8ミリ長編劇映画の氾艦はサウンド8ミリカメラの開発に始まる



今日集まっていただいた三人の監督さんは、それぞれに映画体験がちがう世代に属されるわけですが、どういうところで自分の映画を成立させてこられたのか、まずそのあたりから......。一九五〇年代の初めから8ミリを廻しておられた高林さんは、六〇年の「石っころ」(白黒・8ミリ)、六三年の「砂」(白黒・16ミリ)などで国際映画賞を受賞、後に飯村隆彦さん、大林宣彦さんと共に"個人映画草創期の三人"と呼ばれるわけですが、非企業の立場から映画をスタートなさっている。何か考えるところがおありになって......?

高林 ことほどそう改まることじゃないけど。当時の企業映画に対して、僕はかなり批判的であったし絶望的だった。既成の価値観に対して否定的な、ラジカルな時代で、世の中を変えようというか変えていこうというエネルギーが政治で文化状況全般にもあって。だから、商業資本の作る映画に対しても否定的な思いがあった。一方では、文学青年として原稿用紙のマス目を埋めていく行為はどこか気恥ずかしさが先に立ってね。折し松竹大島渚さん、篠田正浩さんなどが、企業とけんかして外へ出る。そして、アメリカの第一次ハリウッド映画が一度衰退し、崩壊して、ヨーロッパのアーティフィシャルな映画が主流を占めていく。ATGの誕生ーーという映画状況があって、一つの話をどう見せるかではなくて、自分が映画とどうかかわっているかをメインにした映画が多くて、巨視的な映画から微視的な映画に移行した。最大公約数的なところで娯楽として作られるものではなく、むしろ、娯楽性を否定しながら新しい価値観の創造を目指す。そういう時代だった。だから、僕たちのやってきた仕事もいつの間にかそんな時代の経歴がついてまわって・・・・・・もっともらしくいえばそういうことなんだけど、動機としては、石井君が8ミリ持ったのとそれほど変わらないんじゃないのかな。

ーー当時、横の連帯というか、首をめぐらせばすぐ隣りを走っている仲間がいるというような芸術運動的な盛り上りはあったんでしょうか。

高林 今のように、豊かな映画状況が客観的に存在する時代じゃありませんでしたから。みんなバラバラで孤立していました。「小型映画」とか「8ミリ」というホームムービーの専門誌が出ていましたが、それは映画を家庭で楽しむ、いわゆる金持ちの道楽のサロン的発想でしなかったわけですし。

そうすると個人でがんばっていた作家たちが、たまたまお互いの作品を見る機会があって、徐々に広がりを作っていった......。何やら集まって話をするとか、遊ぶとか、作品を見せ合うとか、やりだした。僕は六〇年に東京のヤマハホールで初めて開いて、それがきっかけになっていろんな映画の人と付き合うようになりました。

長谷川 しかし当時、8ミリの機材はやはり高価なものだったのでしょう?

高林 昭和二八年ですね。僕が初めて8ミリ撮影機を河原町通りのカメラ屋で買ったのは。中古のシネコダックでした。フィルム一巻(50フィート)が当時の金で千二、三百円食堂の盛り合せランチが九十円位の時代です。テープレコーダーなんてやっとの思いで探し出して借してもらうありさまでした。

長谷川さんが映画に入られた動機は個人映画"からじゃなくて・・・・・・。

長谷川 ミーハー的に入った。(笑)ロケに行って高倉健といっしょに握り飯が食いたいと。(笑)8ミリはすごく遠いものだった。俺の家にも一台二台転がっているもんなら、さあ、映画を作ろうという気にまでならなくても、とりあえず廻すしてみるか、ということもあるだろうけれど、全然なかったもんね。

石井 俺が高校大パニック」を撮り始めたころが、ちょうど転換期でしたね。同時録音カメラが出てきたころ。映写機もカメラも急に普及して。俺の高校時代は映研に一台二台、あるいは金持の息子で8ミリを持ってるというのもありましたけど、俺も当時は別に8ミリ映画を撮ろうという気にはならなかったですね。何か軟派のような気がしてね。(笑)

そうすると石井さんも、企業監督を目指して、長谷川さんのようなオーソドックスな考え方から、とりあえず日大芸術学部監督コースという風に進学なさったのですか。

石井 いや、よく分からないですけど、初めの三本くらいはほんと衝動的に撮ってたと思うんですけどね。ただ、あこがれの部分として、映画会社に入って助監督になって監督になる道もあるし、あるいは噂に聞いてる、もう一つの方法、つまり8ミリ映画を撮って即監督になると、二つあったんですね。まだ、福岡にいたときは。福岡はATGなんてほとんど入ってこない土地ですから、当然、自主映画の8ミリ、16ミリは見られないですね。大森一樹という人が撮ったとか、二十三歳の人が撮ったという噂は聞くんですけど、実際に映画は見られないし、どういうものかも分からない。俺の中にある映画は深作欣二)さんの「仁義なき戦い」であったり、神代(辰巳)さんの映画だったりするわけですね。だけど、俺の方法は、シナリオでなくて、8ミリだったんです。

長谷川 ちょうど俺が「青春の殺人者」を振り上げた直後で、「GORO」誌で大学生の作った映画を見せてくれて彼らと対談したわけ。その時だよね、石井の8ミリ版「高校大パニック」を見たのは。

そうしますと、高林さんの時代は相対的に8ミリ機材が高かった。人間も少なかった。それらが比較的手に入りやすくなったことに反比例して、今度映画界が縮小し新しい人材を入れなくなった。そこで、8ミリで映画をやっている人たちがエンタテインメントを志向して、企業で監督になる道がないなら自分たちでやろう、となった?

石井 俺の場合、単純な発想としてね、お金を取らないと次の映画を作れないと思ってましたから。製作費が十万、二十万かかるわけですね。それは貧乏学生にとっては非常にきつい。毎日の生活もできないような状態でやってるわけですか何とか、三百円なり五百円なり取って、お客さんをたくさん入れなきゃいけないと。必然的に、少しは客が来る映画と考えたと思うね。

高林さんが個展を開かれた当時の状況として、自主映画がどっかのホールを借りてお金を取ってやるなんてことは、まだ考えられませんでした?

高林 なかったですね。僕の場合は無料でした。お金を取って見せる・・・・・・石井さんの言うのは示唆に富んだおもしろい話なんだけど、僕の出発点は、既成の価値を変えたい、壊したい!逆にいえば、ディスコミュニケーションというか、別にコミュニケーションしなくてもいい。自分のためにパーソナルに作ったフィルムだとその部分が強かったですよ、主として。だからお金を取ってさあ、おもしろいからどうぞ見に来てください。一晩楽しんでくださいというスタイルのものではなくて、むしろ、見るのは大変きついから、好きな人がいるんなら見て途中で帰ってもいい。あなたには見ない権利もあるんだ、拒否して帰る権利はあるんだから、どうぞご随意にと、そういう形でやってきましたからね。そのうち機材も改良が進んで産業革命的にしたことが、質を変えているし、観客との関係にしても一方通行から両面通行に移した。その産業革命に当たる部分、つまりハードがソフトをリードしていくという契機はどのあたりですか。石井君が言った。サウンドの8ミリが出て、同音のトーキーが撮れるとか、そういうことで劇映画の方法が飛躍的に変わった。

石井 俺が十八か十九のころです。あれが出たときに、これで劇映画を撮れると思いましたね。

高林 僕の時代はFTSフィルム・テーブ・シンクロ・システムが主流で、今はパルスを使ったりして同調をいろいろやってるけど。映画は一本のフィルム音と絵が同時に存在しているもんだという観念が、8ミリの場合はなかったんですよ、当時は。音と画が別にある。

ーーそれによってソフトも限定されるところがあったでしょうね。

高林 シンクロがあるとか一点同調があるとかいうのはやれなかった。自分が行って映している限りは調整できて合わせるられるけど、これ見てくださいと長谷川さんにフィルムとテープを渡して、映してみたら画と音がズレてるじゃないか。しかしどこでどう合わしていいか分かんない。そういう問題が出てくる。それでもいい、それでも見られるものしか作れなかった。

石井 カメラもそうですけど、映写機数段、発展しましたからね。劇場用の8ミリ映写機ができたとか。エルモ社のグランドモデルとい明るく大画面で上映できるシステムの開発ですね。一千人くらいの会場で16と遜色なく明るく見せられる。

石井 簡単になったんですよね。



斬新!8ミリ映画のロードショウはマイホーム・シアターで

ところで長谷川さんはデビュー予定の「燃えるナナハン」という幻の企画を残して活を出られたのですが、返す返すも残念という他ありませんね

長谷川 だからといって俺には8ミリという発想はなかったんだよ。

石井 俺なんか、三五(35ミリ)で撮れなかったら8ミリでもいいと抵抗なく思いますね。

長谷川 思わないね、生理的にそういう感覚はなかった、全く。ともかく8ミリをやらなかったのは、一つには、先ほど出た、物質的な理由もあるけど、あんまり映画のような気がしなかったことは、正直言ってあるよ。大学の時も映研の映画を見たけどね。俺には難しかったな、その映画は。そのころは、難しくないといかんという感じはすごくあったような気がするがね。だから、エンタテインメントという言葉でいえば、例えば、高林さんが作られるのは高林さんにとってのエンタテインメント、楽しみを画にされるわけで、みんなそれぞれの好みが違う。俺の好みは非常に分かりやすいほうの映画だったんだろうね。それに、映画は劇場以外で見るもんだとは思っていなかったからね、まるで。

高林 時代もそうだったしね。

長谷川 俺が高一のときかな「ウエスト・サイド物語」は。ワーッと思って見た「エデンの東」とか、非常に分かりやすくてね。映画はそういうもんだと思ってたから。今みたいに8ミリも、フィルムサイズが違うだけの映画そのもののだというふうにはまるで思わなかった。今はそうは思わないけど、それはそれらを作ってきた人に教えられたわけでね。正直いうと、恥ずかしながら俺も8ミリなんかちょっと撮ったりしてみようかなと思うわけよ。

企業の35ミリのほかに手づくりでいける映画があるという認識ですね。

長谷川 8ミリを自分で撮った人は、ゼロから完成まで自分の手でやるわけだよな。これもやっぱ俺なんか、うらやましかったり、畏敬の念で見たりするわけですよ。最初に大森(一樹)と会ったときも、自分で映写機をいじって、電源を探したりいろいろやってる。俺なんか自分の映画を映写室で、音をもうちょい上げろとか言うのがやっと。

高林 僕は8ミリからきてるから、自分で回して、編集して、付けて、オペレーターまでやる。一昨日も京都の喫茶店で僕の映画を三本やる会を開いてくれた。8ミリが一本あったので自分の8ミリの映写機を持って行って映写するわけよ、お客と......。それがほんとに楽しいこれが一番僕に向いてるんだなという感じが、実感としてあるな。

石井 俺もそうです。

石井君のその発想は作家として上映にもかかわりたいという?

石井 狂い咲きサンダーロード」をやってみて、すごく気になったんですね映写状態が。

石井君が当初ターゲットとしたことは、全国の劇場で映写技師に自分の映画を映してもらうことだったわけでしょう?

高林 それは石井君がたくらんでもなかなかできることじゃないわけ。石井君が作ったものは一つの時代に、どういう環境に出ていくか。石井君の責任というよりも、石井君を取りまいてる映画の環境の問題であって。石井君が幾ら売り込んでも売れない映画があるだろうし、また売りたくないと思ってても買ってやろうという映画もあるだろうし。それは環境がなせるわざで、結論であって、石井君の動機はそういうことじゃないと思うね。

石井 作品によってちがいますね。

高林さんの「すばらしい蒸気機関車」はそのターニングポイントの気がするんですが、あれは最初からへラルドに配給させて全国公開をと考えていらした作品だったんですか。

高林 いやいや。僕は蒸気機関車が好きなので、あと五年で廃止すると国鉄が第三次長期計画で発表して、動力車の無煙化をやったの。それで自分で個人的に撮っておいて、夜、寝転がって、何もすることのない時にグラビアを見るようにSLの映画を見たい。それが動機ですからね。人のために作るというよりも、自分のコレクションの形で作ったものです。映画は置かれる環境論だと思うんですよ。その時代の制約の中でしか動いていかないもんだと。それを飛躍して考える場合には、ノン・コマーシャルでいくか全くコミュニケーションを考えないでいくか、どっちかだと思うわけ。長谷川さんは、8ミリは自分の中になかったというけど、僕の中には35ミリはなかった。だから、8ミリで、僕に言わせればそれこそ語りで映画を撮るのは大変なことだったわけですよ、個人的にね。しかし、映画を撮ってないとメシがまずい。今でもそういうところがある。だから、今こうして三五の映画を休んでいるというか、企画を立てて次の準備をしてる時は、せっせと8ミリを撮ってるわけよ。とにかくフィルムを毎日いじっている。8ミリを一本作るでしょ。これ今晩で、東映は十分儲かってる。そのあとの「純」も儲かってる。今度は「泥の河」がある。「泥の河」は五千万円かかっているらしいですが、東映がもし作ると、一億円かかる。一億の製作費を取り戻すには、その上に宣伝費を乗っけなければならない。堂々巡りでリスクがどんどん多くなっていく。だからああいう作品は買い上げというか、よそで作らざるを得なくなった。わがままな作家というか、東映ではとてもできそうもない映画が東映のコヤでかかる時代になっているんですね。

高林 かかる時代というよりも、それを向こうが必要としている時代ですね。だから、かけていただく時代ではなくて、売り手市場の時代にきていると思うの。例えば、ATGで井筒和幸君が「ガキ帝国」を撮った。それを大阪の洋画チェーン(京阪神の四館で公開された)で洋画が全部コケてシャシンがない、メジャーに関係ない映画ですでに完成しているプリントはないかと探したらそれがあった。大阪でならいけるんじゃないかと、かけたんだね。僕はATGに、それは作家にとってはあまりにもかわいそうだ。もうちょっときちんとした売り方をしてあげたらどうかと言ったわけ。洋画の穴埋めに二週間だけ使われてあとはおしまいでは、作ったやつはせつないよと。

石井 作品によって映画の形態を変えていこうと、変えざるを得ないと思っているんです。この作品は自宅で、会場費はゼロで、一日に五百円で二人来てくれれば、俺は暮らせるからと計算する。いう形でやっていく作品もあるし、これはやっぱり70ミリで撮りたいという作品もある。それが単なる理想ではなくなってきましたね。

ところで売り手市場というと美しいけれど、実情は作家のダンピングになりかねない事態なのでは?

長谷川 売り手市場というよりはむしろ、作り手が見せる場所までケアしながら、どこで見せるかを考えながら作るのがあたりまえの状態になってきた、ということじゃないかね。昔のプログラム・ピクチャーの監督は、企画も役者も決まっていて、さて監督を誰にしようかと、ピッチャーを起用するのと同じような感じがあった。堀内はちょっと肩を痛めてるから、新浦にしとけっていう感じでさ。少なくとも、作られる映画のグロスがそうでなくなってきたよね。

逆に、「純」は作ってから公開まで三年ほどあって、興行側からすると配給・興行が決まってないのに何で作るんだという発想があるんですね。

長谷川 ハードな時代じゃなくなってきたんだよ、きっと。クリスタルだからさ、何つったって。(笑)あれが三年寝たことは、作品にとってはよかったよ。結果的に。

売り手市場という意味は、逆に、極端な話、買い手は、番組を埋められればいい、安くて赤字にならなければいい。柳町光男監督の「ゴッド・スピード・ユー!BLACKEMPEROR」は、安く買って客が入った。これは柳の下にというと悪いけれど、次が石井君。「高校大パニック」をリメークするという発想は、そこからきたんじゃないんですか。できたものを安く買うとか、一応、プレゼンテーションのあるもので安全を確認する。

長谷川 ただ、8ミリのリメークは、今のところ、空前絶後だよな。それぐらいにっかつ好みのネタだったんだよ、あれは。ところでギャラは?

石井 企画・脚本料・スタッフ込みで二百万円。

長谷川 にっかつとしてはがんばったほうだよ。俺なんかロマンポルノの脚本料十五万円だよ。ああ、俺は十年間何やっとったんだろう、と思うよ。

それだけ石井君たちに商品価値がある。(笑)

長谷川 お前らいいな、映画で金儲けられて

石井 いや、儲かってないです。それ次の8ミリ「突撃!博多愚連隊」で全部遣ったわけです。そして「狂い咲きサンダーロード」へ直進した。

長谷川 ところでお前、もう職業になったのか。

石井 なったんでしょうね。保障はないけれど狂い咲きサンダーロード」を一本作って、メシは食えましたからね。

高林さんはイメージ・フォーラムで「女」という8ミリを公開なさるとか、例えば、ATGと提携して「本陣殺人事件」などの劇場用映画も作られる。「ザ・ウーマン」は洋画系で配給するなど、基本的に自主製作の作品をいろいろ配給形態で見せていらした・・・・・。

高林 さっき言ったように、何となく作った映画がいろんな形で公開される。映画を取り巻いているコミュニケーションの形態がさまざまに変化してるから、自分はこういうものをやってみようかと作っていけば、自主映画の可能性というよりもむしろ、映画という一つの媒体の可能性としては、劇場を考えると絶望的だけれど、そうでなければ大変豊かな時代ね。

長谷川 今や、自主映画とか企業映画とか、そういう言葉はもうやめたほうがいい時代なんだよな。

高林 決して対立する関係じゃない。

長谷川 8ミリだろうが35ミリだろうが、自主だろうが何だろうが、映画は映画で。それはあたりまえで正しいことなんだけど、そうも言えなかった時代が長かったんだろう。

売り手市場になったことで自由に発想できる強味もある。今後お撮りになりたいものは?

高林 今撮ろうとしてる映画は、横溝正史さんの短編小説「蔵の中」。横溝ブームが一段落しましたからね。本当は「本陣殺人事件」と続けてやりたかったんだけど、そのあと他社でも連作があってきます、という感じで行ったわけだよ、石井は。大分メゲてたよな。

石井 全くそのとおりです。

長谷川 そのときの経験を石井はプラスにしたんだと思うよね。撮影所で、おい、お前どけ、そこで、何やってんだとか言われて、僕も監督の一人です。(笑)それは辛いことだったろうと思う。それくらいこいつも大森も撮影所にあこがれが強かったんですよ。

石井 確実にあったもの。

長谷川 逆に作品の中身の発想が、企業でも作れちゃうような、作りたくなるような映画だったわけだよな。だから「高校大パニック」は8ミリ版と35ミリ版が両方成立しちゃう。

そうすると、高林さんがおっしやったプライベート・フィルムと、PFFのイベントに出てくる作品の意図はかなり違う?

高林 去年、「オフシアター・フィルムフェスティバル」(今年PFFと改称)で見た映画にも、既成の価値観に対して挑戦するというか、従来の商業資本が育ててきた映画のロジックとか、フォルムとか、構造とか、美学とか、それらを打ち壊そうとがんばる作品がたくさんありましたよ。僕の推した「市民伝説」(久保内孝作品8ミリ・70分)という映画は、ほんとに退屈な映画だけど、個人映画でしかできない、個人の漂白された心しか映像にならないという、その部分で推したわけでね。それはモンタージュがうまい、昔のさばき方がうまい、役者の使い方がうまいという作品はたくさんあるけれど、媚びを売るというか、規制の価値観に対して改変肯定的な映画というかな、そこで盗んできて作ってる映画と、映画に対する夢とあこがれで作っている映画があって、そこに、許せる映画と許せない映画の区別が出てくる。

長谷川 去年、高林さんはパンフレットに、きっちり書いておられるんだよ。企業映画のエビゴーネンは見たくないと。今年俺が見た中にはその不愉快さはなかったね。なんだこれは?「赤い鳥逃げた」じゃないか......なんてのはね。

大森さん、石井さんときて、去年、今年と自主映画出身作家の作品がたくさん劇場公開されていますでしょう。PFFに応募してくる作品は、その影響を受けていますか。

長谷川 そういう部分ももちろんあるだろうね。今回の作品で、坂本竜馬が現代に生き返る「偉大なる男たちパート4」などクレジットタイトルだけ見たら、35ミリと同じだけのものがある。しかしスター願望はあっても、具体的に作戦として・ないだろうね。大森石井もすでに悪口を言われるようになった。俺が「青春の殺人者」を撮って若い監督が出たと言われてからま五年もたっていないんだからね。しかし石井が二十代で撮ってしまった。

でも、段階として、長谷川さんは必要だった......。

長谷川 段階的な存在なのね、僕は。(笑)陶汰さるべき・・・・・・。実感あるなあ。今度のPFFでは誰も選びそうもな作品を推そうと思ったの。松岡錠司の「三月」という8ミリでへたなんだけど、自分の文体を持ってるんだな。知識もあまりない、話もなんちゅうことない。テクニック的にへたなのに、すごく感激的なんだよ。本人は正直に、失敗作です、と書いてる。だけど、表現ってそういうもんなんじゃないかな。彼は恐らく、石井や大森のようにはなかなかならないと思うよ、器用じゃないからな。



自主映画のフリー・マーケットに今や企業側の買手殺到の気配



かたちはプライベート・フィルムでも、ある程度マスうけをねらって、自主製作される作品が目につきますが。

長谷川 うけをねらってということじゃないと思うんだよ。企業がしっかりしなくなったから、俺なんかは端境期で企業にもいたし、独立プロにもいたし、自分が撮るときは、独立プロといえば聞こえはいいが、一本こっきりのもので作ってわけでしょ。システムがズタズタになったから、ギャップがなくなったんだよ。8ミリで撮る人も、はなから企業にいた人も。それこそ森谷司郎と石井そう互は、もうあまりギャップはないわけだよ

高林 逆にいえば、僕のときは、僕らがいい8ミリ作品を撮っても、おもしろい映画を作っても、それを企業が買うことはなかった。企業は自分のところで作る映画で十分間に合っていたからあなた方のやることとは別です、それはお道楽ですと、はっきり区別された。

長谷川 映画会社は今に、興行会社になっちゃうよ、もう五、六年のうちに、みんななりたいんだもの。製作みたいな効率の悪いことはしたくないんだよ。荒戸源次郎がやった「ツィゴイネルワイゼン」の上映方法は、メーカーと小売店が直結してるわけだ。配給業者もなければ興行者もいない。問屋もなければ中継ぎ屋もない。スパーンと直結してる。それで効率がいい。

高林さんの8ミリ映画には京都の喫茶店がシアターになって、直接、観客と一番いい出会いができるというよう上映がある。

高林 そういうね。映画の見せ方が去年辺りから、並みの見せ方では客がこない。映画のコミュニケーションの段階がすごく多様化してしまった。劇場で映画を見るという生活習慣が、だんだんなくなっていくんじゃありませんか。

配給会社がお仕着せで出してくるプログラムよりも、自分たちで選んで見る。

高林 石井君になら三千万円出して、映画を一本作ってくれと、逆にオーダーして石井君は映画を作る。そういう形になってつまり、才能を買う。今「狂い咲きサンダーロード」うちで映すから見に来ないかというでしょう。見たいといったら千円くれと。二十人来たら、二万円になる。自分の家で原価かけてコーヒーでもてなして、映画を見てもらって、いろいろ話をして、ーー。

それを毎晩やってたら月に六十万円入る。(笑)

石井 俺も考えました、それ。自分の家でやることを真剣に。

高林 非常にいい形で再生産ができる。劇場にかけるから劇場の経費とか何だかんだと赤字になる。高林の映画を見たいという人は、何十万人はいない。しかし、京都に四百人、五百人はいるわけ。僕がこういう映画を見せようという毎日五十人集めてやったら八日分あるわけですよ。

長谷川 俺は、あるネタをやろうとして実行予算は何ぼかかる、ということから発想するね。ということはどのくらいの規模でやって、どのくらい入らないと、ともかくぺイしないという、最低のラインがすぐ出るでしょう。「太陽を盗んだ男」の場合は、四億五千万円がペイラインなんだな。配収が四億五千万円を切ったら赤字なわけだよ。配収は興収の半分だから、九億円、興収がなきゃいかん。九億円というと約百万人だ。テレビ視聴率にすれば一%か二%だけど、やっぱり膨大な数なんだよね。レコードで百万枚売れるのはそうないんだから。

結果的に企業でペイする他はない資質の映画の監督だと?

長谷川 俺は企業を追んだされてから撮り始めたから、企業のお世話になってるとは思わない。けれど、それだけのキャパシティで見せることが最低条件になるんだよね。どうやっても今はスタッフにまともなゼニを払って三五を作れば、五千万円近くかかるんですよ。「青春の殺人者」のころでもそれくらいかかった。それでまず胃が痛くなるね。

それに耐えるのも監督の方法論ですか。

長谷川 胃の痛さに勝てる確信があればいいけどね。撮るときに、百%の確信でやるわけじゃないから、クランク・インするまでが大変なんだよ、三五は。インしてからのしんどさは��お祭り”やってるようなもんだから。しかしお祭りが好きなんですよ、俺なんかは。8ミリでいけば、インするまでの瑣末事というのかな映画なんか分からんやつにゼニ出させたりするいわば非芸術的部分の疲労がわりと少なくて済むだろうと思いますね。

撮りたいものを撮る、あれこれ思い悩むのは映画の内容のことだけにしたいという願望は誰しもあるのでしょうけれど。

長谷川 この間、「ぴあ」が主催する「ぴあフィルムフェスティバル81」(以下PFFと略)の審査員をやってね、8ミリや16ミリ映画を六十本、三十五時間分程見たんだよ。あんなに集中的に見たのは初めてで、このところ私は、その種の映画に詳しくなっているんですよ。(笑)刺激されたね、それじゃ俺も8ミリを買って撮り始めるかって、正直いえばあるんだよな、潜在願望としては。

高林さんが昔やっていらしたころは、個展とか、てんでんばらばらに好きな人間がやっていた。今は8ミリメーカーやタウン情報誌、特に今回の「ぴあ」のイベントを含めて、応募して入選してデビューするというケースが出てきた。

高林 あれは要するに読売新聞の巨人軍ですよ。(笑)「ぴあ」の拡販素材であり、そのためのイベントであると。僕は去年の同じイベントの"オフシアターフィルムフェスティバル79"というネーミングに基本的に疑問を持ってるけどね。ということは、新商業主義ですね。「ぴあ」のあれはね。

高林陽一、長谷川和彦そして大森一樹を、石井聰亙を目指す次の世代が出てくる。逆に、長谷川さんの話のように、三億も四億もかけた映画がベイしずらくなってる。拡大よりも縮小公開で、低予算映画が成功している。石井さんの「狂い咲きサンダーロード」や横山博人「純」が劇場公開される。邦画界は新人発掘を全く怠って、そういう作品を買い上げているんですが、これからの新しい映画という意味で、たとえば、あの種のイベントから期待できる部分は生まれてくるでしょうか。

高林 それは、優れた人は何万人に一人はいるわけで、誰か一人くらい優れた人が出てくることはあるでしょうね。

長谷川 音楽でいえば、フォークとかニューミュージックと言われて、シンガーソングライターが出てきた状況と似てんじゃないかね。

高林 僕はそっくりだと思う。

長谷川 ということは、高林さんが言われたように、商業主義にマッチしてるわけだよ。恐らく、自然に合っちゃうんだろうな。大森(一樹)や石井(聰亙)の悪口は年中あちこちで言ってるから(笑)今日も俺の立場上、悪口を言うと、それは石井にとっても大森にとっても、媚をうってみようという気は皆無なんだろうけれども、結果、いわゆる個人映画のトーンよりも、作品のタッチが、むしろあの古きよきプログラム・ピクチャー、我々にとっての古きよきだから、ダイニチ映配だったり、その程度だけで、その印象が俺なんか強かったわけね。初めて大森や石井のを見て、何だ、これじゃうちの撮影所でやってんのとあんまり違わねえじゃねえかという感じがさ、不満としてあった。
  大森も石井も一回、企業というか撮影所に入ってるわけだ。「オレンジロード急行」だったり「高校大パニック」を35で撮るときに、俺は二人にやめろと言った。赤子の首をひねるように、いいようにいてまわされる。そら、見学はしたいだろうけども、見学したってあんまり実りはないから。八年も助監督やってる俺が言うんだからと。しかしともかく見たから、しばらく待機していたんです(笑)

長谷川さんの次回作は。

長谷川 暗惨としてるね。

石井 8ミリやったらおもしろいんじゃないですか。

長谷川 8ミリは、七億のを作った直後にやりたいな。

―長谷川さんが8ミリを撮って、たとえばPFFに応募したりしたらおもしろいですね。

石井 俺は、真剣に思ったんですよ。大森長谷川が審査員になっているコンクールだから俺の新作を応募してやろうと。しかし時間的に間に合わなかっただけです。去年は、日本の映画よりも8ミリ、16ミリの自主映画の方がおもしろかった。「風たちの午後」「聖テロリズム」「アナザ・サイド」「ブランキック、公三」など圧倒的でした。それが一般に知られなかったのは資本力というか、パブリシティと、時間の問題だと思います。それがヒットするかどうかは分からんですけどね。

長谷川 むしろ、俺なんか今、正面きってやらなきゃいかんと思ったりやりたいと思うのは、てめえらがわがままに見せられる上映システムを作ることだよね。「ツィゴイネルワイゼン」の荒戸(源次郎)は苦しまぎれに、昔、芝居小屋使ってたドームを映画館にしたわけだが、その思想は正しいんですよ。仮設でよいのだと。壁であろうが、映ってしまえば映画だというのがさ。

石井さんは「狂い咲きサンダーロードのあとは五千万円規模の予算の映画を考えているとか。そうなると、当然、事前に配給を考えて?

石井 いや、何もないです。わがままを通せる分だけのお金がもらえれば、それでいい。もらえる予算がある、その予算に見合った企画を考えるのでなくて、自分らの必要な予算が幾らか設定できれば、その設定で撮れるところを、何年かかるか分からないですが、探そうと思っています。

8ミリ映画を作る原点ね、企業で撮ったらエゴイスティックになりきれない。

長谷川 エゴイスティックというより個人的にならざるを得ない。企業映画のエビゴーネンは減った。今や、石井大森のもう一つあとの世代が出てきている感じは受けたよ。石井、大森のほうがもっと分かりやすかった。俺は大森の映画を見て、お、何と分かりいいんだ、パキ(藤田敏八)の映画みたいだと思った(笑)ハードの発展があって、アメリカでNASAの技術がそのまま映画に行って、コンピュータ操作のカメラが出てきた。それでSFが飛躍的に発展した。それは当然、今後の日本にも出てくると思います。今は8ミリを全く手作業的にやっていますが、石井さん以降はストリーなどは抜きにして、とりあえずはああいうメカニカルな映像の展開になっていくのじゃないかと。

石井 俺とか大森君、長崎俊一君にしてもそうですが、まだその中間にいる感じね。東映なりにっかつの影響が多少ある。あるいはATGのね。ところが、一九歳の手塚真君辺り以降からそうなってくるんじゃないですか。邦画の影響を受けるということがないからね、あの人たちは。だから映画の"新人類”と言われている。

そうした新しい局面の展開があり、一方、大企業映画としての「復活の日」「遙かなる山の呼び声」とかがある。

長谷川 あっちはもう見なくていいんじゃないですか。

石井 しかし、今、学生が黒澤明に三十億円を用意するという話がある・・・・・・。それを革命だと思ってるわけですからね、向うは。それなら俺たちにくれ。(笑)。七億で撮ってやる。(笑)

長谷川 お前とか俺らがそんなに美味しい時代じゃないんだよ。しかし、次回作のことはよく分からん。ほんとにおもしろくするためには金がかかり過ぎるし、それは一つの反作用というか逆作用があるのかもしれないな。さっきから俺8ミリへの憧憬みたいなことを言ってるけど、今さら8ミリは撮れないものと思ってるかもしれないな、俺は、どっかで。二十五歳のときにピンク映画を撮ってパンクして、ほんとにきつかったことと、また、日活へカチンコをたたきに帰ったことと、関係あるんだろうね。作家というよりは現場監督なんだよ、俺は。助監督やると、作家という感覚はしなくなるぞ。石井みたいに二十歳くらいから、作家としては志高く、誇り高い仕事をしたとは思えなくても、結果的に作家でしかないことをやってきた人とは、映画へのかかわり方、処女の破られ方が違うんだよ。俺が石井の歳のときは......、今、お前、幾つだ。

石井 二十四歳です。

長谷川 わしゃ、今村プロで便所掃除しとった。それはごくあたりまえのことだったな。

石井 俺も十五のとき、まさか五年後にこういうふうに映画を撮り、長谷川さんや高林さんとこうして銀座で中華料理食べるなんて思いもよらなかった。

長谷川 今やはっきり言えるようになったんだよ。大学へ行かなくてもいいかこいつら、8ミリ買って映画を撮れ。こいつらが出たことで、観念的なことでなくて具体的になったんだ。

石井 例えばPFFみたいなのが一つの登竜門になる。いいものを撮れば何らかのかたちでひっかかるわけですからね。あれだけ審査員がいて、丁寧に見てくれる。こういうことはないですね、今までは。応募すれば見てくれるんですから。

長谷川 一点を選びだすのではないから、いいな。一点を選ぶとなると、五年くらい該当作なしとなっちゃう。それは意味ないんだよ、表現だからな。

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