<大森一樹シネマラウンジ>第5回長谷川和彦

大森 最近、よく人から聞かれるんだけど、今の日本映画の状況というのは作家にとってそんなに悪くなってないんやないかと思うんですよ。ある意味では。

長谷川 それは、ある時期よりは......俺らみたいに好きなことをしたい作家にとっては良くなっているんじゃない。

大森 少なくとも俺が「オレンジロード急行」をやった時よりもずっと良くなっているような気が、俺はするんだけど。

長谷川 それはそうだ。「オレンジロード」は何年だっけ?

大森 78年。

長谷川 「青春の殺人者」が76年なんだよ。あれがほぼ始まりだよな。何者でもない奴が映画監督するという......

大森 具体的にはそうだけど、その何年か前に既に、映画会社は何を作っていいか分らんようになっとったとちがうかな。そういう時に、俺らがこういうものが当るんです言うて(企画を持っていったら(会社)鵜呑みにして進んだ部分はあると思うよ。

長谷川 そういう意味では、それ以後今日まで、新しいパワーというか、作家がメジャー三社と必ずしも幸せな出会いができてるとはいえないんだな。

大森 まあな。石井(聰亙)君の「爆裂都市」なんか、いろいろ聞くとそうみたいだね。

長谷川 ただ、それでも若い連中から見ればかなりいい出会いの筈ではあるんだよな。

大森 ところでゴジ(長谷川監督の仇名)は向こうから仕事くるってのは多いの?

長谷川 まあな、チラホラとは声かけてもらとる(笑)去年は東映の、「青函トンネル」で3、4ケ月潰れたかな。それと「敗れざる教師」に声がかかったが、この程度では仕事がくるとは言わんのだろうな。ただ、そうやってくる仕事が「青春の殺人者」と「太陽を盗んだ男」の間も含めて、こっちが目の色変えてやろうというふうにはなかなかならんのだよ。最初からもっと“カム・カム・エブリボディの気持にならんとさ。一番好きなネタをやりたいと思っている限り、結局は仕事というものにはなっていかない。

大森 逆に言えば、生半可じゃなくゴジは好きなもの、これやりたいって物があるんか?

長谷川 それがなかな見つからんから三年も経ってるんだ(笑)

大森 いざ何かと言われても無いんやなあ。こういうこと言っていいかどうか分らんけどさ(笑)心底これや、いうのはなかなか無いな。情況が少し良くなって、こっちが(映画会社に企画を)持っていって、現在はこれが当るんですって言えば、それでいけるんやという可能性がわりとあるというのはさっきも言ったけど、今までは、そうしたことって説得力が足りなかったでしょ・・・・・・例えば、何、若いもんが言うとんじゃいうふうに。それが今は、以前より分が良くなってきたと。で、それならと、一応考えるやんか。どういう映画をやればいいか、とか何をやりたいか、当るかどうか、勝てるかどうか、公開の大きさだとかあらゆる要素も含めて(映画会社に)出せる企画をところがなかなか、全ての要素を満足させるというもんは見つからん。

長谷川 (そういう情況が出来たのは)撮影所でコンスタントに映画を作るシステムがほぼ壊れたからな。

大森 だから、向こうは何でも持ってきなさいと言うてるやんか、一応、表向きは。でも、いざ何でも持って来なさいいう時期になって、持っていくものがないいうのは、かっこつかないよ。割りと、会社からやりなさいと言われたものを、ブゥブゥ言いながらやる方が、それはそれで楽なんやないかと思うこともあるよ。

長谷川 それは楽だ。割り切ればいいんだからな。うちの(ディレクターズ・カンパニー)メンバーの相米(慎二)にしろ根岸(吉太郎)にしても、何をどうやりたいからやるというんじゃなくて、声をかけてくれる者との出会いの中でベストアレンジを、自分でしていこうみたいな感じはあるよな。ただ、俺の場合、彼等と多少違うのは、自分で脚本を書いてきただろう。根岸とか相米のように、脚本を書くということをしなくて、きっちり監督屋さんをしようという、その意味で(彼等は)監督として優秀なんだ。ライターとの仕事の仕方なんかも、俺らより上手いんだと思うよ。

大森 うん。相米さんなんか見ていると特にそうやな。丸山(昇一)田中(陽造)西岡(琢也)ときっちり仕事やってきてるんだから、それは見事だな。

長谷川 ライターにとっても、自分でホンを書かない監督というのは、付き合い易いんじゃないかな。俺が初め監督できそうになった日活の「燃える7ハン」という流れた企画の時だけど、現役のライターが付き合ってくれないんだ。どうお前は(現場で)好きにいじるんだろう。あんたもシナリオライターだろ、自分で書けばいいじゃないか"と。俺はあの頃、結構、人の脚本書いていたしな。だけど、現場を監督するということ自体、脚本も自分なりに書き直すってことにどうせなるわけだから、1本目ぐらいは他人のホンが欲しいと思ったな。その時は、諦めて自分で書いて、で、明日の朝には一稿が上がるなんていう段階で流れちゃった。俺とかお前は、そういう意味で損なんだよ。

大森 うん書いてるもんな。せこく。

長谷川 ライターも元気出ないらしいぜ。こっちも、頼み方というか、一緒に仕事にやろうと声かける時に"俺も一緒にホンに参加するよ"っていう姿勢をどこかで見せるじゃないか。そうじゃなくて"俺は一切文字は書かんのだから。ダベリング、ミーティングはいくらでもやる。だけど書くのはお前一人だ"というのが、やっぱり頼まれた感じはするよな(笑)。俺だって、助監督やりながらライターであった時には、二人でホンなんか書けるかと思っていたもんな。(脚本も書く監督である)俺とかお前は、ライターには仕事の上では

大森 うん、嫌われている。最近、それに気づきはじめた。

長谷川 だって、脚本はお前が作らなければ誰も作れんのや”と言われるのとさ��お前がアカンかったらリリーフで俺がいるから"という感じでは受ける気持が違うぜ。

大森 すると俺らは、永遠にライターと上手く付き合えん監督なの?

長谷川 いや、俺は(レナード)シュレイダとやった仕事(「太陽を盗んだ男」)自体は納得してるけどな。

大森 あれは外人でしょ。助っ人みたいな感じじゃないの?

長谷川 あれもなんで外人かというと、日本のライターで、こっちが付き合って欲しい人で、付き合ってくれる人がなかなかいないということでね。所謂、売れっ子といわれるライターは、テレビも含めて来年の夏まで一日も(空いている日は)ありません、てなもんだろ。そうでなければ、志は高いんだろうが、あの人はまだ現役なんだろうかという年配の人でしょ。そうすると、相米と西岡が持同世代的な気分がない。かと言って、俺より若い人達との接点もその頃はなかったしな。それで村上龍を引っ張りこんでみようと思ったり、シュレイダーとやってみようと思ったのは、既成のグラウンドの発想からはみ出たものが欲しかったからなんだな。シュレイダーともアップ近い頃までトラブはしたんだよ。彼には、ここはこうすべきだというところがあったけど・・・・・・結局、撮るのは俺だから。俺の方が譲らないわけだよ。だからシュレイダーにとっては、必ずしも楽しかったかどうか―

大森 「青春の蹉跌」の時なんかどうだったの。ライター、長谷川和彦としては。この間、テレビでやってたのを久しぶりに見て、俺は前よりずっと感心したんだけど。

長谷川 あれは、あるライターのホンが前にあって、原作者とトラブルになったわけよ。それで、そのホンを下して一週間でゴジに一週間書かせる"ということになったんだ。しかないし、自分の学生時代の経験でもぶち込んで書くしかないわな。アメフトは大事にして、もっと別のオリジナル脚本でキッチリ使ってやろうとしてたんだけど他に手がなくてな。でもライターとしては楽しい仕事だったよ。例えばショーケン(萩原健一)がエンヤトットエンヤトット”なんて言うのは、俺の脚本にはないんだけど、あれで主人公の気分を韜晦してみせるところなんか、あれほど上手にやれた映画は、今迄を含めてあんまりないんじゃないか。俺、凄えなあと思ったもんね。自分が書いたよりは面白くなってなければつまらないじゃない。

大森 みみっちい話だけど、ゴジは、あのアイデアで多分一本撮れたな。

長谷川 まあな。だけど、ああいう風にしたかは分らんな。古色蒼然たる設定で―石川達三さんには悪いけど、原作そのものが「アメリカンの悲劇」の完全な焼き直しだしな。とにかくだな。お前も撮るのに)手間どるのは、ホン書くからだよ。やはりね、メジャーといわず撮らせる側、プロデューサーは監督さんが欲しいんだよ。相米とか根岸が偉いのは、ホンは書かないでも(脚本の中味にはしっかりかんで、ライターをコントロールできるからなんだ。しかし、俺は身内的に、多少の先輩として彼等に言うんだけど今だからこそ、お前ら(脚本を書いたらどうなんだ"と。今、彼等の情況はいいんだから。勿論、文字として脚本は書かなくとも自分の作家性を出していく監督っているだろうし、彼等もそうなんだけど、クマさんにしろパTキさん(藤田敏八)深作欣二)さんにしても、俺らより一世代上の、しっかり生き残っている監督たちは、自分で脚本を書く監督たちだったからではないかと思うんだよ。

大森 他人事のように)すると僕らなんかは生き残るんかねえ?

長谷川 (深い苦渋と悔恨の色を浮べて)このままじゃ。このままじゃ、どうしようもないね(笑)。このままじゃ、ほぼ駄目だね。

大森 乱暴な言い方すれば、映画にせんといかんことなんて、現在何もないんとちゃう?時々、フッと思うんやけど。

長谷川 お前とはバックグラウンドが違うせいもあるけれど、俺は作家的に撮りたいものがあるから映画監督になりたいと思ったんじゃないからな。ミュージシャンとか画家になるには凄い才能が要るんだろうけど、映画監督というのは普通でいいんじゃないのという―映画ぐらいなら俺もその遊びの中に入れ貰えるんじゃないか、と。

大森 俺だってそういうところはあるよ。

長谷川 いや、ちょっと違うんだよ。お前は最初8ミリを廻したろ。俺は8ミリというのは映画と思っていなかったからな。映画というのはシネマスコープで映画館のスクリーンにかかるものだというのが原点にあってさ。

大森 いや。だから、8ミリを廻し始めたけど、それとは全く別のところで商業映画007なんか見て、俺もああいう映画撮りたいなあとは思っとったんよ。まさか撮れるとは思わなかったけど。

長谷川 そうかな。俺はむしろ助監督になりたかったんだ。「網走番外地」の助監督やった人と話していて、この人ぐらいにはなれるんじゃないかと思ったんだ。作家的に、こういうアクション映画を撮りたいと思ったんじゃなくて、(高倉)健さんなんかと一緒に飯を食えるんならそれでいいじゃないかと思ったんだ。

大森 それ(8ミリを撮ること)は、俺の(007やりたい)願望と全然別のところにあって――だから「北京の55日」という映画で、ニコラス・レイいう監督がクレーンに乗って、スペインの砂漠の真ん中に北京城のセットを作ってるわけや。それを大俯瞰で撮った写真を見て、映画監督になったら、ああいうところに坐れてスペインの砂漠に北京が建てられるのかと思ったことと、8ミリを搬ったことは全然別やから。

長谷川 ほう、別なの?

大森 そらそうや。8ミリ撮り続けていけば、いつか、俺はスペインの真ン中の北京に坐れると思ってやったわけやないよ。かつて俺が007を見た劇場のスクリーンに自分の映画がかかって、初めてひょっとしたらあともう少しじゃないか、と思ったりしたぐらいやで。しかし、あの一枚の写真は感激的だっだなあ。

長谷川 どこで撮ってるかなんて意識して映画を見ていなかったなあ、......そうかなあ。そういう意味では、俺は原点が作家的ではないからな。それが問題だな。「映画芸術」が出た頃の随分古いものを持っているけど、(それを買ったのも)裸の写真がしっかりあるからでね。映画の本だといえば家の中でも転がしておけるという、そういう陰湿な高校生だったなあ。だから映画芸術を志向していたんじゃなくて、映画屋さん、活動屋さんになれれば良かったんだよ。その割りになんでだろうね。俺とかお前は自分の作家性というとオーバーだけど・・・・・・やたら何だか分らんけど固執しているものがあるな。要領が悪いのか、怠け者なのか......。

大森 それと、俺らの時代はいびつやったからな。映画やってますと言って、007みたいな映画撮りたいなんて言ってたらいかんのちゃうか、個人史とか情況論とかいうところで撮らんと、映画みたいな阿呆みたいなことやっている申し開きが立たんのではないかということがあったんや。他のやつらはなにせ、デモいってるんだから。今の大学生の8ミリなんか見ていると、そういうのって全然ないみたいで、よく言えばのびのびしてるんだろうけど、悪く言えば白痴化していると思わん?

長谷川 お前は結果、白痴化の尖兵なんだよ(笑)。昔の学生の映画はもうちょっと悪い意味でシリアスだったよ。お前の「オレンジロード――」は白痴化の尖兵になってるわけだよ。白痴化しないとメジャーになれない(笑)

大森 に続くということは白痴化することだ!これは、むしろ賞め言葉の感じであったわけだ。ただ予想に反して白痴化しすぎたのかもしれないな。

大森 それは心外やなあ。(といいつつも、俺はそういう屈折と、思い当るフシもある)白痴化の中間におると自分では思ってるんやけどなあ。あかんか?

長谷川 そんなこと言っていいのかね(笑)。お前も俺も同じことなんだけど、映画界の中に)きっちりいないわけだよ。フラフラしている。白痴的に一部好事家に好まれた「オレンジロード」があって、次が割りと分り易く情念が込められる医者の息子の馬鹿話があって――「ヒポクラテスたち」なんてようつけるなそれと「風の歌を聴け」だろ。

大森 ちょっと致命的やったかな?

長谷川 致命的とは思わんけどな。「風の歌――」でバックステップきったようには見えるね。お前は「北京の5日」でスタートした割りには、私映画を撮るんだな。

大森 それはさっき言ったように時代が時代だったから屈折してしまったんや。

長谷川 (「風の歌を聴け」の試写見た後、(佐々木)史朗さんとか荒戸(源次郎)とかと話したんだけど、俺は死ぬまでかかってもこういう映画は撮らないだろうし、撮れないなって思ったよ。

大森 ただ、ゴジだって「青春の蹉跌」を残しておいたら撮っていただろう。

長谷川 「風の歌――」だぜ。「ヒポクラテスー」は誰でも一回は撮れる自分のネタだけど。あそこまで”私”にこだわって――俺なんか照れ臭くてかなわんという気がある。"私"は見飽きているから、"私"でないものでいきましょうみたいなものがあるぜ。

大森 映画は、そうでないといかんのやけどな。確かに。

長谷川 そうとも思わんけどな..... .俺は、お前は秀れた私映画作家なのかなあとも思う。ただ、私が私として描くというのは8ミリの時からやってきて、30歳になっては私の内実というのはもうそんなに変化しないわな。それで今、お前は頭が痛いんじゃないかと思うんだな。

大森 なかなか鋭い指摘ですな。評論家みたい。俺も評論家ふうに言わせて貰えば「太陽―」で、ジュリー(沢田研二)と池上(季実子)の会話の中で親はもう殺した。なんて言わせるところはよくないんじゃないか、恥ずかしいよ。

大森 あれは冗談だからいいじゃない。2秒もかかってないよ。それはお前が思うだけで、誰もそんなこと言わんよ。

大森 そんなことないよ。やはりこれはが絶対いいとは思っているよ。そういう気分「青春の殺人者」の続篇であった”なんて鬼の首をとったみたいに言う人もいるよ。

長谷川 それは誰の映画でもそうだろう。

大森 だけど、あのセリフは言わんでもいいじゃない。変な安心感抱かせるよ。せっかく新しいヒーロー像を作ろうとしているのに。

長谷川 一人でホン書いていて、ああいう冗でも書かないと淋しいじゃない(笑)。ああいうのを弾みに書くんだぜ、冗談冗談って言いながら。お前だって自分で書いててあるだろ。

大森 そら、あるけどね。俺はいいんだ。そればっかしだから。(笑)逆に、ないと「風の歌――」みたいに"なんだ"って言われるんだよ。(だんだん笑いが自嘲的になってくる)でも、ゴジはちがうだろ?

長谷川 マジに言えば、(水谷)豊のなれの果てが沢田(研二)なんだというのはどこかにあるからな。かなり意図的にしたわけだから。一分かけてあんなことやったら恥かしいけど、たった2秒なんだからいいじゃないか。許してくれよ(笑)

大森 いやいや、どんな映画でも一カットが恥になることもあるんやから。

長谷川 厳しいな、オイ(笑)。しかしだな結果なんだかんだと言われても、俺らがコマーシャルな作家になっていないのは――

大森 ゴジは新聞の三面記事でコマーシャルをやってるから......

長谷川 馬鹿(笑)。それはおいてだな、お前と俺の自己主張というのは全然違うタイプのものなんだろうけど、俺らの割りと依古地な自己主張を、作らせる方は敏感に感じるものなんだよな。(映画会社は)企画はこういうものなんだからと言って、それをベストに――監督として自分の作品にして、しかも商売になるようなものにしてくれる監督さんを、皆んな一番望んでいるんだろう。監督の自己主張を見たいんではないんだということはあるんだよな。だけど、こっちにも撮り屋さんとして優秀なだけでもしゃあないじゃないか、というところがあるじゃないか。映画というのは、もうちょい我儘が仕事になると思って選んだわけだからな。自己主張して、しかも尚、興業的に儲かるというのは小さい形のヒットというのは俺もお前もあるわけだけど......自己主張が悪いんじゃなくて、もっと大きく当らなかったことが悪いんだ。

大森 自分が医者やってて―――

長谷川 医者の卵やってんじゃないか。国家試験に受かったようなこと言うな(笑)

大森 かりに医者やってたとして、まあ、映画やってるより金はいいだろうけど、こっちは10倍面白いことしてるんやからこっちの方が絶対いいとは思っているよ。そういう気分が絶対いいとは思っているよ。そういう気分だから、自己主張は、別にかまわんですよ、みたいなところもあると思ってるけどね。

長谷川 そう言っても、俺とかお前では信じて貰えないよ。お前なんか、たかだかテレフィーチャー一本、やりまっせ!と始めといて結局、作家的に悩んでゴーできなかったんだろ。

大森 そうなんだよな。あれは最近の、俺の痛恨事やなあ。

長谷川 大森は、日常的に馬鹿言ってるトーンから言えば、俺よりフットワーク良さそうに見えるじゃないか。(佐々木)史朗さんも言ってたよ”大森にしてできなかったんだなあ”って。テレフィーチャーを馬鹿にしたらいかんので、お前が今までやったものの中では、世間の人様の金が動くというのでは一番大きいことだったかもしれないよ。結構です、どうにでもコントロールして下さい”とマナイタの上の鯉のような、毅然としたプロの監督になるのは、そう簡単なことじゃないんだな。

大森 そうなりたかったんやけどな...恥ずかしいことに・・・(うつむく)

長谷川 なりたかったら、ならないかん。クマさんでもパキさんでも、平気でどんどんやっとる。

大森 割りと自分は、ああいうことが楽にできる人間やと思ってたんやな。それが、何故か、できんいう自分もおったわけで。

長谷川 やっぱり俺の方がお前より自己洞察力は汚れているな。俺は、でけんことは最初から受けんもの。

大森 ゴジの場合は、でけんかったことを自慢するんや(笑)

長谷川 いや、できんという自己認識力を自慢しとるわけだ。ドラマは映画でやる、テレビはドラマ以外のことなら何でもやるという方針を貫徹してきて、ドキュメンタリーでアカプルコまで行かして貰うて、(俺の)そっくりショー”かて視聴率20%も稼いだしな。その業績たるや大変なもんだよ(威張る)

大森 (項垂れて)俺は恥ずかしいよ。夜、寝られん時あるんよ、これでも。

長谷川 撮影所でプログラム・ピクチャーを作っていた頃会社がたてた企画で、監督をAにするか、B、Cにするかというところで、結局Cが監督することになるという経緯を経てきた人――パキさん、クマさん、サクさんにしてもそういう仕事を引き受けるのと、テレフィーチャーをやるのと類似点があるんだろうね。初めてのトライじゃないんだ。むしろ映画より効率のいい資金稼ぎになるかもしれない。俺なんか、もとはと言えば今平(今村昌平)浦山(桐郎)が悪いんだけど、彼等が監督として普通なんだと思っていたからね。四、五年たってから(にっかつ)撮影所でプログラム・ピクチャーも撮れる監督、パキさんとかに会って、こういう人も監督なんだって驚きだったね。その両方と付き合って怠け者向きのことを選んでるんだな。(高橋)伴明にはしょっちゅう怒られてる。お前、グジグジ色々言いやがるけど、本当に監督する気があるのかないのかはっきりしろ!(笑)俺なんか10日も監督してない立って仕様がない”って。

大森 森田芳光)君なんかはパッと鮮やかにやってしまうんやな。彼は三本やってまうんやぜ。俺、ああいう風にやりたかったんやけど・・・・・・

長谷川 それだったら「風の歌―――」はないだろ。「風の歌―――」はお前らしい、いい映画やけど、あれを撮ってすぐ次ぎまたーー

大森 いける計算はあったんやで、ちゃんと。

長谷川 お前、だいぶ甘いな。ほぼ自己認識というものがないな(笑)

大森 ーー俺は森田にもなれないし、ゴジみたいにはなりたくないし(笑)

長谷川 俺だって、いいカントクの方の見本でいけるんではないかという時期も、随分前だけどあったなあ。

大森 俺は、残念ながら日一日、確実にゴジに近づいているような気がして・・・・・・

長谷川 まだ一年やないか。俺より本数多いやないか。俺を見ろ、俺を。俺の心の救いは浦山桐郎一人だよ。死ぬまでに本数で凌げそうなのは、あの人一人だもんなぁ(笑)

長谷川 一本目の「青春の殺人者」は、自分の作家性なども良く分らずに、一本監督しないことには、この映画界ともサヨナラできないということがあった。土方助監督の10年分の落し前を、自分なりにつけてみるという......とにかく撮れればいい、と。それで、次が撮れそうだということになると、「殺人「者」で味わった興奮よりも、もう少し違う興奮を味わいたいという気分になるわな。製作規模的にも。一本も撮れていない時は、一本撮れればいいという強いものがあるんだよ。しかし、撮り続けるということは目の前でクマ(神代辰巳さんパキ(藤田敏八)さん見ていたからあれも結構消耗かもしれなないというのが、どこかにあるのかな。

大森 俺なんか、森田(芳光)さん見ていて、やるなとか、美しいなとか思うことはあっても、消耗には見えんよ。

長谷川 森田と、クマさんパキさんは違うだろ。森田にとっては撮影所は目新しく新鮮なグラウンドで、仕事しながら色々勉強さしてもらいまっせ、というのがきっとあるんだろうな......

大森 だけど、ゴジにとってのクマさん、パキさんと、俺にとっての森田というのは、やや似ているとちゃうかな。

長谷川 ただ、俺は彼らの助監督だったからな。その消耗と楽しさは見ているから。それにパキさん、クマさん、西村(昭五郎)さんにしても、会社から二、三年ホサれていた時期を持っていて、あのシンドサは二度としたくないっていうのがあるんじゃないかな。俺らだって――お前はまだ一年だけど――キツイなあというのはあるやないか。十年経って、お互いにあの頃はキツかったなあ、ようあんなに撮らずにいられたなあって言える日がー

大森 いつか、ほんとに言える日がくるのかねえ(笑)

長谷川 そういうふうになるとしたらなこの辛さみたいなものが俺は三年も撮っていないけど、そのシンドサのプラスもマイナスも分った時に、もっと撮るようにしようということになるんだと思うんだ。

大森 下の世代見ると、長崎(俊一)君とか石井(聰亙)君とか、二人とも、なんかある種の元気さみたいなもの感じるやん。

長谷川 石井なんか、今やロックシンガーになると言ってバンド作ったりしてやがるからな。プロデューサー(「逆噴射家族」は長谷川和彦プロデュース、石井聰亙監督で準備中)としては、喜んでいいのか、悲しむべきか頭が痛い。

大森 長崎なんか「九月の冗談クラブバンド」の後、二本も撮ってるからな。一本は8ミリで、もう一本はビデオで撮ってるんやけど、もう軽快にやるわけよ。アカンなあと思うよ。俺は長崎のように撮れへんみたいだし。

長谷川 長崎とか石井みたいに、素材によって、これは8ミリで撮っちゃおうといって撮れるのが作家だと思うんだな。俺は遊ぶ趣味が多すぎるんだ、やっぱり。麻雀狂いしていれば一年ぐらいアッという間に過ぎてしまうし。スポーツはなんでもやるし、お前なんか国家試験しか趣味ないじゃないか。

大森 それは大変ですよ。ゴジがテニスと麻雀やってる時間合わせても、俺の国家試験の勉強時間を比べたら、俺の勝ちですよ(笑)頭つかうもん。まあ(その勉強が)結果、面白いからやっているんだろうけど。僕だって、石井や長崎と同じように、8ミリカメラは持っているんだよ。

長谷川 しかし、お前の「空飛ぶ円盤パートII」(8ミリ)なんか、長崎にも恥ずかしくて見せられんだろう。

大森 あれを35ミリで撮らないところが、俺の節度やな。美徳や。

長谷川 そうやって自己賛美するから、撮らしてもらえんのだよ。お前とか俺のように、相手は貶す、自分は賛美する――それじゃ、誰が付き合ってくれるかよ。しかし、お前、今や俺と話しているとホッとするやろ。こいつにだけは劣等感を感じずに済む、と。

大森 いや、そんなことはないよ。(改まって)ゴジ、尊敬してる。

長谷川 今や、素直には聞けないな。

大森 俺、一年空いたことで、やや慌ててるやろ。ゴジを見ろゴジを。三年も撮っていないのに慌ててはいないではないか、と。

長谷川 最近は、しっかり慌ててるよ。一年ぐらいでは、まあだまだ!なんて余裕あったな。

大森 「風の歌を聴け」のクランクアップの日が、去年の9月11日やったんだけど、その日がきた時には感無量だったな。きっちり一年何もやらなかったなあって。

長谷川 それは思い出すなあ。メーデーがくる度に、"そういえば79年の今日は撮影なんかしてたなあ”(笑)と。そこそこに淋しいもんだね。“ひたぶるにうらがなしい”という感じでさ(笑)

大森 ゴジ、偉いと思うよ。そういう日を三年迎えたのかと思うと。正気の神経ではやっていけないよ。

長谷川 馬鹿!怒るぞ、この野郎(笑)。しかし、本当に偉い人は、その淋しさ、ウラ悲しさに耐えていくことで作家的に膨らんでいくんだろうな。抽き出し、押し入れには通らない企画書、シナリオが一杯たまっていたりしてさ。俺は、それがないのが辛いね。ジャンダコが増えるだけで、ペンダコ皆無だものな(笑)

大森 親戚一同、女房もいるのに、一樹ちゃん何やってるんだろう、というようになって(笑)

長谷川 責めてくれるうちが花だよ。もう俺の周辺では、言えば何か凄く残酷なことを言うことになるんじゃないかという(笑)沈黙があるね。真面目な話をすれば、ディレ・カン(ディレクターズ・カンパニー)を作ろうと動き出してから、ほぼ一年経ったよな。それで、一応形はできて活動も始めた。だから、俺はこの一年に悔いはないよ。お前も含めて皆んな(長谷川和彦、相米慎二、根岸吉太郎、高橋伴明、池田敏春、井筒和幸、石井聰亙、黒沢清、特別参加・大森一樹)がこの会社に参加したのは、その個人個人にとっての意味は微妙に違ってると思うんだ。運動理念で集まったわけじゃないんだから。ただ、俺にとっては、自分がよりよく撮れる為のグラウンドとしての会社だからな。

大森 ただ、振り返った一年より、これからの一年を思うとね......この一年で何もできんかったら希望はもてんよ。あるところまでいかせられる企画が何本あるか、ということなんだけど......

長谷川 それはそうだよ。一番ミニマムなところでは三本できた。(宇崎竜童監督宇崎泉谷しげる竜童・黒沢清脚本「さらば相棒」監督脚本「ハーレム・バレンタイン・デイ」高橋伴明監督宮田諭脚本「狼」ジョイパックフィルム配給で11月下旬より公開)。これがミニマムなトライだとすれば、マキシマムがどの辺まで拡がるかということなんだろうけど、一応は三百万から三十億までと豪語したい気はあるな。

大森 三十億いうのはリアリティないなあ。

長谷川 そうでもないよ。その場合は勿論、インターナショナルマーケットの話ではあるけどな。外国の銭も含めてやれば、三十億なんて中級作品だからな。それをやるのが大事なことなんだと言ってるんじゃなくて、その辺りまで視界の中に入れてやってみるのもいいんじゃないか。夢とホラはデカイほど良い(笑)しかし、俺も結構、焦ってきたよ。周りで、同じカンパニーの仲間がボロボロ撮っていると。

大森 今日の集まりに皆んな居てないのは何故か、何故俺ら二人なのか?というと、撮影に行ってるからとかこれ恐いね。

長谷川 監督の予定表の欄で、俺だけ真っ白というのも、結構、刺激的なもんだぜ。ところで、お前も早く何か企画出せよ。

大森 今、やっと念願のホン書いてるから、他の企画考えてられんのや。前から言うて遺伝子がちょっと間違えた為にミュータントができる話なんや。つまり宇宙からE・T”がくるんやなしに、細胞から“E・T”がくるんや。人間の細胞にはタンパク質に対する遺伝情報が、七百万通りあると言われてるんやけど、実際機能しているのは、その約10%、つまり七万なんや。だから、その使われていない六百何十万が何かの拍子に使われたら、とんでもない能力がでるかもしれん。そこをここ6ヶ月くらい勉強したんや。

長谷川 それは国家試験には出ないな。しかし、俺も次回作は既成の価値感と違うものをネタにしてやりたい、ということは動かないね。それが超能力かもしれないが・・・・・・映画の歴史というのは80年くらいかーーその中で優秀なのも駄作も含めて、コンセプトとしてはだいたいもうあるで。何と何が戦うのか、とか・・・・・・

大森 うん。出尽したという感じはあると思う。それが先にも言った、もう撮るべき映画などないということにもなるんやけど、例えば、戦いをひとつのコンセプトとすると、戦うことはあらかじめ分っていて、何と何を戦わせるかということを、我々はインプットするしかないわけやんか。

長谷川 だから、その何と何が戦うかというのがニューコンセプトなんだよ。みんな、それが欲しいんだよな。

大森 うん。キングコングと人間、ミュータントと人間、水底人間と人間とか、戦いを例にとると、そういうことになるやろ。

長谷川 具象的に、それは一番大事なディテールだけども、意味として何と何が戦うかということもあるわけだよ。「E・T」でスピルバーグが成功しているのは、オールドコンセプトのニューディテールだからなんだ。コンセプトは“ディズニー映画ですか?"というふうな非常に分り易い、愛されるコンセプトでやっているわけだよ。「二〇〇一年宇宙の旅」を最初に観た時のような”わぁ、何やこの映画は。よう分らんけど凄いなあ。もう一回見たろ”という圧倒的な興奮はない。そういう意味で、ニューコンセプトを見つけたいというのはあるな。「太陽を盗んだ男」もそういうつもりでやったんだけど、なかなかコナレが悪くて撮ってる奴が分らんのに、見る奴が分る筈ないよな。マア、みんな分っていたら撮る気は起らんしな。出来上りの映画が分っていて、客はこういうリアクションをするだろうというのが見えていたら、そんなもん面白いのかな。

大森 そんなこと言ったら、殆んどそうやんか。でも、もう宇宙人と地球人のコンセプトなんてやってもあかんやろ。笑われるで。

長谷川 俺「E・T」も「エイリアン」も面白かったな。客としては、どこかでレベルを越えているものは全て面白いと思う、素直な客なんだよ、俺は。「ポルターガイスト」だって、馬鹿にすればいくらでもできるけど見世物としては面白かったな。

大森 うん、あれは俺も面白かったよ。

長谷川 少なくとも映画は、見世物になっていなければいかんのだから、見世物として全うできた上で、どれだけニューコンセプトで遊ばせて貰えるかということなんだよな。コッポラの「ワン・フロム・ザ・ハート」がスピルバーグと対照的に大コケしたのは、撮影の方法論だけ、新しいトライをしてるだけなんだからだな。60億かけてやるか!あんなこと。ロケすればええやないか。日本なら6億やぞ。

大森 6億いうからゴジは駄目なんや。俺なら6千万でやるよ。日本で6億使ってあんなのやったらアホですよ。

長谷川 おそらく、(コッポラは)「地獄の黙示録」で天気にグチョグチョにされて、次は何が何でも全部セット、スタジオの中で撮り上げてみようと思ったんだろうな。ただ、自分の金でそういう阿呆のようにダイナミックなトライができるというのは羨ましいよな。一方には、スピルバーグみたいにコンセプト自体、作家性自体が非常に問題意識がないというか、あれだけチャイルディッシュな作家性も貴重なんだろうな。普通、あそこまで分り易いもの撮れなくなっているだろう。俺は、スピルバーグが本当はもっと難しいこと考えているのに、それを無理して易しく撮っているとは思わんな。彼が考えていることの総てなんだよ。彼にある人間的な悩みというのは、家庭の不和ぐらいのものなんだよ。映画の中で、それ以上の問題はたいてい出てこないだろう。美しい奴や。

大森 それで勝っているから凄いよな。アメリカというのは、一人の監督、ひとつの映画で経済界が動いてしまうんだからね。

長谷川 映画はビッグビジネスではあるんだろうな。「ET」、20億の投資で、どう少なく見積っても六百億になるそうだから。映画だけでね。それにノベライズ、人形とかがでて――これはええビジネスやで。

大森 それが総てなんや(笑)アメリカは車作ってるよりも映画の方が儲かるんや。

長谷川 日本の(映画)マーケットがアメリカの10分の1と考えて、2億で60億儲からねばいかん。まだ、我が日本映画界には、そういう前例はないもんな。

大森 「未完の対局」は、中国で一日、七百万人見たっていうんやな。「風の歌―」は有楽シネマで10週やって一万人や。そうすると(笑)七百万人に見せる為には、百四十年間、有楽シネマでやらなければならん(笑)

長谷川 (笑)そういう特殊と特殊を比較したってしゃあないじゃないか。やはり企画が勝負だからな。個人でいるより集団の方が、その面では粘れるからな。その為にディレクターズ・カンパニーを作ったんだから。

大森 まだ夢はあると思うな。何かとんでもないこと考えて、それ持っていったら金になるかもしれんという......

長谷川 うん。今、どのメジャーでも企画さえ良ければいつでも話を聞きますというのはある。俺らが始めた時は、守衛さんにまず挨拶してきなさいという感じはあったからな。ただ、映画の企画について本当に考えている人間の数が圧倒的に足りんのだよな。例えば漫画家の「ドクター・スランプ」の作者が25歳であんなに稼いで豪邸を立てたとか見れば、漫画家を志す人間の裾野は広がるよな。ロックのようなマイナーな表現でも、矢沢永吉になるんや言うてる人間の方が、大森一樹になるんやいってる人間より相当多い。

大森 長谷川和彦になったら終いやと思ってる人間の数と同じくらいとちゃうか(笑)

長谷川 俺の名前出して、そういうこと言うな(笑)しかし、偉そうに映画界を巨視的に見れば、やはり裾野は広がっていかんとな。泉谷(しげる)なんか、この間一本監督したけど、彼はもともと絵なんか描いてて、たまたま歌という部門が商売になって歌手ということになったわけだけど、彼にとっては役者も映画撮ることも一緒なんだよな。俺らなんかよりはかにオールラウンドなんだよ。俺ら作家表現として映画より他にないんだからな。その割りには少しノンビリしすぎとる。泉谷は、俺らを見ていると苛だってしようがないみたいだよ。表現者としても、やっぱり走っている泉谷の方が魅力的だよな。寝てたら、兎と亀じゃないけど置いてかれるわ。

大森 質と量の問題というのがあるやない。

長谷川 いや、量が少ないから必ずしも質がいいとは限らんしな。お前、これが恐ろしいところやで。ところで、長い付き合いのようだけど、お前と対談するのはーー

大森 ちゃんとしたのはーーこの対談がちゃんとしているとすればの話やけど初めてや。初っぱなは5年前、ぴあで喋ったのが最初やったな。

長谷川 いつも、どこかのステージとかテレどでの漫才か。どうしてお前と喋ると漫才みたいになるのかな(笑)5年前に喋ったこととどれだけ違うか面白いな。そうだ、ぴあ"の最初のフェスティバルで、俺ら二人が壇上で嘱望される若手監督A・Bという感じでやったわけやな。遠い昔やな。もう誰もそんなこんなふうにふうには呼んではくれないな。なったらいけない監督の末路A・Bだよ(笑)

大森 俺は、そういう風になるのが前から恐かったんよ。

長谷川 しかし、俺だって今度カムバックする時は凄いぜ。森田に負けんぐらいフットワーク良くして、バンバン量で勝負するからな。今まで、一本の(映画の)中で何もかもやろうとしたから撮れなかったんだよな。

大森 これが最後かとも思うやろ。

長谷川 この映画は、これだけの実験ができればそれでいいんだと、度胸決めればいいんだな。

大森 システムの問題として、次に撮る映画が決まっていればそうなるよ。

長谷川 しかし、次の次まで決まっていて監督するというのもなやってみなければ次の映画は見えてこないだろ。いや、こんなヌルイと言うとるからなかなか次すら決まらんのや。この間、相米(慎二)に四本ぐらい次の映画の予定をことさら当然のように実名挙げて聞かされたんだが、淋しかったな。つらかった。

大森 今度の(「ションベン・ライダー」)で、本数も抜かれる。

長谷川 軽く抜かれた。奴なんか、この後も(予定が)目白押しで待っている。俺は三年も空いて、次は何を、と考えているというのに......殆んど明るい話にならんな。俺が明るい話をしようとしているのに、お前が引きずり下ろすからいけないんだ。

大森 いや、ゴジ、人気あるで。映画雑誌の読者欄なんか見ていると、必らず長谷川監督の次の映画は"って出ているよ。まだ忘れられた監督にはなっていないみたいだよ。

長谷川 当り前だ!(笑)不幸せな人間には愛が集中するものなんだ(笑)(於・赤坂のビヤレストラン) 戻る inserted by FC2 system