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田山力哉 1991年
裕也が芸能レポーターの役を演じている「コミック雑誌なんかいらない」という映画を、 まだ20代のピンク系監督だった滝田洋二郎が撮っているというニュースを知り、私の胸は期待感で満たされた。 忘れもしない昭和60年11月28日、完成されたこの映画の最初の試写を見るために六本木の日活本社試写室へいそいそと出掛けた。 驚いたことに評論家、ジャーナリストは一人も来ていなかった。関係者らしい人たち数名が座席に座り、わびしく映写が始まった。 映画は無類に面白かった。掛け値なしの傑作だと思った。キナメリという名の売れっ子芸能レポーターに扮する内田裕也が、 冒頭から成田空港で女優に扮した桃井かおりを追いかける。「一言だけお願いします。」だが、彼女は何も言わずに税関に入ってゆく。 さらに当時話題騒然の三浦和義当人が出てくる。その彼に「国民を代表して…一言だけお願いします」 松田聖子の結婚フィーバーには、本当にレポーターに成りすまして式場のマスコミ群れの中に紛れ込む。 その強引商法がキナメリの売り物だが、それだけにタレントたちに嫌われ、一人で酒場に入るとぶん殴られそうになる。 だが彼はいかなる場合にも決して言い訳がましいこと何も言わない。芸能レポーターであることのつらさを口に出したこともない。 ただハードボイルドに芸能人を追いかける。ラスト近く豊田商事会長殺しの犯人に扮したビートたけしもぞっとするすごみがあったが、 裕也もまたその異様に怖い顔つき、どすの利いた声で迫力がある。こんな迫力のあるレポーターは現実にはいない。つい憧れさせてしまうような魅力がある。 とにかく映画俳優としての彼は個性的である、ユニークな味わいを持っている。 一瞬たりとも飽きさせないこの映画を見終わって、こういう作品をいとも簡単に見逃してしまう映画批評家、ジャーナリストの怠慢に腹が立った。 彼らには面白い映画に対する嗅覚というものがないのだろうか。 私はこれ以後、会う人ごとに面白から見に行くようにとPRした。やっと試写に人が集まりだしたようで、公表がぽつぽつ耳に入るようになった。 だがメジャーの映画各社はこの映画の配給を拒否した。私はあらゆるマスコミを使って、この映画の類まれなる面白さを力説し、 大手会社での配給を訴えたが、ついにどこも動かなかった。 東映などは実際のヤクザの出てる部分をカットすれば公開してもいいといったそうで、ふざけるんじゃねえと私は怒った。 結局61年2月1日に限られた劇場で公開されるに終わった。 ところが春近くになって、この映画がニューヨークで大好評だというニュースを聞いた。ざまあ見やがれ、である。 しかも5月のカンヌ映画祭の監督2週間で「コミック雑誌」が出品されるということも聞いた。 私は1972年以来、カンヌに招待されて参加し、少しは力も持っている。とにかく、この映画を絶対に盛り立てようと思った。 映画祭が始まり、カンヌの海岸通りを歩いているとき、私は人ごみの中に内田裕也の姿を見かけた。 私の方から歩み寄り名を名乗ってあいさつし、彼は丁重に応じた。これが彼との直接の出会いの最初であった。 映画祭も終わりに近い5月15日、「コミック雑誌」は海岸に面した旧メイン会場の1500席ある大ホールで上映された。 場内はほぼ満席、弱冠29歳という滝田監督はシャープな感じの貴公子で 「この映画には侍も芸者も出てこないが、これは紛れもない今の日本である」と落ち着いて語り、ロックの神様・内田裕也の方がかなり上がり気味。 しかしスピーチの最後に「ビバロックンロール」と叫んでリズムを取り喝さいを浴びた。 上映は大成功であった。各シーンに敏感な反応があり、強引な芸能レポーターの存在がこちらでは珍しいうえに、 三浦和義、たけしの迫力、山口組、ホスト部、松田聖子の結婚式などが非常にアピール。 キナメリに扮する裕也の強烈なパーソナリティもあって、皆が熱っぽく画面に没頭していた。 ラストで裕也のストップ・モーションになった瞬間に大拍手、スポットが浴びせられたが、裕也さんは座ったまま立てない。 隣席の私がキナメリ、立て・・・と数回にわたって叫び、裕也はやっと立ち上がり、 なんと割れるような拍手が5,6回に及ぶ。こわもての裕也が感動し目に涙をためているのを私は見逃さなかった。 まさに鬼の目に涙、だが私はいつもいかつい裕也に、実には照れ屋で、はにかみ屋で、純情で気弱い一面を秘めていることを知って大きな共感を覚えた。 終わった後、興奮冷めやらぬ裕也たち関係者と、グランド・ホテルのガーデンでシャンパンの乾杯。 私も他人事でなくジーンとした。最初の試写を見たとき、試写室に4人しかいなかった寂しい情景と、今の国際的な華やかな熱狂とかイメージにダブったのだ。 その時の暮れ、映画賞のトップをきる報知映画賞の審査員として私は当然、強力に内田裕也を推した。 「人間の約束」の三国連太郎らと競った後、私は何としても裕也であると力説。最終投票で主演男優賞は彼に決まった時も私は自分の事のようにうれしかった。 その授賞式の時、彼は何と警察官の制服を着て現れ、観客の喝さいを浴びた。 カンヌで照れて涙ぐんでいた時とは打って変わって、この夜の彼はひたすら明るかった。 終了後、新宿の二次会に皆で繰り出そうとしていたが、年末ぎりぎりの事でタクシーが止まってくれない。 そこで制服姿の裕也が道路の真ん中に立ち、両手を上げてヤーッと叫ぶと 車がすぐに止まってくれたというような笑い話もあった。天才的パフォーマンスの男である。