのは酔っぱらって書いたのではないかと思われるような部分がすごくあるんだな。 読んでいるととても分かんないけれどもいざやってみたり稽古してみたり 実際お客の前でやっていろいろ練り上げていったりなんかすると意外なところに発見するものがあるんですね。 とても矛盾していることが。だから人物として面白いのは、ハムレットにしてもとても矛盾しているところがあるでしょう。 ただ一般のハムレットという戯曲を読んでいないお客さんのハムレットというイメージは悩める青年とか映画で見たイメージとか そういう固定観念でかかってこられるととても困っちゃう場合があるんだな。 もっと複雑だし、もっとなんか矛盾した人間像だし。
圭:だから、どの時代にでも通用するんでしょうね。
仲代:矛盾しているねその点が。
圭:そういう点が今の環境とか人間の心理とかでいくらでも適用できていくものがある。 ふくらましていけていくらでもはいれるという事ですね。
仲代:お客さんも単に筋を追うという事ではなしに仲代のハムレットと圭のハムレットでどういう違いか、次にまた誰かがやる。 日生で平幹二郎がやるとか、そういうような楽しさ、そういうものもあるのじゃないかと思うな。
圭:今度は前とは対照的で俳優は全部で17人しか出ないんです。真澄さんが演出でどういう処理をしていくか演出自体も最初に考えていたよりはるかに面白いというのです。 いろいろなことが考えられる芝居だというのですね。仲代さんの経験ではどの辺が一番苦しかったですか。
仲代:そうですね、一番むずかしかったのはおふくろをなじるあたり、あの辺が一番シンドかったんじゃないかな
インタビュアー:ハムレットというのは復讐の悲劇の原型でありオセロというのは嫉妬の悲劇の原型であるというように お題目通りに見られるというところがあるわけですね。 ところがその中でに家庭的な問題もあるしハムレットの人生観とか当時の腐敗した社会、そこからはみ出した人間像とか様々の問題が含まれていますが 演出家なり俳優がどういうところに視点を置いてやっていくか、興味がありますね。
仲代:そういう幅があるという事ですね。新解釈という言葉がよく使われるわけですけれどもね。 新解釈にも、たとえば、どれにポイントを置くかという新解釈もあるし、 もう一つの新解釈というのは、原作をズタズタにしちゃって、何か変えてしまうという場合もあるわけでしょう。 だから、やはり俳優座なんかでやる場合は、原作は壊さないでおいておくわけですよ。そして、ポイントをどこに置くかという事だろうと思うわけだけれどもね。 だから、原作を壊さないでそのままやって新解釈というのは、役者はあんまり、たとえば演出論とか、どこかにポイントを置くという事にあんまりこだわりすぎると、 何か肉付けがなくなってしまうみたいな気がするんですよね。 だから、あくまでもハムレットは復讐劇であるという骨子から若い人間がいろいろと死に悩み 恋愛に悩みなおかつ復讐という事を貫徹していかなければならないという風に、だんだん成長していくみたいなことを
圭:そのことをわきまえてそれをどう今の感覚でもって肉付けしていくかみたいなことだと思うのですけどね。 これほど世界中で学者がセリフの一言に至るまで研究している芝居というのはあんまりないでしょう。 だから、稽古の途中からいろいろ研究書を読むのをやめたんですよ。 片やこういう風に書いている、片やこういう風に訳してあるという事でいっぱい出てくるのですよ。 たとえば、ここは一気に言わなければならないと書いてあるとそういう事だけにとらわれて 全然別なものになっちゃうような気がするしだんだんおかしくなっていくんですね。
仲代:なんというかその辺が役者がとっかかるときの難しさだと思うのですがね。ある人が言うんだけれども、 シェイクスピアのハムレットにしても他の作品にしてもシェイクスピアがその当時書いたままではなくて、色々変えていったんじゃないかという説もあるわけでしょう。 ただ、自由奔放であることは確かだよね。
圭:その幅があるという事がハムレットを見ている人が俺に似てたところがあるとかみんなそれぞれいろいろなところで 俺がハムレットであるという事を感じさせる芝居だと思うのですね。 なんか、だから、それだけ普遍的な広さと深さというものを持っているんですね。書かれて何百年もたっているんだけど、 俺もハムレットであるという事を感ずるところがやはり面白いのじゃないですかね。
仲代:やはりハムレットに対する各個人のイメージがあるんだな。ハムレット型であるとかドン・キホーテ型であるとか、 そういう風に言い尽くされてきた一つの自分のイメージがあるんじゃないかなという事になる。
圭:イギリスあたりでやるときはいかに固定観念というかそういうものの裏をかくかという事なんで お客さんなんかも二列三列目で見ている人などは有名は独白が始まりますと一緒にブツブツ言いだすんだそうです。 その間みたいなものを如何に外して俺はこういう風にやるんだという事でやるらしいんだけど、 外しても大体三行ぐらいあとではピタッとあってくっついてきて、ズーッとまた続けて言うというのですね。
仲代:それはやはり、しょっちゅうやっているという事と、伝統でしょうね。
圭:生活の中に入っているんですね。翻訳という問題も、ずいぶん大きな問題としてあると思いますね。
仲代:僕はちょうどハムレットをやる前に外国旅行して実際にエルシノア城へ行っていろいろ案内人と話をして実は来年日本でハムレットをやるのだと言ったらびっくりしたね。 英語でやるのかというから日本語でやるのだと言ったら驚いていました。だから、語呂合わせとかしゃれとかそういう面白さというようなものは、 ちょっと翻訳の場合、別なものになってしまいますね。 向こうのしゃれで日本人に通じない洒落というのもあるだろうし・・・・・・
圭:実にボキャブラリーの豊富なのには驚きますね。
仲代:だから、二人で書いたとか3人で書いたといわれるのは無理もないね。
「青年ハムレット」インタビュアー:古典劇を上映する場合、見る人は現代人ですからね、現代に視点を合わせていくかどうか、問題として一つありますね。
圭:たとえば政治と狂気とかよく言われますけれども、無理に今の状況に似させるとか、あるいは現代劇としてやるとか、そういう事ではなくて、 やはり青春というか、若い一人の人間が悩んでそれが成長していって、自分が行動に踏み切った時に死んでしまう。 その過程での悩みというか、人間の感情というか、情熱というか、そういうものはいくらでも今の生活の中から拾ってこれることだと思う。 しかし、いろんな意味で今度のハムレットで大切なのはデンマークは牢獄であるという事だと思うのですが・・・
仲代:やはり今圭ちゃんが言ったように、ハムレットというのには若者というような矛盾がありますよね。今笑っていたかと思うとすぐに泣くとか、 思考作用がぐーッと変わったりなんかするとか、そういうところがまた役者としても面白いのだし、そういう若さというもの、 そういうものが今の若い観客にアッピールする形の要素というのはすごくあると思うのですね。 体力だけは要るな(笑)
圭:それだけが気になるところですよ。
仲代:エネルギーの配分という事もあるけどね。
圭:体力が続くかという事ですね。僕もあまり丈夫なほうじゃないからね。
仲代:オセロをやったけど、セリフの量なんて半分ね、オセロのほうが少ないわけです。
圭:シェークスピアの作品の中で一番長いほうですね。
仲代:この前は4時間半でした。
圭:セリフは大変でしたね。
仲代:今度の上映は一年間ぐらいなんでしょう。それだけ長期でやるという事が大変いいことなんだね。 これが、たとえば一か月終わるという事になると、また全然つかみきれないうちに終わってしまうという事があったりするしね。 いろいろ毎日毎日再発見のようなものもあるだろうし、いろいろ試しみられるだろうし・・・。 僕もあと二年ぐらいしたらハムレットをまたやりますよ。(笑)
圭:何か大発見したようですね(笑)
仲代:圭が何年やってまた何年かたってやるという事は絶対必要だと思うな。 芝居というのはやはりそういう積み重ねとか、そういうものが大事なんだね。 これがアメリカのあたり狂言みたいに3年も4年も続けられると困っちゃうんだろうけれども。
インタビュアー:圭さんは、こういう古典劇をやるのは初めて・・・
圭:そうですね。もちろん群衆として後ろにつっ立てるのではいろいろありますけれどね。 だから、宣伝用の写真撮ったんだけどサマになんないよ。(笑)
仲代:あと稽古はどのくらいあるの。
圭:ひと月ちょっと…
仲代:僕もハムレットは案外少なかったですよ。スケジュールの都合で40何日でしたね。 セリフが覚えられないでね、当時のことを思い出すとおかしいね、家じゅうのセリフの張り紙をしたんだ。 ばあーッと書いてね、とにかく500幾つでしょう、そして40何日ですから、だから、やはりちょっと覚えようとしないと覚えられなかったですね。 お風呂にも張ってあるわけですよ、トイレにも。それに後日談で面白い話があるんだけどね。うちのお手伝いさんが見に来たわけだよ。 そしたら僕がやってるわけだ、あっ、あれはトイレに貼ってあったセリフだ(笑)というわけだ。さぞかし臭い芝居だっただろうね(笑)
圭:僕は今までの舞台ではハムレットの4ページ分ぐらいのセリフしかしゃべっていなかったから、どうなるのかなあというのでほんとに夢見ちゃうんですね。 舞台でせりふが出てこないという夢を見るんですよ。
仲代:それから、これはあるいは間違っているかもしれないけれども、たとえば僕のハムレット、圭のハムレットという事は、 ある程度自分に持ってきちゃう要素と言いますか、またそれだけに耐えられるものですよね。 だから、そういう意味で、すごく逆に言えば山本圭のハムレットであるという事はすごく素の状態で書かれるものがあるのじゃないかと思うのだね。
圭:それを見付け出さなければいけないんだけどね。(笑)『それが楽しみなんだ』な。
仲代:だんだんハムレット調になってきたよ(笑)
1971年2月26日