なによりもその圧倒的な面白さで日本映画の限界をことごとくぶち破った傑作カルト・ムービー『太陽を盗んだ男』が遂にDVDとしてリリースされる。そんなメチャクチャな要求を国家に叩き付ける冴えない中学の物理教師によるテロリズム・エンターテイメント。過激で破天荒なテーマと、「ナイター中継を試合の終わりまでやれ!」「ローリング・ストーンズの来日公演を実現させろ!」・・・自分一人で作り上げた原爆を手に、そしてなんと、それを期にあの伝説の男が公の場に姿を見せた。「青春の殺人者』('76)と『太陽を盗んだ男』('79)たったの2本、それも恐ろしいほどの殺傷力を持った2本の作品を残して忽然と姿を消した長谷川和彦。東大を中退して今村昌平の門下に入り、日活ロマンポルノを陰で支え、「20代のうちに自分の映画を撮る!」という信念のもとインディペンデントな映画監督の草分けとなったこの日本映画界最凶の「巨人」は、最後に映画を撮ってから22年が過ぎ去った今、一体何を思っているのだろうか?

僕は30なんですが、『太陽を盗んだ男』を初めて観たのが、確か小6か中1くらいにテレビで放送してたときで。そこで非常に衝撃を受けまして、その後の人生に多大な影響を及ぼされてしまったわけなんですが。

「まあ、それはオーバーだな(笑)」

いや、本当に(笑)。で、今回は製作されてから2年を経てDVDになるということで、この機会に初めて観る若い人はすごく多いはずですし、自分がそうだったように衝撃を受ける人もすごく多いと思うんですけども、2001年にあの作品がこういう形で公開のとき以来の数の人間に観られるということを、作られたご本人としてはどのような感慨で受け止めていますか。

「まあ、複雑ではあるねえ。それはまあ、ずっと撮ってないからね。だから、このあいだも記者発表で「これが新作の発表会なら嬉しいんだろうが』というふうに言ったけど、まあそのとおりで。ただ、何だろうな、作ったものが人に観てもらえることは、そのために作るわけだから形がどういう形であれね、そりゃ喜ばにゃいかんのだろうな。まあ、映画は入りがイマイチだったがこのDVDは売れてほしいね」

時間が経っても評価は残るんですけど、興行収入っていうのは記憶に残らないじゃないですか。僕なんか、封切りのときにそれほど当たらなかったというのを最初に知ったときにすごい意外だったんですよ、すごい評価されてる作品だったのでてっきり当時もものすごい話題になってヒットしたんじゃないかって思ってて。

「う~ん、これはもう大昔のことだからなんだが、東宝の宣伝部は自分たちのせいだというふうにはまあ、慰めてくれたね。“原爆�≠ニいう言葉を一切コピーにも使わずに最初宣伝を始めたんだよ。で、一応秋の大作だから春先ぐらいからもう宣伝始めてるわけで、最初のコピーが何だったかな、『すごい奴らがすごい映画を作った』というコピーでだね(笑)、まあ、『沢田が逃げ文太が追い長谷川が捉えるみたいなさ、なんかわかるようなわからんような、要するに何の映画なんだかよくわからないんだよな。で、イメージ・ポスターみたいなものも沢田と文太さんがアスファルトの上に裸で引っ繰り返ってるみたいなイメージのものでイマイチ伝わりづらくて。で、最初俺は自分で『笑う原爆』というタイトルつけてたんだけど、これがノーだったんだな、東宝では。そのタイトルを変えることと脚本の中のあるシーンをオミットすることが条件でプロデューサーが飲んできたんだ。そのタイトルのほうはまあ、なんかややこしい社会派映画のように思われたくなかったのかもしれない。でまあ、結果苦し紛れに『太陽を盗んだ男』というふうにつけたのも俺自身なんだけども、まあ、正直言うといつかまた戻してやろうというふうに思ってたんだな(笑)。だからまあ、原爆をジュリーが作って文太と闘争する話なんだということすら最初伝わらなかったからね。結果、封切りの2カ月近く前になったらやっぱり東宝の宣伝部の若い連中が、この映画で原爆っていうコピーを使わないでどうやって売るんだっつって造反をしてだね。やっぱり『すごい奴らがすごい映画を作った』と言われてもあまり宣伝としてすごくないと(笑)。で、こっちは撮影してたから宣伝のディテールまではよう知らんかったけど、封切りの直前にはメインタイトルより原爆のほうがデカかったな、『日本にも原爆を作った男がいた』みたいなさ」

最終的にはそうなったんですね。「うん。で、隅のほうに『太陽を盗んだ男』って書いてあるんだよ。だったら最初っから『笑う原爆』でいいじゃねえかと思うぐらいなんだけどさ。で、封切ってね、電車乗ってる女子高生みたいなのが喋ってて、「ねえ、観た観た?あの映画』みたいなさ、『ジュリーと文太のやつさ』とか、なんか俺の映画の話してるなあと思ってちょっと聞くと「そうそう、あの“太陽がなんたら"とかいう映画』みたいなね(笑)。でも、��太陽がなんたら�≠カゃ当たらないんだよ、やっぱりね、映画っていうのは」

文学的過ぎたんですかね、タイトルが。

「いや、というよりは要するに『太陽を盗んだ男』というタイトルがビチッと浸透してないってことだよね。だから、『太陽がなんたらっていう映画』と言うてるんで、「う~ん、ヤべえなこれは』とは思ったのがね、封切り直後ぐらいのことで。まあだから宣伝的にはそういう側面はもちろんあったんだろうね。だから封切ってある程度、やっぱり数字が1週間くらい経つと出てきてね。渋谷、新宿、銀座、池袋みたいなところは立ち見なんだよ。やったねえと思ってたら上野、浅草は人数数えれるみたいなね。その頃は上野、浅草が地方の興行のバロメーターだから、全国百何十館で封切ったら地方は負けたということだよね。だからまあそれを、小綺麗な言い方をすればいわゆる都市型の映画で田舎に弱かったんだという解説はできるんだろうが」

普通に考えると、『太陽~』みたいな原爆や天皇といった商業映画だったら避けるようなタブーがいっぱい中に入ってるラディカルでカウンターな作品っていうのは、それなりの予算と規模で、確実にそういうのを喜ぶ層に向けて作るほうがリスクがないと判断するんでしょうけど、長谷川監督の場合はあくまでもビッグ・バジェットでしかなし得ないエンターテイメントを目指したわけですよね。そのあとに企画を進めていた連合赤軍についての作品もそうですし。その根本的に矛盾したこだわりこそが、その後2年間ずっと映画を撮れなかった一番の理由のような気がするんですが。その、ある種のロマンティシズムというのはどこから来てるんでしょう。

「う~ん(沈黙)」

たとえば撮りたいテーマを今回は我慢しミニマルな作品で表現しようとか、そういうふうに考えたりしたことはこれまでなかったんでしょうか?

「う~ん、あくまでも映画はネタなんじゃないかねえ。俺のデビュー作は両親殺しの『青春の殺人者』っていう本当にロー・バジェットの映画だったから。千∞百万だからね、いくら2年前でもそんなもんで映画ができるわけはないんで、それはまあ、今村昌平というそのときはプロデューサーだった男が悪いんだが(笑)。スタッフ集めて「はい、今回は監督デビューの長谷川くんも主演の水谷豊)くんもノーギャラでやりますんでみなさんも安いギャラでよろしくお願いします』ぐらいの挨拶を無断でやりやがってさ、『汚ねえぞ』っつって怒ったんだが(笑)。ただ、これは要するに両親を殺すという意味は大きいけども、その画を撮るためにいわゆるスペクタクルな金がかかるわけじゃないわけでそれでもなんとかなった。でも、それじゃあそういうのばっかり撮ってりゃいいかっていうと、両親そう何回も殺せないしな。俺自身がいわゆるホラーが好きなわけじゃないから、ホラーが好きな人っていうのはそりゃあ両親以外でも、要するに怖いものを丁寧に作っておもしろく見せるっていうことができるんだろうけど。まあ、ホラーとエロっていうのは、やっぱり低予算でできるものの両巨頭なんじゃないかなあ。世界的にみても。だから苦しくなりゃあかホラーかというのはさ、まあ大体あるわけで。それは決して揶揄して言うんじゃなくて、実際この何年かやはりホラーで当たるものを作った人が力をつけてきたり、時代そのものがホラー的な感じがあったしね。映画は所詮見せ物だから、その見せ物の中で低予算でもアメリカから来る映画に負けないおもしろさを持ってるというとまあ、まずそういうジャンルが花開いていくというのはよくわかるしね。ただまあ、ホラーは怖いんだよね、俺は(笑)。怖いんだよ、怖いもん駄目なんだよ、楽しくないんだよ、観てて。やっぱり俺は、ロマンティックなアクション映画というのが好きなのかねえ。親殺しの映画も俺にはそうだったわけだよな。親を殺すシーンもあれはホラーじゃなくて、親を殺すというのはまあ大変なことだけど、それはある意味で万人共通の最大のロマンだろうから、しかもそれなら低予算でできようと。だからその後もまあ、いつも撮れないサイズのものばっかり考えてるつもりはないんだが、自分で普通に考えてこの映画は4、5億はかかるよなって思うものを「2億で撮るんならどうぞ」と言われたときに、でもやりたいかっていう。ま結果、それでも撮る人はいるだろうけど俺には無理だということが多かったんだろうね。それとまあ、悪い評判もあってね、ともかく長谷川っていうのはどうしようもない奴で、撮るのは遅いし、金なんぼあっても足らんように使うし、言うことはきかんし、まあやめとけあれは、みたいなのがさ。でまあ、それは100%間違ってるわけでもないかと思わざるを得ないところもあるし。『太陽~」にしたところで最初から3億かかるぞっつってやったわけだから。で、大体3億でできてるしね、観た人間がどう思うかだけど、3億にしては贅沢に見えるはずだよ」

そうですね。

「もっと意味なく金かかってる映画はあるしね。だから俺は自分が予算の使い方がそう下手だとは思わないがね。ただネタによってはやっぱりここまではかかるぞというものはかけないと。それこそハリウッドであの企画をやれば最低30億でやるわけで。それと同じ入場料で隣の小屋でやってるわけだから、そういうものと対抗して頑張ろうっつうときに、その企画によってはやっぱりかけるものはかけないと、それは最初から負けるというか観てもらえないわな。だから企画次第なんじゃないかねえ。それこそ1億5千あったら十分この企画はやれるしおもしろいよと思えるものにぶち当たればやるんだろうが、なかなか当たらないねえ」ここまで時間があいてしまったことによって、期待もあるだろうし、ある種伝説もありますし、その分だけ下手なことができなくなってるという「いやまあ、それは正直なくはないんだろうがね、なくはないんだろうがそれはもう5年目の頃も10年目の頃もそう言われてたしな。だからその指摘が外れてるとは言わないが、まあたしかにね、これやるぐらいならあんときあの企画受けときゃよかったじゃないかというのはよくあったよ。で、そんときにやっぱ何かやっぱりこだわってる自分というのがあって、何だろうなあ、やっぱり一人目の客は自分だからね。自分がおもしろいと思えないとやっぱりつまんないわけでさ。まあ、仮に俺がサラリーマン監督で、会社の命令でこれ撮れと言われれば撮らなきゃ映画やめなきしゃあないんだっていうふうな状況なら撮ったんだろうなあ。深作(欣二)さんなんかもそうだよね、言うたらいわゆる第二東映のB級映画で出た人だから、会社命令で何撮れって言われりゃあ、さあ撮ろうっつってどんどんやった人なわけで。だからそれはそれで、ひとつの共同体を背負って走ってるならやれたんだろうけどね。ただ俺のように日活に臨時雇いで行ったりはしてたけども、まあ、結局そこで撮れないこととATGでデビューしたことは関係があるわけで、所詮は自分一人だというふうに思ってこう、監督人生が始まった人間はね、自分だけになるわけだな、やるかやらないか。そうすっとまあ、自分もおもしろくねえと思うのに、どうせやりゃあどんな映画やったってスタッフにもキャストにも目一杯面倒かけるんだから、最初からおもしろくねえと思ってちゃどうしようもねえだろうというのがさ。まあ、それは贅沢なことなのかもしれないが、う~ん、それとそうだなあ、『太陽~』っつうのはなかなかきつかったからね、だいぶ長い間つきあったスタッフを失ったりしたから。今でこそもう笑い話になってまたつきあえる人もいるけども、結構ショックだったからね。要するに現場がきつ過ぎて脱落者がケツの頃続出したんだよ」

それは体力的にっていうことですか?

「体力と精神力は一緒だろうな、そういうときは。だからある助監督は「この映画なんか俺いなくてもゴジ(監督のあだ名)がいりゃあできるよ」っつって来なくなったりね、「それはおまえ、当たり前だけど何寝惚けたこと言ってんだ、ともかく夜中に酔っ払って電話しねえで、おまえもう3時間も寝れねえぞ」みたいなことを言って電話切ったのが最後、現場からも映画界からも消えたみたいな奴いるしね。だから、それぞれにみんなしんどかった理由はあるんだろうけども、どうせ俺は映画撮るとそうなってしまうわけで、そうなるのは別に仕方ないと思ってるから。でも、そうやって大事な人間を失う可能性すらある現場はやっぱ自分がやりたいもんでないともう嫌だっていうのはあるね。戦争ごっこみたいなもんだから、映画作るっていうのは。戦争ごっこはマジにやらんとつまらんしな。あと、やっぱり最初の映画の刷り込みっていうのはあるな。俺が最初に現場に行ったのは、今平(今村昌平)さんで「神々の深き欲望」だからね。何しろ1年目行って4カ月撮ったものを全部捨てて次の年に10カ月ロケした映画だから。で、それが普通だと思っちゃってるから。あれがそれこそ5日で撮り上げる若松孝二のピンク映画の現場だったら俺のスタンスももうちょい違ったんだろうがね。俺は今平さんの現場行って、これは俺に向いてると思ったんだ。なんだ、こんなにワガママでいいんだというか、むしろワガママでなきゃいけないように教わったから。ワガママであることが美徳である生き方なんていうのは、しかも自分は能書き言ってりゃいいんで、芝居は役者がやるんだし撮るのはスタッフがいるんだし、なんか俺でもできるぜみたいなね。その実感は今でもあんま変わらんからね。だから何だろうなあ、まあ、評判悪いよな(笑)。そんなに酷いことはないと自分では思ってるが、やっぱり酷いのかもしらんな、客観的には。でも20何年ぶりといやあ、あいつもそうだったんだな、「シン・レッド・ライン」の」

ああ、テレンス・マリックですね。あの人はたしか大学教授かなんか。

「哲学をやってるんだよな」

そうですね。だから、すごい素朴な疑問としてあるのは、長谷川監督は一体どうやって食ってるのかっていう(笑)。

「だから20年間、テレンス・マリックは大学哲学の授業をして食ってた、そして俺は麻雀をして食ってたんだな(笑)。まあ、食ってたんだろうね、最近はだいぶ減ったが」

それで食っていけるっていうのは、良くもあり悪くもありっていう(笑)。

「というよりは助監督やってる頃もそうだったからね。助監督やってる頃が一番強かったなあ。だって日活なんか給料出ないんだから、死ぬほど働いても。それで、あれいくつのときだ?2かなあ、年に8本助監督やって3本脚本書いてやっと年収100万超えたことがあるよ。そんときは自分をやや褒めたね、偉いと、おまえもよくやってると。しかし考えてみたらその100万で親子4人はやっぱり生活できないわけで(笑)」じゃあ撮っても撮らなくても、別に映画で金が儲かるわけではないという(笑)。「あ?いやいや、むしろ映画をやってるときが一番金がないねえ、麻雀する暇ないからなあ

ハハハハハッ!

「そうだよ!だから映画は困ったもんなんだよ!」

長谷川監督の作品で一番強く思うのは、日本映画、特に長谷川監督が撮られてた時代 の日本映画って観念的な作品が多かったと思うんですけども、長谷川監督の映画ってそういう意味で扱っているテーマがイデオロギー的、政治的なタブーを犯してたりしているにもかかわらず、非常にカラッとしてるというか、何かが言いたいために映画を撮ってるわけではなくて、所詮エンターテイメントとして撮ってるっていうところなんですよ。

「まあ、自分が監督として何が自信があるかっていったら、普通の客に一番近いってことだからね。人がおもしろいっちゅう映画は大体おもしろいよ、それを自分で撮るかどうかは別にしても。それこそ何だろうなあ、大学1年のときに「去年マリエンバートで」なんちゅうのを観たが、大半寝てたもんな。で、わかんないんだよやっぱり。わかんないっていうかそうすんなり入ってこないねえ。ただほら、資質としてはそういう映画が俺なんかよりすーっと理解できたりさ、楽しめる人が監督やったりする場合もたくさんあるんだろうけども、俺はまあ、やっぱおもしろい映画っていうのは誰にも全部わかってなおかつクエスチョンというかな。興味を維持できるクエスチョンがあるもんだと思うねえ。それにただわかんない映画は簡単に作れるからねえ。繋ぎメチャクチャにすりゃあ大体わからないからな。だからその、いわゆる映研的な難し映画は俺自身の質としてないということがあるだろうし、まあ、わかってなお謎があるのがおもしろいよなあ。謎というのは映画自体が謎を持ってなくても人間が十分謎に満ちとるからね。だから人間を描いてるかぎり全部わかるわけはないんで」

長谷川作品は常にショッキングなテーマ、世の中に対するカウンター的なテーマがあるというイメージがありますが、結果として映画を撮れなかった80年代90年代の日本の社会状況が、わりとそういうものを大衆もメディアも求めてなかったという気はしませんか?まあ、バブル崩壊前10年バブル崩壊後10年と言ってもいいと思うんですけど、そういう経済が中心になって政治的には保守化していった時代には自分の映画は必要とされてなかった、というような。

「う~ん、まあそういう考えはないけども、そう言われりゃあそうかなと思わんことはないなあ」

最初に「太陽~」が79年の映画って知ったときちょっと意外で、僕はもうちょっと前の、それこそ学生運動とかの余韻がまだ残ってる頃の気分を感じたんですけれども。

「ああ~、でも、それは実際そうだね。まだなんかヤバい気分がね、ちょっと残ってる頃だったんだろうな、今思えば。だから、逆に景気がいいとき人は現状肯定するわけで、この体制でいいんだっていう時代には、やはり資本の力で無言の圧力があるのかもしれないな。俺は政治そのものにはまったく興味がないが、だから時代の気分っていうことでいえば、俺のような気分で映画を撮りたい奴が時代と一緒に走れるところへまたサイクルがきてるのかもしれないね、そういうふうに言えば。うん、なかなかおもしろい考察だね、少夢が湧いてきたね(笑)。いや、そうすっと何だろうなあ、ロマンっていうふうにさっきあなた言ってたけど、そういう意味で言うと、これは不謹慎と言われるかもしれないが、なんかもっと社会がメチャクチャになんねえかなあと、ガキんときからずうっと思ってるんだよ、俺は何もない安全な日常というのが退屈で、退屈であることに理由のない怒りを感じるみたいなさ。みんなが日々幸せに楽し安定した生活を送ってることはロマンティックじゃないよな。だから普通の人間を描きたくはあるけども、それはその人間の非日常であって、普通の人間の日常を描きたいと思ったことはないね。それが撮れる人はやっぱりわりと低予算で撮れるんだろうけど」

これは想像なんですけども、長谷川監督は子供の頃から何やってもできちゃう人で、勉強すればできちゃうし、スポーツやればできちゃうし、ギャンブルやれば強いし(笑)。

「そうでもねえよ、いやいやいや(笑)」

世の中に対する根本的な退屈さ、倦怠感というのを抱えてきたんじゃないですか?

「う~ん。ただ、どんな人間でもコンプレックスはあるだろうけど、私小説的にそれが描かれていくことにはあんまり興味持てないんだろうね。なんとかそういうウジウジした自分みたいなものを映画と一緒に笑い飛ばしたいというのがあるんじゃないかなあ。「太陽~」なんかもまったくそうだね。あれもかなりウジウジした変な奴だからなあ。変な奴だけど、ああやって具体的な行動をすることで世の中を笑い飛ばしたわけだから」

『太陽~』のなかでジュリーが演じたテロリストはナイター中継の延長とローリング・ストーンズの来日を要求したわけですけど、たとえば今の時代に彼が現れたら、政府や世の中に対して一体何を要求すればいいんでしょう?

「そう、あの時代にもそんなバカバカしいことしかなかったけど、今はもっとないだろうな。実際リメイクさせてくれないかって話もあったけど、「やめたほうがいいぜ」って。それだけ社会自体が持ってるストレスみたいなもんが明解じゃなく、見えなくなってるんだよ。だから個人の気分みたいなところへ映画が入っていかざるを得ないし、入っていくほうが素直だと。それこそ多少身内褒めになるけど、黒沢(清)とか相米(慎二)みたいな、特に黒沢なんかずっとようわけのわからんと言われてたヤツが今、映画の規模自体はそんなに大きくなくても、自分の撮りたい映画を撮ってそれにお客さんが乗っかってくる、日本だけじゃなく海外でも受け入れられるっていう、そういう時代なんじゃないかな。だから俺のような単細胞が作る映画は難しいよなあ」

でも、たとえば「太陽~」でも、バスジャックであったりとか、原発であったりとか、扱ってるテーマ自体は形を変えて現在まで残ってるというより、むしろよりシリアスになってる問題だったりしますよね。「~殺人者』の親殺しにしてもそうですし。そういう意味長谷川作品というのは、その当時の時代の気分を捉えていながら、同時に普遍性をも獲得していたことが現在になって証明されたと言えるんじゃないでしょうか。当時から極めてモダンな作品であったからこそ、今なおモダンであり続けているという。

「う~ん、まあ、それは人が決めるこってなあ、自分はモダンというふうに別に当時も思ってたわけじゃないしねえ。素直にやるとああだっただけなわけで、これはやってみんとわからんね。それこそ「~殺人者」なんかは音楽作る金がねえからヤケで英語の歌そのまま使ったりしてみたんだが、今もう逆に普通だよな、テレビドラマでもいつもBGMのように英語の歌が流れてるしな。あれはあれで気味悪いけど。まあだから、それは今撮ってみないとわからないが、まあネタだからな、映画は。要するに勃起できるネタさえありゃあいいんだよ(笑)、「そりゃあおもしれえぜ」っていうふうにワクワクできてれば映画ってのはできるわけで、うん、やっぱネタをもっと、どういうんだろうな、追い詰められる必要があるんだろう。さっきのあなたの言い方だと、ちょっと俺がひねくれた贅沢もんだとすればね。まあ、とにかく生き急いどったからね、当時は勝手に自分で夭逝願望みたいなもんがあって、早死にすると思い込んでたからなんだろうが、もうそれから20年経つと夭逝じゃなくてもうその辺にエンドがきてるからね。マジちょっと正直、本気で焦る気にはなってるね。だからまあ、やるだろう、ここまでくればもういい加減に(笑)」

お願いします!

「おう(笑)」

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