ホラが現実になった!
植草 ディレクターズ・カンパニーの旗挙げはいろいろな意味で映画界に波紋を投げかけましたが、その内容はあまり理解されていないと思うし、メンバーの監督たちが一方的に気?を上げているという印象が強いようです。そこで、組織の中枢であるフロントの考え方も入れて今後、どのように組織が運営・展開されていくのかを考えてみたいと思います。まず仕掛人の張本人であるゴジ(長谷川)さんから発言して下さい。
長谷川 長谷川個人でまずいうと、映画監督というのはなかなかうまくいかんもんだというのがあったんですよ。昨日今日のことではなくて、自分が監督になる前から映画がうまくいかなくなって、この十年くらいにメジャーが撮影所を切り離す方向に動いてきた中で、映画監督もフリーにならざるを得なくなってきた。フリーはフリーで気楽な部分もあるが、どうも一人でいることのマイナスも感じる。多分に怠け者のせいもあるけど、それこそ企画ひとつ通すのも個人でできる限界があるし、好きな映画を撮りたいことだけは、どんな状況に置かれて監督も共通しているに違いないから、別に矢が三本になったから三倍強くなるとは思わないけど、力の貸し合いがあっていいんじゃないかと思った。
植草 コッポラ、フリードキン、ボグダノビッチたちが作った同名の組織に触発されたということはあるんですか。
長谷川 それはないね、アメリカの監督のように、一本成功すれば非常に大きな展望が開けてくることは日本ではほぼないだろうし、今の映画状況がそう簡単に変わるものじゃない。だとすると、彼とは違う方法論での力の出し合いがないと、しょせんは芸者稼業、お呼びを待っている芸者に過ぎんのではないか、ということになるんだね。
植草 動き始めてからどのくらいたつんですか。
宮坂 登記その他の法律的な手続きは六月末ですが、実質的な活動を始めたのは九月初めですね。
長谷川 企業で育った監督は別にして僕を含めて一応監督といわれるようにはなっているが、やり方はこれから自分で模索していかなければいけない連中が集まれば、悩みは共通しているからもうひとつ面白い映画との関わり方ができるんじゃないかと、やや夢のような気分はずいぶん前からあったんですよ。例えば、五、六年前だと俺が一番若いといわれていたけど一人でやるのもかったるかったし、やっても今までの監督個人の独立プロ、一監督独裁の独立プロとあまり変わらない。そうではない、もうちょっと有機的な利潤追求のカンパニーができないだろうかと思うようになったのは、やっぱり俺より下の若い監督の台頭だよね。年配の監督さんが撮られたものに刺激されて映画を撮りたいとは思わんけど、集まったメンバーを含めた若い連中が撮ったものには、俺ももう一回きっちり映画をやりたいという気分にさせられたんだね。ただ、いわゆる運動理念で集まる運動体であったり、ユニオンであったりを目指してはいないから、金というドライな部分がなければシステムとしては成立しないだろうと思った。それと、監督以外の人材の参加を募っていけるかどうか、難しいだろうが、ダメモトでホラを吹き始めたのが一年半くらい前かな。
植草 その反響はどうでしたか。
長谷川 思いはよう分かるし、できたら面白いだろうができないでしょうとかね、そんな訳の分からんものに金を出す人間はいないだろう、監督はどうせ我がままだからそんな連中が群れたってうまくいく訳ないとか、当然こっちが予想したような反響が返ってきたね。ただ映画というのは人の夢だからなんだろうけど資金的なバックアップをしようとい人が出たり、宮坂さんのようにまったく別なグラウンドにいた人がその仕事をやめて、本気で経営に参加してくれるということがあったからね。とりあえず九人の監督が、鉄の団結は望むべくもないけど、鉛の団結くらいにはなった。
高橋 俺は、若干ゴジとは考えが違っていたんだけど、ピンク映画界で組織を作ろうとしていた矢先だったのね。だけど同じ映画という土俵でワクが広がるだけだし、やろうとしていたことはほぼ同じだから、すんなり入れたんだね。
植草 根岸さんはその頃、日活の契約監督だったんですか。
根岸 辞めてすぐだったかな、話してた頃は。だから再契約するにも生理的に抵抗感がまずあった。と同時に新しい組織でどんなことが生み出せるのか、思いついてやっていくことは悪いことじゃないんだけど、やるからにはどっかで勝たなければならない。だから、あわてて作らずに試行錯誤しながら、話し合っていくうちにやっとできる、というようないい感じになっていると思いますね。
植草 連帯意識みたいなものはかなりありますか。
根岸 別に集まったからといって、業界の人が思うほど世間に対する力も何もない訳ですよね。去年は割と若手抬頭の年といわれたけれど、その反動は今年大分あったと思う。だから、自分たちの気分が上がってきたなというのと同時に、シビアな現実とを両方計算しながら、シビアな状況の上に気分が乗っかるようにするためには、次の展開が当然必要だとみんな思ってたと思うんですよ。
植草 メンバーはどんな基準で選んだんですか。
長谷川 九人のメンバーに関しては、あんまり深く考えてなかったんだよね。考えるとキリがないからなんだけど、単純にいろいろなジャンルからのメンバでありたいというのはあったね。根岸や池田、ちょっと変わっているけど相米俺まで含めて日活という会社は知っている。八ミリがスタートだった人もいるし、ピンク映画がスタートの人もいるという、ある幅を持たせたかった。ただ日活OBの会にはしたくないし、かといって自主映画の会とも違うだろうと。それと、自分とは違うバックグラウンドの人から得るものが多いという感じが実にあったので、それは何とかしたかったんだね。その辺の、多少つき合いがあったりなかったりした連中で、声をかけやすいところからかけてみたという感じかな。声をかけやすいことに無意識の選択が働いていたかもしれないけど。それで意外だったのは、お互い同士は案外知らないんだね。根岸と石井が会って「初めまして」という感じで、狭い割にはつき合いがないもんだと思った。
高橋 俺が知らなかったのは黒沢(清)だけだったね。
長谷川 しかし俺とボン(高橋)とだって、その前に一回マージャンをやってるくらいのことだったな。そのくらいつき合いがない訳だね、監督同士というのは。非常に孤独な人種で、朝起きて、今日どうでしょうかというように、誰か監督に電話して会うなんてことのない人種でしょ。だけど、映画を見て刺激を受けたり、一本の映画を巡って話せばいろいろな展開はあるんだね。外部から見ればもっと繋がってるように思えますけどね。ですよ。それで一本の映画を誰かがスタートさせた時にも、同じ業種だから、そうそう口をはさまないしね。
長谷川 よっぽど親しくないと、人のシャシンに意見をいうなんてことはないな。例えば、俺の助監督をやってた相米(慎二)が一本撮るときに脚本を読んで意見をいえというからいったりするけども、それくらい近くないと失礼だという感じがするんだな。それと、どうせお前の映画だから何いったってしゃあねえじゃねえか、みたいなのもあるしね。
根岸 サークルというと淋しいけど、会社になればどっかでそういうのもできるんじゃないか。非常に民青的な発想だけど(笑)。
高橋 面白かったのは「TATTOO〈刺青〉あり」の試写にみんなゴロゴロ来て、それをサカナに二時間くらい話したでしょ。そういうのは今までなかったな。
長谷川 ロマン・ポルノの初期にややその雰囲気はあったよ。それこそ小沼さんと田中(登)さんがお互いに助監督をやり合ったりした時期があったんだよ。その頃は試写室がいっぱいになったり、終ったあと食堂でその試写について熱っぼく語り合ったりしてたよ。そのくらいしか俺も知らんもんな。映画の話なんかせずに、マージャンやって酒呑んでちょっと関係ない人の悪口いって、サヨナラというのが多い。
植草 同業者同士、批評し合わないという暗黙の約束事でもあるんですか。
長谷川 というより、それほど気分が高揚しないからなんだろうな。だって、「そういうなよ、あんなもの順番で撮っただけじゃないか」みたいな返事しかない時もあるでしょ。それと、作家的に頑張っている、一家を成している人は、今平(今村昌平)さんでも大島渚さんでも自分の小宇宙を作っている。監督といえば今村昌平しかいない世界なんだな。俺はそういうところがスタートだから、未だに監督というと今平さんというのがどっかに残ってるね。その意味じゃこういう時期、こういう年齢がそれぞれのバックグラウンドを持っていて、一番偉いのは俺だと皆思いながら、しかし、あいつは俺よりもここが凄いという感じの出会いは、貴重なんじゃないかな。
面白い「会社ゴッコ」
植草 社長の宮坂さんは広告代理店の博報堂に十三年間、勤めていたと聞きましたが、エリート・サラリーマンがドロ沼に飛び込むという感じはありませんでしたか。
宮坂 いや、そんなことはないです。皆さんずいぶん大層なことみたいにおっしゃっていただくんですけど、私自身は会社に入って何年かたった頃、十年をひと区切りにして自分を意識的を変えたいという気持がありまして、この話が耳に入る前に、機会があれば何らかの形でアクションをとりたいなという心の準備があったんですね。だから極端なことをいえば、ディレクターズ・カンパニーでなくてもよかったのかもしれない。それにしでも何でもいいという訳ではありませんから、自分が飛び込んでもいいという気を抱かせる何かはあったんだと思います。若い頃はずいぶん映画は見ましたが、それにしたって人並以上に映画青年だった訳ではないんですけどね。ただ、私の興味が監督さんたちの興味とちょっと違うのは、博報堂で十三年生きてきたというその体験を生かして、何かをやりたいということですね。経営だってそんなに分かっているとは思ってませんが。
植草 過去にも何度か監督が組織を作った例はあるんだけど、例外なくうまくいっていない原因はフロントがおろそかにされているということにつきると思うんですが、その辺はどう考えましたか。
長谷川 お金を出す人はほぼ見つかった。しかし、身を投げ出してこの会社の経営をやろうという人間がなかなかつかまらなかったわけだよ。俺もちょっとヤケになりかけて、暫定的に俺がやろうかといったんだけど、これは全員一致で反対された(笑)。そうやってグジュグジュしてる時間の中に、晴天の霹靂のように宮坂さんが現われたのね。しかも、そのままいけばサラリーマンとしてのちゃんとした人生のある人が、それを投げうってでもやってくれるというのは、逆にいえば俺のホラが別の世界の人にとってそのくらい魅力があるのかと、元気づけられたね。この人が本気でやろうというのなら、俺のホラもそうダメじゃないんじゃないかという気になって、はじめてリアリティが出てきたね。宮坂社長の役目というのは何か分からんけど、悩んだり、クヨクヨしたり、金を作ったりということだと思うんですよ。たまたま僕がこういう役目をやるんだ、と。それだけしかないんですよ。
植草 今の映画状況の中で、つまり映画を作っている組織の経営を安定させることは、どんな仕事に較べてもこれ以上の挑戦はないという気がするんですけど
宮坂 それははっきりいって、最近ファイトを燃やしているつもりなんですけどね。できるできないは別として、何とか成り立たせてみたい、と。ただ、僕のいた業界とこの業界は漠然と近いという意識はあったんですが、似て非なるものというか、まるで違うという気はします。広告代理店に入る人間はクリエイテブに興味があるもんですが、実際には物を売らなければいけない。そこから出発するわけで、その方法はおのずと確実に決まってくるんです。その範囲でどうよくするかということだけでしかない。映画はむしろ、どう売るかもあるけれど、どう作るか、だと思うんです。そのどう作るかという興味が、代理店の人間にとっては本来の目的意欲をえらく増幅させてくれる。
長谷川 映画界以外の知恵も力も欲しかったということの、一番近そうで遠かった箇分ですよ、広告代理店という発想はやっぱり映画自体は企業でも何でもない、家内工業でこんなに閉鎖的な社会はないね。自分たち以外の世界の人の発想とか知恵とかを、ほとんど知らない訳でしょ。だから、映画以外のジャンルの人が映画界に入ってくるのはずいぶんいいことだよね。金も含めて知恵が導入されるんだから。それこそ俺も日活にいた頃は映画界といえば、日活の調布村しか知らなかったんだから、宮坂さんのようなバックグラウンドの人が社長として参加してくれたことで、夢が持てるんだね。ずいぶん違う発想があり、展開があるんじゃないかと。
植草 他のメンバーの監督はフロントについてどんな考えなんですか。
根岸 僕は極端にいえば、どこの人でもかまわないと思っていたんですよ。ただ、何か新しいことを始めるには映画という枠内の人よりも枠外でやって来た人の方がいいのではないかというのはありましたね。その人が持っている映画人的でない発想が監督集団を刺激したり、「分かった分かった」ばかりではなく違った意味での話ができる人間、そういう人間関係の広がりが、僕らがこれから始める一番大きなことだと思うんですね。今は大して動いてないから何とも結論は出せないけど、今現在でいえば、この人選は間違ってなかったな、という気はしますね。
高橋 宮坂さんの年収がどのくらいあるのか知らんけど、社会的に認められつつある人がそれを捨ててディレクターズ・カンパニーに参加するという、その気分だけで俺はノリだったね。経験ないか分かんないけど、普通の人にとってああいう世界は安住の地なんでしょ。
長谷川 フリーの映画監督といえばきこえはいいけど、一種の浮浪者だよね。だからその浮浪者の組織にホント来るの?というのがかなりギリギリまであったね。あの人、会社のゼニでも使いこんで居づらくなって辞めなきゃいけない人なんじゃないかと、話だけ聞いたら思ったっておかしくないことだよ。それが惜しまれて辞めて来るというのは何なんですかね。
宮坂 何なんでしょうね。
根岸 監督は普通、一本の映画をめぐって動いている。それが映画ゴッコだったら、会社を作るという会社ゴッコも面白そうじゃないかという気分が、多少はあると思うのね、みんなに。その「ゴッコ」に、僕らにはよく分からない会社というところから来る人が現われたのがまず驚きでさ。だから、会社に対して素人な監督と、映画に対して素人な経営者がドッキングして、面白い会社ゴッコができる(笑)。不謹慎な言い方をすればそういうことがあるんでしょうね。
長谷川 人生を変えてみようかという気分はベースにあった訳ですか。
宮坂 それはありますよね。ただ代理店の営業は今、プロデューサー的な要素が凄く求められつつあるんです。だから面白さはあったんですが、楽は楽ですね。はっきりいってこんな楽な商売はないくらい、販売しやすい。その意味で楽じゃない商売がけっこう嬉しかったりしてね(笑)。
長谷川 俺より異常な人だよ。俺だったらたいてい辞めてないね。だってもったいないというか、面倒くさいしさ。
植草 その代理店的な発想ででき上がったものを売るのか、売れるものを作るのか、経営者としてはどうなんですか。
宮坂 それも、さっきから素人といわれているように、全く素人で申し訳ないんですが時間をかけないと私自身も何ともいえないし、コメントもできないと思うんです。時間が経てば、こういうものが売れるだろうということが分かるんでしょうが、今はまったく白紙の状態でいちいち勉強させていただくだけなんですね。
フロントと現場の関係
植草 ディレクターズ・カンパニーがうまくいくかどうかは誰にも分からないんだけど、監督が作りたいものとフロントが作りたいものが、いい意味で噛み合うかどうかが大きなポイントになってくるような気がするんです。図式的にいえば作家が支配する現場とマーケッティング・リサーチを重視するフロントの衝突はさけられないけど、それが前向きになるか、後向きになるかですね。
長谷川 映画界の人だけだと同じ穴のムジナでお互いの意見が謙虚に聞けなかったりするんだよな。「うるせえや、それぐらい俺だって知ってら」みたいなさ。彼は、勉強させてもらってますといいながらきっちりものをいう人だから、別な視点からプロジェクトを見ると、また違って見える筈なんで、それに賭けている部分があるよね。みんなが一番いったのは、プロデューサーを置かないでどうして会社ができるの、ということだった。でもこのメンバーの面倒を見るだけのプロデューサーを同時に揃えようとすると、もっとでかい組織になるでしょ。逆に、プロのプロデューサーとは今までもつき合ってきたし、これからもつき合っていける。そうじゃない形の組織にしておいた方が実は、出会えるケースが多いんじゃないか。理屈の上ではね。
植草 一本の作品を具体化するための宮坂さんの役割はどうなっているのですか。
宮坂 じっくり話を聞いて、その上で白か黒かをいうつもりなんです。だからシステム的であってシステム的でない。情緒的といいますか。ただ私は、もう聞き飽きているせいもあって「マーケッティング」という言葉は好きじゃないんですね。だからその言葉は使わないようにしようと思っているんです。
根岸 僕は「作家」という言葉も好きじゃないんですよ。今みたいに映画が行き詰まっているときに、ある種の作家性ということで自分のカラを強くしていく行き方はあると思うけど、それが切り拓くところもあるし袋小路に追い込まれることもあるという両刃の剣のような気がする。そうやって作っていく行き方から時代的状況を重ね併せて、映画がもうひとつ広い展開ができないかと考えている人間が集まってきたんだから、作家対マーケッティングを中心にしている代表者ではなくて、お互いギリギリの線で何かを見つけられないか、ということが気分としてはありますね。今まで監督とプロデューサーは一本の映画をああでもないこうでもないといって作ってきたんだけど、その範囲というのは分かっていますから、もっと広い意味でのプロデューサーの役割を果たすのが宮坂さんじゃないかと思う。売り方も作り方も含めてね。
長谷川 彼にとっては会社そのものが作品だと思うんだよ。「会社ゴッコ」の或る楽しさとヤバさも含めて、こういう理念でこういうアイデアでできた会社が潰れずに、やりたい方向に向っていくことが彼の作る作品なんだね。これはエンドレスなんで、エンドはアッという間にくるかも知れないけど、潰れない限りはエンドレスなんだよ。その意味じゃ、システムをプロ野球風にやってみたことと似ているかも知れない。プロ野球の球団が一年目にどんな成績を残すかということと、長い目で巨人という球団と広島という球団の違いみたいなものは出てくるでしょ。どんな客層を持っているかということも含めてね。
植草 先日の��ピンク朱に染まれ"の三本立てが、実質的な旗挙げ第一弾ということになりますか。
高橋 よく旗挙げといわれるんだけどあの手の映画は作りたい時が何とかの時というくらいで、それこそもうスピードとフットワークで疾走した方がいい種類のものだから、たまたま結果として早くシャシンになっただけでね。だから僕自身はそういう意識は全然持ってないんですよ。企画を持ってネチネチと半年も一年もいじるのは嫌いな方だから。
長谷川 九人のメンバーで唯一、ちゃんとしたプロフェッショナルとしてのバックグラウンドを持っているのは伴明だけなんだよな。高橋プロを作って何年になる。
高橋 三年だね。
長谷川 監督・プロデューサー・経営者をこなして、ちゃんと機能させてきてるわけでしょ。だから今度の三本はディレクターズ・カンパニーがなくてもやってたし、逆にあれで今までのピンク映画の枠が一応壊せた訳で、やっぱりよかったと思ってるね。
宮坂 今具体的に動いているのは、長谷川プロデュース、石井聰亙監督の「逆噴射家族」、根岸プロデュース、池田敏春監督の「人魚伝説」、高橋伴明の「神様のピンチヒッター」その他脚本があがっているのはいっぱいありますよ。
植草 細かい話になりますが、企画をチェックし、ゴー・サインを出すのはフフロントの役割になるんですか。
長谷川 理屈っぽくいうとそうなるんだけど、フロントといっているのは衆愚になるのは嫌だから、一応ジャッジはフロントで下そうと。ただ、上下の関係はそれほどはっきりしている訳ではないから、多数決で全部事が運ばれるものだとは思わないし、一本一本、微妙に違ってくるんだろうね。それで意外な発見だったのは、自分の映画のネタ話がフランクにできることだな。個人同士のつき合いだとほぼそういうことはしないからね。
根岸 そういう横の繋がり以外に、縦の流れというのかな、次なる人材も含め映画界が人を育てなくなっている時にどうするか。僕らみたいな若い者がいうのはおこがましいんだけど、面白いことができないかということがある訳ね。ただ、プロデューサーとしては素人だから長谷川にしても僕にしても素人がやる長所と弊害もあるんですね。それは、ピンクやATGという小さな枠でやっているから通用するんだといういい方になっちゃうんだけど、次なる大きな企画になったとき、この問題をどう解決していけばいいのか。ディレクターズ・カンパニーが製作会社として残っていくためにはそれが大きなネックだと思う。
マイナスをプラスに転化
植草 根岸さんの今の発言に同感ですね。去年「遠雷」や「泥の河」が出てきた話題になったんだけど、それがもたらしたものというのは、多少監督の名前を通りやすくしたということに過ぎないという感じがする。
長谷川 まず、嫌われないことが大事だよな、最低。既成のやり方でやってきた人にとっては、よほど理解してもらわないと嫌な存在かもしれないからね。今まで、フリーの監督に声をかけるかけ方ってあったでしょ。それをディレクターズ・カンパニーは、ユニオンだと思われ遠ざけられるのはちょっとつらい。どうせこの世界は弱肉強食だと思っているから、九人のメンバーの中には何年か後には監督をやめている奴もいるかも知れない。監督としてベストを尽した上でそうなるんなら仕方ない訳でね。ただそのベストを尽すために作った会社なんだから、食わず嫌いをせずに、しっかりつき合って下さいということかな。
植草 メジャーにどこまでその真意が理解してもらえるかということはあるでしょうね。
長谷川 必ずしもメジャーだけともいえんだろうと思う。そんなときに自己主張できるのは、どこまでリスクを負えるか、でしょ。今まではフリーの監督個人はリスクを負わないけれども、それ以上の主張はしないことでバランスがとれていた。そうすると、ディレクター・カンパニーがこの映画ではこれだけのリスクは負います、製作費はこれだけ出しますということが、どれだけの規模でやっていけるのか、そのための資金的なオルグり方がやっぱり早急の問題として凄くあるよね。能書きはいう、金のリスクは負わないじゃ、当然これは何だということになる訳でさ。リスクを負っていないとものをいえる限界がある訳で、俺なんかリスクを負いたいからこういう会社が欲しかった、という部分があるんだね。もちろん、作家的なリスクはいつも負っているけど、それは当りまえで、コケようが入ろうがお前は全然ゼニのリスクを負ってないじゃないかといわれたら一言もないからね。だから、こうやってぶち上げることで既成の出資者も映画界も含めて、映画界以外からどれだけ映画のために資金が導入できるかが、大きいよね。しかもヒモ付きにならずに。
植草 出資する企業としてメリットがあるかどうが最優先ですからね。
長谷川 一本にヒモがつくのはかまわないんだよな。十木に十本とも同じヒモじゃない方がいい訳でさ。今までのメジャーはいわば、その会社が作る年間六十本なら六十本のヒモだった訳だ。東宝には東宝カラーがあって、東映には東映カラーがあった。撮影所の崩壊というのはそのひとつの会社が何本ものヒモになることが壊れたということでしょ。その意味では、撮影所があって成立したメジャーの前の時代、映画のスタートの時代、原点に戻るという感じじゃないのかね、この動き自体が.......戻ったというか前進したというかね。ところで、監督がプロデューサーに回るというのはちょっとつらいところもあるんじゃないですか。
根岸 僕の場合は池田と同期だし、たまたま世間じゃこっちの方が名の通りがいいくらいのことで、ひとつのものを一緒に作るという気分ですからね。池田の映画は僕のものとは全然違うところが面白いと思って見ているんだけど、こっちが客観として面白いと見ている映画にできればいいなと思っている訳ですよ。やってみないとどうなるか分からんけど、口出ししたけりゃ現場へ行って口出してもいいし、自分たちがイメージしてるプロデューサー業にこだわって真似しても、しょうがないと思うんだよ。金のことはプロデューサーだけでなく監督にもある訳だし、そんなに違ったことだとは考えてないんです。
高橋 ずるいいい方をすれば、自身が刺激を受けたくて今回は三本プロデュースしたんだけど、久々にドキドキしたのがよかったですね。
長谷川 プロデューサーの仕事には、企画を立てる、資金を集める、配給交渉をする、製作現場を仕切る、と何段階かあるんだろうけど、その全てをやれるプロデューサーなんて、そうザラにはない訳でね。俺が石井のものをやったり、根岸が池田のものをやるときに、本当の意味でのプロデューサーとしてのリスクまで負えるかというと、一朝一夕にはできない。金がない浮浪者である人間がそうは負えないでしょう。それでも、仮に五千万円の製作のうち全部は自分でオルグれないかも知れんが二千万円は走り回って集めてくるんだという気持はある。そんなところが違うんじゃないかね。
高橋 少なくともメジャーのプロデューサーとは違うね。
長谷川 うん。違わんと潰れちゃうからね。メジャーのサラリーマン・プロデューサーは、大コケしたシャシンが出ても、窓際に追いやられるくらいですむかもしれないけど、資本金一千万円の会社の認容力なんてほんと小さいからね。夢はホラで何ぼでもいえるし、俺はそっちの役割だと思っているけど、実際に石井のをプロデュースするぞというときにはけっこう緊張するよ、親方日の丸がついてないんだからさ。また個人ではそのトライすらとてもできなかっただろうね。個人じゃメシ食わして「頑張れや」というくらいで終りだよ。やっぱりその不安はあるよね。プロデューサーがいないのは大きな不安材料だね、よきにつけ悪しきにつけ監督同士が刺激し合うこともあるけど、ブロデューサーはプロデューサー的な発想での刺激を監督に与えるという役割が当然ある訳で、その部分を誰がどうカバーしどう広げていくか。それがうまくいけばこの会社はうまくいくと思う。
長谷川 例えば、プロデューサー・カンパニーという意味でのカンパニーが幾つかできているよね。その組織がどういう監督とも組みますよと門戸を開けているのと同じように、我々はディレクターが集まったカンパニーだからどういうプロデューサーとも組みますよというのが基本だと思うんだ。ただ、映画を作る上でプロデューサーはプロデューサーしかできないというもんじゃないし、監督は監督しかできないというもんじゃない。そうすると、監督が何を考えてるのか分かっている方がプロデューサーとして優れている場合もあるよね。その意味じゃ、新しい展開のシステムだと思うんだ。逆に、例えばディレクターズ・カンパニーに山本又一朗がプロデューサーとしている会社だったら、色が決まっちゃって、彼がスーパーマンにならないと転がっていかないものになるよね。だからむしろ、その部分が欠落している方が正しいんじゃないか。もうひとつ例をあげれば、シネマ・プラセットさんと荒戸(源次郎)であるとすると、あれはあれで意外に閉ざされた世界のような気がするな、見れば。よくいえばこの近い、作りたいシャシンを同じ方向の人がしっかり手を組んだという意味で期待したい部分はあるんだけど、あの二人の関係は完結しているんだから他のアイデアが入ってきそうな感じがしないじゃない。だから、実際の経過を話せばこの会社を引き受けようという既成のプロデューサーがいなかったんだけど、そのマイナスをプラスに転化できないかという思いが、負け犬の遠吼的にじゃなくてあったね。
植草 新人・既成を問わず、プロデューサーがどんどんディレクターズ・カンパニーの門をたたくような、開放された姿勢は絶対に必要ですね。
長谷川 少しはたたかれているよ。もっともっとたたかれたいですがね。
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