押井さん、がんばって!座談会
"時代に斬り込む「ルパン」を作りたい
14年間、時代と密接にかかわりながら時を越えて生きてきた「ルパン三世」。その長寿の一因には、すぐれたスタッフの導入がある。'85年、新たにその戦列にくわわる押井守さんを、大塚康生・宮崎駿両先輩はこう激励する。「過去の作品にとらわれず、自分 の好きなように作れ!」と。押井守さんは昭和46年当時、旧「ルパン」を見た感想をつぎのように話す。「完全に大人向けのアニメーションになっていてとても驚いた。スタッフが、自分自身で納得してやっているのがわかった」。現在フリー。33歳。
「監督・押井守」決定の経緯
AM 「ルパン」の監督に押井さんを推薦したのは宮崎さんだというふうに聞いているのですが、まずそのへんの事情から。
宮崎 「カリオストロ」が終わった時点で「もうルパンはいいや」とぼく自身は結論を出してしまった。その理由は、自分が中年になっていくに従ってルパンもちゃんと中年になっていく。なんかこのままやっていくと、ルパンは初老になってしまうんじゃないかと思って(笑)。それと、いまもしルパンをやるとしたら、泥棒はかんたんにはできないだろうなって気がしたからです。
AM というと?
宮崎 日常の中に田中角栄に代表されるような小悪党ならいっぱいいるし、サラ金に行ってガソリンに火をつけるといったことが日常的に起こるようになっちゃったでしょう。だからルパンのやることが夢物語じゃなくなってしまった。それに、ワッいいものがあるぞっていうので、物をドンドン盗むというのは高度成長期の発想でね、安定成長期というのは、もう物なんてどうでもいいやというふうになる。何を盗ませていいのかだんだんわからなくなっちゃった。「カリオストロ」を作ったころから、もうそういう時代でしたね。そんなこんなで、もう自分としてはルパン本来の持ち味を生かしていく年齢を越えたなという感じがあって「ルパン」をまたやるなら、もうこれは若者がやるしかないと思っていたわけです。で、その話を藤岡(豊)さん(東京ムービー社長)とね、何かの折りに話していたんです。そのときに押井さんの名前が出た。もう数年前のことだけど。「押井守っていう天才少年がいるそうじゃないか」って、藤岡さんがいったんですよね。「うる星」でね、押井さんの名前が業界のおえらい人にとどくようになっていたんですよ。
大塚 藤岡さんはよくぼくにもいってたね。「うる星やつら」はうまい。動きが冴えてるってね。
宮崎 で、こんどの映画の話が「やらないか」ってぼくのところに来たから、もうぼくはできないから、押井守が適当だろうといったわけです。偶然、横にいたしね(笑)。(注/スタジオぴえろをやめて仕事場のない押井守さんは現在、宮崎さんの事務所にいそうろう”なのです)それに「ルパン」という企画は、ふところが深いんです。だから、何かやりたいことをもっている人間とうまく合体すると、とんでもないことができるのじゃないかという気がしてましたからね。
AM なるほど。で、押井さんに話がいったと。そこで押井さんもいろいろ考えたと思うのですが。
押井 ええ。さっき宮崎さんがいったとおり「ルパン」という話は、非常に底が深いというか、企画としてはいろいろな物をもちこんでも成立する世界なんです。けど、話があったときは、やっぱり断わるつもりだったんです。いろんなことあらかたやっちゃってるし、できないんじゃないかと思って。
AM でも、結局やることにした。
押井 ええ。というのは、ぼくにはやりたいと思ってずっとかかえているんだけど、どうしても実現しないあるテーマがあったんです。なぜ実現できないかというと、それを入れる器がなかったんです。ところが、この「ルパン」という企画にやりたいと思っていたそのテーマをはめこんでみたら、かなり展望が開けてきた。その一方で、そのテーマを「ルパン」でやることで「ルパン」そのものも、もう1回映画として成立するんじゃないかという気がしたんです。その両面があったので、今回の仕事をやることにしたわけです。
AM なるほど。
押井 けど、今回監督をやることになってスタッフを集めるために、いろんな人間に会ってわかったことなんですけど、「ルパン」でなにかやれるというルパン幻想っていうか、それを持っている人たちはおおむね30歳を越してるんですね(笑)。
宮崎 (笑)そうかもしれないね。
押井 ぼくが今回集めたスタッフのメインは22、23歳なんだけど、彼らはまず最初に「いまさら「ルパン」でなにをやるの。いやだ」っていうのね。ルパンに何の幻想も持ってない。だから、いままでいろんな人がやった手あかのついた「ルパン」だからこそ、逆にこういうことができるんだと、ひとつひとつ説明して納得してもらいました。
AM 若手スタッフには「ルパン」というともうある一定のイメージがあるんですね。
押井 「ルパン」っていうのはもう、13、4年やっているわけだけれど、それぞれの段階で様変わりするチャンスはいくらでもあった。たとえば、「カリオストロ」なんかはそういう意味でいうと成功している。だから、自分が「ルパン」の中でやりたいと思うこと、またやれるだろうと思うことを見つけられれば、新しい自分なりのルパンを作れる。いいかえれば、いまの時代を生きているルパンが見えてくればやれるとぼくは考えているのですけどね。
演じる人間ルパン
AM ところで、大塚さんは「ルパン」とはパイロットフィルム(昭和44年)からつき合われているわけですが、その長い経験をふまえた上で押井「ルパン」に何を期待していますか!!
大塚 ぼくは動かして遊ぶのが好きだから、期待するものもまずそういう視点になっちゃうのだけど.....「ルパン」という作品は、ぼくやミヤさんの戦車をだしたい、車をだしたい、拳銃をだしたいっていう好みがにじみ出ていると思うんです。そういった小道具っていうのは、やれ装甲車だ、戦車だと、出しゃいいと思って描いても何の魅力もないんですよね。戦車をよく知っていて、それをどんなふうに扱うか知っている人が描いて、かつ、それが劇の中にうまく組み込まれたとき、はじめておもしろいんです。そういったおもしろさが「ルパン」の魅力を部分的にささえているとぼくは思いますねえ。だから、スタッフはそういうことが好きな人をどうしても集めておかないとね。
宮崎 物に対するこだわりをもったスタッフということですね。
大塚 うん。そういうこだわりをもった絵描きがいないと、成功しないと思いますね。それからもうひとつぼくがこんどの「ルパン」に期待したいのは、演じる人間・ルパンの魅力をわすれないでほしいってことだな。
AM 演じる人間!?!?!
大塚 そう。ルパンっていう人は、演じてる人なんですよね。ほんとうはこういう人間なんだけど、仮に悪ぶって見せるとか、仮に純情そうに見せるとか、別の人間を演じているわけです。「カリオストロ」でルパンがクラリスに見せた距離をおいたやさしさほんとうは好きなんだけど中年の分別で、その気持ちを隠して去っていくやさしさ。あそこでもルパンは演じてるわけです。ああいうところが、ルパンの魅力でもあるわけだから、それをちゃんとおさえて作ってほしいと思いますね。
AM いまの大塚さんの話は、各キャラクターの性格設定にもつながると思うのですが。
大塚 そうですね。峰不二子なんかはいろいろへん歴のあった女というふうになってるし。
宮崎 けど、不二子の性格設定というか、これは彼女の魅力といってもいいと思うんだけそれをまちがえて理解している人が多いんですよね。というと?
宮崎 安っぽい、キャバレー「ロンドン」ふうの色気、それを不二子の色気だと思っている人がいるでしょう。ありゃ、ぜったいおかしいと思いますよ。
大塚 もうちょっと奥行きがあると思いますね。
宮崎 不二子がそういう安手の色気を使うのは、相手がいかにも薄手の人間の場合なんですよね。もう少ししたたかなやつを相手にするときは、ちゃんとハッキリした態度をとっていく女だと思うのね。(色気を)使う場所をちゃんと心得ている女だと思うのね。それじゃなかったら、魅力なんか出っこないもんね。
大塚 そうなんですよね。そういう意味では不二子をはじめ、各キャラクターの性格設定がちゃんとあって、そのアンサンブルがあの作品の魅力を出しているとも思う。押井さんにも、各キャラクターの性格をかなりこまかく書き出して、文章化してよく吟味し、それを映画の中でとりちがえないようにして描いてほしいですね。性格まちがえちゃうと、表現までおかしくなっちゃうでしょう。その上で、あまり過去の物にとらわれないで、自分の物を打ち出していくのが正当だし、そうでなきゃいかんと思いますね。
ルパンと時代を結ぶ糸口・変装
宮崎 そういう視点で考えていくと銭形を今回どう描くかっていうのはむずかしいね。銭形もはっきりした性格設定をもってますからね。
AM どういう意味でしょう?
宮崎 いや、12、13年前に「ルパン」をやってたころは、お堀端にある古い昔の茶色い警視庁にね、銭形っていうのがいて、役に立たない警官大勢つれてて(笑)、ルパンはルパンでどっかとんでもないところで捕まっているくせに、なぜか日本の警視庁の留置場に入ってる。で、鍵をコチョコチョってやるとなんなく出て来られるというふうに、いいかげんな話ですんでいたんです(笑)。
大塚 ほんといいかげんな話だった(笑)。
宮崎 ところが、いまは時代がぜんぜんちがう。警視庁っていったら、すごい近代的なビルで、巨大なモニターテレビがダーッと並んでて、パトカーはどこに配備されているってぜんぶわかってて、犯罪人のリストのスイッチを押すと、指紋から顔からぜんぶスクリーンにダーッと映る。そういう近代的な場所で銭形みたいな男がやっていけるはずがないと思う(笑)。この十何年間の技術の発達を無視しちゃうと、完全なアナクロナンセンスになっちゃうしね。
大塚 アナクロだねえ、そうやると。
宮崎 だから、その変化をどう取り込んで、かついまの現代でも、存在感のある銭形にするかを考えていくと、ぼくなんかもう屈折"の固まりになって悩んじゃう(笑)。銭形なんて、窓際族にしかならないだろうなあと思っちゃう。
AM そのへんを今回、押井さんはどういうふうに考えていますか?
押井 うーん......そうですね。ルパン党というか、ルパン・次元・五右ェ門・不二子はなんとかそれなりにつかめるんですよ。どういうふうにかっていうと、彼らは時代にも土地にも根ざしていない自由な人間、通過する人間なんですよね。たとえば、クラリスはルパンと別れたあとでもカリオストロ公国でまたひとりの女として生きていく、いわば舞台に残る人間。けど、ルパンはもう多分、あの国にはもどらないと思う。つまり彼は、通過していくだけで舞台に残るわけじゃないとぼくは考えているわけです。ところが、銭形っていうのは、基本的に定住者なんですよ。だから、生きている年数や時代、そして生きてきた土地をその背景にほうふつとさせる。その銭形が、過去の作品でそうだったように(同じ体力・ねばり強さ・意意地で)またルパンを追いかけることができるかっていうと、もはやできないんじゃないかって気がする。
宮崎 ぼくなんかもね、もしいま「ルパン」をやったら、銭形はルパンの味方にしかならないという気がしますね。暗黙のうちの同志というかね(笑)。
押井 (笑)ふたりには、時代からはみだしてしまった者同士の、ある種の共感みたいなものがありますからね。「カリオストロ」の場合銭形も入ってルパン一党は、クラリスを救うという点で、はっきりと同盟者になっているとぼくは思うし。けど、今回の映画でもそういう感じに描くかっていうと、ちょっと納得できないっていう思いもある。そんなわけで銭形をどう位置づけるかっていうことに、いまいちばん悩んでいるんです。居場所を見つけてあげられないんですよ。
宮崎 たしかにそうだね。おれがいま話を作るとしたらね窓際族の銭形がいてね、なんかどんどん年寄りのふんい気になっている。「ルパンはこのごろ出んな」とかいいながらお茶飲んで、新聞広げてる。通り魔の殺人事件が起こっててもね、それなのに出番はないという感じで。ルパンが生きているからやっと生きがいが見つけられてるっていうふうなわけで、ある事件が起きる。その犯罪の前には、科学的な捜査陣も特殊部隊もコテンコテンにやられてしまう。そこで活躍するのガルパンの思いつきのカンと銭形の体術。そして、それだけで事件が解決されていくというような話。それしか思いつかないな。
押井 ぼくが今回いちばん最初に考えついたのは、サラ金会社に強盗が入って、ろう城する。その強盗っていうのはオフクロやら友だちやら先生にまで説得されるんだけど、最後までみ苦しく抵抗するチンピラみたいな強盗。銭形はその事件の指揮をとっているのだけれどうんざりしている。「こんなの犯罪でも何でもない」って。で、なんとなくルパンをなつかしく思ってるんだけどもうルパンは出てこれない世の中になったなということも、ばく然と知っている。そういうふんい気の話を考えてた。でも、ぜんぶやめた。
AM 理由は?
押井 やっぱりそうじゃないのね。いまいったような状況のところにルパンが神秘のベールをはためかせて登場するっていうのは作りたくない。つまり、時代から疎外されたもの同士―ルパンと銭形の共感みたいなものがドラマを支えてはいけない。ルパンというキャラクターをもう1回出すならば、もう1回時代に斬りこませなくっちゃと思ったからなんです。時代を嘆くためにルパンを出すのじゃなくて、時代に斬りこませるためにルパンを出す。それをやらないと、もう1回ぼくがルパンをやる意味がないという気がしたんです。
宮崎 非常によくわかる。それが、押井さんの今回の役目だね。
AM じゃあ、ルパンを時代に斬りこませるにはどうしたらいいのかってことになると思うのですけど。
押井 そこでひらめいたのが、さっき大塚さんがいった「ルパンは演じている男だ」っていうことなんです。大塚さんとぼくのとらえ方はちょっとちがってるかもしれないけど。・・・・・・ルパンがルパンである必須条件は非常に古典的だけど、変装なんですよ。この変装ってことを、今回はルパンのテクニックとか特技としてではなく、世界の本質とルパンが斬り結んでいく際の、ひとつの糸口として考えているんです。
AM 変装したルパンが現代社会の中で、その社会の本質につっこまざるを得ないような何かを盗むという話なわけですか?
押井 というより、ルパンは時代にもう1回斬りこもうとしている。けど、その方法がわからなくて本能的にある準備をしているというあたりからやりたいと考えています。事件は起こっているのだけれど、ルパン自身とはなかなか結びついてこない。そこでルパンをもう一度、その事件にからませる、つまりこれが時代とかかわらせるということだと思うのですが、それが不二子の役どころだと思ってます。いわば、出馬をうながすわけですね。
押井 ええ。それは不二子にしかできないと思う。次元は非常にやさしい男でルパンにそういうことをけしかけるとか、おしやることができない。それに、あれだけずるずるべったり男ふたりでいると、そういった契機は生まれにくいと思う。五右ェ門はというと、もちろん彼でもない。彼は時代を超越しちゃってる男だから。逆にいえば、果てしなくおちこぼれた男ですから。そう考えていくと不二子しか、その任を果たせる人はいないわけです。不二子は女です。最後に男の行動をうながすのは、いつも女。ぼくは、勝手にそう考えているんです。
AM なるほど。でも、そういうふうにみていくと、また先ほどの話にもどりますけど、銭形をのぞいて、ある程度各キャラクターの関係というのは、押井さんの中で見えているようですね。銭形だけが見えていない?
押井 銭形だけがどうしてもわからない。このままいくと、わかんないままやっちゃうかやっているうちに見えてくるのか・・・・・・いまのところそういう状況なんですよ。
いま「ルパン」をやる意味
宮崎 いまの話にでた、時代ということを考えていくと、もうひとつむずかしい問題がでてくるね。つまり、いまのこの世界でルパンに何を盗ませるのか。こういう世界で、なにを盗んだら犯罪と考えるのかなっていうのは、むずかしいですね。冒頭にもちょっといったけど、世の中全体が泥棒しているような時代でしょ、いまは。
AM それはたとえばどういうことですか?
押井 あのね、日本人はエビを食べてると思うのだけど、あのエビは東南アジア海域のエビをぜんぶさらってきちゃったもんなんだそうですよ。もし、そうしないと、日本人の口に入るエビは極端にへるって聞いてます。いま宮崎さんがいったことはそういうことをさしてると思う。国家単位で泥棒行為的なことがされていて、明確な意味での犯罪が成立しにくいというか。
AM 昔のように、白黒がはっきりつけられないというか?
押井 だから、ほんとうの意味での犯罪は、現代では多分成立しないと思うのね。やろうとするともっと大きな機構としての犯罪に必ずぶつかるはずだから。
宮崎 そうですね。
押井 それを乗り越えるようなほんとうの犯罪はなんなのかっていうと、結局、それはもうあるひとつのものを盗むことしかない。ほかにはあり得ない。もう決まっていると思う。
宮崎 みんなが突破できないと思ってるものを、まんまと突破してみせるってことだね。
AM あの、結局、それはルパンが何を盗むということになるのですか?
押井 うまく伝わるかどうかわからないけど時代そのものを盗む、ってことだとぼくはとらえてる。そして、それが盗みきれるかどうか、宮崎さんのことばでいえば最後まで突破しきれるかどうかっていうことが、いまの時代の問題だと思ってる。だから、今回のルパンでは、そのへんのところ、つまり、最後まで突破できるが人間いるのか、あるいは突破することがどういう意味をもつのか。そしてそこまでつきぬけちゃった人間が見た、現代はどういうふうに見えるのか、それを描いてみたいと思っているし、かなりやれそうだという気がしてるわけなんです。
AM やってみたいことは、かなり抽象的な観念なんですね。
押井 そうなんです。けど、それだからというか、ストーリーのパターンそのものは、きわめて正統な古典的な骨組にするつもりなんです。その中で、越えられないものを越えようとすることで、どれだけ行為がグロテスクにゆがんでいくかということも描きたいと思っています。
現代における映画の役割
宮崎 押井さんのやろうとしていることは、すごくわかるんだけど、その一方で「ルパン」みたいな映画っていうのは、とにかくスッキりっていうのが、非常に大事な要素なのね。ああいうのに金払ってくる人間はね、スッキリしたくてくるわけですよ。
大塚 そうなんですよね。それはすごく大事なことだと思う。
宮崎 だから、ぼくなんか「ルパン」の場合は、一種の青春映画の要素を永久にもってなきゃいけないはずだと思ってるわけ。
AM 青春映画というと?
宮崎 つまりね、いつの時代でもどんな社会でも、欲求不満のかたまりっていう青年はいるわけですよ。スカンピンで頼れるのは自分の能力だけっていうそういった青年が、なにかやってやろうと旅に出る。で、鉄砲撃つことしか能力のない男と出会ってチームを作る。けんかしたり助け合ったりしながら、みごとフォーマルな社会の規範を越えて、したいことをしていく。それは、こうもすき間はないと思っていた社会でもまだ十分にすき間はあるぜってことを、みごとに演じてみせてるってことになるわけです。そしたらそれはもう青春映画になると思うんですよ。
押井 たしかに、まだなにものでもない男が自分以上の男とか、社会とかをまんまとだし抜く。してやったりという映画はマカロニウエスタンやなにかにもあります。でもそれと同時に、主人公の男がやりたいと思ったことが、結局やれないんだということを冷酷に描いていくっていうのも映画だと思うんですよ。で、今回の「ルパン」でそのどちらをやるかっていうのは、いま岐路にたっているところなんです。だけど、ある時点では、いまいっ両方の要素を満たしていかなければ映画の厚みはでないと思うし。
AM ということは、制作していく過程で、そのどちらの映画になっていくかがわかるということですか?
押井 やってみて、まんまと出しぬけたらそれでいいと思う。でも、前提としてなにがなんでも出しぬこうとは思ってないんです。それだと、どうしても閉じられた世界になってしまう。ぼくの考えとしては、映画っていうのはある力をもつためであれば、なんというか、美しく破綻してもかまわないと思う。
宮崎 でもねえ「ルパン」みたいなものは、やるんだったらエンターテイメントに徹する覚悟がないと、と思うな。
押井 エンターテイメントっていうのは、お客さんが見たがっているものを見せてあげるってことでは必ずしもないとぼくは思うんですよ。
宮崎 ほんとうは自分はこういう映画が見たかったんだっていうふうに、観客が気がついてくれればいいということでしょ。
押井 そういうことなんです。あなた方、こういうものを見たがっていると思うんだけどこういうふうにしてみました。でも、このほうがおもしろいでしょう。「ああやっぱりおもしろかった」っていってくれればいいわけで。
宮崎 まさにそれなんですよ。
押井 たとえば「インディ・ジョーンズ」見てても、見ているあいだは、けっこうハラハラドキドキするんだけども、それだけなのね。見終わっても「ああ、すごく楽しかった」っていうね、それだけ。ボーッとして頭かかえて映画館から出てくるっていう感じじゃない。これはどういうことかというと、見たがっているものを見せてもらって、ああ楽しかったと思いはするけど、ほんとうに満足する人はいないということなんです。旅行にたとえてみればわかりやすいと思うんだけど、人は旅行に出て、名所旧跡をたずねて満足して帰ってくるわけじゃない。そこであるちがう人間に会ったとか予期していなかったものを見たとかで、人は旅行に誘われるわけですよ。
宮崎 そのとおりだと思いますよ。
押井 旅行と映画も同じとすれば、なにかあある種の期待を背負って映画へ行く。その期待を裏切られてもかまわないから、まったく自分の予想を越えたなにかと出会う。つかのまそのなにかと同行して、最後にまた別れて帰ってくる、といったものだと思うんです。そしてその予想を超えた何かが、映画が世の中に対して与えられる唯一のものだと思う。ぼくは単なる消耗品としての映画じゃなく、いまいった役割をになえる映画を作りたいし、それをやらなければ意味はないと思うわけです。「ルパン」をいまの世の中に生き返らせるってことと、いまいったことーー時代に向けて映画をもう1回鋭いなにかにしていくってこととは、ぼくの中ではいまひとつになっている。それに、アニメーションという媒体だと、いまそれがいちばんやりやすいと思うしね。
宮崎 実写映画よりやりやすいね。
AM どういう意味なんでしょう。
押井 いまね、世界とか人類とか、そういうことを大まじめにいってふきださないですむのはアニメーションだけなのね。実写で、そういうこというと、みんな笑うにきまってる。
AM それはたしかにそうですね。まじめに「人類を救うには」なんて実写映画でやられたら、シラケちゃう。
押井 でしょう。でも、アニメーションの場合は、それはもう作られた抽象化された世界なんだって、映画が始まった瞬間から観客は思えてしまう。だから、実写よりも先いったようなことを真正面から恥ずかしがらずにいえる。それに、虚構とか現実というものをはるかに論理的にあつかえるわけです。だからぼくとしては、そういうことがやれると信じられるあいだは、アニメーションを作ると考えているわけです。
宮崎 なるほどね。いや、こりゃ、きっとおもしろい「ルパン」ができますよ。押井さんの意気込みをみててそう思う。あとは、20代のアニメーターが、彼らのファッションで軽く軽くいこうとするところを、どういうふうに押井さんがつなぎとめるかってことにかかってる気がしますね。がんばって下さい。
AM 大塚さんからも最後にひとことお願いします。
大塚 いや、さっきもいったことと重なるんですけどね。とにかく、押井さんは「ルパン」いろんな斬り口で斬っていっていいという権利があると思うんです。過去の「ルパン」にひきずられる必要は全然ない。にもかかわらず、見る側が「ルパン」になにを期待しているかってことはおさえておかなきゃいかんと思う。そのポイントをおさえたら、あとはもうどんどん思いきったことができるし、まそれをぼくも期待しますね。がんばって下さい。
この座談会は、宮崎さんの長野県信濃境にある義理のおとうさんのアトリエで行なわれた。夜型の押井さんもここでは健康優良児。朝8時には起床。午前10時からの座談会もものともせず、映画にかける意気込みをとどまるところを知らず話してくれた。そんな押井さんをみて、今回が初対面だった大塚さんがひとこと。「若いのに彼は理論派だねえ。あとその理論をどう映像化していくかにかかってます。おもしろさに理論が勝ってしまわないようにしてほしい」
虚構についての感覚を示す話をご披露する「遠くに山が見えるとする。近寄っていってみると、その山は舞台装置のように紙に描かれたもんで、後ろには倒れないようにつっかえ棒がしてある。現実のいま見ている ものに対して、いつもぼくはそういうふうな感覚をもっている。たとえば、取材されているときも、ちょっと横を向いたすきに、取材記者は人形に変わっているんじゃないかと思う。押井さんにそういわれると、こちらもそう思えてくるからふしぎです。
「絵はしろうとだから、ぜったい描きません。イヤ、ぜったいダメですよ」固辞する押井さんを説得して描いてもらったのが、扉のイラスト。今回の「ルパン」の世界のニュアンスが、この絵でつかめた気がするのだが。ちなみに押井さんは、美術科出身。
大学時代の話をいろいろ聞いた。なかでも印象的だったのは映画制作資金を作るために精を出したアルバイトの話。「お金がよかったから土方をやった」「チリ紙交換は学生運動の活動家だった友人のヘルメットを借りてかぶっていたから、主婦には受けが悪くて。あれは、各地域でそれぞれ交換屋の縄ばりがあってしんどいわりにはお金がよくなかった」「家」庭教師はやりたくなかった。なんかいやで」ーウエイトレスと家庭教師ぐらいしかアルバイト経験のない私には、衝撃だった。そしてもうひとつの衝撃。「西武デパート(東京・池袋)の地下食料品売場で試食品を食べ歩いたことありますか?えっ、ないんですか!!!試食をしたことがないなんて、人生の快楽の一部を享受してないようなもんですよ」戻る