『旅芸人の記録』を泣きながら観たことがあるのよ

長谷川 俺は昨日『旅芸人の記録』観たんだけど、あれは(製作費が)どれぐらいかかってるの?

川喜多 50万ドルぐらいで撮ってる。一億五千万円か、当時のそれぐらいですよね。

長谷川 金はかかってない......。

川喜多 かかってない。全部実景だけだから、セットは作ってはいないんだよね。長回しってのは大変なもんだけど、倹約する時の手段でもあるわけよね。

長谷川 いちばん大変な「血の日曜日」みたいなのは喋りですましてるしな。

川喜多 そうそう(笑)。

長谷川 あれも誰かがやったような表現のような気もするが、割とやんなかった表現だよな。カメラに向っておーって喋り出すのは。

川喜多 まあ、ブレヒトではあるけどね・・・。でも、やってないっていえばやってないわね。

長谷川 映画では、やっぱり、きっちりはやってないよ。あまりといえばあまりだから。

川喜多 (笑)

長谷川 ちょっと不安になるんだ、やっぱりしかもさ、適度な長さでないだろ?不当に長いだろ、その喋りが。

川喜多 7分ぐらいあるね。

長谷川 やっぱりね、半分ぐらい聞いてると、もういいかげんにしろよと思うじゃないか。それはオマエ悪ノリだよと思うけどね。悪ノリの域を超えてだな、そしてまた2分ぐらい喋るだろ?あれはね、うーん、やっぱちょっと感心したな。あれがいいというんじゃなくてね、感心したよ。あれは冒険してるよ。ああいう冒険してる映画を観るとさ、批判はあるよ俺は。ただ、彼は彼なりに新しいスタイルを模索してるからさ、その模索がいいものになってなくても、そのことは気持いいわけだよ。でも、どうしてここで(カメラが)寄らないんだというさ、寄りたいときは寄ればいいんだというさ、素直な気持もあるわけな。自分が自分に課したルールを守りすぎて損してる部分は沢山あると思うんだよ、あの映画は長けりゃいいってもんでもないからな。でも、ああいう冒険してる表現ってのは、基本的にヨシなんだよな。で、商売にはある程度なったの?

川喜多 いま東京で七万二千人ぐらいいってるかな。岩波ホールで10週、テアトル銀座で6週、新宿のシネマ1で3週。それからシネ2で3週でしょ、ずーっと千五百円でロードショーって形で・・・。

長谷川 そうだ、千五百円だったよ、昨日。どうしてあんな千五百円もするの?

川喜多 4時間だから。

長谷川 (爆笑)

川喜多 一日二回興行で回転が悪いし、とにかく倍かかるのね、プリント代・試写・映倫・・・・・・だから経費としては2時間の映画の倍かかるわけよね。倍とるわけにもいかないけども(笑)。でも、料金に関しては一度も高いっていわれたことはないね。

長谷川 七万二千×千五百で、ざっと計算すると一億八百万か、興収が......。

川喜多 ただ半年以上かかってるよ。去年の八月四日に封切っていままで4回ロードショして......。いろんな賞をもらったということで、関西でも結構いけたし・・・。賞っていうと嫌らしいけど、地方の小屋に出られる唯一のチャンスなのよね。岩波でやったものは、『家族の肖像』と『木靴の樹』と『旅芸人ー』のケースがそうなんだけど、再ロードショーを東宝系で出来ると、そこをスタート地点として地方の東宝系の劇場へ出ていくわけよね。そういう意味じゃ、賞ってのは具体的に有難いんですよね。

長谷川 俺が唯一そういうことにかんだのは、『ハーダーゼイカム』をロスで観てさ、面白いから買おうやないかと、キティも少し金があることだし、買おう買おうってさ、五百万ぐらいで買ったはずだよ、日本円にして。これは、西武でやって関西でやったら、大体もとは取れちゃうよな。その時に俺は、配給ってのは映画を製作することと較べて、非常にリスクは少ないと思ったね。完成品を観るわけだからな。映画の製作に投資する金ってのは、完成品観ないで金出すわけだよな、これはヤバいわけだよ、非常に。だけど配給ってのはさ、完成品を観てさ、へたすればその評価もどっかで出てたりしてさ、それ買ってきてやる、と。かなり安全な、やらずぶったくりの商売なわけだよ、作り手からみれば。
  にもかかわらず、例えば『ハーダーゼイカム』みたいなのを、どこも買ってないでさ、商売にしてないというな、配給の世界の遅れってのは間違いなくあったわけだよね、いまもあるけども。フランス映画社ぐらいか、買いそうもない映画買ってきて商売してるのは。

川喜多 いまの所そうだねえ、『旅芸人』みたいな例をとればね。最初に観たのが15年のカンヌ映画祭で、大感激してすぐにでも公開したかったんだけど、ギリシアでネガが破損しちゃったんです。最初に公開した時も一本しかポジがなくて、追加のプリントはプロデューサーにうち払いでネガの補修をさせたんです。これが入れられないと思って、泣きながら観たことがあるのよ、すごいセンチメンタルで、そんなことめったにないんだけれど...。これやったら会社つぶれるよっていわれるし......。結果的に74年に初めて公開できる形になって、その方がよかったと思うの。75年にもし公開できてても、あそこまでお客さんがついてきてくれなかっただろうと思うんですよね。BOWシリーズ始めたのが76年で、あれが丁度18本めぐらいかな。時期的にも3時間7分の『木靴の樹』出して、『ディアハンター』なんかも3時間2分でしょ、で4時間だっていうのでうまくいったと思いますけどね。
  でも、リスクはそんなに負ってないね。『奇跡』みたいな映画は東京で一万五千人しかきてない。名画座にも出ない。でも、一万五千人でもモノクロのプリント一本か二本なら、採算あわそうと思えばあわせられないことはないわけよね。もちろん、もとを安く買ってるわけだけど......。

長谷川 柴田(駅)さんにパリから電話もらったのかな、『神々の深き欲望』の時・・・・・・

川喜多 「冗談じゃない」ってあなたがいったって、いまでも彼よくいうわよ。

長谷川 「喜んで下さい」っていわれたんだよ。五千ドルだったかな、非常に俺の計算しやすい額だったんだよ。それでさ、バカなことに○を一個計算しまちがったわけだよな。当時三六〇円だから五千っていうと一八〇万円だよな。それを俺は千八百万円だと思ったわけだよ。「喜んで下さい、いい値段で売れそうです」って話があってさ、俺は今村プロでデスクやってたから、「ちょっと待って下さい、いくらですか」と、「五千ドル」・・・ああ千八百万か、「千八百万は、しかし安いでしょう」ってさ。俺はなにも知らないから。

川喜多 (笑)

長谷川 だってあの映画は一億かかってる。一億の映画に千八百万はないでしょうってね。もう一回よく見てみるとさ、一八〇万なんだよな。そりゃあないだろう(笑)ってね......。今村昌平さんも、そのへんは弱かったのね。その時に柴田さんがいったのはね、しかしいままで『絞死刑』が一番高く売れて千五百ドルとか二千ドルという話をしてたよ。

川喜多 事実よ。

長谷川 それでさ、そんなもんかと思ってさ、しかしあの映画は一千万で作ってるけどこれはあの十倍かかってる、みたいなことがこっちにあるわけよ。海外版ダビングしなおして作るだけで、その金なくなっちゃうよみたいなね。結果あれはまとまらなかったんだっけ。

川喜多 まとまらなかった。

長谷川 あまりに俺が、デスクのチンピラ兄ちゃんが驚いてしまったんでね。これはバカらしいからやめようってことになったんだよ。あのオッサン流に海外版作ったらさぁ・・・

川喜多 だけど、それはむこうが経費を出してるわよ。こっちが持ったら、それは赤字だもの。

長谷川 しかし、大島さんのATGの映画を千五百ドルでも二千ドルでも売ったってことは、結果、力になったんだね。俺はその点に関しては、和子さんたちがやってきたことってのは、エライと思うよ。要は、タダだろうが観ないよりはいいんだよ、観る方が。ただは、タダに近いってことがくやしかったりはするけども、それは明日のために今日観せるみたいなもんだから。

川喜多 七年後に金が入ってくることがある。ほんとにその国でここしか出来ないと思ったら、歩合で売るじゃない。大体そういうとこは正直なのよね、そうすると七年後に五百ドルの小切手が届いたりするけどさ。ただ、いま輸入というか配給してて、はっきりいって私たちだけしか出来ないっていう自信が一つだけあるのは、大島さんの作品の輸出十年やってて、売ってた相手たちがみんな仲間なわけだからその人たちとの情報交換でほとんどのことが出来る・・・・・・。例えば、『ブラウンの結婚』が当たって、一週間後四本ぐらいプリントが、どうしても必要になったのね。ベルリン映画祭のためにドイツのラボがいっぱいで焼けなくて、アメリカに電話したの。大島さんの全作品を配給してる会社でね。そこが『マリアブラウン』をやってるの。3日で送ってくれたよ。そういうことは、自慢話じゃないけど、輸出の積み重ねだと本当に思うね。実に有難いという・・・



同時代を描くってことが一番緊張を強いられる

長谷川 いまアメリカって話が出たけども、『青春の殺人者』の時さ、けっこう俺は売ろうとしたわけですよ。これは、知らない者の猪突猛進でさ。英語版のプリントは自費で作ったわけだな。フランス語版は、フィルムライブラリーのかしこさんが作ってくれて、そっちの方はカンヌへ行って、英語版の方は俺が持ってアメリカへ行って、ある劇場主を紹介されて進みかけたんだけど、これがダメになったんだな。紹介したピーターという男が、金を逆に持ち逃げされるみたいな、児戯に等しいことをやって商売にならなかったんだけど、契約の額はね、そんないいわけはないといわれるぐらい、かなりいい額で俺は話をしてきたわけだよ。その時に俺は、ヨーロッパとアメリカの契約額は、一ケタ以上ちがうと思ったね。
  フランス映画社が映画を買う時に、ターゲットはやっぱりヨーロッパなのかね?

川喜多 ターゲットっていうか・・・・・・、アメリカ映画は、大体メジャーを通してきちゃうから・・・

長谷川 アメリカ映画でも、はいってこない映画は五万とあるぜ、面白いのは。

川喜多 探すべきかも知れないんだけど、ヨーロッパの方がプロデューサーや監督を知ってるとか、仲間がいるとか......。アメリカとのコンタクトが非常に少ないということはあるね。

長谷川 俺はフランス映画社がやってほしいという気がするんだな。要はね、売ろうとするとさ、やっぱりアメリカで売れなきゃしゃーないんだよ。金にならへんのだよ。ヨーロッパというのは、明日のために今日観せるみたいな感覚の方が、所詮強いわけでね、マーケットとして日本以下なんだから。フランスでさ、三億円六億円もかかる映画なんか作っちゃないんだからね。外国の映画を買うったって、そんな額で買うわけはないやね。アメリカってのは10倍だよ、我々の規模の映画のシステム自体が『青春の殺人者』の年のベスト1が、『殺人者』と『タクシードライバー』で、これは両方の国のミニマムの映画だよ。俺のは三千万、向うは三億だよ。一般の劇場で公開するミニマム予算ですよ。ミニマムが10分の1であるように、マキシマムもやっぱり10分の1だよね、我々のマキシマムは。これは単純にマーケットが10倍だからということで、そのマーケットを増やそうという努力は、日本の国家はしてないよな。これは、ちょっとくやしげなことではあるが、ここは俺はあんまりつつかない方がいいと思うのな。国になんか助けてもらわない方が、やっぱりいいと思うんだよ。国に文化タッチさせると、あんまりエエこと起こらんて。国がやらないのはヨシとしても、日本の映画を外国へ売ろうという気がないもんね。要するに、メジャーの五社には、基本的にまずないわけだよ。日活ロマンポルノをリダビングして、もうちょいポルノ的なカットを付けたりして売ってるというさ......。

川喜多 でも、アメリカに売るってことが、五社っていうかメジャーの輸出の目的だと思う。

長谷川 それがさ、この何年間かで何が売れたかっていうとさ、『ゴジラ』。これはTVで放映したらしいな。それと若山富三郎の『子連れ狼』だよ。これはさ、例えばフランス映画社が『旅芸人の記録』を持ってきて商売してる姿勢と、全然ちがうわけだよな。要は、ニホン・フジヤマ・ゲイシャというラインに乗れるかどうか、ね。東映が売ってるのも、カラテものぐらいじゃないかな、千葉真一はソニーチバできっちりやってるわけだから。別に芸術映画を売れというわけじゃなくてね。カラテとチャンバラとゴジラ以外に映画はないのかっていうと、やっぱり映画はあるわけだよな。それを売る努力というか、売って愉しむことをさ、誰もしてないというのはね......。最終的なガンはこれだからね。マーケットが狭いからさ、黒沢にしたところで十二億しか使えないわけだよな、世界にマーケットがあるように見えても。
  この間、「ニューズウィーク」がインタビューに来てさ、あんたら黒沢って凄いって思ってるらしいけど、黒沢の名前なんか知らんよっていうんだよな、アメリカの客は。知ってる方がむしろ特殊なんで、監督の名前で見に行ったりするんじゃない、と。

川喜多 チャンバラでエキゾチックで面白いというぐらいで、日本よりもっとレベルが低いね。『アポカリプス・ナウ』だってさ、日本だったら(宣伝を)コッポラでやったけど(アメリカでは)マーロン・ブランドの主演映画っていうだけだもんね。

長谷川 俺が、アメリカの映画の現状で面白いと思ったのは、キャパが広いんだよ。七十億かけてバカ宣伝して観せる映画からさ、ロスのニューアートみたいな名画座でさ、大島週間があったりね。

川喜多 ファスビンダー全部やったり......。

長谷川 そこへ出て行ってる日本の映画ってのは、黒沢・小津の時代からとぶと、大島さんぐらいしかいないわけだよ。大島さんの同世代にしても、もっといろんな監督がいたり、面白い映画もあったはずだよな。そういうものは出てないわけだな。それは誰も売ってないからだよ。

川喜多 でも売る努力は、例えば篠田さんだったら東宝がやってたし、うちは喜重さんや若松さんをやったし......。けれども、あんまり売れない。『犯された白衣』なんかは、好きな人には評判いいのよ。4、5件かな、売れたのは。お金になる話じゃなかったけど。
  いま、パリはずいぶん日本映画出てるわよ。『生きる』に『怪談』、それに小津さん2本ぐらいやってる。小津をフランス人が発見したのは、一昨年ぐらいだからねえ。凄い新鮮に、まだ皆さん観てるけど(笑)。大島さんでも、やっと『日本の夜と霧』が、最近パリで封切られたのよ。「大島」という名声の上でよ。

長谷川 外国へ売るってことでいえば、俺なんかが不満とするのは、素材として選ばれるのが、いつも伝統的な日本なんだよな、黒沢の『影武者』しかり......。

川喜多 でも、私たちが大島さんでやってきたことは、ちがうと思うわよ。『絞死刑』だって『新宿泥棒日記』だってちがうし『少年』だって『儀式』だって......。

長谷川 ただあれは、外国へ出すことをテーマとして作ったものじゃなくて....。

川喜多 もちろんそうじゃない。でも、出そうとして選んだのは私たちだもの。

長谷川 『愛のコリーダ』『愛の亡霊』に、不満があるとすれば、あれを現代劇でやるよりも、あの時代でやる方が受けがいいってことがわかるわけだよ。わかりやすいわけだよ、むこうには。現代劇である日本映画が、外国で商売になったってことを、俺はいまだに見た気がしないのだよな。例えば、篠田さんが外国で勝ちたいと思うと、『夜叉ヶ池』作っちゃうわけだよ。『夜叉ヶ池』のニューヨークでの評判は必ずしもよくなかった。俺の聞いた限りではね。だから、時代劇だから当たるもんじゃないってことは、間違いなくあるわけだろ?やっぱり俺は、映画は現代劇が本線だと思うわけさ。コンテンポラリーなものが、まず意味を持つんでさ、同時代を描くってことが、一番緊張を強いられるわけだよ。



最終的にはどんな映画も個人映画なのさ

長谷川 「ぴあ」とか「シティロード」を見るとさ、俺はちょっと気持が救われたんだけども、『太陽を盗んだ男』が邦画としてはダントツなわけだよ。「ぴあ」なんてのは、洋画と邦画を一緒にやるわけだな。俺の上が『ロッキー2』かなんかで、『チャンプ』が五位だよ。俺はわりと光栄に思ったわけだな、そういうとこにランクされてるというのは悪くないと。グロスで客が評価せんのは、やっぱり作り手にとって、一番つらいことなんだよ。製作費にならないからね。一部では、非常に高く評価されたけども、この時代に対しては早すぎたとかいわれてもさ、そういって頂いてもしゃあないわけだよな。つぎ作れないから。時代と一緒に走ってるという気分がさ、『チャンプ』と『ロッキー2』の間にあっても、これがいまの時代なんだから、それと一緒に走ってるということは悪くないと、まあ、作り手としては思いたいわけさ。
  『太陽を盗んだ男』がそうであれば、例えば、和子さんが買ってきて売る映画がそうならないことはないだろうと、俺なんかはチラッと思ったりするわけね。それはないのかね。

川喜多 それはモノによるだろうと思うし、公開する規模が全然ちがうでしょ。『旅芸人ー』の場合は岩波だし、去年は4本ぐらい岩波で、今年は『マリアブラウン』は、東宝系に出したけど、それでも二館、新宿(ビレッジ2)3週、シネマ2で10週やったんだよね。シネマ2では歴代の三位。でもやっぱり広がりがちがうわよね。大きなリスクが負えないということと、宣伝費を出来るだけケチってるでしょ。仕入れにもし(お金が)かかったとしても、バカな宣伝費は使わない、と。もし版権よりも宣伝費を多く使うことがあったら、こんな矛盾することってない。日本映画で、角川さんなんかが製作費より宣伝費かけてるでしょう。

長谷川 あれは腹たつね。

川喜多 腹たつでしょう。私たちだって、絶対にそれはやりたくないのね、どんなことがあっても......。

長谷川 角川だって、俺と組むとはいわないだろうけれども。

川喜多 目つけてたと思うけど・・・・・・。

長谷川 目は、一番最初につけたんだよ、あれは。断わったけども。俺の『――殺人者』というのは『犬神家の一族』に小屋とられたんですよ。新宿のビレッジでやってて。結構はいってたんだけども、『犬神―』はもっとはいるだろうってんで、ヴィレッジ1、2両方とも『犬神』にしちゃったわけだよ。それで角川に、おたくは全国百何館のうちの一館なんだから、うちの小屋までとるなっていわしたんだ、今平さんに。それは興行部がやることで私は・・・、ということでダメだったけども、その頃、やらんかという話はあったよ。脚本かかそうとしてたらしいね、俺にね。会って喋ってまず感じたことは、映画好きじゃないんだよ。俺なんかが映画を好きで、映画にこだわることとさ、映画にこだわる質がちがうのさ。
  俺は監督だから、映画は監督のものだと思ってるのかも知れないけども、最終的には個人的なものなんだよね、映画ってのは。非常に個人的な思いを集団の力で造形して、最終的に個人に「帰化」して他人に観せることが、俺は映画の一番おもしろいとこだと思う。最終的には、どんな映画も個人映画であるべきなんだよ。あるべきだし、あってあたまえなんだよね。『アポカリプス・ナウ』だけが、壮大な個人映画であるんじゃなくどんな映画も個人映画なのさ。だって、0・K、N・G決めるのは一人なんだから。それが角川の思考の中では、そうじゃないのな。要は、商品なんだよ。商売のメディアとしては、決して損しないと、角川にとってはね。本の宣伝費だと思えば安いもんだってさ。『犬神家』の時なんか、お客さん一人もこないでもいいって、奴は始めたんだから。二時間半かけたCF作ってるようなもんだから。ただ宣伝のうまさってことは、どっか見習うべきだとは思ったよ。『太陽』の時もね、俺は宣伝の失敗は確かにあったと思うんだ。何が失敗かというとね、角川がああやって、本当の意味の大量宣伝を始めた現在、ちゃっちいTVスポットを、ちょこちょこうったってさ、こんなものは銭ドブに捨てるようなもんでね。15秒で40万、60万持ってかれるわけだから、ゴールデンアワーだと。

川喜多 二億三億でなきゃ、うってもしょうがない......。

長谷川 二億三億じゃ、まだ足りないね。角川がかけてるってのは、五億六億だからね、一本の映画に対して、スポットだけで。『太陽を盗んだ男』の宣伝費というのは、総宣伝費が一億二千万なわけですよ。これは、東宝の計上した額だから、どれだけが実費なのかわからないけど。

川喜多 製作費がオーバーした分だけ、けずられたの?

長谷川 宣伝費を?ちがうちがう。宣伝費はプッシュしたの。最初の宣伝費は八千万だった。

川喜多 私ね、出来あがって嬉しかったのね。それだけに、あのあとの宣伝が頭にきたお金を使わないってことで、もしかしたオーバーした分だけ、けずられたのかって思ってた。

長谷川 例えばさ、スポットなんてものは、どこ回しても写ってるから意味あるんだよな。俺みたことないんだもん、一日家に座っててさ。一種のマス・ヒステリー作るわけだから、どこ回しても太陽を盗んだ男、太陽を盗んだ男”いってるといってりゃ、これは宣伝になるわけさ。そうじゃなければ、銭すてるようなもんでね。だから、同じ額使うんでも、TVはいっさいやらないと、印刷媒体だけをズバッとうつとかさ、そういう方法論が必要だったよな。
  ともかく、ああやって映画封切る時に、客が映画のタイトル知らないようなのはダメだよ。ホラあのジュリーと文太がやってる、なんとかってのがあるじゃないってぐらいじゃダメなんだよ。「歴史は俺たちに何をさせようとしてるのか」というぐらいさ、コピーが頭にしみこんでさ、あれだけオーバーなコピーうつんなら、何かあるだろうと思って行くと、何にもないということをさ、みんな知ってながら、何回やってもやっぱり行くんだもん。俺は、ただ、興味はある。例えば、『太陽を盗んだ男』を、角川流に宣伝したら、どうだろうというね。ヒットしたのか、しないのか、少くとも、観た人間の満足度のパーセンテージは、角川映画より高いわけだよ。必ずしもヒットしなくても、ヒットした映画より読者投票は多いんだから。
  あれがATG映画でね、三千万予算なら、あの入りで万才なわけだよ。いくらなんでも『頬づえ』が『太陽』の配収を抜いてはいないさ。それは一五七館一斉封切なんだから、全国で。俺は『頬づえ』の試写を観に行って、東さんと話してて「いやあ、あれは有料の試写会だから、しっかり有大変な入りでいいねえ」なんていってたわ料なんだよ。(桃井かおりが挨拶したりしてさ。そうすっとね「いやいや、ゴジの十分の一はいりゃいいんだから、うちは」というわけだよな。まあ、そんなわけだよ、予算が十分の一なんだから。ああやってロングランやることで、まあ、三億なら三億の配収ということになるか、それはもう、素直におめでとうなんだけども、ただあの規模だからヒットといえるのよな。三億かかった映画は、三億配収じゃヒットじゃないわけだ。

川喜多 でも、あれも88館か89館まで広げたのよね。

長谷川 『頬づえ』も・・・・・・、ああそう。

川喜多 それはほとんどが二週で、『Keiko』と併った所は当たったけれども、『花街の母』と併った所は、さすがにはいんなかったのよね。

長谷川 花街の母』ってのは、あれはどういう発想なのかねえ(笑)東宝も。驚いたなあ、俺は。

川喜多 地方で当たったんだって。あの人の生まれた所、金沢だっけ?

長谷川 それは御当地ソングだからさぁ『花街の母』ってのは。しかし、俺は冗談だと思ったよ、あれは。



「笑う原爆」というタイトルはオミットされたんだよ

長谷川 決めたんだ、俺は。プロデュースもやるよ、今度は所詮、俺は他人に迷惑をかけすぎたよね。一本目で俺は、冗談半分に、今平の悪口も大塚の悪口もいったが、確かに憎みもしたよ。また憎まれて当然だったと、いまでも思っているが、どこかで感謝もしてるわけさ。ただ、俺のように、映画をわがままに作るってことを貫徹していくと、結果、プロデューサーをやってるわけだよな、自分で。例えば『太陽を盗んだ男』の場合もさ、ジュリーをくどきさ、文太をくどいて脚本を自分で書いて、やるぞやるぞっていってればさ。そこで、又(山本又一郎)に金銭的リスクだけバトンタッチして、やらしたわけだよな、又がやるっていうから。それは、俺にとっちゃ助かると。銭はオマエにまかしたぞ、宣伝もわしゃ知らんぞと、いってタッチしたその部分と宣伝の部分は、必ずしも勝たなかったわけだよ。又は一億近い借金を背負って、そこが奴のしっかりしたところで、たまたま『タブチくん』が当たって、ツーペーにしたから、まあよかったんだよ。そりゃ、やっぱりかなわんで、俺のわがままのおかげで、一人の人間が一億借金かかえてさ、首つるんじゃねえかと思いながら年越すなんてのはさ。やっぱりね、最悪の気分だよ。
  又とは大喧嘩しながらやってーー大喧嘩はあったわけだよ、又との間には。又は、あれじゃ難しすぎてわかんないといいだな、俺はいいんだといってこだわりさ......。又の中に、いろいろ計算があったわけだよ、きっとね。ベルバラ"で確かに自分は名を売ったと。だけど、あの程度の映画しかとれない、あんまり知的なプロデューサーとは思われてないだろうと。金もあんまり儲かりはしなかったんだよ、ベルバラ”はパリにいる頃から、次は黒沢か長谷川だ、みたいなことをいってさ。確かに、黒沢さんのプロデュースの声をかけられたことはあるらしいよ。『乱』かな、ラストを変えれば僕はやりましょうといったら、もちろん彼は変えないといって壊れたといってた。どこまでが本当の話か知らないけども、それに近いことはあったんだろう。そんならゴジだというのは、奴の見方は間違ってはいないわけでね。最初に奴がいったのはね、最終編集権は俺にくれっていうわけだ。俺は日本のちっぽけプロデューサーになる為に、こういうことをやってるんじゃないと。インターナショナルにやっていくんだと。だから俺の映画は、必ず、最終編集権は俺が持つんだと。欧米のプロデューサーは、そうだわな。それは、オマエのプロデューサーとしての長い展望としては、たいてい当たってるし、よういったというようなもんだけど、俺はあげない、と。

川喜多 それは30年前のハリウッドで生まれたシステムがいまあるだけで、変りつつあるところだからね。逆行してると思うんだよね、それを要求するのは。

長谷川 そうかも知れない。だから、オールド・ハリウッドスタイルのプロデューサーが、奴の中で目標としてあるわけさ。最近のプロデューサーというのは、もうちょい、作家性が濃厚なわけだよね。作家を兼ねてるわけだよ、実際に書いたり撮ったりはしなくても。

川喜多 それと、作家に歩合を与えてるからさ、作家がそんなに下手なことをしなくなってるんだよね。

長谷川 俺は、あくまで歩合制でやるってことを、『太陽ーー』ではこだわりたかったわけ。純益の7%というのが、俺が交渉してとった契約なわけね。俺は10%といってたんだけども、全体のバランスをみると、俺が10%をとれないっていう状況があって、ただこれさ、所詮は純益の10%であったり7%がね、いかに0に等しいものかということなんだよ。

川喜多 最低保障はなしで?

長谷川 いや、最低ギャランティはとった。撮影をやってる間、八ヶ月間というのは、一切収入がない、麻雀もできないから。だから、その間は50万ずつ用意しろと、月にね。もちろん俺は、この映画に三年かかってるわけだから、その三年間毎月50万といってもいいんだが、それはまあいいやろと。50万×八ヶ月、四百万を、これは生活費だと、収入じゃないと、プラス7%ということでやったわけだ。その50万というのは、何ヶ月か遅れたこともあったけども、最終的には払ったよ、又は。ただ、純益は出なかったから、7%は0さで。その時に又と、最終編集権という話でね、もう三時間話してもラチがあかんわけだな、どっちも譲らないから。それで、俺とオマエでそう違うわけじゃない、二人にあるということにしようって始めたわけだ。そういうことにしないと、進まないわけだよ、どっちもやる気はあるわけだから。それが最後やっぱり問題になったわけだよ。又は、俺0号出したあとに、全部編集し直すっていい出したわけだな。俺は、その約束があるから、ともかく三日やろうと。
  封切に間にあわないからって、俺が寝ずにやって、ダビングもマキマキでやってそれでも七日ぐらいかかったんだけどさーー上げたものを、東宝が納品受け付けないっていい出したんだね、プールの所で。プールは切るという約束なのに、残ってるじゃないかと。それは、又が勝手にしてきた約束なわけだよ、プールも切ります、タイトルも変えますというのがさ。第一稿の「笑う原爆」とい脚本に、基本的に東宝がのった上で、タイトル変えて下さいと、プールのシーンはオミットして下さいと。俺はどっちもノーといいながら、まあしかし、うまい工合にだましゃいいと思ってたわけだな。まあそう甘くなくてね、やっぱり「笑う原爆」というタイトルはオミットされて、『太陽を盗んだ男』という、まあ、俺が次善のつもりでつけたのが通っちゃったわけだね。それで、中味に関しては、プールは俺は要ると。東宝が読んだ一稿のプールとは、全然意味がちがうと。一八〇ちがうとはいわないが、もう少し重層的な意味になってるはずだと。あれ(一稿)は、リアリズムの殺しなんだと。俺は、リアリズムかシュールなのか、わからないようにしてあると。その分、それがトータルな映画の中で、プラスかどうかはわからないが、俺が選んだ形はこうだと。俺が監督である限り、これは切らない、と。
  でね、俺はプールを切る切らないで編集し直すといってるんじゃない、というわけだな、又は。要は、俺はこの映画がわからないっていうわけだ。このままじゃ、吹上の工員に受けないっていうわけだな。例えば、東海村に侵入してってさ、帰りに浜を走ってくる所にオフがかかるわけだね。「東海村の警備は想像以上に厳重であるから、心してかからねばならない。何か質問があるか」っていったら、教室になるわけだ。「質問がなければ、今日の授業はこれで終り」といって、まあ、あるはぐらかしがしてあるわけだね。幻想か現実かわからないように、意図的にしてあるわけさ。ああいうのはわからないっていうわけだな。ああいうとこは全部よけいだっていうわけだよ。現実なら現実、非現実なら非現実というようにしたいというさ、それは又流の好みがあるわな。まあいいや、それじゃ三日だけやるから、やるだけやれってさ。まあ、しかし、こっちが三年かかって作ったものだから、三日じゃそうそう変りゃせんわな。

川喜多 どう変えたの?ポジを切ったの?

長谷川 ポジをあっちこっち切ったり、ラッシュポジを持ってきて足したりさ。

川喜多 ダビングし直すというわけじゃない

長谷川 いや、ダビングもし直すっていったわけだ。その参考の為に、編集を一回やってみると俺も黙って三日待ったわけだな。まあ、スタッフは信じられん顔してたよ。こんなバカな監督いるかってね。要するに、自分の作った0号をズタズタに切ってるじゃないかと。そんなバカなことがあるか、といや、それはいいんだと、又が、ともかく、いじりたいだけいじった上で話しようってね。三日後、奴が「いやもう凄い映画になった、ゴジこれで大ヒットだ」ってさ、奴が胸張って編集室出てきたわけだよ。で、まあ一応観たわけだよ。「ホラ、こうやるといいだろ?こうやるとわかるだろう?」とかさ、「ここで、ホラ、1カットはいるといいんだよ」とかさ、まあ、やるわけだな。全て、一理はあるが、それは俺の映画では、もうないと。俺は、最初から断ろうと思ってたんじゃないのよ。なんかいい知恵があれば貰おうじゃないかと思ってたわけだ。ただまあ、選択すれば、やっぱり、俺の編集した方がいいわけだ俺にとっては。それで、ノーだっていったわけだよ。それでやっぱり、奴はヘビーになったわけだね。
  で「冗談じゃないぞ、ゴジ。それじゃ俺は何なんだ」っていうわけだな。「俺は一億借金背負ってる」と。「自分がヒットする自信の持てない映画を封切れるか」と。俺は、「オマエが編集したのより、俺の仕上げたものの方がいいと思うんだ」ってわけだな。「オマエはそう思うだろうが、俺は思わないんだ」と。それで最初の問題が、ハッキリしてきたわけだ、どっちが最終編集権を持つかっていう。ただもう、1時間ぐらい話したあとだからね、どっちも譲らないんだから。で、奴も手練手管汚ないこともいうしさ、まあ、こっちもかましてさ。最後に俺がいったのは、「ようわかった」と、「オマエが銭のリスクを負ってんだから、オマエの方がこの映画に関しては力があるんだ」と。「そのかわり、オマエがいうように、もうどうやり直してもいいから、俺を監督のタイトルからはずせ」と。俺も一番汚い手を使ったわけだよな。要するに、そうやって出来た映画は、俺の映画ではないから、俺を監督タイトルからはずすんであれば、どうやったってかまわない、と。「これで俺はジエンドだ」と。「俺の仕事はもう終った」と。
  でね、そういったら、奴はそうするだろうというぐらいね、奴の勢いは強かったのよ。だから、俺にとってもテクニックじゃなくて、あるアバンダンだったわけね。その時ね、奴は「俺はオマエを切ったりする気は最初からない」と、「わかった、オマエがいう通りに仕上げてくれ」ってさ。俺は、ラストロールだけ、ダビングし直したかったわけだな。原爆のドカン!の音をつけたかったわけさ。だから、東宝が切れっていってることとは、全然関係ないわけだよ。「それじゃ、もう、好きにやってくれ」って、奴は帰ろうとしたわけだな。伊地智という現場プロデューサーが、「しかし、東宝との問題はどうするんだ」と東宝が、納品受け付けないっていってるわけだからさ。その時の又の態度は、きれいだったね。「僕がゴジに好きにやってくれっていったんだから、そんなことは僕が責任もちます」と。「東宝には、このままプールがはいってる形で通します」と。「その責任は僕がもちます」っていってね、そうやったんだよ。俺は見直したね、又、確かに、普通の常識でいえばさ、理不尽きわまりないわけだよ。監督が0号作ったものを、そのプリントをブチブチ切ってるわけだからさ、何なんだコイツはってことになるんだけども、それをやって話し合った上で、俺がそれをいえば俺が勝つんだよ。封切二週間前に、俺をタイトルからはずせないんだから。俺が撮ってるということが、多少メリットになってるわけだから、それは出来ない。俺も汚ないことをいって悪いことをしたな、とは思ったんだ。
  いままでの経験したプロデューサーであれば、「それじゃ東宝との話もオマエがきっちりやれよ」つってお終いだな。俺でもそういうかも知んないね、そこまで喧嘩して、やっぱり負けたわけだから。奴が偉かったのはね、「東宝との話はもちろん、僕はブール切る切らないということで、やり直したんじゃない」とずーっといってたわけだよ。ただ俺には、プールを切るように、なんとか通るようにしたい、という風には見えるわけだな。いや、切るわけだから、まずは。俺が最後に怒ったのは、「それじゃ、ゴジもダビングし直して仕上げる、俺もダビングし直して仕上げる」と、それをね、東宝に観せてチョイスさせよう、といい出したんだな。で、「冗談じゃねえぞ」と、「オマエそれで製作者といえるのか」つってさ、「俺とオマエで映画を作ってて、俺とオマエが判断して結論出して、俺らがベストだと思うものを納品するのが映画だろう」と。「東宝に観せたら、オマエの方をいいというに決ってるじゃないか」ってさ、切れっていうのが切れてるんだから。それで俺は怒ったわけ。怒ったし、コイツはやっぱり、いやしいこと考えてると思ったわけだよ。だから俺も、ちょっといやしいこといったわけだよ。じゃ俺をタイトルからはずせ、と。いやしい部分も、確かにあったにはちがいないんだ。ただ、結果、奴が通したんだよね。東宝へ行って、

長谷川 の悪口にせずに、「これが僕らの最終形態です」と、「これで納品します」と、「お叱りはいくらでも受けますが、これ以上変りません」と。そのことはね、俺は又と仕事をして気持のいいことだったね。俺とは、作品そのものに対する思いは凄いちがう奴だけども、だかああやって大喧嘩になるんだけどね。お互いの気分がシンクロしてやれる時はまたやろうな、とはいってるわけさ。ただ、有楽座プレミアでさ、手がきたじゃない?奴の映画は、いままで何本作っても、手なんかきたことないわけだよな。ベルバラ"なんてさ、みんなそそくさと帰るしさ。俺もそそくさと帰っちゃったよ、あとでアイツに会うとヤバいなとは思ったけどさ。会えばやっぱり正直にいうからね。「オマエどうしてこんなつまんない映画作ったんだ」というと、かわいそうだからさ。

川喜多 メリットは凄く大きかったし、やったって気になれたでしょう。もちろん、ベルバラ"の苦労だって大変だったでしょうけど



俺が万歳!と思ったのは有楽座のプレミアの夜だよ

長谷川 『太陽を盗んだ男』は難しい映画じゃないけども、気質的に分裂気味な映画だからね、客がノリきれるかどうかというのは不安だったよ。だけど難しいはずはないと、俺が面白いと思えば客だって面白いはずだというさ、もうその一点しかないわけだな。ただ、封切前、仕上げの頃は全員いったよ、「やっぱりゴジ、ちょっと過ぎるんじゃないか」と、「これはわからんぞ」と、業界内の人間はそういったね。そうじゃなくて、フラットな奴をよんで観させたらね、結構笑ったりして観てんだよ。俺が、やっぱ万歳!と思ったのは、有楽座のプレミアの夜だよ。ああいう時に手がくるってのは、まあ、ないからね。

川喜多 そうだよね。一所懸命したもん、私。

長谷川 しかも、観た人間が、わりと気分が昂揚した感じで出てくるのがわかるじゃない。この映画やって、俺、幸せだったのはあの夜だけだね。まだ可能性があったしね。俺が危惧してたのは危惧し過ぎだったと。充分客にもわかるはずだし、すでに最初の客は今日観たやないかと。これはヒットもするだろうし、俺は嘘をつかずに冒険をやって客をとれるぞと思ったね、あの晩は。あの晩は、だから酒もうまかったし、よく飲んだよ。

川喜多 あの日から何日後かに、二人がハンカチを掲げてるカットの新聞広告が出始めたでしょ?例えば、これは極端な例だけど、黒沢さんが、新聞広告ひとつポスターひとつ、全部NG出すので、宣伝部がどうしようもなくなっちゃってるというでしょ。ゴジの場合は......

長谷川 俺は、その頃は、地方のキャンペーンに挨拶回りしてたね。それと、前にもいったけど、製作と宣伝に関しては、部外者だというポジションで始めたわけだよ。実際、とてもそんな時間ないしさ。でも、俺が例えば、製作宣伝の段階でいってたのはね、この映画は角川のように宣伝費ないんだから、ともかく取材に来たいといえば全部よべと、偉そうにカッコつけてコントロールせずに、皆よこせと。確かに、現場監督としての俺は、取材に来たら仕事を中断されて、困ると思う時もあると、だけど、そう下手じゃないから、俺も。適当にさ、向うが一時間ほしいのを、10分喋ってでも、向うの記事になるようなことはするから。しかも、毎日いつ来ようが、ジュリーか文太はいるんだから、ミーハー的な記事にも出来るようにしてあるんだと。だから、製作宣伝は制約かけるなつったのをね、キティが反対したわけだよ。
  キティはキティで、奴らは覆面で売ってきたと、陽水も小椋佳も覆面で僕らは売りました、と。その奴らのね、勝った幻想があるんだよ、見せない方がいいんだと。俺は、レコードとは違うんだ、と。レコードっつのは、売るタームも、封切何日から何日までじゃないし、結局は30万枚売れたらさ、大ヒットなんだろうが、レコードは。映画なんて、百万人観てやっとヒットなんだと、この規模の映面になればね。それは違うんだから、やれっていうんだけども、俺も現場へ入ったらね、そんなことやってられないわけだよ。二回ぐらいだよ、ミソもクソも一緒にして、記者が50人ぐらい居るわけだな。それで「監督、今日、一時間貰っていいですか」と、「一時間は無理だ、30分にしろ」なんて俺いうわ、そりゃな、おしてんだから。じゃ30分だけって、共同記者会見みたいなのやるわけよ。そりゃね、書かないって、そんなことしても。あれだけさ、恥かしながらあれだけ長い撮影期間があったわけだからさ、製作宣伝をさ、どの日に来たって何だって書けんだから。それが、まず、ひとつ失敗だな、俺の。

川喜多 そこまで手が回らないのは、とってもよくわかるけど、題名が浸透してなかったってのは、製作宣伝がなってなかったからなんだよね。

長谷川 作品の中味に関らないことは、全部譲ったんだよ、俺は。中味のことは譲らなかった、結果ね。だから、キティという、音楽レコード会社が作るにも関らず、キティのミュージシャンを、俺は使わなかったわけだよな。それで、やっぱ多賀とは大モメしたわけだよ。高中か、息のかかった陽水かでいってくれってのがさ、高中も陽水も無理だ、と。俺は、沢田だから井上堯之でやるんじゃないと、俺が知ってるミュージシャンの中じゃ、井上堯之がいいんだと。井上堯之よりいいのがいるんなら、出しなつってさ、俺はじいっと待ってたわけだよ。最初の話ではさ、映画インする前に、音楽だけは作っちゃってね、音楽は先行して売ってなんて、オイチイこといってたのがさ、結果、多賀の手持ちの中に、そこまで作れるミュージシャンがいなかったわけだな。最終的に、それで一番喧嘩したわけだよ。堯之で俺は通したから。堯之でよかったと思う。堯之は堯之でね、ギリまで俺が声かけなかったからね、大分フラストレーションがたまってたわけだな。当然、声かけてくれると思ってたわけだ、沢田でもあるし、ゴジとは『青春の蹉跌』以来の付き合いだし、というのがあってさ。ギリで俺が声かけた時にね、「ゴジがそういってくれるんなら、僕はやります」と「ただいまカラッポだよ」っていうんだよな。「本当にカラッポだから、自信ないけど一所懸命やるよ」つって、一所懸命やってくれたよ。それで、星勝でリテークまでしたんだよな。一回しか、奴のスケジュールがなくてさ、三日でかいて一日でとった音楽だよ、あれは。そのことには、俺も不満があってね。もう少し時間かけたかったというのがあって、星勝でアレンジし直してみたけど、全部やっぱり使えなかったね。

川喜多 星勝って......?

長谷川 星勝ってアレンジャーがいるのよ。ホラ、鈴木ヒロミツがいたバンドの。モップスつったっけ。で、いや、トータルで俺は、一本目と同じように、あの映画で凄いわがまましたわけですよ。黒沢さんのように、功な名をとげて、世界のクロサワが、黒沢としてわがままするんじゃなくて、その映画に責任もてんのは、俺しかいないと思うから、やっぱわがまましたんだよな、結局は。
  だって最初は、予算上は7万フィートのフィルムが、17万フィート回ったわけだしさ。俺は、三億かかるとはいっていながら、二億五千万で仕切った予算がさ、三億二千かかったね。俺も気が重いから、ディーテルまで聞いてないけど、まあ、恐らく、三億二千はいってないでしょう。三億は超えたと思うがね。細部まで聞くと気が重いからね。いや、その細部まで聞くと気が重いからということをね、やっぱ俺は、そういう甘えはやめなイカンという反省はしたわけさ。だから次にやる時は、俺が一人で製作はしないだろうけども、製作者の一人になる、と。銭のリスクまで負うと、俺は。銭を集めることから、製作宣伝から、トータルの宣伝まで、全部、俺は口出す、と。口出して、絶対じゃなくても、相対的にはベストな方向でやった上でさ、それで負けたんなら納得もいく、と。

川喜多 ほんとにアレ、くやしいもん。だって、宣伝で負けたという風にしか......。イライラしたものね。



俺がとるのは、人間関係じゃないんだよ、映画なんだよな



長谷川 俺は今度の映画が終ってね、ある時期、非常にウツだったわけだよ。失なったものが多過ぎると思ったね。現場で、俺が十年一緒に映画やってきたさ、俺の後輩にあたる連中が五人、現場逃亡したしね。仕事がキツ過ぎるからなんだ。それと、俺が何もいうこと聞かないからなんだ。
  又だっていったわけだな、「僕って何」ってわけだよ。オマエとやってたら、自分の存在理由がないっつうわけだよ。オマエがやるのが全部正しくて、オマエがやるようにしかやらないのかということになるわけだね。人間関係的にはさ、譲る方が楽なんだよ。N・Gということの方が、数等キツいんでね、O・Kというのは楽なんだよ。N・Gといえば、また何時間か、労働しなきゃいけないわけだしさ。スタッフも、10人のうち8人までが、これはOKだなと思ってるのを、もう一回だけやってみたい、といってNGというのはさ、やっぱキツいわけさ。それが、日々全て出るわけだな。
  例えば、この天気でも撮れるはずだ、と助監督は思って、スケジュールを組むわけじゃないか。それで、ロケーションに出すわけだよ。で、俺は怒るわけだな。「俺は、こういう天気じゃ撮らないんだ」と、「少くとも、このシーンは撮らない」と。それじゃ、何をやるかったらさ、無いシーンを思いついてさ、雨がドシャドシャ降ってきたから、雨が降った日の学校帰りというのを撮っとこうってさ、脚本なんか無いわけだな。「そういうことを俺と一緒に考えるのが、オマエの仕事だろうが」と、俺は怒るわけだよ。「台本にあるシーンだけ割って、これは撮れるこれは撮れない、役者のスケジュールがどうだっつのは、バカでも出来る」と、「アホか」ってさ、怒るわけじゃない。でね、最後、やっぱ逃げたよ、俺の子飼いが全部いなくなったよ。夜中に、そいつが電話してきたりしてね。「いなくても、この映画できると思うから」というんだよな。・・・コタえたね、俺も、わりとセンチメンタルな方だからさ、淋しいということもあったりさ。ただ、そいつを説得してる暇なんか無いんだよ、毎日「戦争」だからさ。カーチェイス撮る、車が30台出る高速道路の撮影の日なんてのは助監督ひとりもいないんだぜ。製作担当者もいないんだよ。

川喜多 誰がやったの?

長谷川 三石というスタントマンがさ、「とうとう俺、担当者になっちゃった」って。高速道路へ入る車の入場料がないんだよ。三石が払うわけだ、全部な。三石というのは、俺が、日活でアクションやってた時からの友達でさ、いつか好きなことやろうなつって、一緒に遊んでた友達で、俺よりだいぶ年上なんだけどもね。『殺人者』の時も、よんで使ったわけさ、結果、暴走族のスタントシーンは、全部切っちゃったけども。「今度は、全部は切れねえだろう」(笑)とかいって、やってたわけさ。
  その時に、俺がとるのは、人間関係じゃないんだよな。映画なんだよ。後でいうとね、非常に作家的に貫徹してるみたいで、いいようだけどね、果して自分がやってることが正しいかどうかなんて、わかってないわけだからね、全然。カーチェイスだって、全部やめろっていったんだから。全部切ってもつながるんだよ、あの映画は。アレ一番最後に撮ったからね、銭もなんにもないわけだよ。もう、みんな一番バテてるわけだ。しかも、毎日早朝だからさ。二時に桜田門に集まって、そのまま夜中まで撮るわけだよ。次の日の朝、また二時なんだよ。寝てないわけだな、みんな。
  製作担当の一人が逃げたのは、俺が、パトカーを20台欲しいっつうのを、例えば16台になったりしてる日があるわけね、マキシマムで16台って日があるわけだよ。「16台で泣く」と、「16台で泣くから、16台は絶対に揃えろ」っていうと、8台しか来てないわけだな、朝いってみると。俺も撮らざるをえないわけだよ。もう、集まったもので撮るしかないわけだよ。「オマエら俺が撮ると思って、8台ですむと思ってんのか」ってさ、「冗談じゃない、もう8台パトカー持って来い、でねえと今日は撮影中止だ」ってね、みんなの前で怒鳴ったわけだな。「やってますよ、やってるけども、運転手が来ないんだ」っていうんだよな。運転手が、あんまりキツイからさ、来ないわけだよ。「バカヤロー、運転手ぐらい、学生雇おうが何しようが、スタントやれってんじゃないんだから、五千円で雇えるだろう」ってさ、また怒るわけだな。逃げ場を無くするわけだよ、俺は奴は、目いっぱいやってるけども、やっぱり個人の能力の限界超えることがあるわけだよ。その次の日から、奴は来なくなったね。来なくなったけど、「ゴジ、オマエ傷ついたようだけど、みんな裏でやってるから」っつんだよ。まあ、裏では、やってたらしいよ、完全逃亡はせずにね。ただ、もう行かないといったから、俺の前へ出てこれないわけだよ。
  又だって、俺はなんなんだっていうしさ。オマエのわがままに、みんな付き合ってるんじゃないかと、付き合って、失なうものばっかり失なって、俺たちは何だ、というさ。その時に、俺がそう思いもし、いまもそう思ってんのはさ、俺が主役じゃねえと、映画が主役じゃないか、と。映画が主役だという風に思わない限りさ、こんなもの、バカらしくてでけんぜ、と。俺は確かに、一番近い所にいるかも知らんと、確かに沢田研二の主役映画を撮ってる気はないし、この映画が主役やと思ってやってると、それはしゃーないぞという、やっぱり監督独裁のスタイルでやってるわけだよね。それがね、それをやる時には、俺ももっとリスクを負わなきゃいけないんだと思ったよ。



この五年ぐらいは全面展開してみようと思ってる



例えばね、俺は完全合宿でやろうつったわけ、最初ね。オール都内ロケなんだよ、あの映画は。オール都内ロケで、合宿なんてことは、ありえないわけさ、銭くうから。だけど俺の映画は合宿でやらないとダメだぜつってさ。ただ、それは通んなかったわけね、俺はプロデューサーじゃないから。俺がプロデューサーならね、日活でプレハブ建ててすましてるよ。その方が絶対安くていいだろ。調布のタクシー会社が、月三百万だもん、タクシー代だけで。ともかく、キティフィルムったらさ、もうキチガイだといわれるぐらいさ。1時過ぎたら、20台ぐらいざぁーとタクシーが並んでるわけだよね。毎晩。しかも、いつ終るかわかんないから、10時から待ってるわけだよ。下手したら朝の4時まで待ってるわけだよね。これ全部、銭払うわけだからさ。俺なら、そういうことは、やっぱりしなかった、俺がプロデューサーならね。
  で、それはね、伊地智というプロデューサと、俺との齟齬なんだよ。彼は、「ゴジが、自分の映画の作り方に、システムを通すのは結構」と、「俺は絶対スタッフには、それで迷惑はかけんぞ」と、「スタッフには必ず送りを出す」と。で「スタッフギャラも、俺は、リーズナブルなとこまでしか値切らない」と、「スタッフをいじめたりはしない」と、「それはそれで、やれる体制なんだ」と、「そのことと、ゴジが映画の中で、わがまますることとは、俺にとっては同じことなんだ」ってやるわけだな。それはそれで、俺は認めていいんだけども、ただ、俺がプロデューサーならね、やっぱもっと俺主体にやるわな。四ヶ月間、家へ帰らないでもいい、ということでないと、この組にはついてくれるなと、帰しまへん、と。帰るとね、もう完全ダメになるんだよ。
  現場でやってたらね、その熱気でわかんなくなるけどね、一日うちに帰ってさ、チョンガーだったりして、うちで寝るだろ、3時間も寝ないで、また起きて行くわけだよ。こんな眠いのに、なんで起きなきゃいけないのと、やっぱり思うわな。合宿でやってりゃ、ワッサワッサだからさ、もうなんか、しゃーないわけだよ。『殺人者』なんてのは、あんな酷い予算でさ、それこそ一畳に二人寝ても、もってたのは、合宿だからもったんだね。キツい映画は、合宿やんなきゃね、エアーが抜けるんだよな。個人に戻っちゃうとね、個人にはいろんな欲望があるわけだよ。三年かかる映画だとね、そりゃ無理だぜ。だけどね、半年ぐらいまでならね、個人にある程度、目をつぶれるんだよ、人間ってのは。
  『神々の深き欲望』の時も、そう思ったけどね。四ヶ月たったら、ほとんど全員、廃人だったね。正常じゃないんだよ、みんな。もう、日常ってものがないからさ。神様のよう今村昌平という人間がいてね、奴がやるということは、何でもしなきゃいけないわけ最初、体力にも能力にも余裕がある時は愉しめるわけさ、「いやあ、これが今村組や」って、愉しいんだけど、しまいになったら、もうどーでもいいわけだよな。「なんでもいいから、もう、うち帰っておカーちゃんと寝たい!」みたいな気持になるわけさ。ただね、結果、それは終るんだよ、映画がいいのは。政治でないから、いいのはさ。政治は終らないんだよな、その状態がずっと続くんだよ。映画なんてのは、作ってる間は、そりゃ神様だけどさ、終ったらタダの人だからね。これが、まあ、いいんでさ。昨日まで、絶対権力者みたいな顔してたのがさ、ベーベーの監督に、「おいゴジ、煙草」っていわれたら、「おお」つって出すのがさ、俺らの日常だから。それは、前日まで、「監督!」って椅子持って歩いてる奴がいるこ全然ちがうレベルなんだよ。
  俺は監督やってる時は、大事な人だけど長谷川和彦という個人に戻った時は、連中にとって、大事でも何でもないからさ戻っちゃうわけじゃない、俺みたいなのは。もちろん、人徳のある人は、日常に戻っても尊敬されるけどね、俺は日常に戻ると、大体、尊敬されないからさ(笑)。だからいいじゃないかと、やってる間の、三ヶ月なら三ヶ月のお祭りやないか、と。俺のお祭りはキツいのよ、というさ、それを貫徹するには、銭のリスクも、製作宣伝から含めた宣伝のリスクまでは、まあ、一回は持たんとしゃーないという気になったのさ。『太陽』がねがってても大ヒットでさ、俺の7%が例えば一億になったりしてりゃね、俺はその一億で、次の映画の準備をしようってことになれるわけじゃないか。ただ、それが生活費にもならなかったという現在を思うとさ、要は、うまくいかんかったんだよ、俺が思ってたようには。俺が製作を兼ねたら、うまくいくかというとね、その確信はないのさ、正直いうと。

川喜多 そこで、エネルギーを分担できるかっていうと、また別の話だろうとは思うけども、どこかの長にたってればいいんだよね、プロダクションの

長谷川 いまが、一番オーバーに風呂敷広げようかと思ってるのはね、カンパニーをきっちり作ってですね・・・・・・。
  それは、俺は、ある時ゴジカンパニーって思ってたけども、俺の名前じゃなくてね、もうちょっと抽象的なイメージの持てる、日本語でムービーギャング"という風なものが、うまくあればいいんだけども。そういう、メジャーもマイナーも全部やるよというさ、ギャング的な名前があって、基本的に、映像的な仕事は全部やる、と。もちろん、本線は、俺が主宰者だから、映画ってことになるだろうけども。
  今度、ドキュメンタリー撮ってきて思ったりしたのは、俺はナマケ者だからね、放電するんだよね、放電はまあ大切ではあるんだよ、一本やると。勤勉な男ではないから、放電し過ぎてもたないと思って、脚本かき始めたりするわけだけども、それはまあ、やってみたんだよな。非常に無責任な人間は、この三年間やってみてね、まあ、やっぱ二本の映で、一点突破したわけだから、全面展開してみていいだろうと、この五年ぐらいはね。それでうまくいかんかったら、また考え直しゃいい、と。四十になったら、もう映画は興味ないっていってるかも知んないし、ただ、あの時やっとけばなあ、と後で思うのは嫌だからね。

戻る inserted by FC2 system